あさ川進の、宗教と私

浄土真宗親鸞会に所属しながらアウトサイダーだった私(現在は会員でなくなりました)が、宗教(浄土真宗親鸞会)との付き合い方を考えつつ書いている更新頻度が低いブログ(この説明も暫定です)リンクフリーです。なお、投稿文を受け付けております。「【投稿文】」と書かれている記事は、頂いた投稿文です。

2013年02月

ぶるうの氏のさよなら親鸞会の更新が、3ヶ月あまり止まっています。さよなら親鸞会の開設からおそらく6年以上経っていますが、 私の知る限り、ここまで間隔が空いているのは初めてのことでは無かろうかと思います。


近頃は特段何のやりとりもしておらず、年賀状も昨年に引き続きノーコメントでしたから、詳細は分かりません。


単純に忙しいだけなのか、飽きたのか、見限ったのか、嫌がらせに嫌気がさしたのか。 
私には分かりませんし、詮索するつもりもありません。ただ、お元気そうではありますから、肉体的にどうこうということは、おそらく無いのだと思います。 


個人的には、あくまで個人的には、ですが、ぶるうの氏は親鸞会を卒業したのではないかと思いました。



何をどこまで書いたのか、私は覚えていませんが、ぶるうの氏が親鸞会をやめてから、8年近くの歳月が流れました。私が大学院2年の6月のことだったと思います。


とはいえ、この当時はまだ、私はぶるうの氏がやめたことを知りませんでした。ぶるうの氏は大学の先輩(といっても年は若干離れている)であって、やめる前は講師部員でしたので、たまにやりとりはしていたものの、そこまで親しいというほどでも無かったからです。

ただ、GWの合宿では一緒でした。 あのときはまさか、その一ヶ月あまり後にぶるうの氏が親鸞会を去るとは考えも及びませんでした。


8月初旬、ふとしたことでぶるうの氏(の親鸞会のメアド)にメールをしたところ、メールが不達となっていました。ある手段を用いてぶるうの氏とのやりとりに成功し、そこでやがて、ぶるうの氏が親鸞会を去ったことを知ったのです。


実は最初に親鸞会を去ったと聞いた時、私はぶるうの氏が親鸞会から追い出されたのでは無いかと思っていたのですが、実際は自分から出て行った、と聞きました。


8月の中旬に、私がぶるうの氏に メールをしたことで警戒されたからなのか、担当講師から「ぶるうの氏は講師部員をやめた」という脈略の無い電話が入りました。


そして、9月の中旬、教学講義の日の朝おつとめの後で、ぶるうの氏の除名発表があったのです。 


あまり詳しくは書きませんが、「2ちゃんねる親鸞会スレへの書き込み」と、ぶるうの氏に会って退会した私の大学の先輩の存在が引き金になったようです。教学講義のおつとめ後、いつもなら体験発表をしているような時間帯だったと思います。全員の前で除名の発表がありました。そこで、ぶるうの氏が何人もの会員に「事実無根のことを吹き込み、親鸞会をやめさせようとした」ことなどが理由として挙げられていました。


ちなみに、「ぶるうのに唆されて」やめたことになっていた私の先輩そして後輩は、どちらも「唆されて」ではないことが確認できました。ぶるうの氏と縁の深かった学生達は、更に個別に話がありました。どさくさに紛れて、あまり会館に来なくなった人たちみんな、ぶるうの氏のせいで来なくなったという話があったり、ぶるうの氏についての悪口があったりと、まあひどいものでした。すでにある程度すり切れていた私だけならともかく、まだまだ若くて(多分)純粋に求めていた後輩達も、同じ話を聞かされたわけですから、非常にやるせない思いがしました。 


私もだいぶ不快な思いをしたので、ぶるうの氏にそんな話をしてしまいました。怒るのも無理はありませんでした。そんなこんなで、本尊論ブログにも繋がっていったわけです。




さて、いくつかのブログを経て「さよなら親鸞会」が開設され、そしていろいろなことが明らかになりました。また、退会者のブログも増えました。それまで親鸞会で抑えられていた声が、ネット上で広がっていきました。その過程で、ぶるうの氏にも様々なことがあったと、人づてに聞きました。

結局、親鸞会にとってのぶるうの氏は、ただの危険人物であり排除すべき対象だったということなのでしょう。


確かにぶるうの氏は、アンチ親鸞会の代表格だったと言っていいと思います。しかしながら私は、「さよなら」の記事からあふれ出すそこはかとない親鸞会への愛情がにじみ出ていたような気がしてならない。

ぶるうの氏が親鸞会をやめてしばらくメールのやりとりをしている中で、半年経っても「高森先生」と呼んでいました。 親鸞会に対する複雑な思いは消えないのだと。


一度は人生を賭けるに値すると思った親鸞会、その親鸞会が変わることまでは期待していなかったかも知れません。 しかし、外から見たら不甲斐ないようにしか見えない親鸞会に対する歯がゆさ、愛情の裏返しが感じられたのでした。


それは、親鸞会に人生を預けようなどとは一瞬たりとも思わなかった私との決定的な違いであり、私には共鳴したくてもし得ない心かとも思います。


翻って今、結局のところ親鸞会はどうなのか。忙しいとかいう以上に、そもそも限られたリソースを使ってブログで親鸞会に対して「愛情表現」する価値を見いだせなくなったのかも知れません。



「心を弘誓の仏地に樹て 念を難思の法海に流す 親鸞聖人
(中略)
 聞法者として共に親鸞聖人の本願念仏の教えを聴き、有縁の方にお伝えしたいと思っております」


ぶるうの氏の今年の年賀状の言葉です。

親鸞会だとか、本願寺だとか、そのような狭い枠の本願ではありません。 
ぶるうの氏はおそらく、親鸞会を”卒業”して聞法者として生きる道に入られたのでしょう。


私は会員を自らやめる予定が(今は)ありませんから、そういう意味で親鸞会を卒業するのは随分先なのだと思いますが、会員という立場でも弥陀の本願をどのように表現するにはどうしたら良いか、ということはいつも考えておるところです。 


あくまで私の個人的な考えなのですが、親鸞会にとってぶるうの氏のさよなら親鸞会の更新が止まったことは大きな損失では無かろうかと考えているのです。

親鸞会にとっては、いろいろな批判をする人間が更新をやめたことは表面上喜ばしいことかもしれませんが、愛情(?)を持って批判する人がいなくなった団体が行く先は独善であるのかもしれません。


これまでも批判サイトが現れては消え、現れては更新が止まり、を繰り返してきました。そこには親鸞会の関与があったものもあれば、ご本人が親鸞会に価値を見いだせなくなってやめられたものもあったか知れません。それを批判者に勝ったというのか、批判にも値しないと見限られたのか。


私に対しては不思議なことに、一応は耳を傾けてくれた親鸞会ですので、僅かながら弥陀の本願を喜ぶご縁としての親鸞会という存在を期待していた部分もありました。しかしながら、やはり親鸞会の本質は変わらないのでは無いかという思いもあります。


親鸞会も所詮は「丸太」です。


親鸞会がその人にとっての幸せ、弥陀の本願喜ぶご縁となるような存在では無いのなら、親鸞会などという枠は不要です。親鸞会という枠を捨てるか、超えるか、はみ出すか、人によってご縁は異なるでしょうが、親鸞会という枠に収まるのでは無く「そのまま助ける」弥陀の本願を聞くことです。


私には願いがあります。 願いの一つが、会員だとか退会者だとか、そういったこと関係なく弥陀の本願を賛嘆できるようなコミュニティを作りたいということ。

ただ、これは難しいと思います。親鸞会が親鸞会である間は無理なのではないか、とさえ思います。せっかく親鸞聖人の名前を戴いている団体なのですが、残念なことです。

このブログも、ある意味その願いから来る趣旨を持っているつもりなのですが、立ち位置があまりに中途半端に見えるために、アンチの皆さんからも会員さんからもあまり近しく思われていないのだろうと思っています。何人かの方と細々とメールをしていますが、これが私の身の丈に合ったやり方なのかも知れません。

もちろん、その人それぞれに合ったご縁がありますから、それぞれのところで弥陀の本願を聞き喜ぶご縁があれば有り難いことです。



それぞれの方がそれぞれの立場でそれぞれに振る舞って、それぞれの業に従って弥陀の本願念仏を喜ぶ。 


そこに、親鸞会の組織の論理なんかはまったく関係がありません。


このブログをご覧になる方は、親鸞会が縁となって弥陀の本願を知られた方が多いと思いますけれども、親鸞会がどうのこうのということから離れて弥陀の本願と向き合う、それが立場に関係なく、卒「親鸞会」と言っても良いと思います。もともと親鸞会など眼中に無かった人は、そのお立場があろうかと思います。


反「親鸞会」でもなく、賛「親鸞会」でもなく、脱「親鸞会」でもない、卒「親鸞会」。どこかで聴いたようなフレーズですけれども、私は、それが弥陀の本願を近しく味わえる一つの形なのでは無かろうかと思うのです。 



お念仏の方も、そういうわけではない方も、いろいろな皆さんがコメントやメッセージをくださいます。
引き続きそれぞれに弥陀の本願を讃歎して頂ければありがたいご縁だと思います。 

ずいぶんと時間が空いてしまいました。この間に二千畳テレビ講演もあったのですが、まずはご法話の話が終わってないのでそちらを先に書きます。


なお、前々回の(1)の、最後から2行目あたりに
「阿弥陀仏のお力によって本願を疑う心がぶち破られ、誠だったと知らされるから阿弥陀仏の一人働き。」
のフレーズを追加しました。

書いた時には端折ったのですが、「どうしたらその船に乗れるか」に対応する箇所がまるっきり無くて意味不明なような気がしましたので、追記しました。


私が言うことでもないのですが、話をそのまま文字にすると主語述語が恐ろしく不明確になります。そもそも話を聞いていても指示語が何を指しているのかよく分からないとことがあります。話が飛んだり戻ったり繰り返したりということで、今まではそこを一部私が補ったり端折ったりして書いていたのですが、今回は読んでてよく分からないところはメモに近い形で書いています。そのためいつも以上に読みにくくなっているかも知れませんが、ご承知おき下さい。


毎度ながら、これは私のメモに基づくものです。
ちなみに、関係ないですが、今日のテレビ講演は所用のためにご縁ありませんでした。

=====

「帰命無量寿如来 南無不可思議光」
親鸞は阿弥陀仏に救われた、助けられた。お釈迦様が一生涯、”阿弥陀仏しかお前らを助ける仏は無いのだから一向専念無量寿仏せよ” と仰ったとおりであった、という告白。

阿弥陀仏の本願を、難度海を度する大船と言われる。
難度の海=人間の一生、苦しみ悩みの人生
私たちは難度海に浮かんでおる船に乗っている。

(あさ川註:いつもの滝つぼの絵)

この船は滝つぼに向かっている。この船に乗っていない人は一人も居ない。
政治経済科学医学・・・もこの船の中の出来事。

やがて滝つぼに落ちる。100%確実な未来は滝つぼだから、船の中でいくら色々なものを手に入れても、安心も満足も無い。金持ちも貧乏人も苦しんでいる。

お釈迦さまはこの滝つぼを ”必堕無間” 、必ず苦しみの世界へ堕ちる、と言われている。
船に乗っている人は必ずすべて、滝つぼに落ちていかなければならない。

これをお釈迦さまは、”後生の一大事”と言われる。
後生=この船の100%確実な未来


この100%確実な未来が真っ暗な状態だから安心も満足も無い。人生苦なり、となる。
お釈迦さまは人生苦なりと仰った。

なぜそうなるか。
何をもっていても滝つぼに落ちるという未来をもっているから、どんな世の中になっても人生苦なり、難度海は変わらない。

その難度海を明るく楽しく渡す大きな船が阿弥陀仏の本願。
あの船(あさ川註:滝つぼ行きの船)から大船に乗り換えなければいけない。
滝つぼに落ちる船から阿弥陀仏の極楽浄土に往く船に乗り換えるために人間に生まれてきた。
乗り換えるためには仏法を聞かなければならない。二千畳は乗り換え場所。
 

正信偈の最初は、大船に乗り換えたぞと自分のことを仰っているのでは無く、皆さんも早く大船に乗って下さいと仰っている。
親鸞聖人は、乗り換えたらどうなるかも仰っている。


「大悲の願船の乗じて光明の広海に浮かびぬれば 至徳の風静に衆禍の波転ず」(教行信証)

大悲の願船=難度海を度する大船=阿弥陀仏の本願

親鸞聖人は乗り換えられて、 

光明の広海=人生が明るくなった、未来が明るくなったから現在も明るくなる
浮かんだ=それまでは沈んでいた。あの船に乗っていた時は心が沈んでいた
至徳の風=最高の幸せ

衆禍の波、波=煩悩は変わらない。有漏(煩悩)の穢身(肉体)は変わらない、ということ。
(あさ川註;ここで「超世の悲願ききしより」のご和讃)

生死の凡夫かは=船を乗り換えた、滝つぼに落ちなくなった

それ(煩悩?)は変わらないが、心は浄土に遊ぶように光明の広海に浮かんだと仰っている。


親鸞聖人が難度海を度する大船に乗り換えたのは29歳の時
それからどういうことがあったか。

権力者の迫害、流罪、友達との確執、我が子の義絶・・・
これらは有漏の穢身のこと。桁が違う。
 
衆禍の波転ず、とは喜びに変わること。転悪成善、借金がそのまま貯金に変わること。 

”本当かいな”と思うだろうが、世間でもある。


 ”見れば見るほど頼もしそうな、添うて苦労がしてみたい”

 苦労がしたいというのは、苦労が喜びになるということ。
阿弥陀仏の大船に乗って衆禍の波が転ずるのはこれとは違うが。


次、
「無碍の光明は無明の闇を破する慧日なり」

無碍(阿弥陀仏)の光明(お力)は無明の闇を破る力がある。

無明の闇を一言でいうと、摂取不捨の真言を疑っている心

だから後生は暗くなるので、後生くらい心ともいわれる。
その無明の闇が破れたお叫びが、「帰命無量寿如来南無不可思議光」のお言葉


(午後後半)
 
「善導独明仏正意」
善導大師はただ一人、お釈迦様の正しい御心を明らかにされた

善導大師のことを親鸞聖人は、大心海化現の方(阿弥陀仏の極楽浄土から出てこられた方)と仰っている。


その善導大師が、どうすれば滝つぼに向かっている私たちが難度海を度する大船に乗せて頂けるか、をこの後教えられている。


仏教の根幹は因果の道理。どんなものも因縁が揃って結果が現れる。

私たちが難度海を度する大船に乗せていただくのが結果、
その因縁を明らかにされたのが光明名号顕因縁。


因=名号、縁=光明、果=信心・阿弥陀仏の作られた大船に乗ったこと

名号=大船、大船があっても縁が無ければ大船に乗り換えられない。
因が南無阿弥陀仏、縁が阿弥陀仏の光明、これによって大船に乗り換える。

親鸞聖人は因縁果の法則に基づいて教えられている。 

難思の弘誓は難度海を度する大船=因
無碍の光明は無明の闇を破する慧日なり=縁

そして、誠なるかなや摂取不捨の真言超世希有の正法=果


開入本願大智海

(縦の線と横の線の図)
横の線=滝つぼ行きの船に乗っている
縦の線=大船に乗り換えて誠なるかなやと叫ばれた時
      摂取不捨の真言を疑っている無明の闇が晴れた時(一念) 

一念=何十億分の一秒よりも短い時間
船だと乗り換えるのに時間が掛かる。たとえ話だからそこは合わない。


大船=南無阿弥陀仏の名号は阿弥陀仏が作られた。
その結果はどうしてできたか。


阿弥陀仏が願を起こされた=因(五劫思惟)
阿弥陀仏が行をされた=縁 (兆載永劫の修行)

因縁合わさって、願行が揃って南無阿弥陀仏になった。
親鸞聖人が、滝つぼに向かっている船に対して、名号を難度海を度する大船にたとえられた。



一念で 南無阿弥陀仏の宝を頂いて、といわれるので誰でも自分に無いものを頂くように思う。

ところが、善導大師は、「本願の大智海に開入する」と一念のところを仰っている。
南無阿弥陀仏の名号に入る、と仰っている。

(名号について、御文5-13)

頂くと思っていたら、入ると仰っている。
蓮如上人は、ざるで水を汲むのではなくざるを水につけよと仰っている。
ざるを水ですくうような聞き方では無いのだと仰っている。
 
南無阿弥陀仏の中に飛び込むと仰っている。
阿弥陀仏の光明が縁となって、頂くのではなく、入る。
頂くと思っていたところを逆に教えられている。

私たちがどう想像しても実際に名号に入らないと分からないから、私たちの間違った考えを破られている。

今日(といいますか昨日)は「二千畳テレビ講演」でした。アニメ講師の皆さんの中には、地元でご縁という方もあったそうです。


私事ですが、最近また帰りが遅くなってきているため、記事の更新以前にコメ返しも遅くなっております。すいません。 弥陀の本願の味わいなど書いてみたいなと思うことはいろいろありますが、追いついておりません。コメ返しは改めてしたいと思います。


先回のエントリで、「特別テレビ座談会」は今後日曜日のご縁になる、という話を書きましたが、来月より「大導師以上座談会」というような名前に変わるようです(違ってたらご指摘下さい)。 「どうしても聞きたいという人だけのご縁」ということで、一定以上のおふせなどが必要だそうです。



「宿善を積む」という表現は封印されていたものだとばかり思っていたのですが私の勘違いだったようで、今回は何度もききました。 弥陀の本心はそこには無いでしょう。

そういえば、来月は「特別テレビ座談会」も日曜日に予定されました。今までは平日だったのですが、今後は日曜日になるようです。



さて、間が空いてしまいましたが、2月3日のご法話の内容を、例によって私のメモから振り返りたいと思います。
毎度毎度のお断りですが、あくまで「このように聞いた」というメモです。


ちなみに、正信偈の「善導独明仏正意 ~ 開入本願大智海」のお言葉についてのお話でした。


まず最初に、正信偈の最初の二行 「帰命無量寿如来 南無不可思議光」 の説明から入りました。
そして、「同じことを二度繰り返されている」のお話から、「阿弥陀仏に救われた大きな喜びを表されている」
ということで、教行信証に書かれている「喜びのお言葉」が出ました。
ここまでの詳細は割愛いたします。

以下は、その続きです。

===

「誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法 聞思して遅慮することなかれ」(教行信証)
本当だった、本当だった、これが帰命。親鸞聖人のお叫び。

誠なるかなや、となる前は「本当かいな」
それがある時、まことだった、となる。

そうなる前は、「そんなことがあるかいな」
こんな心がある人が、まことだった、となる。

だから、「本当かいな」と思わない人に「本当だった」と思うことはもう無い。


(ある短気な男の話:噂話(あいつは短気だ、という話)を聞きつけて殴りかかった男を見て、
 周りの人が「本当だった」と納得したという話) 



問題は、何が「まことだった」と言われたのか。
摂取不捨の真言まことだった、といわれている。

摂取不捨の真言=阿弥陀仏の本願。難思の弘誓とも言われる。
本師本仏の阿弥陀仏が「すべての人を必ず絶対の幸福に助ける」と約束されている。

摂取の摂は、逃げ場が無くなるまで追い詰めてとる。救う。

そして、絶対に捨てられない、不捨。

反抗すればするだけ、絶対に見捨てられない絶対の幸福に助ける。


絶対にすべての人を助けると約束されているなんて、想像もできない。だから、難思といわれる。
二千畳に来ているならわかるけど、仏とも法とも 知らない人を助けるなんて想像できない。
二千畳に来てさえ、本当かいな、となる。


阿弥陀仏のまことの言葉だから、真言。
この阿弥陀仏の本願がまことだった、としらされたのは、摂取不捨と阿弥陀仏に救われたから。


また、阿弥陀仏の本願を「超世希有の正法」とも言われる。
世の中を超えている。大宇宙に二つと無い、ということ。



テレビでブータンの僧侶が、「なぜブータンの人は皆幸せだと言われるのか」という問いに対して
「お釈迦様の”足ることを知る”という言葉を信じているから。執着が無いということです」と言っていた。

悪いことでは無いが、本当の仏教では、執着が無いという執着から始まっていることを知らねばならない。

ただ、ここまでも進んでいない人がほとんど。

仏教はここから始まっている。 
親鸞聖人が比叡山でご修行されたのは、一切の執着を断ち切るため。
その執着を無くそうという執着から離れられずに泣く泣く比叡山を下りられた。
執着が無いから幸せ、という簡単なものではない。 

執着とは煩悩のこと。執着を断ち切るということは煩悩を無くすということ。できるわけが無い。

阿弥陀仏の本願の幸せを改めて知らされて、ブータンの人にも本当の仏教を伝えなければと思った。
 


親鸞聖人は、阿弥陀仏の本願を「難度海を度する大船」と仰った。
難度海=苦しい海、私たちの人生のこと

また、
「生死の苦海ほとりなし ひさしく沈めるわれらをば 弥陀弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける」
ともいわれている。苦しみに限りが無い。死ぬまで苦しみ続ける。 

弥陀弘誓のふね「のみ」といわれる。二つも三つも無い、一向専念せよ、ということ


何のために生まれてきたのか、幸せになるため。
しかし、全人類は苦しんでいる。

それを明るく楽しく渡す大きな船が阿弥陀仏の本願。

それがまことだった、ということは、この大船に乗られたときのお言葉。
ただ自分のことだけで無く、「皆さんも早く乗りなさいよ。聞く一つだから聞思して遅慮するな」と仰っている。


では、どうしたらその船に乗れるのか。
「無碍の光明は無明の闇を破する慧日なり」

無碍の光明=阿弥陀仏のダントツのお力、威神功徳不可思議。

無明の闇=本当かいな、そんなことあるかいな、という心。

阿弥陀仏の本願を疑う心をぶち破るお力が、阿弥陀仏にあるから無碍の光明といわれる。

阿弥陀仏のお力によって本願を疑う心がぶち破られ、誠だったと知らされるから阿弥陀仏の一人働き。


だから善導大師は、「光明名号の因縁によって絶対の幸福に救われるのだ」と教えられた。 

(続く)

これまでブログを書いてきて、いろいろな方から色々なコメントを頂きました。最近は、記事に対してコメントを頂くことでさらに記事を発展させていく形など、おもしろいのではないかと思ってたまに試みようとしておりますが、コメントを引き出す記事を書く能力と、コメントによって記事を昇華させるコミュニケーション能力が必要なので、なかなか難しいものです。


いただいたコメントに対しては極力誠意を持って返事をするようにとは思っておりますが、やはりそのときの気分や考えによって雑になってしまったり、文章がおかしくなったり、コミュニケーションが成立していなかったりしてしまっている感は否めません。 できるだけ精度を上げたいとは思いますが、「人間だもの」と言って開き直りたいようなどうしようもない心もあります。


さて、


以前、このブログのカテゴリの中に、「良かったこと」「どうかと思ったこと」というのがありました。当初は、親鸞会の良い面と良くない面を両方見ながら、親鸞会について考えようと思っていたわけです。
ですが、正直なところ、どうかと思うことがあまりに多くて良いところがあまり思いつかなかったのでやめてしまいました。よく、「他人の欠点はいくつでも言えるが 、良いところを挙げるのは難しい」などと言われますが、そのようなものかもしれません。そんなレベルの話では無い、という声も聞こえそうですが。



今日はいささか唐突ですが、あまり込み入った記事を書く体力が無いという身勝手な理由により、親鸞会の良かったこと、というよりは、(私にとっての)親鸞会の効用ということについて考えてみることにします。


親鸞会に居たことが人生の黒歴史になってしまっている方からしたら、なかなか親鸞会の効用について考える気も起きないかも知れません。それは致し方ないと思います。そういう方は、この先をお読みになると腹が立ってしまうかも知れませんので、読むのを中断されるのも一つかも知れません。




親鸞会と関わって、弥陀の本願とのご縁があった。まあこれはそもそも、そうでなければ親鸞会の存在する意味は皆無ですので、一言述べるにとどめます。



「因果の道理」ということを聞かせてもらった、というところも意外に大きかったように思います。(弥陀の本願うんぬんとは別に)

私は自己啓発本が好きで、よく読む機会があったのですが、意外にこの考え方をベースにしている(ように思える)ものが多いという印象がありました。別段目新しいものではありませんけれども、そういうものに学生時代に触れていたのは良かったと思います。

私は高校まで、いわゆる「舌を出すのもイヤと言うくらいのけち」に近いものがあったのですが、曲がりなりにも「施しは生きる力の元と知る」ことになったのも良いご縁だったように思います。



軍隊からすると十分生ぬるいのですが、どことなくそのような雰囲気でテキパキと行動する合宿をしたというのも良い経験でした。おかげで、社会人になってから会社の人と行く旅行のスケジュールが緩く感じられて仕方ないわけですが。


 
あとは、宗教団体とはこういうものなのか、ということが肌身で分かった、ということでしょうか。

もちろん、宗教団体と言ってもいろいろなカラーがあり、親鸞会が基準にはならないとは思いますが、人間が一つの「基準」に染められるとこのようになるのか、というものを間近で見る経験はそう無いのではないかと思います。こういうとものすごく他人事のように見えますが。

私が大学一年の夏に親鸞会への入会を拒否してから、周りの一年生も含む「サークルの人たち」が揃って「学生部聖則」を唱和する、親鸞会の会合をする、そんな中一人ぽつねんと黙っている、そんなことが続きました。今思えば愉快な経験でしたが、当時は「あっちの世界の人達」から逃げ出したい心境でした。 



ところで、親によると、私は大学に行ってから「明るくなった」そうです。特段私は変わった感じはしないのですが、そう見える、ということなんでしょうね。
 


こうやって挙げてみると、「別に親鸞会である必要性が感じられない」という意見もあるか知れませんけれども、望むと望まないとに関わらず縁をもってしまった以上、このように振り返るのも悪くないようにも思います。それぞれの方、それぞれの「効用」がおありなのではないかと思います。逆説的なものも含めて。

前の記事からおよそ一週間ほど空いてしまいました。今後のことは分かりませんが、しばらくはこのペースが続くかも知れません。ブログの内容は教義系のブログほど重たくは無いのでまだ書きやすいはずなのですが、それでも一時間くらいは掛かってしまうので、楽しみにされている方はすみませんが、気長にお待ち頂ければと思います。



少し前に、ある会員さんと話をしてました。話の中でその会員さんがふと、

「富山まで行って座っていても他ごとを考えていて阿弥陀仏に心が掛からない人と、地元でご法話に行けなくても阿弥陀仏に思いを馳せている人とでは、どちらが阿弥陀仏とのご縁が深まるのだろうか」

という趣旨の話をされました。


この会員さんは、仕事の関係でしばらく親鸞会館でのご縁が無い人でした。


こと親鸞会では、聴聞、といいますか富山の親鸞会館に参詣することを強く勧められます。まあ、親鸞会館に参詣してなんぼ、といった風情があります。 これは会員の経験がおありの方であれば、程度の差こそあれ概ね同じ感じを抱かれるのでは無かろうかと思います。

親鸞会館に行って聴聞することが、もっとも宿善になる、という話を聞いたこともありました。


それが高じてかはわかりませんけれども、学生時代は関東にいたはずなのに、実家が富山というわけでもないのに富山方面に行ってしまう人も少なくありません。


ちょっと違うかも知れませんが、蓮如上人のこの御文を思い出しました。


まづ当流の安心のおもむきは、あながちにわがこころのわろきをも、また妄念妄執のこころのおこるをも、とどめよといふにもあらず。ただあきなひをもし、奉公をもせよ、猟・すなどりをもせよ、かかるあさましき罪業にのみ、朝夕まどひぬるわれらごときのいたづらものを、たすけんと誓ひまします弥陀如来の本願にてましますぞとふかく信じて、一心にふたごころなく、弥陀一仏の悲願にすがりて、たすけましませとおもふこころの一念の信まことなれば、かならず如来の御たすけにあづかるものなり。このうへには、なにとこころえて念仏申すべきぞなれば、往生はいまの信力によりて御たすけありつるかたじけなき御恩報謝のために、わがいのちあらんかぎりは、報謝のためとおもひて念仏申すべきなり。これを当流の安心決定したる信心の行者とは申すべきなり。あなかしこ、あなかしこ。
(御文1-3)

 
親鸞会館に行かなければ助からないような本願なら、

日曜日に仕事の人は助からないことになります。
お金が無くて参詣できない人は助からないことになります。
身体が不自由で行けない人は助からないことになります。


ただ、「一心にふたごころなく、弥陀一仏の悲願にすがりて、たすけましませとおもふこころの一念の信まことな
れば、かならず如来の御たすけにあづかる」という本願です。




何がご縁となるか、弥陀がすることなので分かりませんけれども、少なくとも十方衆生相手の弥陀の本願ですから、親鸞会館に参詣している人だけが弥陀とのご縁を結ぶ、ということでは勿論ありませんし、法話のご縁が無くても弥陀に心を掛けて念仏する人があるならば、それもまた弥陀とのご縁になるでしょう。


親鸞会館に行けないからと言って弥陀とのご縁が遠くなるということは、勿論ありませんね。

昨日の親鸞会館は、毎月の正信偈についてのご法話でした。「そうとうに体調がお悪い中」つとめられたご縁でした。


私がブログで「滝つぼが何をたとえられているのかよく分からない」と書いたから、というわけではないのでしょうが、昨日のご法話で、


「この滝つぼを”必堕無間”、必ず堕ちる、苦しみの世界に」 とお釈迦様が言われているという話がありました。


無間とは苦しみの世界、という以上の説明はありませんでした。 

これについてはまた後日、ご縁があれば書きたいと思います。



さて、淳心房氏&しゃあ氏の 「真偽検証」に、『仏説譬喩経』のことが取り上げられていました


この文章を読んで、私は、K玉先生の名単語?である、

「うそハンバーグ」

という単語を思い出しました。 


全部ウソばかりだと信憑性が薄いけど、自分に心当たりのあるような「本当」がウソの中に混ざっていると、それを信用してしまう、という趣旨で、私の学生時代に「ネットの情報」について語られた言葉でした。

ネット云々を抜きにすると、100%の本当も100%のウソもない中で、自分の都合が良い解釈ができるように本当とウソを混ぜ合わせる、ということとも言えるかと思います。



ちなみに、私も7年余り前の学生時代に、「『仏説譬喩経』の話が全然違うじゃないか」と当時の担当講師に言ったところ、「あの掛け軸の絵は親鸞会だけで使われているものではない」と言われた覚えがあります。
 

学生時代に出所を調べてたのですが、結局よく分かりませんでした。当時は『太平記』にそのような記述が見えたことを記憶しているのですが、それも記憶違いかもしれませんし、それが原点とも限りません。


『仏説譬喩経』に限らず、二河白道のたとえしかり、まあ他にも千歳の闇室の話とかいろいろありましょうが、正しい部分とかもっともらしいだけの部分とか変な部分とかが混ざって、全体としては何となくもっともらしくできあがっている、ということが何カ所も出てくると、どれが本当やらよく分からなくなってしまうかもしれません。



明日(日曜日)はご法話の予定です。ちなみに関東等のみなさんの施主ご法話です。私は仕事で子会社に行くことになったので夕方に出る予定ですが、この季節の北陸は雪が気になるところです。


さて、「滝つぼ」の話を何度か紹介してきました。論説にも書かれていたので、皆さんにもご紹介しました。
私の読解力が無いからなのかもしれませんが、この「滝つぼ二落ちる」ことが何を表しているのかがよく分かりません。



以前にも書いたかしれませんが、昨年のお話では「死ぬこと」というように聞いた覚えがあります。

論説でも、「すべての人は、死の滝つぼに向かっている船に乗っているのである」などとありますので、「死ぬこと」は念頭にあるのではと思います。

ただ、単純に「死ぬこと」としてしまうと、先日の初聞法会での


「弥陀が用意して下された船に乗り換える」


という部分が意味不明になってしまいます。(私だけかもしれませんが)

弥陀が用意して下された船に乗りかえるということは、弥陀に救われることをたとえているのだと思いますが、弥陀に救われるのは生きている時だ、とさんざん言われています。ということは、船を乗り換えて滝つぼに落ちなくなるということは、滝つぼに落ちることを「死ぬこと」と捉えると、「死ななくなる」ということになってしまいます。

当たり前ですが、弥陀に救われたからといって死ななくなるわけではありませんので、滝つぼに落ちることが死ぬこととしてしまうとよく分からなくなります。

 

論説を読むと、蓮如上人の

 「まことに死せんときは、かねてたのみおきつる妻子も財宝も、わが身には一つも相添うことあるべからず。されば死出の山路のすえ・三途の大河をば、唯一人こそ行きなんずれ。これによりて、ただ深く願うべきは後生なり、またたのむべきは弥陀如来なり、信心決定して参るべきは安養の浄土なり」(御文1-11)

を引用していろいろ書かれています。 

ここから考えると、「あてにしてきたものがあてにならなくなる」ことを表しているようにも思えます。とすると、「乗り換える」ということは、「弥陀の本願をあてにする」ということになるのでしょうか。あるいは「後生ひとりぼっち」が「後生は弥陀と共に」ということでも表しているのでしょうか。


ちなみに、みんなが同じ船に乗っている、ともいわれてたと思います。そうするとみんな同じタイミングで滝つぼに突っ込むのだろうか、ということも思ってしまいました。


富山に行ったらまた、ほかの会員さんにも聞いてみたいところですが、ご覧になった皆さんはどのようにお感じでしょうかね。
 

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