暗闇の中に世界がある ーこの映画を観ずして死ねるか!ー

物心ついた頃から映画は日常でした。映画に関わる仕事にもつきました。 映画製作に関わることを目指したこともありました。 才能のなさを自覚し道を離れました。人生の黄昏時が近づいてきた今、映画と自分との関りを見つめ直すためにブログをはじめました。※映画についてのコメントにはネタバレ情報も含まれている場合もあるのでご注意ください。

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ムービープラス録画の視聴。
監督 イエジー・スコリモフスキ
脚本 ウィリアム・メイ、デヴィッド・テイラー
原作 ジークフリート・レンツ
製作 ビル・ベネンソン、モリッツ・ボーマン
製作総指揮 ライナー・ショーンライン
音楽 スタンリー・マイヤーズ
撮影 チャーリー・シュタインバーガー
編集 バリー・ビンス
出演 クラウス・マリア・ブラウンダウアー、ロバート・デュバル、トム・バウアー、ロバート・コンスタンゾ、バッジャ・ドラー、ウィリアム・フォーサイス、アーリス・ハワード、マイケル・リンドン
87分
製作国 アメリカ合衆国
配給 東映クラシックフィルム
日本未公開
ヴェネツイア映画祭審査員特別賞受賞

監督のイエジー・スコリモフスキは脚本家や俳優でもあるポーランド人で、世界三大映画祭(カンヌ・ヴェネツア・ベルリン)すべてで受賞しているという大した人である。わたしは、この人をまったく知らなかった。
本作は初めてアメリカで製作された作品である。
ロバート・デュバルという当時コッポラの映画によく出ていた俳優が出演し、映画祭で受賞している作品であるにも関わらず、日本では劇場未公開であるだけでなくビデオ発売のみでDVD化もされていない。

題名の『ライトシップ』とは「灯台船」のことで、錨をおろしてじっと動かず灯台の役目をしている船のことをいう。
この映画は、全編ほぼそのライトシップの船内で展開するシチュエーション・ドラマである。登場人物もすべて男性で少ない。ロバート・デュバル以外は日本で知られておらず、内容も地味であるために劇場公開されなかったのか。

<あらすじ>
戦争が終って10年、沿岸警備隊の灯台船ハッタラス号のミラー船長(クラウス・マリア・ブランダウアー)は、非行少年として補導された息子のアレックス(マイケル・リンドン)をもらい下げて、船に乗せた。アレックスは父に心を開こうとはしなかった。やがて、エンジン故障で漂流しているボートが発見され、乗っていた3人が救出された。きざな紳士風の男はキャスパリー(ロバート・デュヴァル)と名乗り、2人の仲間、ユージーン(ウィリアム・フォーサイス)とエディ(アリス・ハワード)の兄弟を紹介した。彼らの発言や、ボートに隠してあったライフルの存在から、彼らがまともな人間ではないことがしだいにわかってくる。キャスパリーは、銃をつき付け、船を制圧した。彼らは銀行ギャングだったのだ。航海士のソーン(ティム・フィリップス)らは反抗しようとするが、船長は無暴なことをするなととめる。アレックスはそんな彼の態度がはがゆい。ミラーはドイツ生まれで戦時中、米軍駆遂艦の艦長をしていた時、多数の人の生命を見捨てたとみられていて、アレックスはそれを気にしていた。ミラーはそれは軍の命令で仕方なかったと話す。船員の1人スタンプ(ロバート・コスタンゾ)がキャスパリーを襲うが、エディに射殺される。キャスパリーは船を動かすように命じるが、ミラーは断固拒否。黒人の料理人ネイト(バジャ・ジョラー)がユージーンを甲板におびき出して、甲板からつきおとした。キャスパリーは船の錨をあげるよう命じ、船長は拒み、キャスパリーにつめ寄る。キャスパリーの銃が火を吹き、船長は倒れた。アレックスはキャスパリーをナイフで刺した。茫然と立ちつくす船員、エディ、アレックス。...

派手なアクションはほとんどないが、どう展開していくのかというサスペンス感は抜群である。
とくに船長役のクラウス・マリア・ブラウンダウアーとロバート・デュバルの二人の演技合戦は見ごたえがある。
いかにも紳士然としたデュバル演じるキャスパリーとかなりいかれ気味の子分二人との対比はおもしろい。キャスパリーがいつ豹変するのかということがサスペンスを盛り上げてくれる。

船長ミラーとその息子アレックスとの一触触発の親子関係もからんできて、物語の展開が単純でないところがいい。

戦時中に自分の命令で部下を全員死なせてしまったというミラー船長の後悔の念がこの映画の軸である。もう二度と部下は誰一人死なせたくないというミラーの揺るぎない信念が、動くことのないライトシップと重ね合わさっていく。

ラストはややあっけない幕切れだが、それでも十分に見応えのある作品だった。

《ライトシップ  抜粋》



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東映チャンネル録画の視聴。
監督 中島貞夫
脚本 野上龍雄
企画 天尾完次
音楽 荒木一郎  主題歌 頭脳警察
撮影 増田敏雄
出演 渡瀬恒彦、杉本美樹、森みつる、碧川ジュン、小池朝雄、村井康子、川谷拓三、片桐竜次
100分
配給 ATG
公開日 1973年2月10日

深作欣二と並び東映実録やくざ映画の巨匠と呼ばれる中島貞夫監督の作品である。スタッフ・キャスト、そしてタイトルをみれば間違いなく東映映画なのだが、配給はATGで公開時もATG系の劇場で公開された。ATGというのは日本アート・シアター・ギルド略で、1961年から1980年代にかけ非商業的な芸術性の高い映画を製作・配給していた会社で、現在は活動を停止している。公開当時、東映プログラムピクチャーを支える監督であった中島がATGで作品を撮ったということだけで話題となった。

公開された1973年2月といえば、そのおよそ1か月前の正月映画にはシリーズ最後の『昭和残侠伝 破れ傘』が公開され、正月映画第2弾として深作欣二の『仁義なき戦い』が公開された。本作はその1か月後に公開されている。本作は東映作品ではないものの、後にやってくる実録やくざ映画の先鞭をつけた作品として『仁義なき戦い』とともに本作は映画史に名を残す作品なのだ。

とはいうものの、本作は長い間、ビデオ化やDVD化がされていなかったため、ファンの間ではカルト中のカルト映画と言われてきた。それが、昨年(2017年3月)に主演の渡瀬恒彦が亡くなったことを受け、同年8月に初めてDVDとして発売された。

作品は、やくざ社会の中でも世間の中でも最下層でもがき生きている一人のチンピラに焦点をあてて描いたものである。この作品によって中島貞夫は、チンピラを描かせたらこの人の右に出る者はいないと言われるほどになった。また、『仁義なき戦い』が集団群像劇であったのに対し、本作が徹底的に一人のチンピラを追うドラマという対照的なものになったのもおもしろい。

オープニングタイトルにかぶさる主題歌がロックだというのも当時としては斬新だったし、やくざ幹部の面々が声のみの登場で姿を見せないというのも奇抜な発想の映画である。

<あらすじ>
関西に本拠を持つ広域暴力団天佑会は、九州に進出する為に、同会に所属するチンピラ、小池清(渡瀬恒彦)を“鉄砲玉”としてM市へ飛ばすことに決めた。この頃、清は何もかもツイていなかった。兎のバイも全く思わしくないし、情婦とも喧嘩したし、ハジキ一挺に、自由に使える現ナマが百万円!「やりま!」たった一言、清の返事は短かかった。M市での初めての夜。恐怖と緊張で全身を硬わばらせながらも、清は「天佑会の小池清や」と名乗って、精一杯、傍若無人に振舞ったが、どこからも反撃の気配すらなかった。酒はいくらでも飲めた。面白いように女が寄って来た。一寸した傷害事件がキッカケで、清は最高の女を手に入れた。地元の南九会の幹部・杉町の情婦、潤子(杉本美樹)である。もはや清は何も疑わなかった。最高に生きるという事はこういうことや! M市から離れた静かな地方都市を潤子と腕を組んで散歩する清には、ヤクザの顔は微塵もなく、ただ、満ち足りた平凡な一人の若者の顔しかなかった。こうして波は二十四歳の誕生日を迎えた。だが、その日、潤子の姿が彼の前から消えた、呆然とする清。M市へ来た当初、一刻たりとも傍から離さなかったハジキは、遂に意外な方向に向けて発射されることになった。天佑会の九州進出が中止されたことにより、バックの無くなった清めがけて南九会の反撃が開始された……。数時間後。潤子と二人で行く約束をしていた雲仙行きのバスの中に息絶えた清の姿があった。

鉄砲玉とは、やくざ組織が抗争の口実作りのために敵地に送り込んだ者を言う。喧嘩をしかけて、敵に殺させ、その弔い合戦として敵地に乗り込むのが目的なのだ。したがって、鉄砲玉は死ぬことが役目である。
本作の設定は、同じ中島監督の東映映画『現代やくざ 血桜三兄弟』と同じ設定である。同作では、小池朝雄が鉄砲玉の役、菅原文太が地元やくざの役だった。本作では、その小池朝雄が地元やくざの役となっている。
『血桜三兄弟』では華々しく殺されていった鉄砲玉だが、本作の清には死ぬ度胸がない。なので、敵の情婦といちゃいちゃしたりして時間をつぶしたりしている。いわば優柔不断な人間が主人公になっているのだ。中島監督は本来こういう人間を描きたかったのだろう。

東映に入社以来、これといったキャラクターがなく、ややくすぶっていた感じの渡瀬であったが、本作によって「チンピラ」というイメージがぴたりの俳優となった。以後、多くの作品でチンピラ役を演じ、光り輝いた。そして、松竹映画『事件』では、とうとうチンピラ役で日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞するにいたったのである。


本作のラストシーンは、後に村川透監督の『蘇える金狼』のラストでそのまま使われることになる。
それだけ、本作が映画界に与えた影響は大きい。

《鉄砲玉の美学 主題歌  頭脳警察》


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スターチャンネル録画の視聴。
監督 ルイス・マンドーキ
脚本 ジェラルド・ディベゴ
原作 ニコラス・スパークス
製作 デニーズ・ディ・ノヴィ、ジム・ウィルソン、ケビン・コスナー
音楽 ガブリエル・ヤレド
撮影 キャレブ・デシャネル
編集 スティーヴン・ワイズバーグ
美術 ジェフリー・ビークロフト
出演 ケビン・コスナー、ロビン・ライト・ペン、ポール・ニューマン、ジョン・サヴェージ、イリーナ・ダグラス、ロビー・コルトレーン、ジェシー・ジェームズ
131分
製作国 アメリカ合衆国
配給 ワーナー・ブラザース
日本公開 1999年6月12日

砂の中に埋もれた瓶に入った過去の手紙は、どこかから流れ着いたもので、その手紙の持ち主を探していくという話だと公開時にとらえていた。自分の中ではなにかとてつもなく感動的な話だと勝手につくりあげていたらしい。
今回、この映画を観て、単なる恋愛映画だとわかってものすごくがっかりした。勝手な解釈をしていた自分が悪いのだが、だまされた気分だ。

といって映画は悪いわけではない。恋愛映画として、好きな人が観れば感動できる出来である。

<あらすじ>
離婚間もないシングルマザーのテリーサ(ロビン・ライト・ペン)は、息子が父親と一緒に過ごす間、休暇を過ごしやってきた海岸でジョギング中に、手紙の入ったボトルを拾う。それは、キャサリンという名の女性に宛てた誠実な愛情に満ちた言葉が書かれていた。その内容に胸を打たれたテリーサは、調査員として勤務するシカゴ・トリビューン紙のオフィスにその手紙を持っていくと、オフィスの女性たちのすべてがこの手紙に感動。これを見たテリーサのボスのチャーリー(ロビー・コルトレーン)は、手紙を新聞に全文掲載してしまう。何も知らされていなかったテリーサは憤慨するが、読者の反響は大きく、何百通もの感動の手紙が新聞社に寄せられてくる。テリーサは、瓶が拾われた場所や海流の関係、レターぺーパーやタイプライターの種類などから、手紙を書いたと思われる男性ギャレット・ブレイク(ケビン・コスナー)を見つける。初対面で互いにひかれ会うふたりだが、ギャレットは2年前に亡くした妻・キャサリンを今でも愛しており、遺品もそのままにして生活していた。ボトルのメッセージのことも、新聞のコラムのことも言い出せないまま、テリーサとギャレットとはついにベットをともにしてしまう。が、ある日、テリーサの部屋で自分が書いた手紙とボトルを偶然見つけてしまったギャレットは、混乱し、怒り、テリーサのもとを去ろうとする。だが、テリーサの調査から、ギャレットが海に流した瓶の中に、亡き妻が書いた手紙も入っていたことを初めて知る。妻への消えぬ愛とテリーサヘの気持ちの狭間で揺れるギャレットは、父ドッジ(ポール・ニューマン)に「新しい愛に生きろ」と勇気づけられる。新たに手紙を記し、海に流すため自分の船で沖へ出ていったギャレットは、荒波にもまれ難破しかかった船に遭遇。海に落ちてしまった女性を助けようと海に飛び込み、その女性ともども命を落としてしまう…。息を引き取ったギャレットのポケットにあった瓶の中には、亡き妻へあてた手紙があった。そこにはテリーサとの新たな愛に生きる決心が記されていた。ドッジからその手紙のことを知らされたテリーサは、ギャレットの死を悲しみながらも、愛することに怯えていた自分が、いつのまにか立ち直ったことに気づいたのだった。

要するに過去の愛が大事か、今の愛が大事か、という話である。そんなことは、迷うまでもない、今の愛が大事に決まっている
、という考え方の持ち主の私にとっては、ケビン・コスナー演じる主人公ギャレットがじっれたく思えて仕方なかった。コスナーファンの女性は、亡き妻を一途に思っていた主人公に胸がキュンと締め付けられたことだろう。

私としては、ギャレットの父親・ドッジ役のポール・ニューマンがいい味を出していたので、それが観られただけでこの映画は満足だった。ポール・ニューマンも映画の中で言っていたのだ。「過去が大事か、今が大事か」と。
ギャレットと亡き妻の家族が諍いを起こしたとき、ドッジが出てきて亡き妻の描いた絵画を切り刻んで諍いをとめようとしたシーンは、ニューマンの凄みがよく感じられた。

《メッセージ・イン・ア・ボトル  予告(英語版)》


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東映チャンネル録画の視聴。
監督 伊藤俊也
脚本 神波史男、松田寛夫
原作 篠原とおる「さそり」
製作 吉峰甲子夫
音楽 菊池俊輔  主題歌 梶芽衣子「恨み節」
撮影 仲沢半次郎
編集 田中修
美術 桑名忠之
出演 梶芽衣子、夏八木勲、伊達三郎、渡辺文雄、室田日出男、沼田曜一、渡辺やよい、扇ひろ子、根岸明美、横山リエ、三原葉子
87分
配給 東映
公開日 1972年8月25日
1972年度キネマ旬報ベストテン第12位

これぞプログラムピクチャーが生み出した傑作であり、クエンティン・タランティーノ監督が『修羅雪姫』とともにオマージュした作品である。

主演の梶芽衣子は太田雅子という芸名で1965年に日活でデビュー、その後1969年の『日本女侠伝』で梶芽衣子と改名、非行少女役として『野良猫ロック』シリーズでブレークした。日活がロマンポルノ路線に変更したため東映に入社、東映では引退した藤純子の後継として活躍を期待されていた女優である。

監督の伊藤俊也はこの映画が単独監督作としてのデビュー作(『やくざ刑事 マリファナ密売組織』で野田幸男と共同監督)だった。東映労組の委員長も務めた伊藤俊也の反権力・反体制的な映像芸術が一気に爆発した作品となった。

<あらすじ>
Y県女子刑務所。けたたましく鳴り響くサイレン、女囚二人が脱走を企だてた。松島ナミ(梶芽衣子)、木田由紀子(渡辺やよい)である。しかし、刑務所々長郷田(渡辺文雄)らの必死の追跡で、脱走は失敗に終る。捕われた二人はイモ虫のように手足を縛られ、懲罰房へ入れられた。身動きのできない状態でナミは過去に思いを巡らせる。ナミには麻薬取締りの刑事、杉見(夏八木勲)という恋人かいた。ある時、杉見はナミを麻薬捜査の囮として使い、強姦させたあげく、自分はその現場に乗り込み麻薬を押収する。その上、その麻薬をネタに麻薬組織、海津(伊達三郎)興行に寝返ったのである。杉見の愛を信じていたナミにとってこの裏切りは許せなかった。翌日、杉見を襲うが致命傷には到らず、その場で逮捕された。“復讐”に燃えるナミは刑務所内でも異質な存在で、皆から反感を買っていた。ただ、口の不自由な木田由起子だけがナミを慕っていた。ナミと由起子が懲罰房から解放された頃、新入りとして進藤梨恵(扇ひろ子)が入所して来た。梨恵もナミ同様、他の女囚たちと肌が合わずに対立した。ある日、梨恵は片桐らの企みで無実の罪を着せられそうになるが、ナミの機転で救われ、以来ナミに好意を持つようになる。しかし、この事件で梨恵の替りに罪を着せられた政木(三原葉子)が逆上し、郷田の眼をガラスの破片で刺してしまった。怒った郷田は全員に穴掘り作業を命じた。ナミは“閻魔おとし”を課せられた。“閻魔おとし”とは囚人たちが最も恐れている穴掘り作業で、一つの穴を掘っては埋め、埋めては掘るという刑罰である。疲労の極に達したナミに同情した由起子が看守を襲い、それをきっかけに、日頃看守たちに虐待を受けていた女囚たちの憎悪が爆発、暴動を起こして倉庫に立てこもる。しかし、この暴動の際に由起子が射殺された。そして、ナミは由起子から片桐(横山リエ)が自分の命を狙っていることを知らされる。杉見の手がここまで延びていることを知り、愕然とするナミ。片桐はナミを裏切り者扱いにし、他の女囚らを煽動してナミに凄絶なリンチを加える。しかし、ナミは逆に片桐の企みを暴き、片桐こそ裏切り者だということを明らかにする。一方、郷田らは食事の差し入れと偽り、一挙に倉庫になだれ込み、全員を逮捕するが、この間、倉庫に火をつけ混乱を起したナミは脱走に成功する。そして、厳重な警戒網をかいくぐったナミは、杉見、海津への復讐を果すのだった。

「女囚さそり」といえば梶芽衣子の代名詞となったように、ほとんどセリフを喋らず顔の表情だけの演技がすごい。このセリフをしゃべらないキャラクターという設定は梶自身のアイデアだそうである。
また、梶初め登場するほとんどの女優が脱いでいるというのもこの映画のエネルギーを高めた。さすがに歌手だった扇ひろ子だけは脱がなかった。

女優たちとともに、ブログでも取り上げた悪役俳優たちの怪演も楽しかった。とくに、笑ってばかりの沼田曜一の異常さは悪役としての凄みを見せてくれた。

伊藤俊也監督の前衛的な演出もすばらしかった。夏八木勲と梶芽衣子のベッドシーンを真上から撮ったり、梶芽衣子がやくざに強姦されるシーンを透明ガラスの真下から撮ったりなど斬新な映像が目を惹いた。
青や赤、緑など原色を使ったイメージ映像、歌舞伎の隈取りを使った感情表現など、鈴木清順の映画をオマージュしているようにもみえた。

菅原文太作品の併映として、あまり期待されずに公開された本作は、当時の反体制的な世相にとも相俟って、予想外のヒットをとばすこととなり、以後3本のシリーズ作品がつくられることとなった。しかし、そのため、当時婚約中であった梶は婚約を解消することとなり、以後、現在まで梶は独身を通し続けている。

《女囚701号さそり  予告編》


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