乙夜の覧、戊夜のうp

坂本旬非公式日記

旅行

メディア・リテラシー・ワークショップ@メコン大学

8月31日〜9月3日(カンボジア・メコン大学にて)

メディア・リテラシー・ワークショップの様子です。このスライドショーは学生が作ってくれました。

カンボジア研修

535f6d39.jpg プノンペンからシュムリアップに向かい、翌朝アンコールワット見学、そしてその日の夜の便に乗り、翌朝無事に帰国しました。そしてその日のうちに出勤と、超ハードスケジュールの旅でした。

 冷や汗が出るような出来事や、おなかを壊してしまった学生が数名出てしまったことをのぞけば、とてもいい研修になったと思います。クライマックスは、冷や汗ものだった江戸川区の小学校とスラムの小学校とのテレビ電話交流授業でした。ルーターの調子が悪く、ぎりぎりまでうまくいかなくて、一時はどうなるかと思いました。でも結果的にうまくいったのでほっとしました。結局ルーターは授業終了後に業者を呼んで治してもらったので、授業には間に合わず、携帯のデータ端末を使ったのですが。

 また、メコン大学の学生の一日を取材するために、カンボジアの田舎まで片道3時間もかけて出かけていったグループと、スラムの小学校に通う子どものお家に行き、おばあさんにインタビュー取材をしたグループの活動も学生たちにとっては大きな思い出になったようです。

 特に子どもの自宅を訪れる取材はできるかどうかぎりぎりまでわからないし、周りの環境の悪さを考えると、不安でいっぱいでした。しかし、こちらも実際にやってみると、思いのほかうまくいきました。メコン大学生と協力し合えたことも大きな力になりました。どちらの学生たちも取材を通して多くのことを学んだと思います。

 とてもきれいとはいえない環境に「とても私には無理」と思っていた学生が、研修を終えて、日本に帰りたくない、また来たいとまで言うようになった背景には、カンボジアの人たちとの心温まる交流やたくさんの子どもたちの笑顔との出会いがありました。そして、日本にいるだけでは決してわからない多くのことを僕たちは学ぶことができたと思います。

キリングフィールド

08b258fa.jpg今日はゼミ生、メコン大学の学生たちと一緒にキリングフィールドとツールスレン収容所跡に行ってきました。

2万人の人々が処刑されたと言われているキリングフィールドはプノンペンの人々たちにもほとんど知られておらず、来るのは観光客ばかり。メコン大学の学生たちも初めて来たというのです。

処刑場跡から掘り出された骸骨の山を見上げると、背筋が寒くなります。ゼミ生の中でも女子学生たちは足がすくんでしまったようでした。そしてメコン大学の学生たちは遠くから見守るだけで、近寄ることもできない様子でした。彼らの心中は僕には推し量ることができませんでした。

あまりにも複雑なカンボジアの歴史の中で、何を考え何をすべきか、外国人である僕にはとても難しい課題です。ただ一つわかったことは、自分がなすべきことをこの地で見つけるべきだということでした。

明日はいよいよVDTOに行って日本の小学校のビデオレターの上映とスカイプを使った交流学習とをします。

プノンペンのスラムと子どもたち

dfe87452.jpg今日は午前中にメコン大学に行き、来年度に計画している学生間交流の話をしてきました。

午後はスラム地区にあるボランティア小学校VDTO(Vocational and Developmental Traning Organization)に行きました。 この学校はトタン屋根があるだけで、片方しか壁のないほとんど青空教室です。そこで勉強している子どもたちのかわいいこと!
本当に素直で、純真な子どもたちに心をすっかり奪われました。

しかし、子どもたちが実際に住んでいる地区に行って驚きました。路地にはゴミが散らかり、何ともいえない臭いが漂います。おとなたちは文字の読み書きができないため、家政婦やゴミあさりぐらいしか仕事がないそうです。日長、ギャンブルして遊んでばかりで、仕事する気力もありません。

道も舗装されていません。彼らの地区の前で舗装を止められているのですが、これは、自治体の嫌がらせ、差別だそうです。

それでも、ここに住む子どもたちにとって、ここが世界のすべてなのです。何もしなければ、ここで一生過ごすことになります。子どもたちは学校さえ行けません。学費が払えないからです。

そこでさまざまなNPOが学校支援を行っており、VDTOもその一つです。この学校を経営しているカンボジア人の校長は自分で学校を作り、親の家を回って子どもたちにVDTOに行くように、説得して回ります。

ボランティアで教師をやっているのは大学生や英語を教えるイギリスの高校生たちでした。そして日本からもサポーターが来ています。

僕がここにインターネットを引いて、日本の子どもたちとの交流をしたいというと、校長先生も教師をやっている大学生たちも大賛成してくれましたが、インターネットの回線を引くことが大きな問題です。この国ではスカイプができる程度の回線を引くのに、月500ドルかかります。彼らにとっては途方もない金額です。

なんとかしてここにインターネットを引いて、子どもたちにパソコンを教え、世界を教え、世界中の子どもたちと交流させたいと思っています。

貧しい生活の中で子どもたちの笑顔をたくさん見ました。その笑顔に本当に救われた気がします。

これからの自分の仕事の目的を改めて実感しました。今年の秋か冬にゼミ生たちをつれてここにもう一度来ます。そのときにはなんとしても思いを実現させなくては!と思いました。

明日はポルポト政権時代の強制収容所跡と処刑場跡(キリングフィールド)に行ってきます。そして夜の便でソウル経由で帰国予定です。

ポル・ポトの墓

a37c11c2.jpg ただいまカンボジアのシムリアプという町にきています。昨日はここからタイとの国境地帯にあるドンレック山脈に行きました。この山脈は標高700メートルほどで、タイとの国境紛争の現場で緊張しています。先日も衝突があったばかりだそうです。

 山の上に上るとそこは断崖絶壁で、カンボジア平原が見渡せるすばらしい光景に出会うことができます。ちょっとした地元の人たちの観光地になっているようで、飲食のできる休憩所がありました。

 ポルポトの墓はその山を下ったところにあります。たまたま案内してくださったホテルのオーナーの夫妻は、かつてカンボジア難民として日本にすんでいたこともあり、日本語を話せます。奥さんはこの地の出身でもありますが、兄弟を3人もポルポトに殺害されたそうです。

 ポルポトは250万人を殺害したといわれており、いまでも裁判が続いています。そのお墓に行くことはとても複雑な思いのようでした。ポルポトの墓はすごく質素なもので、屋根は荒びたトタンでした。政府観光省が管理していますが、訪れる人もほとんどありません。

 葬儀の時はタイヤを燃やして黒い煙を上げたそうです。カンボジアの人たちはポルポトという名前さえ知らなかったそうです。そもそもこの名前自体も本当の名前ではありません。ちなみに、近所に住んでいるのはポルポトの親戚や元ポルポト兵士の家族だと思われますが、そうしたことも隠してひっそり住んでいるとのことです。
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