江部康二先生のブログで、ハンナ・アーレントの研究についての記事がありました。

http://koujiebe.blog95.fc2.com/blog-entry-4814.html

ナチスドイツ時代にユダヤ人虐殺を忠実に実行した、アイヒマンという人物についての報告です。

明らかに人道に反することも、思考停止状態に陥っていると、淡々と実践出来てしまう。

人間に秘められた恐ろしさを感じます。

規模や残虐性は異なりますが、ガイドラインを忠実に守ろうとする診療も、本質的には同じ構造でしょう。

様々な情報の中から真実を見抜く。

自分の眼と頭で、何が良いのか検証する。

当たり前のようで、難しいのかもしれません。

少なくとも、過去から、歴史から学ぶことが今を生きる私達にとって大切なことです。




東京工科大学の佐藤拓己教授の著書、ケトン体革命を読破しました。

ケトン体に関する研究について学べました。

ケトン体に関しては糖質制限関連の本てある程度勉強していましたが、本書の中で面白い記述がありました。

ケトン体の生化学的な特長を、明確に記されています。

特に重要な箇所から引用します。

28ページより引用。
「脳内でブドウ糖を取り込むのは、実は神経細胞ではない。その周囲に数多くあるグリア細胞である。グリア細胞はブドウ糖を取り込んで、乳酸という最も代謝しやすい分子に変換し、神経細胞に渡す。」

「実は成人の脳では神経細胞の10倍の数ほどのグリア細胞があり、脳は神経細胞の臓器ではなく、グリア細胞の臓器なのだ。しかも、乳酸が神経細胞のエネルギー基質となる。」

さらに29から30ページより引用。
「グリア細胞で行われる「ブドウ糖から乳酸への転換」はゆっくりとしか進まない。従って血中のブドウ糖を増やしても、神経細胞に渡される乳酸の量は殆ど変わらない。」

「だから頭脳労働するからといって糖質を体内に投入しても、神経活動はまず増加しない。それどころか、低血糖症が起こり、神経活動が抑制されるのである。意図とは逆の結果が表れることになる。」

「これに対してケトン体は、グリア細胞における化学変換が必要ない。ケトン体は直接神経細胞のミトコンドリアに取り込まれて、神経活動の働きを上げることができる。」

さらに、認知症の薬剤とケトン体の比較についての考察も秀逸です。

19から20ページより引用。
「人間が有機化学を使ってどのような化合物を合成しても、体内にすでにあるケトン体の作用の足元にも及ばない。これはケトン体と薬剤を比較してみれば誰でもすぐにわかることである。」

「認知症をターゲットとした薬剤の開発には以下の三つの条件が必要である。
1.神経細胞を保護すること
2.脳へ充分量移行すること
3.副作用が少ないこと」

「現在の科学のレベルからすれば、1の条件は簡単にクリアできる。しかし2が難物なのである。現在でも明らかな指針みたいなものは存在しない。現在でも経験だけの世界といってもいい。ぶっちゃけて言えば、殆どの化合物は脳への移行性がゼロである。これは明らかな生理学的な根拠がある。」

「なぜなら薬剤を体外から脳へ入れるには大きな難関が待ち受けているからである。「脳血液関門」といわれるものである。脳血液関門は脳を外来性の化合物から守るためのシステムである。」

「従って殆どの有機合成物はこれを通過できないか、通過してもほんのわずか(多くて数%)である。だからこそ脳を保護する薬剤を研究する上で最も苦心するのは、薬剤をどのように脳に有効濃度になるよう送るのかという問題なのである。それほど薬剤の脳血液関門の通過は難しいのである。」

「現在すでに売られている薬剤は、宝くじみたいな確率でたまたま脳血液関門を通過できたものばかりである。脳血液関門を通過させる確実な方法論みたいなものは現在でも存在しない。」

「その点、ケトン体は脂肪を材料にして肝臓で合成されて脳血液関門をフリーに通過できるのだから、すでに薬剤はケトン体に遠く及ばないと結論することができる。」

21ページより引用
「ケトン体は、神経細胞のエネルギー基質であるばかりでなく、神経を保護し、脳のシナプス再生を促進し、脳全体の機能を保持させるのである。その上、副作用も少ない。」

佐藤拓己教授は、このように明確に結論付けています。

脳の神経細胞が直接ブドウ糖を取り込むのではない。

新井圭輔先生も同じ考察をされていました。 

PETという検査で、ブドウ糖が体のどこに活発に取り込まれているかが画像化できます。

確かに脳には多くのブドウ糖の集積を認めます。

これは脳の神経細胞ではなく、グリア細胞への集積と考えられます。

まさに糖代謝、ケトン体の代謝についての従来の常識を覆す内容です。

ケトン体の生化学をしっかり学びたい方は、本書を一読することをお勧めします。


性善説を前提として辛うじて成り立っている日本の救急医療。

患者さん側と医療を提供する側、双方の良識が前提であった。

しかし、その様相が変わってきていると以前から感じている。

明日仕事だから、出掛けるから、前の日の夜中に救急外来に受診する人が多い。

コンビニに寄る感覚で救急外来に受診する人達。

救急外来で診療し、ある程度病態に当たりをつけ、翌日に該当する科やかかりつけの医療機関への受診を指示すると、明日は仕事、あるいは用事があり受診できないと言う人が明らかに増えた。

それってそもそも救急じゃない。

それに対する私の意見。

「医師として、翌日に受診することを勧めている。

最終的に受診するかは、自己責任で判断して下さい。」

自己責任という言葉、好きじゃない。

正直言って、マスコミが作った嫌な言葉だ。

しかし単刀直入に、相手にニュアンスが伝わる。

悲しいことであるが、こうでも言わないと自分で判断できない大人が増えた。

夜間休日に紹介状なしで受診すると、時間外料金を別に支払ってもらう制度が数年前から多くの医療機関で実施されている。

最初、時代が変わったと感じた。

病院によっては、一万円近く払う必要があるらしい。

コンビニ感覚で気軽に受診する人達が増えたためだろう。

色々な意味で、日本人が劣化してきている。

相手をおもいやる。

自分の考えと行動に責任を持つ。

やたらと人のせいにしない。

このような当たり前の感覚がない人が明らかに増えた。

大人としての良識に欠ける。

劣化していると感じざるを得ない。

救急医療は良識によって成り立っていることを、今一度みんなで考えて欲しいと思う。

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