5時間?!「人間は美に打たれないと馬鹿になる」:淀川長治

2003年05月10日

己へのメモ 翻訳call the shots/『夜と霧』

コール・ザ・ショットという慣用句の意味メモ。映画『夜と霧』は日本では残酷シーンがカットされてしまう件について。『シンドラーのリスト』のラストを茶化したジム・キャリーは素晴らしい。マドンナ主演の『エビータ』公開時のマスコミに見られた嫌ったらしさ。///

www.excite.co.jp/world/text

He likes to call the shots.=彼は采配をふるうのが好きです。
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『キネ旬』1979年8月上旬号より。

矢島さんのヨーロッパにおける映画テレビ放送に関する文章から抜粋。

(アラン・レネ監督作品『夜と霧』について…)

私にとって三度目のこの記録映画が、事実上は初めて見た作品になったのは、日本では税関審査で切られたいくつかの「残酷」シーンが、テレビ放映でさえ、そのまま残されていたためである。特に、いくつもの人間の首の入った桶のショットは見る者の心を叫ばさずにはおかない力を持っていた。それは終りの「私たちは見ようともしない、聞こうともしない」というナレーションへ向けての、ぬきさしならない要素となっていた。「残酷」というより、かぎりなく厳粛なイメージだった。

日本では厳密な意味で「見られない」映画が多過ぎると思う。とくに、テレビでは。

(終)


私は『夜と霧』を去年だったか一昨年だったか、スクリーンで見る機会を得た。
その時のフィルムに「首の桶」はあっただろうか…情けないことに覚えていない。

とっても気になるのでメモっとく。次に見るときには確認しようと思う。

ちなみに『夜と霧』、最近(少なくとも1年以内)NHK衛星放送で深夜に放送された。そこではどうなっていたのだろう。録画しときゃよかった。

『戦ピ』を試写会で見た時、残酷場面で泣く女性が多かったように思う。
彼女らに『夜と霧』を見ることができるだろうか…。可否はともかくとしても一人でも多くの人が見るべき、すごい映画だなと思った。その冷徹な語り口が、凡百の記録映画を圧倒する。おまけに上映時間も20分くらいと、短いし…

ホロコーストもの映画は、これからも思い出したように作られる気がするけれど『夜と霧』みたいなすごい映画も、コンスタントに再上映してゆくべきだと思う。

『シンドラーのリスト』はラストがなぁ…。あのラストさえなきゃなぁ。
まだマシになるんだけど。

ジム・キャリーは、あるインタビューで、いきなり
「ああ、この机を売ればまだ一人は助けられたかもしれないのに!これを売れば!あれを売れば!」と、『シンドラー〜』を茶化したそうな。
最高っす。(笑)
優秀なコメディアンは、偽善くさいものをずばっと貫き、容赦ない。
映画館で該当場面を見て、なんじゃそりゃ、と苦々しく思った私の心はジム・キャリーのツッコミに、「やっぱりね(笑)」と安らぐのでした。
アカデミー賞をとろうがどうだろうが、風刺されるべきものはされねばね!
俺ぁこの一件があるだけで、ジム・キャリーという人を応援できちゃうよ。
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もひとつ『キネ旬』1998年2月下旬号から。

宮崎裕治さんの「映画街路図97」(イラスト&一言コメント)より

絵は『エビータ』のマドンナ。
コメント:「ミュージカルは嫌いだという人は威張らないように」

この一言は、ミュージカル・ファンの気持ちを代弁してあまりある。
ほんとに威張る奴…威張っているとしか表現しようのない人…っているんだな。
己の感受性の『間口』が狭いことを吹聴しているだけだというのに。間口が狭いという自覚もなく、あまつさえそれを趣味がいいのだと勘違いの無限大。
嫌いなら嫌いで、無視すればいいのにね
なぜか天下を獲ったように『威張る』…ことミュージカルに関してはこの傾向が強い。そんな風潮にスパン!と矢を射ったような一言コメントでした。大拍手。

某もぎり嬢が書いたエビータに関する文章にも、同じ精神が流れているのを感じて、「よくぞ書いた!」と痛快な気分がしたものです。

こと映画『エビータ』が公開された時のマスコミには、穏健なミュージカル好きでさえ反発したくなるほどの嫌ったらしさが横行していたと言えるのかもしれません。

sith_ko2 at 00:39│Comments(0)TrackBack(0) 俺メモ | 外国映画

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