ある日、妻は医者に「余命半年」と宣告された。
自分の死期がわかってしまった。
今後、意識があっても自分の身体が動かなくなり、その後死んでしまう。
死を待つ日々。
その恐怖は想像を絶するだろう。
小さい身体でその恐怖と闘っていた。

在宅ホスピスケアを実家で受けていたある日、妻が言った。
「植物状態になっても、二人だけにわかるサイン決めよっ」
口も利けない、手足も動かないのに?
鼻があるという。
鼻を膨らませて合図する練習をした。
イエスは2回、ノーは1回膨らませる。

手足が動かない状態なのに鼻は動くのか?
とも思ったが、考えてみれば鼻は脳に一番近い。
距離は関係ないか。
とにかく私の質問に妻が鼻で答える練習を何度かした。


何日か後、本当に妻は昏睡してしまった。
宣告から4カ月半。
医者が言うには、昏睡状態ではほとんど寝ているが、たまに起きてこっちの話し声を聞いているらしい。
それがいつかはわからない。
起きたところで妻には教える術がない。

南国顔の先生が往診に来た時、昏睡状態の妻の呼吸がほんの少し荒くなった。
私にもわかる明らかな変化だった。
「今起きてますよ」
と先生が言った。

妻の片目は少し開いたままだった。
半開きで瞬きもしない眼は濁っていた。
でも先生は、
「ボヤっとですが、見えてます」
と言った。
見えてるかどうかは本人しかわからないだろう。

私はその時すぐに、先生を押しのけて妻に見せたかったスマホの写真を、濁った眼の前に持って行った。
「見えるか?」
と聞くと、鼻が2回膨らんだ。

良かった。
どうしても死ぬ前に見せたかった写真だから。
それに練習が実った。

妻にその写真の説明をした。
これで心残りはなくなった。
はっきり見えてないのはわかってる。
あの濁った眼ではしょうがない。
でも本人が確かに見えたと言った。

或いは、見えてなくても、
「起きてるよ、聞こえてるよ」
という意味かも知れないと思った。
それでもいい、妻のサインは受け取った。


その後も何度か起きてると思われる時、妻に質問した事はあったが、明確に鼻が動いているかはわからなかった。
日にちが経つほど、呼吸の度に鼻が膨らむのが目立ってきた。
もう呼吸か意思かわからない。

誰も信じないかもしれないし、非科学的かも知れない。
でも私は確信している。
あの時、間違いなく妻はイエスと言った。
サインを決めておいて良かったと思った。