あさ川進の、宗教と私

浄土真宗親鸞会に所属しながらアウトサイダーだった私(現在は会員でなくなりました)が、宗教(浄土真宗親鸞会)との付き合い方を考えつつ書いている更新頻度が低いブログ(この説明も暫定です)リンクフリーです。 なお、投稿文を受け付けております。「【投稿文】【○○さん】」と書かれている記事は、いただいた投稿文です。後ろ【】に投稿主の方の名前を表示しております(2020/6/20)。投稿文の内容や行事案内等については、投稿主に直接ご連絡ください。

2013年04月

明日は四月の地元でのテレビ講演であるわけですが、結局私は午前中のみのご縁の予定です。


ちまたではゴールデンウィークだとか大型連休だとか言われておりますが、私が勤めている工場は毎年この時期が繁忙ということもあってか、カレンダー通りの連休を目論んでいたのですが明日も明後日も出勤と相成りました。明日は午後からの出勤にしてもらいましたが。

平日に振休という予定も当分ないので、あまり普段と変わらない気がしています。他の会員さんも、結構休みも出勤という方もいらっしゃるようです。ブログをお読みの方の中にも、そういう方はいらっしゃるかと思います。


しょうもない愚痴を失礼しました。 といいながらも今日は、いつも以上に徒然なるままになんとなく、という記事にします。


・・・・


基本的なスタンスの問題もあってのこともありましょうし、種種の問題もありまして、このブログに対する「リンク」はほとんど無いかと思います。 個別の記事に対するリンクはたまにして頂くのですが、おそらくリンクを辿るとすると殆どの方は、「親鸞会ブログポータルナビ」からいらっしゃることと思います。


「親鸞会ブログポータルナビ」にはリンクをクリックした数が表示されるため、実は反響の大きさを見る上でのベンチマークにしていました。

最近は一頃に比べるとずいぶんと数字が落ち着いてきたような気がします。 最近の記事の更新が滞り気味ということと、内容がずいぶんとマニアックな方向に偏っているせいかな、とも思ったのですが、いつもは反響の大きい退会者の方のブログのアクセス数もずいぶん落ち着いているところを見ると、全体的にアクセスが減っているように見えました。


ちなみに、このライブドアブログにはアクセス解析機能がついており、そちらのアクセス数を見る限りでは以前より横這いか漸減傾向、という程度でした。


このことから考えますと、単純に「親鸞会ブログポータルナビ」を経由したアクセスが落ち着いているだけなのかもしれません。時期的な問題(年度替わりとか)もあるのでしょうが、以前に比べると親鸞会に対する関心の度合いが低くなっているのかなあ、などと思ったりもしています。もちろん、「ブログポータルナビ」が全てではありませんけれど。 


・・・・・

ライブドアブログのアクセス解析の中に、(おそらくIPアドレスから情報を取っているのでしょうが)、どこのアドレスの人がどの記事を読んで、何回目の訪問か、などといった情報を表示する機能があります。(※)
過去200件分限定なのですが、久しぶりに見てみました。


その200件分の中で、一番多い人は「288回目の訪問」でした。一日に何度訪問しても「1回」とカウントされるようですので、その方はほぼ毎日いらしているようです。もちろん、この方は私ではありません。プロバイダも違うし、私の仕事中にアクセスがあったし。


なお、携帯電話の方も結構いらっしゃいましたが、残念ながら携帯電話は何回目の訪問でも「初めて」と表示されるので回数は分かりませんでした。携帯電話はauの方のアクセスが多いようです。

・・・・・


そういえば前回の記事で、「ブログを書き始めてから色々な方とのご縁があった」ということを書きました。

その中で、とある方からお願いされていたことがあります。


実はそのことはずっと覚えているのですが、なかなか果たせずにいます。つくづく、縁が無いと何かと難しいなと思います。


・・・・・


今までの記事でも、「縁があれば●●について書きたい」と言って積み残しのままになってしまっているものが散見されますので、これもそうなるのかもしれませんが、縁があればまとめて振り返ってみたいことはあります。


私がこのブログを始めてから、今までの変遷。


詳細はまたの機会(があればそのとき)として、 一年弱の期間の中でも内容はなんとなく変わってきたと思います。基本的なスタンスは変わってませんけど。


・・・・・

ブログを始めてしばらくは、私に対して親鸞会から何らかの沙汰があるのでは無いか、と心配して下さった方が何人かありました。ただ、私としては特に親鸞会が私に対して何か圧力を掛けるようなことは大方ないだろうと思っていました。予想以上に無反応ではありましたが。


特に反応のなかった理由としては、推測の域を出ませんが、

・「親鸞会では助からない」とは書いてないから
・会員さんに対して、やめさせるような言動を取ってないから
・親鸞会に対して無害だから(特に影響がないと思ったから)
・ブログの最初は大して批判的でなかったため、タイミングを見失ったから
・面倒だったから
・あさ川に対して何を言っても無駄だから

おおむね、こんなところではないかと思いました。
 


(※)参考 少し前の画像ですが、キャラクタが各エントリを訪問している様子が、頂いたアクセスを表現しています。
access

 

このブログを始めて、あと一ヶ月あまりで一年経ちます。早い話が、まもなく11ヶ月ということですね。

「2日に1回の更新ペース」は、最初の数ヶ月、あるいは100回を超えた辺りまでは余裕だろうと思っていたのですが、気がついてみるとかなり厳しいペースになりつつあります。まあ、努力目標ではあるのですけれども。


 
このブログを始めてから、様々な方とのご縁が得られました。


やめる意思はなかったけど様々なご縁によって親鸞会を離れざるを得なくなった方、
親鸞会の誤りを知って憤りの気持ちのやり場が無い方、
退会されてご自分で「善知識」を探していらっしゃる方、
未だ残っている会員さんに対してどうにか弥陀の本願とのご縁をと思われている方、
あさ川が親鸞会に残っていることが全く理解できないと思われている方、
親鸞会で教えていることに疑問はあるもののそれでも親鸞会が一番仏法聞きやすいと思われている方、
親鸞会の話は聞いたことがあるがご自身は入会歴が全くない方、


ほかにも組み合わせも含めて十人十色、様々な立場の方がいらっしゃいました。



そんな中、メールのやりとりをしている中で、印象に残ったことがありました。お返事を三週間くらい放置しているので返信しなきゃと思っていますが・・・


ご本人に許可を頂いていないので、頂いた文章そのままを載せることは出来ませんが、だいたいこのような趣旨でした。
 
 

高森会長を「善知識」と仰ぐ会員も、「悪知識」だと貶める退会者も、立場が異なるだけで自分には同じように見える。

自分にとって高森顕徹という人物は、どこにでもいる老人でありそれ以上でもそれ以下でも無い。最初にみた時も今も全く変わらない。(聞いていた印象と違って)あまりに普通の老人だったので、拍子抜けしたくらいである。

善知識でも悪知識でもない、ただ地位や名誉・金に弱く、満たされない思いでいるからそれらで身を飾っているだけの老人でしかない。そしてそれは、自分の未来の姿かも知れない。

自分と同じ、一個の人間でしかないように見える。
 
善知識と仰いでいる人は高森会長を同じ人間と見てはいないのだろうけれど、悪知識と貶めている退会者もひょっとしたら同じ人間には見えていないのかも知れない。実際のところは分からないが、自分にはそのように見える。
 


会員の皆さんも退会者の皆さんも、お互いが同じだとは思われてないでしょうし、同じだと批判したいわけではありません。


この辺の問題を「愛や憎しみ」で論じるのは少し違うかも知れませんが、


愛の反対は憎しみではなく無関心です (マザーテレサ)


の言葉を思い出しました。


「善知識」と仰いでいるのは「尊敬(崇拝?)」 しているからでしょうが、
「悪知識」と貶すのは必ずしもその裏返しではなくて 「まだ気付いてない人に知らさなければ」の使命感かもしれません。

その辺はご本人に聞いてみないとわかりません。 




そういえば、以前に こんなこと や こんなこと も書きました。 


親鸞聖人は、


法に依りて人に依らざるべし


と教行信証に引用されています。「悪知識」に付き従う人はあまり無いでしょうが、「善知識」だとしても「人」をたよりにせずに「法」をたよりにしなさい、と教えられました。


正しいもの、間違いないものとは何か、自分の考えを突き詰めてを掘り下げていくと、実は自分の考えを土台にする限りその「正しさ」の基準は自分になってしまっている、すなわち絶対的な基準などは「分からない」ということが分かってくると思います。

 
「善悪の二つ総じてもって存知せざるなり。そのゆえは、如来の御心によしとおぼしめすほどに知りとおしたらばこそ、よきを知りたるにてもあらめ、如来の悪しとおぼしめすほどに知りとおしたらばこそ、悪しさを知りたるにてもあらめど、煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、皆もって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」
(歎異抄)


親鸞聖人が仰っているとおり、絶対的な正邪や善悪の判断がつかない者に、ただ南無阿弥陀仏が差し向けられています。


こういう表現が良いのかは分かりませんけれども、正しいとか間違っているとか、私が認識できるような正邪善悪とはまったく離れているのが弥陀の本願だと味わわれます。





「善知識」をたよりにして、この人に順っていればいつかは救われるだろう、と、阿弥陀仏を彼方に置いてしまっては弥陀の本願を損なってしまいます。


弥陀の本願を損なっているということで、「悪知識」と批判する。それが弥陀の本願を知られるご縁となる方もあるでしょう。そして、そのように批判する役回りを敢えて引き受けてらっしゃる方もあるでしょう。

 
とはいえ、弥陀の本願はそのような私たちが「正しい」「間違い」などと言っている範疇に収まるものではありません。


その役割を「敢えて」引き受けられている方はともかくとして、皆が皆、そのようなところに留まっているとすれば勿体ないことだと思います。 もちろん、そのようなところからは既に離れていられる方も少なくないでしょう。


親鸞会で厭な思いをしていると尚更、親鸞会という存在自体を否定したくなるかも知れません。私も、親鸞会という団体が好きではなかったので、どうやって否定しようかといつも考えていた時期がありました。しかし、嫌えば嫌うほど意識せざるを得なくなります。服従していても否定していても、意識しているとどうしても囚われてしまいます。


少なくない方に影響を与えた、という意味では「一個の人間」で収めるには足りないかも知れませんが、我彼共に一個の「煩悩具足の凡夫」です。一人の人間に対していつまでも囚われていては勿体ない弥陀の本願です。




それぞれの方、それぞれの思い入れの程度は実に様々であることを承知の上であえて書きますが、「親鸞会」も「高森先生」も、弥陀の本願の前には何ら特別なことはなく、「どうでも良い」と言ったらさすがに言い過ぎでしょうか。 

明日は二千畳テレビ講演ですが、私は都合によりご縁がありません。


先回のエントリは、私としては実は弥陀の本願の話をしたかったわけです。ただ、特に弥陀の本願のことを書いているところがよく分からない文章になっているのでは無いかなあと思いましたし、だからなのかあまりその辺はコメントも少なかったような気がしました。


一段落ついたかな、と思っていたところ、昨日コメントが伸びていました。
昨日は家の都合でPCを使わなかったのですが、今日もコメントにお返事することができませんので、明日以降にしたいと思います。 


マイルールで、 コメントへのお返事は2日以内を目安にと言うことで、概ねその通りいままで書いてきたつもりですが、それが今回はのびてしまいますので、取り急ぎここで仮のコメ返しといたします。

最近、会社で回覧がありました。


内容を大まかに書くと、

「山口県方面から、当たり屋のグループが来ているとの情報があるので気をつけましょう」 

というような話でした。「当たり屋」の車のナンバーや車種が30台分くらい書かれていました。



「当たり屋」などという言葉を久しく聞いていなかったので、まだそういうことをやる人があるのだなあと 思っていたところ、同じ職場の人が、「二十年以上前にも全く同じものを見た」と話してくれました。


確かに、書かれているナンバーはいずれも分類番号が2桁でしたので、いずれも1999年以前の自動車ということになるのですが、それも変だということで後で調べてみたところ、こんな情報が見つかりました。 



山口県警の交通指導課の課長名で「そのような事実はありません」と書かれていますので、古いナンバーの件と併せて考えると、要するに「デマ」のようです。


調べてみると、30年近く前から同じような「デマ」が数年周期で繰り返されてきたようです。会社の回覧で回ってきた情報は、とある実在する公的施設の理事長名で回ってきたものでした。 また、この情報を「信用」して、注意を呼びかけているブログやFacebookもいくつか検索で引っかかりました。


普通、県警の管理職名で出された情報を見れば、今回の件は「間違いなくデマだ」と考える人が殆どだと思います。私が ”要するに「デマ」のようです” と、敢えて断定的に書かなかったのは、信用する情報のソースによって結論が変わり得ることも言いたかったからです。 



この「当たり屋」情報を信用した人はなぜ、この情報を「本当だ」と信用したのでしょうか。

私は心理学などに詳しいわけではないので学問的なことはよく分かりませんけれども、そもそも「ウソ」であるという発想が無かったり、情報提供者を信用していたり、ご本人に心当たりのあることだったり、そういったことがあったのかな思います。


たとえば、私が「実は私が日本の総理大臣なのです」と言ったって誰も信用しないでしょう。
「信用」するためには、信用に足ると判断するに至った理由があるはずです。





親鸞会の中ではよく、

「先生が仰るから(間違いない)」
「先生が他力信心の境地から仰っていること(だから間違いない)」

などといったことが聞かれます。(私だけでしょうか)


ではそもそも、そのように言える理由は何なのでしょうか。
そのように「信用」したのはなぜでしょうか。



私は今、「先生の信心」については全くと言っていいほど拘りがありませんが、学生時代はそれこそなんとなく、他力信心であろうと思っていました。そもそも他力信心についての分別が無かったからということもあるのですが、周りの先輩が皆そのように言うので最初からそういう目で見ていた、ということがありました。



もちろん、この問いかけは親鸞会に関してだけでは無く、そもそもあらゆる「信じる」行為に対して言えることだと思いますけれども、今は親鸞会を話題にするのであれば上記の問いかけになるでしょう。






ここから先は、だんだん訳の分からない話になっていくかもしれません。
ある種、反感を買うような表現が出るかも知れません。
その点、ご了承下さい。





ここ数年、ネット上で様々な親鸞会情報(主にダークな情報)が流布されるに至って、その情報をご覧になった方の中には、「親鸞会はこんなにおかしかったのか、騙されていた」と憤りを覚えた方もあるかしれません。


では、その「ダークな情報」を信用して「親鸞会が騙していた」と判断するに至ったのはなぜでしょうか。
自分できちんと事実関係を確認できたからでしょうか。




また、教義批判のブログをご覧になって、「●●というお聖教にはこのように書かれている」という文章をお読みになって、「親鸞会の言っていたことはあべこべだ」と怒りに打ち震えた方もあるかしれません。


では、そのことを信用して「親鸞会は出鱈目のことを教えている」と判断するに至ったのはなぜでしょうか。
あらゆる知られていないお聖教も含めて、すべて出典とその解釈を確認できたからでしょうか。




別段、私が親鸞会を擁護するだとか、批判的な人の非難するだとかいう趣旨で書いているわけでは無いことはご理解いただけているかとは思いますが、 私がこういうことを書いているのは、もし、なんとなく親鸞会を信用した裏返しに親鸞会の「ウソ」に対する指摘を信用して親鸞会を批判しているだけとすれば、結局は何も変わっていないのだということが言いたいからなのです。


正しさを主張するためには、相応の「正しさについての根拠」が求められると思います。ですから、その根拠を突き詰めて自分なりに研鑽されている方については、敬意を表します。


親鸞会の組織の腐れっぷりを、ありとあらゆる機会に眼前のものと知った方は確かにあるでしょう。
親鸞聖人の原典、仏教の原典から辿って、七祖のお聖教はじめ歴代の高僧方のご著書に学んで親鸞会の教義の破綻を見られた方もあるでしょう。


そこまで徹底していなくとも、少なくとも判断するための情報を集めて、やはりと親鸞会を見限られた方もあるでしょう。


ひょっとしたら、なんとなく流れで親鸞会を信じてしまった反動で批判に転じただけの人もあるかしれません。



私がこのブログでほとんど教義問題について扱わないのは、単純に教義面での勉強が不足しているからということもあるのですが、私自身が正しさを主張できるほどに正しさを身につけてはいないからなのです。
また、親鸞会が「断言」を好む意趣返しとして、「思う」「味わえる」「考える」を多用しているのも、同じ理由からです。


何が信用できるのか、信用できないのか、突き詰めていくと 


「善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり。そのゆえは、如来の御こころによしとおぼしめすほどにしりとおしたらばこそ、よきをしりたるにてもあらめ、如来のあしとおぼしめすほどにしりとおしたらばこそ、あしさをしりたるにてもあらめど、煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」
(歎異抄)


であり、聖徳太子が


「世間虚仮 唯仏是真」


と言われたということがまた味わわれます。

 

弥陀の本願はそのような凡夫の計らいからはまったく離れています。
 

では、弥陀の本願の正しさを証明してみろ、と言われる方があるか知れません。 
正しさを証明できる方があるのかもしれませんが、私にはできません。その必要性を微塵も感じていません。そもそも私は、弥陀の本願の正しさを主張していないからです。 

別段私が正しさを主張する必要などありませんし、私が主張したところで全く意味がありません。

「弥陀の本願は正しくない」という証明がなされたとしても、私にとっては「ああ、そうですか」という程のものです。どうやって証明するのかは知りませんが。


正しさが証明されているから信用する、間違っていると証明されたから信用しない。
弥陀の本願はその次元には無いのです。 

正直なところ、過去の親鸞会がやってきたような「自分の信心は正しいのだ」という主張は、弥陀の本願の前には意味が無く、間違いとは言えないまでも非常に浅薄だとさえ思います。



結局私は、「弥陀の本願ガー」と言いたいだけなのかも知れません。 
その弥陀の本願を、そのまま聞いて本願喜ばれるご縁にあわれればありがたいことだと思います。 

今日は「大導師以上座談会」だったわけですが、私は以前書いた理由によりご縁がありませんでした。
来週も試験なのでご縁無く、また三週間くらい空きます。


そういえば、私が若干の路線変更をしてから、緩い話が少なくなってたように思いますので、今日はしょうもない昔話をすることにします。 


山も山さんのブログの記事を読んで、 ふと学生時代のことを思い出しました。



まずは今をさかのぼること、もう十二年くらい前のことです。 
 
何度か書いたような気もしますが、私は大学一年の夏、親鸞会館で行われた夏合宿に行ってました。そしてそこで、入会の勧誘を受けたのです。私は「金が無い」の一点張りでどうにか勧誘を凌いだのですが、勧誘を受けた一年生はほとんど入会してました。

私の大学の同期の女性も、入会しました。


夏合宿が終わって程なくして、彼女は私が入会を拒否したのを知ってか知らずか、

「おつとめは御名号を掛けてするのがいいみたいだよ」

とメールをくれました。
 

そのときの私は、率直に言って宗教団体と関わるのが嫌で嫌で仕方なかったので、一応のお礼は返しつつも、御名号の前でおつとめをしようなどとは思わなかったのです。


とはいえ、なんとなくそれではダメなような気もしたので、自分で「南無阿弥陀仏」と書いたボール紙を使っておつとめをしていました。



それから数ヶ月後、観念して入会した私でしたが、御名号を安置するお仏壇についてはさすがに気が進まず、うやむやにしていました。



時は過ぎ、大学三年の秋口に、いよいよ講師部員から圧力が掛かりまして、何らかの形でお仏壇導入を迫られました。


当時、「お仏壇」と言えば、だいたいはチューリップ企画の仏壇を購入する学生が多かったのですが、チューリップから購入することに拒否感を覚えていたことに加え、「安く立派なお仏壇を」と思っていた私は、ヤフーオークションに手を出すことにしたのでした。最近は無料でオークションに参加できるようですが、当時はできませんでしたので、有料アカウントも取りました。


中古のお仏壇なら、本当に格安で大きな仏壇も出品されていたのですが、結局選んだのは、高さが150cmほどの唐木で未使用のお仏壇でした。どうみても浄土真宗のそれでは無かったのですが、そこは気にしないことにしました。 


6畳一間の下宿に3万円で購入した大きな仏壇は明らかに不釣り合いでしたが、置き場所も無いので寝た時に頭が来る位置に安置しました。


そして、せっかくだからということで、仏具一式や経机などもヤフオクで買いそろえました。この頃、私の大学の部室に3~4寸の大徳寺鈴が設置されたのですが、これも私がヤフオクで仕入れたものでした。




こうやってお仏壇も立派にしてそれなりに揃えていくと、ふつうの人なら弥陀を讃歎する気持ちが強くなっていくのかもしれませんが、私の場合はどちらかというと仏壇周りを立派にすることが半ば目的化してしまって、弥陀に対して尊ぶ気持ちが強くなったかと言われると甚だ疑問でした。


あと、親に対しての説明のしようが無いことは不安に感じていました。下宿生ということで、普段親が家に来ることは無いのですが、三連休になると定期的に親が家に来ていたのです。親が家に来たら、家の真ん中に鎮座している、冷蔵庫よりも大きな仏壇が目に入らないはずがありません。

 

私は大学一年の頃から、親鸞会が親鸞会と名乗る前からずっと、「これ」に関わっていることを親には言っていませんでした。私自身が胡散臭さを常に感じていたということもありますし、親に言ったら話がこじれるだけだと思っていたからです。 

大学三年になった辺りに、「仏教を聞いている」ということだけはなんとなく話をしていたのですが、果たして親が家に来ることになりました。



まあ、そりゃあ揉めますわな。 
 

揉めたことは揉めたのですが、私の予想に反して、親の論点が「仏様がいない(=なくなった人がいない)のに仏壇を買うものではない」 という点に集中していて、最終的には 「お仏壇は大事に扱って、決して粗末にしてはいけない」 と言われて終わりました。 

仏教を聞いているとかいうことについては、驚くほど寛容でした。

 
ただ、経机については、実家の経机がボロボロになったからと言って、親に持って行かれました。



その仏壇ですが、就職して板橋に引っ越した時にも持っていったのですが、部室に大きなお仏壇が欲しいという別の大学の後輩からのリクエストもあり、私の家の事情もありまして、学生の部室にあった小さな仏壇と交換しました。(小さいといっても、高さ70cmはありましたが)


そして紆余曲折を経て、部室にされてしまった後輩の家に行って、その彼が卒業してしまった後、仏壇の行方は分かりません。


今、私の家には、私が大学一年の頃から「部室のお仏壇」だったお仏壇があります。




以上のようなことを思い出しました。



仏壇が大きかったので押し入れに入れることも出来ず、寝床と同じところに鎮座していました。部屋にものがいっぱいあったので、学生時代の下宿では実際、寝る場所すら無い有様でした。

そういう意味では、仏壇と共に弥陀があったのなら、その弥陀と一緒のところで居住まいを正すこともせず「生活」をしていたな、としみじみ思ったのです。

 

4日連続で、4/7の話の内容を(私のメモに基づいて)書きます。ひとまとめの方が良かったのですが、一気に書けなかったので4回にまたがりました。4日連続は初めてかも知れません。


最後は、午後の後半です。例によって、「私にはこう聞こえた」というメモです。取り急ぎですので、分かりにくい点があるか知れませんが、すいませんがご承知おき頂きたく思います。

=====

親鸞聖人の教えを知るために、名号・信心・念仏の関係がよくいわれる。

名号ー南無阿弥陀仏
    阿弥陀仏を医者とすれば難病を治すために作られた薬
    阿弥陀仏のお手元にある

この薬を飲むと、飲んだ人は病気が治る ― 信心、金剛心(「行者正受金剛心」の金剛心)
阿弥陀仏の作られた南無阿弥陀仏は、一念で飲めるように作られている。
ふつうの薬は一念で飲めないから、そこがたとえと合わない。

薬を飲んだか飲まないかが重要だから、

名号→(ここ:たのむ一念)→信心
      「たのむ一念のところ肝要」と言われる。肝要=たった一つの要
      たのむ一念=阿弥陀仏の南無阿弥陀仏を飲んだ一念
 
一念で病気が治るから、まことだったと親鸞聖人は仰っている。
病気が治るとお礼を言う。これが念仏。


私たちは恐ろしい病気を抱えている。

「 無始よりこのかたの無明業障のおそろしき病」(御文5-12)

それで、金持ちも貧乏人も、結婚している人も独身の人も幸せになれない。
全人類が恐ろし病気にかかっている。それを直そうとして阿弥陀仏が作られたのが南無阿弥陀仏。
その薬を飲んだのが、たのむ一念。

「たのむ一念のとき、往生一定おん助け治定とぞんじ」(領解文)

たのむ一念のとき、往生一定(=いつ死んでも極楽参り間違いなし)と助かる。
そのお礼の念仏を、口称、称名念仏、口声の念仏、と言われる。


別のたとえでいうと、

阿弥陀仏が作られたごちそう → 名号
ごちそうをたべて満腹になったこと → 信心

宝の名号ができていても、食べなければ死んでしまう。
だから、たのむ一念が肝要。

ごちそうさま が、念仏。


聖人一流章には、その関係を
「その上の称名念仏は、如来わが往生を定めたまいし、御恩報尽の念仏と、心得べきなり」
”薬を飲んで病気が治った後の念仏はお礼の念仏” と言われている。

「わが往生を定めたまいし」=往生一定

(たての線、よこの線の図)

ここ(たての線)で極楽往生が決まる。
ここが地獄と極楽の境目。
自力と他力の水際。



「本願の大智海に開入すれば」=南無阿弥陀仏を阿弥陀仏から頂いたなら

「行者正受金剛心 慶喜一念相応後 与韋提等獲三忍」

行者=南無阿弥陀仏が私のものになった人、極楽へいく人、
    南無阿弥陀仏を行ずる者、阿弥陀仏の御心をお伝えする者 

行者が信心獲得すると、慶喜する。(たての線を)慶喜一念という。

相応する=仏凡一体=仏心(南無阿弥陀仏)と凡心(煩悩具足(の私たちの心))が一体となる 
火と炭のようなもの。炭に火がついたのが一念。

仏凡一体となったら、 与韋提等獲三忍 といわれる。


韋提とは何か。

絶対の幸福になったらどうなるか
なるまでどういう道を通るのか


次回の話。 

昨日、一昨日に続きまして日曜日のご法話の内容(午後の前半)です。
だんだんと手抜きっぽくなっているような気もします(すいません)が、今日は前後関係がなんとなく繋がって見えるように、若干文を足したり引いたりしております。


いつもながら、

「私の耳には、話の内容がこのように聞こえた」

というものです。ご承知おきいただければと思います。


ちなみに、私は通常の会話や表現において 「~せずにおれない」とか「~せずにおれなくなる」とかいう物言いはしません。法話がそのような表現になっていたので、そのように書いております。
どうでもいいことかもしれませんが、私にはこの表現が「いかにも親鸞会的なもの」に思えるから、意図的に使わないようにしています。会員さんや、退会者の方でも使っていらっしゃる方は少なくないように思いますが。


======

「帰命無量寿如来 南無不可思議光」

”親鸞は阿弥陀仏に帰命しました。親鸞は阿弥陀仏に南無しました”
阿弥陀仏にこの世で救われたとハッキリ仰っている。
このことを正信偈の最初に書かれた目的は、

「道俗時衆共同心」

すべての人が親鸞と同じ心になってもらいたい、
阿弥陀仏に救われて絶対の幸福になってもらいたい(という心から)

どうすれば同じ心になれるのか。

「唯可信斯高僧説」

阿弥陀仏に救われたのは、ただ高僧の教えを信じた一つであった、と仰っている。

斯高僧=七高僧
高僧=正しくお釈迦様の教えを教えた僧

親鸞聖人は七高僧の教え以外、教えられなかった。

「更に親鸞珍しき法をも弘めず、如来の教法を我も信じ人にも教え聞かしむるばかりなり」

と、ご自身のことを仰っている。
お釈迦様の教えをこの親鸞も信じ、ご縁有る人に伝えているだけなのだ、と。


今日は、七高僧の中でも善導大師のこと。
親鸞聖人は、

「善導独明仏正意」

(中国でもっとも仏教が盛んであった唐の時代において)善導大師ただお一人が、仏の正意(=お釈迦様の教えられた仏教)に明らかであった、と善導大師を褒め称えていられる。 


今日は「開入本願大智海」から。

本願の大智海に開入したらこうなる、と教えられている。
本願の大智海(=南無阿弥陀仏)に開入することが大切。

南無阿弥陀仏=阿弥陀仏が必ず果たされる約束をされた、その約束を守るために必要なもの
          すべての人を絶対の幸福にするためにつくられた六字名号


親鸞聖人は、南無阿弥陀仏のことを「功徳の大宝海」ともいわれた。
功徳=宝
私たちが思っている宝は、盗まれたり無くしたりする心配があるが、南無阿弥陀仏はそんな心配が無い。


「それ、南無阿弥陀仏と申す文字は、その数わずかに六字なれば、さのみ功能のあるべきとも覚えざるに、この六字の名号の中には、無上甚深の功徳利益の広大なること、さらにその極まりなきものなり。」
(御文章5-13)


仏様の宝は、私たちを永遠の幸せにするもの。

”財は一代の宝、法は末代の宝”

と言われるのはこのこと。
お金はケンカの種になる。仏法を伝える以上の善は無い。
 


阿弥陀仏が南無阿弥陀仏を作られたのは、私たちに与えて絶対の幸福にするため。
与えることを廻向という。


「如来の作願をたずぬれば 苦悩の有情をすてずして 回向を首としたまいて 大悲心をば成就せり」
(正像末和讃)

”阿弥陀仏が本願を建てられた御心を考えてみると、難度海で苦しみ悩む人を捨てられないで、南無阿弥陀仏を作られて私たちに与えることだけを目的として、大悲心(=南無阿弥陀仏)を完成された”


その南無阿弥陀仏が私たちのものになると、信心になる。
阿弥陀仏のお約束通り絶対の幸福になって、お礼を言わずにおれなくなる。これが念仏。

名号と信心、念仏の関係はこのようなもの。 

今日も引き続きご法話の話の内容です。

やはり、口頭での話をそのまま文章にすると、前後関係が意味不明な箇所が出てきます。ある程度調整していますが、言葉を継ぐと長ったらしくなるようなところなどメモのままにしているところもありますので、分かりにくかったらすいません。


あくまで、「私にはこう聞こえた」(=私の考えや意見では無い)というメモです。


=====

親鸞聖人が「まことだった」と仰っているのは、摂取不捨の真言。
不捨=捨てられることは毛頭無い
私たちの幸せは続かない、シャボン玉のようなもの。


阿弥陀仏は憐れんで、絶対の幸福に救うと約束された。だが、私たちは真実を聞く耳がない。
必ず疑いが出てくる。本願疑惑心、疑情と言われる。
それがまことだった、と疑い晴れたのが一念。 

 
(「誠なるかなや摂取不捨の真言、超世希有の正法」のお言葉の)
”超世希有の正法”も阿弥陀仏の本願のこと。

この阿弥陀仏の本願を、聞思して遅慮することなかれ
モタモタするな、一直線に進め、と言われている。


何をモタモタするなと言われているか。(縦の線、横の線の図)
仏法は聴聞にきわまる、この道をモタモタせずに進め、と言われている。

摂取不捨の真言、阿弥陀仏が約束されているからこの道を進ませていただける。
阿弥陀仏の本願力によって進ませていただける。


「若不生者のちかいゆえ  信楽まことにときいたり  一念慶喜するひとは  往生かならずさだまりぬ」(浄土和讃)

若不生者のちかい=阿弥陀仏の本願
なぜそう言われるか。

「若不生者不取正覚」、もし生まれさせることができなければ命を捨てる、と阿弥陀仏が命を賭けて誓われている。
もし絶対の幸福に助けることができなければ、命を捨てる、
「生まれさせる(絶対の幸福に一念で生まれさせる)」に命を賭けておられる。
死んで極楽に生まれさせるなら、死んでからのことになる。
阿弥陀仏が必ず生まれさせると約束されているから、信楽(絶対の幸福)に生まれることができる。

信=大安心
楽=大満足  (「信楽」で絶対の幸福)
 
この道(よこの道)を進ませていただけるのは、若不生者の念力。
だから信楽まことにときいたり、必ず信楽になるときが来る。

そして、一念慶喜(=一念発起、縦の線のこと)する。
一念で救うのが阿弥陀仏の命。 


それが、まことだった、と仰っているのが最初の二行。
そして、この身に救われたのは、七人の方の教えがあったなればこそと教えられているのがこの後。 

昨日は親鸞会館で正信偈のお話でした。
3月は別のお話でしたので、久しぶりの正信偈の話です。


それとは別に、久々に頂いたメールの中でやや思うところがありましたが、それは別の機会にします。


昨日は風が強かったこともありますが、帰りの車ではなるべく早く帰ろうとハンドルにしがみついていましたので、ほとんど復習しませんでした。おかげでいつもより早く帰れたわけですが。

と言い訳をしている私は、ずっと運転していることもあり、最近はいつも車の中でほとんど復習していないのでありました。


ご要望もありますので、取り急ぎ私のメモを元に書いていきます。
毎度のお断りですが、私のメモに基づいた内容ですので、その点ご理解頂きたく思います。
今回はいつも以上に端折ります。


このお話については、

・「摂取不捨の真言」の「摂取」について、いつもながらなぜ「むかえとる」を説明しないのか
・なぜいつも一念は、「時尅の極促」としか話をされないのか。疑いの心一つという話をするなら、なおさら「一心」の意味を言うべきではないか

ということを思いました。

=====

正信偈は親鸞聖人の書き残されたものを要約されたもの。 
正信偈に書かれたことさえ分かれば、親鸞聖人の教え全てが分かるというもの。
朝晩のおつとめで正信偈を拝読するということは、朝晩親鸞聖人から直接聞かせて頂いているということ。


正信偈の最初、「帰命無量寿如来 南無不可思議光如来」

無量寿如来=阿弥陀仏。阿弥陀仏とはどんな仏か。(御文2-8)
三世十方諸仏の本師本仏といわれる。大宇宙の仏方の先生の仏。
無量寿如来=不可思議光如来=阿弥陀仏。

”親鸞は阿弥陀仏に帰命しました、親鸞は阿弥陀仏に南無しました”と、ご自身のこと、自信を仰っている。

 次に、帰命=南無=助けられた、救われた

よって最初の二行は、
”親鸞は阿弥陀仏に救われた、親鸞は阿弥陀仏に助けられた”と仰っている。


なぜ、ご自分のことを仰ったか。
”皆さんも親鸞と同じように阿弥陀仏に救われなさい” と言いたいため。


「道俗時衆共同心 唯可信斯高僧説」(正信偈)
 皆さんも共に同じ心になってもらいたい、早く阿弥陀仏に救われて下さい、と、正信偈を書かれた目的を仰っている。


阿弥陀仏に救われるとびっくりする。
「誠なるかなや摂取不捨の真言、超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ」(教行信証)

阿弥陀仏に帰命するのは一念、一念=時尅の極促、あっという間もない 


(縦と横の線の図)


縦の線を一念発起、阿弥陀仏が一念で救うと約束されているから一念往生とも言われる。
なぜそのような約束をされたのか。一分後に死ぬ人でも助けるため。
どんな人でも一念で助ける、これが阿弥陀仏の救いの神髄。


「如来の大悲、短命の根機を本としたまえり。もし多念をもって本願とせば、いのち一刹那につづまる無常迅速の機、いかでか本願に乗ずべきや。されば真宗の肝要、一念往生をもって淵源とす」(口伝鈔)


一念で救われた親鸞聖人のお叫びが、「誠なるかなや摂取不捨の真言~」のお言葉。
まことだった、本当だったと仰っている。何がまことだったのか。

摂取不捨の真言まことだった。(ここで、”三分で腹痛が無くなる売薬”の話)
摂取不捨の真言=阿弥陀仏の本願、阿弥陀仏がなされた48のお約束。歎異抄では ”弥陀の誓願”
           ”どんな人をも 必ず助ける 絶対の幸福に” というお約束
 

摂=逃げ回っているものを追い詰めて、もう逃げ場が無いところまで追い詰めてとる
取=ふつうの”とる”


阿弥陀仏のお言葉はまことの言葉、真実のかけらも無い私たちがまことの言葉を聞けるはずが無い。
阿弥陀仏が助けると言われていても逃げ回っている。 


「煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、万のこと皆もって空事・たわごと・真実あること無きに、ただ念仏のみぞまことにて在します」(歎異抄)

私たちは 煩悩の塊=うぬぼれの塊。なのに反発する。
そういう者にまことの言葉は聞けない。聞けば疑いが出てくる。
疑いの心一つで苦しみから離れられない、流転を重ねる。


「生死輪転の家に還来することは、決するに疑情を以て所止と為す」

と、親鸞聖人が言われているのはそういうこと。  

明日というか今日はご法話の予定です。私は事情により夜間に移動することとなりまして、今移動中です。初めてスマホからポチポチ打ってます。


三月が学生大会で演題が変わりましたが、今回はたぶん前回の続きで善導大師のところかなあと思ってます。


久しぶりのような気もしますし、また今度の座談会も御縁なく、次回の二千畳テレビ講演も都合により御縁ない予定なので、今月はあまり御縁が持てないかもしれません。


しばらくは、実際に聞いてもいない座談会についてぐだぐだ言ってしまったという反省もありますので、今回はちゃんとしたいと思います。


スマホで大したことは書けないのでこの辺で失礼します。

このページのトップヘ