27日に行われた安倍晋三元総理の国葬で「友人代表」として弔辞を読んだ菅義偉元総理のことばが染みた。

 

 政治家というと「汚い金」や「権力行使」など悪いイメージが付きまとうが、実際にそんなことをしている人はごく僅か。純情で「国のため」、「将来の子供たちのため」、「国民のため」と思って仕事をしている人はけっこう多いものだ。

 

 ただし、仕事はいろいろな事情と制約と障害があるので、ここを突破するために、知恵も力も使う。そこでやり過ぎる人がいることは事実。選挙で金がかかるというのも避けがたい。でも、出発点(動機)はけっこう純粋な所から出ているのだ。

 

 菅さんの弔辞を聞いていて、「きれいごと」と思った人もいただろう。特にメディアでは多かったようだし、よほど心がねじ曲がっているのか、ワイドショーなどで露骨に腐していたキャスターもいた。しかし、現場の記者席では鼻をすする音や、ハンカチで涙をぬぐうシーンがあったという。それが普通の反応だ。

 

 菅さんが紹介した言葉の原典である「山縣有朋」(岡義武著)の本が売れて重版が決まったという。

 

「かたりあひて 尽くしし人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」

 

 ある意味近代史を変えた2人。伊藤博文がハルピンで暗殺される(1909年)ことで、朝鮮は併合(1910年)を自ら早めた、とも言われている。伊藤は朝鮮の自立を望んでいた。一方、軍人山縣は当時のロシアの南下が迫る国際情勢から「朝鮮生命線論」を主張し、一気に併合へと進んでいった。伊藤は死の間際に自分を撃った者が朝鮮人(安重根)だと知って、「バカなやつだ」と言ったとか。その心は「自分が(併合を)防いでいたのに」という思いだったのだろう。

 

 山縣は伊藤を失って「いかにせむ」との悩みを深くした。国の行く末を大きく変える決断をする重責の中で。

 

 この本は安倍さんの議員会館事務所の机の上にあったという。歌の箇所には印が付いていた。安倍さんがこの歌をどういう思いで見ていたのか、菅さんに去来する思いがあったはずだ。

 

 政治家の心には「純情」があると思う。