乙夜の覧、戊夜のうp

坂本旬非公式日記

日韓問題とメディア―何が起きているのか?(2019/12/8)

日韓問題とメディア―何が起きているのか?(2019/12/8)
JCJ12月集会@専修大学
(以下の内容は個人的なメモです。)

岡本厚(岩波書店社長)

韓国という他者に対する知識もなければ想像もできない。それが今回の問題の本質。他者への想像力のない政権は怖い。保守的な人たちも経済制裁をかけたことに対して次の戦略がないことを浅はかだと言っている人もいる。大法院判決に対する反応として経済制裁があったが、民事裁判に対するものだった。もし日本の最高裁の判決に対して、なんとかしろと外国の政権が言ってきたら私たちはどう感じるのか。政権が言うべき問題なのか。メディア以外に私たちが見るものはない。メディアは目である。そこが歪んでしまうと、何が起きてるかわからない。だから言論の自由は大事。意見や情報を受け取って、それを判断して次の政治的な行動につなげる。だからこそ言論の自由が大事だし、ジャーナリズムの力が大事。何が起きているかわからないと最近は感じている。

なぜ大法院の判決が国際法に違反していると言い続けているのか。なぜこんなことを言っているのか。日韓請求権協定に違反しているといえばいい。国際法といえばイメージが違う。国際人権規約や国連憲章が国際法にある。意識的に政権は言っている。メディアはそのまま報じてしまっている。政権は経済制裁を貿易管理や輸出管理の強化と言い換えている。言い訳をしている。また口移しにそれを言っているメディアもある。貿易管理の問題だと言っているメディアもある。本質がどこにあるのかわからなくなる。徴用工とはなんだろうか。そういう特集記事は昔ならでた。一切それはない。それをNHKの人に聞くとそれを作れる人がなかなかいないと言う。1990年代のNHKスペシャルを見ると、いくつもあった。その当時、連行された人に会いにいってインタビューをして作っている。その問題の本質がそこでわかるのに、今回はそういうことがほとんどなかった。

毎日新聞は9月4日に「強すぎたアラーム」という記事を出した。ムンジェイン政権に対する警告だ。インバウンド経済に悪影響がない範囲でやってくれと管官房長官はいった。政権の想像力の無さを象徴している。観光客は激減し、輸出も減少した。何も売れなくなった。想像すればすぐわかること。日本は植民地支配した。韓国はまた攻撃したと思うだろう。そう言う国民的な反応を引き起こしてしまった。他者に対する想像力がない。安倍さんは植民地支配に対して何も読んでいないだろう。想像力がない。ガツンとやれば頭を下げると思ったのだろうか。トランプさんには頭を下げるので、韓国もそうなると思ったのだろうか。

歴史を少しでも知っていればすぐに想像できたはず。不買運動は保守も含んでいる。保守も革新も変わらない。だからこれだけ大きな不買になっている。植民地支配の記憶を喚起してしまった。軽率では浅はか。それが問題の本質なのにメディアははっきりと示していない。反日政策でこうなっていると言われてしまうというところが、批判力の弱さ。

チョグク問題に対してはおびただしい情報が出ている。それによって問題を覆い隠してしまう。メディア・ウォールだ。報道の仕方に今の日韓関係の底流にある本質が出てきている。日本政府、日本人の在日朝鮮人を含む朝鮮韓国に対する恐怖と警戒を持ってきたのではないか。植民地支配への抵抗がかわかっているがゆえだ。チョグク問題は韓国朝鮮人認識とダブるもの。恐怖と警戒、理解不能、厄介という韓国朝鮮人に対して持ってきたイメージ。福沢諭吉の脱亜論によって朝鮮は遅れている、それに対する差別感、侮蔑感、優越意識。帝国意識と呼び換えてもいいかもしれない。そことダブってきている。そういう中で、ハンギェレ新聞などが日本語で出している。それを見るといろんな情報が出てきている。テレビも日本語に訳すプロジェクトもある。それを見てわかることもある。日本のメディアを諦めるということではないが..。

ムンジェイン政権は反日なのか。日本対する認識がそれほど強くなかったということだ。対日政策は優先順位としては後になってしまった。それは問題だ。対日政策は放りっぱなしと言う印象がある。『外交青書』を見ると、韓国に対してどのような眼差しを持っていたのかわかる。パククネ政権では共通の価値観を持ち重要な隣国だった。しかしその後「価値」がなくなる。安保上の重要な隣人に変わっていく。そこまでは保守政権に対する意識。パククネ氏は一回も日本に来ていない。保守であっても植民地支配に対する考え方は変わらない。

植民地認識についても日韓条約第2条をみるといい。それまでのすべての条約は無効であることを確認。1948年独立した後に無効になったと日本政府は解釈している。しかし韓国は韓国併合も無効であったと解釈している。解釈を違えている珍しい条約。つまり、日本政府は日韓は平等に結んだのだから、謝罪も反省もしないという立場。第3項についても双方の解釈が違う。そういうことがずっとここまで来ている。それが日韓条約の基本になっている。アメリカの強い介入でこの条約はできたが、韓国は不満を持っている。日本政府は植民地支配に対して悪いとも思っていない、反省もしない。援助をなんと言ったのか。かつて椎名大臣は独立のお祝い金だと言った。条文のどこにも書いていないが、そう言う言い方をしていた。

細川元首相は93年に植民地支配によって多くの人たちに苦しみを与えたという認識になった。村山政権もそう。小渕さんもそう。お詫びをいった。過去の植民地支配によって、多大の苦痛をあたえたことへのお詫び。日韓条約には欠陥があったので、補完としてなされたこと。菅政権の談話もそうだ。安倍談話はどうなのか。長い談話だが、日露戦争でアジアの人を勇気付けたと言っている。びっくり仰天だ。韓国を保護国にした。とんでもない発言をしている。こういう認識をしている政権とまともに向き合おうとするだろうか。安部政権自身の歴史修正主義的な本質だと思う。安部談話が出た時もメディアは強い反応はしなかった。中国に対する反省はあったので少しは中和されたのかもしれないが。2015年の慰安婦合意をムン政権はひっくり返したと言われているが、不思議な合意で、日韓の外相が共同記者発表したというもの。外相の共同記者会見に過ぎない。なぜこういう形式にしたのかわからない。河野談話を引き継いでいる。心からのお詫び入っている。ただ、これは最終的不可逆的に解決すると言っている。韓国側も言っている。本当にこれが謝罪になるのか。パククネ政権も責任があると思う。

キムデジュン政権は民主化を勝ち取って南北の融和も勝ち取った。ムンジェイン政権もその延長線上にある。南北両者は深い対立関係にある。そういう南北の和解をしていかないといけない。板門店でトランプ大統領とともに会談をした。東アジア地域の冷戦、朝鮮戦争以来の冷戦を終わらそうじゃないかという方針のもとにやってきた。サンフランシスコ講和条約のときに日米安保条約が結ばれた。冷戦に備えた条約だった。それが今まで来ている。その構造を大きく変えようとしている。平和と共存へと変容しなければならない。大きな変化の中に私たちは立っている。米ソの戦争は1979年に終わった。朝鮮半島においては長く冷戦が続いている。停戦にはなっているが、終戦になっていない。終戦にすべきだとムンジェインも言っている。安倍政権はどうだったのか。制裁を言い続けたが、いつの間にか変わった。トランプ政権がそういったから。もしここで、本当に戦争が終わるのなら、沖縄の米軍基地は必要なのか。そういったことに私たちの課題がある。この対立と分断を越えようとするムンジェイン政権に対して、あんなのはダメだという意見に反対です。超えていこうという方向で連帯することが必要ではないか。

かつて1960年代の韓国との国力の差は圧倒的だった。30倍ぐらいあったと言われている。2018年にはほぼ3倍ぐらい。一人当たりのGDPではほとんどわからないところに来ている。2030年ごろになると韓国が抜くかもしれないというところに来ている。150年ぐらいは軍事的にも経済的にも日本が強かった。今や日本の役割は小さくなっている。日本が衰退してきたということでもある。それが隣国に対する反韓感情嫌中感情に結びついているのではないか。それは本当に健康的なことではない。韓国、北朝鮮、中国との関係について、深く自覚しながら次の時代を切り開いていかなければならないと思う。続きを読む

韓日メディア教育交流会@ソウル(2019/11/29)

●釜山のトンウィイ大学でメディア教育を担当していた。韓国の日本との間でメディア教育交流の話をしたい。相互の理解をするために相互の状況の理解をしたい。本日この場を持ちましてお互い協力できること。協働で開催できること。深い議論をしたい。

●メディア財団で15年間働いている。近くて遠い隣国。お会いすることができて嬉しい。日本で行われているプログラムにどんなものがあるのか興味がある。

●お会いできて嬉しい。フェイクニュース、ヘイトスピーチに関する話をしたことがある。興味深い思っている。坂本の論文を見た。日韓両国でお互いに協力できることがあると思う。深く議論したい。

●ファクトチェックの資料を開発している。一般市民を対象とした教育をしたい。考えがまだ浅いので悩んでいるところ。日本で進められているものがあるか。どのように進めているのか聞きたい。一般市民、青少年、一般市民、高齢者。

●ファクトチェックは韓国でも重要。韓国政府、市民社会で重要な課題と考えている。政府と議会レベルではメディア環境の変化に伴って規制をしようとしている。しかし現実と合わないので是正したい。重点を置いているのは別のところ。二つある。一つはメディアリテラシー教育。視聴者メディア財団のセンターがある。基本教育を行っている。学校教育と社会、メディア教育というカリキュラムを作った。教材とテキスト、カリキュラム、教員研修をやった。来年予定しているものがある。高い水準のファクトチェック。フェイクニュースとヘイトスピーチは非常に危険。どのように市民は対応すべきか。それは基本教育。それだけでは十分ではない。韓国社会でフェイクニュースとヘイトスピーチに実質的な変化を起こすのには足りない。
 それを実現できる高い水準の教育の支援を計画している。専門的な法律知識、モニタリング、フェイクニュースの確認に興味のある市民を対象にそのような教育をやりたい。市民実践活動につながる環境につながる教育を構想している。二つについて話したが、基本教育、カリキュラムを作って先生の力を高めることはやったことがあるが、二つ目は模索しているところ。学校メディア教育の日本の経験を学びたい。相互交流を進めたい。自分の声を出して実践したい、イベントやキャンペーンなど実践的な活動。来年以降やりたい。
 交流して共同してできるプログラムがあればと思っている。交流したい思っていることだが、韓国社会特有のヘイストピーチがある。両国の事情にあう共同交流活動をやりたい。韓国人の中には日本に友好感情を持っている人もいるが、反日感情を持っている人もいる。韓国人が持っている反日感情は歴史的なことから起因するが事実に基づいていない反民主的なヘイトスピーチについては考える必要がある。日本での嫌韓の人たちの持っている情緒や感情を合理的に考えながら、フェイクニュースや反人権的な表現を正していきたい。
 一般的な交流できるものについてはリサーチをやりたい。それをもとに反日感情、嫌韓感情についてもメディアリテラシーを研究する上で、解決方法を中長期的な計画を立てたい。実践的なことからやっていきたい。海外に発信したい。来年のグローバルMILウィークでも発表したい。
 我々日本と韓国には3つ共通点がある。まず、相互理解を深める交流を重視していることだ。来年9月に法政大学で開催されるフォーラム、10月にソウルで開催されるグローバルMILウィーク。私はぜひ日本に行って話したい。メディア教育の現状、メリットとデメリットを話したい。日本の現状を理解した上で韓国に広く広めたい。9月と10月の2回の交流を通して交流の枠組みを作りたい。9月と10月の日韓交流だが、グローバルMILウィークは国際会議なので、世界の人々に知らせるいいチャンスになると思う。
 2つ目はリサーチ。機会をよく活用しながら進めたい。アメリカを加えた三国間の共同研究をやりたい。良い場になると思う。韓国は反日のフェイクニュースを調査したい。そして日本の嫌韓のフェイクニュースを調査項目を入れる。アメリカは差別問題を調査項目に入れれば良い。2番目の基本的な調査項目はできるだろう。確定事項ではないが、視聴者メディア財団でも比較研究をやりたい。そしてさらに日中、東南アジアの相互理解を深めたい。
 学者同士、両国の間の調査研究、そしてもう一つは共感ということ。基本的な教育を今年やった。来年はもっと高いレベルの教育をやりたい。基本教育とは青少年のフェイクニュース、ヘイトスピーチについての教育。両国同士でどこかで会って、議論できる場を設けることは重要。子どもや青年たちが直接共感できる場を作る企画を作りたい。
 来年または2年後にはそのような直接交流をしたい。青少年同士が会って議論する場は大事。韓国では60のメディアセンターが教育をしている。学校を対象にしているメディア教育は政府の教育部が担当している。それにプラスして社会教育もある。60のセンター以外にも教育庁や市民がメディア教育をやっている。韓国の図書館でもメディア教育を持ち始めた。図書館もメディア教育に重点を置くようにしたい。
 韓国では2010年から国語を中心に、社会や美術の中に入れてやっている。2017、2018年に除外されるようになった。今は基本的な教育は教科以外でやっている。理論中心だ。中学生は自由学期制がある。学校以外の教育をやっているものとしては、視聴者メディア財団で300ほどのクラスを持っている。他の団体も同じようにやっている。1000校から1500校ぐらいある。
 どうして韓国の政府関係者はメディア教育に力を入れているのか。独裁が長かった。経済的な成長が進むにつれて政治的な発展が進められた。市民の力があった。市民の力が大きな軸になった。独裁をやっていた政府寄りのメディアを正す活動を自らやるようになった。それをもとに政治を変化させてきた。メディアも体制を変えてきた。そして市民は韓国の教育プログラムの中に正しいメディア教育をやるように圧力をかけた。
 独裁から民主的な政府になり、教育課程にメディア教育を入れることができた。メディア教育の制度を体系化できた。民主的な市民を育てていくリテラシーの一環としてカキュラムの中に入れた。選挙によって権威的な政権に変わってもすぐにそれをやめてしまうことはできない。ただし、性格を変えてしまう。保守的なものに変えてしまう。政府寄りのものにしていく。それに対して市民が抵抗する。市民が抵抗して民主的な政府になると積極的にメディア教育を活性化できる。メディア教育が正規の科目になっていたが、保守政権が変えてしまった。しかし民主的な政権になるとそれをまた変える。
 個人的な考え方として韓国社会が民主主義の経験をしている。そういうことを覚えている人も多い。民主的な教育を受けた人も多い。昔は閉鎖的だったが、今は誰もがスマート・メディアを持っている。民主主義を維持して発展させれば、経済的にも文化的にも好ましいことがわかった。元に戻すことは難しいと思う。量的にも質的もに波に乗ったという状況だ。

●市民関連団体の人が集まってメディア教育活性化支援法を成立させる運動をしている。来年には成立させたい。法案は二つ。もう一つはメディア教育支援法。本質は同じだが、方法と体系が少し違う。メディア教育を定義すること。必ずやらなければならないことを法律として定める。これで3回目だ。来年には成立させたい。残念ながら、かつての教育教育基本法は成立できなかった。野党は重要な法案も盛り込んだが、与党はやらなかった。今は逆転している。市民を教育して自覚させること。与党と野党が合意して成立させることは可能だ。来年総選挙がある。その法案が現実になる可能性が高い。

シンポジウム「デジタル時代のシティズンシップ教育」

2019年11月9日 シンポジウム「デジタル時代のシティズンシップ教育」

小玉重夫

 政治に参加するということが市民の基本要素そこから転じてアマチュアであること。官僚と学者とかに任せるというやり方もあるが、民主主義はそういう前提を取らない。自分たちが決定する。つまり専門家ではないアマチュアという意味を含む。高等学校までの数学は数学の専門家になるためだけにやるわけではない。ほぼすべてが専門家になることを前提にしない。本来はシティズンシップの育成に関わっているはず。しかし日本はそうなっていない。
 戦後の高度成長期までの日本は、点数で学力が決まる。学力選抜のシグナルである。実体的なスキルを求めてこなかった。卒業してからやればよかった。学校では何者かになることを期待されていなかった。色に染まっていない状態で社会に出る。どれだけの可能性があるかというシグナルを提供すればよかった。偏差値や学歴が大きな意味を持っていた。年功序列ともリンクした。実際に社会と結びつくことが高大接続改革。今揺れ動いているのが新学習指導要領に対応したテストの実施。本質的には学力の戦後体制の改革。幅広い判断思考能力が求められている。
 なぜシティズンシップ教育が必要なのかということも大きな枠組みの展開の中で考える必要がある。カリキュラムイノベーションもその一環。アカデミズムの知の体系をおろすのではなく、社会的レリバンスを持ったものになっていかなくてはならない。
 デジタル・シティズンシップを小中高校のどこでやるのかこれから問題になってくる。文科省は通達を出した。現実の具体的な政治的事象を取り扱うことが重要。1969年通達では留意する必要があるという内容だった。学生運動の影響があった。2015年通達では自らの判断で権利を行使することができるよう、具体的かつ実践的な指導を行うことが重要となった。長野県松本市の高校生の投票率は53.34%だった。参院選で27.71パーセットに下落した。しかし18歳の高校3年生だけに限定するとそんなに投票率が低いわけではない。高校の投票率が下がるのは大学に問題がある。
 日本の高校生は政治意識が高い。秋田県で生徒会の役員を集めて研修会をやった。イージスアショアの県内配備をめぐって議論させた。配置する必要があるかないか、緊張緩和を中心に議論したらいいのではないかというグループもあった。日本の高校生も実際に議論するといろんなことを言うようになる。大人はすぐに憲法といえば9条の議論になってしまうが、24条の改正をめぐる議論を争点にすべきだと高校生は主張する。投票率も含めて高校生が考えていることをポジティブな方向で使って行く必要性がある。
 大学の中では学問の知の生産を問い直す必要がある。中高校が地の生産の一翼を担う必要がある。今度の学習指導要領では総合的探究の時間に名称が変わる。そういう中で高大接続改革が進んでいる。上下関係を転換させていく。アカデミズムの研究につなげていく。既存の知を問い直していくことが重要ではないか。情報やデジタルもど真ん中のテーマ。大学の既存の学問の中に閉じ込められてしまっている。組み替えないとポテンシャルが解放されない。知を生産するものと受け取るものと固定化されてしまうと、人々を愚鈍化するだけ。主体性や自律性につながっていかない。探究する側の自立性を回復していく必要性。従来型の高大接続を転換させる必要がある。
 立教大学と香蘭女学校の高大連携プログラムで一緒に議論している。宇野常寛の意見では、一見グローバル化しているようだが、実際には閉じた村社会が形成されているという。村社会にいない人をひたすら叩くために存在している。それを宇野さんは「速いね、インターネット」といい、ゆっくりした速度で交流することを提案している。高大連携ともつながる。
 坂本先生の話を聞いて思ったのは、道徳教育の古い形を情報モラルに当てはめてしまうと、情報モラルを生徒に伝えるスタイルになってしまう。情報モラルが情報セキュリティの狭いものになってしまう。大学でも教員に研修がある。正解が分かっているテストと実際に使っていることとは違う。本音と建前になってしまう。だんだん愚かになっていく。毎年続けていくと市民性が奪われていく。デジタルメディアと市民との対等な関係の中で、アマチュア性を前提に専門性を批判的に問い直していく。情報モラルとデジタル・シティズンシップとの大きな違いだと思う。デジタル空間を批評の対象と見ていく。それは政治の問題ともつながっていく。
 香港の学生運動のリーダーのアグネスさんは日本のオタク文化から大きな影響を受けている。日本のアイドルをデジタル環境の中で享受しているが、愚鈍化サザているのではなく批判的に享受している。政治的な環境になれば政治的なリーダーになる。愚鈍化されない知性の例だと言える。日本の高校生でも十分可能。情報モラルからデジタル・シティズンシップへというカテゴリーの転換はとても重要。

芳賀高洋

 いわゆる「情報モラル」。日常モラルと区別はない。デジタルなシティズンシップとアナログなシティズンシップを区別すべきではない。二項対立は不毛な議論になりかねない。デジタルな特別なシティズンシップがあるわけではない。コンピュータに詳しい人の専門教育と受け取られるのは残念。もったいない。普遍教育だと思う。情報やデジタルはそれこそ市民権を得ていないのが実態。関心はデジタルネットワーク。ネットワークがあることが重要。デジタルじゃなくて「ディジタル」の方がいい。
 80年代に情報モラルという言葉が登場した。当時は先見の明があった。アメリカは計算機倫理だった。日本は初等中等限定用語だった。今となっては時代に合わないのでは。道徳教育的な情報モラルの問題点。心情主義、形式主義。読み物を読んで心情を確認する。共感を求める。最終的に勇気のなかったAさんの努力が必要という話になる。学校から見ていい子が求められる。ネットの感情的不寛容の原因ではないか。情報モラルのケーススタディ。感情移入できるかどうか芳賀重要。子どもが失敗するのが一般的。大変なことになる。恐怖が山場。触らぬ神に祟りなしになる。抑止力になる可能性がないわけではないが、実際の場面ではフリーズしてしまう。
 個人情報と著作権教育は典型的な情報モラル教育。特徴がある。作文の宿題が出ました。こっそり他の生徒の作品を読んでそっくりの作文を書きました。著作権を教える教材だが、これは著作権の問題ではない。問われているのはこっそり読んで提出してしまったというモラルの話になっている。また著作者人格権の問題でもある。小学校低学年には教えることが難しい。結局著作権を学んでいない。
 イラストの作者からホームページのイラストの使用料を取ろうとする事例。他人の著作物を使ってはいけないという結論になる。これは情報モラルの最大の欠点。するべからずの教育。警察への丸投げ。いわゆる情報モラルからいわゆるデジタル・シティズンシップを提案したい。そして、シティズンシップ教育としてクリエイティビティな教育への転換をいいたい。

今度珠美

 現行の情報モラル教育にはさまざまな課題がある。倫理学や心理学、メディア・リテラシーなどの学術的視点から捉えて検討してきた。日本の現場での実現の可能性を考えたい。国際工学教育学会でのデジタル・シティズンシップの概念。リブルのハンドブックの9要素。デジタルフルーエンシーの中にメディア・リテラシーや情報評価能力が含まれている。主体的で積極的で安全に責任を持った能力を育成する。教師は学習者中心、グローバルであることを示す。
 コモンセンスエデュケーション財団の教材。アメリカの最初のカリキュラム教材だと思う。とても良くできている。デジタルジレンマの視点から作成。日本の情報モラルにはない視点がわかる。中核的な5つの資質がある。落ち着いて内省する、事実と根拠を探す、可能な行動方針を想定する、行動を起こす。シンプルだけどわかりやすい。行動中の思考ルーチンは、感じる、特定する、反映する、制定する。スローダウンして一時停止して考えることを奨励している。思考ルーチンを利用して慎重に選択して検討すること。ネットニュースの見方も含まれている。ヘイトスピーチも含まれている。市民のコミュニケーターはネット上の社会的な活動が取り上げられる。良き市民になること。日本ではこうしたテーマの教材を作ると間違いなく止められてしまう。
 情報モラルの定義は「情報社会で適正な活動を行うための基になる考え方と態度」。今まで引き継がれている。日常のモラルと仕組みの理解に分けることができる。情報モラルでは、日常モラルを育てる、仕組みを理解する、日常モラルと仕組みの組み合わせを扱う。デジタル・シティズンシップは知的創造を阻害することなく、責任を持った行動ができるように柔軟に構成されている。悪い特性や悪い結果を強調していない。個人の安全な利用のためだけではなく、人権き民主主義のための市民となることが強調されている。実現するための5つの要件。デジタル・シティズンシップをモデルにした新たな情報モラル教育を提示したい。利用制限を課す方法では問題の解決には繋がらない。
 コモンセンスエデュケーション教材の特徴。7年生用の「私のソーシャル・メディア生活」では子どもたちがさまざまジレンマを踏まえてディスカッションを行う。思考のルーチンを踏まえる。情報モラルをメディアリテラシーの一部と位置づけてデジタル・シティズンシップをモデルにしたカリキュラムを検討する。ICTの利活用から恩恵を受けられるよういくつかの視点を踏まえて提案する。ヘイトスピーチやインターネット上の社会活動など新しい情報社会に即したテーマも扱う。

豊福晋平

 日本の情報教育が扱えていないこと。日本ではパブリックな空間での利用がない。子どもが一人一台を持つようになると、知的な生産活動や日常利用が重要。毎日使うようになると子どもに知恵をつけないといけない。最底辺のレベルなのに危機感がない。学習者のスキルの格差が大きい。学校からの排除から日常へ。活用を前提としたカリキュラムがない。コモンセンス・エデュケーションの紹介。幼稚園から高校3年まで32本ある。
 教材の特徴は一つはデジタルコミュニケーションの積極的道具的社会的意義を認めている。小学生のうちから意識されている。学習者の自律と課題解決を促すこと。子どもたちが直面するデジタルジレンマの共感と真正の問いがあること。実態に即した幅広い年齢層に対応していること。情報モラル教材と比較して何が足りないのか、どうすればいいのか考えてほしい。日本の教育情報化は世界最底辺レベルなのに危機感がない。ICTの日常活用を前提としたカリキュラムや運用が必要。

木村真冬

 スマホは持ってきていいことになっている。しかし校内では電源を切って預けることになっている。SNSがらみの友達トラブルが多くなっている。絶対やってはダメという指導になってしまう。保護者の意識もいろいろ。野放しの家庭も多い。一方で学校現場では個人情報保護の観点が強い。何をやったらいいのかわからないのでプレッシャーがかかる。ICT活用の圧力もかかる。メンテナンスは誰がやるのか民主主義の基礎という視点は不十分。中学校の間では練習をしようという発想。
 一人一台を将来的に実現しようとしている。調べる、表現する、思考を深める、記録して振り返るなどで活用。足りないところがたくさんある。附属小学校では,シティズンシップや哲学の授業をやっている。デジタル・シティズンシップも小中からやらないといけない。シティズンシップやてつがくをやってきた子どもたちは自分の意見を言うことが大好き。根拠なき自信と私たちは呼んでいる。話し合ったり自分で考えたりする主体的な姿勢。小学校からやるのは大事だと思う。自主研究の追究、協働的に課題を解決するものとしてコミュニケーションデザイン科を総合的な学習としてやっている。このやり方がデジタル・シティズンシップを取り入れることが可能ではないか。
 総合的な学習のように教科をまとめたもの。効果的なコミュニケーションを創出する能力と態度を育てる。論理・発想領域では思考の基礎操作、トゥールミンの論理モデルを使ったりする。ESDやSDGsの内容も取り入れる。グラフにご注意という授業やKJ法、ガンチャートなど。クリティカルシンキングの指導もある。道徳の時間をもらってやることも。
 対話・協働ではアサーションやホワイトボードの活用、ワールドカフェなど。3年生になると揉めてしまった時に第三者が入って調停する学習。伝達・発信では掲示板の作成、ポスター作りなどを学ぶ。修学旅行に行きたくなるポスター。この中で情報モラルや検索の仕方、新聞記事の読み解き方などをやっている。図書室との連携がとても大事。司書の先生が本で探したり、ネットで探す良さを教える。参考文献を書く意味の学習。
 次に生かしていくのにはどうしたらいいのか。ワークショップ型の授業をしている。全教科体制でカリキュラムを作っている。いろんなところでちょこちょこやっている。多様性と出会おうならば障害者へのインタビュー、そのあとディベート、発表会を開く。東北の修学旅行も活用。1年生は基礎を多くして、2年生からテーマ学習やプロジェクト学習。全員の教員が関わってカリキュラムを作っている。今日の話を伺って、本当に社会参画に至っているのか。カリキュラム全体で取り組みたい。

河合知成

 これをやったら危ないですと言ったことに注意が向けられている。情報の教科書を見てもこれをすれば痛い目にあいますよというものが多い。シティズンシップが日本ではどう扱われているのか。現場でどう感じるのか。海外に行った時にどうシティズンシップが存在し、日本に帰ってきたときにどう感じるか。生意気な生徒がいっぱいいる学校として有名だが、生意気な生徒を育てることを目的としている学校。生意気な態度をとることを涵養してきた。あなたが何者かを問うこと。子どもに言わない、考えさせない。できるだけ生徒に提示する。シティズンシップだが、私立の中高一貫ではない高校だけの学校。公立からくるので、どう「調教」されているのかがわかる。学校という場が支配と服従の場になっている。体育の中で教練をやっている。思考を停止されてしまった子どもたちがやってくる。もともと力がある子どもは自分で気づく。シティズンシップを体得していく。でもそれは一部。中間的これから伸びようとしている子どもにとっては考えさせないことが大きな問題。
 iPadを買ってくださいと入学時に行っている。情報伝達ツールを抜きにして世界の知に繋がらないことはあり得ない。本だけでは無理。ありえない。持ってきてくださいと言ってもWiFiにつながればいいというとびっくりさせる。やってはいけませんなんて言ってもしょうがない。1993年に学校に勤め始めた。ポケベルが流行っていた。このころに携帯電話が出た時、担任した時、急いで買いなさいと言った。大勢の人に嫌われたが,それを言えた。そこに存在するリスクとの乖離があり、ある程度言える風土がある。プロジェクターにはAppleTVがあり、どの時間でも生徒がのっとることができる。
 生徒が乗っ取ってグラフを出してくれたり、写真を表示できる。そこに規制を設けていない。それでもいまなお綺麗なところだけを切り取って話している。
監視できないとかいう精神状態になることもある。ほっておくとなんとかマネージャーを入れて一斉に動くほうがいいという人もいる。到達させないといけないという義務感があるからそういうことになる。シティズンシップの土台がなければいけない。対等な人間としてあなたならどうするのかと問う。高校生の遠い話題をする必要はない。日常に起こるリアルな現象に対してシティズンとして考えることが大事。道徳に隠されている考えないことを刷り込むことをやめなければシティズンはない。日本の人たちの精神構造にある支配と服従の構造があるかぎり実現はしない。この意見があとのディスカッションに役立つといいと思う。

小栗秀樹

 昨年度から文科省に勤めているが、それまでは教員をやっていた。行政の役割を果たさなければならない。学習指導要領から。情報活用能力をどう育成するのか。公共の学習指導要領の解説。こんな学習をしてはどうかという事例の一つ。「公共」の中に情報の出典や発信者の立場や真偽の判断が書かれている。
 主体的で対話的で深い学びの視点から何を学ぶか。必要な情報を取っていく。だんだんと体験を落として情報リテラシーが形成できるのてはないか。カリキュラムマネジメント。PDCAサイクルを確立する。複数の教科の連携を図っていくこと。ビジョンの共有が大事。情報科の先生と解説を書く時に何度もやりとりした。パーシャルな連携も効果的。教科がないのでそういう取り組みが必要。できれば校種を超える。バトンを受け渡す。問題意識を共有したい。
 人の役に立つ人間になりたいかという質問に対して、95%の子どもがイエスと答えている。私の参加により変えて欲しい社会現象が少し変えられるかもしれないという質問に対しては少し他の国よりも少ない。このギャップはとても悲しい。送り手と受け手の両方に関わること。情報教育によって、このギャップを埋めることができるのではないか。

シンポジウム「デジタル時代の知性とは」

日本NIE学会鳴門大会第1日目
企画委員会分科会(2019.10.19)
シンポジウム「デジタル時代の知性とは」

伊藤広路(読売新聞)カメラマン四国担当

スマホの普及に従ってカメラの機能も向上した。写真そのものの表現方法はあまり変わっていない。3つの切り抜きから。長時間露光の写真と籠松明の写真の比較。何が議論になるか。こんな画面は見られるのか。絶対にあり得ない。実際に見られるのは長時間露光ではない写真。こちらを使わないと真実の報道にならないという議論がある。しかし、一場面だけを切り取って時間流れを表現しようとすると長時間露光のほうがいいという議論もある。写真表現としてどういうことが行われているか伝えるために数え切れないぐらいのカメラマンが工夫している。

写真は本当に真実を写しているのか。伝える目的としては長時間露光のほうがいいという意見が大きい。フィルムではできなかったことをデジタルではできる技術もある。多重露光。一枚の写真を比較明合成(コンポジット)でできる。80枚の写真を重ねて作る。光る部分だけを重ねる方法。その写真をどうやって撮ったのかを書き添えることが大事。7分間露光と書くこと。私の写真も30秒露光で撮影した60枚を合成と書いている。

新聞写真の使い方。こういった加工がスマホでできてしまう。いろんな人が目にするときにそれが真実かと疑ってかからなければならない。インタビュー、調べ、現場に行く。こういったことをする。正しいかどうか。どこまで追求できるのか。プロとの違いはそこにある。正しいことを伝えられるように気をつけようと授業では話している。デジタル情報の中でデマがでてくる。ちょっと写真を知っていればすぐにおかしいことがわかる。そういうところに目が行かないで共有してしまう。騙される、加害者にもなる。こういったところに気をつけてほしい。

授業では一枚の写真から何を読み取れるか、考えさせている。写真の価値を見せている。新聞は事実を伝えている、70パーセントが肯定的に答えている。新聞のデメリットもある。インターネットを利用している方の中で44パーセントは偽情報を信じたことがあると答えている(18-29歳)。続きを読む
Archives
「最新トラックバック」は提供を終了しました。
Recent Comments
the Number of vsitors
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

  • ライブドアブログ