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「『雑草と言う草は無い』とは牧野富太郎博士の言葉だそうだが、花にも名前がある。でも、この花の名前を知らない」



NHKに「日本人のおなまえっ!」と言う番組がある。森岡浩と言う姓氏研究家が登場するが、名前に関しての造詣が深いのには驚く他無い。番組の中ですらすらと名前が列挙されたり、由来や地方が紹介されるのを聞いて居ると、其の記憶力にも感心させられる。

 

名前と一言で言うが、現代の日本では苗字と名前とがあって、「苗字」とは「家名」、即ちファミリー・ネームで、「名前」は個人を特定する為のものである。英語では“given name”、或は最初に来るので“first name”とも言う。

処が普段「貴方のお名前は?」と訊かれることがあるが、これに対しては時と場合、相手に応じて「苗字」で答えたり、「名前」を言ったり、或は両方を言う場合があってややこしい。書類に名前を記入する場合だと、「姓」と「名前」とに分かれて居ることが多い。

 

又「苗字」も「名字(みょうじ)」と書き表すことがある。是は「苗字」の「苗」と言う字が常用漢字に「みょう」と言う読み方が無い(ビョウ、なえ)からで、可笑しな現象である。

「苗」と言う字には種から目を出したばかりの植物を指すが、別に血筋、子孫と言う意味があった。其れを無視して迄常用漢字に義理立てし、「名字」にしたのでは、其れこそ「苗字」なのか「名前」なのか分からない。「苗字」の”音“だけ採った当て字なのだ。

 

『苗字帯刀を許す』と言う言葉があるが、是は武士には農民・町民とを区別する為に苗字・帯刀が許されて居たことから、武士としての扱いを許可されることを意味した。

処が地域に依っては名前だけでは何処の誰か分からないことから、便宜上苗字を持つ平民も沢山居た。唯、人別帳など公文書への記載は許されず、墓碑銘や過去帳等私的な文書に限られて居た。

 

古来名前には官職や役職、地域等を表す必要から可也複雑であった。漢字の元と成った中国大陸でも、三国志に登場する劉備玄徳を例に取ると「劉」が“姓”、「備」が“諱(いみな)”、「玄徳」が“字(あざ)”で、其の劉備に仕えた諸葛亮は「諸葛」が“姓”、“「亮」が”諱“、「孔明」が”字“である。「字」は成人男子に付けられる名前で、通常は「字」で呼ばれ、「諱」で呼べるのは親や主君に限られた。本人が自称する場合は「諱」を用い、「字」は使わない。

 

信長の正式名は「織田三郎平朝臣信長」で、「織田」が苗字、「三郎」が通称、「平」が氏(うじ)、「朝臣」が姓(かばね)、「信長」が諱(実名)であり、家康は「源朝臣徳川次郎三郎家康」と為る。

 

明治政府は平民にも苗字を許可したのだが、高い税金を取られる怖れから名乗る人は少なく、明治8年に是を義務化した。国民皆名を義務化したのは、武士階級と平民との差別を無くそうと言う趣旨では無かった。

それは富国強兵政策に因る「徴兵制」の実行の為と、徴税の合理化の為だった。江戸時代にも人別帳と言うものが有ったが、それは「家」単位で、其処には使用人も含まれて居たらしい。其れを徴兵と徴税の目的から、個人単位で管理する必要が生じ、家族毎の戸籍を作り、姓名をはっきりさせようとしたものだった。

 

戸籍を作るに当って、古代の官職に由来した名前(右衛門・兵衛、丞等々)を禁止した為、苗字のみならず、名前も付け直すことに成った。

其処で苗字として皆が頼りにしたのが地名(石川・香川・熊谷)、地形(森・杉山・小島)、方位(西村・前川・上山)、職業(鵜飼・鍛冶・米谷)、藤原からの転化(佐藤・加藤・藤原)がある。

 

明治31年には民法で夫婦同姓が定められ、改姓には養子縁組、結婚帰化以外では、家庭裁判所に変更届を出すが、特別な事情が無い限り認められない。今の戸籍は家単位では無く、夫婦単位に成って居る。昭和42年以降は住民基本台帳法の施行により、戸籍とリンクした住民登録制度が開始された。

又、戸籍は漢字の読み方は登録されない。つまり、読み方は自由と言う訳だ。

 

冒頭に挙げた森岡浩氏に依ると「斎藤」と言う名前には、別に「齋藤」、「斉藤」、「齊藤」、「齎藤」とも書くが、前の2字を除く3字は全て受け付けた役人の間違いだそうだ。明治時代の法律改正で役所も大童だったに違いない。

 

歳を取ると自分のルーツが気になるのは人の常らしい。中でも名前に関しては祖先に繋がるだけに、とっかかりに成る。名前の根拠に土地が絡んで居ることが多い事から、祖先が何処の出自か、其処へ行けば何か掴める、と思うものである。森岡氏では無いが、名前には尽きることの無い興味が湧いて来る。