あさ川進の、宗教と私

浄土真宗親鸞会に所属しながらアウトサイダーだった私(現在は会員でなくなりました)が、宗教(浄土真宗親鸞会)との付き合い方を考えつつ書いている更新頻度が低いブログ(この説明も暫定です)リンクフリーです。なお、投稿文を受け付けております。「【投稿文】」と書かれている記事は、頂いた投稿文です。

2012年10月

じつはもう、10月も終わるのですね。今週末はご法話で、ひさしぶり?に参詣予定です。




報恩講のお話の中で、「摂取不捨の真言」の説明のところで

「”摂”は、逃げ回っているものを追いかけて捕らえて救いとる」というのがあった、というお話は以前にしたと思います。


親鸞聖人のことですので、おそらくは「摂取」について解説を施されているところがあるのだろう、と思ってはいたのですが、不勉強のためそのままになっていました。


それが今日、たまたま見つかりました。


 『「摂」は、おさめたまう、「取」は、むかえとると、もうすなり。』 (一念多念証文)

 
こないだの報恩講のときには、


「”取”は、ふつうの”とる”」


とだけ話があったと記憶していますが、「むかえとる」と聞きますと、また違った味わいが出てきます。


古文が苦手だった私ですので、違っているのかもしれませんが、
「むかえとる」と聞きますと、「迎えとる」、弥陀大悲の願船がこちらまでやってきて迎えて下さる、まさに他力本願の妙味が感じられるのです。



『真宗用語辞典 蓮如篇』に、

「 十方微塵世界の
 念仏の衆生をみそなわし
 摂取してすてざれば
 阿弥陀となづけたてまつる」 (浄土和讃)
 
のご和讃の左訓として

「摂はおさめとる、取るは迎えとる」

と書かれている、と出てました。よくよく調べてみますと


・ ひとたびとりて長く捨てぬなり
・摂はものの逃ぐるを追わえ取るなり
・摂はおさめとる、取るは迎えとる


と書かれているようです。 報恩講の「摂」の説明は2番目のものだったと思いますが、親鸞聖人がここで摂取について3つ書かれていること、それぞれがこのように並ぶと、なおさら「摂取」の言葉が深く味わわれるように思います。


 
「真剣に求めているつもり」になればなるほど、自分が弥陀の本願を「求めている」ように錯覚してしまいますが、願い待ち尽くされているのは、まさに弥陀であったと味わわれます。 

今日、11月1日号の顕正新聞を受け取りました。
たぶん恒例になるのでしょうが、一面にある「真実開顕へ刻む時」は、4年8ヶ月になりました。


今回のトップ記事は、本願寺が公開した、新たに発見された親鸞聖人真筆のご和讃についてでした。
今日はその記事を紹介します。


そのご和讃は、いろいろなところで出てました、

「如来の遺教を疑謗し 方便破壊せんものは
 弓削の守屋と思うべし 親しみ近づくことなかれ」

のご和讃です。


ちなみに、親鸞聖人が「方便破壊」という言葉を使われている箇所が2カ所見つかりました。
いずれも、「親鸞聖人御消息集」で、善導大師の法事讃を引かれたところでした。


「そのゆえは、釈迦如来のみことには、念仏のひとをそしるものをば、「名無眼人」ととき、「名無耳人」とおおせおかれたることにそうろう。善導和尚は、「五濁増時多疑謗  道俗相嫌不用聞  見有修行起瞋毒  方便破壊競生怨」(法事讃)と、たしかに釈しおかせたまいたり。この世のならいにて、念仏をさまたげんひとは、そのところの領家・地頭・名主のようあることにてこそそうらわめ。とかくもうすべきにあらず。念仏せんひとびとは、かのさまたげをなさんひとをば、あわれみをなし、不便におもうて、念仏をもねんごろにもうして、さまたげなさんを、たすけさせたまうべしとこそ、ふるきひとはもうされそうらいしか。よくよく御たずねあるべきことなり」 (9)

「詮ずるところ、ひがごともうさんひとは、その身ひとりこそ、ともかくもなりそうらわめ、すべてよろずの念仏者のさまたげとなるべしとは、おぼえずそうろう。また、念仏をとどめんひとは、そのひとばかりこそいかにもなりそうらわめ、よろずの念仏するひとのとがとなるべしとは、おぼえずそうろう。「五濁増時多疑謗  道俗相嫌不用聞  見有修行起瞋毒  方便破壊競生怨」(法事讃)と、まのあたり善導の御おしえそうろうぞかし。釈迦如来は、「「名無眼人、名無耳人」と、とかせたまいてそうろうぞかし。かようなるひとにて、念仏をもとどめ、念仏者をもにくみなんどすることにてもそうろうらん。それは、かのひとをにくまずして、念仏を、ひとびともうして、たすけんとおもいあわせたまえとこそ、おぼえそうらえ」 (10)


なお、今日は「テレビ講演会」がありましたが、私は組合がらみの仕事でご縁がありませんでした。





===(顕正新聞 平成24年11月1日号より引用)===

方便破壊の群賊悪獣に賜る直筆の『ご和讃』発見される


親鸞聖人真筆のご和讃が発見されたと、10月4日の『朝日』をはじめ全国各紙に写真入りで報じられた。本願寺が発表、公開したからである。
その『和讃』には、
「如来の遺教を疑謗し
 方便破壊せんものは
 弓削の守屋と思うべし
 親しみ近づくことなかれ」
と仏教の方便を破壊するものへの激しい怒りが記されている。


「如来の遺教を疑謗し、方便破壊せんもの」とは、釈迦一代の教えを疑謗し、仏教を破壊する者のことである。
「弓削の守屋と思うべし、親しみ近づくことなかれ」とは、それらの者は聖徳太子を疑謗破滅した仏敵、物部守屋と思って間違いない、決して近づいてはならない、との教誨である。
釈迦一代の教えを疑謗することが、なぜ仏教の方便を破壊することになるのだろうか。親鸞聖人は『一念多念証文』に、
「凡そ八万四千の法門は、みな是れ浄土の方便の善なり、これを『要門』という」
と明言されている。
これは、釈迦一代の教えは、浄土(阿弥陀仏)往生の方便の善が説かれているのだとの親鸞聖人の断定である。そのような浄土(弥陀)の方便が説かれている仏教を疑謗することは、仏教の方便を破壊することになることは自明のことである。
仏教で「方便」とは、目的を果たすに不可欠な方法手段をいう。
十方諸仏の本師本仏でまします阿弥陀仏は、
「どんな人も、必ず絶対の幸福に救い摂る」
と真実の十八願で誓われている。その自らの約束を果たすために、必要不可欠な方法手段として建てられたのが、十九、二十の方便願だと親鸞聖人は教えられている。
その弥陀の十九願は「修諸功徳の願」とも言われ、諸善のお勧めである。
本師本仏の弥陀の方便である十九の願意を釈迦は生涯かけて明らかにされたから、釈迦一代の教えが廃悪修善であったのは当然であろう。ゆえに聖人は、その釈迦の教えを疑謗する者を「弥陀の方便を破壊する者」と言われているのである。

なぜ「方便破壊」なのか

ここで親鸞聖人が、「真実破壊せん者」と書かれずに、あえて「方便破壊せん者」と記されていることに注目しなければならない。
何人たりとも、方便なくして真実に入ることは絶対にできないから、方便の破壊は即ち真実の破壊であるからだ。
こんな和讃があるのは親鸞聖人のご在世にも、方便を破壊することになることはが多かったからであろう。500年前に蓮如上人の時代にも、同様の者があったと見えて、次のような記録がある。
「蓮如上人仰せられ候。『方便を悪しということは有る間敷なり。方便をもって真実を顕わす廃立の義、よくよく知るべし。弥陀・釈迦・善知識の善巧方便によりて、真実の信をば獲ることなる』由、仰せられ候と云々]
(蓮如上人御一代記聞書)
(意訳)
「蓮如上人が仰せになった。『方便など要らないなどとは、言語道断言うべきことではない。恐ろしい大法謗である。方便からしか真実には入れぬと説かれた、親鸞聖人の教えが全く分かっていないのだ。弥陀・釈迦・善知識の善巧方便によってのみ弥陀の救いに値う(真実の信心を獲る)ことができるのである』」
いつの時代も、方便破壊の大謗法の輩が多いことが知らされる。

秋あたかも我々の周囲にも、
「十九願など我々には関係ない。十八願だけを素直に聞いておればいいのだ」
「方便など要らない。真実だけ聞けばいい」
「善の勧めは不要だ。遠回りだ」
などと放言する方便破壊の群賊悪獣が溢れている。
この『和讃』の新発見が、なぜ今なのか。見・聞・知の聖人が共に真実開顕なされていることが、いよいよ明らかに知らされる。
今こそ親鸞学徒は、敢然として方便破壊の群敵に斬り込み、三願転入の仏意の開顕に猛進しなければならない。


メッセージを寄せて頂いた方とメールなどでやりとりをしている中に、
「寺で”浄土真宗はごほうび・おねだりを捨てた宗教”」
という話を聞いた、という話を聞きました。


これは、多くの宗教が”ごほうび・おねだりの宗教”、それは「これだけ頑張ったのだから、これくらい幸せになって当然」の思いから成立している、という話が前提としてあったようです。(これは私の解釈)


この話を聞いて私は、親鸞会のご法話でよく聞いた「こんぴらさんの話」を思い出しました。


最近はあまり聞くご縁が無く残念ですが、概要を思い出しながら書きますと、以下の通りです。
(大きく違っていたらご指摘下さい)


=====
普段から熱心に「こんぴらさん」を信仰している夫婦があった。

あるとき、奥さんが産気づいて出産に際して苦しんでいた。産婆さんを呼ぶお金も無い。

そこで主人が、普段から信仰しているこんぴらさんに参って、安産の願掛けをした。

(中略:水をかぶってみたり、色々なことを差し出しながら願掛けした)

それでもなかなか子供は生まれてこず、奥さんのうめき声は続く。

ついに主人は、「妻が安産できたら、銅の鳥居を一対喜捨します」と願を掛けた。
 
その声を聞いて奥さん、痛みも忘れてびっくり。
「あんた、 産婆さんも呼べないほど貧乏なのに、銅の鳥居なんかどうやって用意するのよ!」

すると主人は、
「うるさい!こうやってこんぴら騙している間にとっとと産んでしまえ。
 生まれたらこっちものだ。誰が銅の鳥居なんか喜捨するか」
と言ったそうな。
=====


「こんぴらさん 」の信者ではありませんが、高校時代に四国へ行った時に、あの高い階段を上った記憶がありますので(参拝をした記憶はありませんが)、なんとなく聞くたびにそのことを懐かしく思い出していました。


「ごほうび・おねだりの宗教」と聞いて、ああ、この主人はまさに”見返り”を求めた信心だな、と思ったものでした。


恥ずかしい話ですが、 学生時代の私も、まさに「これ」でした。


いつぞや最近の報恩講で「元取り済んで娑婆遊び」という話がありました。
まさに、「さっさと”絶対の幸福”になってその後の人生を満喫しよう」という思いしかありませんでした。


思えば、新歓(勧)合宿での38000円 が惜しくて続けたのも、「これだけ金や労力をつぎ込んだのだから」の思いが消えなかったからです。


結局は弥陀との取引で、「どれだけすればいいですか、これだけでは足りませんか」と、弥陀の助けを値踏みして、「助かったら”身を粉に骨を砕いてもご恩報謝(できるかは知らない)”」と、弥陀には必要とされていない「お礼」を勝手に出して、「ああではない、ではこうですか」と。


そして、いざ人生の目的を達成したら、さっさと仏教から離れてしまえば良い、とも思っていました。



弥陀の本願を信じる、信心とは、そういうものとは全く違います。
見返りを期待してその見返りが帰ってくるものでも無く、私の努力が報われるということでもありません。
信心を頂くまでは殊勝な態度を示して、いざ信心を頂いたらさようなら、というものでもありません。



まさにこの「こんぴらさん」信心の主人は、弥陀の本願を追いかけていた(正確に言うと、弥陀の本願喜ぶまで弥陀の本願ということにさえ心が向いていませんでしたが)ときの私が思い出されます。


「『一念』と言うは、信心二心なきがゆえに『一念』と曰う」(教行信証信巻)



頂いたメールから、そのようなことを思い返しました。 




最近、また更新のペースが落ちてきたのは、私の個人的な事情です。
またしばらく間隔が開くかもしれません。 
いつもながら、このカテゴリの記事をまとまりなく感じられたらすみませんでした。

最近は個人的な用事もありまして更新が滞りがちでしたが、なぜか4日ほど放置していたにも関わらず、ブログポータルナビからは落ちませんでした。2日放っておいても落ちることもありますので、やはり波がある、ということでしょうね。


飛雲氏のブログに、教行信証に引用されている

律宗の用欽のいはく、「法の難を説くなかに、まことにこの法をもつて凡を転じて聖となすこと、なほし掌を反すがごとくなるをや。大きにこれ易かるべきがゆゑに、おほよそ浅き衆生は多く疑惑を生ぜん。すなはち『大本』(大経・下)に〈易往而無人〉といへり。ゆゑに知んぬ、難信なり」と。


が紹介されていました。思えば私も社会人に成り立ての頃、教行信証を全部読み通そうとしていたときにこの文に出会いました。初めて読んだ時は「そうなんだろうけど、どんなことだろうか」と思ったものでした。
今はそれを当然とも不思議とも、形容しがたい思いでいっぱいです。 



ところで、以前に「教学講義」について少し言及したような気がします。

私が大学生当時、この教学講義は「大導師以上」であれば受講できました。

それが、ある除名騒動をきっかけに(?)、学階以外の受講資格が要求されるようになりました。
私が学生当時は、

・活動日数、1ヶ月に15日以上

だったと思います。ご報謝額とか会費の納入状況などもあったような気もしますが失念しました。

この条件を満たさないで教学講義を受講しようとする場合、
「一切反抗的な態度は取りません」「反抗的な人がいたら必ず報告します」といった趣旨の誓約書を書く決まりになっていました。


私は、その誓約書を書くのが厭でしたので、近隣の大学に出かけては声を掛けるという「活動」をしたりして、なんとか抵触しないようにしていました。


ところが、「親鸞会の本尊論を再考する」「親鸞会の本尊論を再再考する」のブログをぶちあげたことによって、2006年1月の教学講義の受講資格に抵触しました。


当たり前と言えば当たり前(と言えば、多くの方はおわかりかと思います)のことですが、そのようなわけで、

「ブログを発表した経緯と、それについてどう思っているか、またどう理解しているか」のメールを寄越しなさい、

ということになりました。


それで書いて送ったのが、以下のメールです。


当時の状況を考えながらこれを読まれて、どのような感想を持たれるかは人によって異なるかと思います。


結果的には、このメールを読まれた上で、「来たら良い」ということになり、一晩この件について話をすることになりました。


そして、話をした上で、本尊論ブログを閉鎖しました。




どのような感想を持たれるかは分かりませんが、現在はともかく当時の状況からして、このメールでほとんど何のお咎めも無かったことを、意外に思われる方は少なくないのではないかと思います。




=======(2006/1/21 あさ川⇒当時の担当講師)=========

<経緯について>
詳細を書きますと相当長くなりますので、かいつまんで書きます。

元々実家が阿弥陀仏の木像であったために、雑行にはならないというが
どうなのかということがありました。
率直に言えば親鸞会の教義に関しての疑問もありまして、
ちょうどそんな頃に本願寺の論文を読みました。

その論文をそのまま鵜呑みにするのも危険なので、色々調べてみたのですが、
調べられる範囲で調べる限りにおいては、『山科本願寺並其時代事』には確かに
山科本願寺建立の際に据えられた本尊は木像であったとの記述があるなどが
確認できました。

「真宗の正しい御本尊は名号であることを教え、名号本尊を固く守られた
親鸞聖人や蓮如上人に順って、浄土真宗の御本尊は名号でなければならぬ」
という主張が親鸞会の主張であるわけですが、

蓮如上人が下付されたと言われる形像も少なからず現存しているらしく、
先生が在家で話をされていたときに、絵像の家では、機を見られてしばらく
絵像に手を合わされていたとも聞いています。

上の主張は明らかに本尊における応病与薬を否定しているわけですが、
形像本尊を下付されたとか手を合わされたとか、据えられたとかいった事項は
まさに応病与薬とも取れます。いったいどちらなのか、
ということが疑問になったわけです。

果たして本尊は「名号でなければダメ」なのか、あるいは応病与薬も
あるのか、というのが大本の疑問としてありました。

そこで専任講師に聞けば良かったのでしょうが、そうはせずに、ブログを開設し、
それに対して親鸞会(恐らく弘宣部制作だと思っています)からの反論サイトを経て
私がさらなる質問ブログを開設する際に、W部さんに私が直接質問をさせていただいた、
というのが今回の経緯です。

最初のhttp://blog.duogate.jp/shinrankai/
二つめhttp://blog.livedoor.jp/shinran_kai/


<認識>
率直に言って、執った手段は良くなかったと思っています。
もっといえば、ブログを開設する前から、そういう認識はありました。

ではなぜこのようになったのかといえば、疑問をよりはっきりとして
おきたかったということがあります。

上のように「名号でなければダメなのか」「形像はダメなのか」と、
専任講師に尋ねれば、法然上人までは形像でしたので、
形像がダメでははない、という返事が返ってくるでしょうし、実際そういう返事でした。

ただ、そうなると、『どちらがウソか』のあの記述はなんなのか、という
話になります。あの文は明確に形像を否定しているようにしか読めません。
法然上人までは浄土真宗でないと言えなくもないので、
そういってしまえばおかしくはないのかもしれませんが。

別に私は、既に名号本尊でありますし、実家のこともありますが名号本尊が
悪いなどという気はありませんし、わざわざ木像にしますというつもりもありません。

私が問題にしているのは、一方では名号でなければダメだと言い、
一方では形像ではダメだというわけではないと言う、そのダブルスタンダードです。
結局どっちが本当なのかということをハッキリさせておかないと、またいずれ
誰か迷う人も出るだろうと思いました。

とにかく何を言っても手段が悪かったのはその通りだと思います。

分からないことがあれば、講師の方によく教えていただいて、分からなければ
分かるまでよく聞くのが本筋だと思います。そうしたいと思います。



<理解したこと>
W部さんからは{浄土真宗の正しい御本尊は御名号で、それは親鸞聖人が
本願成就文の「聞其名号」を根拠にされて御名号に変えられたからです」
と教えていただきまして、私も、「真宗の教えを見るときは成就文をものさしとして
見るのだ」ということについては理解しました。

ただ、よく分からないのは、
果たして親鸞聖人が「聞其名号」を元に自分は名号を本尊にしたし、また名号本尊で
なければならぬ、と教えて行かれたのかどうかという点です。
つまりそこに明確な根拠があるのかどうか。

名号を聞いて助かるということと、礼拝の対象を名号にすることが全く同じ次元の
話なのかどうかがまずよく分かりません。
少なくとも親鸞聖人は私が調べた限りにおいては、礼拝対象の阿弥陀仏はどれがよいとか
悪いとかいうことは殆ど教えられていないようです。木像絵像が良いともいわれて
ませんが、名号にせよともいわれているところがないわけです。

あとハッキリしなかったのは、私が最初に思っていた疑問についてです。
「名号でなければダメなのか」「形像でも差し支えないのかどうか」
2択で答えられるはずなのですが、どうもハッキリしませんでした。
「形像でも助からんということではないが名号がよい」と教えていただきましたが
つまりどうなのかはどうもハッキリしておりません。

あと、私に直接関係ない問題と言えばそれまでですが、本会において
退会者はご本尊を返却するよう求められるのは、口伝抄や改邪抄などに教えられる
聖人のお心と違うのではないかと感じるのですが、これについては
どうなのでしょうか。

一 弟子・同行をあらそひ、本尊・聖教を奪ひとること、しかるべからざるよしの事。
一 談議かくるとなづけて、同行・知識に矛盾のとき、あがむるところの本尊・聖教を奪ひ取りたてまつる、い
はれなき事。 

大切なご本尊の問題については、もっとよく学ばないと分からないなあと思っています。


<受講について>
昨日申し上げたように、教えがよく分かればもっとよく知りたいと思っていますので
できれば受講させていただきたいと思っています。
が、申し訳ないことに、どんなことでもさせていただくので受講させてくださいとか、
どんな仰せにも無条件で従いますとか、絶対に不祥事は起こしませんとか、
そういったところまでの殊勝な心はありませんし、そんな覚悟までもありません。
そのあたりでは、受講資格など無いのだと言われても仕方ないところだとも思います。
後は、以上のことを高配の上、ご判断願うより仕方ありません。
よろしくお願いします。
 

今日は「二千畳テレビ講演会」でした。が、私はご縁がありませんでした。
今日の演題は、「誠なるかなや~」のお言葉について、と聞いております。


あさ川にメッセージを送るフォームがありますが、そこから連絡を頂いた何人かの方とやりとりをしております。

その中で、私のことについて尋ねられることがよくありました。


それがきっかけで、今更な感じはいたしますが、今日、私が浄土真宗親鸞会とやりとりをした「親鸞会の本尊論を再考する」「親鸞会の本尊論を再再考する」をこちらにも転載しました。


私がどういうことでブログを書いて今に至っているのかについて、私は特にここで公開する必要も無いかなと考えていました。ただ、このブログを読まれるに当たって、そもそもあさ川が何をして今に至っているのかということを、ある程度は分かる形にしておいた方が良いのでは無いか、と最近思うようになりました。


その意味においては、私の「原点」と呼べるものです。


そして、このような内容のブログを7年前に公開しながら、今も会員を続けているということ、


正直なところ、なぜ私だけが残っているのか、と不思議な気持ちではあります。




(追記註)
「読んで」へのリンクを貼りっぱなしにしていますが、「読んで」は有料サーバを使用していたらしく既に閉鎖されています。

なお、「親鸞会の本尊論を再考する」の公開は2005/11/20で、その後に弘宣部から「~を読んで」という反論サイトが出されました。(これが2005/12/9)
「再再考する」は、それに対する再反論のブログです。

親鸞会の歴史を語る上で、本願寺との論争は避けられません。
本尊論については、親鸞会が本願寺批判の最重要項目の一つに挙げていたほどでありました。

その親鸞会側の批判に対し、本願寺は『現代の教学問題』の本尊についての項目(山田行雄著)で反論を行いました。 しかし、親鸞会側は『現代の教学問題・本尊について』には明確な反論をしていません。

ここでは、本尊についての親鸞会の主張が全面的に正しいかどうかの考察を、親鸞会側の出版物や『現代の教学問題』などの引用を通して行います。 (以下の文章は元ブログの転載のままですが、出典の箇所は括弧を変えて右詰めに変更しております。文章自体の改変はありません)

それでは、どうぞご覧下さい。

☆親鸞会から反論サイトらしきものができておりました。 反論サイトはこちら

親鸞会の本尊論を再考する 目次
・親鸞会の本尊論を再考する/はじめに
・改邪鈔について
・蓮如上人御一代記聞書について
・蓮如上人は名号以外本尊にされなかったのか
・「木像よりは絵像、絵像よりは名号」の真意
・親鸞聖人は一生涯名号のみを本尊とされたのか
・本尊論についての本願寺への批判
・親鸞会への本尊における疑問
・最後に

参考リンク
親鸞会は本当に本願寺に勝ったのか
私はなぜ親鸞会をやめたのか
続・私はなぜ親鸞会をやめたのか
なぜ私は親鸞会をやめたのか|反響集



★親鸞会の本尊論を再考する/はじめに
事実、親鸞聖人も蓮如上人も名号しか御本尊として礼拝しておられず、私たちにも名号を御本尊とせよと教え勧められました。
【親鸞会発行 どちらがウソかp5-6】
親鸞聖人がそれまで寺院などで本尊としていた弥陀三尊の絵画などを、すべて捨て去り、ただ名号を御本尊となされた、その重大な意味も全く踏みにじられてしまいます。
【どちらがウソかp8-9】
事実、親鸞聖人も蓮如上人も、御名号しか御本尊として礼拝しておられず、我々にも、「御名号を御本尊とせよ」と教え勧めらたのだ。 (中略) だからこそ聖人は、「木像、絵像を廃して御名号本尊とせよ」とご教示になったのである。
【親鸞会発行 顕正新聞 平成17年9月15日号】
親鸞会の、本尊における主張は以前から一貫しています。

要約すると、
・親鸞聖人は名号のみを本尊とされ、絵像や木像は排斥された
・そのためにそれまで掲げられていた弥陀三尊の絵像などもすべて捨て去り、名号本尊を徹底された
・蓮如上人も親鸞聖人同様、名号のみを本尊にされ、絵像や木像は廃された
となります。

親鸞会は、「真宗の正しい御本尊は名号本尊であり、名号本尊でなければならない」と主張しています。

なお、親鸞会の言う名号本尊とは「南無阿弥陀仏」の六字名号のことを指し、これを同会では「正御本尊」として礼拝の対象としています。 本尊とは、どの宗教においてもとても大切なものです。もちろん、真宗でも大切な意味をもちます。
御本尊とは、読んで字の如く、根本に尊ぶべきものであり宗教、特に仏教では最も重要な意味を持つものであることが、何人も認めるところであります。 されば浄土真宗の御本尊は、名号でも、絵像でも、木像でも、どちらでもよいのだというようないい加減なものでもなければ、時代によって変わったり、人に応じて替えたりするものでは断じてありません。 (中略) 浄土真宗親鸞会は、生涯名号のみを御本尊とし、真宗の正しい御本尊は名号であることを教え、名号本尊を固く守られた親鸞聖人や蓮如上人に順って、浄土真宗の御本尊は名号でなければならぬと固く守ります。
【どちらがウソか】
宗教において信者の礼拝の対象としての本尊は重要な意義をもつ。 (中略) 真宗において、礼拝の対象となる本尊は阿弥陀仏の名号であり、形像である。 (中略) 名号が仏心の表象であれば、形像もまた仏心の顕現に他ならぬのであり、両者の間に優劣・可否を論ずるものではない。
【本願寺発行 現代の教学問題・本尊について】
ここで、本尊における親鸞会と本願寺の主張の違いは、
・親鸞会=名号本尊でなければいけない。形像本尊(絵像、木像)は真宗ではない
・本願寺=名号本尊も形像本尊もそれぞれに意味があるのだから優劣可否を論じるものではない
に集約されます。

本尊論については、一部「親鸞会は本当に本願寺に勝ったのか」でも明らかですが、ここではもう少し細かく考えていきたいと思います。



★改邪鈔について 


親鸞聖人が名号のみを本尊とされた根拠として、いくつかの文証を提示しています。ここではまず、改邪鈔の以下の文証について考えます。
本尊なおもて『観経』所説の十三定善の第八の像観よりいでたる丈六八尺随機現の形像をば、祖師あながちに御庶幾御依用にあらず。天親論主の礼拝門の論文、すなわち「帰命尽十方無碍光如来」をもって、真宗の御本尊とあがめましましき。いわんや、その余の人形において、あにかきあがめましますべしや。
【改邪鈔2】
親鸞会では、この文証が「名号本尊の根拠」として教えられているところでもあります。 ここで問題となるのが、「祖師あながちに御庶幾御依用にあらず」の「あながちに・・・あらず」の解釈です。
親鸞会の主張は、「聖人は決して・・・されなかった」(完全否定)と解釈するものです。
親鸞会「あなたは初歩的な古文の文法も知らんのか。『あながちに』の意味は古語辞典を引くと三通りある。 (一)形容動詞としての意味--適切ではない。度を超している。 (二)否定文の副詞としての意味--決して、絶対に (三)反語文の副詞としての意味--必ずしも 改邪鈔の場合は『祖師あながちに御庶幾御依用にあらず』と『ず』で終わっている否定文の中に使われている副詞だから、『決して』とか『絶対』の意味になる。だからこの御文は『親鸞聖人(祖師)は(木像、絵像を)決して請い願われたことも用いられたこともなかった』という意味なのだ。(後略)」
【親鸞会発行 法戦4 p103】
一方、本願寺側の主張は以下の通りです。
この「あながち・・・にあらず」の国語学的用法は、「あながち」+「ず」であって、「あながち」自体を否定することを意味する。だから「必ずしも・・・でない」とか「一概には・・・でない」と解釈すべきであり、いわゆる部分否定である。よって『改邪鈔』の「祖師あながち御庶幾御依用にあらず」とは、「宗祖は必ずしも御庶幾御依用ではなかった」との意であり、高森親鸞会の主張のごとく「宗祖は必ず御庶幾御依用ではなかった」と完全否定の解釈はなり立たない。『改邪鈔』のこの条での完全否定は、「その余の人形」を礼拝の対象とすることである。
【現代の教学問題・本尊について p89】
私は、色々な古語辞典を漁ってみましたが、殆どは
あながち【強ち】 (副)(下に打ち消しの語を伴う) (1)一概に。まんざら。必ずしも。 (2)決して。むやみに。 (形動ナリ) (4)必ずしも。
【三省堂 大辞林】
あながち【強ち】 (形動ナリ)むやみだ。あまりだ。 (副)打ち消しの語を伴って「必ずしも・・・でない」の意を表わす -に【強ちに】 (副)(打ち消しの文に用いる)むりに。しいて。進んで
【旺文社 古語辞典】
の類似です。これらの古語辞典を読む限りにおいては、どちらの意味にも取れそうですが、部分否定とするのが妥当とも言えそうです。
しかも、『現代語訳 親鸞全集』(講談社版)には、この部分の現代語訳として、
『観経』に説いている十三定善の第八像観にもとづいてつくられた丈六八尺の随機現(機に応じて現れる)の仏像は、本尊であるのに祖師はかならずしもご利用なさらず、天親論主(インドにおける真宗二代目の教祖)の礼拝門の論文すなわち「帰命尽十方無礙光如来」をもって真宗のご本尊とあがめられていたのである。ましてそれ以外の像など、どうして描いたりあがめたりする必要があろう。やめるがよい。
【現代語訳 親鸞全集(講談社版)】
と書いています。以上のことから、このような文証をもって、確たる証拠とすることは難しいのではないでしょうか。
また、親鸞会が親鸞聖人以来の善知識として挙げている『改邪鈔』の著者である覚如上人自身は、形像本尊(絵像や木像)を禁じていたどころか、
また、覚如上人自身が形像本尊を門弟に下付されていた事実を示すものとして、顕誓師の『反故裏書』には、 覚如上人の御時乗専法師(中略)覚如上人にしたがひ奉り、絵像の本尊・『報恩講式』・『口伝鈔』・『改邪鈔』・『安心決定鈔』等の聖教をのぞみ申され、真俗につけてたぐひなき御門弟なり。丹波六人部に毫摂寺といふ寺をはじめ給ひ、すなわちかの御影像をすへ奉り云々(『真宗全』三-九八○) と記録されているのである。
【現代の教学問題・本尊についてp91-92】
とあり、絵像や木像を門弟に下付していたとあります。
覚如上人ほどの善知識が、果たして「名号本尊のみを教え進めていかれた」親鸞聖人の教えに背くことをなされたのでしょうか



★蓮如上人御一代記聞書について


親鸞会は改邪鈔の他に『弁述名体鈔』や『慕帰絵詞』から文証を出しており、本願寺の『現代の教学問題・本尊について』で考察されていますが、長くなりますので省略します。
次には、親鸞会がもっとも強力でわかりやすい根拠として挙げている
他流には、名号よりは絵像、絵像よりは木像というなり 当流には、木像よりは絵像、絵像よりは名号というなり
【蓮如上人御一代記聞書】
について考えていきます。 そもそも、この文証についての親鸞会の解説でさえ、
「他流には、名号よりは絵像、絵像よりは木像というなり。当流には、木像よりは絵像、絵像よりは名号というなり」 と記されている。 これは、蓮如上人が浄土真宗の正しい御本尊を明示なされた御言葉である。 即ち、真実の仏法が分からない他流の者達は、御名号(南無阿弥陀仏のこと)よりは絵像がよい、という。また、絵像よりは金ピカの木像が、もっともよいと木像を本尊としているが、それは、本当の仏法が分からない連中のやっていることだ。 親鸞聖人は、それとは全く反対に、金ピカの木像よりは絵像の方がましだ。 絵像よりも御名号を本尊とするのが最も正しい。
【白道燃ゆ】
とあり、比較相対で論じています。
つまりこの文証は、「真宗では木像<絵像<名号であるから名号が一番良い」ということで、「名号が一番良いのだ」とは言われているものの、「木像や絵像ではダメだ」とする文証とは言えないのではないでしょうか。
それはさておき、蓮如上人自身は親鸞会の主張通り、木像や絵像を排斥されて名号のみを本尊とされたのでしょうか



★蓮如上人は名号以外本尊にされなかったのか
蓮如上人の本尊は、具体的には、蓮如上人が発願建立された山科本願寺の阿弥陀堂の本尊であろう 。 文明十五年八月二十八日のご文に、 阿弥陀堂の仏壇(中略)いくほどなくして出来せり。則まづ本尊を六月十五日にすえ奉りけり。 と述べられ、山科本願寺の阿弥陀堂の本尊は文明十四年六月十五日に「すえ奉」られたとある。平尾興栄氏も注意されたごとく、このすえ奉られた本尊が、形像本尊であったか名号本尊であったかは、「据える」とある表現からも推察されるが、実悟師の『山科御坊之事並其時代事』に阿弥陀堂の荘厳を記するに、 木像本尊 安阿作 如今。左方北太子絵像 讃如常蓮如御筆・六高僧御影。右南法然聖人一尊御影 讃如常蓮如御筆 両方共に三具足、燈台あり。 とあり、ここに木像本尊(安阿作)とある。明らかに蓮如聖人は形像本尊を礼拝の対象として安置されていたことは歴史的事実である。
【現代の教学問題・本尊について p100-101】
これは、『山科御坊之事並其時代事』に
仮御坊たちて、無程御影堂たちて、また本堂とてなくては如何とて、やがて阿弥陀堂も立ましましけり。三間四面に、四方は小縁、東方の前には六尺の縁也。向はさましやうししとみのことくに常に諸堂のごとし。左右の脇は唐さま、これ又諸堂のごとし。さまにほり物ありけり名失念。木像本尊 安阿作 如今。左方北太子絵像 讃如常蓮如御筆・六高僧御影。右南法然聖人一尊御影 讃如常蓮如御筆両方共に三具足、燈台あり。
と続く文証です。山科本願寺建立当初の様子がありありと分かります。 蓮如上人自身が、山科本願寺の阿弥陀堂(すなわち本堂)の御本尊を木像にされていたという事実が記されています。つまり、「蓮如上人も一生涯名号のみを本尊とされた」とは言えないということです。
また、蓮如上人自らが形像本尊を本尊とされていただけでなく、門弟にも下付されていた事実も記されています。
蓮如は、当初は無碍光本尊(十字名号)を浄土真宗の本尊として用い、木像、絵像などの礼拝を拒否した。「蓮如は無碍光流の邪義を説いている」と非難する比叡山の僧兵に本願寺を破却されて以後は、無碍光本尊の授与を中止し、白紙に六字・九字・十字の名号を書き、本尊として授けた。その中でも六字名号が特に多かった。その後、門徒の強い要望により絵像の本尊も授けるようになった。さらに寺が建てられると木像の阿弥陀仏像を安置することになった
【図解雑学・浄土真宗 p96】
更に蓮如上人は形像本尊の下付もなされていた事実がある。その事実のなか、二、三挙げてみよう。 (一)京都府北桑田郡美山町南 福正寺蔵                大谷本願寺 釈 蓮如(華押)           長享三蔵乙四月月二十八日    方便法身尊形丹波国桑田郡知井里南村                願主 釈 浄頓 (中略) 右のごとき事実を踏まえたとき、『蓮如上人御一代記聞書』の文は、蓮如上人が名号本尊のみを勧められたものと見ることは、はたして妥当であろうか。
【現代の教学問題・本尊】
以上から、「蓮如上人も一生涯名号のみを本尊とされ、勧めていかれた」という親鸞会の主張は、果たして根拠があってのことなのでしょうか。もしこれらを否定して主張を通すのであれば、山科本願寺の阿弥陀堂の本尊が名号であることを証明する文証を提示しなければならないでしょう。

★「木像よりは絵像、絵像よりは名号」の真意

では、『聞書』で「木像よりは絵像、絵像よりは名号」と教えられた蓮如上人がなぜ、木像本尊を礼拝されたのか、という問題があります。これについて、『現代の教学問題・本尊について』では次のように考察しています 。
この問題については、既に古今の学者が種々論考されるところである。しかし、先に見てきたように、他流の本尊安置の理由は、「往生極楽のこころざしあらむ人は、来迎引接の形像をつくりたてまつる」ところにあったことは明白である。
広く法然門下において親鸞教学の特質は、この臨終来迎の否定であり、現生正定聚の主張であったことは周知のことである。そして宗祖の臨終来迎否定、現生正定聚論の基盤は名号大行説にある。よって『蓮如上人御一代記聞書』の文は、形像を本尊として臨終来迎を願い求めることに対する安心の立場よりの訓誡であって、起行門における礼拝の対象を論じたものではないと伺うのが適切であろう
【現代の教学問題・本尊について p103】

★親鸞聖人は一生涯名号のみを本尊とされたのか
宗祖の礼拝の対象としての本尊を考えてみるのに、現在確認されている資料では名号本尊のみしか残っていないことは学者の指摘するところである。
【現代の教学問題・本尊について p104】
親鸞聖人が作られた本尊は、現存するものはすべて名号本尊であることは本願寺も認めています。しかし、この事実を一生涯名号のみを本尊とされた証拠とするのは早計です。
親鸞は名号を本尊としたが、従来の絵画や木彫の阿弥陀仏像の礼拝を拒否したのではない。
(中略)
親鸞が名号を本尊とするようになったのは、現存する遺品から推測すると80歳代以後のことかもしれない
【図解雑学浄土真宗 p88】
種々の分類を試みたが、ここで更に重要な問題は、(イ)宗祖の名号本尊御染筆の年代が同年代に集中していて、そのほとんどが真宗高田派に蔵せられていること。(ロ)名号には、「愚禿親鸞敬信尊号」とあり、裏書は「方便法身尊号」とある二点であろう。
(イ)の問題は、善鸞義絶の問題と、それに伴う下野高田門弟の上洛とに関係する広範囲の問題になるであろう。
【現代の教学問題・本尊について p111】
名号本尊の最初は宗祖であり、宗祖は名号を本尊とされた事実は明瞭である。だからといって、高森親鸞会の主張するごとく、

親鸞聖人がそれまで寺院などで本尊としていた弥陀三尊の絵画などを、すべて捨て去り、ただ名号を御本尊となされた

との断定は、論理の飛躍と暴言であって、歴史的考察の無視である。
義門師は『尊号真像銘文講説』に、

祖師御時代には、もっぱら九字・十字・六字のであったことはもちろんなれども、絵像や木像は一体も無かったとは云ふべからず。木辺の本山の縁起をみれば、祖師聖人木仏御安置あり、又京西洞院松原大善寺に踏出の弥陀と申して、片足先へ出して在す弥陀あり、これも聖人の御安置なり。

と述べているが、もちろん木辺の縁起も、大善寺のそれも、歴史的考証を欠き信憑するに足りるものではない。 しかし、すでに注意されているごとく、常陸稲田の草庵の本尊は聖徳太子であったとされ、下野高田は現に一光三尊の阿弥陀仏像が安置されている如来堂である。宗祖が寄寓されていた場所に、すでに安置されていた本尊を排捨して、名号本尊をもってされたとは推考できない。更にいえば、、恩師法然上人の礼拝の対象とされていた形像本尊を宗祖は礼拝されなかったとは想像しがたいことである
(中略)
名号本尊は先に資料に挙げたごとく、いずれも宗祖晩年に依用されたものであり、先にも一言したごとく歴史的背景を考慮に入れて考えねばならぬ問題である。
【現代の教学問題・本尊について p113-114】
親鸞聖人が書き残された名号本尊で現存するのは、いずれも親鸞聖人83歳~84歳の頃のものです。従って、晩年に名号本尊を書かれ、依用されていたことは確実といえます。しかし、だからといって一生涯名号のみを本尊とされたと断言するのは早計ではないでしょうか。

すでに指摘されているように、親鸞聖人が法然上人のお弟子になられたときに、形像本尊を勧められていた法然上人の教えに反して形像本尊を排斥されたと言えるのでしょうか


★本尊論についての本願寺への批判

『どちらがウソか』に代表されるとおり親鸞会は、本尊論を本願寺批判の代表的なものの一つとして、現在に至るまで変わることなく批判しています。では、どのようなことを言っているのでしょうか。

然るに、現今の浄土真宗の道俗は、何を御本尊としているだろうか。真宗の本山だと言っている東西本願寺からして、この親鸞聖人や蓮如上人の御教えを踏みにじって、木像を本尊としている始末。
ウソだと思う者は、京都へ行って見てきたらよい。 本願寺が、最も大切な御本尊に就いて、このような邪道を平気で行っている状態であるから、各末寺も、みんな木像を本尊として、平気で他流の真似をしている。 皆さんの近くの、真宗の寺の本堂をのぞけば明らかだ。このように本山始め末寺が、親鸞聖人や蓮如上人のみ教えに反したことを、白昼堂々とやっているのだから、門徒の人達が仏壇の中に木像や絵像を安置して、得意になっているのは当然だ。
一匹の馬が狂えば、千匹の馬が狂う。こんな真実の御教えを知ったら、心ある人々は、どんなに驚くことであろう。ではどうして、こんなに明らかに教示なされている、極めて大切なことが、公然と踏みにじられ、金ピカの大きな仏像を仰々しく飾りたてているのか。それは、金ピカでおどさないと愚衆どもが有り難がらないし、おさい銭に響くからに外ならない。結局、真実の信心が獲得されていないからである。こんなことでは、親鸞聖人が、それまで寺院などで用いられていた、弥陀三尊の絵図などを、総て撤去して、ただ六字の御名号を本尊となされた重大な意は、全く無視され蹂躙されているのだから、一事が万事、みな狂ってくるのは当然である。
何しろ、現今の本願寺集団は根底から、狂ってしまっている。病なら、こうこうに達している。
【白道燃ゆ】
種々の文献をあさり四十数頁に亘って論述して漸く本願寺の引き出した結論は、
「親鸞聖人は名号ばかりを御本尊になされたことは明らかな事実であるが、木像も絵像も名号も同じで変わらないのだから、木像を本尊にしていても間違いではないのだ」
というものでありました。
まさに泰山鳴動してネズミ一匹の風情でありました。
では、木像も絵像も名号も同じだから、木像を本尊としていても悪くはないのだという一匹のネズミを追い出す為に、なぜ本願寺はこんなにまで苦慮しなければならないのでしょうか。
それは明らかに間違っている現実を、そのままにしておいて何とかそれを正当化しなければならぬという歴史的苦悩を背負っているからです。この無理非道を押し通そうとする本願寺の弁明が、如何に苦渋に充ちたまやかしであるかということは、親鸞聖人が名号のみを御本尊となされ、門弟達にもおすすめになったという親鸞会の主張を全面的に容認する文章を、本願寺は四回も記述せざるを得なかったという事実と、その親鸞聖人を祖師と仰ぐ本願寺と、末寺のすべてが木像を本尊としているという現実を指摘するだけで充分であります。
【こんなことが知りたい3】
現今の本願寺等は真実の仏法をネジ曲げて他流の者達の好む木像を本尊として公然と親鸞聖人や蓮如上人の御教示に違反しているのだから、すでに本願寺等は浄土真宗ではないのである。それどころか盗人たけだけしく親鸞聖人や蓮如上人の御教示の通り、御名号を本尊としている親鸞会を攻撃し、罵倒しているのだから呆れるではないか。ここに至って末法も極まれりと云わざるを得ない。
【顕正新聞 昭和48年3月20日号】
○次回作発表
 今度の京都取材旅行で、次の作品は「本願寺沈没」に決定です。

  (中略)
○本願寺再興三ヶ年計画
初年度 本尊を木像から絵像に
二年度 本尊を絵像から名号に
三年度 善知識を募集 
【顕正新聞 昭和49年3月20日号】
本願寺には、だが、依然重大な誤りがいくつか残っている。
その一つに仏教で最も大切な、根本に尊ぶべき御本尊について、親鸞・覚如・蓮如上人に背いているのだ。ご三方とも、正しい御本尊は御名号と明示され、木像、絵像を本尊とする者を他流だと戒めておられる。
「他流には名号よりは絵像、絵像よりは木像というなり。当流には木像よりは絵像、絵像よりは名号というなり」
(蓮如上人御一代記聞書)

木像本尊の本願寺は他流である。蓮如上人の遺徳を偲び、五百回忌法要を平成十年に執行しようとしながら、御本尊からこれでは、蓮如上人を悲しませるばかりである。
【顕正新聞 平成4年3月1日号】
そのほかにも、まだまだたくさんあります。
また、これは直接本願寺を批判しているわけではありませんが、
◎ある人
 御本尊は、その人の信仰によって名号でも絵像でも木像でも、一つに固執する必要はない。
◎親鸞会の会員
 親鸞聖人や蓮如上人の御教示を公然と否定する者を、外道邪教徒と言うのです。
【顕正一口メモB】
ともあり、最近は本願寺と名指しすることはあまりなく、
「他流には『名号よりは絵像、絵像よりは木像』というなり。当流には『木像よりは絵像、絵像よりは名号』というなり」(蓮如上人)
浄土真宗の正しい御本尊は名号であることを、ズバリご教示なされたお言葉である。ところが、この蓮如上人の明快なご教導が、ある立場の人々には何とも都合が悪い。言うまでもなく、木像本尊に固執している者たちである。
御名号本尊こそ当流であることは、お聖教や、その他の根拠から明白である。また、親鸞聖人も蓮如上人も、生涯、御名号のみを本尊とされたことは、歴史的事実であるから、彼らもそれは認めざるをえない。しかし、自分たちはそれと真っ向から反する他流の本尊をあがめているのだから、どうしようもないのだ。必死に抗弁する彼らは、「本願成就文に『聞其名号、信心歓喜』とあるように、名号を最上位とし、主とする」と言いながら、でも結局は、名号も絵像も木像も同じだから、本尊はどれでもいい、という従来の主張を繰り返すばかり。どれでもいいものを蓮如上人が、当流と他流で、分けて教えられるものか。
また彼らは、「名号と絵像、木像を切り離すこと自体が誤っている」「これを別々のように思うのは、救いの法が分かっていない」などと驚くべき放言もしている。それでは、名号、絵像、木像を明確に切り離し、別々に教えられた蓮如上人が異安心ということになるではないか。己を正当化するためなら、弥陀の願心を説き明かされた釈尊の本願成就文さえも覆し、善知識の明快なご教示をも蹂躙して恥じない。そんな他流の者たちの消滅は、 もはや時間の問題であろう。
いよいよ正本堂落慶が目前に迫った。この壮挙に参加できる親鸞学徒の、何と幸せなことか。浄土真宗滅亡寸前のまさにこの時、我々はこの世に生を受けた。そして、親鸞聖人のみ教えを全世界に宣布するという、崇高稀有な大事業を、高森先生とともに成就せんとしているのだ。二十四畳から始まった親鸞学徒の小さな渦は、やがて急流、激流となり、浄土真宗の流れを変えた。本会の歴史こそが正当な真宗史であることは、教えの正当性からすでに明らかであったが、それが今、世界に比類なき二千畳の法城完成によって、誰の目にも、明白になったのである。
 無上仏のお力以外にない。
【顕正新聞 平成17年5月1日号】
などとも言われます。
最近は、世界最大の畳敷き空間を持つ正本堂落慶なども相まって、「浄土真宗の流れを変えた。本会の歴史こそが正当な真宗史であることは、教えの正当性からすでに明らか」と、はなはだ意気軒昂です。

「親鸞会は親鸞聖人の教えられたとおりにしているが、本願寺はしていない」と言いたいのでしょう。

なるほど、確かに親鸞聖人も蓮如上人も御名号を本尊とされましたが、「生涯御名号のみ」であったかどうかは今までお話ししてきたとおりです。

ところで、親鸞会は親鸞聖人の教えられたとおりのことを忠実に行っているのでしょうか。


★親鸞会への本尊における疑問
一 弟子・同行をあらそひ、本尊・聖教を奪ひとること、しかるべからざるよしの事。  常陸の国新堤の信楽坊、聖人の御前にて、法文の義理ゆゑに、仰せをもちゐまうさざるによりて、突鼻にあづかりて本国に下向のきざみ、御弟子蓮位房申されていはく、「信楽房の、御門弟の儀をはなれて下国のうへは、 あづけわたさるるところの本尊・聖教をめしかへさるべくや候ふらん」と。
「なかんづくに、釈親鸞と外題のしたにあそばされたる聖教おほし、御門下をはなれたてまつるうへは、さだめて仰崇の儀なからんか」と云々。
聖人の仰せにいはく、「本尊・聖教をとりかへすこと、はなはだしかるべからざることなり。そのゆゑは親鸞は弟子一人ももたず、なにごとををしへて弟子といふべきぞや。みな如来の御弟子なればみなともに同行なり。念仏往生の信心をうることは、釈迦・弥陀二尊の御方便として発起すとみえたれば、まつたく親鸞が授けたるにあらず。当世たがひに違逆のとき、本尊・聖教をとりかへし、つくるところの房号をとりかへし、信心をとりかへすなんどいふこと、国中に繁昌と云々、かへすがへすしかるべからず。本尊・聖教は、衆生利益の方便なれば、親鸞がむつびをすてて他の門室に入るといふとも、わたくしに自専すべからず。如来の教法は総じて流通物なればなり。
しかるに親鸞が名字ののりたるを、法師にくければ袈裟さへの風情にいとひおもふによりて、たとひかの聖教を山野にすつといふとも、そのところの有情群類、かの聖教にすくはれてことごとくその益をうべし。しからば衆生利益の本懐、そのとき満足すべし。凡夫の執するところの財宝のごとくに、とりかへすといふ義あるべからざるなり。よくよくこころうべし」と仰せありき。
【口伝鈔】
一 談議かくるとなづけて、同行・知識に矛盾のとき、あがむるところの本尊・聖教を奪ひ取りたてまつる、いはれなき事。
 右、祖師親鸞聖人御在世のむかし、ある御直弟御示誨のむねを領解したてまつらざるあまり、忿結して貴前をしりぞきてすなはち東関に下国のとき、ある常随の一人の御門弟、「この仁に授けらるるところの聖教の外題に聖人の御名をのせられたるあり、すみやかにめしかへさるべきをや」と[云々]。ときに祖師の仰せにいはく、「本尊・聖教は衆生利益の方便なり、わたくしに凡夫自専すべきにあらず、いかでかたやすく世間の財宝なんどのやうにせめかへしたてまつるべきや。釈親鸞といふ自名のりたるを、〈法師にくければ袈裟さへ〉の風情に、いかなる山野にもすぐさぬ聖教をすてたてまつるべきにや。たとひしかりといふとも親鸞まつたくいたむところにあらず、すべからくよろこぶべきにたれり。そのゆゑはかの聖教をすてたてまつるところの有情蠢蠢の類にいたるまで、かれにすくはれたてまつりて苦海の沈没をまぬかるべし。ゆめゆめこの義あるべからざることなり」と仰せごとありけり。そのうへは末学としていかでか新義を骨張せんや、よろしく停止すべし。
【改邪鈔】
覚如上人の口伝鈔や改邪鈔に、このようなご教導があります。
あるとき、弟子の一人が親鸞聖人の元を離れていったとき、親鸞聖人からいただいた本尊や聖教も一緒に持って行ってしまったので、取り返しましょう、と蓮位房が言ったとき、親鸞聖人は「はなはだしかるべからず」と仰って取り返されなかった、とあります。

覚如上人の著作ではありますが、親鸞聖人のなされたことの記録と言われていますので、親鸞聖人のご教示 と言っても差し支えないでしょう。
実質的には弟子だった者が離れていっても、親鸞聖人は「弟子一人も持たず」を貫かれ、本尊や聖教を返せなどとは言われなかったのです

現在の親鸞会において、退会した人に対し、親鸞会の書物を回収したり返すよう求めたりするなどということはありません。
しかし、入会時に下付された御名号本尊は、親鸞会に返却しなければなりません。下付されたと同時に、そのような誓約書を書くことになっています。

会を離れた人間に御名号本尊を持たせてはとんでもない罪を作らせる、ということなのかもしれません。
しかし親鸞聖人が、「親鸞まつたくいたむところにあらず」と言われ、「たとえ山野に捨てられても、そこにいる虫や動物の仏縁になるだろう」と仰って回収されなかった精神からは遠く離れているように思われます。そう感じるのは、私だけでしょうか。


★最後に

では最後にもう少しだけ、親鸞会の批判について考えたいと思います。
◎ある人
御本尊は、その人の信仰によって名号でも絵像でも木像でも、一つに固執する必要はない。
◎親鸞会の会員
親鸞聖人や蓮如上人の御教示を公然と否定する者を、外道邪教徒と言うのです。
【顕正一口メモB】

浄土真宗の御本尊は、名号でも、絵像でも、木像でも、どちらでもよいのだというようないい加減なものでもなければ、時代によって変わったり、人に応じて替えたりするものでは断じてありません。
【どちらがウソか ほか】
このことについて存覚上人は『弁述名体鈔』に
しかれども凡夫はまどひふかく、さとりやすくなきゆへに、あさきによらずば、ふかきをしるべからず。方便をはなれては、真実をさとるべからざれば、ふかきもあさきも、みな如来の善巧、真実も方便も、ともに行者の依怙なり。このゆへに、あるひは形像を図し、あるいひは文字をあらはして、真仮ともにしめし、梵漢ならべて存するなり。いづれも弥陀一仏の体なりとしりて、ふかく帰敬したてまつるべきなり。
と仰っているということですが、これも外道邪教徒と言われるのでしょうか。
もし言われるのであれば、存覚上人の著作を引用された箇所は全部削除せねばなりませんし、親鸞会の重視する教学のためのテキスト、『教学聖典』にも存覚上人のご文が出ておりますから、全会員に告知しなければならないでしょう。
また、ある弁論大会では、こういう弁論もありました。

高森先生は仰います。 「もっとも尊ぶべきご本尊から狂えば、当然教えも狂ってくる。木像を本尊にしている本願寺に、真実が説けるはずがない。まず、ご本尊から正さなければ」と
【第136回弁論大会 ある女性講師部員の弁論】
木像を本尊にしている者に、真実が説けるはずがないということでしょうか。もしそうならば、晩年の蓮如上人は真実を説かれなかったのでしょうか

私は、名号本尊を礼拝することが悪いというつもりは全くありません。それが親鸞聖人や蓮如上人の教え勧めていかれたことだからです。しかし、だからといって、これらの事実をふまえたときに、名号のみを正しい本尊とし、形像本尊を廃すべきと主張する親鸞会が果たして正しいのかといえば、疑問に思わざるを得ないのです。
このように親鸞会の教義については、無条件に正しいとするのではなくしっかりと研究し、検討を重ねていく余地があるのではないでしょうか

親鸞会の方々に質問したいと思います。

これら善知識方のなされたことを見るに、御本尊は、木像や絵像でも差し支えないと思われるのですがいかがでしょうか。
それとも、山科本願寺に木像本尊を据えられた蓮如上人や、形像本尊を下付された覚如上人は大間違い者だと言われるのでしょうか

私が、「親鸞会の本尊論を再考する」というブログを公開してからしばらく経ちました。それに対して、親鸞会の会員の方(と思われる人)の反論サイト(以下、単に「反論サイト」と呼びます)ができました。

残念なことに、私のことを最初からいきなり「本願寺の関係者」と決めつけ、始終その前提に立って議論を展開しているように見受けられます。

先日も申しましたが、私は親鸞会の会員であり、関連サイトは私の制作したものではありません。このような誤解が生じたのは、私の側にも原因はあります。しかしそれが、反論サイトに見られるような非難を正当化する根拠にはなり得ないと考えております。


率直に言って、この反論サイトはいくつも疑問を抱かずにいられない箇所があります。



それでは、ご覧ください。


親鸞会の本尊論を再再考する(「再考するを読んで」を読んで)

<目次>
●サイト公開手法の疑問
●「浅川=本願寺」 決めつけの疑問
●浅川に対する非難
●無視された疑問
●「真宗では名号が一番よい」について
●「本願寺のご本尊は教義安心と無関係」について
●「本願寺の実態」について
●「あとは時間の問題でしょう」について


■参考リンク
・親鸞会の本尊論を再考する(元のブログ)
・親鸞聖人が、御名号を本尊となされた根拠はあるのか(親鸞会公式サイト)
・親鸞会は本当に本願寺に勝ったのか
・私はなぜ親鸞会をやめたのか
・続・私はなぜ親鸞会をやめたのか
・なぜ私は親鸞会をやめたのか|反響集


履歴
2005/12/11 開設
2005/12/15 親鸞会の本尊論を再再考する を掲載
2005/12/31 リンク追加などコンテンツ再編




★サイト公開手法の疑問

反論サイトは、掲示板へのリンクも貼られずダミーと思われるようなブログを経由して私のページにトラックバックしてきました。いったいなぜこのような回りくどい方法を取ったのでしょうか。

浅川のブログを公開した翌日に、既に件のブログが(記事もなく放置された状態で)開設されていたという事実は、何を物語るのでしょうか。

また、反論サイトにはメールアドレスなどの一切の連絡手段が書いてありません。制作者にはどのように連絡を取ればよいのでしょうか。
ブログならコメントすることができます。きちんとしたサイトを作って頂いたことには感謝いたしますが、それならば、連絡先くらい記しておいていただきたいものです。



★「浅川=本願寺」 決めつけの疑問

私は先日、ある会員様のご質問に対し「私は本願寺の者ではありません」と明言いたしました。にも関わらず、反論サイトでは
これは本願寺の学者さんか、それに近い関係の方のブログのようですね。
【反論サイト「はじめに」】
と断定されています。本当にこの程度の内容で「学者」だとでも思われたのでしょうか。だとすれば、本願寺の学者も随分低く見られたものだと同情の念すらわいてきます。


しかも、
それにしても、かなりレベルダウンしたのでしょうか。

「本尊論を再考する」などと構えた割には、取るに足らない内容であるのは残念ですが、これを縁として、一人でも本当の親鸞聖人の教えに触れ、仏縁を慶ばれる身となられれば、お粗末な「本尊論」も浮かばれるというものでしょう。
【同】
と言われています。
「かなりレベルダウンした」のは「その通り」です。私は親鸞聖人の教えを学び始めてからそれほど経っていない在家の一学生なのですから。

「取るに足らない内容」と仰るなら、なぜ私が質問していることに正面からお答えいただけないのでしょうか。

そもそも、なぜこうも私に対して執拗に攻撃的な言葉を浴びせる必要があったのでしょうか。



★浅川に対する非難
せっかく蓮如上人が懇切丁寧に、

「木像よりは絵像、絵像よりは名号」

と比較相対し、優劣可否をつけられて、

「だから真宗の御本尊は、名号が一番よい」

と教えておられるのに、それでも、この人は、

「木像絵像でもよいのだ」とするワケですね。

これだけでもう、なにをか言わんや、というべきでしょう。

蓮如上人が、

「真宗では名号が一番よいのだ」

と言われたお言葉であるということを、ハッキリと認めながら、どうして、ブログまで作って「本尊は名号でなくてもいいのだ」と、これほどまでに強弁しなければならないのか。

蓮如上人が、「他流の本尊だ」と言われている「絵像や木像」に、どうして「それでもいいじゃないか」「ダメとは言われてないだろう」などと固執するのか。

蓮如上人の仰せに従う気が、はじめからないようです。
【反論サイト(1)】
こんな発言を「墓穴を掘った」というのでしょう。
(中略)

安心の立場からの訓戒だから、礼拝の対象である本尊とは関係ない、ということです。つまり、 「本願寺の御本尊は、教義安心とは無関係」

ということなのでしょう。

びっくり仰天、本願寺の無安心ぶりは、ここでも明らかです。

それにしても、このことはすでに、親鸞会の『どちらがウソか』で指摘されているのですから、本願寺にしてみれば、隠蔽しておきたい失態であったにちがいありません。それなのに、教義安心に無頓着な者がブログまで造って、また衆目の前に晒してしまった。これが今回の「再考」ブログの構図でしょう。
【同(2)】
それでも、これまでの「現代の教学問題」の邪説を、言葉だけでも翻した点は大きな前進とも言えるでしょう。
(ところが、この「再考」ブログは、本願寺自らが捨てた「現代の教学問題」の主張を、切って貼っただけ。問題外ですね)
【同】
本願寺さんの「本音」や「実態」はどうあれ、「真宗本尊論」の、「教義上」の決着は、すでについていることなのです。まともな学者さんなら、分かっていることです。あなたが知らないだけです。こういう人物をおっちょこちょいと言うのでしょうね。

あとは、本願寺自身が、どのようにして「親鸞聖人の教え」の通りにしたがってゆくか。
「実態」を「正しい教義」に合わせてゆくか、どうかにかかっているのです。
「浄土真宗の正しい御本尊は御名号である」
「それなのに、本願寺はじめ末寺は、いまだに木像本尊に固執している」

この現実をどうするか。

要は、本願寺のメンツと、時間の問題ということでしょう。
【同(4)】
以上はいずれも反論サイトからの抜粋です。
なぜか私が本願寺の関係者との前提の元に非難されています。


しかも、最後の方は殆ど本ブログへの感想や反論・回答と言うよりも本願寺批判と言った方が正しい構成となっています。

この方の本願寺に対する怒りは分かりました。しかし論点をずらさないでいただきたいと思います。

是非とも私の提示した疑問に答えていただきたいのです。



★無視された疑問

まず、私が疑問を呈したにも関わらず完全に無視された項目について、再度確認します。中には明確に質問とは示してなかったものもありますので、これを機会に明確に質問を致します。


(全編を通して)
・親鸞聖人も蓮如上人も「名号のみを本尊とされた」ことについて明確な根拠はあるのか

(「親鸞聖人は一生涯名号を本尊とされたのか」より)
・親鸞聖人が法然上人のお弟子になられたときに、形像本尊を勧められていた法然上人の教えに反して形像本尊を排斥されたと言えるのか

(「改邪鈔について」より)
・親鸞会が、「親鸞聖人の名号本尊の根拠」としている覚如上人の改邪抄のお言葉は、明確な根拠となり得るのか
・形像本尊を下付された覚如上人は、「名号のみを教え勧めていかれた親鸞聖人」に反しているのか


(「親鸞会への本尊における疑問」より)
・親鸞会が、退会時に本尊を会員から回収するのは、親鸞聖人のお心から離れているのではないか

(「おわりに」より)
・『弁述名体抄』に「(形像も名号も)いづれも弥陀一仏の体なりとしりて、ふかく帰敬したてまつるべきなり」と仰っている存覚上人は外道邪教徒か
・山科本願寺に木像を据えられ、御門徒に絵像を下付された蓮如上人は真実を説かれなかった方なのか



是非とも明快な回答をいただきたいものです。

★「真宗では名号が一番よい」について

率直に言いますが、「真宗では名号が一番良い」と蓮如上人が言われているのは、私もその通りだと思います。

しかしながら、
せっかく蓮如上人が懇切丁寧に、

「木像よりは絵像、絵像よりは名号」

と比較相対し、優劣可否をつけられて、

「だから真宗の御本尊は、名号が一番よい」

と教えておられるのに、それでも、この人は、

「木像絵像でもよいのだ」とするワケですね。

これだけでもう、なにをか言わんや、というべきでしょう。
【反論サイト(1)】
と批判しています。

「木像絵像でもよい」と私が言っていると断定して、それを批判しているのですから、当然この方の主張は 「木像絵像は絶対ダメだ」ということになるのでしょう。

いったい、「木像よりは絵像、絵像よりは名号」をどのように読めば「木像も絵像も絶対ダメだ」と読めるのでしょうか。是非ともご教示願いたいと思います。

この文証は、形像本尊すべてを排斥されたという根拠になり得るのでしょうか。
もし排斥された根拠になるとすれば、その蓮如上人が形像本尊を下付されたのはなぜか、説明していただきたい
と思います。


また、
蓮如上人が、

「真宗では名号が一番よいのだ」

と言われたお言葉であるということを、ハッキリと認めながら、どうして、ブログまで作って「本尊は名号でなくてもいいのだ」と、これほどまでに強弁しなければならないのか。

蓮如上人が、「他流の本尊だ」と言われている「絵像や木像」に、どうして「それでもいいじゃないか」「ダメとは言われてないだろう」などと固執するのか。

蓮如上人の仰せに従う気が、はじめからないようです。
【反論サイト(1)】
反論サイトを立ち上げるくらいですので、当然私の文章はよく読まれたことと思いますが、この方は本当によく読まれたのでしょうか。読まれているならば、なぜこんな批判の言葉が出てくるのか、理解に苦しみます。

私がそんな疑問を起こしたのも、

「名号が一番良い」

と言われた蓮如上人が

「他流の本尊」

と言われている木像を、あの「山科本願寺に本尊」として据えられた


という文証があったからです。だから、「差し支えないのではないか」と尋ねたのです。「ダメ」なものを蓮如上人はわざわざ本尊とされたのでしょうか

あるいは、蓮如上人は間違い者だという主張だと理解すれば良いのでしょうか。



★「本願寺のご本尊は教義安心と無関係」について
(「現代の教学問題」の引用の後)

こんな発言を「墓穴を掘った」というのでしょう。

よく読んでみると、本願寺は、こう言っています。

『蓮如上人御一代記聞書』の文は、安心の立場よりの訓戒であって、起行門における礼拝の対象を論じたものではない。

安心の立場からの訓戒だから、礼拝の対象である本尊とは関係ない、ということです。つまり、「本願寺の御本尊は、教義安心とは無関係」

ということなのでしょう。

びっくり仰天、本願寺の無安心ぶりは、ここでも明らかです。

それにしても、このことはすでに、親鸞会の『どちらがウソか』で指摘されているのですから、本願寺にしてみれば、隠蔽しておきたい失態であったにちがいありません。それなのに、教義安心に無頓着な者がブログまで造って、また衆目の前に晒してしまった。これが今回の「再考」ブログの構図でしょう。
【反論サイト(2)】
なぜかここでも本願寺の関係者という前提で批判されています。勝手に思いこまれるのは結構ですが、同じ会員として第三者の失礼にはならないようにしていただきたいものです。

私は親鸞会の会員ですので当然『どちらがウソか』は読んでいます。もちろん「本願寺の本尊は教義安心と無関係」と批判していることも知っています。

ここの部分では、私はあえて引用するに留めました。『どちらがウソか』の批判を承知の上での、親鸞会に対する愛情表現でした。

なぜ、今更ここぞとばかりに非難しているのでしょうか。
なぜこれほど力を入れて私を貶める必要があるのでしょうか。


もっとほかに回答すべき内容はあるはずではありませんか。


もっとも、私が本願寺関係者と誤解されても仕方ない事情はあります。だからといって、私を本願寺の者と断定し貶める理由にはならないのではないでしょうか。


さて、この後の「真宗の本尊は名号」の根拠は、平成5年の顕正新聞でも掲載された話です。本願寺新報にどのように書かれていたのかは分かりませんが、顕正新聞には次の通り紹介されています。
 十日毎発行の「本願寺新報」一月十日号、信仰の質問コーナーに、千葉県、一門徒の次のような質問が掲載された。
「真宗の本尊についてご教示下さい。なぜお名号を本尊とするのですか」
 回答者は、武蔵野女子大講師の山崎龍明氏。
「浄土真宗は南無阿弥陀仏にはじまり、南無阿弥陀仏に終わる宗旨であるといってよい」「一般に本尊といえば、形にあらわした形像本尊が中心、それ以外は考えられなかった。しかし、親鸞聖人は名号をもってご本尊にされた。この意義は大変大きなものがある」
【顕正新聞平成5年3月1日号】
いったいどのように読めば「本願寺がこれまでの主張をかなぐり捨てた」と読めるのか、教えていただきたいものです。

ただでさえ、本願寺の中には親鸞会結成以前から親鸞会のような「名号本尊論」を唱えている学者はあった
のです。「本願寺がこれまでの主張をかなぐり捨てた」というのも疑問ですが、「覚醒を促してきた親鸞会の主張が、どうにか本願寺にも届いた」因果関係も不明です。



★「本願寺の実態」について

ここのページでは、執拗なまでに本願寺非難を繰り返しております。おそらくは私を本願寺関係者と断じてのことでしょう。実際、本ブログに対する直接の反論はありません。

しかし、せっかくですので一点だけ指摘しておきます。

ただ、機関紙上でハッキリと、「真宗の本尊は名号なり」と発表しているのに、12年経った今もなお、全国どこへ行っても名号を御本尊として安置している寺もなければ、御門徒もおりません。
【反論サイト(3)】
よく親鸞会で出される話です。これは本当の話なのでしょうか。

私は、ある本願寺と縁の深い会員の方にお聞きしたことがあります。そのとき、「わずかながら名号を本尊にしている寺もある」と言われていました。二度、念押ししたので間違いないのでしょう。

果たして上の発言は、全国二万か寺、二千万門徒と言われる浄土真宗の東西本願寺、そのすべてを調べ尽くした上での発言なのでしょうか。


お尋ねします。

本願寺の寺はすべて形像本尊を本尊としており、門徒もすべて形像本尊を本尊としているという明確な根拠はあるのでしょうか。
さもなくば、本願寺を擁護するわけではありませんが、批判のための批判とも成りかねません。



★「あとは時間の問題でしょう」について

取り急ぎ私の見解を述べます。
こんな現実も、「再考」ブログの制作者は「知っている」のでしょうが、臆面もなく、こう言っています。
親鸞会の方々に質問したいと思います。
これら善知識方のなされたことを見るに、御本尊は、木像や絵像でも差し支えないと思われるのですがいかがでしょうか。

(「再考」ブログ 最後に より)


「善知識方は、御本尊は名号が『一番良い』と教え勧められました」

と断言している同じ人間の口から、どうしてこんな「珍問」が出てくるのか、理解に苦しみます。
【反論サイト(4)】
本願寺の末寺すべてが名号本尊でない現実などは「知りません」。
私の主張は矛盾していないはずなのに、なにゆえ「珍問」と仰るのか理解に苦しみます。

「名号が一番良い」と「木像絵像は差し支えないのではないか」ということの、いったいどこが矛盾していると仰るのでしょうか。

「名号以外ダメだ」と「木像絵像でも差し支えない」であるならば矛盾していると言われても仕方ありません。

私は、「ダメということはないのではないか」という意味で、「差し支えないのではないか」とお尋ねしているのです。

それは、

覚如上人が形像本尊を下付されたこと、

蓮如上人も形像本尊を下付されたこと、
木像を山科本願寺の阿弥陀堂に安置されたこと、


善知識とまでは言われませんが、
存覚上人も「いづれも弥陀一仏の体なりとしりて、ふかく帰敬したてまつるべきなり」と仰っているということ。

これらの善知識方のなされたことから「差し支えないのではないか」の尋ねたのです。


もしも、「ダメ」であると仰るならば、これら覚如上人や蓮如上人らは間違い者であり、悪知識となります。


今一度お尋ねします。

これら善知識方のなされたことを見るに、御本尊は、木像や絵像でも差し支えないと思われるのですがいかがでしょうか。



次に、
山科本願寺に木像本尊を据えられた蓮如上人や、形像本尊を下付された覚如上人は大間違い者だと言われるのでしょうか。
(「再考」ブログ 最後に より)

にも、お答えしておきましょう。
【同】
と書かれているので期待して読ませていただきましたが、
「現代の教学問題」に、「そのようなこと」をあれこれ述べて、「だから御本尊はどれでもよいのだ」と結論づけていた本願寺さんが、11年後、自らの機関紙に、その主張をかなぐりすてて、

「浄土真宗は南無阿弥陀仏にはじまり、南無阿弥陀仏に終わる宗旨であるといってよい」
「一般に本尊といえば、形にあらわした形像本尊が中心、それ以外は考えられなかった。しかし、親鸞聖人は名号をもってご本尊にされた。この意義は大変大きなものがある」
「親鸞聖人が名号本尊にされたのは、み教えの本質にかかわる理由があった」

と訂正されたことは、先にお話ししました。

どうしても聞きたければ、同じ質問を、「本願寺新報」の発行責任者にしてみるか、あるいは、こう書いている、龍谷大学名誉教授、千葉乗隆氏にお尋ねしてみたらよいでしょう。

「親鸞は、造形の阿弥陀仏が人びとを芸術的美の世界にとどめ、宗教的真実の境地に到達させ得ないことを考慮して、美を媒介としてではなく、宗教の本質そのものを直接に人びとに示そうとして、名号を本尊とした」
(図解雑学「浄土真宗」)
【同】
と突き放されてしまいました。これではまるで答えになっていません。


この方は何を仰りたいのでしょうか。


「親鸞聖人は名号を本尊とされた」

と二回繰り返されています。私は、

「山科本願寺に木像本尊を据えられた蓮如上人や、形像本尊を下付された覚如上人は大間違い者だと言われるのでしょうか」

と尋ねていますので、

「蓮如上人も覚如上人も親鸞聖人のなされた通りしていないから大間違い者だ」


とでも仰りたいのでしょうか。本当にこれがこの人の主張なのでしょうか。

だとすれば大変です。親鸞会で今まで教えられたことの多くは間違いということになります。


ではいったい、答えは何だったのでしょうか。
「千葉乗隆名誉教授に聞いてくれ」ということなのでしょうか。これではあまりに無責任です。

そもそも、その千葉名誉教授が『図解雑学 浄土真宗』に、
親鸞は名号を本尊としたが、従来の絵画や木彫の阿弥陀仏像の礼拝を拒否したのではない。
(中略)
親鸞が名号を本尊とするようになったのは、現存する遺品から推測すると80歳代以後のことかもしれない。

・・・

蓮如は、当初は無碍光本尊(十字名号)を浄土真宗の本尊として用い、木像、絵像などの礼拝を拒否した。「蓮如は無碍光流の邪義を説いている」と非難する比叡山の僧兵に本願寺を破却されて以後は、無碍光本尊の授与を中止し、白紙に六字・九字・十字の名号を書き、本尊として授けた。その中でも六字名号が特に多かった。その後、門徒の強い要望により絵像の本尊も授けるようになった。さらに寺が建てられると木像の阿弥陀仏像を安置することになった。
【いずれも『図解雑学 浄土真宗』】
と書いているのは先日提示したとおりです。
確かに「み教えの根本に関わる理由があった」のでしょうし、「宗教の本質を直接人々に示そう」とされたのでしょう。それ自体を否定しているわけではありません。

「親鸞聖人は名号を本尊とされた」が、「親鸞聖人は形像本尊の礼拝を拒否されたわけではなく、蓮如上人も形像本尊を下付されて寺に木像を安置された」とこの本に書かれているから、質問をしているのです。 ちゃんとお読みになったのでしょうか。疑問に思わずにいられません。



再度お尋ねします。


山科本願寺に木像本尊を据えられた蓮如上人や、形像本尊を下付された覚如上人は大間違い者だと言われるのでしょうか。


そして、最後に
本願寺さんの「本音」や「実態」はどうあれ、「真宗本尊論」の、「教義上」の決着は、すでについていることなのです。まともな学者さんなら、分かっていることです。あなたが知らないだけです。こういう人物をおっちょこちょいと言うのでしょうね。


あとは、本願寺自身が、どのようにして「親鸞聖人の教え」の通りにしたがってゆくか。
「実態」を「正しい教義」に合わせてゆくか、どうかにかかっているのです。
「浄土真宗の正しい御本尊は御名号である」
「それなのに、本願寺はじめ末寺は、いまだに木像本尊に固執している」

この現実をどうするか。

要は、本願寺のメンツと、時間の問題ということでしょう。
【反論サイト(4)】
と結んでいます。


「真宗本尊論」の、「教義上」の決着がすでについているということがこの人の主張なのは分かりましたが、この反論サイトからはどのように決着が付いたのか、そのことが全く読み取れませんでしたので、

どのように決着がついているのか。また、
私が今まで質問してきた内容はどのように答えられるのか。


明快な回答をお願いしたいと思います。
なにぶん、ずっと親鸞会でお話を聞いておりますので、難しい言葉は分かりません。学生の私にも分かるように、ご教示ください。


決着がすでに付いているのならば、回答するのはたやすいことではありませんか。なにゆえ私を本願寺の人間と決めつけ非難する必要があったのか、理解に苦しみます。

重ねてお願いします。
都合の良いところだけ切り取って反論するのではなく誠意ある回答を、
親鸞会としての責任が明確な回答を、期待しております。

私は、報恩講の日曜日のお話にはご縁がありませんでした。ですので、弁論大会でM君が優勝したところも見ていませんでした。


話の内容を教えて頂いた方、聞いた方、何人かのお話を元に私が編集しましたので、「このような内容のお話があったと思われる」という内容になってしまいました。(さすがにお一人の方の内容を丸写しというのも良くないと思いましたので)


大筋はあっているかと思いますが、実際にお話を聞かれた方で突っ込みがございましたら、お知らせ頂ければ幸いです。



・私達が仏教を聞くのは、摂取不捨の真言を誠だったと知るため。信心決定、信心獲得するため。
 摂取不捨の真言=「すべての人を必ず助ける絶対の幸福に」という阿弥陀仏の本願

 誠だったと知らされた時に救われる。これが平生のことなので、親鸞聖人の教えを平生業成の教えと言われる。

 救われた時(縦の線)・・・平生の一念
 まことだろうか疑っていた時(横の線)
 


・「難思の弘誓は難度海を度する大船、無碍の光明は無明の闇を破する慧日なり」(教行信証総序)
 
 難思の弘誓・大船=全ての人に対して救うと約束された、阿弥陀仏の本願
 難度海=渡りにくい海、苦しい人生のこと

 大船に気付かず、海に浮かぶ頼りない丸太・板きれに私達はすがって生きている。
 私たちは何かを信じなければ、生きてはいけない。
 金、財、名、地、倫、道、芸、スポ・・・
 信じる、とはたよりにすること。

 しかし、丸太や板きれにすがっていても、いつか必ず裏切られる。
 そんな丸太や板きれにすがって生きる私達を助ける為に作られた本願。

 私たちは海で苦しみながら、大船があることに気付いていない。

 二千畳は大船があることを知らせる場所である。大船に乗せて頂く事のできる場所である。

 無碍の光明=大船に乗った時
 無明の闇=暗い心
 慧日=智慧の太陽

 大船に乗った時、智慧の太陽によって暗い心でなくなる。明るい心になる。「誠なるかなや…」になる。

 摂取して捨てずして船に乗せる大悲の願船(=難思の弘誓=阿弥陀仏の本願)に対して「誠なるかなや」と親鸞聖人は仰った。
 親鸞聖人は、苦しい海を明るく楽しく渡す大船があるぞ、と教えられている。



・では、明るい心になるとはどういうことか。大船に乗るとどうなるか。
 
「大悲の願船に乗じて光明の広海に浮かびぬれば、至徳の風静かに衆禍の波転ず」(教行信証行巻)
 
 船に乗ったら苦しい人生はどうなったか。

 光明の広海になった。暗い人生が明るくなった。明るい人生になった。
 
 どんな人でも追いかけて、とらまえて(捕まえて)船に乗せる、
 その約束が本当だった、と親鸞聖人は仰っている。
 
 沈んでいた人が大悲の願船に乗ったら、明るく広い心になる。
 
 光明の広海に浮かびぬれば=海に沈んでいた人が浮かんで
 至徳=無上の喜び。人間に生まれて良かった
 風静かに=静かな風が吹いているように
 衆禍の波転ず=もろもろの煩悩・苦しみは絶えずやってくるけど、この船に乗ったら全く関係なくなる


・「衆禍の波転ず」について。
 「三毒の煩悩はしばしば起れども、まことの信心は彼にもさえられず。顛倒の妄念は常に絶えざれども、更に未来の悪報はまねかず」
 (浄土真要鈔)

 大悲の願船に乗っても、煩悩は無くならない。


 四顛倒の妄念=常-無常、楽-苦、我-無我、浄-不浄

 私たちが逆さまに思っていること。
 これも大悲の願船に乗っても無くならない。

 
 煩悩具足のまま追いかけてとらえて捨てられない。
 三毒の煩悩も四顛倒の妄念も無くならない者を必ず乗せて助ける本願。
 これが無くならない者ということは、どんな者も、ということ。
 どんな者も必ず絶対の幸福に救う。

 更に未来の悪報はまねかず=阿弥陀仏の浄土へ乗せて運んでいく。絶対の幸福に救う。
 極楽行きの船だから、更に未来の悪報を招かない。
 これを「衆禍の波転ず」と言われている。 


・救われて変わるところ・変わらないところについて。

 変わるところ=無明の闇が破れる。くらい心が明るくなる。
 「広海に浮かびぬれば」と仰っているとおり。

 変わらないところ=三毒の煩悩と四顛倒の妄念。
 正信偈で「能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃」信心決定すれば、煩悩を断たず極楽浄土へ行く身になれると仰っているから。


・戻って、
 超世=世の中に無い。世を超えている
 希有=またとない。二つとない。
 正法=阿弥陀仏の本願
 「摂取不捨の真言」「超世希有の正法「と本願を2回繰り返して「本当だった」と仰っている。
 本願がまことだったというところから、親鸞聖人は教行信証は始まっている。



・「聞思して遅慮することなかれ」
 聞思して=聴聞
 摂取不捨の真言まことだった、と救われる一念までの道のり。聴聞という道。

 「聞思して遅慮することなかれ」は、蓮如上人の「仏法は聴聞に極まる」と同じこと。
 
 「聞いとるだけで乗せて頂けるのか?」と遅慮するな、
 二千畳は聞思する所。阿弥陀仏の願力によってこの道を進んでいる。
 躊躇せずに決勝点、信心決定、人生の目的の達成、人生の大事業が完成するところまで進みなさいよ、と仰っている。

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