2005年11月29日

かった…

サンデーキッカーズに。ほんまやったで、わいら。

説明させていただきますと僕が所属しているスペランツァF.C.の二年チームで総長杯に出場していたのですが、そこで東大最強といわれている去年の優勝チームサンデーキッカーズAに勝利してしまったのです…なんでもスペ史上初だとか。ほんと、うかれ気分でうっほっほってかんじですわ。

この試合は本当にみんながんばった。走り練のかいもあったってもんだよ。特に決めるべきところで決めてくれた前線のみんな、本当にありがとう。

あとは優勝をめざすだけだ。


駒祭も終わったことだし、ここで恒例のバンドレビューを。いつものごとくわかる人にしかわからない内容になってしまうが、気にしない。

1、バンアパ
なかなかよかった。自分の声で歌えるバンドは本当にいいね。今回PAさんがうまかったせいもあり、ボーカルがかなりクリアに聞こえていたと思う。本番が一番歌いやすい、といういつものパターン。ただやっぱりHigherは難しかった。裏声と地声の切り替えがやっかいで、まあいい練習になりましたわ。
芳賀君はよく最後までコーラスをがんばったと思ふよ。コーラス完ぺき主義の僕に注意されまくってさぞ大変だったことでしょう。おつ。あとギター二人もおつかれさん!というかんじだね。一年に囲まれちゃっておじさんなかなか愉快でしたよ、と。
これからも透明感と浮遊感にあふれる歌声を目指したいと思ふ。

2、やまおー
初の野外ということもあり、かなりとまどった。自分の声がどんくらいお客さんに聞こえているのかわからない。みんなの拍手でリズムが揺れる。いろんな方位から見られるのでおちつかない、などなど。力んだり、走ったり、ハチャメチャだったと思う。がんばらねば。でも練習が楽しかったなー、このバンドは。

3、フィッシュマンズ
芳賀がすばらしかった。あの声はずるい!もうちょっと本番慣れすればもっといいのになー、と思った。緊張のせいか少しハイトーンが濁っていた。
僕は暇だった上にコーラス入り間違えたりしてかなりしょっぱかった。

3、サーフィス
かなりしょっぱかったと思う。やってること自体もわりとしょっぱめだった上に自分の歌もこれまたしょっぱかったと思う。高すぎ。

4、金子バンド
金子バンドはなぜか毎回本番はうまいことまとまってしまいますね(笑)なんだかんだで楽しかった。不安だったユニゾンもわりと上手くいってたとおもうし。思ったよりシャングリラの反応が芳しくなかった。みんな苦笑・爆笑するとおもてたのに…
サッカーの後輩いわく「いやー、一番前に立ってのろうとしてたんですけど、サビがどこかわからなくてのるにのれませんでしたわー。」あまりいい気分はしないがその気持ちわからないでもない。ちなみにこのバンドは両親が来てた。自分のバンドの演奏を見られるというのはとてつもなく恥ずかしいものですよ、と。
早く録音を聞いてみたい。

5、T・O・P
盛り上がりまくってた。
一方僕の歌はいまいちだった。やはりテンションが上がりすぎると歌はダメになりますね。楽しかったからいいんだけど。できとしては「Still a young man」が一番良くて「S」と「Hip」がまぁまぁ。「Oil」はダメこちゃんだった。てかこのバンドはリズム隊が秀逸すぎた。ホーンはもう一押し。入るところでスパーンとあわせてほしかったとです。コーラスはひよりすぎ。もっとガツーンといかんかい!というかんじだった。まぁかわいいから許される。踊りを少しもみれなかった。残念だ。
まぁこんな風にごちゃごちゃかいとりますが、本番はデラ楽しかったとです。本当にT・O・Pは最高だ!楽しければすべてよし、ということで。

6、グラフェス
最高!最高最高最高最高最高!!!!!デラタノシスギス!!テンションの針が振り切れた。辻さん、あんたって人は本当に最高ですわー。本番よければすべてよし。最高の30分間だった。歌とかが入っていない分だけ楽しむことに専念できたのがよかった。女の人が3曲目まで「かっこいー♪」みたいな眼で見ていたのに、4曲目で服を脱いでやったらたまらなく白い眼で見てきたのがとても気持ちよかった。踊りもパーフェクト!去年よりも完成度は高かったのではないか。

とにかく楽しい三日間だった。特に日曜日はここ半年くらいで一番ボルテージが上がった。最高の三日間だった。なんとかのどがもってよかった。


で、飲み会。今回に限っては両方の飲みに顔を出したいと思い、サッカーの一次会にでてからバンドの二次会に直行。どっちもすげー楽しかった。サッカーのほうではまた例のちょい体育会系の適度なはしゃぎがあり、一方バンドのほうでは熱い音楽談義があり。最高でした。久しぶりのお酒はきいた。


今日(というか昨日)は駒場祭の疲れで珍しく学校の授業をぶっちし、超遅めに起床。ライブをはしごする。両方ともかっこよかった。

さて、これからまた積み上げる日々がつづく。そのなかでも適度な範囲で楽しんでいきたいと思う。

  

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2005年11月24日

野良・ジョーンズ

…ペットとして飼われていたジョーンズが捨てられ野生化したもの。ジョーンズブームが去った90年代後半に急激に増え、現在都市部を中心としてあさる・叫ぶ・歌うなど深刻な社会問題・社会現象を引き起こしている。


昨日コーチング入門の講習会を受けた。面白かった。
答えを自分で導き出させるということ、問題解決のツールを提示するということ、目的達成までクライアントを見守り、ときにしつこいぐらいそれを後押しするということ…なんかうまく具体的に列挙できないが、ようは人を高みに導くためのひとつの「方法論」を意識化させられた感覚。

たとえば、ある分野において高みに導くべき人がその分野に関して自分より精通していたら、その人にこちらから答えを提示することはできない。その人の力を最大限に引き出すということは、つまるところその人自身で方法を見つけ出し実現しようという気持ちを最大限に引き出すことになる。しかしそれを実践するのはとてつもなく難しい。力を引き出す側にも引き出される側にもある程度の度量が必要だ。
またそうでない場合でも人に言われたことなんて大体やらないわけで、自分が「やろう!」と思って人は始めて動くわけだ。特に年を食えば食うほど。そういう意味で相手のモチベーションを引き出すということはあらゆる場面で大事になってくる。

今まで相手のモチベーションを引き出すすべというのはだいたい自己流、明確な方法論を持たずに漫然とやっていた感じがする。ここらでひとつ、体系立ったやりかたを学んでもいいかもしれない。

またセルフコーチングにもとても興味がある。自分を高みに導くという行為の意識化か。興味深いテーマだ。

大事なのはそういうものがあるということを知っていることではなく、それがいいと思ったのなら学び、身につけ、日常で利用するということ。とりあえずコーチングの方法論を学んで、いいと思うものをとりいれたい。

あと楽しそうなので、一回くらいコーチングを受けてみたい。


一応駒場祭の告知

25日(金)
・2時〜2時半 バンドアパートのコピー@158教室
バンドアパートという日本のおされなバンドのコピー。今回のバンドの中で一番自分の声で歌えるバンド。コーラスに多少問題があるが、きれいめでくせがないのでききやすいと思う。

・4時〜5時 ゆずのコピー@101号館前(メーリスで105といいましたが、正しくは101です!!
みなさんご存知ゆずのコピーやります。相方はサッカーのサークルの僕らの代の代表(ちなみに僕がキャプ)。J-POP好きな方とかはぜひ!平和にいきたいと思います。

27日(日)
・10時半〜11時 フィッシュマンズのコピー@158教室
フィッシュマンズという日本の不思議バンドのコピー。正直今僕のドツボをついているバンドです。僕は超ちょい役なんだけど、このバンドのボーカルは聞く価値ありです。天性の声の柔らかさ・軽さ(いい意味で)がある、すごくいいボーカルです。ぜひ来てあげてください。

・11時〜11時半 サーフィスのコピー@158教室
こんなにひどい歌詞を書くバンドを久しぶりに知った。陳腐すぎる。かつ無駄にむずい。

・12時〜12時半 金子バンド@158教室
わがサークル1の不思議ちゃん金子による曖昧かつ鮮烈?な音楽世界。今回のテーマはディスコ。ときに魅了され、ときに困惑し、最終的には変な脱力感が残る、というそういうステージになるはずです。結構いい曲もあるのではまる人は結構はまると思います。

・3時〜3時半 T・O・P(時間が変更になりました!!
ファンクバンドタワー・オブ・パワーのコピー。メンバーのテク、存在感、楽しさ全てにおいて今回の僕のバンドの中で最高、そして最強。ただなのにこれを見ないのは単純に損。

・4時半〜5時 ラストステージ@グラフェスステージ
ステージのトリを担当。今年も楽しいステージになると思う。唯一ダンサーとしての参加。

お暇がありましたらぜひ…


ライブ本番が近づいてきた。ここで今日はボーカル七つ道具というものを紹介しよう。

・録音用マイク…自分の歌を録音して聞くためのマイク。自分の歌を客観的に聞くということは上達の第一歩なので。最初はそれがいやでいやでたまらないものだ。

・ポータブルの録再プレーヤー…MP3プレーヤーやMDウォークマンなど。マイクと一緒に用いるために録音ができることが重要な条件。音源を確認することにも使えるユースフルなアイテム。

・水筒…ボーカルたるもの演奏間の水分補給は欠かせない。しかしそこでいちいちペットボトル飲料を買っていたらお金がかかるし、環境にもよろしくない。そこで水筒。当然リユースできるから環境にもやさしいし、ただ。なかにはぬるめの白湯をいれておくのがよい。

・トローチ…のどがいがらっぽくなったらなめる。のど飴なんかとは比べ物にならないくらいきく。本番直前は予備に1パック余計に持っておくといいだろう。

・マスク…のどを保護するためのもの。特に睡眠時は必ずつけなければならない。冬は特に空気が乾燥しているので。

・歌詞カード…本番までに歌詞を覚えるというのがボーカルの苦行のひとつ。ひたすら読み、歌い、ときに書く。歌詞カードとお友達にならなければならない。

・マイマイク&エフェクター…ここまでもっていたら文句なし。

 

ちなみに僕が持っているのは水筒・マスク・トローチ・歌詞カードですね。他のものを誰かプレゼントしてください、というはなし。


今日は特別な日だ。とても大事な日でありとても気恥ずかしい日でもあり、自分について考えさせられる日でもある。  
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2005年11月18日

やべっ!

またシャンプーで体を洗ってしまった…


ぬるぬるする…


ダヴはボディーソープとシャンプーの見分けがつかない。だからいけないんだ。僕は悪くないはずだ。



「永遠の女性なるもの男を無限の高みに導いていく」

このいわゆる永遠のオネーチャンのケツをおっさんになっても追っかけ続けるということは、今のところの僕の人生プランの中で大事な位置を占めている。必要なのは適切な自意識と気力だ。
ちなみにおっさんになっても生身のオネーチャンのケツを追っかけ続ける、ということではない。いやむしろ、生身のオネーチャンを追っかけていないほうが永遠のオネーチャンを追っかけられるタイプだ。僕は。今のところ。

いいことだと思うんだけどね。


このブログにも数回出てきている予備校の国語の先生に良くこんなことを言われていた。

「知っていことも全部ノートに書いてください。しつこいくらい書いて、書いて、書きまくって、もうこんなん最初の一文を聞いたらそのあとの内容全部予測できる、というくらいまで書いてください。知っているということと、理解しているということ、さらには自分の言葉にしているということには大きな差があります。」

問題はどれだけの知識が自分の血となり、肉となるかだ。自分に取り込むためには何度でも反芻しなければいけない。繰り返しは偉大だ。地道な計算練習や、サッカーの基礎練習、音楽の部分練習。全部「できたことがある」から「できるようになる、自分のものにする」への転換。

これができるかどうかで、わりと大きく二分される。


最近わりと読書にはまっている。空いた時間にできるし、充実した時間をすごせるからだ。自分がそれによって成長してるかどうかは、知らない。

しかしなかなか深く読めない。早くは読めるのだが読みが浅い。もっと作品に深く深くもぐっていきたいのだが…

とりあえずわからない箇所をわからないままにしないよう心がけてはいる。わからなかったらもう一回読み返す。それで読んだ後、あまり良くわかっていないようだったら読み直す。時間が許せば。

読書のほうが深く感動しているはずなのに泣けず、今まで一回も見ていないシリーズの金八先生の最終回で号泣してしまうのは、なぜだ。

読書感想文が読みたい人、書きたい人はココに飛ぶといいかも。参加したいなんていう稀有なひとがいらっしゃったらぜひご連絡を。現在メンバー5人。

↓  ↓  ↓  ↓  ↓
http://d.hatena.ne.jp/dokusyobito/


Sustainability.なかなか素敵な言葉だと思う。それだけに偏るのも考え物だが。

 

微妙ながらも力強いバランス感覚を持って生きていたい、とこのごろ切に思うよ。

  
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2005年11月16日

ただ回っているような

今日トイレで昔のことを思い出した。

昔「ビデ」がなにか知りたくてたまらなくなった。友人と一緒にビデの存在に気づいたのだ。確か旅行中だった。宿泊場所のトイレの説明書きには。

「ビデ…ビデをします」

としか書いていなかった。完全なるトートロジーである。
母親に説明を求めたが満足な回答が得られなかった。
悔しかった。

そんな幼き日の僕のかけがいのない若さ、priceless


今日久しく話していなかった友人とじっくり話した。やはり相変わらず話しやすいやつだった。
将来のことで迷っているようだ。楽しいけど先行きが見えない不安定な道と、ある程度の収入は見込めるがそこまでいまのところ魅力的ではない道と。

確かにそういう時期なのかもしれない。


「成長とは依存から脱出することではなく未熟な依存を成熟した依存へと徐々に転換していくことだ」

僕の好きな言葉のうちの一つだ。
やはり何にも依存しないで生きていくのは疲れる。強い人でもなにかひとつくらいは依存できるものを自分のそとに持っていたほうが楽だし、より力を発揮できるように思える。

ただ大事なのは依存する先を間違えないことと、依存の仕方を上手にすることだと思う。
前者は、間違っても覚せい剤など依存することで自分の身を滅ぼすものに依存してはいけないということ。
後者は人によっていろいろ見方が異なると思うが、僕の考えでは

・ひとつのものに依存し過ぎない。ひとつのものへの依存で自分が支えきれないようなら複数のものに依存を散らす。
・依存先が人間なら相手にも依存させてあげて相互依存の関係を作る(僕はどうやら「依存させるという依存」をするタイプのようだ)。
・依存できるもののありがたみを忘れずそれに常に敬意をはらう。感謝の念を忘れない。

などということだ。
上手に依存したいと思っているのだが時に依存しすぎたり依存対象者(物)に身を任せられないこともあるのかもしれない。今のところあまり思い浮かばないが。


自分を疑うということ。今の自分の価値基準を常に疑い、新しい情報やアドバイスを吟味して自分をアップデイトしていくこと。より自分で納得できる自分になっていくこと。自分の無知や弱点から目をそらさないこと。克服すべきなら可能な限り、もしくは他に優先すべきことがない限り克服していくこと。

そうでありながら常に自分を肯定的にとらえること。自分を責めないこと。自分が突き進むことによって得られるような利益を妨げるような自己批判をしないこと。

人間として不完全でありながらも最善を尽くしていきたい、と思う。
でもあまり自分を追い込み過ぎないように。楽しい程度に。


本当に冬の朝が好きだ。一年のうちでたぶん一番好き。今はまだ寒すぎないのもいい。

散歩に出かけたい。一人でもいいが誰かと一緒に行くのも気持ちいいと思う。世田谷線沿線がいい。

途中であたたかい紅茶を飲むのだ。

  
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2005年11月11日

「僕はねえ、別に開き直ってるわけじゃないんすよ。これはねぇ、悪あがきなわけですよ!」

どうも、はじめてスタバに行ったとき飲み口に必死にストローをねじこみました。

大泉です。


ヨルダンで爆弾テロがあった。「イラクのアルカイダ」となのる組織から犯行声明が出たそうだ。その組織は「外国人を狙ったテロだった」と言っているそうだが、なんでも結婚式場も爆破されたとか。
僕は中東情勢に関して詳しくないからあまりはっきりしたことはわからないが、そのニュースを聞いたときに「あまりにもむごい」と思った。なぜ結婚式場が?しかもなぜヨルダンの人が殺される?

たいして知識もないのに国際政治について一論打ったところでぼろを出すのが関の山なのでそのニュースを聞いて感じたことをばひとつ。

人間は、ときにあまりにも突然に、理不尽に、不条理にとてつもなく大切なものが奪われる。それは自分の体の一部分かもしれないし、大切な人やモノかもしれない。それは事故によってだったり、他人の悪意によってだったり、病気によってだったりする。たいていの人(自分含め)はいつもそれを忘れているが、いつでも僕たちは奪われる可能性にさらされている。
そこまで大げさな話ではなくても不測の事態というのはだいたい一定の確率でやってくるもんだ。それは自分でどんなに意識しても防ぐことはできない。なんたって「不測」なわけだから(自分である程度気を配ることで「不測」の範囲を狭めることはできるかもしれない。ただこれはさらに外側のはなし)。できるのは不測の事態がおこるということを前提に考え、それがいつなんどきおころうと対処できるような心構えをしておくことだと思う。
その具体的な例が「今起こりうる最悪の事態を想定し、そのとき自分はどう身を振るかということをシュミレーションする」ということ。

つまり人間やってる以上普通の状態でBestのことをできる姿勢だけではなく、予測不能の事態がおこったときになんとかそれを切り抜ける姿勢も整えていかなければいけないというはなし。

ただ、今回の事件。今回そこにいる誰もがこのようなことがおこるとは予想だにしていなかったことだろう。おそらく生き残った人々は今ごろ「絶望」と「恐怖」にうちひがれていることだろう。

僕も明日いきなり病気にかかってしまうかもしれない。手がもげたり足がもげたりするかもしれない。失明するかもしれない。若年性アルツハイマーにかかってしまうかもしれない。白血病にかかってしまうかもしれない。
大切な人がいなくなってしまうかもしれない。
家が焼けてしまうかもしれない。

僕はそのどれだけのところを乗り切れるだろうか。どれくらいの苦難に打ち勝って笑えるだろうか。わからない。
ただ生きている以上不測の事態はおこる。なるべく大きな不測の事態に立ち向かえるような心構えで生きていきたい。

僕は今必死に積み上げようとしている。しかし積み上げれば積み上げるほど崩れてしまえば立ち直るのが困難になる。だから積み上げながらも足元を固めるのを忘れないようにしたい。


今の気分はブサンボマスターの「いいたいこともいえずに」。本当にいい曲だと思う。ようは「恋愛という不条理のなかに身を置きながら自分をぎりぎりの線で保っていくために不条理でいざるを得ない悲しみややけくそさなどを叫ぶ」ということ。すごくわかる。

「努力しないで楽してして生きているやつがいたっていい
人を不幸にして金をもうけているやつがいたっていい
ただ僕は顔がいいヤツが憎くて仕方がないわけですよ」

自分を不幸にして儲けているやつがいたらこれを歌った人間もいやだろう。そんなことはわかっている。恋愛という究極の差別の場において、自分ではどうしようもないものによってさげすまれて不条理な扱いを受けて、自分も不条理でいないとやっていられないそんな自分。そんな自分を正しいと思っているわけではないが、しょうがない。いや、歌うときぐらい、そういう自分の不条理をさらけださせてほしい。

「負けっぱなしの人生だけど
負けっぱなしはいやだから
いやだってことを叫びたくて
ただそれだけのために歌ってるわけですよ」

いくら叫んでも負けていることには変わりはない。ただ、だからこそ叫ばせてはくれないか。

 

僕はね、悲しくて仕方がないわけですよ
何がって、僕が苦しめられている仕組みに僕がしらずしらずのうちに加担して、取り込まれているってことがですよ
この汚らしい矛盾を、どうしようもなさを、あなたにだけは、せめてあなたにだけは受け入れてほしいわけですよ

世の中が不条理だなんて叫ぶのがバカらしいってことくらい重々承知しているわけですよ
みんな不条理に耐えて生きているってことくらいわかっているわけですよ
でも、この悲しみだけは、この悲しみだけは、うちあけさせてはくれないか

もう悲しむことにも疲れちまったわけですよ
悲しむだけじゃ自分がつぶれてしまうから開き直ったりうそついたりごまかしたりしているんですよ
もう多くを望めないことはわかっているんですよ

ただあなただけ、あなただけでいいわけですよ

 

この曲は単なるサンボマスターのパロディーなのだろうか?まぁ別にそうでもかまわないが。情報っていうのは手渡された瞬間作り手のものではなく受け手のものになってしまうのだから。

  
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2005年11月07日

円環

最近自分の方向性みたいのが定まってきていることで逆にいつもより狭量になっている瞬間がある。気をつけなければならない。


家庭教師がなかなか大変だ。両方の生徒とも受験生だが両方とも大変だ。なるべきることはやってあげようと思っているのだがむこうからの働きかけがないとついついゆるみがちになってしまう。引き締めなければならない。

僕は中高時代わりと教えるのが上手いといわれていた。知識を体系だてたり噛み砕いたりするのはわりと得意だし、納得いかないところは自分で納得するまでとことん考えるか人に聞くかするタイプだからだろうか。友達によく数学とか物理とかを教えていた。だから家庭教師とかもわりと向いているのではないかと思っていた。

でもあまかった。僕が教えていた人は一般レベルから観ればとても優秀な学生さんたちだったわけで。むこうが僕の話を「わかってくれていた」わけだった。
自分の言葉自体が通じないときのもどかしいこと。一回説明して「わかった」といったからときなおさせたらぜんぜんとけなかったときのなんとなげかわしいこと。授業のときだいたいいつも体調が悪いといわれるののなんと悲しいこと。

でもそういうのを乗り越えてこそ家庭教師。あれだけのお給料をもらえる存在になるんでしょうね。

ただ僕はあくまでも家庭教師でしかないわけで生活とか生き方までに口をだすわけにはいかない。バイトやめて勉強しろとかタバコそんなに吸うなとか遊びに行くなとかそういうことはいえない。ただ「やるべきことをやれ」としか言えない。そのバランスがまたね、難しいのですよね。

事態は思ったとおりには進まない、というわけだ。


今年もまたなかなかの恥さらしができそうで楽しみだ。

体をはるというのは一種のカタルシスであり、M的悦楽の一種類といえよう。そこにあるのは他者への奉仕とかサービスとかではなくただの満足感だ。だから体をはるときは押し付けがましくてはいけない。「どうだ、こんだけ俺が体はってるんだから笑わんかい。」とか「俺をあがめろ。」とかいうスタンスは正直傲慢だ。そんなんだったら体なんてはらないほうがいい。そんなんで井の頭公園の池に飛び込まれても飛び込まれた側も困ってしまう。別に自分が体はらなくてもだれもそんしないんだもの。「このわたくしめの恥ずかしい姿なんぞをみてくださってありがとうございます。」だとか「やっぱり体をはってみたものの恥ずかしい…でもそれが気持ちいい…」くらいのスタンスが妥当だろう。基本体をはるという行為は自己満足であり周りには迷惑な行為なのだ。

押し付けがましくないからだのはり方をしたいものだ。


最近心が元気なので常に自分を成長させようと心がけている(つもりだ)。そして成長させるべきもののひとつに論理的思考能力がある。

ドラゴン桜の芥山先生(国語担当)いわく論理的思考能力を磨くためには、いつも身近なことに関して「なぜ〜なのだろうか?」と考えることが必要なのだという。僕も自分の論理的思考能力を磨くために身近な「なぜ?」をいろいろ考えている。今日はそのなかのいくつかをあげさせていただこうと思う。

‘本ではなぜ電車の中での携帯電話の使用が迷惑行為だとみなされているのだろうか?→静かな声でしゃべろうとマナー違反とみなされるのはなぜだろうか?

△覆宍扮譴呂匹鵑匹鶺制されているのに過剰飲酒は規制されないのだろうか?→迷惑度的には喫煙以上だと思うが…経済的な問題か?取り締まる基準が明確に定めにくいしそういう条例を定めたら暴動が起きそうだけど、なによりその処理をする清掃員の方とかがあまりにもかわいそうだ。

K榲に地球温暖化はおこっているのだろうか?→「なぜ?」ではないがまあ一応身近な問題だと思うので…

い覆疾通擇気笋(もしくはオセロの白)はヌード写真集を出したのだろうか?→売れないし(売れるのか!?)面白くもないのに…事務所の戦略か?

書きたくても書くことがないような場合にはこのような身近な疑問にも改めてふれることがあるかもしれない。

  
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2005年11月02日

おじいちゃんとおばあちゃんのはなし

今日はおじいちゃんとおばあちゃんの話をする。

僕は母方のおじいちゃん・おばあちゃんの家(明石)に行くのが好きだった(今も元気だから正確に言えば「好きだ」)。明石のおばあちゃんはやさしい。お小遣いをたくさんくれる。ほしいものは大体買ってくれる。さらに、おいしいご飯を作ってくれる。おいしいご飯屋さんにつれてってくれる。しかも明石にはゲームがある。うちにゲームがない自分としてはゲームができるというのはすごくうれしかった。

僕は父方のおじいちゃん・おばあちゃんの家(狛江)に行くのがあまり好きではなかった。祖父は僕がわりと小さいうちに亡くなった。おばあちゃんはわりと早いうちにボケてしまった。狛江に行ってもおばあちゃんは歌謡大賞や相撲を観ているだけだった。特にお小遣いもくれなかった。おいしい料理も出てこなかった。近くに住んでいるおじさんが将棋をしてくれることだけが楽しみだった。

現金だと思うかもしれないが、僕は小学生のときには見返りもなく祖父母を愛せるほど情が深くなかった。自分では気づいていなかったが。

ちょっと前に明石の祖父が倒れた。胆結石だった。命に別状はなかったが、そのときはじめて肉親を失うということの恐怖を感じた。狛江のおばあちゃんのお葬式のときにもかんじなかった恐怖を。

自分は結局失いそうにならないとその大切がわからなかった。自分が情けなかった。

もし今狛江のおばあちゃんが生きていたらうちにいっていっぱい料理作ってあげるのにな。車の練習がてら行ってさ。
僕が東大に入ったとき狛江のおじいちゃんが生きていたらどんなに喜んだだろうか。おじいちゃんは東大の出だった。なんでもおじいちゃんは多くいる孫の中でも一番年下の僕をたいそうかわいがってくれていたそうだ。

将棋で大人気なく僕を負かしていた狛江のおじいちゃん。
よく僕の名前といとこの名前を間違えていた狛江のおばあちゃん。
今となってはとても懐かしい。

考えてみれば、無条件に愛を与えられるということはどれだけ幸せなことか。両親にしてもそうだ。自分を無条件に愛してくれる人がいるということのなんと幸せなことか。

この前は失いそうになってから気づいた。だからもう忘れない。両親に対しても、明石の祖父母に対しても、鎌倉の祖父母に対しても(祖父母が三組いるところがうちのちょっと変わったところだが)、友人たちに対しても、大切だと思う気持ちを絶対に忘れない。そうありたいと思う。そして願わくば無条件に愛を与えられるような人間になりたい。

狛江のおじいちゃん・おばあちゃん、僕はあなたたちにとても感謝していますよ―――――――



今日ちなみを新幹線のホームに見送りに行くということになってから、こんなことを考えた。明石のおばあちゃんはいつも出発のときホームに見送りに来てくれる。それがいつも恥ずかしいながらも、うれしい。そして新幹線のなかでたべるおばあちゃんのお弁当がまたとてもおいしいのだ。


とてもくさい文章になってしまった。肉親に対する気持ちなんて文章にしたら恥ずかしいにきまっているのではないかとも思う。まぁでもそう思ったのだから思ったことを書いてみた。  
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