乙夜の覧、戊夜のうp

坂本旬非公式日記

映画

映画「日本の青空」

 鴻巣九条の会主催の『日本の青空』上映会に行ってきました。『日本の青空』は鈴木安蔵らによる憲法研究会による憲法草案がGHQ案に大きな影響を与えたことを描いたヒューマンドラマです。詳しくは公式サイトをご覧ください。

 劇場公開作品ではなく、自主上映のインディーズ映画ですが、とてもしっかりした作品で、鈴木安蔵の人となりや憲法が制定される過程もよく描かれています。最後まで面白く見ることができました。

 この映画の趣旨は、自由民権運動の影響を受けた鈴木の思想がGHQ案に反映されていること、それはすなわち、現在の憲法には自由民権運動の思想が息づいていると言うことになります。そのことによって、現行憲法がアメリカの押しつけではないことを明らかにしようとしたものだと言えます。

 率直にいって、この映画を見たから、この問題に対する答がはっきりしたというわけではないと思いました。GHQは日本の旧体制をあえて温存し、一方で、「民主主義革命」によって旧体制を根本的に倒すことができませんでした。その結果、日本は反民主的な右翼的思想の復活を許してしまったという現実があります。しかし、憲法は民主主義の砦であり、同時に戦後体制の基盤でもありました。

 この映画では、憲法9条の平和主義は憲法研究会による憲法草案でも空白であったことも教えてくれます。憲法9条は当時の日本が置かれていた国際環境の中で、取り得た最善の策でした。それは一つの奇跡だといってもよいと思います。それをどのように評価し、どのように受け継ぎ、どのように発展させていくのか、それこそが私たちの考えるべき義務なのだと思います。続きを読む

『スカイ・クロラ』試写を見て4

 やっと『スカイ・クロラ』の試写会に行くことができました。この映画のすごいところはなんといっても、戦闘機のギミックとCGによる戦闘シーンです。これだけも見応え十分でしょう。

 もちろんそれがこの映画のメッセージのすべてではありません。会社によるショー化された戦争、戦闘機に乗るキルドレと呼ばれる死なない子どもたち、何かに苦しむ女性上官の草薙水素の存在、その奇妙な物語はなかなか理解が困難かもしれません。
まるですべてがメタファーのようにも感じられます。

 僕は原作も読んでいるので、原作との違いも気になりました。原作にはないエピソードがたくさん盛り込まれているし、人間関係も微妙に違いがあります。原作にはない「ティーチャー」と呼ばれる大人の男の乗った戦闘機の存在はこの映画にとってかなり重要な意味を持っています。そしてエンディングも原作とはかなり違います。

 まだ公開されていないので、詳しくは書けませんが、難解だからこそ、いろいろな解釈ができる映画といえるかもしれません。あえて、僕の解釈を書きましょう。

 この映画が現代を生きる若者へのメッセージだという前提に立つなら、監督がもっとも言いたいのは変わらぬ日常を淡々と生きる若者たちに、「日常のちょっとした変化を体で感じ、生きる意味を見いだせ」ということでしょうか。

 でもそれは本当にメッセージの一部にすぎません。キルドレは「大人になれない子ども」ではなく、「大人にならないことを選んだ子ども」なのだと語られていることを思うと、まさに現代の若者像を投影しているような気がします。

 映画の中の戦争はコンピュータ化された戦争ゲームのようです。しかし、それは決してコンピュータ上の戦争ではなく、現実に人と人とが殺し合うショーとしてのリアルな戦争。若者たちもまた、コンピュータの戦争ゲームからリアルな戦争を求めるのでしょうか。しかしそれは決して終わることのない、終わることを許されない永遠のゲーム。そこにそれ以上の意味も価値もありません。もともと愛する人を守るとか、国のためといったような大義などみじんもないのです。

 キルドレたちは戦死によってしか死なない自分たちを殺し合うためにだけ、戦争をする。そしてキルドレたちは自分がどこで生まれ、どのように育ったのか思い出すこともできない。ただ、漠然とした日常を意味もなく繰り返していくだけ。でも決して彼らはカンナミが「父」と呼んだ「ティーチャー」(大人)を超えることができない。

 明らかに押井守は、原作を超えたメッセージを作り出そうとしているように思えます。原作にはない「子どもが子どもを産む」ということの意味。カンナミへの草薙水素の思いに秘められた謎。

 エンドロールが始まってもそれが終わるまで席を立たないでください。そのあとに本当のラストシーンが隠されています。それは始まりの終わりであり、終わりの始まりを象徴しています。これもまた原作にはないエピソードなのです。

映画『靖国』に対する反論

 映画『靖国』についての記事に対して、以下のようなメールがありました。ご意見ありがとうございました。僕の記事を読んでいただいてとてもうれしいです。コメントは後ほどゆっくり書きたいと思います。

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ドキュメンタリー映画『靖国YASUKUNI』4



 渋谷で『靖国』をみてきました。警官が警護するなど、物々しい雰囲気でしたが、無事に上映が終わりました。昼過ぎにはチケットが完売するほどの混み具合でした。簡単な感想を書いておきます。

 この映画は政治的主張をできるかぎり抑えて作られたとてもよい作品です。映画の主題は日本刀です。靖国神社のご神体は日本刀で、戦前たくさんの日本刀(靖国刀)が神社の中で作られていました。(もっとも靖国神社はご神体が日本刀であることを否定しているようです。)

 そしてこの映画の重要な役割を担うのが、90歳になる現役最後の「靖国刀」の刀匠刈谷直治さんで、日本刀を作る過程が丁寧に紹介され、刈谷さんのインタビューが随所に採り入れられいてます。

 靖国神社で作られた日本刀は戦前の日本軍の将校たちに配られていました。それが何に使われたのか、映画の中では一切の説明なく、過去の映像だけで語らせています。靖国神社の象徴の一つが日本刀であること、その日本刀は戦前の日本軍将校たちの魂でした。こんな風に靖国神社をみたことはなかったので、とてもこの視点は新鮮でした。

 この映画のもう一つの側面は、靖国神社に集う人々とそこで起こる様々な事件の様子です。旧陸軍の制服を着て行進する人たちや、日の丸を掲げて叫ぶ白髪の老人。それだけでも異様なのですが、どういうわけか小泉首相の靖国参拝を支持するというアメリカ人がアメリカ国旗を掲げてビラを配り始めると、彼に共感して感謝する人々とアメリカ国旗を掲げることに極端に拒絶反応を示す人々が現れます。

 台湾、韓国、沖縄から自分たちの家族の合祀に反対する一団が靖国神社に意見を申し入れする風景もすごい。さらに総理大臣の靖国神社公式参拝に反対する「日本人青年」へ「中国に帰れ!」とこづき回して、タコ殴りにしてしまうシーン。そしてなぜか殴られてけがをした青年だけをパトカーに押し込んで連行しようとする警察。こうしたシーンが次々と出てきます。

 右翼的立場をとる人たちのほとんど狂信的といってもよい態度や行動にはただただ驚くしかありません。そういう状況の中で、小泉首相が参拝をするシーンが登場します。そして映画の最後は日本の将校たちが日本刀で中国人の首を切る写真が次々に紹介されて映画は終わります。

 ほとんど説明のない映像だけで構成された映画なので、見る側の立場によってこの映画はいろいろな見方ができるでしょう。しかし、何を編集し、何を見せたのかということを考えれば、この映画のメッセージもまた明らかではないかと思います。多様な見方を許容しつつ、メッセージ性を持つという相反しがちな二つの要素がこの映画にきちんと備わっており、このことがこの映画の価値を高めています。

 未だにこの映画に難癖をつけて上映を妨げようとする人たちがいることはとても残念なことです。また、一切の取材を拒否し、映像の削除を要求する靖国神社の対応も本当に残念に思います。しかも権力を持っている政治家が妨害や検閲まがいのことをするようでは、日本の民主主義の根幹が崩れてしまいます。意見を言いたければ、まず表現されたものを自分の目で確かめることが大事ではないでしょうか。それだけの価値のある映画だと思います。

 警察に守られなければ見られない映画の存在は何を意味するのでしょうか。僕たちはこのことの意味を十分に考えなければなりません。その答えは確かにこの映画の映像の中にあります。ぜひ多くの人に見てほしいと思います。

スカイ・クロラ



 やっとこさ森博嗣の『スカイ・クロラ』を読みました。全五巻シリーズの第一作目の作品なのですが、時間軸から見れば最終刊になるというちょっと変わった構成になっています。

 なぜこの本を読んだのかというと、8月にこの本を原作にした押井守監督作品『スカイ・クロラ』が公開されるからです。そして、ひょっとしたら我が職場でも押井守監督をお呼びして、試写会やシンポジウムを開催することになるかもしれない。そんなわけで、原作を読んでみようと思い立ったのです。

 森博嗣の小説はかなり独特な作風で、とにかく一切背景を説明をせずに淡々と物語だけが進んでいきます。つまり「どうして」という疑問をたくさん持ちながら読み進んでいくことになるのです。読んでいるうちに、登場人物の言葉から背景が見えてきます。まるで一本の線がどんどん太くなって、帯となり、大地に広がっていくような、そんな感じです。

 ある薬品会社の実験によって生まれた「キルドレ」と呼ばれる死なない子どもたち。その子どもたちが死ぬのはただ戦死するときだけ。そしてそのために彼らは戦闘機に乗って戦争する。それ以外の理由はないのです。

 当然、彼らは自問自答することになります。

「自分は何者なのか?
 どうして人間なにの、雲の上を飛んでいるのだ。
 どうして、人を撃ち落とすのか。
 負けた者は、どうして地面へ戻っていくのか。
 どうして、
 どうして・・・・。」

 読んでいて思わず映画「ブレード・ランナー」を思い出しました。まったく背景は異なるけど、とてもよく似たテーマを扱った作品だからです。ちなみに、押井さんは娘さんに勧められてこの作品を映画化したのだそうです。
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