暗闇の中に世界がある ーこの映画を観ずして死ねるか!ー

物心ついた頃から映画は日常でした。映画に関わる仕事にもつきました。 映画製作に関わることを目指したこともありました。 才能のなさを自覚し道を離れました。人生の黄昏時が近づいてきた今、映画と自分との関りを見つめ直すためにブログをはじめました。※映画についてのコメントにはネタバレ情報も含まれている場合もあるのでご注意ください。

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日本映画専門チャンネル録画の鑑賞。
監督 新藤風
脚本・音楽 磯田健一郎
プロデューサー 新藤次郎
撮影 山崎裕
編集 渡辺行夫
美術 金勝浩一
録音 吉田憲義
照明 山本浩資
出演 伊藤蒼、安藤サクラ、金城実、山田真歩、渋川清彦、吉田妙子、角替和枝、でんでん
100分
配給 東京テアトル
公開日 2017年1月21日
2017年度キネマ旬報ベストテン第65位 

監督の新藤風は、故・新藤兼人のまごにあたる。本作のプロデューサーである新藤次郎は兼人の子であり、風の父である。本作は”新藤一家”の映画のようだ。

新藤一家が選んだ『島々清しゃ(しまじまかいしゃ)』とは、沖縄を代表する作曲家・普久原恒勇の沖縄民謡「島々清しゃ」のことである。舞台は沖縄県の慶良間諸島。3人の「よそ者」たちが、「島々清しゃ」の演奏を通して、人と人との結びつきの中で再生していく物語である。

主人公の少女・うみは、耳の聞こえがよすぎて人よりも音が少しでもズレていると不快に感じてしまう。そのため、周囲からは特別な存在ともなされ、受け入れられていない。

うみの母親・さんごは唄三線の名手である昌栄を父にもちながら、唄も舞踊もうまくなく、母親も誰かわからないため、島の住民からは受け入れられず、那覇に住んでいる。

祐子はバイオリニストで学校の校長から演奏会のために招待されたのだが、いつも困難から逃げ続けていて、この島にやってきたのもそんな事情らしい。島の住民には溶け込もうとせず、浮いた存在だ。

島にとっては、この3人の「よそ者」が、「島々海しゃ」という民謡を吹奏楽部の小中学生とともに練習していくことで、人とのつながりを見つけ出していくというのだ。

安藤サクラや渋川清彦、山田真歩など一部の俳優以外は地元の素人が出演しているようだ。
セリフも沖縄の地元の言葉のままである。
「ちんだみ狂って、わじわじする」という重要なセリフも方言のままだ。これは、音が正しくなくて、気持ちが落ち着かないというような意味らしいが、そういう説明もないままドラマは進んでいく。まるで、外国映画を観ているようなのだが、描写される映像は言葉の意味を補ってくれる。

クライマックスの演奏シーンは島を囲む自然の描写と相俟って、心が洗われるような清々しさを残してくれる。

安藤サクラや山田真歩はいかにもプロの俳優というオーラを放つのだが、夢をあきらめ街から島に戻ってきた漁師を演じる渋川清彦は、まるで地元の素人俳優の雰囲気を醸し出していた。もちろん、それも演技なのだろう。この映画と同じ年に公開された別の映画では、やくざの役で安藤サクラを強姦する悪役を演じていた。それと比べると同じ本人とは思えない。それだけ、この渋川清彦という俳優はすごい人だ。

<あらすじ>
沖縄・慶良間諸島、座間味村。耳が良すぎて少しでも音のズレを感じると頭痛がしてしまう9歳の小学生・花島うみ(伊東蒼)は、三線の名手であるおじい(金城実)と二人で暮らしている。ある夏の日、島で開催されるコンサートのためにヴァイオリニストの北川祐子(安藤サクラ)が東京から島にやってくる。祐子がコンサートを催す慶良間小中学校の体育館を訪れた後、音楽室に向かうと、うみと吹奏楽部員が小競り合いをしていた。うみは、部員たちが出す音の“ちんだみ”が狂っていて気持ち悪いと文句を言ってトランペットの幸太ともみ合ううちに机にひじをぶつけてケガをしてしまう。校庭で祐子に絆創膏を貼ってもらううみ。翌日、祐子がコンサート会場の体育館で残響の確認をしていると、うみがそでからじっと見ている。音楽を弾かないのかと尋ねるうみに、バスケットボールの音などがこだまする中、うるさいから無理だと祐子が答えるとうみは祐子の手を取って急ぎ足で歩き始める。向かった先は誰もいない砂浜だった。うみは、祐子が弾くバッハの「G線上のアリア」に聴き惚れ、その後、祐子を自分の家に連れて行く。そこでおじいは「谷茶前」の唄三線を祐子に聴かせるのだった。翌日、うみと幸太の“ちんだみ”対決が行われた。うみが勝ったら吹奏楽部に入ると宣言し、うみが勝ったものの他の部員たちに反対され入部させてもらえない。幸太は祐子に相談し、入部前のうみにフルートを貸して練習させることにする。ヴァイオリン・コンサートの日。ピアノの調律が狂っていることを心配する祐子とピアニストの山田だったが、調律を直してもらえるわけもなく、ちゃんと演奏すれば大丈夫だと自分たちに言い聞かせステージに立つ。だが演奏開始直後、うみが「ピアノのチンダミがおかしいさ」と立ち上がって叫び、校長の高良に体育館を追い出されてしまう。夕方、民宿前には祐子を待つおじいの姿があった。おじいは祐子にうみのことを謝り、砂浜で泡盛を酌み交わす。そして祐子は、うみと離れて那覇で暮らす母親のさんご(山田真歩)のことを聞かされる……。


《 島々清しゃ  予告編 》

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スターチャンネル録画の鑑賞。
監督・製作 ハワード・ホークス
脚本 ベン・ヘクト、チャールズ・マッカーサー
原作 チャールズ・ブルース・ミルホランド
製作総指揮 ハリー・コーン
撮影 ジョゼフ・H・オーガスト
編集 ジーン・ハヴリック
衣装 ロバート・カロック
出演 ジョン・バリモア、キャロル・ロンバート、ウォルター・コノリー、ロスコー・カーンズ、ラルフ・フォーブス、ビリー・シューワード
91分
製作国 アメリカ合衆国
配給 コロンビア映画
米国公開 1934年5月3日
日本公開 1934年11月

娯楽映画の巨匠ハワード・ホークス監督が初めて取り組んだコメディ映画である。この時代に全盛となった”スクリューボール・コメディ”の初期作品の傑作といわれている作品だ。

スクリューボール・コメディとは、セリフがキャッチボールのようにポンポン飛び交う会話劇のことで、このブログでも書いたホークス監督の『ヒズ・ガール・フライデー』という傑作で紹介済みだ。
1930年代前半のこの時代は、映画がまだサイレントとトーキーと共存していた時期だ。
そのなかで、トーキーの面白さである会話に特化させたのがスクリューボール・コメディといえるだろう。

MGMと喧嘩して退社したホークスがコロンビア映画ではじめて撮ったのがこの作品だ。
原作は舞台劇で、舞台監督が新人女優を売り出し大物にするという話をコミカルに描いている。

舞台監督オスカーを演じるのがジョン・バリモア、女優リリーをキャロル・ロンバートが演じている。C・ロンバートは本作の演技で一躍コメディ俳優としてのトップスターの地位を築いたのだった。

全編セット撮影で、セットの数も多くない。
舞台やマンションの部屋が撮影の中心である。

『特急二十世紀』という題名は、列車の名前をそのまま題名にしたもので、列車での可笑しなやりとりがこの映画のクライマックスである。

場面転換が激しく、ロケ中心の今の映画に観慣れて人にとっては、本作のような会話中心の映画は退屈かもしれない。
しかし、1930年代という時代を考えながら、会話の絶妙のテンポに身を委ねて観ていると、このテンポが実に心地よくなってくる。
まるで小気味よいキャッチボールの響きを耳にしているようだ。

元々は舞台劇が原作なので、セリフのおもしろさは間違いない。
サイレントからトーキーへと移行するこの時代、生き残れる俳優は見栄えのよさだけでなく、いかに生き生きとセリフが喋れるかだろう。
その点からも本作に出演したJ・バリモアやC・ロンバートらは新しい時代を担っていく素質を持った俳優だったといえるだろう。

<あらすじ>
オスカー・ジャフィ(ジョン・バリモア)は一種異った世間を超脱した人間で狂った天才ともいう可き劇場の演出者だった。彼は無名からリリー・ガーランド(キャロル・ロンバート)という女優を見出して、腹心のウェッブ(ウォルター・コノリー)やオマレイ(ロスコー・カーンズ)の反対を無視して、これをスターに仕立てたところ、これが忽ち大当りをしめた。で以後三ケ年というものジャフィ、リリーのコンビは次々と劇壇にヒットを送っていたが、運悪いことにはジャフィともあろう大人物が女優のリリーに恋をしてしまった。それからというものはジャフィの専制と嫉妬とは事々にリリーを束縛し彼女から人間的な生活を奪ってしまったので、リリーはある日、彼には無断で映画出演を契約しハリウッドへ去ってしまう。リリーに去られると共にジャフィを去ったのは彼の霊感で、その後に彼がシカゴで興行した時には散々に失敗し小屋代すら払えなくなった。で、彼は高飛び的に同市を逃げ出し、折柄の二十世紀特急に乗ってニューヨークへと旗を巻いて引返す事になった。一敗地に塗れたジャフィがモスクワで破れたナポレオンもどきに、しかし意気と雄弁だけは益々盛んになって行くと、途中の駅でこの列車に乗り込んで来たものがある。これがリリーとその恋人のジョージ(ラルフ・フォーブス)とで、リリーはニューヨークにいる嘗てのジャフィの股肱ジェーコブスの招きに応じてジェーコブスの芝居に出る為めであった。ジャフィはこれを見て当時売出しのリリーに再び己れの芝居に出演して貰う事が出来れば彼も九死一生の今の窮地を切り抜ける事が出来ると考えついた。で、ウェッブとオマレイの二人を督励して先ずジョージに嫉妬を起させて彼とリリーとの仲を割く。それにウェッブが某大会社の社長でクラークという人間に出会い、彼を説いてジャフィの芝居に大金を投じさせる事に成功した。で、一同万歳々々と叫んでいる途端にこのクラークというのが実は狂人であると知れる。それと共に一度ジャフィの下で働く気になったリリーもまた、急ちジャフィの申出をハネつけた。ジャフィはもう万事休す、といって大時代的に自殺を計った。そこへクラークはまた現われてジャフィは擦り傷を負う。だがこの擦り傷を致命傷によそい、ジャフィは大芝居を打ち彼の死出の旅の贈物としてリリーに彼の芝居に出演の署名をさせた。斯くて、万事はジャフィにとって芽出度く納まり、再び彼はリリーを手足の如くに動かして舞台稽古に取りかかる様になった。

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東映チャンネル録画の鑑賞。
監督 深作欣二
脚本 深作健太
原作 高見広春『バトル・ロワイアル』
企画 佐藤雅夫、岡田真澄、鎌谷照夫、香山哲
製作 片岡公生、小林千恵、深作健太、鍋島壽夫
製作総指揮 高野育郎
音楽 天野正道  主題歌 Dragon Ash「静かな日々の階段を」
撮影 柳島克己
編集 阿部浩英
美術 部谷京子
録音 安藤邦男
照明 小野晃
衣装 江橋綾子
VFX  大屋哲男
出演 藤原竜也、前田亜季、ビートたけし、山本太郎、安藤政信、柴咲コウ、栗山千明、塚本高史、高岡蒼佑、小谷幸弘、石川絵里
114分
配給 東映
公開日 2000年12月16日
2000年度キネマ旬報ベストテン第  第43回ブルーリボン賞作品賞受賞

日本のバイオレンス映画の巨匠・深作欣二監督が描いた中学生同士が殺し合うという過激なバイオレンス作品。
公開時にはR15+という指定があって、主人公と同年代の中学3年生が観ることができなかったため、翌年4月には特別編と称して8分の未公開フィルムを追加したバージョンも公開された。

藤原竜也、柴咲コウ、栗山千明ら今では有名スターとなった若手俳優が出演しているほか、山本太郎と安藤政信は当時25歳でありながら中学生役で出演している。
また当時、新しいバイオレンス映画の巨匠として世界的にも有名になった北野武ことビートたけしが教師役で出演しているのも話題となった。

学級崩壊や中学生同士の殺人事件が社会問題となっていた2000年当時、世紀末という不安感漂う時代の中でこの映画は制作された。
"BR法”(バトルロワイアル法)という架空の法律が制定されたという設定で、全国の中学3年生のクラスから1クラスが抽出され、無人島で殺し合いが行われ、生き残った1名だけが島から脱出できるというゲームが内容だ。

深作がこの映画を撮ろうと考えたのは、自身が中学生だった時、戦争の学徒動員で多くの中学生が死に、それを大人のせいだと恨んだことが発想の元だったという。
いわば深作のバイオレンスの原点だ。

極限状態になったとき人間はどういう行動にでるかということを描いた映画は多い。しかし、それが中学生という設定の映画は当時はなかった。
今ではこの年代を主人公にしたバイオレンス映画はたくさんつくられているが、深作のこの作品が先鞭をつけたのだ。
この内容について、当時は国会でも取り上げられたほど過激なものだったが、それから20年、現実では映画以上に過激な事件も起こってきた。現実は映画をすでに超えてしまったのだ。

栗山千明は映画中盤で死んでしまうのだが、この映画を観たクエンティン・タランティーノ監督は自身の作品に彼女を起用し、本作のオマージュシーンを撮っている。

中学生が主人公であるが、ビートたけし演じる教師・キタノに感情移入して観るとおもしろい。
最初は狂気の人間として恐怖だけが前面に出てくるのだが、自分を教師として受け入れてくれた典子への思いが出てくる後半には、この人物の設定の重要性が浮き上がってくる。
彼は、どうしようもない子どもたちを生み出してしまった大人の代表として描かれている。そんなキタノではあるが、決して中学生たちのすべてをあきらめているわけではない。
典子や秋也たちに未来を託すことをあきらめてはいない。そのため、彼らを最後まで生き残らせようとする描写もみられる。
ある意味、この映画の主人公はキタノだったのかもしれない。

<あらすじ>
新世紀の初め、ひとつの国が崩壊した。自信を失くし子供たちを恐れた大人たちは、やがてある法案を可決、施行する。それが、新世紀教育改革法、通称”BR法“だ。年に一度、全国の中学校の中から1クラスが選ばれ、コンピュータ管理された脱出不可能な無人島で、制限時間の3日の間に最後のひとりになるまで殺し合いをする法律である。そして、今回それに選ばれたのは岩城学園中学3年B組の生徒たちだった。元担任・キタノ(ビートたけし)の指導の下、食料と武器がそれぞれに渡されゲームが開始。極限状態に追い込まれた生徒たちは、様々な行動に出る。昨日までの友人を殺害する者、諦めて愛する人と死を選ぶ者、力を合わせて事態を回避しようとする者。そんな中、生徒のひとりである七原秋也(藤原竜也)は、同じ孤児院で育った親友・国信慶時(小谷幸弘)がほのかな想いを寄せていた中川典子(前田亜季)を守る為、武器を取ることを決意。当て馬としてゲームに参加した転校生の川田(山本太郎)と共に島から脱出しようとする。そして、3日目。生き残った七原と中川は、キタノを倒し島からの脱出に成功する。だが、法律を破り指名手配犯となったふたりには、尚も走り続けなければならない運命が待っていた。


《 バトル・ロワイアル  予告編 》

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WOWOW録画の鑑賞。
監督・脚本 アンソニー・ミンゲラ
原作 マイケル・オンダーチェ『イギリス人の患者』
製作 ソウル・ゼインツ
製作総指揮 ボブ・ワインスタイン、ハーヴェイ・ワインスタイン、スコット・グリーンステイン
音楽 ガブリエル・ヤレド
撮影 ジョン・シール
編集 ウォルター・マーチ
美術 スチュアート・クレイグ
衣装 アン・ロス
出演 レイフ・ファインズ、クリスティン・スコット・トーマス、ジュリエット・ビノシュ、ウィレム・デフォー、ナヴィーン・アンドリュース、コリン・ファース、ジュリアン・ワダム
162分
製作国 アメリカ合衆国
配給 ミラマックス=松竹富士
米国公開 1996年11月15日
日本公開 1997年4月26日
1997年度キネマ旬報ベストテン第5位、第69回アカデミー賞作品賞、監督賞他7部門受賞

2008年に54歳の若さで死去したアンソニー・ミンゲラ監督の代表作で、アカデミー賞で作品賞。監督賞を含め9部門を受賞した名作である。
『イングリッシュ・ペイシェント』とは「英国人の患者」という意味で、第二次大戦中の北アフリカとイタリアを舞台にした人間ドラマである。

ドラを織りなす人物は、カナダ人看護師の女性ハナ、飛行機の墜落で全身大やけどの重傷を負った自称英国人(彼は記憶喪失になっている)、カナダ軍諜報部隊のカラヴァッジョ、シーク人で地雷処理を任務とする英軍工作兵のキップの4人である。
性別も国籍も肌の色も違う4人は、それぞれが深い心の傷を負っている。イタリアの農村の壊れかけた教会でその4人の奇妙な共同生活がはじまる。

そしてドラマの主軸をなすのは重傷の英国人の記憶である。
4人の共同生活の描写と共に、英国人の過去が描写される。英国人の名はアルマシー。彼は英国人貴族で、大戦前から北アフリカの砂漠で考古学調査を行っていた。彼はそこで出会った英国人女性の人妻キャサリンと不倫の恋におちいる。そんな彼がなぜ記憶喪失を装ったのか、その真相が徐々に明らかになってくる。

映画の宣伝では、アルマシーとキャサリンの不倫の恋が大きな売り物になっている。
確かに、ドラマを大きく動かすのは二人の恋の物語だ。
しかし、一方で、現在の話である看護師ハナとシーク人キップとの束の間の恋、アルマシーに恨みを抱くカラヴァッジョとアルマシーの関係の話も重要なポイントとなっている。

それらの話に共通するのは「死」と突然の「暴力」だ。
至る所に仕掛けられたドイツ軍の爆弾。なんの前触れもなく、爆発は突然起こり、人々はあっという間に死ぬ。
この極限状況の中で、4人の人物たちはどう生きていくのか。
宣伝にあるような「恋」や「愛」ではなく、「死」と「生」こそ、この映画の重要なテーマなのだと思う。
それは北アフリカのどこまでも続く、死のような砂漠と、抜けるような青い大空に象徴されている。

戦争が終わり、イタリア人家族のトラックで旅立っていくハナたちの明るい表情が印象的なラストシーンだった。

<あらすじ>
44年、イタリア。砂漠の飛行機事故で全身に火傷を負い、記憶の大半を失って生死をさまよう男が野戦病院に運び込まれた。戦争で恋人も親友も亡くして絶望にかられていた看護婦のハナ(ジュリエット・ビノシュ)は移動する部隊を離れて、爆撃で廃墟と化した修道院に患者を運び込み、献身的な看護を続ける。男は断片的に甦る思い出をハナに聞かせる。彼の名はアルマシー(レイフ・ファインズ)。ハンガリーの伯爵の家柄に生まれた冒険家の彼は、英国地理学協会に加わり、アフリカはサハラ砂漠で地図作りに没頭していた。38年、協会のスポンサーとして夫ジェフリー(コリン・ファース)と共に参加していたキャサリン(クリスティン・スコット=トーマス)は、夫が英国情報部のカイロに戻った後も砂漠に居残った。アルマシーはたちまち彼女に心奪われる。猛烈な砂嵐に見舞われた一夜、2人きりで過ごしたジープの中で互いの心を知った彼らは、カイロに戻ってアルマシーの宿舎で結ばれた。人目を忍び密会を重ねる日々に、キャサリンは愛し愛される喜びと、夫に対する罪悪感の狭間で揺れる。折りしも戦争の機運が高まり、彼女アルマシーと別れて帰国しようとするが、彼には彼女のいない人生は考えられなかった。2人の関係はやがてジェフリーに知れ、彼は嫉妬に狂った復讐の決意を胸に、小型機の助手席にキャサリンを乗せ、ジルフ・ケビールの“泳ぐ人の洞窟”近くでキャンプの引き上げ作業にあたるアルマシーの元へ向かった…。ハナと患者の前にカナダ人のカラヴァッジョ(ウィレム・デフォー)が現れ、納屋に居候する。戦前のカイロで英国情報部に出入りしていた彼は、スパイ容疑でドイツ軍将校(ユルゲン・プロホノフ)に親指を切り取られ、その原因がアルマシーと思い込み、報復を果たそうと行方を探していたのだ。さらに、爆弾処理専門のインド人中毒キップ(ナヴィーン・アンドリュース)が修道院の中庭にテントを張って住み始め、ハナとキップの間に愛が芽生える。やがて迎えた終戦の日。人々が祝うさなか、キップの部下が事故で爆死し、ハナは悲しみを分かち合おうとする。一方、カラヴァッジョが敵意を剥き出しにして言った「アルマシーがスパイだと知って、おまえの親友マドックス(ジュリアン・ワドハム)は拳銃自殺したんだぞ」という言葉に、アルマシーの記憶が一気に甦った。あの日、キャサリンとアルマシーもろとも自殺をもくろんだだジェフリーは、地上のアルマシーに向かって飛行機を突進させるが失敗。ジェフリーは絶命し、アルマシーは瀕死の重傷を負ったキャサリンを洞窟に運ぶと「必ず戻ってくる」と約束し、三日三晩、砂漠を歩き続ける。だが、ようやくたどり着いた町で彼はスパイと疑われ、護送列車から脱走したアルマシーは愛する人の命を救いたい一心で、地図をドイツ軍に売り渡し、飛行機でキャサリンの元へ急いだ。だが、時既に遅く、彼女は息絶えていた。アルマシーは彼女の亡骸を乗せ、飛行機で彼女の故国イギリスを目指して砂漠を飛び立つ。やがて、彼の機は撃墜され、彼は英国人の患者として収容されたのだった…。話を聞き終えたカラヴァッジョの胸からは、報復の決意は消えていた。やがて、アルマシーの最後を看取ったハナの心にも、死を乗り越えて存在する愛の奇跡が深く刻み込まれた。


《 イングリッシュ・ペイシェント  予告編 》

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