国連「文明の同盟」『世界のメディア教育政策-ビジョン、プログラム、挑戦』(2009)の序文訳です。
"Mapping Media Education Policies in the World:Visions, Programmes and Challenges"
http://www.aocmedialiteracy.org/
"Mapping Media Education Policies in the World:Visions, Programmes and Challenges"
http://www.aocmedialiteracy.org/
序文
マーク・ショイアー
国連「文明の同盟」ディレクター
世界中の教育関係者は20年以上にわたって、メディア教育とメディア・リテラシーの重要性を主張してきた。しかし、ほとんどの国では教育政策に携わる人々がメディア・リテラシーの重要性に気づき始めたのはごく最近のことである。
文明の同盟は、世界中の学校のカリキュラムにメディア教育とメディア・リテラシーを導入しようとする活動を活性化させたいという思いから、ユネスコやグルポ・コミニカル(Grupo Comunicar)、そのほか多くの協力を得て、本書を公開した。
本序文は、私たちがなぜこれが重要であり、かつ緊急性を持っていると考えるか、その理由を詳しく説明する場ではない。しかし、本書にはグローバルな視点からこの問題に取り組んで書かれた論文が収録されている。読者の皆さんにはぜひ読んでいただきたいと思う。
簡単に言えば、私は次のような考え方を推し進めたいと考えている。メディア飽和社会とも言うべき私たちの社会では、とりわけ若い人々やより広く社会全体にとってもメディア・リテラシーは批判的思考力を身につけるための欠くことのできない道具だということである。
さらに、メディア教育およびメディア・リテラシーをすべての普遍的人権と関連づけるところまで論じているものもある。政治的、経済的、イデオロギー的な利害がぶつかり合う、時に挑戦的であったり、混迷したり、あるいは対立することもあるメディア状況の中で、すべての年代の市民は、積極的な市民参加だけではなく、よりよく生きることを可能にし、それを確かなものにするための新しい道具が必要なのである。
真に民主的な政治制度は市民の積極的な参加による。積極的であるだけではなく、もっとも重要なのは、情報を持った市民であることである。メディア・リテラシーは、時にあふれんばかりとなる日常メディアの情報の渦や、とりわけ新しいメディアやコミュニケーション技術によって広められる情報を理解するスキルを市民が身につけるための新しい道具の一つである。こうしたメディアの力は、伝統的な価値を生活や社会、文化の理解のしかたを現代的なものへと変えつつ、それら自身を再形成している。
私たちは、制度化されたメディアが社会生活の中に記号を流通させる中心的発生装置であるならば、日常生活の複雑性を理解するための記号の源と道具をもたらすことのできる力は、メディアのある種の重要な特性であるという考え方を支持する。今日の世界では、市民、あらゆる世代に属する多様な個人は、新しいメディアによって生み出される記号世界をより知的でより感情的に理解できる分析スキルを身につける必要がある。
基本的な『伝統的リテラシー』(読み書き計算)がなければ、人は社会の発展に参加したり、自分たちの社会に市民として関わることができないという問題に直面するだろう。新しい電子メディアの到来とともに、基礎教育は今や新しいスキルと新しい教育的な考え方を導入しなければならない。つまりメディア・リテラシーである。
この考え方によれば、メディア・リテラシーは単なる一つの考え方ではなく、必要性なのである。それは、人間が今日の世界で洞察力を持った市民として十分に生きることができる存在になるための踏み石なのである。国家の政策に関わる人々にとって、この新しいパラダイムに気がつき、私たちの情報社会から生じつつある新しい挑戦を自覚することは、実際のところ何にもまして必要なことである。今日、おそよ人類のたった6分の1の人数しかインターネットにアクセスできないのは事実であるが、一方、携帯電話や無線LAN、衛星電話などの新しい技術が一点に向かって進むスピードは、この惑星のあらゆる社会にメディア・リテラシー教育が必要だということを示している。
文明の同盟は、メディア教育の発展の必要性に認識し、その支援のためのイニシアティブを取っている。メディア・リテラシーは同盟が培ってきた最初の教育イニシアティブの一つのテーマであり、メディア教育は暴力的な文化や宗教的対立を助長するメディア・メッセージに直面した人々に、批判的(クリティカル)な態度を取ることを可能にするための基本的な道具だと考えている。
「メディア・リテラシーを身につけた」人間は、文化的に過激なメディア・メッセージの影響を受けにくいことは、有識者の共通理解である。さらに、本書では、メディア・リテラシー・データベースやメディア・リテラシーと異文化対話のためのユネスコ-文明の同盟職を設置するなど、グローバルなメディア・リテラシー教育の発展を進める取り組みも紹介している。世界各地でメディア教育プログラムを推進している教育政策関係者や研究者、教育実践者に、本書がよきガイドブックとなれば幸いである。
序文
アブドゥル・ウォヘード・カーン
コミュニケーションと情報委員会副議長
ユネスコ
メディア教育は、批判的な知識と分析の道具を与えてくれるものである。視聴者はその道具によって、自立した理性ある市民となり、メディアを情報活用のために使うことができるようになる。メディア教育、それは市民教育の重要な一部であり、それによって人々は権利と義務を十分理解し、かつ自覚した責任ある市民となることができる。本書は単なるメディア教育の定義を超えて、世界的な規模のメディア教育プログラムに必要な制度的、法的な環境を検討するものである。
過去26年にわたって、ユネスコはメディア・リテラシーを強化するための活動に関わってきた。部分的にではあるが、1982年のグルンバルト宣言の枠組みにも関わった。この宣言は市民が「コミュニケーションという現象」を批判的に理解し、市民のメディアへの参加を推し進める政治的・教育的制度の必要性を認めるものであった。グルンバルト宣言は、メディア教育についての12の提案を含むユネスコパリアジェンダの土台となった。ユネスコは、メディア教育の推進戦略に基づき、すべての教育段階、すなわち小中学校から生涯学習の段階および教職員研修にいたるまで、メディア教育の重要性を鑑みて意識の向上を図るとともに、ガイドラインを策定し、カリキュラム開発のための政策を推進してきた。
発展途上国でも教育学習過程にメディア教育を取り入れるために教員研修が必要であることから、ユネスコは2008年に教員研修強化プロジェクトを立ち上げた。このプロジェクトには、メディア・リテラシーと情報リテラシーという知識社会の二つのコンセプト一つの教科に統合した初めてのモデルカリキュラム開発が含まれており、教員研修カリキュラムにおけるメディア情報リテラシーの統合を推し進めようとするものであった。
ICTの急速な発展と新旧のメディアが一つに結びついていった結果、メディア情報リテラシーは一つのものであり、メディアの性質や利用されている技術にかかわらず、あらゆるメディアの形態に対応させる必要がある。
さらにいえば、いかなるメディア教育プログラムでも、その導入を成功させるためには、自由で多元的で独立したメディアを育成する環境を適切に実現することが前提となる。メディアの多元性と独立性は、社会の中や社会を超えて、さまざまな言語でなされ、さまざまな集団を代表した多様な意見や思想の表現を可能にする。
人間の発達や平和、民主主義に対して、メディアが影響を持つようになれば、、多様性や寛容性、透明性、平等、対話を認める社会の運営がメディア教育を通してますます促進されていくことだろう。また、メディア教育を政府や地域レベル、さらには世界的な開発計画に組み入れていくためには、慎重かつ目的のある政策形態が求められる。
本書は世界人権宣言第19条にはっきりと立ち返らせるものである。「すべて人は、意見及び表現の自由を享有する権利を有する。この権利は、干渉を受けることなく自己の意見をもつ自由並びにあらゆる手段により、また、国境を越えると否とにかかわりなく、情報及び思想を求め、受 け、及び伝える自由を含む。」
ユネスコと国連文明の同盟は、メディア教育は世界中の人々がこの基本的人権のすべての恩恵を享受する力を持つために欠かせないものだと考える。メディア教育は、発展した経済もしくは発展し始めたばかりの経済や発展途上にある経済における開発政策テーマを考える際の重要な要素の一つとして次第に認識されるようになった。『メディア教育政策世界地図』は、この重要な時に公表されることとなった。
メディア教育を制度として導入する必要性を指摘したり支援する政策や規制の枠組みに関心が集まりつつある。このような良い方向に向かっていることを示すめざましい展開が数多く見られる。ヨーロッパのような地域全体はもちろんのこと、ますます多くの国でメディア教育はいかなる社会にとっても重要であり、「義務教育の構成要素としてのメディア教育」はあらゆる学校段階の教職員研修に取り入れられるべきだと考えられている。
それでもなお、多くの国では遅れたままである。本書は、メディアやコミュニケーションの専門家、教職員、研究者、政策に関わる政治家や行政担当者に一つの答えを提供するものである。本書では、メディア教育を3つの相互に関係のある観点から検討している。第一に、国、地域、世界の観点からのメディア教育。第二に、市民と市民参加に対するメディア教育の価値とこの価値を測定する方法、そしてメディア教育の実践過程における政府や市民社会、民間セクター間の協働が果たす重要な役割。ユネスコは、読者が本書で提示されている情報や知識を知り、これらの知識を専門家によって広く普及させるよう行動を起こすことを期待している。
読者は、変化を起こす触媒となることができる。そしてはっきりとした目的を持ったメディア教育プログラムはこの変化の一助となりうる。
私は、文明の同盟が最初の一歩として本書を出版したことを喜びたい。そしてこの知的な冒険を成し遂げた著者の皆さんにお礼を申し上げたい。ユネスコは喜んで国連文明の同盟やメディア教育の普及活動に大きく貢献しているパートナーと手を携えたい。
序文
メディア・リテラシーに対するヨーロッパからのアプローチ
インクルーシブな知識社会に向けて
アビバ・シルバー
「メディア・プログラムとメディア・リテラシー」連合会長
DG情報社会とメディア
欧州委員会
約50年前、6つのヨーロッパの国(ベルギー、フランス、西ドイツ、イタリア、ルクセンブルク、オランダ)は、欧州経済共同体を作り、ローマ条約1)に調印した。そのコンセプトは人、商品、サービスが自由に国境を超えて行き来するというものであった。しかし、実際の関心はヨーロッパの国と人々を一つにするという点にあった。我々は、決してEUの歴史的ルーツが大きな悲劇の中にあることを忘れてはならない。つまり第二次世界大戦である。ヨーロッパの人々は、あのような殺戮と破壊が再び起ることを防ぐためなら何でもすると決めたのである。
現在、EUはもっともヨーロッパの西にあるポルトガルから新しい参加国であるルーマニアとブルガリア、北極圏から地中海岸まで27の国が加入している。ヨーロッパには数多くの言語や文化、伝統があり、約5億の人が住んでいるが、同時に民主主義や自由、そして社会正義という価値を強く共有している。EUは民族や性、思想信条によるいかなる差別にも反対する。EUは、国際的な協調関係の中で、自らの成功に貢献してきたこれらの価値観を打ち出している。EUの繁栄は、ある地域の協同の形態から成長を始め、民主主義や人権、市民の力の向上への政治的な深い関わりと密接に結びつきながら進んでいった。
いま、私たちは前例のない技術革命を目の当たりにしている。「富」の意味は、知識と情報の所有へ移った。この技術変化によって、事実上、誰でも単なるメディア・コンテンツの消費者ではなく、制作者にもなりうるのである。メディアは、ますます強力な経済的社会的な力となった。そしてヨーロッパの市民にとっては、自分たちが住み、地域の民主的な生活に参加することを可能にする社会をより理解するために利用することができる道具である。
このようにして、2000年3月のリスボン・ヨーロッパ会議(2)では、政府首脳たちはヨーロッパのために野心的な目標を立てた。すなわち、より競争的な知識経済へ、そしてよりインクルーシブな知識社会への移行である。より高いレベルのメディア・リテラシーは間違いなく私たちの社会がこの野心的な目標を達成するのに役立つだろう。
「メディア・リテラシー」は、メディアにアクセスし、理解し、その内容を批判的に評価し、そして多様な状況のもとでコミュニケーションを作り出す能力として定義できるだろう。この定義はさまざまな人々(公共組織、メディア関係者、教職員)の仕事の結果であり、そこには3つの要素が含まれている。
1)メディアとメディア・コンテンツへのアクセス
2)批判的(クリティカル)アプローチ、メディア・メッセージを読み解く能力、メディアが機能する方法への意識化
3)創造力、コミュニケーションと制作スキル
メディア・リテラシーは、テレビ、映画、ラジオ、そして録音された音楽、印刷物、インターネットなど新しいデジタル・コミュニケーション技術を含む「すべてのメディア」に関係するものである。
メディア・リテラシーは、今日の情報社会における「活動的市民」のためのきわめて重要な要素であり、リテラシーが20世紀初頭においてそうであったように、現実的な鍵となる前提条件である。それは、若い世代にとってだけでなく、大人(高齢者、親、教職員、メディア関係者)にとっても基本的なスキルである。メディア技術の進化と流通経路としてのインターネットの存在によって、ますます多くのヨーロッパの人々はいまや画像や情報、コンテンツを制作し、それを広めることができるようになった。この観点から見れば、メディア・リテラシーは、市民の責任能力を高めることのできる重要な道具の1つとして見ることができる。
メディア・リテラシーは、「ヨーロッパの視聴覚文化遺産と文化的アイデンティティ」に関連がある。音響映像ソフト生産の分野は、私たちの文化的政治的な価値を表現するための主要な道具である。それは、ヨーロッパ市民の在り方や文化が進むべき道であり、ヨーロッパのアイデンティティを構築する上で大きな役割を演ずる。また、メディア・リテラシーを身につけた人々は、視聴覚コンテンツの市場に関しては、より情報に基づいた選択ができるようになるだろう。したがって、市民はより高いレベルの自由を有する。なぜならば、市民は自分たちが見たいものを選ぶ道具を持つであろうし、自分の選択の意味するものをより深く評価できるようになると考えられるからである。最後に、メディア・リテラシーを身につけた人々は、有害で攻撃的もしくは望ましくない情報から自分自身や家族を守ることができるだろう。
メディア・リテラシーは、また市民がメディアを効果的に活用するスキルや知識、理解とも関係している。市民は、情報の消費者と生産者を理解するための批判的(クリティカル)思考と「問題解決スキル」を身につけることによって、大きな力を得るに違いない。
委員会は2007年末に「メディア・リテラシーにおけるコミュニケーション」(デジタル環境におけるメディア・リテラシーへのヨーロッパ・アプローチ)と呼ばれる文書を採択した。メディア・リテラシーに対する委員会のイニシアティブは加盟国の一メンバーとともになされた欧州議会と産業界の要請に応えたものである。まず、2006年に欧州委員会に対して助言を行うメディア・リテラシー専門家グループを組織した。昨年、公開の会議が開かれ、ヨーロッパ各国におけるメディア・リテラシーの実践やレベルの差異が示された。この文書は今日の急速に発展する情報社会と市民の日常生活におけるメディアの重要性を強調し、さらにヨーロッパの視聴覚政策により強固な礎を加えるものである。
また、この文書は「視聴覚メディア・サービス規制」(第26条はすべての参加国がメディア・リテラシーのレベルに関する委員会にレポートを提出する義務があると明記されている)の規定や、メディア・リテラシーおよび映像教育に関する企画、とりわけ青少年フェスティバルとして行われる企画の重要性をはっきりと示したMEDIA2007プログラムとも関係している。
さらにこの文書は、ヨーロッパのメディア・リテラシーの定義(メディアにアクセスする能力、メディアやその内容のさまざまな側面を批判的(クリティカル)に評価する能力、多様な状況の中でコミュニケーションを作り出す能力)を提起しており、それはすべてのメディアに関わるとともに三つの主要な側面に焦点が当てられる。すなわち、コマーシャルに対するメディア・リテラシー、映像や音響作品のためのメディア・リテラシー、そしてインターネットのメディア・リテラシーである。委員会はこの計画を定めた文書にしたがい、既存のプログラムやイニシアティブを通じてデジタル環境下の良質なメディア・リテラシー教育実践の発展や交流を促進し、メディア・リテラシーを評価するための基準づくりの研究を支援する意向である。
委員会はまた、加盟国に対し、映像および電気通信に関わる規制を担当する省庁がさまざまなレベルのメディア・リテラシーの改善に協力するとともに、国レベルで利害関係のある団体と連携して機器の利用規定や共同監視の枠組み の構築と実施を呼びかけている。委員会によるこの文書の発表後、ヨーロッパのさまざまな団体がメディア・リテラシーに関する政策文書を公表してきた。2008年5月の会議で一つの結論が採択された。地域委員会は、2008年10月に一つの見解を承認した。それは地方自治体にこの分野での活動を積極的に行うことを求めるものであった。そして、ついに、欧州議会は高度な政治的関係性を持つメディア・リテラシーのレポートを採択した。委員会は2009年中に勧告を出すと思われる。
注
(1)http://www.treatyofrome.com/treaty.htm
(2)http:/www.europarl.europa.eu/summits/lis1_en.htm
マーク・ショイアー
国連「文明の同盟」ディレクター
世界中の教育関係者は20年以上にわたって、メディア教育とメディア・リテラシーの重要性を主張してきた。しかし、ほとんどの国では教育政策に携わる人々がメディア・リテラシーの重要性に気づき始めたのはごく最近のことである。
文明の同盟は、世界中の学校のカリキュラムにメディア教育とメディア・リテラシーを導入しようとする活動を活性化させたいという思いから、ユネスコやグルポ・コミニカル(Grupo Comunicar)、そのほか多くの協力を得て、本書を公開した。
本序文は、私たちがなぜこれが重要であり、かつ緊急性を持っていると考えるか、その理由を詳しく説明する場ではない。しかし、本書にはグローバルな視点からこの問題に取り組んで書かれた論文が収録されている。読者の皆さんにはぜひ読んでいただきたいと思う。
簡単に言えば、私は次のような考え方を推し進めたいと考えている。メディア飽和社会とも言うべき私たちの社会では、とりわけ若い人々やより広く社会全体にとってもメディア・リテラシーは批判的思考力を身につけるための欠くことのできない道具だということである。
さらに、メディア教育およびメディア・リテラシーをすべての普遍的人権と関連づけるところまで論じているものもある。政治的、経済的、イデオロギー的な利害がぶつかり合う、時に挑戦的であったり、混迷したり、あるいは対立することもあるメディア状況の中で、すべての年代の市民は、積極的な市民参加だけではなく、よりよく生きることを可能にし、それを確かなものにするための新しい道具が必要なのである。
真に民主的な政治制度は市民の積極的な参加による。積極的であるだけではなく、もっとも重要なのは、情報を持った市民であることである。メディア・リテラシーは、時にあふれんばかりとなる日常メディアの情報の渦や、とりわけ新しいメディアやコミュニケーション技術によって広められる情報を理解するスキルを市民が身につけるための新しい道具の一つである。こうしたメディアの力は、伝統的な価値を生活や社会、文化の理解のしかたを現代的なものへと変えつつ、それら自身を再形成している。
私たちは、制度化されたメディアが社会生活の中に記号を流通させる中心的発生装置であるならば、日常生活の複雑性を理解するための記号の源と道具をもたらすことのできる力は、メディアのある種の重要な特性であるという考え方を支持する。今日の世界では、市民、あらゆる世代に属する多様な個人は、新しいメディアによって生み出される記号世界をより知的でより感情的に理解できる分析スキルを身につける必要がある。
基本的な『伝統的リテラシー』(読み書き計算)がなければ、人は社会の発展に参加したり、自分たちの社会に市民として関わることができないという問題に直面するだろう。新しい電子メディアの到来とともに、基礎教育は今や新しいスキルと新しい教育的な考え方を導入しなければならない。つまりメディア・リテラシーである。
この考え方によれば、メディア・リテラシーは単なる一つの考え方ではなく、必要性なのである。それは、人間が今日の世界で洞察力を持った市民として十分に生きることができる存在になるための踏み石なのである。国家の政策に関わる人々にとって、この新しいパラダイムに気がつき、私たちの情報社会から生じつつある新しい挑戦を自覚することは、実際のところ何にもまして必要なことである。今日、おそよ人類のたった6分の1の人数しかインターネットにアクセスできないのは事実であるが、一方、携帯電話や無線LAN、衛星電話などの新しい技術が一点に向かって進むスピードは、この惑星のあらゆる社会にメディア・リテラシー教育が必要だということを示している。
文明の同盟は、メディア教育の発展の必要性に認識し、その支援のためのイニシアティブを取っている。メディア・リテラシーは同盟が培ってきた最初の教育イニシアティブの一つのテーマであり、メディア教育は暴力的な文化や宗教的対立を助長するメディア・メッセージに直面した人々に、批判的(クリティカル)な態度を取ることを可能にするための基本的な道具だと考えている。
「メディア・リテラシーを身につけた」人間は、文化的に過激なメディア・メッセージの影響を受けにくいことは、有識者の共通理解である。さらに、本書では、メディア・リテラシー・データベースやメディア・リテラシーと異文化対話のためのユネスコ-文明の同盟職を設置するなど、グローバルなメディア・リテラシー教育の発展を進める取り組みも紹介している。世界各地でメディア教育プログラムを推進している教育政策関係者や研究者、教育実践者に、本書がよきガイドブックとなれば幸いである。
序文
アブドゥル・ウォヘード・カーン
コミュニケーションと情報委員会副議長
ユネスコ
メディア教育は、批判的な知識と分析の道具を与えてくれるものである。視聴者はその道具によって、自立した理性ある市民となり、メディアを情報活用のために使うことができるようになる。メディア教育、それは市民教育の重要な一部であり、それによって人々は権利と義務を十分理解し、かつ自覚した責任ある市民となることができる。本書は単なるメディア教育の定義を超えて、世界的な規模のメディア教育プログラムに必要な制度的、法的な環境を検討するものである。
過去26年にわたって、ユネスコはメディア・リテラシーを強化するための活動に関わってきた。部分的にではあるが、1982年のグルンバルト宣言の枠組みにも関わった。この宣言は市民が「コミュニケーションという現象」を批判的に理解し、市民のメディアへの参加を推し進める政治的・教育的制度の必要性を認めるものであった。グルンバルト宣言は、メディア教育についての12の提案を含むユネスコパリアジェンダの土台となった。ユネスコは、メディア教育の推進戦略に基づき、すべての教育段階、すなわち小中学校から生涯学習の段階および教職員研修にいたるまで、メディア教育の重要性を鑑みて意識の向上を図るとともに、ガイドラインを策定し、カリキュラム開発のための政策を推進してきた。
発展途上国でも教育学習過程にメディア教育を取り入れるために教員研修が必要であることから、ユネスコは2008年に教員研修強化プロジェクトを立ち上げた。このプロジェクトには、メディア・リテラシーと情報リテラシーという知識社会の二つのコンセプト一つの教科に統合した初めてのモデルカリキュラム開発が含まれており、教員研修カリキュラムにおけるメディア情報リテラシーの統合を推し進めようとするものであった。
ICTの急速な発展と新旧のメディアが一つに結びついていった結果、メディア情報リテラシーは一つのものであり、メディアの性質や利用されている技術にかかわらず、あらゆるメディアの形態に対応させる必要がある。
さらにいえば、いかなるメディア教育プログラムでも、その導入を成功させるためには、自由で多元的で独立したメディアを育成する環境を適切に実現することが前提となる。メディアの多元性と独立性は、社会の中や社会を超えて、さまざまな言語でなされ、さまざまな集団を代表した多様な意見や思想の表現を可能にする。
人間の発達や平和、民主主義に対して、メディアが影響を持つようになれば、、多様性や寛容性、透明性、平等、対話を認める社会の運営がメディア教育を通してますます促進されていくことだろう。また、メディア教育を政府や地域レベル、さらには世界的な開発計画に組み入れていくためには、慎重かつ目的のある政策形態が求められる。
本書は世界人権宣言第19条にはっきりと立ち返らせるものである。「すべて人は、意見及び表現の自由を享有する権利を有する。この権利は、干渉を受けることなく自己の意見をもつ自由並びにあらゆる手段により、また、国境を越えると否とにかかわりなく、情報及び思想を求め、受 け、及び伝える自由を含む。」
ユネスコと国連文明の同盟は、メディア教育は世界中の人々がこの基本的人権のすべての恩恵を享受する力を持つために欠かせないものだと考える。メディア教育は、発展した経済もしくは発展し始めたばかりの経済や発展途上にある経済における開発政策テーマを考える際の重要な要素の一つとして次第に認識されるようになった。『メディア教育政策世界地図』は、この重要な時に公表されることとなった。
メディア教育を制度として導入する必要性を指摘したり支援する政策や規制の枠組みに関心が集まりつつある。このような良い方向に向かっていることを示すめざましい展開が数多く見られる。ヨーロッパのような地域全体はもちろんのこと、ますます多くの国でメディア教育はいかなる社会にとっても重要であり、「義務教育の構成要素としてのメディア教育」はあらゆる学校段階の教職員研修に取り入れられるべきだと考えられている。
それでもなお、多くの国では遅れたままである。本書は、メディアやコミュニケーションの専門家、教職員、研究者、政策に関わる政治家や行政担当者に一つの答えを提供するものである。本書では、メディア教育を3つの相互に関係のある観点から検討している。第一に、国、地域、世界の観点からのメディア教育。第二に、市民と市民参加に対するメディア教育の価値とこの価値を測定する方法、そしてメディア教育の実践過程における政府や市民社会、民間セクター間の協働が果たす重要な役割。ユネスコは、読者が本書で提示されている情報や知識を知り、これらの知識を専門家によって広く普及させるよう行動を起こすことを期待している。
読者は、変化を起こす触媒となることができる。そしてはっきりとした目的を持ったメディア教育プログラムはこの変化の一助となりうる。
私は、文明の同盟が最初の一歩として本書を出版したことを喜びたい。そしてこの知的な冒険を成し遂げた著者の皆さんにお礼を申し上げたい。ユネスコは喜んで国連文明の同盟やメディア教育の普及活動に大きく貢献しているパートナーと手を携えたい。
序文
メディア・リテラシーに対するヨーロッパからのアプローチ
インクルーシブな知識社会に向けて
アビバ・シルバー
「メディア・プログラムとメディア・リテラシー」連合会長
DG情報社会とメディア
欧州委員会
約50年前、6つのヨーロッパの国(ベルギー、フランス、西ドイツ、イタリア、ルクセンブルク、オランダ)は、欧州経済共同体を作り、ローマ条約1)に調印した。そのコンセプトは人、商品、サービスが自由に国境を超えて行き来するというものであった。しかし、実際の関心はヨーロッパの国と人々を一つにするという点にあった。我々は、決してEUの歴史的ルーツが大きな悲劇の中にあることを忘れてはならない。つまり第二次世界大戦である。ヨーロッパの人々は、あのような殺戮と破壊が再び起ることを防ぐためなら何でもすると決めたのである。
現在、EUはもっともヨーロッパの西にあるポルトガルから新しい参加国であるルーマニアとブルガリア、北極圏から地中海岸まで27の国が加入している。ヨーロッパには数多くの言語や文化、伝統があり、約5億の人が住んでいるが、同時に民主主義や自由、そして社会正義という価値を強く共有している。EUは民族や性、思想信条によるいかなる差別にも反対する。EUは、国際的な協調関係の中で、自らの成功に貢献してきたこれらの価値観を打ち出している。EUの繁栄は、ある地域の協同の形態から成長を始め、民主主義や人権、市民の力の向上への政治的な深い関わりと密接に結びつきながら進んでいった。
いま、私たちは前例のない技術革命を目の当たりにしている。「富」の意味は、知識と情報の所有へ移った。この技術変化によって、事実上、誰でも単なるメディア・コンテンツの消費者ではなく、制作者にもなりうるのである。メディアは、ますます強力な経済的社会的な力となった。そしてヨーロッパの市民にとっては、自分たちが住み、地域の民主的な生活に参加することを可能にする社会をより理解するために利用することができる道具である。
このようにして、2000年3月のリスボン・ヨーロッパ会議(2)では、政府首脳たちはヨーロッパのために野心的な目標を立てた。すなわち、より競争的な知識経済へ、そしてよりインクルーシブな知識社会への移行である。より高いレベルのメディア・リテラシーは間違いなく私たちの社会がこの野心的な目標を達成するのに役立つだろう。
「メディア・リテラシー」は、メディアにアクセスし、理解し、その内容を批判的に評価し、そして多様な状況のもとでコミュニケーションを作り出す能力として定義できるだろう。この定義はさまざまな人々(公共組織、メディア関係者、教職員)の仕事の結果であり、そこには3つの要素が含まれている。
1)メディアとメディア・コンテンツへのアクセス
2)批判的(クリティカル)アプローチ、メディア・メッセージを読み解く能力、メディアが機能する方法への意識化
3)創造力、コミュニケーションと制作スキル
メディア・リテラシーは、テレビ、映画、ラジオ、そして録音された音楽、印刷物、インターネットなど新しいデジタル・コミュニケーション技術を含む「すべてのメディア」に関係するものである。
メディア・リテラシーは、今日の情報社会における「活動的市民」のためのきわめて重要な要素であり、リテラシーが20世紀初頭においてそうであったように、現実的な鍵となる前提条件である。それは、若い世代にとってだけでなく、大人(高齢者、親、教職員、メディア関係者)にとっても基本的なスキルである。メディア技術の進化と流通経路としてのインターネットの存在によって、ますます多くのヨーロッパの人々はいまや画像や情報、コンテンツを制作し、それを広めることができるようになった。この観点から見れば、メディア・リテラシーは、市民の責任能力を高めることのできる重要な道具の1つとして見ることができる。
メディア・リテラシーは、「ヨーロッパの視聴覚文化遺産と文化的アイデンティティ」に関連がある。音響映像ソフト生産の分野は、私たちの文化的政治的な価値を表現するための主要な道具である。それは、ヨーロッパ市民の在り方や文化が進むべき道であり、ヨーロッパのアイデンティティを構築する上で大きな役割を演ずる。また、メディア・リテラシーを身につけた人々は、視聴覚コンテンツの市場に関しては、より情報に基づいた選択ができるようになるだろう。したがって、市民はより高いレベルの自由を有する。なぜならば、市民は自分たちが見たいものを選ぶ道具を持つであろうし、自分の選択の意味するものをより深く評価できるようになると考えられるからである。最後に、メディア・リテラシーを身につけた人々は、有害で攻撃的もしくは望ましくない情報から自分自身や家族を守ることができるだろう。
メディア・リテラシーは、また市民がメディアを効果的に活用するスキルや知識、理解とも関係している。市民は、情報の消費者と生産者を理解するための批判的(クリティカル)思考と「問題解決スキル」を身につけることによって、大きな力を得るに違いない。
委員会は2007年末に「メディア・リテラシーにおけるコミュニケーション」(デジタル環境におけるメディア・リテラシーへのヨーロッパ・アプローチ)と呼ばれる文書を採択した。メディア・リテラシーに対する委員会のイニシアティブは加盟国の一メンバーとともになされた欧州議会と産業界の要請に応えたものである。まず、2006年に欧州委員会に対して助言を行うメディア・リテラシー専門家グループを組織した。昨年、公開の会議が開かれ、ヨーロッパ各国におけるメディア・リテラシーの実践やレベルの差異が示された。この文書は今日の急速に発展する情報社会と市民の日常生活におけるメディアの重要性を強調し、さらにヨーロッパの視聴覚政策により強固な礎を加えるものである。
また、この文書は「視聴覚メディア・サービス規制」(第26条はすべての参加国がメディア・リテラシーのレベルに関する委員会にレポートを提出する義務があると明記されている)の規定や、メディア・リテラシーおよび映像教育に関する企画、とりわけ青少年フェスティバルとして行われる企画の重要性をはっきりと示したMEDIA2007プログラムとも関係している。
さらにこの文書は、ヨーロッパのメディア・リテラシーの定義(メディアにアクセスする能力、メディアやその内容のさまざまな側面を批判的(クリティカル)に評価する能力、多様な状況の中でコミュニケーションを作り出す能力)を提起しており、それはすべてのメディアに関わるとともに三つの主要な側面に焦点が当てられる。すなわち、コマーシャルに対するメディア・リテラシー、映像や音響作品のためのメディア・リテラシー、そしてインターネットのメディア・リテラシーである。委員会はこの計画を定めた文書にしたがい、既存のプログラムやイニシアティブを通じてデジタル環境下の良質なメディア・リテラシー教育実践の発展や交流を促進し、メディア・リテラシーを評価するための基準づくりの研究を支援する意向である。
委員会はまた、加盟国に対し、映像および電気通信に関わる規制を担当する省庁がさまざまなレベルのメディア・リテラシーの改善に協力するとともに、国レベルで利害関係のある団体と連携して機器の利用規定や共同監視の枠組み の構築と実施を呼びかけている。委員会によるこの文書の発表後、ヨーロッパのさまざまな団体がメディア・リテラシーに関する政策文書を公表してきた。2008年5月の会議で一つの結論が採択された。地域委員会は、2008年10月に一つの見解を承認した。それは地方自治体にこの分野での活動を積極的に行うことを求めるものであった。そして、ついに、欧州議会は高度な政治的関係性を持つメディア・リテラシーのレポートを採択した。委員会は2009年中に勧告を出すと思われる。
注
(1)http://www.treatyofrome.com/treaty.htm
(2)http:/www.europarl.europa.eu/summits/lis1_en.htm