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「梅雨の合間に、田圃に映る木々」


年金を貰う人が増え、年金を払う人が減少して居る。今、年金問題は実際に年金を貰って居る人も、年金を払って居る人も考えなければ成らない筈だ。
扨其処でだが、考えるとはどう言うことか?前者なら差し詰め「年金?少ないな。物価は上がる一方なのに年金は上がらない。此れでは先行きが不安に為る」と頭の中で思い浮かべる。後者なら「年金が給与から差し引かれるのは辛い。退職後に年金が本当に貰えるのだろうか?年金で老後を遣って行けるのだろうか?」と思案するだろう。小生がここで述べたことは、頭の中の想像を文字にしてみたのである。
考えると言うことは、此の文字にしてみる、言葉で喋って初めて言えるのではないか?

「暑い」、「寒い」、「腹が減った」と感じる段階では、考えたことに成らない。問題を見付け出し、問題に対処する方法を思案し、其れを書くなり、他人に喋るなりして初めて考えたと言える。書いたり、喋ったりすることは、問題に対して自分なりに論理を組立てる事なのだ。言い換えれば、書かない、喋らない人は考えて居ないと同じだ。

田舎暮らしでは、人と喋る機会が無い。畑の畦道でも人を見掛けたら声を掛け、天気の話から話題を広げて行く様にして居る。このブログも、読んで頂ける人が居る限り書いて行きたい。どんなに高尚な考えの持ち主だと言っても、口に出して、文字に表して、他人に発表しないことには考えて居ることには成らない。
喋れば相手も其れに対して自分の考えを言う。そうしてお互いに考えが深まって行く。ブログはどちらかと言えば一方通行で終わることが多い。然し、誰かが小生の意見に対し、読んで考えて呉れるだろうと言う微かな期待が在る。

年金問題に対し、審議会に諮問した麻生金融大臣と安倍総理が、答申を見るなり自分達の進めている行政に対する造反だと思ったらしく、答申そのものが無かったことにし、政策に活かす道を閉ざした。選挙を控えた対策であることは明らかだ。
野党は、答申を受け取らないのは前代未聞だ(野党は保守的であるから)とばかり、揚げ足を取る形で麻生大臣への問責決議案を参議院に提出した。事が年金問題で有ったことから、鬼の首を取った気分だったろう。
処が21日、自民・公明等の反対多数で否決された。日本は何事も党議拘束主義なのだから、否決されるのは分かり切ったことである。

『チャレンジすることに意義がある』と本気で思って居るとしたら、「阿保か!」としか言い様がない。時間の無駄、税金の無駄である。詰まる所、国民に対するジェスチャーに過ぎないのだ。ジェスチャーでお茶を濁して済むのであれば、野党は何時まで経っても野党で在り続けるしか無い。
否決されることが解って居ても、問責決議案を叩きつけたことで、選挙民がよくぞ遣った、勇ましいと、次の選挙で票を入れると思って居るとしたら、噴飯ものだ。是を『自己満足』と言わずして何と言おう。
マスコミもマスコミだ。茶番劇とも言えるこの事態を一応深刻ぶって報道した。NHKにしても、何か一言あっても良いと思うのだが、批判の言葉は無い。マスコミのこうした姿勢も、野党が野党として存在して行ける原因を作っている。

野党は頭を使って問題を考えなければ成らなかった処だ。審議会が出した結論は、「年金だけでは老後は足らない」と問題提起をしたのだ。年金生活者は月5万円づつ貯蓄を取り崩してやっと生活して居るのが現実だ、と突き付けたのである。其れに対し、国民の多くはその通りだと反応した。
年金受給者の小生は如実に其れを感じて居る。今は元気でも、病気や怪我をした時に健康保険だけで頼りに成るかという不安がある。災害に見舞われた時、食うだけで精一杯の年金で、どう遣って暮らして行けるのか心配だ。火災保険、地震保険は高額でとても加入して行けない。最近は耐久消費財が持たなく成って居る。何十万もする機材が故障を起こし、おまけにメーカーにもう部品が無いと宣告される状況だ。いずれも、メーカーが繁栄し、生き残るための策略である。自社の利益を守るために、此れまで培って来た”日本製品は故障が少ない、安心だ”と言う世評を台無しにして居る。
頼りに成る筈の子供達は何れも薄給に喘いでいる。リストラも何時有るか分からない。親が頼られる存在になった。

審議委員よりも、野党議員らこそこうした世の中の実態を常に把握して居て、行政の何処に問題が在るか研究し、代案、提案をしなくてはならない筈だ。閣僚を虐めるだけが能では無い。
例えば、簡単なことだが、市民に年金で足らない分を如何して居るのか、足らなくてどう辛抱して居るのかを取材して、実情を国民の共有課題に採り上げることだ。議員には国政調査権と言う特権がある。政府の粗探し、揚げ足取りだけにその特権を行使して居る様では駄目だ。

年金が不足して困窮して居る人が居る中で、優雅な老後を送れる人も居ることを取材することも、これからの年金制度を考えさせる動機に為る。国の社会福祉に頼るだけが生き方では無い。其れでは何処の国も何時かは破綻する。矢張りある程度の資産形成が必要だと国民に自覚させることも大切では無いだろうか?
其れが極一部の富裕層だけの特権では無く、誰にでも出来る社会構造にして行かなければ成らない。其れには、普段の生活に余裕が生じる様な国富の分散方法が編み出される必要があろう。

今の経済社会のままで給料を上げるのは難しいだけで無く、不可能なのだ。何故なら、賃金を上げると言うことは、僅かな収益で商売、事業を遣って居る人達が、人を雇えなくなるからだ。
結局、大企業で無ければ、事業を拡大し収益を増進させ、社員に高給を払うことは出来ない。理屈では、個人の労働には限度があり、高収入は望めないからだ。個人の働きだけで高収入を得られる人も居ない訳では無いが、極めて限られる。
従って、言葉は悪いが、他人を沢山雇って働かせ、上前を撥ねる商売のみが収益を増大出来る。収益を増大し、競合他社を吸収、合併し、事業を独占出来れば、企業の収益のみならず、将来の安泰が約束される。其れは弱肉強食の世界であり、世界では現に貿易戦争を引き起こしているでは無いか?アメリカなどは武力を背景に、其の貿易戦争での勝利を目指して居る。

究極には、今の資本主義の欠陥を指摘し、国富が平等に行き渡る様な制度を考える事しかない。競争はあっても、争いの無い社会を目指すべきだ。
何時も言うことだが、人は生きて行く為に働いて収入を得て居るのだが、その働きに極端な差が付くことが可笑しい。人の能力に差があることは認めるのだが、同じ働きでも一銭の収入にも成らない仕事すら在ることを問題にしてはどうか?家事、育児、家族の介護等だ。

野党は、其処を考え、国民に提案をし、国民を惹き付けることが出来て初めて政権を担う与党に成り得る。
国会での追及を幾ら遣っても、四六時中国会中継を観て居る国民は居ない。野党自ら国民の中に入って行って説得を試みるか、マスコミをもっと活用しなければ成らない。