現在、漫画も音楽も文学もそれぞれに潰えたわけではないのですが、面白く思えない欠如があるように思えます。

その様に考える中で、白土漫画が抱擁していたメッセージ性、時代との対話、社会的な浸透性などなどそれをどの様に表現したらよいかは、模索中でもあるのですが、
白土漫画から比べたなら現代漫画は、内向きで私小説的とも言えるかも知れません。

現代漫画、平成漫画、現在進行形の内向きな私小説的漫画群に対して
手塚治虫、梶原一騎、白土三平時代の漫画と比較して何が違ってきたのかはどの位、研究、評論が進んでいるのか?進んでいないのかはわからないとしても
明らかに、大友克洋的な画力や技術によって圧倒するものの量産化されていても、心のない機械主義的なものに席巻されていく過程が現在の漫画、音楽、文学以上に、日本人、そして、現代人の病理とも言えるかも知れません。

>マイケル・ジャクソンは大友克洋に同等するといえようか・・・
>外観は人を圧倒させるようでいて、その実、中身は何も無いという・・・。
>この間アキラと気分は戦争を購入して読み返してみた。
>アキラを読んでいて、その軽薄と言うか人間の薄っぺらさに、血が凍るような気がした。
>こんなものを読む子供はかわいそうだ。
>こんなんで感心させられる人は気の毒である。
>あの見事っちゃー見事な絵は、なにか蜘蛛の巣や蜜蜂の巣のような、
>昆虫が何も考えずに作り出している絵のようなものではなかろうか

この意見には、同意見なものがあるので、白土漫画へと回帰させられているのだと思っています。

マイケル・ジャクソンとプリンスについては外から眺めているだけでもあるので、語る言葉を持てないし、私にとっての魅力もその範囲にとどまっているのですが、
得体の知れないもの=怪物、怪獣、怪人は、ウルトラマン、仮面ライダーブームの中で、寛容に見れるものともなっているし寧ろ、同情的にも捉えています。

ワンピースも七人の侍から影響を受けているようです。
そして、現在、GYAO!無料テレビにて鑑賞できる「どろろ」も妖怪退治をするが、百鬼丸も化け物と村人から排除されながら旅を続けていく物語。

プリンス、マイケル・ジャクソンの魅力は、また、白土漫画と独立して語るのがよさそうですが、
あっちもこっちもは出来ようもありません。
それよりも、柳生十兵衛と山田風太郎、「忍者」作品のルーツの方に集中したい気分でもあります。



主題別~手塚治虫(どろろ)・柳生十兵衛~現在進行形の資料館
http://jbbs.livedoor.jp/study/11250/#1
天皇と東大
http://straitgate.blog112.fc2.com/blog-entry-127.html



それ以上に、インターネットの有効利用とは何か?を考えている今日この頃です。