小生のブログでは何時も政治にいちゃもんを付けてばかり居ると、辟易される方も多かろう。聞かされる方は一向に楽しめないからだ。書いてる本人も愉しんで居る訳では無い。先日も堪忍袋の話を書いたが、ブログは小生の堪忍袋だと言ったら怒られ様か?

唯でさえ、皆辛抱しながら世を渡って居て、これ以上他人の愚痴迄聞いて居られるかと思う筈である。小生だって楽しめる話題を提供したいとは思って居る。

 

小生はブログの副題に「世の中の懸案事項を掘り出しましょう」と謳っている。詰まり、不平不満の少ない、住み良い世の中にする為には、不平不満の原因を見付け、皆で其れを取り除いて行かねばならないと考える。

処が多くの人は難しいことは考えない方が楽だと思って居る。現在の自分の暮しに直接関係が無ければ、聞き捨て、見過ごして居れば世話が無い。「触らぬ神に祟り無し」なのだ。

政治家やマスコミ、学者等に任せて置けば如何にか成る、悪い様には成らないと気楽なものだ。そうした気分では何時しか世の中は破滅するのである。

 

昨日、国連総会に出席した後の安倍総理の記者会見をテレビで観た。其処での日本人記者の質問を可笑しいと思った人は居るのだろうか?何時もの如しであって、聞き過ごして居た人が大部分であろう。慣れとは其れを気付かぬ故に恐ろしいものなのだ。

 

日本人報道記者の質問は次の三点であった。詰まり、10月から値上がりする消費税、解散総選挙、憲法改正である。可笑しいと言うのは、国連総会後の記者会見なら米中貿易摩擦、イランの制裁、北朝鮮と日米韓、地球温暖化など国連で討議された課題に対する日本の立場、主張を各国の記者らは注目して居る筈である。

其れなのに、「解散はしますか?」「頭の片隅にも考えて無い」との問答で日本人記者は満足したのだろうが、それを聞いて居た外国人記者はどう思っただろうか?態々ニューヨーク迄行って確かめる様な質問では無い、何故国内の記者会見で聞けなかったのか、と思う筈だ。差し迫ったイラン情勢など日本国民は関心が無いのだろうか、と疑われて当然だ。

 

「ぶら下がり取材」と言うそうだが、行動途中の首相を追いかけ、歩きながら質問をぶっつける場面をテレビでよく観るが、記者会見や記者クラブ等でじっくり話を聞く機会が少ないのだろうか?重要な話を追っかけで持ち掛け、納得いく答えが得られる筈が無いのは記者自身分かって居るにも拘わらず、性懲りもなく遣ると言うことは、寸暇を惜しんで忙しく遣って居る処を見せたいが為である。

 

記者会見ではつまらない質問を繰り返す日本人記者に割り当てられる時間が多く、肝心の話を訊きたい外国人記者には少ない。

記者会見そのものは、取り分け国連での其れは、日本がその主張を世界に訴える絶好の機会である。其れなのに、国内問題を披露して何に為ると言うのか?日本国憲法は、日本人にとって大切ではあるが、外国人に関心は無い。

 

会見場に北朝鮮、イラン、中国、韓国の記者が居たかどうかは知らないが、居れば日本の首相に正したいことは幾らも有っただろうに。

日本人記者は押しなべて自分達が責任を果たして居ると言う態度を国民に示すことが出来れば良しとする様な所がある。

 

それは野党にも言えることで、政府を叩いて居る処を議事堂内で見せられれば事足りると思って居る。叩けるなら、揚げ足取りも辞さない。本来なら、議会よりも国民に直接政策を訴える努力をすべきである。努力とは如何言うことをするのかが分かって居るのだろうか?

 

例えば、際限の無い福祉社会にどう向き合うのか、財源はどうするのかが国にとって肝心要の問題だが、其れに対する野党の考えが国民に分かって居ない。勿論現政府の方針も確たるものでは無いが。

自衛隊の問題も有る。憲法改正論の前に、自衛隊、即ち自国の安全を如何すれば良いのかを議論し、国民に指針を示さねばならない。

 

政府も野党もマスコミも本質的なことを遣らないで、遣って居る様に見せ掛ける。日本人にはそう言う習性があるのだろうか?

例えば、シベリアで発掘された日本兵や抑留者の遺骨が取り違えられて居たと言う事件が有った。厚生省は何と14年前にその事実を把握して居たにも拘わらず公表して居なかった。詰まり、隠蔽して居た。其れがマスコミ(と言っても収集事業に協力して居た団体からの訴えが有ったからだが・・・・)に発表され、ロシアは遺骨収集事業を見合わせる決定を下した。理由は、日本の厚生省がその事実を掴んだのならば何故ロシア側に伝えなかったのか、と言う憤りである。

 

処が厚生省の役人は「報道さえなければ、いや、せめてもう少し遅ければ沿海地方の慰霊事業は復活していたのに非常に残念だ」と、その団体にメールしたと言う。

隠蔽を繕って、ロシアがこれまで通り遺骨収集に協力し続けて居れば、厚生省は滞りなく仕事をして居る振りが出来たのである。

 

是は厚生省の不手際ではない。不作為なのだ。不作為とは遣るべきことをしないと言うことだ。不作為こそ最も卑怯な態度だと、ブログで何度も取り上げた。況してや自分等の不作為を、遺骨収集に携わった団体の所為にするとは呆れてものが言えない。

小生が問題にするのは、日本人の性格の中にそう言う不純なものが有るのではないか、と言うことだ。

 

小生は日本人に生まれたことに誇りを持って居る。その誇りを永遠のものにするには、反省もして行かなければいけないと考える。真摯な日本人であるためには、欠点も直さねばならないからだ。