あさ川進の、宗教と私

浄土真宗親鸞会に所属しながらアウトサイダーだった私(現在は会員でなくなりました)が、宗教(浄土真宗親鸞会)との付き合い方を考えつつ書いている更新頻度が低いブログ(この説明も暫定です)リンクフリーです。なお、投稿文を受け付けております。「【投稿文】」と書かれている記事は、頂いた投稿文です。

2013年07月

一昨日は、地元でのテレビ講演でした。やはり演題は「五重の義」でした。五重の義と言っても、前回同様ほとんどの時間は「因果の道理」の話でした。因果の道理のお話は、宿善の「宿世」の話から入っていったのですが、内容は前回同様、


「十九願の善は阿弥陀仏が勧められている善だから、どんな些細な善も宿善になる。だからやりなさいとお釈迦さまは一生涯教えていかれた」


という趣旨だと理解しました。

この前に「宿善開発」という話があって、「宿善がだんだん厚くなって宿善開発する」という説明がありましたが、「だんだん厚くなって宿善開発する」という根拠は出てこなかったように思います。


さて、ほとんどの時間は「因果の道理」そして「宿善」のお話でしたが、最後の1分くらいで、五重の義の残りを説明されました。内容は以下のように聞きました。


・正しい教えを聞かなければならない。その正しい仏教を教えて下さるのが「善知識」。
 善知識から正しい教えを聞かなければならない。
・阿弥陀仏のお育てにあわなければならない、聴聞。これが「光明」
・「信心」は、信楽開発、宿善開発のこと。
・そして、救われたお礼の念仏。これが「名号」
・この五つが成就して阿弥陀仏の浄土に往生できるのですよ、と教えられている。


私が、「ずっと宿善の話しかしないと思う」とブログに書いたからかどうかは分かりませんが、一応は一通り話がありました。


さて、「善知識」のところは、「正しい仏教を教えて下さる方」という説明がありましたが、「善知識」について蓮如上人はこの「五重の義」の章にて端的に、


善知識の能というは、「一心一向に弥陀に帰命したてまつるべし」と、人を勧むべきばかりなり。
(御文2-11) 

 
と教えられています。が、今回、この根拠は出てきませんでした。
「善知識」の説明の前にあった話の内容は、「六度万行」でした。「善知識」の単語が出てくるまでの話の流れは、以下のように聞きました。


・阿弥陀仏の救いを求めてやる善だから、お釈迦様が勧めておられる。その善をやりなさい、と言われている。
(あさ川註:「諸善万行ことごとく」のご和讃の説明が、この前にありました)
・その時には、どんな善をすれば良いのかを知らねばならない。聞かなければならない。
・お釈迦様は、あらゆる善を六つにまとめられた。これを六度万行という。
・六度万行の特徴、素晴らしさは、一つやったら全部やったことになる、ということ。一人一人、やりやすいものをやれば良い。
・なかでも一番やりやすいのが布施。だから最初に書かれている。
・どんな些細なことでも、「急ぎ、いかなる功徳善根をも修し」なさいと言われている。
(あさ川註:宿善の説明で、唯信抄のお言葉が出てました)
・布施と言っても、自分勝手にやって良いというものではない。誰にすれば良いかをお釈迦様は三田で教えられているし、布施の心がけについても教えられている。だから聞かなければならない。聞いて、正しい六度万行を勤めるよう努力しなければならない。


この流れで、「善知識」以降の話に入っていきました。
こういう経緯がありましたから、私の頭の中で勝手に、

「善知識=正しい六度万行を教えられる方」

という説明だったと脳内変換されてしまいました。


メモを見返したら、その辺が直接繋がってるような話し方でも無かったのですが、おそらく話の流れからして、上記のように理解してしまった人も少なくないかなあ、と思いました。


聞かれた方は、どのように聞かれたでしょうか。 よろしければコメント頂ければと思います。

今日はテレビ講演です。どんなお話かなあと思いますが、おそらくいつも続いているお話かな、と思います。


今朝は、あまり親鸞会と関係ないような気もしますが、朝に思ったことの話をします。



社会人になってから今まで、ずっと読売新聞を購読しています。(ほかに日経MJも購読してますが、今日の話には関係ないのでこれだけにします)

巨人ファンと言うよりむしろアンチであるわけですが、たまたま社会人になって初めて来た新聞の勧誘が読売だったことと、その読売の販売員のおじさんが毎月洗剤をくれたことから、読売を続けています。


そんな私ですが、一人暮らしを始めた大学入学の春は、朝日新聞を読むと決めてました。それは単純な話で、「天声人語」がよく入試で使われる、と聞いて、どうせ読むならそういう「質の高い」新聞を、と思っていたからでした。

ですから、水道や電気・ガスの申し込みと並んで、新聞もこちらから電話して申し込みをしたものでした。(土地勘がないため、すぐにチラシがほしかったという事情もあり) 


今はさすがに、新聞によって言論の傾向が大きく異なるということは認識していますが、高校を卒業したての私に、そこまでの思慮はありませんでした。なおかつ、実家に居た頃は中日新聞でしたから、ほとんど朝日新聞に違和感を覚えることもありませんでした。 


ちなみに、愛知県が民主(党)王国といわれるのは、中日新聞のおかげだと思ってます。


転機は、大学3年生の頃に来た新聞勧誘でした。産経新聞で、朝日新聞より安かったことと、ビール券10枚をくれたことから、朝日新聞と並行して3ヶ月間だけ購読しました。

このとき、産経の勧誘のおじさんが

「朝日を読んでると、産経はあまり好みでは無いかもしれないけど、読み比べてみて」

と言っていたわけですが、当時の私はその意味がよく分かっていませんでした。


並行して読んでいくうちに、同じテーマに対する社説を読んでいても、記事を読んでいても、言論の傾向が異なることが分かってきました。新聞は、紙面構成が大きく違っても言っていることがここまで違うとは思っていませんでしたので、とても有意義な3ヶ月でした。


並行してとり続けても良いかなと思っていたのですが、結局口座振替の申し込みをしなかったからか、継続の案内にも来なかったため、また朝日一紙に戻ったのでした。


2ちゃんねるは大学2年の頃から見ていてもう12年くらいになりますが、読み始めた当初は「ネトウヨ(当時はそんな単語無かった気もしますが)」と呼ばれるような思想がまるっきり理解できませんでした。中日新聞と朝日新聞を読み続けていたから当然といえば当然なのですが、新聞が自分の思考に大きな影響を与えているのだなと改めて思いました。 



さて、親鸞会で新聞と言えば顕正新聞です。顕正新聞一択です。

親鸞会には色んな方があって、特に支部に来ると、いろんな宗教遍歴をお持ちだったり、寺で聞いていたけどよく分からなかった、という方があったりもします。ただ、学生でそこまでの人はなかなかいませんでした。

そんな学生が、ほとんど宗教の免疫のない学生が、(免疫がないゆえに?)親鸞会の話だけを聞いて「これが真実の宗教だ」と思ってしまう理由も、学生当時の私にはよく分かりませんでした。比べるものも無いのに、なぜなのだろうと思ったものでした。

中日・朝日新聞の思考ずぶずぶだった私も、結局自分のことが見えてなかったと言えるわけですが、単一の見方しか提供されないと、そもそも比べるという発想が出ないのかも知れません。


親鸞会には本願寺という仮想敵がありますが、親鸞会が本願寺を一方的にこき下ろして、結果として親鸞会にしか目が行かないようになってます。たぶん、普通の会員さんが本願寺新報だとか同胞新聞だとかを読んでも、「比べる」という発想まで至らずに、顕正新聞の内容を「拝読」し続けるのだろう、


そんなことを思いました。 

関東では初めての(親鸞会の)会館は、ほかの会館に比べて落慶までがかなり短期間になるそうです。すでに落慶の座談会や祝賀会の日程が案内されました。第二会場も取られているので、どちらに入れるかはよく分かりませんが。



今日は何の話にしようかと思ったのですが、1月頃に登場して、しばらくずっと出てきたのにしばらく出なくなって、また最近出始めた滝壺の話をします。この滝壺の話に関連して、コメントを頂いてました。ありがとうございます。

    • 1. エイジア
    •  
    • 2013年07月20日 11:45
    • 親鸞会では全人類はせんだいの者と教えてますが、そうならば滝壺に落ちることを恐ろしいと思う心などありようがないと思うのですがどうなんでしょうか?

      死んで地獄へ堕つるのは恐ろしいが、死んで極楽へ参りたい心はないんですかね。

      またアニメの中でイダイケは「来世こそは苦しみのない世界に生まれたい」(お浄土へ生まれたい)と言ってませんでしたっけ。

      そのイダイケの要請に応じて釈迦は教えを説かれたというようにアニメで説明してたと記憶してますが。

      親鸞会の説明はその都度変わるから分かりにくいですが、何せ三願転入なんだから善をしなさいということが言いたい、ということなんでしょうかね。

このコメントについては、一応お返事したのですが、滝壺の話の部分が自分で書いてて意味不明になってしまったので、「機会があれば改めて」と書きました。ですので、今日は改めて「滝壺の話」に触れます。(このコメントへのお返事そのものではありません)


本来、たとえ話は完全なものではないので、どうしても合わないところが出てくることは承知の上で、少し考えたいと思います。結論から言えば、やっぱりよく分からなかった、ということになりますが・・・



問題となったのが、先月の二千畳講演での質問の内容、

「『死』という滝壺を恐れ、逃れたい心はあっても、弥陀の浄土に往生したいとは思えずにいる」

ということでした。


>死んで地獄へ堕つるのは恐ろしいが、死んで極楽へ参りたい心はないんですかね。


というコメントは、この質問内容に対応していると思います。
このコメントを頂いた記事で、私は単に「滝壺を恐れる」としか書かなかったので分かりにくかったかもしれませんが、ここで「滝壺」とは、「死」のことを表します。最近は、絵を描く時に、滝壺のところに「死」と書くのがスタンダードになってます。(下の絵)


この滝壺の話がどのように出てくるか、どういう話になるのかは、その時々によって若干変わるのですが、今回の二千畳講演では概ね以下の流れでした。


・浄土往生が全人類究極の目的。なぜなら、全人類は滝壺に向かう船に乗っているから。
・一日一日近づく未来は、暗い未来。選挙で勝った負けた、金が儲かった損した、など全く意味が無くなる。
・船の中で皆、不安な心で滝壺に向かっている。
・これをお釈迦さまは「必堕無間」、必ず堕ちていかねばならないと教えられた。
 無間=苦しみの絶え間ない世界


親鸞会で長く話を聞かれている(いた)方は、「死に向かっている」ということを聞くと、「地獄に堕ちねばならない」と聞こえてしまうかもしれません。そして恐らく、こういう話を聞く時の理解としては「正しい理解」なのかもしれませんが、この話自体は

「滝壺に落ちる」=「死ぬ」、「手に入れたすべてのものを失う」

というほどの意味であったかと思います。
ただ、今回の場合は先に書いたとおり、「無間」の説明が入ったので、

「滝壺に落ちる」=「苦しみの絶え間ない世界におちる」

という意味も入れたかったのだと思います。




まず、

「すべての人は(時期はともかくとして)必ず死んでいかなければならない」

という点について異論のある方はおそらく無いかと思います。
(不老不死を信じている方は異論があるか知れませんが)


滝壺に落ちたら恐らく無事では済まないでしょうから、そういう意味において「滝壺に落ちること」=「死」とたとえられることも、分からなくはありません。


また、死ぬ時には「それまで手に入れたもの」をすべて失う、ということも恐らく同意できるかと思います。
その意味において、

「滝つぼに落ちるのが怖い」=「死ぬ(=手に入れたものを全て失う)のが怖い」

となるのも理解はできます。


ただ、このたとえ話をここまで聞いて理解するとしたら、せいぜいこの程度のように思います。
滝壺に落ちたら死ぬのだろうという理解はできるかもしれませんが、「苦しみの絶え間ない世界におちる」というところまでは、このたとえ話で説明するのは難しいと思います。


そのようなわけで、私はこの「死の滝壺を恐れる」というのは、「死ぬのが怖い」という意味だと理解してたのですが、ここまで考えてみると、一概にそうとも言えないようにも思いました。


おそらく、学生時代の私であれば、「後生の一大事(=死んで地獄に堕ちねばならない)はおそろしい」などと単純に思っていたのかもしれませんが、よくよく考えてみると、この「死の滝壺を恐れる」とは、具体的には何を恐れているのだろうか、と思います。


「『死』という滝壺を恐れ、逃れたい心はあっても、弥陀の浄土に往生したいとは思えずにいる」


ということが先回の話の土台になっており、この


「死という滝壺を恐れ、逃れたい心」
「弥陀の浄土に往生したい心」


をつなぐ話として「王舎城の悲劇」の話が出てきました。
そうしますと、この韋提希についても何を恐れて何から逃れたいのか、といったところが判然としないと、その後の話もよく分からなくなる気がします。


ちなみに、アニメを見る限りは「この世の地獄から逃れたい」というように見えるのですが、これが「死という滝壺」とどういう関係があるのかは、私の頭ではよく分かりません。



先回の話の結論を大ざっぱに言うと、


「因果の道理に従って善に励んで初めて信仰が進み、弥陀の浄土に生まれたいという心が出てくる。
 その心が出て初めて三願転入の軌道に乗れる(=救いの道が開ける)」


ということだと理解しているのですが、そもそもの部分がよく分からないというのもスッキリしません。
「拘るべきところではない」とか「考える必要は無い」とか、色々なご意見はあると思いますが、結局やはりこのたとえ話を、私は十分に理解することができないのでした。


そんなわけで、分かってない人が分かってない話を書くのでよく分からない話になって失礼しました。


takitubo

昨日(あさ川註:日が変わったので一昨日)は二千畳講演でした。ここ最近はずっと「五重の義」という演題ですが、個人的には「宿善」の話をするための演題だと思ってますので、「宿善」の先に進むことはおそらく無いのではと勝手に思ってます。先に進むとしても随分先のことになるでしょう。


さて、昨日のお話は「因果の道理」が中心でした。先回の「王舎城の悲劇」もそうですが、基本的には19願の話ばかりです。 先回は「宿善」の単語もほとんど出てきませんでしたが、今回はいっぱい出てきました。

お話によると「宿善」がなければ「善知識」にあえず、その後も続かない、ということだそうですが、「善知識」にあってるはずの皆さんになお「宿善」の話ばかりを熱心にしているというところは整理が必要だと個人的には思ってます。「宿善」の話をすること自体が目的なら構いませんが、聞いている側は「宿善の話を聞くこと」自体は目的としていないはずですから。


内容については、後日ご縁があれば、と思いますけれども、なんとなく想像できるかも知れません。


最近のこのブログに、弥陀の本願の讃歎がほとんど出てこなくなっていることはなんとなく自覚してまして、読者の方とのやりとりの中でもそういう話題が出ています。仕事が忙しいということを言い訳にするつもりはありませんので、単純にやる気の問題なのでしょうが、上の投げやり気味な書き出しも含めてその辺はお察し頂ければと思います。

 

さて、今日の本題です。

 
今回ではなく前回の話なのですが、司会の方がこんな趣旨のことを言われてました。

「大悲の願船に乗せて頂くところまで、今日も一日真剣に聞かせて頂きましょう」



多分これまでもこういう趣旨の言葉を毎回聞いていたはずなのですが、聞き流してました。 
先回気になったのが、この中の
 

「乗せて頂くところまで」


の部分。 


「まで」だそうです。「まで」。


「まで」と聞くと、その後はどうでもいい、というようにも聞こえます。私が気にしすぎなのかしれませんが、別に仏法聞くことに、「まで」と制限付けることもないでしょう。


この表現を聞くと、どうしても「金比羅さんの話」を思い出します。
 

これ(去年の10月に書いた記事)


「善の勧め」もそうなのですが、どうにもこの種の下心を感じます。善をしなければ善い結果が返ってこないのは当然のことです。 問題は、「後生の一大事を助けてもらうために」やるということ。逆に言えば、「助かったらやらない」。


結局は、後生を助けるのが弥陀と聞いてるから、弥陀にに助けてもらうために弥陀と取引をしている。ただで救う弥陀の本願を聞いて、ただと言ってもただと思ってないから取引をする。「大悲の願船に乗せて頂くまで」真剣に聞くとなると、「じゃあ、大悲の願船に乗った後は?」という疑問が出てきてもおかしくないように思います。
弥陀の本願は、「取引の対価」ということなのでしょうか。


前々住上人、仰せられ候。「「聴聞、心に入れて申さん」と、思う人はあり、「信をとらんずる」と、思う人なし。されば、「極楽はたのしむ」と、聞きて、「参らん」と、願いのぞむ人は、仏にならず。弥陀をたのむ人は、仏になる」と、仰せられ候。
(蓮如上人御一代記聞書)


聞法も善も大切です。大いにやったら良いと思います。ただ、それを対価として弥陀と取引をしようとしているとすれば、いくらやっても「弥陀たのむ」になりません。南無阿弥陀仏は「頑張ったことに対するご褒美」ではありません。信前信後関係ありませんから、必要だということなら信前信後区別なくやってこそ、だと思います。
 
 

これを書いている時間、もうすぐ日が変わりますが、今週末(といっても土日)には富山に行きます。
今月のご法座にもご縁が無く、来月の追悼法要は所用でご縁がありませんので、ちょっと間が空きます。


さて、七日のご法話でどういうお話があったのかは未だに分かりませんけれども、顕正新聞七月十五日号の論説に、恐らく先月の二千畳講演の内容と思われる内容が掲載されました。私のメモだけだと内容が不十分だったかと思いますので、紹介します。(例によって、赤字太字は原文通り。ミスタイプ等ありましたらお知らせ頂きたく思います)

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生ある者は必ず死に帰す。すべての人は、死の滝壺に向かう船で川下りをしている。記録を更新した、世界遺産に登録されたと騒いでいても皆、船の中の出来事である。
喜びも悲しみも、最後は船もろとも暗黒の未来に堕ちていく全人類に、真の安心があるはずがない。望みがかなっても一時の満足で、どんな喜びも続かないのは、この後生の一大事に魂が気づいているからである。
苦より苦に入る私たちを哀れに思われた阿弥陀仏は、必ず浄土に往けるとハッキリする「往生一定」に、一念で救い摂ると誓われている。弥陀に救われ往生浄土することこそ、仏教の究極の目的なのである。

王舎城の悲劇から

だが、そのように聞くと、「私は滝つぼに落ちるのは嫌だし、恐ろしい。だけれども、弥陀の浄土に生まれたいとは思わない」と言う人もあるだろう。そんな人に浄土に生まれたい心が起きるまで、釈迦弥陀はどう導いておられるのか。「王舎城の悲劇」のヒロイン・ 韋提希夫人を通して、その道程が『観無量寿経』に説かれている。
わが子によって牢に幽閉された韋提希は、この世の地獄でのたうち回る。頼みの綱は、釈尊しかなかった。
必死に救いを求める韋提希のために、かたじけなくも釈尊は、『法華経』の説法を中断してまで、牢獄に降臨されたのである。
ありったけの愚痴を爆発させる韋提希を、釈迦は半眼のまなこで静かに見つめられているだけ。無言の説法に、とうとう韋提希は精も根も尽き果て、五体投地した。
 「私はなんのために生まれてきたのでしょうか。来世は二度と、こんな地獄は見たくない。どうか私を、苦しみのない世界へ行かせてください」
ようやく口を開かれた釈迦は、眉間の白毫相より光明を放って、十方諸仏の国土を展望させられる。中でも、ひときわ輝く弥陀の浄土に、韋提希は目を輝かせて教えを請う。
「十方諸仏の国土は、いずれも結構なところではございますが、私は、阿弥陀仏の浄土へ生まれとうございます。それには、どうすればよろしいのか。仰せのとおりにいたします」
〝弥陀の浄土へ生まれたい〟これ一つを願わせたいのが目的だった釈迦は、初めて会心の笑みを漏らされる。かくして説かれたのが、『観無量寿経』の説法である。
この『観経』には、一切経が収まっている。『観経』まで釈迦の説かれた教えは、ひとえに〝弥陀の浄土へ生まれたい〟という心を起こさせるためだったのである。

浄土に生まれたい心

『観経』で釈迦は韋提希に、浄土に往きたければ「定善をしなさい」「散善をしなさい」と、善を勧められている。善を勧めるには、因果の道理から教えなければ始まらない。だから釈迦は一生涯、「善因善果 悪因悪果 自因自果」を徹底されたのである。韋提希夫人も釈迦に帰依してより、この大宇宙の真理を聞いて行いを改め、廃悪修善に努めたことは言うまでもない。ビンバシャラ王とともに仏法を厚く保護し、建立した寺院は二千六百年たった今日まで知られている。
教えのとおり実践していた韋提希が。『観経』の説法で「浄土に生まれたい」という心が起きた時、釈迦は会心の笑みを漏らされた。その心が起きたのは、弥陀が十九願に「我が国(極楽浄土)に生まれたいと欲って善をせよ」と誓われているからであり、全く弥陀に起こさしめられた心だったのである。

弥陀の創られた道

どんな人にも、滝壺を恐れる心がある。だから、ちょっとでも病気になると医者や薬を探す。だが、「真実の弥陀の浄土に生まれたい」という心は、真実のカケラもない我々には、出ようがないのである。 
十九願から二十願へ誘引し、十八願に入れるのが、弥陀の創られた唯一の道だから、この軌道に乗らなければ、十方衆生は誰一人、助からない。何とかこの軌道に乗せようと、釈迦は弥陀の十九願の解説を生涯の任務とされたのである。
三願転入の教えを自他ともに徹底する、親鸞学徒の本道を驀進しよう。 

===========

さて、この論説を読んで、ということではありませんが、二千畳講演の話について、何人かの会員さんと話をしている中で、こんな趣旨のことを聞かれました。


「滝壺を恐れる心と、弥陀の浄土に生まれたいという心は繋がらない、その繋ぐところを観無量寿経で教えられていると聞いた。アニメの韋提希は、この世の地獄から逃れたいという心ではあるが、滝壺(死)を恐れているようには描かれていないように思う。この関係がよく分からない」


無常と罪悪という話をすると、滝壺を恐れている心は無常を恐れている心であって、韋提希がこの世の地獄で苦しんでいるのは罪悪に責め立てられているから、ということでしょうか。アニメを見る限りは、私も韋提希が「滝つぼに落ちることを恐れている」と描かれているようには認識できませんでしたので、この件は私もよく分かりません。


顕正新聞に掲載されている感想文に、似たような話もある(ように読める)のですが、この辺すっきり説明できません。話題の一つとして、思うところがある方はコメント頂ければと思います。

 

あと、タイトルが「読んで」となっているので読んだ感想を、と思います。
途中が『なぜ生きる』の引用かと思ったのですが、細かい部分が若干違っているように見えました。あと、はじめの方の2回は「釈尊」と表記されているのに、途中からすべて「釈迦」に変わっていたのは、何を基準にしてのことなのかな、と思った次第です。 
 

現在、会員のみなさんでがんばって全国各地に親鸞会の会館ができています。今年は並行して新聞広告にも力を入れていて、全国紙だったり地方紙だったりと、一万年堂出版の広告が掲載されています。


思い返してみると、私が親鸞会と縁があってから十数年が経ちますが、この間だけでも様々なものが増えました。


・全国の会館
・ウエルカム
・同胞の里の遊歩道
・あんしん弁当
・同胞の里のF館
・法輪閣
・同胞の里
・サンキュー
・地下道
・正本堂関係
・赤1駐車場
・一万年堂出版と「ご著書」
・・・・


なんでこんなことを思い出したのか。

ブログの読者の方とやりとりをしている中で、東本願寺が作ったキャラクタの話が出たからです。



二年余り前、所用で夜行バスでで京都に行った私は、到着が早朝だったために手持ち無沙汰になりました。そこで、京都駅の周りを歩いているなかで東本願寺の前を通りかかった時に見つけたのが、この「鸞恩くん」というキャラクタでした。


それを見て、ああ、東は随分とぶっ飛んでいるのだな、と思ったものでした。
 

親鸞会では、あまり東西本願寺を明確に分けずに一緒くたに話をされることも少なくなく、かつ西本願寺側を特に強く批判している(ように見える)ため、あまり露骨な東本願寺批判というのは聞かれないように思います。

そんな親鸞会が、このキャラクタを見たらどういう反応をするのかな、と思ったのでした。




先ほど、 「親鸞会で増えたもの」を思いつくままに列挙しました。
これらは、「親鸞聖人のみ教えを弘めるために必要だから」ということで作られたものだったと思います。 


正本堂などの聞法道場は分かりやすいのですが、サンキューなどの物販、 弁当屋などは首を傾げる方も割合にいらした記憶があります。F館が稼働している今はすっかり忘れ去られた感のある法輪閣(物流会社の保養所だった)というものもありました。


そういえば話は脱線しますが、法輪閣を入手して間もなく、中を見せてもらったことがありました。それまで、会館での宿泊と言ったら講堂に布団を敷いての雑魚寝くらいしか経験の無かった親鸞会において、初めて見るまともな宿泊所だったかと思います。上の方にひときわ大きく立派な部屋がありました。大きなベッドに豪華な作り、後で分かったのですが、いわゆる「スイートルーム」でした。

ところが、私たちが見学した直後、実は入ってはいけなかったらしく、立ち入り禁止になってました。私は撮影しなかったのですが、豪華な部屋だったので写真を撮っている人も居ました。実は撮影禁止だったということも、後で知りました。 その後、法輪閣も宿泊所として使われたのですが、あのスイートルームがどうなったのかは分かりません。全然話題に出ないので、無かったことになっているのかも知れませんが、一般開放されても扱いが難しいかなと思ったりもしてます。


話を戻します。


親鸞会の中で増えたもの、それはいずれも「親鸞聖人のみ教えを弘めるために必要なもの」ということでした。
また、「私たちの後生の一大事の解決のために必要なもの」とも説明されていたと思います。



では「鸞恩くん」はというと、東本願寺のHPによれば、「子どもたちが宗祖親鸞聖人の教えにふれる機縁となるよう」という趣旨があるそうです。


そういう意味で言いますと、片や箱物、片やキャラクタの違いはあるにしても、いずれも「親鸞聖人の教えにあうご縁として」作られたもの、という言い方ができると思います。



地下道だとか物販店だとか、直接は仏法に関係なさそうなものでも、「必要なもの」と説明されてきました。視点や考え方によっては、余程外れたものでなければいくらでも理由が付けられるので、そのこと自体私は問題にしなかったのですが、一方でその基準が不思議で不思議でなりませんでした。

これは実現しなかったように思いますが、一時、クリーニング屋も検討していた節がありました。


一方で、ほかの宗教団体がやってそうな「芸能人」だとか「学校」だとか「集客施設」だとか、そういったものは殆ど話題すら聞いた記憶がありません。(個人的にメジャーデビューしそうだった方の話なんかは聞いてますが)

 
「鸞恩くん」絡みで言いますと、親鸞会でも顕正新聞やとどろき、Bヤングなどにキャラクタはいっぱい出てきますが、着ぐるみがご法話会場を闊歩している姿はかつて見たことがありません。



別に、親鸞会もキャラクタを作ってくれ、ということではありません(当たり前ですが)。親鸞会には親鸞会の事情や考え方があり、本願寺には本願寺の事情や考え方がありますから。ただ、「必要なものだから」ということで次から次へと話が出ても、理由が付けば「必要なもの」にきりがありませんし、十分に使われず忘れ去られたりしたら勿体ないことです。


私が「鸞恩くん」を見て、「親鸞会はどう思うだろうか」と思ったのは、「親鸞会だったら馬鹿にするのではないか」という色眼鏡で見てしまっていたからでした。そんな色眼鏡がくっついたのは、相応の経緯があったわけですが、実際のところはどうなのだろう、と思います。

そして、今後も「必要なもの」は現れ続けるのでしょうが、その基準はどこにあるのだろうか、とも思います。 
 

かつては、館内で殆ど物販がなかったのに、今は物販だらけですから、「必要なもの」もどんどん変わっていくのかも知れません。 

そういえばまだ正確なところは聞いていないのですが、私の聞き違いで無ければ「新しいご著書」の制作が進んでいるというような話を聞きました。明日は関東の集いですから、ひょっとしたらその辺の話もあるのかなあと一人勝手に思っているのですが、先日に書きましたとおり、私は仕事のためご縁がありません。


考えてみたら、明日の会場となる施設へは、会員さんの中で一番近いところに住んでいるのが私かも知れないと思ったのですが、実際どうだか分かりません。それくらい近いところでやるわけですので、残念ではあるのです。



さて冒頭(タイトル)の言葉なのですが、「会員さん」という表現からお察しの通り、最近の話ではありません。
もう8年近く前になりますが、私が「親鸞会の本尊論を再考する」というブログ(タイトルは私が付けたわけではありません)を公開したことについて、親鸞会館で幹部講師の方とお話しした時に出てきた言葉です。 
今回は、この言葉についてです。



そもそも私が「本尊論ブログ」を作って聞いていたことは、

「少なくとも蓮如上人は必ずしも形像本尊を排斥されていないのに、御本尊は名号で無ければ駄目だというのはおかしいのではないか」

ということでした。

従いまして、積極的に名号本尊を形像本尊に変えましょうとか、形像本尊こそが正しい本尊だなどと言ったわけではありません。当時(今もですが)の私の家の仏壇には名号本尊が安置されていましたし、強いて形像本尊を購入して自分の家の仏壇に据えたこともありません。


うろ覚えではあるのですが、その点について「蓮如上人が木像を安置されたという事実はあるかしれないが、親鸞会の会員であり名号本尊をご安置している身であるなら、そんなところに拘る必要は無いだろう」という文脈の中で、タイトルにある
 

「君は会員さんなのだから、会員である以上は本会の方針には従ってもらう」


という言葉が先方から出てきたのでした。 


実のところ私は、この言葉自体は非常にご尤もなことだと思ってまして、だからこそ8年経った今になってもよく覚えているのでした。

そもそも、組織というのは皆が同じ方向を向いていなければ体をなしません。全く異論が出ない組織も異常ではありますが、上が決めたことに対して「従わない」ということでは組織人の振る舞いとしては的確ではありません。
 


と、ここまで書きますと、


「あさ川のやっていることは、全然合ってないではないか」


と思われる方もあると思います。
 

人によってはこのブログは、親鸞会の言っていることとは正反対のことを言っていて、親鸞会を批判しているブログではないか、と思われている方もあると聞いています。


これについては、そもそも親鸞会を批判したり擁護したりするために書いているわけではありません、という従来の説明をすることになるのですが、とはいえそのようなご指摘もご尤もだと思います。

確かに私は、親鸞会の方針とは関係なく、ブログを書いています。


これについては、今までの記事でも書いてきたような内容が当てはまるのですが、そもそも弥陀の本願に組織という概念が馴染まないと考えているからです。


弥陀の本願より組織を優先してしまうと、組織の通りになることが目的化してしまって、組織に合わない人が排除されてしまう。「『なぜ生きる』を全人類に」を標榜している団体にあって、「組織に合わない人間は救われないのだ」と言うに至っては弥陀の本願を語る団体の振る舞いとしては不適切だ、と思っているからです。


正直なところ文章を理解しているわけではありませんが、『改邪抄』にこのような章があります。


 一 念仏する同行、知識にあひしたがはずんば、その罰をかうぶるべきよしの起請文を書かしめて、数箇条の篇目をたてて連署と号する、いはれなき事。 まづ数箇条のうち、知識をはなるべからざるよしの事。祖師聖人(親鸞)御在世のむかし、よりよりかくのごときの義をいたすひとありけり。御制のかぎりにあらざる条、過去の宿縁にまかせられてその御沙汰なきよし、先段にのせをはりぬ。また子細、かの段に違すべからず。
 つぎに、本尊・聖教を奪ひ取りたてまつらんとき、惜しみたてまつるべからざるよしの事。またもつて同前、さきに違すべからず。
 つぎに、堂を造らんとき、義をいふべからざるよしの事。おほよそ造像起塔等は、弥陀の本願にあらざる所行なり。これによりて一向専修の行人、これを企つべきにあらず。されば祖師聖人御在世のむかし、ねんごろに一流を面授口決したてまつる御門弟達、堂舎を営作するひとなかりき。ただ道場をばすこし人屋に差別あらせて、小棟をあげて造るべきよしまで御諷諫ありけり。中古よりこのかた、御遺訓にとほざかるひとびとの世となりて造寺土木の企てにおよぶ条、仰せに違するいたり、なげきおもふところなり。しかれば、造 寺のとき、義をいふべからざるよしの怠状、もとよりあるべからざる題目たるうへは、これにちなんだる誓文、ともにもつてしかるべからず。
 すべてこと数箇条におよぶといへども、違変すべからざる儀において厳重の起請文を同行に書かしむること、かつは祖師(親鸞)の遺訓にそむき、かつは宿縁の有無をしらず、無法の沙汰に似たり。詮ずるところ、聖人(親鸞)御相伝の正義を存ぜんともがら、これらの今案に混じてみだりに邪義に迷ふべからず。つつしむべし、おそるべし。


最近は誓約書の類いを書くこともなくなったので、上記の覚如上人のお言葉のところに直接合わないか知れませんが、いずれにしても「従わなければ罰を受けよ」などということは弥陀の本願とは合わないということで、今もブログで色々言っています。


これがやはり、親鸞会として不適切だと判断するのであれば私を追い出すのでしょうが、多分今はそれさえも面倒だから放置しているのかな、と思います。あるいは、別段不適切ではないと思われているのかもしれませんが、その辺はよく分かりません。 


もっとも、「あさ川は”弥陀の本願ガー”と言って自分を正当化しているだけではないか」というご指摘があるかもしれません。それについては特に否定しませんし、否定できません。 

今日はあまり親鸞会のことに直接関係なくて個人的な話なのですが、今朝の通勤中に学生時代の後輩と会いました。


学生時代には部長を務めていた彼も、家庭の事情(と聞いてますが)でなかなか親鸞会館に行けずにいる、と聞いてから何年も経ってました。実際会うのも何年かぶりでしたが、駅の改札付近ですれ違いざまに、彼の方から声を掛けてくれました。


いきなり声を掛けられて状況が掴めなかったのですが、久しぶりに見かけて声を掛けてくれたことにうれしくなりました。

ただ、お互い(?)通勤中(別方向に)だったのと、会ったのが改札付近であったということもあってか、一言二言話して別れました。 


後になって、彼の住んでいるはずのところを考えて「なぜこの駅を通っているのか」と思ったのですが、別に不思議でも無いかなと思い返してみました。


 

まったく予期していないところで予期していない人に会ったので、なんと言いますか、何を喋っていいかというよりもまず言葉が出てきませんでした。


そんなことを考えていると、よく親鸞会館のお話に出てきた「噫」の話を思い出します。あの話は、どちらかというと「びっくりした」という意味で話がされていたかと思いますが、親鸞聖人がその後に、
 

遇行信を獲ば 


と言われている「遇」とは、予期しない遇い方。どういって良いか分かりませんが、少なくとも自分から求めに行って求め抜いた先にあるあい方とはまったく異なる、そういう弥陀とのご縁を改めて味わった次第です。 

ブログ開設より13ヶ月あまりを経て、200回目の記事にたどり着きました。応援して頂いている方もそうでない方も、ご縁のあったみなさま、ありがとうございます。


スタンスの微妙さから、 他のブログを炎上させるなどといったこともありましたが、色々なご意見があることは承知の上で、ご縁と気力の続く限りはこの立場を続けたいと思います。


7日は親鸞会館でご法話でしたが、以前に書きましたとおり私は仕事のためご縁がありませんでした。
ついでに言いますと、14日に自宅から数kmの一般会場で開催される関東の集いにもご縁がありません。ブログ上でいちいち私の詳細は書きませんけれども、一日数本のバスか車でしか行けないような会場に遠くからいらっしゃる方もある中でご縁が無いことに残念な思いはあります。

 
こうして、今でこそ「ご縁がありません」と平気で書いている私ですが、学生時代はそれはそれは恐ろしい(と思っていた)ことでした。今回はそれについての話です。 タイトルは100回のときとかなり似せてみましたが、内容はおそらく、前回とはまるで違うものであると思います。


・・・・・

親鸞会館や地元で行われる行事について、毎度毎度参詣される方もありますが、会社員のような雇われ仕事をしている人など、必ずしも全ての行事に参加できるとは限らない人も少なくないと思います。
 

いわゆる「ご縁の浅い人」はともかくとして、そのような場合はこういう枕詞がよく使われるように思います。

 

・「申し訳ありませんが」(今回はご縁がありません)


 私もある時期までは使っていましたが、今はやめました。



この、「申し訳ありませんが」という枕詞の指すところは、一体どこなのでしょうか。何に対して申し訳ないと言っているのでしょうか。 

私が使っていた時のことも考えて推測してみますと、


・「大変なご法体の中、ご説法して下さる先生」に対して
・「後生の一大事の解決の場に参詣できないこと」に対して
・よくわからないけどなんとなく申し訳ない気持ちがして

 
というところではないかと思いました。 こんな枕詞を使ったことがおありの方は、どんな心持ちでしたでしょうか。

支部ともなれば多少理解があるケースもあるのですが、学生時代の「休みにくさ」から言って「ご縁の無いこと」は「一大事」といってもいいほどではなかったでしょうか。「後生の一大事をどれほど軽く見ているのか」などと言われて、「ご法話にご縁が無いこと」自体が「恐ろしい罪」と刷り込まれて休むことに罪悪感を抱いてしまって、という方もあるかしれません。


改めて私が思い返してみますと、一体何に対して「申し訳ない」と書いていたのか、自分でも恥ずかしながら判然と致しません。判然としないのですが、先に挙げたような「申し訳ない」対象に対して考えてみたいと思います。
 



 
この光明の縁にあいたてまつらずは、無始よりこのかたの、無明業障のおそろしき病のなおるということは、さらにもって、あるべからざるものなり。
(御文2-13、5-12)
 

ここに蓮如上人が仰っている「無明業障のおそろしき病」ということなどから、私たちを病人にたとえられることがあります。それに対して、「説かれる方」を医者にたとえられます。 
 
このとき、「自分が重い病気だと知らされ、それを必ず治す医者がいるとなれば、どこへでも馳せ参じるはずだ」などという話がセットになるような気がしますが、このように考えてしまうと「申し訳ない」という対象としてはどうなるでしょうか。

一方的に日程と場所を限定されて変更もきかないのに、行けないことについて「申し訳ない」 という心が出るとすれば、大変に殊勝な人です。


「いや、自分の後生の一大事の解決のためなのだから、是が非でも都合をつけて行くのが当然だ」と言われる方もあると思います。そして、それは大切なことだと思います。「説く人」の当たり前の付け所としてはいかがなものかと思いますが、「聞く人」の当たり前の付け所としてはご尤もだと思います。


ところで、そもそもその医者とは何なのかという話もあるわけですが、先に挙げた部分で言いますと蓮如上人は、


この光明の縁にあいたてまつらずは


無明業障のおそろしき病が治ることは無い言われています。光明とは、その前に


あら、殊勝の超世の本願や。ありがたの弥陀如来の光明や。


とありますから、阿弥陀仏が「医者」ということになるのではないでしょうか。
阿弥陀仏のことの話をされる方は、その阿弥陀仏を紹介するひとですから、医者のたとえで言いますと紹介状を書いてくれる先生、とでもなるでしょう。別の御文に蓮如上人は、


そもそも善知識の能というは、「一心一向に弥陀に帰命したてまつるべし」と、人を勧むべきばかりなり。
(御文2-11)


とあるとおりです。

医者のたとえですと、とんでもなく遠いところだったり忙しかったりで、場所も都合も合わせることが難しい、しかしなんとか治してもらいたいからということで様々な苦労が伴います。
一方、阿弥陀仏は、


汝今知るや不や阿弥陀仏ここを去ること遠からず
(観無量寿経)


とお釈迦様がいわれてますから、車や飛行機が無くてもすぐ近くに居られるわけです。
『なぜ生きる』にも


イダイケよ、そなたがお慕いしている阿弥陀仏は、ここを去ること遠からぬ処におわします。そなたの信眼が開けたならば、つねに寄り添いたもうことに気づくであろう。


と書かれています。
「つねに寄り添いたもう」わけですから、場所や時間の限定など無いということでしょう。 


医者のたとえですと、医者とて人間ですから、助けてもらう場所も時間も限られてしまいますが、阿弥陀仏は限定されないのです。


阿弥陀仏は、「自分のところまで苦労してやって時間を合わせて来ない奴は助けてやらん」などと言われる仏ではないのです。





最初に戻りますと、


「阿弥陀仏のことを教えて下さる方」について、ご縁が持てないと申し訳ない気持ちになる、ということは分かります。それで、「申し訳ありませんが(ご縁がありません)」となるのも理解できますが、

では、助ける力のある阿弥陀仏、常に寄り添っていられる阿弥陀仏に対して、疑いの心自力の心が取り去れないことに対して申し訳ないというようにならないのはなぜでしょうか。


「阿弥陀仏のことを教えて下さる方」を尊ぶことはもちろん大切です。蓮如上人はそのことをこのように仰っているのだと思います。


されば善知識というは、阿弥陀仏に帰命せよといえる使いなり。宿善開発して、善知識にあわずは往生はかなうべからざるなり。
(御文2-11)


ですが、そっちばかりに心が向いて肝心の阿弥陀仏を置き去りにしていては詮無いことです。


しかれども、帰するところの弥陀をすてて、ただ善知識ばかりを本とすべきこと、大きなる誤りなりと心得べきものなり。
(同)


「五重の義」も、そのような「善知識だのみ」を正されているのだと味わわれます。
『随行録』に、このような内容がありました。


○合掌

 落慶式のビデオをご覧になって。
先生「無上仏に合掌する時と、その他の時と、深さ長さにハッキリした違いがなければならない。
 みんなに対する合掌が、無上仏より長くて深い人さえいる」
(S・63・6)


「無上仏」と「その他」、合掌に限らずお話の前に頭を下げている時間などを見ていても、そのことを感じることがままあります。

もとより、弥陀に対して申し訳ないという心など無いのだと言ってしまえばそれまでですが、


善知識というは、阿弥陀仏に帰命せよといえる使いなり。


であるわけですから、たよるべきは阿弥陀仏、讃歎すべきは阿弥陀仏、「一向専念高森先生」ではなく、「一向専念無量寿仏」。


念仏については、こんな『随行録』もあります。


○念仏
 
先生「信仰が進むと、称えずにおれなくなってくる。
 当然である。
 お念仏が少ないと、情けなく淋しく思う。
 一大事が、それだけ分かってないということだ」
(H・2・2)


親鸞会では、無量寿仏(阿弥陀仏)の讃歎よりも、「高森先生」の讃歎が多く聞かれるとすれば、「情けなく淋しい」となってしまうのだと思います。かつては「弥陀と釈迦の関係」について毎度毎度話がありましたが、


ただ深く願うべきは後生なり、またたのむべきは弥陀如来なり、信心決定して参るべきは安養の浄土なり
(御文1-11)


やはりこの分別は、必要だと思うのです。 

そういう意味では、私が書いていることは以前から代わり映えしませんが、それでも大切なことだと思うのです。 


もし「申し訳ない」とするのなら、「先生」に対してもあるでしょうが、それより何よりただ任せよと言われる阿弥陀仏の本願を疑って計らうことに対しての申し訳なさというのもあるのではないかと思います。

私が「申し訳ないですが」と書かなくなった理由は、以上のことです。 

早いのか遅いのか分かりませんが、今回で199回目の記事ということになりました。次回は200回です。200回で何を書こうかということについては、いくつか考えている中でまだまとまりませんが、そろそろ決めないとなあとは思っています。


もう顕正新聞にも記事が出たので書きますが、関東で初めての会館もいよいよできる運びとなりました。14日にあるはずだった大導師以上座談会の代わりに、関東の皆さんが集まる行事が、その会館から割合に近い施設で行われることになっているようです。残念ながら私はその日に仕事で神奈川に行く予定のためご縁がありません。 せっかく私の家の近くだったのですが。



 さて、23日にあった二千畳講演の話の続きです。

といっても、途中は王舎城の悲劇の話の説明ということもあり、私の気力の問題もありますので、ほんとは全部書くのが良いかもしれませんがその部分(午前後半~午後後半のはじめの部分)は割愛いたします。 王舎城の悲劇の話は、アニメや『なぜ生きる』にある通りの順番だったと記憶しています。(所々詳しく説明がありました)


今回も、「私にはこのように聞こえた」というメモですのでご承知おき下さい。あと、お話中では「イダイケ」とカタカナでは無く漢字で書かれていましたが、ここでは読みやすくするためにカタカナで書きます。


*****

(お釈迦さまがイダイケに十方諸仏の国土を展望されているところから)

イダイケに「阿弥陀仏の浄土に生まれたい」という心が起きた。これが、往生したいという心。
イダイケはこのとき初めて、往生したいという心が起きた。ここから軌道に乗る。


「阿弥陀仏の極楽浄土に生まれたい」=欲生我国の心。我国=極楽浄土

阿弥陀仏が19願を建てられたのは、
「往生したいです、どうすれば往生できますか」という心を起こさせるため。
「我が国に生まれたいという心で、諸々の善をやりなさい、助けましょう」というお約束。


「往生したい」、イダイケにこの心を起こさせるためにそれまでの教えを説かれた。「往生したい」は阿弥陀仏の19願のお力によってイダイケに起きた心。
観無量寿経で、イダイケを通してどういうときに起きるのかを教えられた。 
 

すべての人は死の滝つぼに向かって進んでいる。
滝つぼを恐れる心はあっても、 往生したいという心は私たちに出ようがない。
イダイケに起きたのは、お釈迦様が因果の道理を順々に説かれていたから。 それでようやく出た心。

滝つぼを恐れる心と往生したいという心は繋がらないから、因果の道理からずっと育てられた。
この軌道にのせるために、(このお育ては)絶対に必要。


往生したいという心が無いのは、当然といえば当然。仏法を聞かないと分からない。
イダイケには(往生したいという心が)起きたので、お釈迦様は定善散善を説かれた。

観無量寿経に何が説かれているか。
極楽にいきたければ定善散善をしなさい、ということ。
それでようやくあの軌道に乗る。
阿弥陀仏の浄土に生まれたいという心で善をやる。
あとは阿弥陀仏の一人働き。軌道に乗ったら早い。

***** (ここまで)
 

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