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この人を悪役と言う枠でくくるのは正しくないと思う。まして、東宝という会社の作品ではなおさらだ。東宝映画の中で、この人の存在感は、戦争映画や怪獣・特撮映画の軍人役で発揮された。しかし、一たび悪役に転じると、ドスの利いた声やにらみつけるような鋭い眼光、逞しい風貌で主役を食ってしまうような強烈な個性が光った。とくに、無責任シリーズでの適役は、喜劇というジャンルを忘れさせてしまうほどの存在感だった。

1913年8月28日、青森県青森市に生まれる。本名は田中実。父は公務員、地元の小学校から県立青森商業に進学し、1932年に卒業。
1933年、地方巡業の役者となり各地を回る。

1935年、森川信らのレビュー劇団ピエル・ボーイズに入団。この時、月並洋三郎や月並貫一の芸名を名乗る。

1936年に退団後、中国の上海に渡り、劇場の踊りの振付師を務める。

1937年に帰国し、名古屋の劇団に身を寄せるが、まもなく応召。1938年に除隊。

1939年に毛利賢二の芸名で新興キネマ演芸部に所属。

1942年にかつてピエル・ボーイズで一緒だった清水金一や堺俊二らと新生喜劇座を結成。以後は本名の田中実の名で舞台に立つ。座長である清水の横暴振りに不満を抱き堺らとともに退団。水の江瀧子主催の劇団たんぽぽに堺や有島一郎と共に入団。

1944年にふたたび応召、終戦まで軍隊生活を続ける。

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1947年、劇団たんぽぽに戻るが、戦前のスター松山宗三郎こと小崎政房のいた空気座に移る。そこで、小崎演出の『肉体の門』に出演、センセーショナルな内容が話題を呼び大評判になった。
1948年にマキノ雅弘監督によって映画化される際、舞台と同じ役にキャスティングされ、映画デビューする。これがきっかけで新東宝に入社。

1950年、新東宝の大作『細雪』に出演する際、田崎潤と芸名を変える。その理由は、本作の共演者に田中春男がいて名字が被るので会社から名前を変えるように要求されたからである。本名の田中から「田」の字を1字とり、『細雪』の原作者である谷崎潤一郎から「崎潤」をもらって「田崎潤」とした。

1951年には『オール読物』に連載が始まったばかりの村上元三の小説『次郎長三国志』を読んで、作中人物・桶屋の鬼吉がすっかり気に入り、その役を演じたくてマキノ雅弘監督に映画化の企画を持ち込んだ。田崎も鬼吉役で出演したが、初めは低予算の時代劇だった。しかし、シリーズ化され次第に人気を呼び、東宝のドル箱になるとともに、マキノ雅弘監督の代表作ともなった。
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1960年代からは東宝を中心に出演。黒澤作品からゴジラシリーズなどの怪獣・特撮映画、戦争映画などに多数出演。幅広い役柄を演じ、東宝では欠かせない脇役となった。
とくに『海底軍艦』では、日本の敗戦を知らず南海の孤島で、強力無比の戦艦を作り続ける狂気をもった軍人役を演じたのが印象深い。
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『八甲田山』では、生まれ故郷の青森の地元民役で出演、完璧な津軽弁を披露している。

三船敏郎とは一番の飲み友達だった。土屋嘉男は夜銀座を歩いていて、田崎と三船の二人が広い車道の真ん中を大声でわめきながら歩いているのを見て、慌てて隠れたことがあったという。それほど二人が飲むと酒癖が悪く、「成城のピストル事件」という閑静な住宅街での発砲事件の噂もあるほどだった。

1985年10月18日、肺癌のため死去。享年72歳。

<田崎潤フィルモグラフィー>