あさ川進の、宗教と私

浄土真宗親鸞会に所属しながらアウトサイダーだった私(現在は会員でなくなりました)が、宗教(浄土真宗親鸞会)との付き合い方を考えつつ書いている更新頻度が低いブログ(この説明も暫定です)リンクフリーです。 なお、投稿文を受け付けております。「【投稿文】【○○さん】」と書かれている記事は、いただいた投稿文です。後ろ【】に投稿主の方の名前を表示しております(2020/6/20)。投稿文の内容や行事案内等については、投稿主に直接ご連絡ください。

2015年03月

しばらくぶりの更新です。私事としては、たいしたことはありませんでしたが少し体調を崩していました。食べたいものが食べられないというのは、やはり残念でした。もっとも、更新していなかった理由は体調のことだけではなく、「アクセス数が落ちてきたら更新しよう」と思っていたところがなかなか落ちなかった、ということもあります。実際、今もアクセス数は落ちきってはいませんが、さすがに一ヶ月経ちますので更新です。


さて、投稿文をいただいておよそ1ヶ月経過しますが、全体のページビュー数では初めて1万を超えました。「ブログポータル・ナビ」での合計は2000を超えたところですが、それ以外の経路からもご覧いただいているようです。


実際のところ、私は会員の時に嶋田さんとのご縁はありませんでした。「私の白道」の存在は当初から知っていましたが、直接どういう方かということを存じ上げてはいませんでした。ただ、会の中では当時、頻繁に悪口を言われていたように思いますので、その印象はありました。RCさんが先回の投稿で紹介されていた勉強会で初めてお会いしましたが、親鸞会で悪口言われていたような印象は受けませんでした。


悪口と聞いて、ふとぶるうの氏のことを思い出したのでした。ぶるうの氏も除名になった際、特に私の大学は出身大学だったということもあってか、講師部員(主にK玉さん)があることないこと後輩に言いまくっていたことが印象に残っています。私は当時すでに直接やりとりをしていましたし、よく知ってもいましたから良かったのですが、それほどでもない後輩達はどう思っただろうかと。講師部員が言われるからと、真に受けてしまっていたんじゃないかと思い返したのでした。



話はそれましたが、従って今回投稿文を書いていただくというご縁も、そのままではあり得ませんでした。そこにはやはり、4回も投稿文を書いていただいたRCさんを通じてのご縁があったわけです。

思えば、RCさんと投稿文とのご縁も不思議なものでした。


RCさんとは、私が会員時代に同じ支部ではありましたが、特段親しくさせていただいていたわけではありませんでした。私が5年ほど前に熊谷に引っ越してきてからは、家が近いということもあって多少ご縁はありましたが、特に連絡先を交換していたわけでもありませんでした。

ですので、昨年暮れにRCさんから突然のお電話をいただいた際も、番号を登録していなかったのでRCさんとは分からなかったのです。留守電が入っていなければ、折り返しお電話することさえ無かったかもしれません。

RCさんも、ふと私が会の集まりに顔を出さなくなったことを疑問に思われて別の会員さんに聞かれたようですが、そのようなことでも無ければ、電話をいただくことも無かったかもしれないなと思います。

電話いただいて、思いの縁を、1時間ずつくらい何回も話をいただきました。その思いを「(ブログで)伝えてもらいたい」とRCさんが言われなかったら、私も文章を書いてほしいと思わなかったはずです。

とすれば、今回も含めて、投稿文をいただくということも無かったでしょう。


私の手元にはアクセス数という情報しかありませんが、一連の投稿文を通じてRCさんや嶋田さんに対して、何件もの反響があったと伺っています。ちなみに詳細について私は存じ上げていませんのでご安心ください。


直接思いを綴っていただけた、ということにおいて、総じて、投稿文を書いていただいて良かったなと思っております。





一連の投稿文を通じて、ふと私は、親鸞聖人が唯信抄文意に書かれている末尾のお言葉が味わわれたのでした。


やすくこころえさせんとて、おなじことを、たびたびとりかえしとりかえし、かきつけたり。こころあらんひとは、おかしくおもうべし。あざけりをなすべし。しかれども、おおかたのそしりをかえりみず、ひとすじに、おろかなるものを、こころえやすからんとて、しるせるなり。


ちょっとというか、だいぶ違うのかもしれませんが、「同じことを、たびたびとりかえしとりかえし」の部分が、まさにこのネットの情報ではなかろうか、と思ったのです。



私が初めて2ちゃんねるの存在を知ったのは20歳の時ですから、13年前の話です。私は大学2年の時に、すでに親鸞会に対してネガティブなネットの情報(要するに批判)に触れていました。

大学2年から3年まで見ていて、その後少し中断しましたが、ネットの情報すべてを否定することはできないなと思っていました。そして、ぶるうの氏が退会してからまたネットの親鸞会情報を見だしたのです。大学院時代は、まだぶるうの氏がやめて間もなくのことで、軒並み親鸞会の嫌がらせによってブログ等のサイトが淘汰されかけていたため、主に2ちゃんねると自分で調べた内容が情報源でした。学生時代にこっそり本尊論ブログを書いて除名になりかけていたことは、以前に書いたとおりです。

それから考えても10年、ほぼずっと親鸞会に対する批判的な情報に触れ続けていた私は、おそらく読者の皆さんからしたらだいぶずれた感覚を持ってしまっていたように思います。

それは、「親鸞会に対するネットの情報は、皆承知しているものだ」ということでした。
皆、というのは、もちろんバリバリの会員さん含め、です。


思えば、10年以上もそのような情報に触れ続けて、あるいは当事者にもなりながら会員を続けていた私が特殊であったのですが、どうも感覚がだいぶ感覚がずれておりました。


私が昨年暮れにRCさんから電話をいただいて話をしたときに、意外に思ったことは2つありました。
熱心な会員だったRCさんがやめた、ということと、RCさんがネットの情報をきっかけにやめようと思われた、ということの2つです。

後者を私が意外に思ったことを不審に思われる方もあるでしょうが、私は10年あまりの蓄積によって「(特に熱心な会員さんにおいては)ネット上の批判の内容を承知で会員を続けている」という思考に偏ってしまっていたからでした。



もちろん、親鸞会に対して何の不審も抱いていない状態で、あるいはガチガチに信じている状態で、批判的な情報を読んだところでまったく頭に入らないでしょう。ですから、ネット上の情報が頭に入ってくる、同意できるという縁があってのことだと思います。


私のように10数年、あるいはそれ以上長いことネット上の親鸞会情報に触れているようなかたですと、おそらく目新しい情報は(特に最近は)あまり無いと思います。それでも今回のことを考えますと、出し尽くされた内容だと思っていても、時を経て「新しい情報」として出会う方もあるのだと思うのです。

人によっては「今更」と感じる内容でも、別の人には「新鮮」と映る。


親鸞聖人が、唯信抄文意で「とりかえしとりかえし」といわれたこととはずれているかも知れませんが、同じような内容でも「繰り返し繰り返し」世に出すことで、その時々のご縁で出会う方もあるでしょう。

それは、「以前に読んだけどピンと来なかった」という方もあれば、「読むこと無く埋もれていた」という方もあると思います。

そのようなことでも良い、そのようなご縁を通じて、RCさんのようにまた一人、弥陀の本願を喜ばれる方が現れればありがたいことです。


今回の投稿文に対しての反響やそれまでのことを思い出して、そのようなことを思ったのでした。

あさ川です。今まで投稿文はそのまま掲載していましたが、私の文章ではないことが分かりにくいから一言断り書きを書いてはどうか、という提案がありましたので、そのようにします。

今回も「RC」さんからの投稿です。内容は、冒頭にRCさんが書かれているとおりですが、前回にも書かれた嶋田さんからのメッセージと、RCさんからのメッセージです。

======(以下、RCさんからの投稿文です)=======

第4回は、
嶋田さんからの
「講師部の皆さんへ」の
魂のメッセージと、
「RC」からの
勉強会の お知らせです。

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嶋田です

親鸞会講師部の皆さんへ

○私は 47年前 18才の時 親鸞会、高森さんとご縁がありました。

あの頃の 高岡市の 親鸞会本部会館は50畳程で 報恩講 降誕会には もう一杯で 身動き出来ず トイレも我慢していました。

講師部も 20名未満で 38歳の 青年 高森会長が 早口で 思いっ切り大きな声を出して 黒板を バシバシ 叩いて 熱弁でした。
勿論 アシスタントなんか使いません。

在家の法話も 100名程で 詰めて 詰めて 黒板の真横に 座わると、唾やチョークかすが 飛んできました。
今の 親鸞会では想像出来ない位 創生期は 会長と一体感がありました。

黒板には 縦、横の線が書かれ、
縦線 左に 
後生の一大事 一切衆生必堕無間地獄 人生の目的 信心決定、絶対の幸福 、卒業、決勝点 
と必ず書いてあり、
縦線右は 
「 宿善まかせ」
1 聴聞 2 勤行 3 六度万行(特に 法施 財施 )をやって
宿善を積まないと 救われないと強調された。( 宿善の解釈は間違いでした)

三重廃立、三大諍論の説法、人間には真の善が出来ない、
雑毒の善を具体的に話をしていました。本願寺の批判も忘れなかった
「 報恩講に信を獲れ 」の看板も出ていました。


 18才で 親鸞会 高森さんの話を聞き始めたころ、村で一番 聴聞をして何でも知っている 斉藤のおじいさんと話しする ご縁があった。
 寺のすぐ下の家で この寺に高森さんの説法があったのを聞いていました。
「高森さんの話し 聞いて どう思う」と 聞くと、開口一番
「 高森さん あの人は 観経信心やな」と言い切った。
「 観経信心? 何でやの」と言い返すと
「 信前 信後あると言うのはいい、聴聞、勤行は大事と言うのもいい、真宗の教えだ。
だけどな 縦 横線書いて 「 宿善まかせ 」だから 六度万行せよ、宿善 厚くせんと助からんと こうし て進んで行くと ハッキリ言ったぞ。これは親鸞聖人の教えと違う。
50年間 聞いてきたが  あんな 話は初めてじゃ。
善をやらにゃ 助からん、こりゃ 観経安心だ。
 十八願の話し しとるようでも 十九願を  混ぜて話ししとる、あれじゃ 聞き間違うものが 出てくる。危ない話をしとるなー。
お前も、そこ間違うと 大変な 遠回りさせられるぞ、遠回りですめば いいがなー」
と言われたことは ショックで 50年近くたった今も あの口ぶりが 忘れられない。
 その時は、頭にきて
「何くそ、長い間聞いとる、知ってるに腰掛けて 批判するとは何事か、信心決定して 龍谷大学大学院まで出られて 学問の深い 先生を 批判する力があると思っているのか、この馬鹿たれ」
という感情が 吹き上がり、
「では  真宗の正しい安心は 何ですか」と聞く 気持ち は全く無かった。
 今にして思えば、  冷静になって聞けばよかった、そうすれば、こんな 遠回りはなかったと思う。
すでに、50年前に 聞く人が 聞けば おかしいと見抜かれていたのです。  


○あれから 50年近く、余りにも 親鸞会は変わってしまいました。
何より 教えが 変わりました。
古い講師部なら 分るでしょう 。
第3回に書いた通りです。
段々 変化して その理由も一切言わない、聞けない雰囲気です。
「 深いみ心だろう 」を 信じてきた結果です。

「教えが曲がっている」是は、親鸞会の最重要 問題です。
 なぜなら 一生聞いていても  阿弥陀仏に金輪際 救われることがないからです。
後生は 三悪道の一大事です。
若し 私の言ったことが 違うというなら 言って下さい。
多くの 人が 質問していますから 答えて下さい。
破邪なくして顕正なしと 教えてもらいましたね。
  

講師部として 30年 40年  中には50年以上の人もいます。
30年なら 3000座 40年なら 4000座 50年なら5000座近くの話を聞いてきたのです。

釈尊は 45年間 説法されました。が、それ以上 長く聞いている人もあります。
 なのに 過去から 300名を越す講師部が 高森さんの指導で一人も信心決定 したという人が現れないないのは なぜでしょうか。

私は講師部になって、正しい教えを聞いている筈なのに なぜだろうと 心の中では いつも不思議に思っていました。 貴方はどうですか。

現講師部で 獲信して 法を説き切り活躍している 人は誰ですか。
おられますか。
「顕真」数年分 読みましたが まだ現れていませんね。
自称 獲信者は4名知っていますが、
ウソなら大罪ですよ。
 絶対に言わないで下さい。
  
● 極難信の教えだからだーーー
と 必死に言い訳していますが、それで  納得して 今晩死んでゆけますか。

● 高森先生は 説き切っておられるのに、私が宿善が薄いが為に聞き切れないのです
私が悪いのです
ーーーー釈尊が不可説と仰られた苦痛をそんな覚悟で 耐えられますか。
 
「 三つとせー 皆さん後生は大事じゃとー 人には云うて勧むれど
     我が身の大事ということは  ほんに今まで知らなんだ」 
( 信心 数え歌より )

原因は ただ  一つ 高森さんの 話が助からない 話しだからです。
しかし、それを 認めたくない信心が 講師部全員にあります。

他から、間違っていると聞いても、「私の白道」読んでも 
高森先生に絶対に 間違いはない、あったら 自分の人生は何だ、これまで求めてきたことは全部無駄になるではないか、そんな筈は絶対ない、ない、あってたまるかと怒り一杯だと思います。

 顕正新聞 顕真 に書かれた 私への批判を 心地よく読まれたと思います。

 嶋田の奴めー 恩知らずめー 地獄へ堕ちろー 思い切り 謗られたと思います。
「私の白道」を読んでほしいと  ある講師へ電話をしたら 「高森先生の悪口ばかり書いてあるそうだが、だれが読むかー」とひどい怒りようでした。
「これを読むと モタモタになるから  皆さん読まないで下さい」と正直に会員さんに 言われた講師もあって、尚更 気になってネット見て退会した人もありました(本人から聞きました)。

 嶋田の言うことは 高森先生 光晴局長への恨みに決まっているから見る必要ない。
 そう思わねば、厳しく、低い収入に耐えて 講師部はやっておれません。

しかし、30年 40年 50年 聞いても目的は 未だ果たせず、高森さんの話を聞いていても助からないことは 貴方自身が 人生かけて証明しているではありませんか。
講師部仲間が、証明しています、これ以上  確かなことはありません。

まだ  この現実を認めず 高森さんにすがっていても、86歳の高齢だから、その日が来たらどうするつもりですか。時間の問題ですよ。
 若い  元気な時の  力一杯の話を何千回 聞いても どうにもならなかったのに、誰から 聞くつもりですか。
光晴局長の 話を聞いて 獲信に 残りの 人生をもう一度かけますか。
 
○ 私は光晴局長の話を聞いて呆れました。
毎月福井県に話しに来ていました。
内容は 自分で20分話しして、後 20分は「なぜ生きる」の朗読CDを聞かせて 休憩後の20分はアニメの関連するところを上映、そして最後の20分は高森さんの関連するビデオ法話を上映。

 なんですか、これが  講師部トップの法話のつもりでしょうか。
「会報」は 各先生方の 寄せ集め盗作本なら、光晴局長の「法話」も 「寄せ集め 時間合わせ法話」でありませんか。

自分が聴聞して、皆さんにもここを聞いても らいたい、知って頂きたい、どう話せばいいか、考え悩み 原稿を書き、練習して 時間の限り  言葉に心を込めて 精一杯話しするのが法話でありませんか。
説法は 法であり、自身の信仰、魂の叫びではないですか。
  
法話に遅れたり、飛行機の時間に合わせて 途中で早く帰ったり、話の内容以前の問題のある人の 話を 聞いて信仰が 進むでしょうか。
会員さんを 全国から 苦労して集めようとする心が 本心 起きますか。 
是非とも聞いてもらいたいですか。
参詣目標があるから、少ないと 何言われるか怖いから誘うのですか。
光晴局長の法話が 分り易く 胸に響き また聞きたい 誘って聞かせたいの評判ならば 高森さんの たびたびの ドタキャンに ビデオ法話でがっかりさせるより、光晴局長が話しすれば いいではありませんか。

 「お父さん 僕が話ししますから、ゆっくり休んでいて下さい」位 50年も聞いてきて、教学の一番 上位にいて、何千回も 話してきたのだから 代理説法をするのが  当然と思いませんか。
2000畳での初説法は いつ  どんな話をする予定でしょうか。

私は支部長制度になって こんな「寄せ集め 時間あわせ」の話を聞きたくないので 4ヶ月間 福井に来てても行きませんでした。
すると、本部で二人きりになった時「来んのは君だけだー、遅れるのが分らんかー」と 説法に 使えばいいほどの 大声で 怒り心頭 どなりつけてきました。
「遅れているのは あんたの方だ」と思いながら、詫びは一言も言わなかった。
勿論 始末書も書かなかった。
話の内容に文句を言えば、法謗罪、上司批判と 難癖つけてくるのは 分っているから そんなことは 一言も言わなかった。

○中には 会長先生亡き後は ビデオテープがあるから ビデオ聴聞をしますと、さらりと言った親友部員がいました。 講師部にもそんな人が多いと思います。会員さんもそうでしょう。
アシスタントがどこで何を言い どんな注意を 受けるまで 覚えてしまうほど 10年以上 何十回と 同じ話を 同じ様に聞いて 何の疑問も 不審も 質問も 持たない。宿善が厚くなったと 思い 救われる ポイントが貯まった感覚で聞いていませんか。
過去 何十年 変わらぬ聞き方で これから先も同じように聞くだけです。

たとえ 疑問が起きて 質問したくなった時がきても 答える会長はいませんよ。
 誰と  信心の沙汰をするのですか。

皆さん 講師部に 入った目的は 
後生の一大事解決のためではありませんでしたか。
 全員 随行文発表でそう決意を述べてきたではありませんか。

それが いつの間にか 「雑行を知るだけでも30年40年かかる、真実信心は50年100年で 獲られるものではない」 
こんな こと言われて はーそうですかと  受け入れている。
 目を覚まして下さい。平生業成の看板を 高森さん自ら 外したんですよ。
まだ 分りませんか。
これは 講師部や 長い会員さんに 「不審」を持たれないように 高森さんが打った 先手ですよ。
 高森さんは 「碁並べ」が好きです、先手  先手を読むのが 好きなんです。
 当然 長い間 求めてきた人に起きている 「不審」を 恐れて 考えて、考えて、言ったことです。
親鸞聖人のみ教えと反していることは承知です、批判 起きるのは分っています。
 しかし、今は そうでも言わないと 親鸞会の会員さんを 食い止めれないと判断したからです。
これで しばらくは あーそんなものなのだーと信じてもらえば、つなげます。
考えて言っていますが、私には 心中 分ります。
  
だが、こんな 小手先の誤魔化しは 通用しないことを 第3回に 書きました。

高森さんを 無二の善知識と信じ 尊敬している 皆さんの気持ちは よく知っています。
40年間 そう信じていました。
しかし、冷静になって  考えて下さい。

高森さんは 本当に 皆さんの 後生の一大事解決を願い続けているか どうかです。
「あわれ あわれ 存命のうちに みなみな 信心決定あれかしと 朝夕 思いばんべり 」
これは ず ーっと聞いてきました。
こんな 心と信じてきました。

 しかし 講師部になって 高森さんの口から出るのは 本願寺のことばかり

「 本願寺を焼こうとしたことがあった」
「 将来 大講師 500名で 本願寺と法論をする」(47年前の話)
「 本願寺 打倒 」
「 真宗改革は 我らの手で」  
「 本願寺の 盲点は 宿善だ」 (宿善論争 本願寺座り込み)
「 この宿善の問題は 本願寺が 将来的に背負っていくことになる」
「 この アニメで 本願寺は 大波に飲み込まれる」
「 この小杉の本部会館は 将来 真宗十派の総本山になる 」
「 本願寺の屋根に ぺんぺん草が生えとる 」
「 死に(西)本願寺、干餓死(東)本願寺}
「 歎異抄をひらくが出て 本願寺から 反論書が出て来いない」
「 本願寺から 執筆依頼があった」 (大はしゃぎ、しかし後でボツになった)
「 本願寺の現状を見るとワシには時間がない あせっとる 君たちに頼むしかない」

こんなことばかり聞かされているから、我が身の後生の一大事の解決より 本願寺 憎し
「高森会長の本願」が大事になっていませんか。
 その為の 人集め 金集めを させられてきたのでありませんか。
「 十九願の善の勧め」 、「 宿善まかせ」 は その 本心を隠せる とても都合のいい  根拠です。

もし、皆さんの後生を 本当に 真剣に 心から 心配しているなら、「私の白道」を発表した7年前に なぜ批判しなかったのですか 私に。
相当数の会員さんが 退会して  実害が出たのですよ。
地獄行きの キチガイの 土蔵秘事の 人工信心の  シロアリ をなぜ退治しないでほっておくのですか。
殺虫剤はありませんでしたか。
6年間 20数回の 苦言をなぜ無視したのですか。
顕正新聞や 顕真に コソコソ記事を書くより 火元の私を なぜ破邪顕正しなかったのですか。

今回も 「さよなら親鸞会」と「あさ川進の、宗教と私」で 2週間で 1000回以上読まれています。 
前回以上の 反響で、皆さんの関心度が確実に上がっています

講師部時代 20年間で 高森さんの 講師部会合を 200回近く受講しましたがただの一度でも、一回でも 信心の沙汰、一人一人の 信不信を問題にされたことがありましたか。
私は記憶に有りません。
講師部同士 組織の上下関係無く 徹底的に 隠さず 誤魔化さず お互いに信心の沙汰をせよ、 今度の合宿はそれをやれ、という指示は 一度としてありましたか。
信心の沙汰をしなのは、講師部の 後生を心配していないからですよ。

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「 信心の沙汰 」とは どんなものか、まず  聞くことから始まります。
 
光晴  なぜ獲 信できぬと思っているのか、自分はどんなものと自覚しているのか
どんな罪悪を感じているのか、また獲信とはどんなことか言ってみなさい

N村講師長  阿弥陀仏の本願を聞いて何をどのように疑っているか 言ってみなさい
疑いは どうしたら 無くなると思うか言ってみなさい

Y村総長  南無阿弥陀仏の喚び声とはどんなことだと聞いているのか
どう喚んでおられるか言ってみなさい なぜはねつけるのか言ってみなさい

Y崎学院長 雑行雑修自力の心を捨てよをどう聞いているのか、
なぜ捨てられぬのか
もう ご縁があって 50年以上 たつが、具体的に言ってみなさい

Y根講師 南無回向の機とは何か分っているかね、発 願回向の義とは何かね
本願召喚の勅命を どう聞いているのかね 言ってみなさい

E講師  本願疑う罪ほど恐ろしいものはないが、どう自覚しているのか
自分の思うままで ここで言ってみなさい

A倉講師 君は書くことが多い任務だが、南無阿弥陀仏の心をどう聞いているのか
そのまま まかせよとはどんなみ心と思うか 言ってみなさい
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このように 具体的に 聞かれれば、講師部全体の 自力信心の実態が浮かび上がり、自分の問題点が分り、長い間聞いていても どこを聞き間違っているか 何が分っていないか分り  組織の上下を越えて 自力信心  他力信心が 鮮明になったはずです。
 後生の解決のために聞いている意識が高まり、会員さんにも 当然伝わり信心の沙汰をし、共に阿弥陀仏の本願が聞けたことを喜ぶ 「 御同行 御同朋 」の法友の交わりの親鸞会になったでしょう。
真実の信心は 50年100年 聞いて獲られるものではないという 平生業成否定の 言葉は出なかったでしょう。
今は 信心の沙汰をしていますと反論があるでしょうが、あれは違います。
聴聞の復習会、教学解説会の範囲です。

信前の支部長に 機と法の徹底した沙汰は出来ないからです。
分らぬことをせよと言うのは無理 です。

しかし 高森さんは 私の記憶では一回も ありませんでした。
あったでしょうか。
ここが 抜けて 「 名号を受け取って下さい 南無阿弥陀仏を頂いて下さい」と 掛け声だけで 救われる ものでは有りませんよ。

○ 200名程の講師部仲間がいながら お互いの信心も知らず 語らず、組織上、経験上の体面ばかり 取り繕っています。
個人的信仰は関係ない 話しするなと教学信心の話で済ましているのが講師部です。
これでは 「 信心の沙汰が大事」 と言いながら、自身の信仰を言わず、隠すなら 「信心の沙汰 するな」であり、矛盾していると思いませんか。
お互い 言わない方が楽だからです。
言っても お粗末な信心だから 言いたくないのが本音です。
そうでしょう。
 特に 講師部でも 1講、2講の人は 本音の信心の沙汰など 他の講師や 会員さんの前では 死んでも嫌でしょうね。
 自分の立場、権威、尊敬が崩れること間違いないからです。
えーそんな 程度ですか、そんなことも分らないのですかー、私らと同じでないですか、なーんだ、もっとしっかりしてると思ったのに、見損なったなー

死ぬような思いをするでしょう。
何十年 求めた 自力の信心は命です、その人にとっては。
その 正体を見破られるのは 大衆の中で裸にされる 屈辱です。

 親鸞聖人が試されて 信行両座の行の座の 人々の心中と同じになります。
耐えられますか。
だから そこまでしなくていいと言う高森さんに感謝してますよね。
これが、命取りと 知りもしないで 可愛そうです。

私は 約 1年 これを トコトン体験しました。親鸞会ではなかった信心の沙汰です。
包み隠さず 全部さらけ出す 不安 狼狽 落ち込み。 
30年 聞いていて 1年ほどで 助かったと言っとるそうな、アホが、そんな早く助かる筈が無い、人工信心に決まっておる、あんな奴の言う事なんかに 騙されるなよ。
親鸞会講師部の お互いに厳しくも無い ぬるま湯に頭まで浸かっている人には想像さえ出来ないことです。
説く者も  聞く者も 共に 言葉を失ってしまうほどのやり取りに発展することもあります。

信心より 生活 活動でミスをしないか、同僚に見つかってタレコミされないか目標達成できるか そればかり心配し ハラハラしているのが本心でありませんか。
こんな信心を正直に 告白したら 大変です。建前で済ますのが一番と心得 ているでしょう。違いますか。
私はそうでした
 
○ 『「 信をとらぬによりて悪きぞ、ただ信をとれ」と仰せられ候。善知識の
「わろき」と仰せられけるは、信の無きことを「わろき」と仰せらるる なり』

○ 「 教化する人、まず信心をよく決定して、その上にて聖教をよみ語らば、聴く人も信をとるべし」

○ 「一宗の繋昌と申すは、人の多く集り 威の大なる事にてはなく候、一人
     なりとも 人の信を獲るが、一宗の繋昌に候。」
  
 蓮如上人が 心配なされたことは 今の 親鸞会のことではありませんか。
 耳が痛い でしょう、読 みたくないでしょうが、我慢して読んで下さい。


○ もう気づいた 講師部の人はありますね。
そうです「 信心の沙汰 」をすると 時間と共に、発言と共に、自身の信心が表に出てしまうものです。つまり 自力の信心の人が他力らしく装っていてもやがて バレてくるものです。
講師部の人は 経験ないから 何を言ってるのか分らないと思いますが、高森さんはそれを知っています。
質問して突っ込めば じゃ 先生はどう思っておれるのですか、と反撃されるからです。これが 真剣勝負の 信心の沙汰なのです。
蓮如上人がせよと勧められた 信心の沙汰とは このことです。

それを  
高森さんはしない、さけるーーーーーー理由 分ってきましたね。
私は この7年で 40回以上の 信心の沙汰をするご縁に会いました。
だから分ります、なぜ 講師部との 信心の沙汰を 嫌うか。

高森さん 私は貴方と 真実信心を語り合いたい、沙汰したいと心から望んでいます。
  
講師部の問題の 原因は 高森さんにあります。
特に 教えの間違いの  全責任は 高森さんです。
講師部は 教えられたことを  鵜呑みにしているだけですから。

その結果 こんな恐ろしいことを  講師部が言っています。
講師部の 問題は 書かないことを約束しましたが このことだけは 仏法、阿弥陀仏のことですから 書きます。

○ 私が講師部を退部する10年前 台湾布教に行っていた K山講師が 突然 帰国命令が出て 講師部会合の前に 引き出され

 糾弾されました。
 何をやったか S 木海外本部長がこう言いましました。
「私が 海外の視察で 台湾事務所に 行ったら 事務所 の中に 絵像が かけてあった。彼が 台湾の知人から もらって かけておいたそうだ、皆 これをどう思うか」と話し終わると 嵐のような 指摘が始まった。
だから、突然 帰国させられたのです。絶対覚えていますね。

高森さんは 蓮如上人の 「 御一代記聞書 」を根拠として、
    
「 他流には 名号よりは絵像 絵像よりは木像というなり 
  当流には 木像よりは 絵像 絵像よりは名号 というなり 」

また、「 聞其名号信心歓喜」を根拠に親鸞聖人のご名号 ご本尊こそ 正しいご本尊であると主張します

本願寺は木像本尊だから、 あれでは助からん
間違っている、狂っているとまで 講師 は言います。
その感覚だから 批判が出て 遂に こんな言葉が出ました。
ある女性講師が
「そんな 気持ちの悪いものもらってきて それでも講師部なのー」 と追及しました。

「そんな  気持ちの悪いもの」
ご絵像の阿弥陀仏を「気持ちが悪いもの」発言に私は 強い 衝撃を受けました。
私が衝撃を受けた理由は「会報」にご本尊のことが書かれてあり覚えていたからです。後で書きます。

K講師は 糾弾され 台湾布教は中止 講師部に あってはならぬ言動だと 厳罰が下り 講師部の任を解かれ 反省しろと「 顕真学院 」に送られて しばらく出てこれませんでした。
勿論 高森さんの 指示です。

ここまで読んで 何がおかしい、これでいい、嶋田こそ おかしいと思って読んでいる人も 多いと思います。
だから マインドコントロールにかかっていると 何度も 忠告しているのです。
いいですか 阿弥陀仏のことですから  正しく知らねばなりません。

○ ご木像、ご絵像は阿弥陀仏のお慈悲をもって救済して下さる本願の心を表しているのです。

右手の 親指 人さし指を捻って お胸の前に上げられ 掌は外に 向けられています。これは阿弥陀仏が 衆生を喚びたもうことをあらわすので召喚の印といいます。
南無の心です

左手は 親指と 人さし指を捻って 下に垂らされ 掌は上に向けられています。これは 阿弥陀仏が衆生を 洩らさず救済せずに やまぬ お心を表しますので  摂取不捨の印というのです。
阿弥陀仏の心です

このお姿こそ、三悪道へ 堕ちてゆく 業苦の者を救済してやまぬ大悲のみ心の表れです。

「 四つとせー よくよくお慈悲を聞いてみりゃ助ける弥陀が 手をさげて
まかせてくれよの  仰せとは ホンに今まで知らなんだー」
   ( 信心 数え歌より )

これは 南無阿弥陀仏の心の 表れであり これを 名体不二と言い、名号の心も ご木像、絵像のお姿、仏体の心も同じであり 別なものではないと教えられる謂れなのです。


ご木像、ご絵像は 阿弥陀仏の 大慈悲心を 形に表し 姿に表されたものなのです。

問題は 阿弥陀様の み心が 正しく受け取られているかどうかです。

木像、絵像の阿弥陀様は 観無量寿経に釈尊が 定善十三観の七番目の 華座観の 説法中に 韋堤希夫人に 「 除苦悩法を説く 」と仰せになった と同時に 空中に顕現なされたお姿です。住立空中尊といいます。
その 阿弥陀仏を拝見した その時 「与韋堤等獲三忍 即証法性之常楽」
と救われたのです 阿弥陀仏のお姿を拝見して 南無阿弥陀仏の心を 受け取ったということです。

 善導大師 法然上人は 助からぬ 間違った ご本尊で 導かれたというのですか。
では お二人の ご化導で 救われた人 はありえなことになりますね。

では、親鸞聖人は ご本尊の間違っておられる 法然上人から 弥陀の本願聞かれて 救われられたことは 説明つかなくなりますね。

お軽、庄松 才市 善太郎 清九朗 これらの寺のご本尊は 皆 ご名号でしたか、自信もっていえますか。
また、家のご本尊は ご名号でしたか。
圧松は 明らかに ご絵像ですよ
では ご絵像ご本尊なのに  なぜ 救われたと喜んだのですか
それは ニセの、自力の 人工信心と言いきれる自信ありますか。
説明して下さい。 
分らなくなってきましたね

高森さんの実家は寺ですが、ご本尊は ご 名号ですか。
お母さんが救われた時は ご名号になっていましたか。

高森さんは 40年前は 福井県大野市の 五番の寺で法話がありましたが ご本尊は ご木像でしたよ。
金沢の寺での法話も 愛知県の寺での法話も みな ご木像でしたよ。
 在家の家の法話のご本尊も 絵像の家も 確かにありましたよ。
助からない ご木像、絵像の前で 何十年も 説法したのは なぜですかと 高森さんに聞いて下さい。
どう  返事されますか。

大体 会長の困ることを 恐ろしくて 聞けないでしょう。
  

蓮如上人も ご名号ご本尊を 最も多く お書きになりました

「  他流には 名号よりは絵像 絵像よりは木増というなり 
  当流には 木増よりは 絵像 絵像よりは名号 というなり  」

も間違いなく仰いました。

ご文章には  80通の中で 
「 名号 六字」に関するものが21通
 その 六字 南無阿弥陀仏の謂れ 他力の信心については  33通
なんと 54通ですよ。
それほど 六字ご名号を書かれた 蓮如上人が 文明17年6月24日に
お弟子の 教伝 愛知県の 円楽寺に ご絵像ご本尊を ご下付なされています。裏書に間違いなく 蓮如上人と実筆で書かれています。
歴史的事実です。まだ 他の寺にもあります。ネットで分ります。

文明17年は ご文章では 4帖目8通ころで すでに 80歳近くです。
こんな、一見 矛盾しているようなことを なぜされたと思いますか。
考えてみて下さい  
他力の信を獲ている人なら 分ります。

なぜだと思いますか。
親鸞聖人が 善導大師 法然上人と違って 「ご名号ご本尊」にされたのは
阿弥陀仏の 救いは 南無阿弥陀仏とハッキリとされたいからです。
六字(八字、九字、十字もあります)ご名号をもって 阿弥陀仏の 救いの全てを 知らしめられたのです。  

「 聞其名号信心歓喜乃至一念」の救いであるぞ、そのまま まかせよー  必ず救うの阿 弥陀 仏であるぞー 
 すでに 正覚取って 十劫以来 喚びづめであるぞー
 南無阿弥陀仏の心、他力回向の信心であることを  正しく聞いてくれよ、決して 自力タノミをして 後生 こちらからお願いする 他宗 他門の 仏様でないよ、十九願 ニ十願の 雑行 雑修自力の心でいくら 拝んでたのんでいても 助からないと教えられたのです。
 聞くんだよ 南無阿弥陀仏のこころ、 仏願の生起本末を 聞けよなのです

だから 蓮如上人は名号ご本尊を ご下付になり、ご文章に その六字の心を聞け、六字の心は こうだと 善導大師の六字釈をもって書かれたのです。

その  南無阿弥陀仏の心を知 らされて、雑行 雑修 自力の心では 間に合わぬと知らされ 捨てさせられた人は もう 自力救済の 仏頼みはしません。
  
念仏を称えては お慈悲 喜ばせて頂きます。

「 われ称え われ聞くなれど 
南無阿弥陀
是非に来いよの 弥陀の喚び声 
(南無)
  連れて帰るの 弥陀の喚び声
(阿弥陀仏)」

ご木像、ご絵像を拝んでは あー待って下さっておられたなー、ご苦労おかけしたなー
こんな奴めを ようこそ  ようこそとご恩喜ぶご縁にさせていただけるのです

名号の心も 仏体の心も 全く同じ と知らされますから 全く問題ありません

蓮如上人は お弟子の円楽寺 教伝 に ご絵像ご本尊をご下付さなれたのは 教伝という人は 六字の心も ご絵像の心も 同じであることを 充分に心得て いた人であったからと思います。間違う人に ご下付はされませんよ。
  
講師部の皆さん 分りますか 分りますか
「 そんな  気持ちの悪いもの、」など 口が裂けても言えぬことです
これ以上の 法謗罪はありません。
どれほど 阿弥陀仏が 苦しまれ 泣かれているか 分りますか。

南無阿弥陀仏の心が 分らないから ご木像、ご絵像ご本尊を こんな言い方や取り扱い方にしてしまうのです。
恐ろしいのは こんな心得違いでは 死ぬまで 南無阿弥陀仏の心は分かりません。
助ける 阿弥陀仏のみ心を  知らないで 謗って 救われることは 絶対ないのです。

少し、分ってきましたか  何十年の迷いですから目覚めに 時間はかかります
  
これも 高森さんが 自分の都合で 「会報」を 廃版にして  読ませず そこで学んだことも 昔のことは言うな 聞くな 今の話を聞け 伝えよと 馬鹿なことをいうからです。

だから  根本の阿弥陀仏さえ 分らない講師部になってしまいました、

  
「 会 報 」に何と 書いてありますか。  第2集は  特に詳しいです。
じっくりと 読んで下さい ( 4P)
 

「 では 親鸞聖人の拝まれた阿弥陀仏とは 如何なる仏であったろうか。
「一念多念証文」には 「一如宝海より 形をあらわして 法蔵菩薩と名のりたまいて 無碍の誓いをおこし給うを 因として、阿弥陀仏となりたまう 故に「 報身如来」と申すなりこれを、「盡十法無碍光仏」と名づけたてまつるなり。この如来を「南無不可思議光仏」とも申すなり。 この如来を「 方便法身」とは申すなり。「方便」と申すは、形をあらわし、 み名を示して 衆生に知らしめたもうなり すなわち 阿弥陀仏なり」

「 唯信鈔文意」には 「然れば仏について 二種の法身まします
 一には 法性法身と申す 
二つには方便法身と申す
 法性法身と申すは 色も形もましまさず、然れば心もおよばず、語もたえたり。
この一如より形をあらわして「方便法身」と申す。その御相に 法蔵比丘と名のりたまいて 不可思議の四十八願を発し あらわし給うなり」
真如そのものに本当の力用があるとしても、その力用が事実となって 具体的に実現するには、人格的 方便法身の尊形になって初めて 可能である」

親鸞会の教学にも
「 我々を救済する為に  仏はいろいろなお相を現わされる。大別すれば 四種ある

 法性法身(真実)
 報身   (方便法身ともいう)
 応身
 化身
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この方便法身に 
尊号ーーーご名号
                 
尊像ーーー木像
                 
尊形ーーー絵像

方便とは 正直者方便のことで 方は正 便は己を外にすること。
衆生済度する為には 衆生と ふ れあう縁をもたねば 真如、法性、一如の色も形も認識できない仏様のままでは無理です 出来ません
そこで われわれ世界の 衆生の認識できる 姿 形 名を示して 表れてくださったのです。
それが ご名号 ご木像 ご絵像であり み心は全く同じです
 共に 方便法身ですから。 
分りますか 
 だから 高森さんは 「 会報 」(52P)

「 仏像を通じて 仏心を受け取り 仏の真意を聞かなければ
仏法も殺し、仏を殺すことになるのだ。
今も同じで 南無阿弥陀仏の六字にこもる仏心を くみ取らなければ 名号の尊さを殺すことにな る。ーーー
我々は 六字の名号を通して 阿弥陀仏の仏心に直入しなければならない 」

仏像と ご名号の心は同じであり、ご木像の前で その心 南無阿弥陀仏の心を説き切れば、 仏願の生起本末を説けば救われる人が 現れるのは 何も 矛盾もしない。
本願力によって救われるのですから お軽さんの  寺がご木像で あっても  家へ帰ればご絵像であっても 六字の心を聞けば、六字の喚び声は届くのです 。何の問題もありません。
紙に書かれた南無阿弥陀仏が救うのではありません。
木に彫られた 阿弥陀仏が  助けると見るから 差別心が起きて来るのです

「 仏像を通じて 仏心を受け取り 仏の真意を聞かなければ 仏法も殺し、仏を殺すことになるのだ。
 今も同じで 南無阿弥陀仏の六字にこもる仏心を くみ取らなければ 名号の尊さを殺すことになる。」 
思い出して下さい、会報の言葉を。
南無阿弥陀仏の心を 正しく説いて、正しく聞いていれば、差別心や 差別する 恐ろしい言葉は 絶対に出て来ません
そんな 言葉が出て、講師部全体が同調してることは 親鸞会講師部は正しい 他力の信心を 理解していない証拠ですよ。
これ以上の問題はないでしょう。

問題は 高森さんですよ
ご名号ご本尊にしなければ 絶対に助からんと 教えたのですから。
「 会報 」に 自分が書いたものさえ 否定しているのですよ。
これも 盗作文だから 自身が充分理解できていない証拠です。
ひどいと思いませんか。廃版にまでしてもう読めません。

ご名号と ご木像、ご絵像の違いと、同じところ、ここを正しく教えることの出来ない人は 本当に 善知識でしょうか。
    
本願寺批判にこれだと 飛びついたのが「 ご本尊 問題 」です
何でも  本願寺非難に 利用してしまします。
ひどい業ですね。
その結果はどうでしたか、ぞくぞくと獲信する人が現れましたか。
    
○ 念仏も信前の念仏は自力だから助からんから称えない、否  称えるのが悪いように思っているのが講師部です だから称えず 勧めない。
 「 三願転入しないと  アリ一匹 助からない」と 教えながら 自分は称えない。  
これでは「 十九願と十八願の 二願転入では ありませんか」  と RCさんに突っ込まれていますが、返答できますか。
これも教学信心の現われです。
六字のご名号の心を知れば、南無阿弥陀仏をもって衆生を摂取して下さる、今 現に 私の口をして 聞かせておられる、喚んでおられると聴聞すれば、信前だろうと、間に合わぬと言われようが、知れば、勿体無くて 称えずにおれない。
念仏はこれ以上ない  阿弥陀仏の 直のご説法ですよ。
 真宗は これ 一つを聞かせて頂くだけです。

浄土真宗は 雑行 雑修 自力も心を振り捨てよ教えでですが、高森さんは 次のように教えます。
     
「 十九願の雑行は これで助かりたいの 自力の心がけが悪いから
 その 悪い心がけを 捨てよで あって 雑行そのものは 善だからしなければならない、勧めて当然だ」

 ならば

「 念仏も 称えて助かりたいの 自力の心がけが悪いから 
  その悪い心がけを捨てよで あって、念仏は 満善満行の功徳の宝だから 称えなければならない 勧めて当然だ」

こう教えていますか。念仏は勧めていません。
終始一貫していない、都合主義の話をしているにすぎません。分りますか。

十九願の善の勧めと言って、「人集め、金集め」に講師部、会員さんを  使っているのです。
もう、矛盾した 教えであることに 気づいてください。
    
そんな六字の心を 知ろうとせず、首から「ご名号」おかけして これで かけぬ人より早く何とかならないだろうか、と心で期待しているのを、自力の信心というのですよ。全く 聞き間違いです。
    
○  高森さんは 「 形 」ばかり強調するクセがあります。
お勤めも 阿弥陀仏を最上級のお客さんに接するように深く頭を下げろ、お仏飯は三角形にしろ 座布団に座ってお勤めする な。

冬は暖房、夏は冷房入れ るな、仏間に寝るな
こんなことを 私も気をつけてやっていましたが、六字の心を 知らされて 何てアホじゃろかと分った。
六字の大慈悲心を疑い十劫以来 今日 今時に至るまで 泣かせ続け 裏切り続けている。
また三悪道へこのままでは堕ちてしまう、危ない危ないぞー 堕ちるぞー早くこの弥陀にまかせてくれー
そのまま、お前の落ちてゆく悪性に合わせてなった南無阿弥陀仏ぞー 心配するなー 助けさせてくれー
と喚び続けておられるのです。
ところが、その仏心が分らず、私はまだ十九の願も善もしっかりやっていません、後生の一大事の驚きも立つほど 宿善厚くありません もっと頑張って 信仰進んで 縦線 近くまで進んで これならというところまで 光に向かって進みますから もう少し待って下さい。
何しろ 聞いてまだ20年目です、雑行知るまで  高森先生は 30年 40年かかると 言われましたので 阿弥陀様のご期待に沿えるようになるには あと 10年20年かかりそうです、
こうして  毎日欠かさずお勤め お給仕します、活動も頑張ります、人集め、お金も辛いですが 出しますのでどうか、お願い致しますーーーー
これは 誰の信心ですか。
私の40年間の信心は こんな程度の繰り返しで、お先 真っ暗でした。

高森さんの 「三願転入」「宿善まかせ 」の話を 何十年も聞いていると、こんな信心になります。
年数が長くても、短くても「 高森教信心 」は同じです。自力の信心の団体、猫書きばかりです。

○ 30年以上前、まだ 、福井県担当の講師で 岐阜県 真宗寺院生まれで 龍谷大学 真宗学を卒業した S藤講師がおられた

..30年前ころ 講師部を退部して その後、交通事故で亡くなられました。
気さくな人で その頃 私は青年部・上隊長で 何でも話し合える仲でした。S講師は 真宗学に詳しい人で どんな質問にも即答できる人でしたから近づいて教えてもらいました。
その 話の中で こんなことを言われて ビックリしました。絶対忘れられません。
「 僕は 本願寺は 十劫安心、 無帰命安心になっていると分ったので 他力回向の信心を厳しく説かれる 善知識を探した。

そして 本願寺から破門された、大沼法龍先生から 聞くことにしたんだ。
真仮廃立を厳しく説かれ、信前、信後 水際が あると説かれ、本願寺の 教え方と やはり違っていたよ。この先生だと思って 聴聞を続けている 内に、求めて 聞いている人たちが 「あの人は19願、あの人はまだ20願で苦しんでいる、私はまだまだ 19願だろうかーー」と聞こえてきた。
  大沼先生の本にも 19願 20願の人はいる、聞き損ないの人は、本願 聞きながら 疑う人だから 化土往生だと 書かれていた。だから、信者さんも こんな信仰になってしまう 危険性があると分って悩んだ。
自分で 19願・20願と 果たして言えるだろうか、言っていいものか。
十八願の他力心は 難中の難だから 私は 20願でもいいと いう信心の人もいた。これでは 本願寺と信仰的には 変わらないではないか。
そんな時、高森先生のことを 知った。
「 会報 」を読むと、19願、20願の 「願」 はあっても 真宗の同行にそれ相応の 「行」がないから 化土往生はできない、地獄行きだと、ズバリ書いてあった。信心決定しなければ 地獄まちがいない、真宗は100点か 0点しかない、と 説かれていたから 高森先生こそ  真の善知識と思い、講師部になって 聞こうと決めたんだ。
そして 最近思うことがある、これは 内証だよ、他に言わんでほしい。
高森先生が生きておられる間は そんなことは絶対無いと思うが、亡くなられた後に 19願、20願も同じ本願だから、これも大事だということや。
なんで、そんなことを 言い出すのかというと、長い間求めていても信心決定できないと不安になる。自力の心は 何かで安心したい、掴みたくなる。大沼先生の信者さんと 同じ心しかないから、同じこ望むようになってゆくんだ。
お聖教にも  その様に読めば  読めないこともない所があるよ、今、君に そんな危ない根拠は教えないけどね。
高森先生ご存命中は 「 会報 」に ある通り 説かれるから心配ないけど、その後 19願、20願 言い出す者が出てくるかもしれないと、思ったりする。絶対に内証だよ 」
この S藤講師の予言が 高森さん自身「三願転入しなけらば、アリ一匹助からん」と 結成35周年ころから 言い出して 約 20年 今日に 到り 的中した。 何たる  先見であろうか。
S藤講師が 生きていたら  何と言うだろうか
「高森先生ー それだけは  やめて下さいー」と絶叫するだろう。
絶対に忘れられない 話しでした。


○ 講師部皆さんの後生が気になります。

堕ちる地獄のことは大無量寿経の釈尊の仏語を第3回に書きました。
他に 「 正法念処経 」 「 長阿含経 」 「 倶舎論 」にも書かれていました。
無間地獄のその寿命は 「 人間界の6400年を1日として、その64000歳が1日で またその 64000歳で 49京2413兆4400億年になる」とありました。
何と長いのか、八万劫中大苦悩を受けると 聞いていましたが、その寿命を知って 驚きました。 まさに 永遠ではないですか。49京などとは。
無間地獄の業は 五逆罪 法謗罪が因です。
助からない教えを説き 財物を受ければ 堕ちる因と書かれています。誰のことでしょうか。( 八大地獄 十六小地獄に詳しく出ています)
高森さんの 今の話では助からないと気がついた人は 速やかに離れて 六字の心を 正しく説かれる 先生から聞いて下さい。
私も M井先生から 「 君は人以上に悪を造ってきた、不浄説法の罪は重いぞ 覚悟して 聞きなさいや」と言われ 冷や汗が出ました。

話は飛びますが、また 家庭はどうですか、上手くいって ますか。
それも  気になります。
私は 上が3歳  下が産まれたばかりの 36才で講師部に飛びこみました。
始めのころは 福井県青年部担当で 子供とも毎日接して問題ありませんでしたが、6年後 海外布教に出かけ、帰ってから 福井本部の青年部長 そして42才で 福井県本部長になり  段々責任が重く 関西本部副部長、アニメ全国戸別訪問 責任者 顕正部隊と 家を7年半 空けました。

妻は妻で 中隊長 福井県婦人部 上隊長 アニメ講師と 同じように 活動 活動 の 毎日となりました。
福井県で高森さんの法話があり、他県でアニメ頒布活動していた私は 久しぶりに 我が家へ帰り 朝  法話参詣の準備をしていると 妻と長女が言い合いをしていました。

娘にどうしたのか聞くと
「 お母さんは 絶対に聴聞に来い、来なきゃ高校も行かんでいいとまで言う、お母さんは 上隊長で責任者だから その娘の私が行かないと 何でやと言われるから 来いと言ってるだけや。参詣目標ばかり気にして ○講師から電話あるたびに 謝って頑張りますといって 切ったと同時に 今度は下の人に 同じこと大きな声で言ってるだけや。そんなもん 信心決定と言ってるけど 誰がしとるの、お父さだって何十年 聞いていても助かっておらんやないの、私らを(妹も)何やと 思っているんやー」
と泣きながら 訴えてきた。こんな娘の本音のぶっつけに 私はたじろいでしまった。

思えば 産まれてから 毎週 全国の 高森さんの法話に連れ歩き、小学生になっても 日曜  平日も活動で 子供の学校行事、参観日 学芸会 運動会にもほとんど 参加せず 淋しい思いをさせました。
下の娘は 登校拒否の時もあり学校から電話もありました。日曜は近所の友達とも遊ばせず 法話へ行く車に乗せました。
経済的にも 活動の上司は それなりに無理して出さないと 人にも出せと言えません。
目標もあり、未達成では済まされません。糖尿病が出てきて 身体もだるく そして娘のこの  訴えに、困りました。
活動地 広島へ帰り 長女に 長い手紙を書きましたが 結論は お父さんも  お母さんも 人間にとって一番大切なことを 求め 伝えているのだから  我慢してくれ、いつか 分るだろうという、自分に都合のいいことを書いていました。
娘はそれから、帰っても口を利かず、目も合わせようとしなくなりました。
親を当てにしない娘になりました、自分たちの不幸は 親鸞会のせいだと思うようになってゆきました。
私は「私の白道 」 と第3回にも  書いた通り 組織の腐敗  教えの間違いに気づき講師部を10年前 会員も7年前に退会して M先生から六字の心を聞かせて頂きました。
そして 心配していた 娘達との 親子関係の修復に心がけました。

講師部 54歳で退部して すぐ仕事を見つけました。
通信販売 大手の 契約社員として 時給1000円ほどの条件で 朝4時30分に起床して 車で通勤 6時から 8時間働き、それでは経済的に不十分と思い 夕方 2時間ほど 葬儀社の駐車係りをしました。一日10時間労働で移動時間を入れると12時間ほどになりました。
 しかし、仕事はきつく、時間 は長くとも  私には 南無阿弥陀仏がついて下さって講師部時代の 不安は全くありません。娘達もも見ています。
糖尿病で毎月通院し、薬を飲みながら、途中に腰痛で入院手術予定の 拷問のような3ヶ月を経験しましたが、一昨年11月 10年で定年退職して、今は家でデスク ワークをしています。
 絶対に仕事の愚痴 弱音を吐かない、娘から何か言ってきたら返事する、を心に決めで 信頼回復を心がけました。
お陰で 年数と共に 口を利く様になり、二人の結婚式は仏前式にしてくれました。
私が 嫁ぎ先の 仏前で阿弥陀経 を 読んで 念珠を二人にかけてやり、誓いの言葉も 私が書いたものを読んでくれ、本当にその姿に感動し、嬉しかったです。
披露宴に 娘の小さい時からが  スクリーンに映し出され、あーそうだったなーと思い出され、娘から お父さん お母さん 育ててくれて有難うの言葉に涙がとまりませんでした。
こんな 世間の親以下の 扱いをしてきたのに こちらこそ有難う、よくぞ 真っ直ぐに育ってくれて 有難うと心から思いました。  
 その後 二人とも 男の子が産まれ 1歳の 初参りは嫁ぎ先の親にも 頼んで お寺にしてくれました。寺も珍しいことだと喜んで 大変 丁寧にしてくれ 人身受け難しの話もあって、向こうの両親も 寺でして良かったと喜んでもらえました。
 赤ん坊を抱きながら 阿弥陀仏に 合掌礼拝してる娘の姿が 尊く 心から よくぞ ここまで ご縁を求めてくれたと 妻と一緒に 喜びました。 
二人とも 毎月1回は  必ず「 バーちゃん来たよ、ジーちゃん来たよ」と言って 私達が孫と遊ぶのを  目を細めて笑い、写真やビデオに撮って記録に残しています。 孫もお仏壇のリンをチンチンと鳴らして喜んで 最近は ナンナンと言うようになりました。
思いっきり誉めてやりますよ。
もう どこにでも有る 親子になりました。

講師部退部の決心は大変なことは私も 経験済みです。
しかし、子供達が犠牲になっていませんか。
M崎講師、M 本講師の お子さんが「私の白道」を見て、電話をしてこられましたが 弁護士を使って 高森さんか ら妨害にあいました。
しかし  私は 全く怖れません。
針はどんなに  小さくても  飲めないのです。
南無阿弥陀仏の心を届けて下された 喜び 安心は 無くならないからです。
怖れることはありません、辞めてどう生きるか、見栄を捨て 真面目に働き、休みや 空いた時間に 南無阿弥陀仏を聞いて下さい。
阿弥陀仏は その貴方を見ておられます。
必ず聞こうの心より、必ず聞かせて見せるの 本願力は強いのです。
この世のことは 覚悟して努力したら 道は開けます。やってゆけます。
皆さん これまで 仏法 仏法と  人に分 らぬ努力をしてこられました。
 私も20年 見てきて知っています。その努力を 今度は仕事を探し自分の為に 聞く 方向へ向けて下さい。やれぬことは絶対にありません。
54歳からの 私でもやれました。
やれます、道は開けます。

コメントに 支部独立して真実を伝える道があると書いてありましたが、私は 自身の信心をま ず 先とすべきと思います。
人を正しく 導くことは 生活の為に働くより大変な道です。勧めません。
誰でも出来ません。何より 自身が信を獲るべきです。

立ち止まって これまでを知り、これからを現状を正しく知って 決めて下さい
何度も言いますが、阿弥陀仏が願っておられます、引っ張って下さいます。
何か、手伝うことがあれば  どうか遠慮なく言って下さい。
お願い致します。

不思議なご縁の講師部の皆様へ

     南無阿弥陀仏
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高森会長へ

「 私の白道 」 と今回 第3回 第4回を 書きました
読まれたら どう思われるか 承知で書きました 
 気分を害されるどころでないことは「顕正新聞」「顕真 」を見てわかります
    
しかし、40年近く聞いても聞けなかった「 南無阿弥陀仏の心 」を
貴方が「 頭の上がらない人が二人いるその一人は あんただ 」と若い時 言われた「 M井先生 」から 直に お聞きすることが出来ました。

まさか、まさか 想像を絶する展開でしょう。
これが 阿弥陀仏が 貴方を見ておられて 私に「書けよ、親鸞会の実態と、我が本願を書けよ 」と 書かせて下さったのです。

こんな嶋田が、「小慈小悲もなき身にて 有情利益はおもうまじ」の我利我利亡者の ややこしいことは大嫌いの 自分の損得しか 思わない男の出来ることではありません。
阿弥陀様の言いなりだから書けるのです。

 貴方への恨み つらみなら 7年間 ここまで 続きません、疲れます 書くのは。
心筋梗塞は ストレスが 大敵ですから、のんびりした方が長生きできます。
 私も早く死 にたくないです。孫も めちゃくちゃ可愛い、長生きしたいです。
しかし、自分だけ救われて 現に 今も 後生が分らず、正しく聞いているつもりで 方向違いに頑張って 悲惨な臨終を迎える講師部、会員さんをほっとけますか。
G藤さん、S井さんが「宿善薄くて助からんのやー」と 泣かれた あの涙を 決して忘れません。
 あの方達が このままでは お前もこうなるぞと教えて下さったからこんな、愚鈍な 私が 疑問を持つようになったのです。
お二人は お浄土からの 私を済度する為に出て来られた 菩薩でありました。
 母も 父も 子供も 皆そうなのです。
権化の人々に 囲まれ ているのです。
 阿弥陀仏は  「 種々に 善巧方便したまいて 」とはこのことです。
   
だから、私は 自分の思いで書いているのでは無いと言えるのです。
そんな、自分の考えや、信念など 何の役に立ちましょうか。
そんな 人様に立派なことを言える 私ではありません。
言い切れる、書ききれるのは 南無阿弥陀仏の本願力だからです。
これ以外 何もありません。

 2月8日に 高森会長 光晴局長に 葉書を出しましたね。

「 前略

今回 第3回を書きました
思いは ただ一つ
  南無阿弥陀仏を 聞いてもらいたい
  南無阿弥陀仏を 伝えてもらいたい
      これ以外 一切ありません
            
        南無阿弥陀仏   」
   
思いは 届いたでしょうか。

貴方は かって 「 親鸞会の会長は ワシだから、皆 会長と言うが 親鸞会は 阿弥陀仏が作られた会だから 本当は 阿弥陀仏が会長だ。しかし 法律上 そう いかんから  ワシが会長になっとるだけだ 」
と言われました。聞いた講師部も多いでしょう。
私は感動して、あーこの 親鸞会こそ 阿弥陀仏の本願を伝える 地球上 唯一の 発信基地だと思い 大きな誇りを感じたものです。

その通りになっていれば 問題が起きるはずは無かったのです。

しかし、それは  言葉だけ、口だけでした。
 これまで 書いた通りのことを 貴方はやってきて 遂に それが全部 知られてしまいました。
どのように 責任を取られるのでしょうか。

 阿弥陀様の名を騙り、 親鸞聖人を 利用して、「高森会長の本願」の害毒を 蒔き散らかして 晩年を迎えています。
     
貴方を信じて 付 いて来た 人々に 本当のことを言って下さい。   

18才の貴方の 体験告白です                     
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    
何とかして私達に、地獄の存在、極楽の有無を確実に指してくれる人はないか。

 求めつつ、ややもすればこの解答をなし得ざるを自身の偉きが如く考え、人をも迷わし、自分も迷いながら、実に毎日仮夢をやっていたのであります。はからずも夏休み数日前に、M井君をはじめ数名の求道者諸兄の御指導を受け、半信半疑、なお私の心は悶えました。親切にも休暇中『仏敵』の書をお借りして読ませていただき、また家にあった書物により、さらにまたK光をも送っていただき、次第にその迷雲も晴れ、今日までの悪疑を恥づるに余念がありません。ただただ「そのままこい」「そのままでよい」とは何と有難いことでしょうか。南無阿弥陀仏々々々々々々

 これも諸兄の方々のお骨折りによるものと、さらに大悲の無限の方便摂化に、ただ感泣するのみであります。毎日毎夜、念仏は楽しい時に苦しい時に、無造作に口より出づる蓄音機にさせていただいて、有難き弥陀の呼び声を聞かせていただけます・・・ただただうれしさで一杯なのであります。南無阿弥陀仏

 今や、地獄極楽の存在など疑ってみようとする心の恐ろしさに身をば悶えるのであります。ただ南無阿弥陀仏々々々々々々
 しかし日常生活は煩悩の起こりづめで、ことさらに変わったところもなく、といってそれとて一時の間で、後は悲しみも楽しみにさせていただいております。今後ともますます諸兄の御指導をお願い致す次第であります。

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貴方の この18才の体験告白と 「三願転入しなければ アリ一匹助からん」とは 同じでしょうか。
   
  違うなら どうして こうも違ったのか 説明して下さい

  ○ 私は南無阿弥陀仏の心 ---堕ちる そのまま まかせよ 必ず救うーーーーに貫かれて
これまで 貴方から 聞いていて分らなかったことが分ってきました。
 見えなかったものが 見えてきました。

 貴方は 南無阿弥陀仏のご本尊に朝晩 礼拝することを言い 厳しく作法を教えました
 しかし、称名念仏を 勧めませんでした
五正行の中の 称名正行が 正行で 後の四つは称名念仏を助ける 助業であるはずなのに 礼拝の角度や、お仏飯の盛り方ばかり言い 念仏を勧めませんでした。
   
ご和讃の間にある 念仏だけしか 講師部50年の人も 1日 念仏称える事がないでしょう。
私も 40年そうでした。そんなに 大事なことと思っていなかったからです。
念仏 無しの 40年でした。
それで 講師部のつもりで、皆さん 本願を聞きましょうと言っていたのです。
「 信心正因 称名報恩 」 念仏は お礼の念仏 他力の念仏こそ ホンモノ、信前の念仏は 自力の念仏で捨てもの、阿弥陀様に賄賂を贈って 助けてもらおうとするようなもの、とまで貴方は言いました。
だから、講師部、会員さん 30年 40年の人も称えない、否、それどころか称えている人を自力の念仏で助かろうとしている 聞き損こないの人じゃ と白い目で見ます。
   
「 南無阿弥陀仏」 によって救われるから、親鸞聖人はご本尊とされました。
この 南無阿弥陀仏の心を聞けよです。

蓮如上人も 南無阿弥陀仏の謂れを聞けよ、生起本末を聞けよです。
しかし、貴方は 御名号を 
「 礼拝せよ 」 
「 礼拝するもの 」 と 教えてしまったのです。
なぜ 称名正行が大事か、その心を 教えませんでした。
念仏は 阿弥陀様です、南無阿弥陀仏と私の口から出て下される 阿弥陀様です
「 我にまかせよ、必ず救う 」 
の、十劫以来の喚び声です。念仏となり、喚び声となって、私の口から耳に仏心、大慈悲心を伝えて下さっているのです。
声を、もって知らしめる 音声法なのす。
修行も何も出来ない 凡夫を救うために 五劫かけて  思案尽くされた末に考えられた救済法なのです。
「 我が名を称える者を救う 」、十方諸仏の思いも付かない超世の救済法なのです。
聴聞は この心を聞くだけなのです。難しいことはいらないから、昔の学問も、字も読めぬ人々も救われたのです。
 自力、他力は こっちの心であって、念仏そのものは  阿弥陀様です。
南無阿弥陀仏に 自力も他力もありません。称え心で 称えるな、称えよと言うことではありません。
ここが 間違っています。
蓮如上人が 
「 口に称名念仏ばかり称えたならば 極楽に往生すべきように 思いはんべり それは おおきに おぼつかなき次第まり」
と教えられたのは、六字の心、謂れも知らずに 称えて助かろうと 称えている人に言われたことで、称えるな、念仏は 信後の報謝に限ると教えられたことではありません。だから 六字の謂れを聞けと 厳しいのす。
ところが、貴方は ここを読み間違って ほら 自力の念仏で助からんと書いてあるだろう
称えても 何にもならんーーーー称えんほうが いいと受けとるような教え方をしてしまった。
そのために、親鸞会では 2000畳にどれだけ多くの人がいても 全く念仏の声がない状態になってしまいました。
これが 浄土真宗の 正本堂の正しい姿ですか。

では その 六字のご本尊の謂れを説くかといえば、 三願転入と言い出す。こればかり。
 また、たまに 六字の謂れ 仏願の生起本末を 話しても 末は 十九願、ニ十願と言い出す始末。
正しい 仏願の生起本末ではありません。
50年100年どころか、1000年 万年 貴方の話を聞いてても 助からんということ言うのは以上の理由です。
 
私が、なぜ 貴方の18才の 体験告白を出したと思いますか。
もし、この 体験が 南無阿弥陀仏を知らされた 真なら これほど 南無阿弥陀仏を無視した 今日の指導はなかったでしょう。

・ 念仏の心も説かない
・ 方便法身の意味を正しく 教えない
・ 大事な 信不信の信心の沙汰もしない
・ 仏願の生起本末も間違っている
・ 捨てよと教えられた 雑行ばかりヤレと言う
・ 次々 名目 変えて財施を言ってくる
  
これで 何をもって 「ワシは真実を説き切っている、聞き切らんのは 君達の責任だ 」と言われるのでしょうか。教えて下さい。

貴方の一生、は「後生の解決」 でなく 「本願寺憎し、今に見ろ」であったと見れば全ての言動の 説明が尽きます。
だから 言われる通り 数十年 従っていても 信心決定できないのです。
 「目的違い」 の 指導だから 死ぬまで 阿弥陀様に遇えません。

もう、これ以上 誤魔化さないで下さい。
これほど、あの事は 貴方にとって許せないことであったことは 分ります。
本願寺は愚かなことをしたと思います。分りますよ、高森さん
この一点だけは 心情 分ります。
私も同じ心になったでしょう。
しかし、焼いてしまいたいほどの 報復心は余りにも 多くの犠牲を生みました
もう やめて下ださい。
泣いておられる お方がおられます。
阿弥陀様が泣いておられます。
分るでしょう。

阿弥陀様が、「 もう止めよ、私の本願を説け 」とこの嶋田に書かせて 命じておられるのですよ。


私の言っていることは 違いますか 高森さん。
私の思い違いなら 教えて下さい、
お願い致します。
 間違っていたら お詫びいたします。

 もう一つ
光晴局長のことですが 問題点ばかり書き上げ 心情的には 大変 気の毒なことと思っています。

しかし、彼は 外を知らないと思います
説法内容を聞いていても 貴方の話の 枠から 出れません。
自由に他の 先生方の 指導を受けられない様に したからです。
見方によって、光晴局長は 可愛そうな人と思います。貴方の長男として生まれ、周りから期待されても 獲信できず、親の後ろで自分なりの力を発揮したいと思いながら 捻じ曲がった方向に行ってしまいました。
 それを、どれほど 貴方は 厳しく修正出来たでしょうか。
貴方の 教えの間違いを 数々 指摘しました
もし 彼が 2代目会長に指名されるならば 否応なく 間違った教えを 伝承しなければなりません。
批判は 死ぬまで 背負ってゆかねばなりません。
今の彼に 南無阿弥陀仏をお伝えすることができるでしょうか。
可愛い子供に そんな人生を送らせるのですか。
「 ワシは光晴を守る」と あの時 親の顔をハッキリと見せられ 皆 何も言えなくなったのです。
どうか、本当の親の慈悲を示して下さい。
自身が反省し 間違いを認め 正しい 親鸞聖人のみ教えを伝える 知識になられるように して下さい。

南無阿弥陀仏を聞けば どんな人でも救われます
これまでの 三業の善悪は全く 関係ありません
十九願の善を やった、やれぬは 関係ありません。
聞く一つで  救われます

 

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最後に

1  間違って説いていたことを 認めて 謝罪して下さい 責任の取り方も示して下さい

2  今後 親鸞会は 南無阿弥陀仏を どのように  お伝えしてゆくのか  具体的に 明らかにして下さい


この二つだけです。

 2 のことに もし 力を貸せと言われるならば 私は 何の惜しむ理由がありましょうか。
 是までの 恩讐を越えて共に 正覚の大音響流せしめる 本願力を お伝えする使命を 果たさせて頂きます。     
南無阿弥陀仏

○ 高齢の貴方にとって このような 非礼極まることを書き、答えを求めることはまったく お気の毒と思っています

どれほど 辛いか、悩ましいことか、立場を代えれば 痛いほど分かります。
世間事なら ここまで責めて 書くことは躊躇してしまいます。
「 おうた子に 教えられ 」と言われます。
かって40年 生涯唯お一人の善知識だ、人生かけて何の悔いなしと 信じられたお方です。
どうか、私の言うことと 読まれず、阿弥陀様がこのように自分を見ておれるのかと 読んで頂きたいと思います。

長い間 「若不生者の生は 信楽 この世で 絶対の幸福にするということだ」と 話してこられたのが 「往生成仏を誓われたのだ」と変えられた ことを知りました。
本当に 嬉しくて涙が出ました。
どうか、決断して下さい。
あーやはり 一時 迷われたが 善知識であったと 教えて下さい。 

おうた子の言うことを 聞いて下さい。お願い致します。

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○ もう一つ  話しておきたいことがあります。

N講師は私の従妹です。同じ年に生まれ、同じ村に育ち、家も近く 17才の私に 5時間かけて 初めて 親鸞聖人のみ教えを1対1で 教えてくれました。
 その時、信心決定して、こんな本を書いて(顕正)、教学まで教えておられるのは 高森先生だけや、日本、世界にただ一人の善知識や、本願寺なんか助からないと 熱を入れて話しました。
話以上に、その信じぶりに驚きました、
そして 18才で高校を 卒業して 講師部になるために  随行費を私の実家で働いて貯めて講師部になってゆきました。私は彼女の勧めで 貴方の法話に参詣しました。
彼女がいなければ 貴方との 縁はなかったかもしれません。
しかし、どうして 講師部になってまで 聞かねばならないのか当時の私には理解できませんでした。

ある日、彼女が仕事が終って自分の家に帰り、私は配達を終って家に帰ってきました。
すると、休憩時間に書いたのか、そこら辺の 紙に 書いたものを見つけました。
  私は驚きました
    
「 地獄がなければ死にたいは  
明日の灯りは誰が吹く
無常の風が切ないわ 夢は夜開く

  咲いた花なら 散る定め  
咲かずに散らず咲きたいの
   花の命の短さに 夢は夜開く

  これが私の姿だと 
知られながら も分らない
   こんな せつなさ誰が知る 
夢は夜開く  」

お軽妙好人の  信前の 苦しさを歌ったのも 書いてありました。

私は 何度も 何度も読み返し 彼女の強い 決意を知りました。
初めて話を 聞いた時 死ぬ夢を見て 深い 深い 暗闇の穴へ堕ちて行った。
恐ろしかった、と言ってたことを思い出しました。
その紙は 今も持っています。47年間持っています。
18年遅れて私も講師部の道へ入りました。
そして おかしいと分り 退部して、南無阿弥陀仏に救い摂って頂きました。
しかし、従妹は未だに 「死ぬまで求道」にいます。
結婚もせず、貴方だけが 必ず阿弥陀仏の救いまで導いてもらえる善知識と今でも信じています。

「平生業成」の救いを求めて行ったのに 「三願転入 50年100年で獲れるものでない」に変化したのに 疑問を持たない人になってしまった。

母が私に 「おばちゃん(姉)が  死ぬまで Nのことを心配しとった、可愛そうに。
 お前 南無阿弥陀仏 教えてやれや、頼んだそ きっとやぞ」と言って亡くなりました。
それほど、Nが 不憫でならなかったのです。私もそうです。
 7年前 「私の白道」を書いて 彼女に 読んで欲しいと電話しましたが、信じてもらえず 切られてから、泣けてしかたありませんでした。今もそうです。

貴方の やってきたことで どれほど多くの人の人生を、仏縁を無惨にしてきたことか、知って下さい。
貴方が 「間違っていた、私では導けない」 の一言で 彼女は解放され、南無阿弥陀仏に 心が向くのです。

どうか 訂正して、最後の 善業を行って下さい。


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読者の皆様へ

「 親鸞会を 退会しました 」 は 今回で 第4回となりました。

お読み頂きまして 有難うございます。

私の47年間で  知らされたことで 皆さんが 南無阿弥陀仏に出遇われるご縁となれば これ以上 嬉しいことはありません。
 また 法味深める ご縁となればこれまた有りがたいです。
どれほど 書いても 書いても 南無阿弥陀仏の 大海の一滴にもならないことは 書いていて知らされるばかりです。
それほど 広大無辺の本願力であります。
 まだ 不信の方は どうか 本願まこと と知らされるまで 聞法を続けて頂きたいと心から念じ申しあげます。
阿弥陀仏は貴方を救いたい一杯の真実の仏様です。
  
そして もう一つお願いが あります
 「 講師部の皆さんへ 」と書きました通り 講師部は高森さんの 言うことしか信じません。
他を知らないから 正しく判断する 術がありません。
講師部の厳しい道に入ってまで 後生の一大事の解決をしたいと決心した人達ですから宿善の人達です。
皆さんと同じように 十劫の昔から  阿弥陀仏のお育て、善巧方便のお導きを受けてこられた人達です。
しかし、3回 4回に書いたように 高森さんを 師と選んだために 悲惨な現状なってしまいました。
 約50年 未だに 信心決定の人は現れず、信心決定と言うことさえ はばかられると聞いています。
昔は 「真宗は 0点か 100点しかない、地獄か極楽だけだ」、と言い切っていたのに
「聞くだけでは何にもならんというのは 仏法が分ってないのだ」 と「 三願転入 」と言い「死ぬまで求道、一生雑行」になりました。
この変化を疑問さえ思わぬ状態になりました。
平生業成のみ教えから 完全に外れてしましました。
講師部は 講師部でいる限り 自ら間違いに気づくことは ほとんどありません。
本人にとっての不幸であり 無間業を自覚無く 造っていますから、聞く会員さんも不幸です。
   
そこで、皆さんに お願いいたします。

退会した人ならば、親鸞会時代のご縁のあった 講師部員に このブログのことを知らせて欲しいのです。

まだ 会員の方は 
「読みましたが、どう思われますか? 私は分らなくなりました。支部長 教えて下さい」
と 言ってください。

電話でも メールでも 葉書でも 手紙でも プリントアウトして印刷してでも 氏名明かさずとも、堂々と明かしてでも方法はお任せします。

 住所分らねば 本部会館でも届きます。(ただし 受付で 即回収されると思います)

読めば 仏法に 生活全てをかけている、人生をかけている人達ですから 自分に引き当てて読まれます。  
どう行動されるか その講師の 宿善 仏縁 次第です。

私からの 最後のお願いです。
どうかお願 い申し上げます。

阿弥陀仏が 気づいてくれよと  念じ続けておられます。

勿論、ご縁のある  家族、親戚、会員さんにも お知らせ頂きたいと思います
    
そして 高森会長に 感想  質問を 出してして下さい。

皆さんの 思いを 届けて下さい。
お願い致します

 南無阿弥陀仏


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「親鸞会退会シリーズ 」を投稿しました「RC」です。

嶋田さんからの メッセージは、
阿弥陀仏が 嶋田さんを通して 私達に み心を お示し下さったのだと思います。

第1回は、私の個人的な体験談でしたが、
南無阿弥陀仏のおはたらき と 嶋田さんの強い思いで、思いがけず、 第2回、第3回 そして
4回と つながり 阿弥陀仏のみ心を お伝えすることが出来ました。

今回、私は 「勉強会のお知らせ」だけの予定でしたが、
せっかくのご縁ですので、私も 長く深いご縁のあった、
「高森会長、親鸞会講師の皆さん」へ メッセージ を 載せたいと思います。


高森会長様、
親鸞会講師の皆さんへ  
  ーRCよりー


私は、30年間以上、親鸞会を信じ活動して来ましたが、昨年10月に退会しました。

今でも、色々な場面で 色々な事を思い出し
「もう 自分は 親鸞会員でなくなったんだなー。今日は、皆さんは本部ご法話に 参詣されて お勤めしている時間だなー」
「随分お金使ったけれど、自分の最低限の生活を 侵食されずにいたのは、とりあえず 良かった!」
「一人娘を 連れ回して、小さい頃は、土日 友達と遊ばせずに可哀想な事をしたなー。」
などなど、思いは尽きません。

私は 10代の時に 1型糖尿病という病気になりした。
かなり前に巨人軍のガリクソン投手が同じ病気でした。
自分の身体からは、インスリンがほとんど分泌されないので、注射で補わなければなりません。
病気が発症してから 毎日、1日 5回インスリン注射をし、7回以上 指先から採血して血糖値を測定をしています。 それでも なかなか血糖値を正常に保つことは 困難です。
血糖値のコントロールが悪いと、失明したり 腎機能を悪くして人工透析になったりします。
10代の私には この事実はとても重く 前向きな気持ちには全くなれませんでした。
健康で 明るい未来のある友人 が、屈託無く 笑うのことが、羨ましく妬ましく、また、そう感じる自分が惨めで 「人生など 早く終わればいい」と思って生きていました。
だから 親鸞会で「人生の目的がある」って 教えられて 「こんな自分でも人生の目的に向かって生きて、達成出来る」 って思えた時 、無意味で 苦しみでしかないと 感じていた自分の人生に、明るい光が差し込みました。
それからは ひたすら 光に向かって進んで来ました。
「いつか 失明するかも?いつか 透析になるかも ?」って怯えだけで終わったかもしれない私の人生に 「崇高な目的がある」と思って生きることが出来たので、私は 親鸞会の教えが 偽物 と知った今でも 私の人生の灯りとなった 親鸞会との 出会いには 感謝の思いです。

そして、 親鸞会との縁が尽き
本当の 親鸞聖人の教えをお聞きするご縁に恵まれ、
どうしてかは 自分には、何にもわからないのに
十劫の昔からの阿弥陀仏様のお叫びで、南無阿弥陀仏 私に届いて下さいました。

だから、私の本心は、
高森会長にも、親鸞会にも講師の方々にも、
「この身に 助かるご縁となって頂き ありがとうございました」の気持ちです。

ですが、

私と 同じように 親鸞会会の皆さん講師の方々 そして 高森会長に
「阿弥陀仏の救わずにはおかぬ」の
大慈悲を聞いてもらわなければなりません。

阿弥陀仏のみ心 に救われると
「皆さんにも ご本願に救われて頂きたい」という気持ちに、動かされます。
阿弥陀仏が下さった心です。
だから この気持ちを 無くす事は出来ないと思います。


南無阿弥陀仏を頂くのに、
「今の親鸞会は、逆の教え」です。
(これは、嶋田さんが 全て書いて下さっています)

私は、30年以上も 親鸞会で、一生懸命、聴聞し、活動し 財施もしましたが、救われませんでした。

大宇宙で最高に尊い阿弥陀仏が
私を全力で救いたいと願われて、
私も救われたいって ずっと頑張っているのに、
何故救われないのだろう?

私は、親鸞会にご縁があり 「阿弥陀仏のお働きの真ん中にいる」はずなのに。私が救われなくて誰が救われるんだろう?
煩悩具足の衆生を救うのは、阿弥陀仏と言えど やはり相当困難な事なのだろうか?
でも こんなに条件に恵まれているはずなのに、どうして 阿弥陀仏のみ心が 届かないのだろう?
ここ何年かは こんな気持ちでいました。

これを読んで
30年聞いて救われなかったのに
一年間も経たずに、救われたなんて 「変なものを掴んだだけだろう 」
と思われるでしょう。

でも、そう思う事自体、浄土真宗を聞き間違えているからです。

「一念の救い、平生業成 、一秒もかからない弥陀の本願 」です。

30年以上頑張っても救われない方が変なのです。
30年どころか、1年どころか、一念のお救いです。

「正しい教え、六字の心」が 聞けたら、届いたら
30年間求めても救われなかった私が救われました。

阿弥陀様が  待っていたぞ!
よくぞ まかせてくれた と
喜んで下さる み心が お念仏と 共に 知らされるのです。

「教えが間違っていた」から
どんなに頑張っても救わなかった だけでした。
正しい教え、六字の心をお聞きして救われたのです。

「教えの間違いの 罪深さ」と
「正しい教えの尊さ」がわかりました。
やはり 「真実 六字の心」で無ければ、後生の問題はどうにもならないのです。

「六字の心」の凄さ に驚くと同時に、
「偽物」に迷う 哀れを わが身の30年間で 思い知りました。

高森会長、
本当の阿弥陀仏のみ心 聞いて下さい。説いて下さい

親鸞会があっても無くても 問題ない。関係ない。
2000畳なんかも あっても無くてもどっちでもいい。
そんな ものが 助けるのではありません。

寿命無量 光明無量の
「 南無阿弥陀仏 」を頂いて、
後生は 阿弥陀仏様 まかせ、
何にも困らない 不思議な本願の世界に、今 救われて下さい。

講師の皆さん
もう そんな苦しい救われない所で、
救われない教えを聞いて、
救われない教えを伝える という 不毛な活動
終わりにしてください。

自由に 六字を正しく  説かれる先生から 聞いて下さい。

信心決定目指して、
人生をかけた貴方なら、
正しい教えを聞けば、救われないはずがありません。
阿弥陀仏が、放っておけるはずがありません。

正しい教えを聞いて、
後生は 阿弥陀仏のお慈悲にお任せして、
尊い皆さんと 共に
今生も 弥陀の浄土でも
永遠に衆生済度の活動をさせて 頂きましょう。

阿弥陀様が よくぞ聞いてくれたと 最も喜んで下さいます。

19願など に 迷っている暇はありません。

どうか、目を覚ましてください。

南無阿弥陀仏


︎ーーーーーーーーーーーーーー︎

◎では、
親鸞会を退会した「RC」より
「勉強会」のお知らせです。

投稿文を お読みになられ

「正しい親鸞聖人の教えを 聞きたいけれど、具体的にどこで聞くのか・・・?」

「文章ではなく、直接 嶋田さんに質問したい、聞きしたいことがある」

「親鸞会をやめたい気持ちだけど、やめて どうなるのか心配です。」

「親鸞会もウソ!親鸞聖人の教えもウソ!って思っていたけど、親鸞聖人の教えは、本当なのか。
阿弥陀仏に 救われることが本当にあるのか、自分でも助かるのか、聞いてみたい。」

などなど、色々な方が、色々な気持ちになっておられるかと思っています。

第3回の投稿文中でも 書いてありますが、
私達は、親鸞会を退会した後に、嶋田さんと「勉強会」をしています。


︎この勉強会は
私 と、 一緒に親鸞会を退会した友人たちが
「親鸞会の間違い」や 「正しい南無阿弥陀仏の謂れ」など キチンと理解したいと思って 企画した個人的な勉強会です。
宗教団体とは、関係ありません。

「○○会の勧誘」とか 「○○先生のお話しだけを聞きましょう」という趣旨は全くありません。

私自身 親鸞会を退会後、
嶋田さんから教えて頂いたり、
「あさ川さん 」 や、他のネットの お同行の方から 関東地方の 和尚さんなどの情報を頂いて、
比較的近くの あちこちのご法話や勉強会の情報を知る事が出来、
実際に 初めての先生何人か、からお話しをお聞きして 尊いご縁を結ばせていただきました。

親鸞会の外で 多くの方が、阿弥陀仏のご本願教えてくださっていたのに、 親鸞会という硬い殻の中で、耳を塞いでいた時間を 本当にもったいなく感じています。

ですので、勉強会 には 安心して参加して下さい。

今までの参加者は
私達3人に加え、
私達の退会後に(私達の後を追って?)退会した同じ支部の方や 、
(少し事情が あり今も)親鸞会に在籍している方、
何年も前に退会された方々
ブログの内容の事で親鸞会を除名処分になった方(!)
などなどです。

次回で 3回目になります。
聞きたい事は、何でも 聞けます。
もちろん
「南無阿弥陀仏の謂れ 」聞かせて頂きます。

日にちは、
4月 11日 (土)午後1時から午後5時
午後6時から午後9時
12日(日) 朝9時から12時
午後1時から午後3時

(個人的な勉強会ですので 全日程 の参加でも 短時間の参加でも大丈夫です。)

場所は、 埼玉県内の公共施設です。

参加ご希望で、詳しい場所を確認されたい方は、

私「RC」のメールアドレス

rokujinotsudoiアットマークyahoo.co.jp
(アットマークは、 @に変えて下さい。)

または、嶋田さんにご連絡ください。


嶋田  久義

〒 918ー8134
福井市  下莇田町  27-1-32
TEL 090ー2375-8256
メール  simahisa62アットマークyahoo.co.jp
(「アットマーク」は半角@に替えて下さい)

#土曜、日曜以外は 家で出来る仕事をしていますので
朝 8時30分より 夜10時までは 大丈夫です。


♪ーーーーーーーーーーーーーー♪
当日は私達が最寄り駅からの送迎など 参加される皆さんの お世話をさせて頂きます。

参加希望の ご連絡 お待ちしております。

☆また、
︎自分は、○○県の△△寺の和尚さんから 阿弥陀仏のご本願 聴聞している
︎歎異抄の勉強会 に参加している。
︎この方のご著書 弥陀の本願 説き切っている!

などの 情報をお持ちの方、教えて下さい。
私も 不思議なご縁のみなさまに、
今後も 色々 お伝えできたらと思っております。

南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏

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