uttari manussa dhamma

自分の雑多な思考を発信していきます。 お気軽にコメントくれたりくれなかったりしてください。

2008年11月

逃げるか、超えるか

苦難を避ける安楽より、苦難を超えた達成感の方が、10倍も価値があることは、誰でも知っている。

だが、おかしなことに、いざ眼前に苦難がたたずんでいるときには、

それを避ける安楽が、それを超える達成感の10倍も価値のあるように思える。

問題とは

一般に問題と言われる概念は、私達にとっては忌避すべき対象であり、
うなぎのぼりの人生を頭打ちにする要因であり、
一方で外界と隔絶された自己を回復する可能性であり、
思考の枠組みの作成の手伝いであり、
従って一般に言われる社会において欠くべからざる各人の手続きである。

問題とは当該社会の支配者によって都合の悪いものが与えられる烙印であり、それが社会の一定範囲に波及したときに、その都度一段階下位のレベルで否という烙印が押され続けるのである。この意味で問題とは生成・消滅し、循環する。

しかし普通は問題という枠組みを与えられる概念は循環というイメージを私達に与えない。というのは、外見上そうであるからである。
いわば一秒に何十回も点灯と消灯を繰り返す蛍光灯が絶えずそこかしこを照らし続けると私達が感じるのと同じである。

問題は常にその大きさがものさしとなって語られる。何をもって大きいとするかは場合によりけりだが、大体において金銭と人間関係にそれは収束する。

しかし、実はこの場合、問題に関して言えば、大きさという概念は本質的な意味を持たない。
むしろ、自分にとってのその距離が重要なのである。

問題とは、時間軸に沿って移動する様々な大きさを持つ球体のようなものである。
人々はそれを自身と共に動く極大化・極小化するものと捉えがちだが、そうではなく、ある地点に自分が動かず立っていて、彼方から球体が近づいては遠ざかっていく、まるで駅のホームにいる自分とやってくる電車のように捉えるのが肝要である。

このように捉えることで、大きいときに単に耐えるのみを考えるのではなく、やってくる電車に対して距離をとるという方策がとれるようになる。

問題に対して耐えるのみを考えるとき、即ちそれが極大化しているとき、人はこの世の終わりのようにふるまい、我を忘れてうろたえる。
しかしそれは愚かである。
電車が近づいたら、風を受けないように距離をとればいい。その上で問題解決の施策を考えればいい。




冷静になったところで解決できなくても、結局それは時間と共に過ぎ去っていく。
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