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カテゴリ: エネルギー

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「我が家に馬が遊びに来て呉れた。庭の草を食べて呉れたのである。斯う言う来客は大歓迎だ」

「是迄人類が発明したもので最高のものは何か?」と問われたら、皆さんは何と答えるだろうか?

言葉とか、文字と言う人は居るかも知れないが、其れ等は確かに必要不可欠なものではあるが、多くの人の間で自然に形成されて行ったもので発明品とは言わない。
紙と言うのは案外当たっているかも知れない。コンピューターも世界を繋いだことでは画期的な発明である。之はイギリスの数学者アラン・チューリングの功績だと思う。尤もハードからソフトまで様々な人の発明が集大成して居るが・・・・。

 

小生は「電気」と答えたい。尤も、電気其の物は自然界に在った。雷が然うだ。静電気や電気鯰も昔から分って居た。

でも其れを解き明かし、更に人類が利用出来る様にしたのは確かに画期的な発明だと言わざるを得ない。

 

雷を電気だと証明したのはベンジャミン・フランクリンである。嵐の中、凧を飛ばし、電気をライデン瓶(一種のコンデンサ)に集め、電気にはプラスとマイナスの両極が有る事を発見した。彼は其処から避雷針も発明して居る。

 

中学時代に、電気には三つの要素があって、電圧がV、抵抗がΩ、電流がAで、其の関係はVA×Ω(オームの法則)と習ったが、その実態は理解出来て居ないまま大人に成った。だから、ブログで電気を扱うのは身の程を知らない行為なのだが、今人類が最も必要とする物はエナジー源であることに異存は無い筈で、行きがかり上エナジー問題を考えると電気に行き着く。

 

電気は目に見えない存在だ。だが、生活して行く上で電気料金には関心を持たない訳には行かない。何年か前、小淵沢は真冬に計画停電を遣られ、蠟燭や薪ストーブで凌いだが、冷蔵庫だけは如何にも成らなかった苦い思い出がある。

 

近頃はガソリンが値上げして、田舎では必需品の車や、草払機が満足に使えない。ガソリンは産油国の経済的思惑から値を上げる。すると電気料金迄が上がる。其れが凡ゆる物価に波及し、生活苦に成り、経済が沈滞する。

何としてでも化石燃料や原発に依存しない世の中にして行かなければ、地球温暖化と言う人類の存続に関わる事態と成る。

 

エナジーを電気に一本化する事も視野に入れて置く必要が有るだろう。自動車、船舶、航空機が排出する二酸化炭素は歯止めが効かなく成って居る。EV自動車が走ると言っても、其の電気を化石燃料で賄って居ては、寧ろエナジーの無駄と言っても良い。

EVだからクリーンだ、と言うのは嘘である。車は寧ろガソリン其の物で走った方がエナジーを効率良く、詰まり無駄なく使う事に為るからだ。

EVのバスを走らせるからクリーンとは言えない。其の電気を発電所では化石燃料を燃やして作って居るからだ。

 

今クリーンな電気は水力発電か、ソーラー・パネルか、風力発電しか無く、其れはひっくるめても電気需要の1割強と言う有様なのだ。

 

電気を作るには、地球上に存在する運動動力を発電機に導き、発電機が回転して電磁誘導で発電する仕組みに成って居る。

其処で、川にダムを作り、細いパイプを通して水を落下させ、その勢いで発電機を回転させて居る。ダムを造るのが困難な為、水力発電は進展して居ない。

 

昔、水車や風車で回転軸を回し、その運動を動力として粉を弾いたりして居た。

蒸気機関は、石炭や石油を燃料とし、水を沸騰させ、其の蒸気の持つ力でピストンやタービンを回し動力を得た。

然うして得た動力を発電機に移し替え、電力が得られる。

 

マイケル・ファラデー(Michael Faraday 17911867)が1821年に電動機(モーター)を発明、1831年に電磁誘導を発見(諸説有り)、発電機を製作した。更に1833年には電気分解の法則を発見した。(ウィリアム・ニコルソンとアンソニー・カーライルが1800年に水の電気分解を成功させて居る)

 

電気と言うのは面白いもので、発電機は自然界の動力を利用して発電を行い、其の電力を用いて発動機を動かし、動力を得て居る。発電機と発動機とはお互いに同じ原理で動くのだ。其処には磁場が係って居る。

 

電気は、動力に使われるだけでなく、色々な作用がある。

其の一つが照明で、白熱電球を例に取ると、電気をフィラメント(原料はタングステン)に電流を流すと、抵抗が発生し、フィラメントが熱を持ち、光る(光エナジーに変化する)のである。(蛍光灯やLED は別)

1878年、ジョゼフ・スワン(英)が白熱電球を発明、トーマス・エジソンが改良し、商業化させる。(フィラメントに京都八幡の真竹を使用)

 

電気は電熱器に使われるが、其れは電気を抵抗の有る導体に流した時に発生する熱エナジー(ジュールの法則:ジェームズ・プレスコット・ジュール)を利用するもので、調理器、暖房機、乾燥機、アイロン等がある。

 

調理器の中でも、電磁調理器は電熱器とは異なり、水分を含む食品などを電磁波に拠って発熱させる。

 

電気の働きで忘れられないのが通信分野である。

チャールズ・ホイートストンとウィリアム・フォザギル・クックが1839年に構築した電信は、後にサミュエル・モールスがモールス符号を定め、電信ケーブルの普及に依って大陸間での電気通信が可能と成った。

 

電信は符号での遣り取りだったが、1849年にアレクサンダー・グラハム・ベルが電話を発明し、電話線を介し、言葉での通話に代わる。

其れがラジヲに為り、テレビに発展し、コンピューターとインターネットに成った事はご説明する迄も無かろう。

 

他にも電気は、メッキ、電気分解、電気精錬(不純物の多い金属から純度の高い金属を取り出す過程)、蓄音機、空調、電磁石、蓄電池、医学では電気痙攣療法に迄利用されて居る。

エナジーの範疇を越える働きで、人類の生活に貢献して居る。

 

電気の便利さにも触れておこう。

電気は目に見えないが、電気の有無、電流の量等の計測は至って簡単だ。最近も電力会社が漏電の検査に来て呉れた。電気は電線に依って運ばれるので、配線に依って何処から何処へ通じて居るかは明白だ。

 

電気は光と同じ速度で運ばれるので、地球上に居る限り通信などの同時性が保たれる。

 

電気の量、詰まり使用量も、利用者、供給者共に常に把握して居る事が出来る。最近は各家庭、工場等の電気のメーターの数値が、定期的に電力会社に送られる様に成り、自動的に請求が来るようになった。

 

電気には重さが無い。従って、細い電線さえあれば運べるので運送費が掛からない。

また電気其の物は、他のエナジーと比べて、比較的安全である。高圧電気に触れさえしなければ、死ぬ事は無い。漏電による火災も無い事は無いが、其れも管理出来る。

 

化石燃料や原発に頼らなければ、将来電力は安く供給出来る様に成る事は間違いない。

然う成れば、人類全てが公平に、平等にエナジー利用が出来る社会に成る。

 

其処で、誰でも良いから頭の良い人に、電気を安く、不断に使える方法を考えて貰いたいと切に思うのだ。
電気のメリットを考えると、電気に代わるエナジーは当分出て来ないだろうし・・・・。

小生の携帯電話にも「歩数計」が付いて居て、一日の歩数が数千、とか表示される。散歩や図書館への往復だと一万数千に成ることもあるが、遠距離は専ら車に成る。古代人は機械が無いから体力頼みで、現代人より体は鍛えられて居た筈だ。

 

其の代わり、現代人は車を始め何事も機械頼りで、其れにはエナジー源を必要とする。其れが無いと手足を捥ぎ取られた状態に成る。停電すると途端に生活が成り立たなくなる。テレビが見られなくなるだけではなく、冷蔵庫が使えず、水道が止まる。

 

産油国が原油の価格維持の為に生産を縮小すれば、世界中が忽ち物価高と成る。世の中は全てエナジー源次第と言う事に為った。其のエナジー源が地球温暖化の元凶である二酸化炭素を増やすのであるから、踏んだり蹴ったりだ。

 

クリーンで再生可能なエナジーが今最も求められるのだが、其れが安価で、と成るだけに難しい。だが、最早難しいと言って済まされる問題では無い。太陽光も風力も元々エナジーの力としては小さいし、不定期だ。コストが高いのも其の為だ。

 

最近気象庁の発表する線状降水帯の説明で、全国の河川の地図が示されることが有る。其れを見ると人間の毛細血管の様に全国津々浦々に張り巡らされて居る事が分かる。

昔車でカルフォルニアを走ったことが有ったが、橋を殆ど見掛けなかった。川が無いのだ。日本には大河は少ないが、中小河川は実に多い。広島の原爆ドームを見学に行き、市電に乗ったが、結構な水量の川が縦横に走っている光景に驚いたものだ。

 

我が家の庭の南はせんぎ(農業用水路)に面して居るし、其の50m程先には本格的な農業用水路が有り、北に100mも行けば公六川と言う渓谷(長野県との県境)が有り、西には1㎞程で釜無川が流れて居る。

是だけ網の目の様に川がありながら、この狭い島国で海に流れる前に洪水を引き起こすのが不思議だ。

 

「水を制する者は、國を制す」とは武田信玄の言葉だが、彼が釜無川に作った信玄堤は450年経った現在でも機能して居る。甲府盆地は扇状地であったが、度々の釜無川、笛吹川の氾濫で人が住まなかったが、治水のお蔭で耕作地に変貌し、人口も増えた。

 

昔は川を船の行き来で利用して居たが、最近はダムの所為か水量が減り、輸送は車に取って代わり、川が重要視されなくなった。すると川を守るのは専ら政府の洪水対策に任せる様に成り、住民の関心が薄れたことも有る。


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「釧路川の流れ」

 

是だけ豊富に流れる河川の水をエナジー源に使えないものだろうか?
一時、水力発電が国内の電力の殆どを賄って居たことも有ったらしい。然し、水は有っても国土が狭く、水を溜めるダムの建設は難しく成って来た。其れにダム建設に使える山間僻地が減り、反対運動から費用が高騰したことで財政を圧迫する。

沖縄にはダムが9ヶ所も有ると聞いた。島嶼は斯くあるべきなのだ。

 

川は水と一緒に様々なものを流す。其れがダムで滞る事での諸問題と、自然環境を守る風潮からダムへの拒否反応が強くなった。沈殿物でダムの貯水量が減少すると言う問題も出て来た。

 

是迄の水力発電はダムに大量の水を溜め、低い所に備えた発電機を位置エナジーと運動エナジーとを利用して発電させるのが原理である。と言っても小生は物理には暗く、両者の区別は良く分かって居ない。地球には引力が有って、高い所から落としたボールと低い所から落としたボールとでは前者の方が高く弾むのは解るが、鉄1㎏と綿1㎏とでは鉄の方が重い、と言われると「?」と成って仕舞う。

 

風力発電、水力発電では其れ等のエナジーを使って、発電機内のコイル(銅やアルミニウム等で出来た金属線を巻いたもの。小学校の頃鉱石ラジヲを作った時も之だった)の中で磁石を回転させ、電磁誘導に拠って交流の電気が生まれるそうだ。

この時磁石の回転数が早い程大きな電力が発生する。

 

風力発電の風車を観て居ると、ブレード(羽)はゆっくり動いて居るが、あれはブレードに直結しているナセルと言う箱に在る増速機の中に組み込まれている沢山の歯車(ギア)が嚙み合って回転数を上げて居るからだ。

 

水力発電所等では此のコイルを3つに増やし、一つの回転子(磁石)から3系統の電力を取り出す、三相交流発電機を使って居る。三相だと大量の電力が送れるので、工場など大型設備に使われる。

 

地熱発電は此れ等と違って、地中から地熱を取り出し、水蒸気を発生させ、其れでタービンを回し、発電機の磁石を回転する力に利用する。

 

火力発電も之と同様に、化石燃料を燃焼させることに拠って、水蒸気を作り、タービンを回して電力を生み出す仕組みだ。

 

一方、太陽光発電は此れ等の動力を使って磁石を回転させ発電するのと違って、動力の代わりに太陽光のエナジーを、半導体を使って電力に換える処が画期的だ。

太陽光パネルはプラスを帯び易いP型シリコン半導体と、マイナスを帯び易いN型半導体を貼り合わせてあって、二つの半導体の接合面に光エナジーが加わると、P型はプラスに、N型はマイナスに成り、其処に電線を繋げば直流の電流が流れる。家庭では其れをパワー・コンディショナーで交流に変えて使う。

 

扨其処で、この地球上にCOを発生させないで発電に使える様なエナジー源が他に無いかと言うと、どうしても水力発電に戻る。


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例えば、波打ち際には寄せる波、退く波が1分間に平均18回、1年では9,460,800回に成ると言う。此れだって立派なエナジーで、然も、只でコンスタントに得られる。暴風の時は別として、通常の波は制御可能ではないか?寄せては退く双方利用で36回に成る。風力よりは頼りに成る筈だ。

斯の力を円運動に変えるか、「押す、退く」の運動を直接利用する発電装置を発明すれば良い。

 

唯、洪水や土砂崩れの有様をテレビで観るにつけ、水の圧力の物凄さを感じ、あの圧力をエナジーに変換出来ないものかと思う。
水力発電は水の落差を利用するが、滔々と流れる河川の圧力は相当なものの筈で、之を発電に使えないだろうか?

 

もう一つ、毛細血管のように張り巡らされている河川の流力利用がある。

小規模ではあるが、其れ用の水力発電機を各所に設ける工夫がされれば、電力を使用する家庭や工場等の直近から電力が得られる大きな利点がある。其れに、川の流れは仮に発電機を通した処で減る訳では無いので、A地点とBC地点とが連続してくっついて居ても支障が無い。詰まり1本の流れで何カ所にも設置可能なのだ。

水の流れと言う点では、下水でも利用出来る。此方は天候に依って左右されることが無いし、都市だと地下の小規模発電所は邪魔にならずに済む。

 

発電機の効率が小さいと思われるだろうが、一日24時間休み無しなのだ。

発電設備を縮小化し、発電の拠点を分散し、地球上何処でも電力が賄える様に目標を定める必要は必至だと思う。

 

其の為にも、従来の蓄電池とは発想の違う、画期的なバッテリーも考案出来ない筈は無い。

否、車はEVの時代に突入したし、地球温暖化防止の為にも、船舶、航空機も何れ電力に換えて行かねばならない事から、蓄電池の開発は避けて通れない。

其れには、電力の供給が電線と言う常識も超える必要が有る。あの電線と言うものは、結構なロスを抱えて居るらしい。

 

イザヤ・ペンダサン氏(山本七平)では無いが、「水と空気と安全は只」が発展し、電力も加わる世の中に成って欲しい。

電気の反射望遠鏡の様な物を、宇宙衛星に積み込み、地上から作った電力を飛ばし、反射する電気を誰でも自由に使える様に成る世界が小生の夢だ。其れには、天才が功利主義を忘れ、発明を面白がる様に成る事だ。



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「人類の明日」

前回新渡戸稲造と彼の著作「武士道」に就いて書いたが、小生が感心して居るのは彼の造詣の深さだ。其れは「武士道」を外国人に理解して貰う為に、書籍の中で彼等が認知して居る人物や事柄を引き合いに出して、武士道との共通点、差異等を説明して居る事から分る。

 

彼は聖書は元より、ユダヤ教、ヒンズー教、仏教、イスラム教、孔子、孟子迄、可成り理解して居た筈である。シェークスピアに始まる各国の小説家、詩人の作品も読んで居た様だ。イアーゴやデズデモーナなら我々でも記憶にあろうが、ヴェンティデイウスなる登場人物を作品と共に思い浮かべられ様か?

他にも古今東西の哲学者、経済学者、美術家、音楽家、歴史家、政治家、自然科学者の言がわんさか引用されて出て来るのだ。

 

ネットのウィキペディアで調べて、分かった様な顔をして居る小生等と違って、アメリカに居て、図書館などで英語の本を読んで頭に蓄えた引き出しから、関連する項目を引っ張り出して正確に記述したのだろう。其の頭脳や、瞠目に値する。

 

彼の様な傑出した能力の持ち主を天才と片付けて居てはならない。仮に天才なら、その能力を発揮して貰う動機が必要だ。勿論、天才であればその動機も自ずから発見するだろうが、新渡戸が序文に書いて居る様に、彼が「武士道」を見直した切っ掛けは、ベルギーの法学者との散歩中の会話からであった。

詰まり、動機は何処に転がって居るか分かったものではない。其れに気付くかどうかだ。気付いたとしても、其れを活かす能力が其の人に有れば、の話に成る。

 

話は飛躍するが、コロナだ、地球温暖化だと地球上には人類を破滅し兼ねない問題が次々と発生する。自然災害だけではなく、国同士、人間同士のいがみ合いから戦争や紛争が絶えない。然うした不幸を無くしたいとは万人の思いだが其れが出来ない。

 

不幸の原因を突き止めて行くと、現代での其れは食料とエナジー源に尽きると考えられる。其れ等が満ち足りて居れば人類皆幸せに成れるかどうかは、今度は倫理上の課題と成ろう。其れこそ、武士道の様な規範が全人類共通のものと成り、他人の存在を認め合い、尊敬する様な社会に成る事が不可欠である。

 

人類が等しく幸せに成れるとしたら、食料とエナジーが公平に行き渡る必要が有ろう。此の二つの安全保障が世界中で認め合えれば、紛争も無く成るだろう。

 

食料を生産するにしても、現代社会ではエナジーが欠かせない事は明白であり、其のエナジー源が地球温暖化を引き起こし、人類を苦しめて居る現状がある。するとクリーンなエナジー源がどうしても必要と成る。原子力などはもっての外と言っても良い。

 

人為的な面も有ったにせよ、自然災害に因る福島原発事故に拠る処理水の海中廃棄が、中国では政治的に日本攻撃に使われて居るが、中国での原発廃棄物処理は如何成って居るのか、日本政府は其れを追及すべきである。

 

いずれにせよ、化石燃料も原子力も、人畜無害にする方策が見付からない限り使用すべきではない。

其処で太陽光発電や風力発電が持て囃されるのだが、太陽のエナジーは地上1㎡辺り1kwしかない。と言う事は、家庭で一日20kwの電力が必要とすれば20㎡のパネルを設置しなければ成らない。否、1kwの太陽光エナジーが太陽光パネルでは良くて200wの電力にしかならないのだ。詰まり五分の一しかエナジーを活かせないので、パネルは100㎡必要と成る。元より太陽光は昼間しか得られず、夜間は化石燃料か原子力に頼らざるを得ない。
と言う事は、太陽光発電は僻地の、小規模な需要には叶うかも知れないが、火力発電や原子力発電に取って代わる訳には行かない。

 

電気の発見は其れこそ静電気を含め諸説あるが、我々が小学校で習ったのはベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin 17061790)が嵐の日、凧を飛ばし、雷が電気であることを証明した、である。

 

雷の電力は如何程かと言うと、1回の落雷で、約1億ボルトだそうだ。之を電力として使えないかとは誰しも考える処だが、何時何処で発生するか予測が出来ない上、1千分の1秒と言う短時間だから捉え様が無い。第一、1億ボルトを集めるコンデンサーが無い。コンスタントに電力を供給する事は先ず不可能だ。

 

風力発電にも力を入れて居る様だが、此の発電機は特許の網が廻らされて居て、1万点にも成る部品の修理・点検が大変な上、故障が起きると部品の輸入迄設備を休止しなければならず、現在国内電力の1%程度の電力しか賄えて居ない。

 

其処で検討すべきは1kw当たりの発電コストの比較である。(2020年資源エネルギー庁)

原子力:              11.5円~

火力発電   ・石炭:       12.5

    ・LNG      10.7

    ・石油:        26.7

風力発電   ・陸上:       19.8

    ・洋上:        30.3

太陽光発電・事業用:    12.9

・住宅:        17.7

水力         ・小水力:     25.3

   ・中水力:     10.9

 

但し、此のコスト計算には疑問がある。と言うのは一般家庭向け電気料金が31円・kwhであることから、仮に電子力電気の原価で比べると小売値は3倍近くも成るからである。資源エネルギー庁のコスト計算が正しければ、電力会社は3倍も儲けて居る事に為る。こんな箆棒な商売は無い。

 

電気料金にはビル・商店向けの業務用電力料金と、工場向けに産業用電力も別に有るが、此方は156円/1kwhらしい。家庭用より可成り安いが、何故此方が安いかは分からなかった。

 

農業にせよ、畜産業にせよ、漁業にせよ、機械や設備、道具が無ければ話に成らない。其れ等には製造する時点で、更に実際に使用する場面でエナジーを必要とする。生産物は流通段階でも車や鉄道、航空機と言った交通手段に加え、店舗、倉庫、更には其処での冷暖房が不可欠で、此れ等を動かしているのもエナジーあってのことだ。

 

人類が火と出会ったのは50万年程前と言う。恐らく雷で発生した山火事から、自分等の手で火を作る方法を考えたに違いない。火は自然の木材を調達し、調理や暖房に利用され、住める範囲が広がり、食料を加工する事で効率的に栄養が賄える様に成った。

 

更に、風を風車や帆船に、水を水車に、動物を移動や耕作の労働力に使って来た。
其の後、石炭を燃やす熱で作った水蒸気を利用した蒸気機関がジェームズ・ワットに拠って発明されると、工場での機械の動力源として、或は蒸気機関車、蒸気船等様々な分野での応用がされ、19世紀になると石油の採掘方の開発から石油も使われる様に成った。

 

然し斯うした化石燃料が大量の二酸化炭素を排出する事から、地球温暖化ガスが増加、様々な弊害を齎すことと成る。

エナジーの消化は益々増え、再生可能(常に、至る所で発生し、繰り返し使える)なエナジーとして、水力、太陽熱、太陽光、風力、地熱が注目される様になった。

 

然し、水力はダムの建設問題、太陽光熱はエナジーとしての量と強さに欠け、夜間は得られず、然も天候次第である。風力も気儘で、コンスタントに利用し難い。

エナジーの需要は増える一方であるから、エナジー源は再生可能で、何時でも、何処にでも在る必要が有る。

 

其処で人類を救うのは、人間自身の頭脳から再生可能エナジー源と其れを電力に換える方策を見付ける事だ。

其れには才能の有る人に動いて貰わなければ成らない。(続く)


電力事情は国民最大の関心事だ。我が家の毎月の電気料金はネットで知らせて来るのだが、10月分を開いて見るのが恐ろしい。其のネットでは小生が契約して居る「電化上手」が廃止されると宣告された。電力会社は私企業なのに一方的な『宣告』で契約を無しにするのは可笑しい。本来契約とは売り手、買い手が双方納得して結ぶものだ。「電化上手」為る電気料金契約も此方が提示された料金体制を承知して結んだ。

 

この契約は「オール電化」、即ち、都市ガスやプロパン、灯油などを一切使わず、電力会社からの電気だけを使うと言う縛りに成って居る。どう言う事かと言えば、電灯等照明器具や冷蔵庫やクーラー、給湯はエコキュート、暖房は蓄熱式電気暖房機や電気の床暖を使う事が条件だ。其の中で、エコキュート、蓄熱式暖房機床暖等は何れも深夜電気を使う様に設定されて居る。タイマーが付いて居るのだ。言葉を返せば、電力会社以外からエナジーを調達させずに、独占して儲け様と言う商売なのだ。

 

唯、電気以外を使うなと成ると消費者が納得しない。電気よりプロパンで暖房した方が安い、と言う計算も成り立つからだ。其処で、昼間の電気料金を通常より高く設定する代わりに、深夜電気料金は安くすると言う条件を出して来た。

昼間は工場や事務所等が稼働している時間帯で電力使用が多い。クーラーなど家庭でも使われる。

然し夜は、取り分け深夜とも成れば人々は寝静まって、工場の機械も動く事無く、電力使用は激減する。処が電力需要が増えた、減ったからと言って発電所に於ける電力供給量を調節することは出来ないらしい。平均的な電力使用量を計測し其処に発電システムを合わせて居て、短期間で調整することは出来ないし、功利的では無いのだろう。使われずに捨てられて居た深夜電力を活かす策を考えた訳だ。

 

然し安くなるのは深夜の電気だけなので、小生の様な消費者は算盤でどっちが安く付くか計算する。深夜以外の電気代は逆に高く設定されるので微妙な処だ。唯、調べて見るとエコキュートと蓄熱式電気暖房機、IHは非常に良く出来て居る。クリーンで音がしない、取り扱いが眞に安全、効果はすこぶる付きで、其れ等の利点を考えると算盤だけで決められない。老後の事を考えると、安全は代え難いからだ。

 

ガソリンで動く車や耕運機、草払機、チェーン・ソーと言った農工機具は除外される。電気自動車など日本ではまるで普及して居ない。バッテリーで動く農機具なども有るが、パワーが足らない。

実際遣ってみて、電気、ガス、灯油などを使って居る通常の家庭の光熱費と比べると、安かった。

 

小生は科学や物理方面には滅法弱く、中でも電気は得体が知れないものの一つである。中学で習った筈のオームの法則が未だに分からない。電流と電圧の違いが理解出来ない。況してや抵抗とは雲を掴む様では無いか?フレミングの法則にしても、親指と人差し指、中指を使って説明されたが全くチンプンカンプンであった。二つの法則の名前を識って居ただけ幾分増しか?

 

ダムの高低差で勢いを増した水がタービンを回して発電すると言うが、発電する仕組みが分からない。落下する水の勢いがエナジーを持ち、其れが電力と言うエナジーに化けるのだろうが、巨大とも言えるエナジーがあの細い電線の中を通って行く處が想像出来ない。

 

その電線を家の中に引っ張り込んで、電灯を点けたり、扇風機を回したり、携帯を充電したり、普段何気無く遣って居るが、未開人が初めて其れ等を見せられたらさぞ驚くことだろう。その理屈を彼らに説明仕様としても小生には出来ない。其れ等は電気を使って居る、詰まり消費して居るのだが、無くなると言う事が分からない。目に見えないものだけに理解し難い。

 

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「写真が横位置に成って居る。勿論原版は縦位置なのだが、ライブドアのブログだと何故か横位置に成って、直せない。見難いがお許し願いたい」

或る時、我が家の傍の田圃道に引いてある電柱に「はてな?」と思った。写真をご覧に成って何か可笑しいと思われないだろうか?何故田圃の中に電線を引かなければ成らなかったのか?其れに4本目まではいいのだが、電線は其処で途切れている。では電線を通って来た電気は斯の先どうなるのか?眞逆逆戻りする訳は無いし、其処で電気は雲を霞と消えて無くなるのだろうか?然うだとすれば勿体無い話では無いか。電線は伸びた先で最終的には一軒の家で費える。丁度其処で送った電気が無くなる様に送電する仕組みに成って居るとも思えない。電力会社に訊いてみたい。

斯の事は水道管でも言える。水道管の先端で水がストップするのだったら、ポンプで圧を掛けている水道管が破裂しないのだろうか?

 

横道に逸れたが本題に戻って電気料金だが、電力会社に言わせれば昨今深夜電力の消費が増え、此れを割安で供給することが出来なく成ったそうだ。深夜電力使用が増えたと電力会社は言うが、その根拠は示されない。

 

今は少子高齢化時代に突入して居る。老人は早寝、早起きである。自分もご多分に漏れず、9時には床に入る。朝は5時前には床を離れる。テレビは朝晩のNHKニューズの他は、週に何度か映画の再放送を見る程度だ。1日中テレビの前に座った居る退屈老人も居るだろうが、若者世代を含め家庭での電力使用量が殊更増えたとの理由は見付からない。確かに街には深夜営業をするコンビニなども有るだろうが、昨今に限った話ではない。ロボットの出現で、深夜でも稼働する工場が増えた、と言っても僅かな例だろう。電車は相変わらず12時過ぎれば最終便に成る。

 

冷暖房機はヒート・ポンプと為り、消費電力は各段に下がって居る筈だ。省エネが徹底して、事務所や店舗でも電燈の類を消して回って居る。トンネルの明かりも数が減った。街灯なども省エネのランプに交換が進んで居る。台所では煮炊きにもIHが普及して来て、此れも昔の電熱式と比べれば遥かに省エネである。人々の暮しでも、産業界でも是だけ省エネが進んで居て、電力会社が「深夜電力消費が昼間並みに上がって居る」と言うのは真っ赤な嘘だと思うのだ。

 

円安のお蔭で物価高のご時世だ。便乗値上げも出て来たらしいが、大方の商店や生産者は遠慮しいしい数パーセントの値上げをするのに対し、大企業は堂々と10%、20%の値上げをする。中でも電力会社だ。此処は値上げをしたい時、したいだけ出来る仕組みに成って居るらしい。法律で然う成って居ると言う。

 

東京電力を例に取ると、福島原発事故で住民避難、仮設住宅建設と生活保障、廃炉作業、放射能が拡散した地方の除染、汚染水処理等々国家予算並みの費用が掛かると考えられる。原子炉がメルト・ダウンしたのは天災では無い。企業が全責任を負わなければ成らない人災である。然し、誰も其れを指摘しないものだから、東電は何処吹く風を決めて居る。だから当時の清水社長は病気を理由に雲隠れ、その後の会社は役員も社員も減給されることも無く、相変わらず高給が保証されている。下請け業者に後始末を遣らせ、汚染の危険を承知の上で彼らは福島原発の廃炉作業をして居る。

 

彼等の懐は微塵たりとも傷まず、何だかんだと全部消費者が負担させられるのだ。議員で電力会社に立ち向かう勇気の有る人は居ないのだろうか?報道機関も頬かむりで良いのだろうか?来春には更なる値上げがあるそうだ。

我が家のエコキュートが壊れた。壊れたと殊更に言うのは、修理不能に成ったと言う事で、此れ迄何度か故障を繰り返し、其の都度修理して来たからだ。メーカーの修理担当の方とはもう昵懇の間柄と言ってもいい。と言うのも斯の機械は複雑極まり、コンピューター制御の為回路基板など素人には訳が分からない。其の基盤を工事人が半田鏝を使って丁寧に直して呉れたことも有った。

 

エコキュートと言ってもご存じ無い人が多いだろうが、此れは商品名で、正式には「自然冷媒ヒートポンプ給湯器」と言い、水道の水を沸かして高温状態で溜めて置く機械である。風呂や炊事場、洗面所などで自動的に水と混ぜて適温で供給する。

 

ヒートポンプは室内冷房機(クーラー)で世に出た機構で、空気中の熱を集めて大きな熱エネルギーを作る、是迄電気、ガス、石油などを燃やして得て居た熱を、自然の熱利用に換えた処がエコなのである。勿論CO2は出さない。

 

冷房機や冷蔵庫は斯の逆で、部屋の熱を集めて戸外に排出する。其の媒介をするのが熱媒体で、冷媒又は熱媒と言う。物理の時間で、液体が気体に成る時周りの熱を奪う事を習ったのを思い出して欲しい。夏の日に道路に打ち水をするとその水が乾く時道路の熱を奪って涼しく成ると言うあの原理である。

今の室内冷房機は、夏は冷房、冬は暖房に使える。其れは熱媒体の働きを冷媒と熱媒とに切り替えるからだ。其れでも未だに「クーラー」と言って居るが・・・・。

 猛暑の夏ならば空気中の熱、と言っても納得するが、極寒の冬、大気に熱など無いとお思いだろう。

斯のエコキュートは熱媒体(CO2を使う)の働きで是を加圧することで温度を上げる事が出来る一方、減圧すれば温度が下がる。熱媒体の圧力を弱め(減圧)て、温度を外気温より下げれば(例えばマイナス20℃にすれば)、縦しんば外気温がマイナス10℃だったとしても外気温は差し引き10℃の熱を持って居る事に為る。

 

今度はその冷媒を加圧して行けば高温に為り、其れで水を温めてお湯が出来ると言う訳だ。

エコキュートでは最高90の湯が作れ、其のままタンクに貯蔵して置く。使う時には水で薄めて適温にして利用する。3倍の水で薄めて使うならば、90で10リットルのタンクの湯が30リットル分に使えると言う事に為る。

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「エコキュートの原理」(画面上でクリックすれば、大きなサイズで御覧頂ける)

エコキュートがエコと言うのは、空気をファンで取り入れ、媒体を加圧、減圧するのに電気のモーターを使い、後は大気とその熱を使うだけなので、すこぶる経済的だし、地球温暖化の原因と成る廃棄物は一切出さないことからエコロジーと言う訳だ。熱媒体に使うのは
CO2で、此れは何時までも使い回しが出来るので只と言って良い。深夜電気を使えば、通常の家庭で1カ月1,000円から1,700円で済み、家計費の上でもエコなのだ。但し、機械そのものは相当高価だ。

 

小生定年後に小淵沢に引越し、初めて自分の家を作ったが、其れに付いては渋谷に在った電力館に行き、経済的でエコなエネルギーに就いて相談を重ね、オール電化に仕様と決心した。当時国は将来を見据え、電力化を推進して居り、電力会社も夜間余る電力を利用して貰う為に家電メーカーと研究を重ねて居た。其処でヒートポンプの原理を利用した「自然冷媒ヒートポンプ給湯器」をコロナが売り出したのが2001年。我が家に取り入れたのは其の1年後である。 

 

エコキュートは電気代が深夜電気利用で殆ど掛からず、お湯の量も豊富で、石油やプロパンと言う手間も掛からず、年寄りには使い勝手が良く、何より安全だった。然し、いずれの機械も寿命があって、この夏御臨終と成った。

 

年金暮らしには斯うした耐久消費財の寿命は痛い。買い替え、即ち取り替えは工事費も嵩む。機械類は日進月歩で、機能が良くなる分価格も上昇する。走れば良い筈の車が、至れり尽くせりで高額と為れば、車離れが進むだろうに・・・・。

日本車が世界中で売れたのは燃費が良いよりも、小生は壊れないからだと思う。

 

高価な耐久消費財は壊れないで居て欲しい。何も乱暴な使い方をした訳では無い。其れでも壊れるのは負荷の掛かる部分の強度と耐久性が問題だと思う。どうしてもそれ以上強度を保つことが出来ないなら、交換出来るようにして欲しい。

摩耗も有ろうし、金属疲労等止むを得ない部分が有るのは仕方が無いからだ。

 

一部が摩耗しただけで、故障しただけで、全部取り替えなければ成らないのは資源の無駄に成る。我々日本人は其れを「勿体無い」と考える。「使い捨て」文化は日本人の忌み嫌う事だ。

然し、西洋生まれの経済観念に感化されたメーカーは、新製品が売れる為には、壊れて欲しいと考えるのだ。

食品にせよ、化粧品等中身より容器で勝負仕様とする。小生は量り売りの時代に戻ることがエコロジーに適うと思って居る。海外では既に量り売りが復活して居ると聞く。日本はエコロジーの観念では遅れて居ると言わざるを得ない。ティッシュ・ペーパーを使わず、ハンカチや雑巾を使うべきなのだ。西欧でハンカチーフは洟をかむものなのだ。

 

その意味で、資源を使わず、自然の気温を利用して熱を作り出し、生活の需要を満たすエコキュートは優れものだったのだが、此処へ来て年金生活者が選んだのは、少し原始的だが石油給湯器なのだ。石油を購入する方が長い目では不経済なのは分かって居るし、CO2を出すが、背に腹は代えられない。

工事人の話では、5年で駄目に成った家もあったそうである。通常8年だそうだ。20年もった我が家には初めてお目に掛ったそうだ。我が家では、空気を採り入れる室外機だけは戸外に置いたが、エコキュートの本体は室内に置いた。其れも長持ちの一因だったろう。

壊れないで長持ちする機械を作って欲しいが、壊れ無い様丁寧に使う事も必要だ。

取り替えた石油給湯器が動き出した。音と匂いと排気口から出る水蒸気を見て、「仕舞った!」と思った。石油を使ったのは間違いと気付いたのだ。多くの家庭では給湯は石油、都市ガス、プロパンであろう。何時までも斯うであっては成らない。エコキュートの原理を安価で活かす方法を誰かに考えて欲しいと思った。

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