あさ川進の、宗教と私

浄土真宗親鸞会に所属しながらアウトサイダーだった私(現在は会員でなくなりました)が、宗教(浄土真宗親鸞会)との付き合い方を考えつつ書いている更新頻度が低いブログ(この説明も暫定です)リンクフリーです。なお、投稿文を受け付けております。「【投稿文】」と書かれている記事は、頂いた投稿文です。

2014年09月

書こうと思っても、なかなか上手にまとまらなかったのですが、ずっとまとまらない気もしますので書こうかと思います。


仏法に限ったことでもないのでしょうが、仏法を聴聞しますと、同じ話を聞いていてもそこに以前には味わわれなかった味わいを得ることがあるかと思います。私は味わいと書いていますけれども、理解とは違うように思いますし、ほかに良い言い回しも思い浮かびませんので、味わいと書きます。


本人はものすごく感動して、その味わいを語る、ということがあるかと思いますが、その内容(味わい)が相手に伝わるというわけではないところに、表現の難しさがあるように感じます。


味わいを語るのはそういうところがありますので、文字面を見ると「ああそうですか」という程度になってしまうのも致し方ないのだろうと思います。


そんな言い訳をしながら、先日ご紹介した真宗会館のお話での私の味わいを書くことにします。



弥陀の本願の話をするときに、よく「十方の衆生を憐れんで」とか、「助けてやりたい」とか、そんなフレーズが使われたりします。(私がそう思っているだけかもしれませんが)

ひねくれ者の私は、そこに図らずも「かわいそうだから助けてやる」というようなニュアンスを感じ取るのでした。もっといえば「善意の押しつけ」。


弥陀の本願の成り立ちをこれまで通り聞いていたならば、法蔵菩薩が苦しむ衆生を憐れんで本願を建てられた、ということになるわけですが、今回のお話を聞いていたら「無我」ということを思い出したのでした。


仏さまは無我の方、無我であるから衆生の苦しみがそのまま仏さまの苦しみとなる。「私」と「相手」に境界線がない、それが無我なのだと、どこかで聞いたのでした。


親鸞会でもそういえば、「衆生の苦しみが私(仏)の苦しみ」といったような話を聞いた記憶があります。『顕正』に、

如来の慈光に照育せられ、遂に高森苦悩我苦悩の大慈に驚き、顕徹安楽我安楽の大悲に呆れ

とあるのは、きっとそのことを表現したかったのだろうと思い出したのでした。


「仏の私が、苦しんでいる”かわいそうな衆生を助けてやる”」というほど露骨ではありませんが、助けてやるという言葉に、意識せずそんな「押しつけがましさ」を付け加えてしまっていたのでした。


「お前が助からなければ私も助からない」そんな話は今までにも聞いてきたようにも思いますが、今のようには味わっていませんでした。


こんど「私が助からない」と言ってしまうと、仏さまが「自分が救われるために」衆生を助けるように聞こえてしまうかも知れませんけれども、無我の仏さまは、あらゆる苦しみ悩みが自らの苦しみ悩み(あえてこのように書きますが)でありますので、あらゆる南無阿弥陀仏の喜びに転じ変わることを願われているのだろうと味わわれたのでした。


「今更そんなことを味わっているのか」という突っ込みがあるかもしれませんが、改めて弥陀の大慈悲を味わわせてもらった御縁でした。

何から書こうかと思っていたら、昨日の読売新聞の2面に一万年堂出版の広告が出ていたのを見つけました。
『生きる意味109』という新刊の広告でした。(どうでもいいですが私は巨人ファンではありません)


『なぜ2』の広告が見落とすくらい小さかったのは別の感慨がありましたが、この著者のOさんは、私が学生時代にお世話になった方の一人だったので、ついに本を出されたかと思ったのでした。


ネット上ではこのペンネームでずっと活動してきたようなので見ていたら、出版を機に本名でもサイトを作ったとのことでした。


今日の記事は(も)たいした内容ではありませんが、このOさんのことで思い出したことを書くことにしました。



はじめに断っておきますと、ものすごく縁が深かったというわけではありません。
あと、基本的に私の記憶に基づいて書いているので、内容が正確である保証は致しかねます。念のためご理解頂いた上でお読み下さい。



初めてお会いしたのは、私が大学2年の新入生勧誘の時期でした。
どうも学院を卒業したてだったか、そのようなことらしく、新入生勧誘を手伝う講師として派遣されてきたようでした。


これは私の印象なのですが、なんだか様々な親鸞会の講師の方に会ってきましたが、ロジカルというかデジタルというか、そういう印象が強い方でした。ただ、話してみると私なんかは結構面白かったりしました。
講師部員の体験発表を聞かれた方はひょっとしたら、「自転車で車にはねられたが、そのまま示談にして勉強していた人」ということでご記憶の方があるかしれません。


そのときのOさんとの記憶はそれほどありませんでしたが、その後地方で講師見習いのような状態を経て、いつだったか忘れましたが、講師部員として学友部に戻ってこられました。


その後の話ですが、個人的に印象的な出来事としては2つありました。


私が9年前に本尊論ブログを作っていた(現在は削除)ことはご存じの方もあるかと思いますが、その中でそれ以外のことにもいくつか突っ込みをしておりました。

ブログに書いていたかは忘れましたが、本尊論ブログが問題になった頃に、「仏説譬喩経の話(無常の虎の話)」についても突っ込みを入れていました。この問題は後に飛雲さんなどが詳しく書かれているので詳細は書きませんけれども、単純にいえば「親鸞会で話をされている仏説譬喩経の話は、本来の仏説譬喩経の話と異なる」というものでした。

そんな話を担当の講師の方としていたようなときに、「詳しく聞かせてくれ」といってこられたのがOさんでした。


詳しいシチュエーションは覚えておりませんが、仏説譬喩経の話やら、そのほか当時私が調べていたネタの話やらをしました。すると、反論をするでもなく「そういうことなんですね」というような返事をされました。その後、お互いにいいたいことを言っていたような気がします。

そういえば、当時親鸞会批判系では盛り上がっていた「なぜ私は親鸞会をやめたのか」のブログについても話題が出ました。「なぜやめ」に対してのOさんのコメントは、「そういうの、今更という感じがしますね」というような趣旨でした。


私が本尊論ブログを書いていたということを知ってか知らずか、そんなやりとりがありました。


もう一つは、その一、二年後だったかと思います。


当時は社会人になったものの学生と行動を共にしていて、親鸞会館への行き帰りのバスも一緒に乗っていました。社会人になって弥陀の本願を喜ぶようになった私は、当時私に対して理解のあった担当講師の方に対しては露骨に弥陀の本願の喜びを語っていたのですが、後輩に対してもなんとなくそんなようなことを語っていました。

何かの時に車中でOさんと席が隣り合い、話をしていたとき、ふと


「弥陀に救われるのに、善は必要だと思いますか」


というようなことを聞かれました。(この質問は実はうろ覚えで、正確ではないかしれません)

私はしばらく間を置いて、


「私なら、まったく不要である、と答えます」


という返事をしました。

とある別の講師部員と似たような内容でメールのやりとりをしていた時は、先方の勘違いも含めて思い切り反論らしきメールが飛んできたことを思い出して、Oさんから反論が来るのかと思いきや、


「そうですよ、そうなんですよね」


という返事でした。

その後、どういうやりとりをしたか覚えていませんが、このやりとりでお互い、何か満足したような雰囲気があったように思います。


あれから、七、八年が経ちました。


さて、このブログを立ち上げてからは(もともと疎遠だったこともあり)お話をしないまま私は親鸞会を離れ(させられ)たわけですが、彼もネットでいろいろ活動をしていたので、私のこのブログの存在もひょっとしたら認識されていたかも知れません。それに対してどういう思いなのか、特に気にしていないのか、分かりません。


ちなみに本は読んでないので内容は分かりませんが、広告を見る限りでは学生が「親鸞会館へ行きましょう」となる前に一通り聞くような話だという印象を受けました。メールマガジンの内容をまとめたものかもしれません。


当時のやりとりを思い出しますと、Oさんは私のイメージしている「親鸞会の講師部員」のイメージとはやや違ったように思われますが、ご本人はどういう思いでいられるのかなあと思った次第です。ロイヤリティが高いのだろうな、とは思っていますが。

ふと、なつかしくなったので書いてみました。

個人的には先日の土日に一回は更新しようと思っていたのですが、更新できませんでした。はじめに書きますが、今回の記事は中身がありません。


間が極端に空いてしまった頃と比べて、書こうかなあと思うようなネタが少しずつ出てきたことが変わってきたところですが、さりとてそれを形にするとなると、また別の難しさがあります。たいした内容を書いているわけではありませんが、文章を書くということを続けるのはなかなか根気がいることだなと思います。


さて、わざわざブログに公開する内容でもないのですが、書こうと思っている内容をいくつか書くことで、その中の一つでも書くような方向に持っていこうという趣旨で、いずれ書こうかなと思っている内容を羅列してみます。
考えた結果、書くのをやめることもあるかしれませんが。


・真宗会館で聞いたお話の味わいについて
・先日行ってきた勉強会について
・最近思い出した9年前のブログのこと
・この時期に思い出す9年前のこと
・先日元会員さんと会った時に思ったこと
・10年前の思い出(地元の講演会の話)
・12年前の思い出(兼六園の話)
・お仏壇の話
・ほか

昨日、と思ったら一昨日の夜でしたが、少し変わったコメントを頂きました。


先日、「スパムコメントがひどいので」ということで、若干コメントについて制約を掛けましたが、基本的にこのブログは、自由にコメントして頂こうと思っておりましたし、今もそう思っております。


そのようなわけで、特にコメントのガイドラインというものも決めておりませんでした。といいながら、いくつかのコメントを今までに非表示にしました。これは恣意的であるというご指摘もあろうかと思いますが、以下のようなものは、こっそり非表示にしておりました。


・私が見て、当ブログの内容とは明らかに関係がなく、スパムが疑われるコメント(概ね物販サイトへのリンク等)
・判断に困る場合、IPアドレス等から私がスパムと判断したコメント
・ご本人から非表示の要請があったもの


というわけで、今まで頂いたコメント内容をご覧頂ければお分かりになるか分かりませんが、事実上スパムコメント以外は全部そのままにしてきたつもりです。できれば今後も、特に制約を設けないようにしたいと思っております。


そこで今回頂いていたコメントを見ますと、内容は当ブログと関係ないと言えば無いように思いますが、スパムではないと思いましたのでそのままにしたいと思います。ただ、あまり記事内容と関係ないコメントが伸びると分かりづらいですので、関係ないコメントはこちらにお願いできればと思います。


そのようなわけで、

>後の名無しさん

当方では、先日頂いたコメントは特に非表示に致しませんが、今後続けて議論をされる場合は、この記事にコメントをお願いします。

よろしくお願いします。

そういえば「ブログポータル・ナビ」で、私は会員でなくなったのに未だに「緑色」ですが、赤色になるのと緑色のままなのと、どっちがいいのかなと考えてしまいました。今更変更する意味もない、と言われればその通りですが。


先日に真宗会館に行ったという話は、しつこいくらいしました(失礼しました)。今日はそのトイレの話です。


正確に言いますと、男子用トイレに貼ってあった言葉についてです。


「本物を知らないと、本物をにせ物と思ってしまう」(間違っていたらお知らせ下さい)


私がこの言葉を味わい深く眺めていたのは、「本物をにせ物と思ってしまう」のところでした。
よく聞いた覚えがあるのは、「にせ物を本物と思ってしまう」。


それはきっと、「本物」が少なくて「にせもの」が多いと思われているからなのかなあと思います。
偽ブランド品などは分かりやすいですね。たまに偽札などというものもあります。
本物を知らないと、偽物をつかんでもついついて本物と思ってしまう。


そんなことを考えていたら、親鸞聖人の『教行信証』にあるこのお言葉を思い出しました。


真なる者は、はなはだもって難く、実なる者は、はなはだもって希なり。偽なる者は、はなはだもって多く、虚なる者は、はなはだもって滋し。


ところが「本物をにせ物と思ってしまう」というわけです。しかも真宗会館のトイレに貼ってあるのです。
どういうことかなあと少し考えていました。


真宗会館なので、本物というのは、弥陀の本願念仏のことでしょうか。この南無阿弥陀仏に触れる機会が、「生まれてこの方一度も無かった」という方は、この日本においてはそんなに多くはないのではないか、と思います。
浄土真宗の教えを聞くご縁、となると「一度も無い」という方も少なくないかも知れません。ただ、このブログをご覧の方の多くは、浄土真宗の教えを聞くご縁にあわれたことがあるかと思います。


南無阿弥陀仏ひとつ、そのまま来たれ、そのように弥陀は呼びかけられているわけですが、なかなか「そのまま」にならない、ということもあるかと思います。


・本当にそのままでいいのだろうか
・何か頑張らないといけないのではないか
・絶対の幸福とはどんなものだろうか
・阿弥陀仏って何それ


親鸞聖人が、やはり『教行信証』に書かれたこのお言葉を思い出しました。


律宗の用欽の云わく、法難を説く中に、良にこの法をもって凡を転じて聖と成すこと、掌を反すがごとくなるをや。大きにこれ易かるべきがゆえに、おおよそ浅き衆生は、多く疑惑を生ぜん。すなわち『大本』(大経)に「易往而無人」と云えり。かるがゆえに知りぬ、難信なり、と。


あまりにも「易かるべき」なので、かえって聞けなくなってしまう、さっきの話で言うと、「にせ物と思ってしまう」というように言えるかも知れません。




最近、またブログのとある読者の方とメールのやりとりをしております。
今はあまり詳しく書けませんが、「幸せ」ということについてなど、やりとりしています。


どこかで聞いた「絶対の幸福」という言葉、「本当の幸福」と言っても良いかしれませんが、「本当の幸福が得られる」というのを目的とした弥陀の本願ではありません。

「自分にとっての本当の幸せ」を自分で追い求めていくと、自分の考えの及ぶ範囲の「幸せ」しか目に入らなくなるかもしれません。「本物」を目の前にしていても「にせ物」と思ってしまうかもしれません。


ちょっと話がずれてしまったかもしれませんが、山も山さんがこのようなことを書かれていましたので最後に紹介します。


この記事

「”ご縁があればまた書きます”と書いた後に、そのご縁の来たことがほとんどない」と妻に指摘されました。実際そうなので特に反論しませんでした。


さて、そういうわけでもありませんが、私自身の振り返りも含めて、先日真宗会館で聞いたお話を振り返りたいと思います。


例によって、手書きのメモしか残っていません。それを元に書いていますので、いつものごとく「私はこう聞いた」というメモであることはご理解ください。


なお、演題についてもうろ覚えですみませんが、「『聞』 本願の出所を知ろう」というような趣旨の演題だったと記憶しています。


・・・・

親鸞聖人が、道のない中聞き得た言葉が本願

親鸞聖人が、本願にあったことを「建仁辛酉の暦、雑行をすてて本願に帰す」
本願にあった喜びを書かれている


なぜ法蔵菩薩は本願を建てられたのか、その手がかりが正信偈


  一人の国王が世自在王仏の話を聞いて感銘を受けた
  自らその地位を捨てて、一介の沙門となって法蔵と号した


「所(みもと)に在りし時」・・・”所”というのが重要
                  法蔵にとっては、世自在王仏のみもとが本当に安心できる所であった


その世自在王仏の元で、”世自在王仏と同じような仏になりたい。どのように学び、修行すればよいのか”と法蔵は尋ねられた。


「汝自当知」、あなた自身が悟りなさい、自ら起こした問いには自ら尋ねていきなさい、と世自在王仏は答えられた。

「非我境界」 それに対して法蔵は、自分が何者で何を求めているのか全くわかりません、と答えた。


私たちは、「我自当知」 自分のことは自分が一番よく知っている
      「非汝境界」 人からとやかく言われる筋合いはない
      そのように思って生きているのではないだろうか。

良寛は、「裏を見せ 表も見せて 散る紅葉」 と言われた。
表しか見せない、醜い部分、見せたくない部分は見せないのが私たち。


その中にあって、法蔵菩薩は世自在王仏に率直に申し上げた。
親鸞聖人も同じではなかったか。親鸞聖人が法然上人に念仏の教えを聞かれて、味わいを率直に語られた。

法然上人がどう思われたかは分からないが、歴史的な事実が2つある。
 ①選択本願念仏集の書写を許されたこと
 ②法然上人の絵像の書写を許されたこと
いずれも、ごく限られた弟子にしか許されなかったもの。


世自在王仏はその後、国のありよう、命のありようをともに見つめられた。
覩見=つぶさに見た。
 →法蔵は、人間の悲しさ、苦しみ悩み、その中生きていく尊さをご覧になった。

 マザーテレサが、
 「慰められるよりは慰めることを、
  理解されるよりは理解することを、
 愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように」を言っている。

 できない中で祈らざるを得ない悲しみ。
 本当は慰めるよりも慰めてほしい、理解するよりも理解してほしい、愛するよりも愛してほしい
 そういう自分であるからこそこのように祈らざるを得ない。

 広島の原爆慰霊碑には「過ちは 繰返しませぬから」と書かれている。
 もう二度と、あのような悲惨な戦争をしてはならないという誓い。


言葉が、文字となり声となる。
言葉が生まれる前には何があったのか。
悲しみ、憎しみ、つらさ、そのようないろいろのものを見た。言葉にならないものがあった。

 五木寛之氏の『親鸞』で、亡くなる前の親鸞聖人にこのような台詞がある。
 「一人の人間として、まもなくこの世を去っていくことでしょう」

 わざわざ入れた「一人の人間」という言葉。この中に、人間の生きる苦しみ悩み不安悲しみなどが表されている。

このような相を見て、手を合わさざるを得なかった。


「建立無上殊勝願 超発希有大弘誓」
自分の思いを超えて発った願い、人間の悲しみの中に尊さを見た。

過ちは繰り返しませんからという誓いであり願い、ただの言葉では意味がない。
本願をいただいた「私」が問題。
願いを聞いて、その願いが響かないとすれば、生きた誓願に出あっていない。



そして法蔵は、「五劫思惟」された。

人間は苦悩を抱える者、その歴史をつぶさに見て誓願がおこった。


親鸞聖人は「世の中安穏なれ 仏法広まれ」という悲痛な願いを書かれている。

私たちも、何を誓い、何を願っているのか、ふり返る時にしたい。

・・・


最後の方なども、もっといろんな話があったと思うのですが、これ以上かけませんでした。
今回はお話を聞いた内容をご紹介して、終わりにします。

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