暫くブログを掲載出来なかったのは、パソコンの不調が原因だった。ワードで原稿を書いて居るのだが、文字が入力出来なく成って仕舞った。可笑しい、可笑しいと思って居る内に最悪の事態に為って、小生の知識では何処を如何遣っても元に戻らなくなったのである。已む無くブログの入力画面に直接文字を打つことにし、ワードはそのままにしてある。ネットで不調の原因や、回復の方法を調べてみたのだが、どれを試しても二進も三進も行かない。何か一寸したことなのだろうが、袋小路に入って仕舞った。

今の内閣と野党はどちらも可笑しいと思わないだろうか?先ず安倍総理だが、国会の野党の追及に対する答弁は余裕しゃくしゃくで、野党は手玉に取られて居る様な有り様だ。野党は追及すればするだけ総理を有利な立場に押し上げて居るかの様に見える。安倍内閣に成ってからと言うもの、何一つ新機軸は打ち出せていない。公約は殆ど具体化されて居ないと思うが、皆さんの見解は如何であろう?
以前から申し上げているが、三本の矢とか、骨太の方針と言った抽象的な言葉では国民に伝わらない。マスコミは面子が在って分かった様な振りをして居るが・・・・。

三本の矢とはご承知の通り、毛利元就が自分の死後三人の息子たちがバラバラに成らず、協力して行って呉れという趣旨である。一本の矢では簡単に折れもするが、三本纏まれば折れにくいと言う例えだ。其れと、安倍総理の公約とは何ら関係が無い。政策が多岐に亘って居ると言いたかったのだろうが、その結果は不況を更に悪化させた。給料は減り、消費は冷え、潜在的失業率は増えた。つまり、世の中は所得格差が増えただけだ。

国民は生産に携わるより、楽で安定した仕事を求める様に成って仕舞った。凡ゆる産業界では人手が足らないと悲鳴を上げて居る。その結果、欧米の様に現場の仕事は外国人、移民に任せる様に成って来た。肉体労働は敬遠される一方である。若者が就職先に選ぶ職種はデスク・ワーク、つまり綺麗な職場、と言うことに成る。
日本人材派遣協会の発表では、2016年度の派遣会社の事業所数は81,530か所に及んで居ると言う。一事業者に勤務する人数は公表されて居ないが、相当な数に成る筈だ。

其処で大手人材派遣会社を個別に調べたところ、テンプスタッフが38,000人、スタッフサービス3800人、パソナ6,600人、リクルート40,000人も居る。つまり労働者を雇って居た事業者は、その労働者を派遣する人達にも金を払う状況に変わって来たと言うことに成る。事業で入ってくる収入には昔も今も変わりがない。すると人件費の中で遣り繰りしている訳で、労働者の賃金は減って居る筈だ。人材派遣会社は労働者の賃金のピンハネを遣って居るのと変わりは無い。派遣会社では最低でも1労働者の給料の15%を搾取して居ることに成る。業種に依っては、その率が50%にも成るのだそうだ。

派遣会社に頼めば、従業員を自ら探して来る手間が要らない。正社員なら必要な福利厚生費を下げることが出来る。労働力が不要に成れば契約を止めることも容易に為る。従って、派遣会社への多少の出費は止むを得ないと割り切る。
一方、労働者側も、正社員の様に残業、休日出勤から免れ、自分の都合で止めたい時に辞められる。家事と両立が図れる。等々の利点が有る。労使共に利点が有る所に派遣事業が成り立って居る。

派遣制度には利点が有れば欠点もあるが、その最大の欠点は給料が少なく、又長年勤めても上がる見込みは無い。労働時間と言う物差しだけで給与の額が決まって居るのだから当然だ。例えは悪いかも知れないが、スーパーなどで納豆や牛乳の値段が変わらないのと同じ理屈である。
つまり、人材派遣制度と言うのは、人件費を一定に保つのに都合の良い制度なのだ。

日本の近代化を早めた最大の要因は「年功序列」と「終身雇用」で有ったことは、アメリカの経営学者ジェームズ・アベグレンの言を待つ迄も無く、我々もよく承知して居る事実である。こうした考え方を日本人が持ったのは、合理的に考えるより、情緒を重視する思考が日本人に備わって居たからだと考える。早い話が、合理的とは計算であり、情緒とは人間性である。情緒より合理性を第一に考えると、欧米の様に楽をして金を儲けたい、きつい仕事は貧乏人(外国人、移民、古くは奴隷)の遣る事だ、という論に容易に辿り着く。そうした欧米に倣うことが行政や経営の進む方向だ、と考えるのが今の政治家や経営者だ。

欧米が250年掛かって成し遂げた近代化に日本は50年、100年で追い付いた。トランプ大統領が問題にして居る日米貿易不均衡でアメリカが売りたがっているのは農作物で、日本から買って居るのが自動車である現状を皆さんはどうお感じに成るだろうか?自動車の大量生産を始めたのは他ならぬフォードである。
マレーシアのマハティール首相は「ルック・イースト」政策に因ってマレーシアの国力を飛躍的に増大させた。日本人の集団に依る力の発揮と、労働に対する倫理性を見習おうと言うものだった。日本のマスコミは中国政府に阿る立場から言わないのだが、其れは中国の発展にも言えることだ。

既成事実と言うのか、世の中の流れと言うのか、与党も野党も合理的であることを至上命題と考えて居るから、行政が国民の望む暮らしから益々離れて行く。一部の富裕層を除き、市民の暮しは一向に良く成らないばかりか、先細り感が強い。金融庁の審議会が長寿社会に向かう中で、年金だけでは到底賄えず、1500万か3000万円の資産構成が必要であると答申した。老後は年金が有るから何とか暮らせると思って居たのは誤りである、と突き付けられたようなものだ。国民の間では年金だけでは遣って行けないと実感して居たのも事実で、答申が間違って居るとは考えない。寧ろ、答申は誤りで国民に誤解を与えるから無かったことに仕様とする政府に不信を抱いた。つまり、政策の失敗を露呈されることを恐れたのだ。その政策で、今の勤労者層に其れだけの資産を作ることは考えられない。

小生が働いて居た若い頃には、「定額預金」と言う制度があって、預金は10年で倍額に成った。僅かな預金も積もり積もれば、と言う時代だった。今は其れすら望むべくもない。派遣制度と外国人労働者の増加で、早晩失業者も増えるだろう。いずれにしても、賃金が上がる見通しは無い。
オレオレ詐欺が一向に無くならないのも、まともに稼ぐことが難しい世の中だからだ。形振り構わず、とは嫌な世の中に為ったものだ。

麻生金融大臣は、「自分が年金を貰って居るかどうか知らない」と質問に答え、年金に対する理解力がゼロであることを露呈した。同時に、年金に老後を託して居る多くの国民の気持ちなど解らない立場の人間であることを改めて印象付けた。安倍総理にしても同様である。こうした政治家達が、与党にせよ、野党にせよ行政に携わって居ることが問題である。