昨日、久しぶりにライブドアブログのアクセス解析を見ていました。目に付くのは、先週の日曜日(二千畳座談会の日)のアクセスがかなり少なくなっていたこと。元々更新をしていない日の翌日はアクセスが少ない傾向にあったのですが、それ以上の下がり方でした。ひょっとしたら、少なくないアクティブ会員さんもご覧になっているのかもしれない、と思いました。
また、変わったところでは、なぜか検索フレーズに
「携帯電話 電波が全く入らない」
で来られた方があったようです。そんなフレーズで検索エンジンに掛かるのか?と思ったのですが、昨日Googleで見たところ、なぜか検索7位でした。
先週の二千畳座談会の内容を、少しだけ教えてもらいました。
「善導大師は”実凡”と教えられたのに、なぜ親鸞聖人はあえて”権仮の方”と教えられたのか」
という趣旨の質問だったそうです。一通りの説明を終えられた後で、
「それでもやはり分かりません」
というような質問が終了前にあったようでしたが、打ち切られたそうです。また後で説明があるのでしょうか。
私は、こういうことは親鸞聖人に直接聞かない限り本当の意味では分からないのでは無いかと思います。
いつもながら、前の話が長くなりました。
今日、『「なぜ生きる 」を全人類に 2』のビデオを見ました。これは、以前に書いたとおりその名前のお布施を案内するビデオでした。
内容をすでにご存じの方もあるかと思いますが、私がやや意外に思ったのは、本願寺派の僧侶が出版した本の参考文献に『歎異抄をひらく』を出して、
「高森先生は、安心して読めます」
と書いてあったという話。
私はまだ現物を見ていませんが、アマゾンの書評を見ると、どうも事実のようです。内容としては仏教書と言うより自己啓発系の匂いがいたしましたが。
ちなみに著者はウィキペディアに出てましたが、「日本の環境心理学者・評論家・浄土真宗の僧侶」だそうです。僧侶が本職ではないかもしれません。
ビデオでは、「参考文献に出ている名だたる本願寺の仏教学者の中で 、”安心して読める”のコメントがあったのは高森先生だけだ」ということで、「ほかのものは”安心して読めない”ということだ」という話になっていました。
ここで「親鸞学徒の本道」の話になりました。
ほかの話題としては、
・「ご著書」を通じて「本当の親鸞聖人の教え」に出会った方の喜びの声(国内・海外)
・本願寺の妨害で、8月の全国紙の「仏教書特集」のページに広告が出せなくなった事件
・ 今回の浄財はすべて「新聞広告」「ラジオ布教」「翻訳の大事業」に生かされます。
・総額1億円。
このお布施は、「人生の目的を全人類に」という趣旨ですので 当然ながら「宿善になる」「信仰のバロメータ」などの話は出ませんでした。
私が言っても仕方ないことだとは思うのですが、「親鸞聖人の教えを全人類に知ってもらいたい」の気持ちで出されるはずの浄財に、最初から1億円という金額を設定するというのが、どうにも合わないように思えます。
企業ならば予算を組んでスタート、となるのでしょうけど。
また、変わったところでは、なぜか検索フレーズに
「携帯電話 電波が全く入らない」
で来られた方があったようです。そんなフレーズで検索エンジンに掛かるのか?と思ったのですが、昨日Googleで見たところ、なぜか検索7位でした。
先週の二千畳座談会の内容を、少しだけ教えてもらいました。
「善導大師は”実凡”と教えられたのに、なぜ親鸞聖人はあえて”権仮の方”と教えられたのか」
という趣旨の質問だったそうです。一通りの説明を終えられた後で、
「それでもやはり分かりません」
というような質問が終了前にあったようでしたが、打ち切られたそうです。また後で説明があるのでしょうか。
私は、こういうことは親鸞聖人に直接聞かない限り本当の意味では分からないのでは無いかと思います。
いつもながら、前の話が長くなりました。
今日、『「なぜ生きる 」を全人類に 2』のビデオを見ました。これは、以前に書いたとおりその名前のお布施を案内するビデオでした。
内容をすでにご存じの方もあるかと思いますが、私がやや意外に思ったのは、本願寺派の僧侶が出版した本の参考文献に『歎異抄をひらく』を出して、
「高森先生は、安心して読めます」
と書いてあったという話。
私はまだ現物を見ていませんが、アマゾンの書評を見ると、どうも事実のようです。内容としては仏教書と言うより自己啓発系の匂いがいたしましたが。
ちなみに著者はウィキペディアに出てましたが、「日本の環境心理学者・評論家・浄土真宗の僧侶」だそうです。僧侶が本職ではないかもしれません。
ビデオでは、「参考文献に出ている名だたる本願寺の仏教学者の中で 、”安心して読める”のコメントがあったのは高森先生だけだ」ということで、「ほかのものは”安心して読めない”ということだ」という話になっていました。
ここで「親鸞学徒の本道」の話になりました。
ほかの話題としては、
・「ご著書」を通じて「本当の親鸞聖人の教え」に出会った方の喜びの声(国内・海外)
・本願寺の妨害で、8月の全国紙の「仏教書特集」のページに広告が出せなくなった事件
・ 今回の浄財はすべて「新聞広告」「ラジオ布教」「翻訳の大事業」に生かされます。
・総額1億円。
このお布施は、「人生の目的を全人類に」という趣旨ですので 当然ながら「宿善になる」「信仰のバロメータ」などの話は出ませんでした。
私が言っても仕方ないことだとは思うのですが、「親鸞聖人の教えを全人類に知ってもらいたい」の気持ちで出されるはずの浄財に、最初から1億円という金額を設定するというのが、どうにも合わないように思えます。
企業ならば予算を組んでスタート、となるのでしょうけど。
コメント
コメント一覧 (5)
親鸞会では一応、「仏願の生起本末」を正しく説いているが、誤解している会員が多いという理解でよろしいでしょうか。
例えば、『静かな劇場』のブログ主さんの理解は間違いであると判断してよろしいですか。
要するに「読んでも何も感じない」ってことでしょ。
お返事ありがとうございます。なんとなく思うところはありますが。
>親鸞会では一応、「仏願の生起本末」を正しく説いているが、誤解している会員が多いという理解でよろしいでしょうか。
こう言ってしまうと聞いている側に全面的に非があるように聞こえますので、私の返事がやや婉曲的だったかもしれません。
「一応説かれてはいると思いますが、首をかしげるところもあります」というのは、一応説かれてはいるが、一方で私でも首をかしげてしまうようなことも説かれている(ように聞こえる)、ということです。もちろん、聞く側の受け取りですけれども。
「静かな劇場」の中の人に限らず、私はほかのブログの方の教義的な理解に対して口を挟むような立場では無いと思いますし、全部読んでいるわけでもありません。
元々おたずねの「仏願の生起本末」について書かれている「名号のいわれ」のエントリで書かれた部分については、足りないのでは無いかと思いました。よく読まないとスルーしてしまったかもしれませんが。
コメントありがとうございます。
>要するに「読んでも何も感じない」ってことでしょ。
実際のところは著者に聞かないとよく分かりませんね。参考文献ですと文脈もありませんし。
補足になるか分かりませんが、補足します。
「足りない」と言ったことについて。
私がかつて学生時代に、この至心釈のお言葉について、「機無、円成、廻施」ということを聞きました。ただ、静かな劇場の中の人のエントリでは、この廻施の部分が抜けているように思ったから「足りない」と言ったのでした。
「薬が出来たのを病気が治ったのと早合点した」わけではないとおもいますが、廻施が抜けていたら「薬が出来た」ところで話が止まってしまうのではないかと思います。
蛇足かもしれませんが、信心 not equal 教義的な理解 と私は味わっています。何を当たり前のことを、と思われるかもしれませんが。