あさ川進の、宗教と私

浄土真宗親鸞会に所属しながらアウトサイダーだった私(現在は会員でなくなりました)が、宗教(浄土真宗親鸞会)との付き合い方を考えつつ書いている更新頻度が低いブログ(この説明も暫定です)リンクフリーです。 なお、投稿文を受け付けております。「【投稿文】【○○さん】」と書かれている記事は、いただいた投稿文です。後ろ【】に投稿主の方の名前を表示しております(2020/6/20)。投稿文の内容や行事案内等については、投稿主に直接ご連絡ください。

宗教というのは、少なくとも人を幸せにするために存在するものだ、と思っています。
ところが、親鸞会と関わった少なくない人が、苦しみながらフェードアウトする姿も見てきました。
親鸞会はともかく、弥陀の本願とのご縁まで遠ざけてしまうのは、個人的にもったいないことだと思います。

私自身は追い出されるまでやめないということにしていましたが、そんな私自身の経験も含めて書くことで、宗教によって苦しんでしまった人に対して、なにかしらのご縁にでもなればと思います。

あさ川に対して、公開コメントを書くのは気が引けるが何か言いたい、と言われる方は⇒のメッセージ機能をご利用ください。あさ川に直接届きます。(公開はされませんが、確認に時間が掛かることがあります)

なお、読者の皆様の声や文章を募集しております。このブログを通して伝えたいことや言いたいこと、宗教に対する思いなどがおありでしたら、下記アドレスに文章をお寄せ頂ければ、「投稿文」として掲載したく思います。

ちなみに、投稿文に記載された内容(案内等)についてのお問い合わせは、投稿主の方に直接お願いします。

skai_asa(アットマーク)yahoo.co.jp
※(アットマーク)の部分は半角の「@」に替えて下さい。

最近、新型コロナワクチンを打ちました。私のように中途半端な年齢で、特にエッセンシャルワーカーでもなさそうな微妙な立場で、対象となる持病もない人に対する接種は、この辺ではまだまだ進んでないようで、結局職域接種が先になりました。もともと職域接種は8月頭くらいという話だったのですが、いろいろあって1か月くらいずれました。受付中止になった時から考えると、思ったよりは早かったです。


いろんな話を聞いていたので副反応についても若干気にしてはいましたが、今のところ重大なものは起きてなさそうですので、このまま体調が戻ればよいなあと思っているところです。


新型コロナウイルスの影響でいろんなことが起きてますが、日常あまり気にせずいたことが、当たり前ではなかったなあと改めて思いつつ、南無阿弥陀仏の日常というのがありがたいなあと味わっています。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、、

あさ川です。

実は以前から、RCさんがブログを開設したいと思われているという話は聞いておりましたが、このたび開設のご案内をいただきましたので掲載します。

RCさんとは親鸞会で同じ支部でしたが、親鸞会を追い出されてからより多くのご縁があったということで、これまた不思議なご縁だなと味わわれるのでありました。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、、、


========(以下、RCさんからの投稿文です)========

RCです。

今回は、私が開設したブログをお知らせさせていただきます。

振り返りますと…。

親鸞会を辞めた時、
「これからどうしたらいいんだろう…?」と思った時に連絡させていただいたのが、あさ川さんでした。

私は、親鸞会会員時代ほ、親鸞会関連のネット記事などは、全く読んでいなかったので、あさ川さんがブログをされていたことも、その時に初めて知りました。

その後、あさ川さんのブログを、ずーっと間借りして、いろいろなことを発言させていただきました。

よく、ブログが荒れているとか、炎上する、とか言いますけど…。
私の投稿記事には、そういう記事も少なくありましたが…😱

あさ川さんは、迷惑だとも、自分でブログやれば、ともおっしゃらずに、いつも、快く投稿記事を載せてくださいました。

ありがとうございました✨✨✨

さらに、私が、阿弥陀さまのお救いに出遇わせていただけたのも、あさ川さんとのご縁なしには、ありませんでした😊🙏

本当に、不思議で有り難いご縁をいただきました。

そういうことも、ぜーんぶ、阿弥陀さまのお手回し、おはからいと、有り難くいただいております。

私は1は年くらい前から、自分でブログを開設しようと思っていたのですが、なかなか、動き出せず、今回、ようやく、ブログの開設のお知らせをすることができました。

今まで、あさ川さんのブログを間借りして、発言していたお話しは、今後は自分のブログで発言していきます。

ただ、埼玉恵日会のお知らせなどは、こちらのブログでも、させていただきたいと思っていますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

私のブログは、

RCの如是我聞 


http://rcrc1535.livedoor.blog/


です。

私は、お聴聞が大好きなので、お聴聞させていただいた内容や、自分のお味わいなどを、綴っていこうと思っています。

ぜひ、覗いてみてみてください。
よろしくお願いいたします。

それから、もう一つ、お知らせがあります。

次回の埼玉恵日会は、緊急事態宣言中ではありますが。
予定通りに、会場でも、zoomでも、開催させていただきます。 

ご参加、お待ちしております。

勉強会は、
日時 : 9月5日(日)14:20〜16:30
場所: JR熊谷駅 直結 ティアラ21 4階ハートピア 会議室 (熊谷市男女共同参画推進センター)

講師: 阿部 信幾 先生
    (本願寺派輔教)

◎勉強会では『ご文章』についてお聞きする予定です。「凡夫往生の手鏡」と、浄土真宗では古くから親しまれ、大切にされてきたお聖教を、共に味わわせていただきたいと思います。
お待ちの方は、『ご文章』、『注釈版聖典』をご持参ください。

また、質問も受け付けております。
質問は、今まで通りに、 

rokujinotsudoiアットマークyahoo.co.jp 
(アットマークは、@に変えてください)

へ、お願いします。

あまり実感もないのですが、埼玉県も緊急事態宣言中なのでした。新型コロナウイルス感染症が流行し始めて久しいですが、昨年の2月以降はおおむね埼玉県から出ない生活が続いております。厳密に言うと、この4月から東京勤務になったので、週に数回は仕事のために東京に行ってますが、それ以外で東京には行ってません。


東京オリンピックによって4連休だとか3連休だとかができまして、一応内勤の私もその恩恵にはあずかっているのですが、例によって遠くに行くこともなく買い物などで平和に過ごしております。


そんな折、気分転換という名目で、先日深谷の大河ドラマ館に行ってきました。


今回のNHK大河ドラマは、「埼玉の三偉人」の一人渋沢栄一翁が題材とのことのようです。その地元血洗島のある深谷市に、大河ドラマ館ができたという折込ちらしが入っていました。ちなみに、深谷市が渋沢栄一翁推しなのは今に始まったことではなく、私が熊谷に引っ越してきた十年以上前から推しであることは変わってません。


私は自宅にテレビがないので当然大河ドラマも全く見ていないのですが、せっかく近いところにできたということで一人で見に行くことにしたのでした。近いといっても自動車で15分くらいは掛かりますが、今回はわざわざ列車で行って深谷駅から歩いて行ったのでした。ほとんど地元のようなものだからと事前に全く調べず行った私が悪いのですが、いわゆる観光地のような親切な道案内はなかったのと、駅前の地図を雑に見てしまった結果深谷市役所の裏と勘違いしてしまったのとが重なって、実際の道のりより遠く感じてしまいました。なお、公式でも徒歩15分ですからそれなりに歩きます。


深谷公民館の体育室を改装したような空間に、大河ドラマ館はありました。


生家の「中の家」のセットや、衣装や小道具、パリ万博のエレベーターらしきセットなどが展示され、それぞれどういう狙いで作ったか、何に注意したか、どういったことに苦労したか、などといったことがパネルで解説されていたわけですが、おそらく私の場合、たとえ大河ドラマを見ていたとしてもそのような点にはまったく考えが及ばずただ見ているだけだったのだろうな、などと思ったりしました。


そういえばこんなご和讃を思い出しました。


如来の作願をたづぬれば
苦悩の有情をすてずして
回向を首としたまひて
大悲心をば成就せり
(正像末和讃)



前を向いても南無阿弥陀仏、後ろを向いても南無阿弥陀仏、歩いていても南無阿弥陀仏なら寝っ転がっても南無阿弥陀仏、出てくる南無阿弥陀仏も聞こえる南無阿弥陀仏も弥陀のおはからいといただいておるわけですが、そもそも弥陀が本願建てられたそのことについて、どこまで思いが及んでいるか。ご和讃ではなるほどその通りのことが教えられているわけですが、それをいつもいつもかみしめているかと言えば、全然そういうこともない、それゆえに南無阿弥陀仏はありがたいものだと、そんなことを大河ドラマ館の展示を見ながら味わったのでした。


南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏、、、

(8/13追記)
あさ川です。一時、RCさんの意向により非表示にしていましたが、以下の通りRCさんから再表示してほしいとの連絡がありましたので再表示します。

>RCです。
>記事を非表示にしましたが。
>再表示して欲しいという依頼があり、いろいろ考えた結果、再表示させていただくことにしました。
(追記ここまで)



あさ川です。

先日は埼玉恵日会でしたが、その埼玉恵日会での質問についてRCさんから投稿文をいただきましたので掲載します。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、、、

========(以下、RCさんからの投稿文です)========

RCです。

7月4日は、埼玉恵日会をzoom併用で開催させていただきましたが、特にトラブルもなく無事に終えることができて、ホッとしています。

埼玉の会場、zoom、ご参加くださった皆さま、ありがとうございました。

今回の埼玉恵日会では、私が質問を3つ提出させていただきました。

その質問は、以前、私があさ川さんのブログに投稿させていただいた記事に、「横から」さんが、コメントに書いてくださった質問です。

「横から」さんの質問コメントは、
「どういう理由で、阿部先生がおっしゃることに納得できないのか」ということがわかり易く書いてありました。

 私は、多くの方が、阿部先生のおっしゃることが納得できない理由も、「横から」さんが納得できない理由と、ほぼ同じだろうと思い、今回の埼玉恵日会で質問に上げさせていただくことにしました。

「なぜ今頃になって?」と思われるかもしれません。

なぜ、今、過去のコメントの質問を埼玉恵日会で取り上げたのかと言いますと…。

少し前に、阿部先生のYouTubeの法話を投稿させていただけて、だいぶ、今までの誤解が解けたのではないか、と思いました。

でも、たぶん、まだ、「横から」さんが質問してくださったことと同じ疑問を持っていらっしゃる方も少なくないと思っています。

それで、阿部先生のYouTubeのご法話に続けて、多くの方が疑問に思っておられると思われることについて、埼玉恵日会で質問させていただいて、少しでも疑問が解消されたらいいなぁと思った次第です。

それで、今回の埼玉恵日会では、「横から」さんのコメントから、3つを質問として上げさせていただきました。
(正確には、2つは「横から」さんの質問コメントで、最後の一つは、「横から」さんのコメントの内容について、私が疑問に思うところを阿部先生に聞きした、私の質問です。)

今回は、そのうちの二つの質問にお答えいただき、次回にもう一つについて、お答えいただく予定です。


さて…。
埼玉恵日会での阿部先生のご回答を
どういう形で、皆さんにお届けしたらいいか?
と、いろいろ考えました。

埼玉恵日会は、ご参加くださる方から参加費をいただいて運営しております。
ですから、zoomの録画の画像も埼玉恵日会へご参加の方に限定して配信しております。

ですので、私が勝手に、あさ川さんのブログで埼玉恵日会のzoomの録画を公開することはできません。

また、阿部先生の回答を、私が文字起こしをする、という方法も考えましたが。

今までので経験から、あまり良い結果にならない、と予想されたので、文字起こしはやめました。

それで、
7月4日の埼玉恵日会のzoomの録画につきましては、この記事をお読みになられて、zoom録画の配信を希望される方には、埼玉恵日会のzoomの参加費を、お納めていただいて、その方へzoom録画を配信させていただくことにしました。


※7月4日の埼玉恵日会のzoom録画の配信を希望される方は、私のメールアドレス

rokujinotsudoiアットマークyahoo.co.jp
(アットマークは、@に変えてください)

に、7月4日の埼玉恵日会zoom録画の配信希望と書いたメールをお送りください。

そして、お手数ですが、参加費をお振り込みください。

●参加費 
3,000円

●振り込み先
みずほ銀行(0001) 熊谷支店(535)
普通 3028423 埼玉恵日会

振り込みを確認いたしましたら、zoom録画をお送りいたします。 


では、以下は、今回、私が埼玉恵日会に提出させていただいた質問です。

●第1問 

埼玉恵日会での先生のお話しの文字起こしを読ませていただきました。
何を聞く・信じるかについて、法然聖人の教えでは十八願、親鸞聖人の教えでは名号というように、先生は話をされていると理解しました。

しかしながら、『御消息』にて

御文くはしくうけたまはり候ひぬ。さては、この御不審しかるべしともおぼえず候ふ。そのゆゑは、誓願・名号と申してかはりたること候はず。誓願をはなれたる名号も候はず、名号をはなれたる誓願も候はず候ふ。かく申し候ふも、はからひにて候ふなり。ただ誓願を不思議と信じ、また名号を不思議と一念信じとなへつるうへは、なんでふわがはからひをいたすべき。ききわけ、しりわくるなどわづらはしくは仰せられ候ふやらん。これみなひがことにて候ふなり。ただ不思議と信じつるうへは、とかく御はからひあるべからず候ふ。往生の業には、わたくしのはからひはあるまじく候ふなり。あなかしこ、あなか しこ。

と仰せのとおり、十八願を離れた名号はなく、名号を離れた十八願はないというところに立って、宗祖は教えを説かれたと私は理解しております。

そして、根拠を一つ一つ挙げるまでもなく、宗祖のお書きになられたものには、本願を聞く・信じるという表現も、名号を聞く・信じるという表現も随所に見られます。

そうすると、先生がお話になられたように、法然聖人の教えでは十八願を聞く、親鸞聖人の教えでは名号を聞くと分けてしまうことに疑問を感じざるを得ません。


先生は、「本願成就文に立脚して話をしているのだ」と反問なされるでしょうが、宗祖は、成就文の「聞其名号」を『一念多念証文』では、

「聞其名号」といふは、本願の名号をきくとのたまへるなり。きくといふは、本願をききて疑ふこころなきを「聞」といふなり。またきくといふは、信心をあらはす御のりなり。

と釈されています。第一文では「本願の名号をきく」と仰り、第二文では「本願をききて・・・」と仰っていることから明らかなように、名号を聞くということと、本願(十八願)を聞くということは、宗祖の上で、成就文を解釈するにあたっても同一のことであったと理解できます。

誓願と名号が同一であると宗祖が教えられていることや、宗祖の成就文の解釈を踏まえますと、先生が話をされるように、宗祖と元祖で所聞・所信の法が異なるかのように説くことは理解し難いのですが、この点について詳しくご説明頂きたいと思います。



●第2問

第1問に関連した質問です。

先生はお話の中で、歎異抄は「十八願を信じて、念仏申そうと思った時に摂取不捨」、それに対して、教行信証は「名号のいわれを聞いて、信心歓喜乃至一念の時に、即得往生」と話をなされ、「即得往生の時が違う」と説明されていますが、「即得往生の時が違う」とはどういう意味で仰ったのでしょうか。

十八願を聞く・信じることと、名号(のいわれ)を聞く・信じることとは、同一のことであるという理解に立てば、両者には表現上の差異があるのみであって、同じことを言われていると理解することができます。

先生が、両者が違うとお話になったのは、一体何が違うのかを具体的に教えていただきたいと思います。


●第3問

以下、「阿弥陀さまは、念仏せよ、とおっしゃっている」という方の主張です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「本願招喚の勅命」の具体的な内容は、念仏往生さんも挙げられているように「なんぢ一心に正念にしてただちに来れ、われよくなんぢを護らん。すべて水火の難に堕せんことを畏れざれ」であり、「正念」というところに念仏の意味があります。

また、六字釈でいえば、「帰命は本願招喚の勅命なり。」の後に、「発願回向といふは、如来すでに発願して衆生の行を回施したまふの心なり。」とあり、如来が衆生に往生の行、すなわち念仏を回施して下さることが明かされています。

「本願招喚の勅命」の内容からしても、六字釈の「発願回向」の意味からしても、「念仏称えよ、でない」とわざわざ付加することが適切だとは思いません。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この方の「本願召喚の勅命」の解釈、六字釈の「衆生の行を回向したまふ」の解釈について、浄土真宗のご法義に合っているのか?お聞きしたいです。

あさ川です。

先日のRCさんからの投稿文について、今回改めて投稿文をいただきましたので掲載します。


別件ですが、先日、投稿文のタイトルの書式を統一(末尾に投稿主の名前を記載)しました。間違っているなどあるようでしたら、こっそりメッセージをいただければと思います。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、、、


========(以下、RCさんからの投稿文です)========


度々、失礼いたします。
RCです。

前回の記事で、阿部先生のYouTubeの法話を投稿させていただきましたが、今まで、批判されていたaさまから、私にとっては、大変有り難いコメントをいただきました。
(aさんのコメントは、前回の記事のコメント欄をご覧ください)

阿部先生は、親鸞会関係のブログは見ておられませんので…。
阿部先生に、私から「あるブログに、阿部先生のYouTubeの法話をアップしてもらったところ、今まで批判されていたaさんという方から、このような有り難いコメントがありました」という報告をさせていただきました。

阿部先生からは以下の返信をいただきました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

《阿部先生からの返信》

私も最初は表現が雑で、大分、誤解を与えてしまったと反省していますが、言おうとしている事は変わっていません。

念仏を勧めておられるはお釈迦様で、あれは観無量寿経の法門です。

法然様は観経を拠り所として法を説かれ、
宗祖は大経を拠り所として、本願成就を説かれます。

真宗は蓮如上人の御文章を通して伺わないと、皆、間違います。

RCさんを悪くいう方は、
歎異抄のみを通して、御文章を通さないところに、一番の間違いがあります。

しかしaさんの様な方が出て来たと言う事は、本当に嬉しい事ですね

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(ここから後は、RCの文章です)

浄土真宗は、蓮如上人以来、『ご文章』で伝わってきたご法義です。

『歎異抄』は、
明治時代に、お東の清沢満之氏が、『阿含経』『エピクテタス教訓書(ギリシャ哲学の教え)』とともに『歎異抄』を、「私の愛読書」として一般に紹介されたことがきっかけで、世間一般に広まり、多くの人に読まれるようになった書物です。

それ以前は、一般の真宗門徒は『歎異抄』を読む機会はなく、『ご文章』を「凡夫往生の手鏡」として大切されていたのです。

五百年の時を経て、私たちまで「阿弥陀さまのお救い」をお伝えくださったのは、蓮如さまの『ご文章』を大切に拝読された方々です。

一文不知の尼(尼:家事や子育てに忙しくお聴聞に多くの時間を使えない女性達)入道(入道:形ばかりの僧侶たち)に、阿弥陀さまのお救いを届けたのは、蓮如さまがお書きくださった、ひらがな混じりの易しい言葉の『ご文章』なのです。


『ご文章』四帖目八通

阿弥陀仏の、むかし法蔵比丘たりしとき、「衆生仏に成らずはわれも正覚ならじ」と誓いましますとき、その正覚すでに成じたまひしすがたころ、いまの南無阿弥陀仏なりとこころうべし。これすなはちわれかが往生の定まりたる証拠なり。されば他力の信心獲得すといふも、ただこの六字のこころなりと落居すべきものなり


蓮如上人は、
南無阿弥陀仏のお名号を「われらが往生の定まりたる証拠なり」とおっしゃってくださいます。

私たちの生きている世界は、「私たちの往生の定まりたる証拠」が届いている世界なのです。

「往生の証拠が届いている」

これ以上の安心はありませんね。

だから、浄土真宗の信心を、「ご安心」というのですね。

なもあみだぶつ


※阿部先生からのメッセージの内容につきましては、ご質問や疑問をお持ちの方も、少なくないのでは…?と思います。
せっかくのご縁ですから、ご遠慮せずに埼玉恵日会にご参加くださって、ご質問していただけたら、と思います。
埼玉恵日会で、発言するのは気が引ける、という方は、私へ質問をメールで送ってくだされば、埼玉恵日会で質問として上げます。

私のアドレスは

rokujinotsudoiアットマークyahoo.co.jp
アットマークは@に変えてください。

メール、お待ちしております。

◎次回の埼玉恵日会は、7月4日(日) 14:20〜16:30です。

このページのトップヘ