サウンドトラックCDが千円ですと!?ビア&レストラン「シャーロック・ホームズ」

2014年06月25日

ミュージカル映画版『レ・ミゼラブル』の短所

表題についての超・長文。引き合いに出されるのは、手塚漫画『ブラック・ジャック』、映画『ウエスト・サイド物語』『雨に唄えば』、2013年トニー賞オープニング。「リリン」さんからのメールの引用、など///

2013年(去年)の年が明け、最初に見たのがミュージカル映画版『レ・ミゼラブル』。これが私にはあまりにも「ノレない」作品で、げんなりして帰宅したのですが、マイナー好きの宿命と言いますか…私以外の多くの方々には拍手で迎えられたようで…日本ではずいぶん大ヒットしたみたいですね。

続くアカデミー賞では多部門にノミネートされ(Wikipedia日本語版によれば次の7部門。作品・主演男優・助演女優・歌曲・メイクアップ&ヘアスタイリング・衣裳デザイン・録音。)、3部門で受賞(助演女優・メイクアップ&ヘアスタイリング・録音)。

ちなみにアカデミー賞よりは一般人の評判に近い結果が出るゴールデン・グローブ賞では4部門ノミネート(ミュージカル・コメディ部門の作品賞・同部門主演男優賞・助演女優賞・主題歌賞)、主題歌賞を除く3部門で受賞。

Wikipedia日本語版によれば、日本におけるミュージカル映画で歴代最高の興行収入(累計55億円突破)も記録したそうです。(←しかしインフレが進んだ現代の金額を、そのまま過去の記録と比較して1位だ、と騒いでも無意味だと思うのだがどうか。今の100円と昔の100円の価値がどれだけ違うか、ちょっと長生きしてみれば誰にでも分かるというもの。本当の比較は、価格相場を考慮に入れたものでなければ成り立たない。)

まあ稼ぎがどうだこうだってのはどうでもいいっす。そんなのは1本の映画と向き合う時に必要なものではないし。(今年のディズニー映画『アナと雪の〜』が記録を破ったとかなんとかですし)

今回は、私にとってミュージカル映画版『レ・ミゼラブル』のどこがどうダメだったのか、っちゅうのを語ってみたいのであります。そういうのを聞きたくない、読みたくないという方々はどうかここまでで閲覧をおやめ下さい。

好きな人がずいぶん多い映画のようだし、限りのある人生の貴重な時間を「けちをつける」なんて事に使うなんて暇人のする事だろう、やめたらどうなの?というお気持ちの方も多々おられるとも思います。確かにそうだ、と思う気持ちもあり、迷ううちに見てから1年以上経ってしまって…で、やっぱり書いておきたいという気持ちが残ったままなので書く事にしました。

何もかもがまるでダメな映画だった、と言うつもりはさらっさら無いっす。そこんとこ強調しておきたい。私の好きな役者も複数出ているし、歌をアフレコにせず現場で録音したという努力もエライと思うし、それにこたえた役者達の力演も見ものでした。衣裳も美術も良かった。音楽も良かった。初めて見たのに耳に残るメロディがあったほどの音楽パワーがあった。この映画の元ネタであるミュージカル舞台版が大成功した理由がよく分かった気がしました(←名曲のないヒット・ミュージカルなどあり得ないんですけど)。

ダメだったのは…トム・フーパー監督の演出です。おいおいおいこれが本当に『英国王のスピーチ』を撮った男なのか?と愕然とするほどひどかった。映画館の暗闇の中で『勘弁してくれ』と辟易しながら、『ミュージカル映画を撮るには、非ミュージカル映画を撮るのとは別の才能が必要なんだな…』と改めて痛感しました。

たとえば名監督マーティン・スコセッシって人がいます。俺も大好きな監督です。ですが、彼が撮ったミュージカル…というにはあまりにもミュージカルらしくない…あえて言うなら『音楽映画』(音楽家などを主題にした音楽の多い映画。話の途中でいきなり非現実的なミュージカル場面が展開しない映画)の、『ニューヨーク・ニューヨーク』って映画もまた、ダメな映画でした。トム・フーパーの『レ・ミゼラブル』の演出につきあってたらスコセッシのダメだった演出まで思い起こしました。いかな名監督でも、ミュージカル映画では冴えない事があると映画史は証明しておるのです。

変な話ですがクエンティン(・タランティーノ)のほうがもしかすると良いミュージカル映画を撮れるかもしれません。スコセッシとタラちゃんの映画におけるポップ音楽の使い方の技巧派ぶりは相通ずるので、ついスコセッシを考えるとタラちゃんを思い出しちゃって。やらせてみない限り結果は分かりませんが、一度でいいからタラちゃんのミュージカル映画ってのは見てみたいと私は常々思っております。

しょっぱい映画を撮ることで知られている(と思う。笑)ラース・フォン・トリアー監督の『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000年作)を、『レ・ミゼラブル』で明けた2013年にたまたま(ヘロヘロ姉が借りてきた)レンタルDVDで初めて見る事ができたのですが、これは非常に優れたミュージカル映画で、大変驚きました。映画館で見なかった事を後悔するほど良かった!賛否両論の映画だったという記憶もあります…(←だからこそ私のツボなのかもしれません笑)…これを褒め始めるとまた長いので今回はやめときます。

結局、演出の良い悪いという判定も、個人の好みの問題だ、と言ってしまえばそれまでなんですが…

アカデミー賞・GG賞ともに、作品賞にはノミネートされていながら監督賞にはノミネートすらされていないという事実が、どうやら私の『ダメだこりゃ』という感想に裏付けを与えてくれているような気がします。春の映画賞レースのみならず、その後、トニー賞(ブロードウェイの舞台におけるアカデミー賞のようなもの)でもさらに裏打ちされて、ずいぶん爽快感を頂きました(笑)。それについてはこの記事の最後に触れるつもりです。

…もう1年以上見てから時が過ぎていますので、うろ覚えが多い記述になります。記憶違いがありましたら申し訳ありません。
レミゼラブル冒頭1はい、ここから私の下手なラクガキで、トム・フーパーのまずい演出の具体例を挙げてゆきます。

これは映画冒頭で、主人公ジャン・バルジャンが新たな決意を胸にこれからを生きるのだ、と歌いながら宣言する場面…のつもり。画面奥からカメラ(正面)に向かってどんどん歩いてくるバルジャンを、撮影はワンショット(=カットなしで映像がそのまま連続している状態)でずっと捉え、あるところまで来るとグイーッと歌うバルジャンのどアップ(=超クロースアップ)になるまで画面(=フレーム)を寄せて行きます。数小節そのままどアップで留まった後、引き続きワンショット…ひょっとするとカット(=画面切り替え)があったかもしれませんが…で今度はどんどん画面を引きます。

レミゼラブル冒頭2どアップからバストショットへ、さらに全身ショット、ロングショット、超ロングショットへと引いていきます。カメラが鳥だとしたらバルジャンの顔の真ん前にいた状態からそのままバルジャンの顔を見たまま空へ飛び立ち、バルジャンを俯瞰(ふかん)で見下ろすところまで舞い上がっていくような感じの映像です。

これね…この、ハデハデしい映像。これ、あまりにも仰々しい演出なの。なぜかって言うとこれは『神の視点』の絵になるからなの。一度もバルジャンからの視点を挿入せずに、ただ、歌うバルジャンをずっと捉えて最後に神目線で見下げるっていうこの絵作りでは…私には、バルジャンへ感情移入できる映像展開にはならないの。ただ歌ってるおっさんの口に寄ってってから離れるだけなの。映画見る前から、『歌声ナマ録り』って知識だけは宣伝で嫌でも耳に入っちゃってたもんで、このなぜかやたらと口元までアップにするって映像が小賢しく見えちゃって見えちゃって。ほら、口の動きと音がシンクロしてるでしょう、見えますでしょう、ね?ね?と押し付けられているみたいで、さっそく閉口しちゃってね。

ブラックジャック51話「ちぢむ!!」ラスト模写これは手塚治虫先生の『ブラック・ジャック』第6巻(秋田書店 昭和50年11月4判より)の第51話「ちぢむ!!」の最終場面の見開きを模写したものです。(手塚先生すみません)

アフリカの某所で、動物も人間も縮んで死んでしまう感染症と闘う羽目になったブラック・ジャック(以下BJ)先生が、努力の末に血清を作り出すも、同じ医師で先に罹患した戸隠(とがくし)先生を救うにはわずかに遅く、その死を食い止められない。亡骸(なきがら)を抱いて外に出たBJ先生は星空に向かってやるせなさを怒号に込める。この漫画の全エピソードの中でも、おそらく5本の指に入るほどの印象深い場面がこの「医者はなんのためにあるんだ」(←クエスチョンマークが無いところが深いねぇ)というラスト1コマを含む見開き部分だと思うんです。

なんで映画の話なのに漫画を例に出すんだ、と戸惑う方がおられるかもしれませんが、漫画ってのは映画と似てて、『カット割りと画面構成(視点構成)』が重要なんですよ。映画にできて漫画にできないのは、音声以外ではワンショット撮影くらいです(漫画の性質上それだけは無理)。

俺のラクガキの中に書き込んでありますが、手塚先生が描いた視点(映画でいうカメラの位置)の選び方は見事です。戸隠先生の亡骸を抱いて外に出る「やや上から」のコマ。BJ先生の睨み上げるような両目を捉える最適なアングルです。その隣の全段ぶち抜きの大ゴマ。「神さまとやら!あなたはざんこくだぞ」と叫ぶBJ先生を足元から捉え、彼が見ているもの、すなわち星空を画面に入れています。

続く左ページ上で言葉を続けるBJ先生をバストショットで捉えているからこそ、最後の大ゴマにおける超ロングショット俯瞰とのコントラストがいっそう際立ちます。読者はBJ先生の魂の叫びを「すぐ横で聞いてる」状態から、ぽんっと「神様目線で見下げてる」って状態へ飛ばされるのです。アフリカのジャングルに囲まれたBJ先生の姿はちっぽけなもんです。彼が抱く戸隠先生はさらにちっぽけで、そんなちっぽけな命でも、懸命に生きるし、医者ってのはその生きようとする努力の手助けをする存在のはずです。しかしここでは、戸隠先生自らがこの病気は神の思し召しかもしれない、と言い残して亡くなるものだから、じゃあ俺の(医者の)やってる事はなんなんだ、治さなきゃいいのか、医者の仕事はアンチ(非・否・不)自然なのか?それはすなわちアンチクライスト(神への反逆)ってことか?…という煩悶(いろいろと悩み苦しむこと)が生まれるのです。

滅多な事で神様相手に話などしないBJ先生が(「神さまとやら」という表現から、彼が無神論者に近い人であることが見てとれる)、『病気治す→人死なない→人口増える→食料危機→縮む病気発生→食料足りる(?)』という流れに異議を唱えるっちゅうかケンカ売る、この俯瞰。

こんな派手な俯瞰、『ブラック・ジャック』の中でも珍しいし、手塚先生の全作の中でも大量にはないと思います。コッテコテの演出なので、ここぞってところでしか使っていないような…たいてい、主人公の孤立感であったり、周囲との対比でその(存在の)小ささ、無力感といったものを強調するための手段として使われます。俯瞰の中心に主人公を配置するというのはそういう事のはず。

だから、バルジャンの口元までカメラがこれ見よがしに近づいたことにさえ目をつぶれば、『レ・ミゼラブル』冒頭のバルジャンの独唱場面の演出は、悪くはなかった。神への宣言、決意を高らかに歌う場面だからこそ、カメラに引き離されてちっぽけな点になっても…

(5/5ここまでで中断)
(6/25ここまで再読して、やっぱり最後まで書くか、と思ったので続けます)

…『神の視点俯瞰』としての効果が十分にありました。ところが…

レミゼラブル後半若者達1ミュージカル映画『レ・ミゼラブル』では、後半のパリの若者達が、血気盛んに歌う場面でも、同じ『神の視点俯瞰』へと展開するのです。

しかも、うろ覚えですみませんが、この若者達の場面になるまでの間にも、何度も何度も、歌う場面になるたびに『ズームインで口元の超クロースアップを捉え、そこからの引き(ズームアウト)』ってカメラワークを見せられる。

もういいよこのカメラワーク…(うんざり)。

レミゼラブル後半若者達2だいたい、この若者達をなぜこんな超俯瞰で捉えねばならんのか。彼らの孤立を強調したかったとでも?巨大なパリの都市の片隅で吠えたって、小さなもんですよ、というのを表現したかったの?

それにしては、そのカメラの「引き」が遅すぎると思うのね。そういう孤立って、もっとこう…ビシバシ!!っと見せてこそ、効くと思うんです。上記のBJ先生のように、すごく近くで捉えた直後に、いきなり俯瞰。これくらいの『速度』があってこそ、『俯瞰の中心で見上げる人物の孤立』って際立つんじゃないですかね。

なのにパリの若者達を捉えるフーパー監督の「引き」はのそ〜っと進んで行く…ように俺には見えたんです。なんでのんびり引いて行くんでしょうか。もっさい演出だと思いました。バルジャンの決意場面での引きは良くても、こっちはダメダメ。似た演出の繰り返し、という点からも、褒められません。

フーパー監督の『レ・ミゼラブル』と同じように、「都市の若者達」を捉えたミュージカル映画場面として『ウエスト・サイド物語』(1961年)を例にとってみましょう。

監督はロバート・ワイズとジェローム・ロビンスの共同。ワイズ監督は、『ウエストサイド』の4年後に『サウンド・オブ・ミュージック』という名作ミュージカル映画も撮っている人なんですが、白黒映画時代に『地球の静止する日』(1951年)(はい、キアヌー・リーブズ主演でリメイクされた地球滅亡の危機タイプのSF映画です)なども撮っている、職人監督さんです。

ロビンスは全編の踊りの振り付けを担当した、バレエ界にその名を残す名振り付け師の一人です。たぶんロビンスは踊り関連の演出、ワイズは映画としての演出を担当したのだろう、と私は勝手に解釈しております。

ウエストサイド物語冒頭この絵は『ウエスト・サイド物語』の冒頭を描き起こしたつもりなんですが、記憶間違いがあるはずなので、参考程度に見て下さい。

この『ウエスト・サイド物語』の幕開け部分は、映画史に残る名場面とも言われています。絵の中にも書いてますが、碁盤のようなニューヨーク州マンハッタン島のビル群の俯瞰をカメラが「ナメて」(←さ〜っと流れてゆくような撮り方のことです)、『都市』という大きな視点から、『都市の一角』という一部分の視点へ、さらに『若者の手のアップ』という小さな視点へ、と「寄って行く」見事な速度(タイミング)と、切り返し。

ウエストサイド物語三段階フカン続いて、映画の幕開け部分の山場。

若者グループ2つのいさかいで、輪の中で一人だったか二人だったかがケンカしたか怪我したか、って場面なんですが、取り囲んだ若者達が、外向きに万歳ポーズで怒りや動揺を表現する。それをワイズ監督は、
1 全身フルショット
2 少し引き
3 俯瞰

…の3段階を『カッ、カッ、カッ』と音がしそうなくらい切れよく、「カット」で見せるのです。ぬる〜んと引いてゆくフーパー監督との技の違いです。ワイズ監督の描く若者達には、『(怪我などの悲劇があっても)救ってくれる人などいない』って感じがするんです。キレのいいカットが、彼らと都市の『冷たい関係』を伝えてくれる気がするんです。

雨に唄えば BwayMelodyのラスト部分くどいのを承知で、もう1つ。ミュージカル映画のベストを選んだら、1、2を争うほどの大傑作『雨に唄えば』(1952年)から、後半の幻想場面の山場。

大勢のバックダンサーを率いて、ジーン・ケリーが歌い踊りまくる「ブロードウェイ・メロディ」というナンバーのクライマックスで、フーパー監督なみの超クロースアップがあるので例えとして描いてみました。特撮場面でもあります。バックダンサー達と踊ってたはずのケリーが、なぜか最後の最後に宙に浮き、カメラのほうに「寄って」くるのです。(これは途中で背景を別撮りの映像に替え、可動式の足場に乗ったケリーを本当にカメラのほうへと近づけて撮ってると思います。←たぶん!)

『雨に唄えば』は撮影と同時録音、ではなく、オーソドックスな『アフレコ』映画ですので、口元までアップにしたりしません(笑)。ただケリーさんが超どアップで、キラッキラ笑顔を(最近の表現で言えば「どや顔を」笑)見せるだけ。これが有効な理由は、この場面が幻想シーンだからこそだ、と申し上げたい。幻想だったらカメラ目線だろうが超アップだろうがなんでもあり、だもの。

フーパー監督の『レ・ミゼラブル』に幻想場面は無かった、と私は思ってまして…

パリの若者達の場面の前に、追跡者ジャベール警部(ラッセル・クロウ)が、わけのわからん高い所で、今にも足滑らせて落ちるんじゃないかって見てるこっちをハラハラさせながら、歌いまくる場面があるんですが、『なんであんな所でフラフラ歌ってんだ、自殺願望でもあるのか(冷笑)』とツッコミしちゃう始末で。もー全然、映画の世界に入れないまま冷ややかに見るばかりになっちゃってました。

ラッセル・クロウの歌がヘタだって評もあったとか聞きますが、別にそこは気にならなかった。『なんとかと煙は高い所が好きなんだね』と、ひたすらフーパー監督の絵作りを批判(からかってるだけとも言う笑)。ジャベール警部に関しては、結末の…アレ…(←伏せます)でも、『なんじゃあこりゃあ』という「絵」(描写)で…ため息ひとしおでね…。

しかし別解釈を語ってくれた方がいるのです。彼女(リリンさん)の説をメールから引用させて頂きます。(*引用のお許しは頂いております)上で『結末のアレ』と伏せた部分も語られているので、ネタバレを避けたい方々は以下の青字部分は読まないで下さい。
_____

ところでレミゼの話ですが、私はあの演出はなかなか良いと思いますよ〜!
ジャベール警部の歩いていた、下町の汚濁とはかけ離れたやけに綺麗な場所は、現実世界というより、彼の精神世界と解釈してます。
夜の闇の中、星々が静謐に瞬く、美しいけれど非人間的な冷たい世界、彼が至上と思い目指している高みに続く堅固だが細い孤高の道、そういうものの象徴かなーと。
彼が落ちた場面も、現実でその場所から落ちたのではなく、自分が生涯を捧げて尽くそうとしてきた神の正義の世界、冷たい星々の至高の世界へ続く道から堕ちた、という意味の描写だと思っています。
ジャベール警部の歌う、StarsとSuicideの両方の歌詞と合ってる描写と思うので、あの演出に違和感はないですね〜。
あの二つの歌はすごく気に入って、ユーチューブで評判のいい歌い手さんのを何度も聞きました。

実は映画は一回しか見てないので、映像の記憶は美化されてるのかもしれませんが…。

でもジャベール警部はいいですよね〜!
ああいう頑ななくらい真面目で、信念に身を捧げているタイプは昔からやけに好みなんですよ。
実は銭形警部も大好きです(^^

_____

『現実世界というより、彼の精神世界』…そう私にも見えたら、いろいろと…許せた(受け容れられた)でしょうに!(嘆き)銭形警部は私も好きです!(←ついでに。『ルパン三世』映画版マモー篇での銭形のとっつぁんが一番好きです!!笑)

ここまで長文書いて、ぐるっと始めの方に戻りますが、演出にノレるノレない、というのは個人の好みの問題…つったらホントそれまでなんですけど!けど!!ジャベールさんの変な歌場面だけは、リリンさんのこの解釈をお借りして無理矢理そう見ればなんとかなるかもしれませんが…口元アップと超俯瞰の多用、という演出の粗忽(そこつ)は…どうやっても消せません。それがミュージカル映画『レ・ミゼラブル』のダメダメなところなのです。

舞台だったら、クロースアップだの俯瞰への引き、だのの演出法は出来ないから、こんな思いをせずに見られるんだろうなぁと思います。
________________

▼最後に、2013年6/9(NHK-BSでの放送は6/25)のトニー賞の壮大なオープニング・アクトから、司会のニール・パトリック・ハリスがミュージカル映画『レ・ミゼラブル』を揶揄(やゆ。からかうこと)した部分を御紹介。(*英語台詞は私のヘタな聞き取りですので、間違っていたらすみません)

2013トニー賞でのNPハリスのアップのラクガキ(この記事のためにメモった広告の裏のラクガキでごめんなさい。似てない!笑。青、ってのは青いスーツだったってメモ)こういうアップになりつつ、ニールはこう言います。
Can I have...ah...my Tom Hooper's "Le Mise-" close-up, please?
NHK字幕=映画版『レ・ミゼ』風に
俺の意訳=えーっとカメラさん、トム・フーパーの『レ・ミゼ』みたいなクロースアップにしてもらえる? (場内大爆笑)

See, on Broadway, We don't need extreme close-up to prove we're singing live.
NHK字幕=ブロードウェイに口パク疑惑はないよ
俺の意訳=いいですか皆さん、ブロードウェイでは、ナマで歌ってるのを証明するために超クロースアップにする必要なんてないんです (場内大爆笑)

We sing live 8 shows a week, check it!
NHK字幕=週8回の生出演だもの!
俺の意訳=僕らは、週に8回も舞台に出て、ナマで歌ってますんでね!

言い終わりの「ちぇっきっ」(check it!)を口とんがらせてキスみたいにしながら言うニールは、『嘘だってんなら見に来てご覧!』って意味を込めてると思います。そしてラインダンスのフィナーレへ。

ノミネートされたミュージカル作品の出演者達が全部出て、しかも会場のラジオシティミュージックホールの有名な『ロケッツ』という名のラインダンサー達も混ざって…昨年のトニー賞オープニングはまさに壮観でした。ポーズと大拍手の後でニールが「もう予算を使い果たしたので、今夜はこれでおしまい!」とギャグまで飛ばしたほど(笑)。今年のトニー賞は…イントロだけチラッと見ましたが、去年とは逆に、司会のヒュー・ジャックマンの個人技で勝負しておりました。さすがっす(笑)

…このニールによるあてこすり(皮肉)と、場内の爆笑。これがアメリカにおけるフーパー監督の演出への評価なんだろうなと。私は味方をたくさん得たような気になりましてね…痛快でした。

でも、だから自分が正しい、って主張したいんじゃなく、上記のリリンさんのように違和感無く見られればそれでいいと思うっす。俺にとってノレない理由、俺とおそらくアメリカの映画鑑賞者たちにとってダメだ、と思われる部分、ってのがどこなのか。どう改善したら良いと思っているのか。そういった事をつらつらと語らせて頂きました。

ふう。
足の上で猫が寝ているぜ…。
もう朝の5時…これが書き上げられてまた1つスッキリした!
せめて2時間寝て出勤しようそうしよう。ぐう。(=_=)zzz

sith_ko2 at 05:01│Comments(4) 外国映画 | 漫画が大好き

この記事へのコメント

1. Posted by じょの   2014年06月26日 20:50
日本で大絶賛の同映画をシス子さんが受け付けなかったと聞いたときから「なんでなんで!?私この映画見てないけどなんで!?」と気になって仕方なかったので、とても興味深く拝読しました!
いつもながら深い見方をしていらして、ただただ感心するばかりです。
単に「これ嫌い!」と言われると萎えますが「どこがどうダメだったのか」をキチンと説明してあれば、まったく不快に感じることはなく、むしろ褒めてあるときよりも面白かったりしますので、今後もこのような記事を期待する所存でございます(:D)┓ペコ
2. Posted by 柚子   2014年06月27日 14:50
なるほど〜。
DVDでみたものの、誰にも感情移入できず、なんだかなぁ、と思ったまま終わったのはカメラワークのせいもあるかもなんですね。
よっぽどキレが良くてめっちゃカッコいい!って時は気がつきますが、それ以外はあまり意識してなかったかも。

舞台はロンドンでみましたが、セリフは半分も聞き取れない状態でしたが、シャベールの一途なまでの自らの価値観へのしがみつき具合はたいそう愛しかったです。
舞台だとどこ見るのも見放題。言ってみればカメラワークは完全に自分の好き放題みたいなもんですからね。
3. Posted by じょのさんへシス子   2014年06月29日 18:03
>じょのさん そんなに気にして下さっていたとは…(^^)
私ってけっこう『日本で大絶賛』って映画とそりが合わない歴史(過去?)持ちなんですよー。『海ピ』もけなしまくってますし笑(←そもそも海ピは大絶賛などされていない、というツッコミ歓迎です笑)

99%席が埋まってた映画館から出ながら、この出来で『なんで大絶賛で大ヒットで、若者たちが喜んで映画館にくるんだろう』と不思議で…。まあ、おそらく、演出以外の部分、特に固定ファンがいると思しき『音楽』(ミュージカル舞台のほうも含めて)に魅了されて、ってのも大きいんじゃないかなぁと自分を納得させました。

『オペラ座の怪人』も映画でハマって劇場にも行く、って人もいれば、劇場で見ていて映画館にも来た、って人もいるだろうし…。そうした動きにつられて、見る人もいるだろうし…。とにかく昨年、フィギュアスケートのショーでもテレビでも、やたらあっちこっちで『ミゼラブル』の楽曲が使われているのも耳にしたので、ミュージカルのヒットの基本としての『曲がいい』って部分が大衆にとっての何よりの吸引力だったんだろうな、と受け取ってます。まだ公開前に現在大ヒットしてる「れりごー♪ れりごー♪」をサビだけ聞いた時にも、これは曲がいいな(キャッチーでヒットしそうだ)って思ったらその通りになりまして…後は、映画本体を見るだけなんですが… … … まだ見に行けてません笑

ともあれ。こんなダラダラ書き伸ばした(←新語)文章なのに、読み尽くしてくださったようでありがとうございました。興味深かった、とも言って頂き、1ヶ月以上中断してほったらかしてたものをちゃんと仕上げて良かったと思えました。ありがとうございます〜〜
m(_ _)m こちらこそペコ です(じょのさんのペコ絵、かわいいっす)
4. Posted by 柚子さんへシス子   2014年06月29日 18:17
>柚子さん こんなダラダラ長文なのに読破して下さってありがとうございました!
『感情移入できない』ってのは演出の問題だと思いますやっぱり…。舞台のほうはまだ、今回の映画版よりは感情移入できたんでしょうか?ジャベールさん、よく言えば『一途』悪く言えば『頑固(石頭)』ですよね笑 

本当の原作『レ・ミゼラブル(ああ無情)』を読破してない私が言ってはいけないかもしれませんが(今回の映画版以外には、ミュージカルじゃない映画版2つと、テレビ版1つを見た事があるだけなんです)…元は大河ドラマみたいななが〜いお話ですし、きっと一人一人のキャラクターをもっとこーってり深く描写していて、どんな読者が読んだとしても、大勢登場する中の誰か一人には感情移入できるようになってるんじゃないかなぁと思っております。それでこそ古典の名作として現代まで残り、愛され続けるってものですよね。

『舞台だとどこ見るのも見放題』、そうなんです!舞台を鑑賞する人は、自然にそれぞれ独立した『演出家』のようなものなんです笑 舞台の演出法として、観客の視線の誘導、って技はありますけど、必ずしも全員がその通りに見てくれるとは限らないですもんね笑。そういう『視点の自由度』の高いところが舞台の利点だと思います。

コメントありがとうございました!柚子さんにはNHKで放送されたフランス製テレビ版(『ベルリン天使の詩』の天使のひとりが、主人公バルジャン=ジェラール・ドパルデュー=を信じてくれる神父様の役やってて、いいんですよ〜)お見せしたいっす。再放送してくれないかしら笑 ホームズ祭りしてくれるのもいいけど、レミゼ祭りもしようよNHK!って去年から思い続け中。

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