あさ川進の、宗教と私

浄土真宗親鸞会に所属しながらアウトサイダーだった私(現在は会員でなくなりました)が、宗教(浄土真宗親鸞会)との付き合い方を考えつつ書いている更新頻度が低いブログ(この説明も暫定です)リンクフリーです。なお、投稿文を受け付けております。「【投稿文】」と書かれている記事は、頂いた投稿文です。

2015年07月

あさ川です。

先日(7/19)にあった、嶋田さんの勉強会の報告をRCさんから頂きましたので掲載します。この勉強会も定例になってきた感があります。RCさんが書かれてますように、勉強会のテーマも親鸞会あれこれからは離れて南無阿弥陀仏のお話になりました。

中部では、先日投稿文を頂いた通り、とくよしみねさんが8/30に企画されています。こちらも南無阿弥陀仏について、ということだそうです。



=======(以下、RCさんからの投稿文です)======

RCです。

以前に、お知らせさせて頂いた勉強会を、先日無事に開催出来ましたので、ご報告させていただきます。


7月19日 埼玉県の真ん中辺の公共施設に 集まり
テーマの
「 南無阿弥陀仏の心 」
( なぜ 救われないのか )

について 午前、午後 じっくり お話しをお聞きしました。

参加人数は、全員で 11名でした。
初めて参加された方は、お二人でした。
参加される方も 少しずつ 広がり 、また、勉強会の内容も 親鸞会組織の問題点や 親鸞会教義の間違え という
ところから 離れ、
「南無阿弥陀仏の心」という 真宗の教えの 最重要ポイントとなりました。
この勉強会も、阿弥陀仏のお育てを受け スクスク成長しています。

参加した皆さんも、ここ一つ聞きたいと臨みました。

私の文章力不足のため、上手くお伝え出来るかわかりませんが、
せっかくなので 、勉強会の内容 少しお伝えいたします。
(まとめるのは、難しいので 印象に残ったところを 抜粋させて頂きます)



️お話しの前に
嶋田さんが、南無阿弥陀仏のみ心をお伝えすることは、阿弥陀仏の心を「お取り次ぎ」するだけ と言われました。

「お取り次ぎ」につきましては、あさ川さんも、ブログで お味わいを述べておられましたが、
私も、「お取り次ぎ」という言葉が、心に残りました。

どなたが最初に 言われた言葉か 知りませんが 阿弥陀仏のご本願を大切に思う気持ち、阿弥陀仏のみ心のままを お伝えするだけという気持ちのこもった尊いお言葉と感じました。
(親鸞会では、聞いた事が、なかったです)


️仏教は 抜苦与楽 転迷開悟 の教えです。

苦とは 今死ぬとなると 恐ろしい不安一杯の暗い心になり、その行き先が 三界であり 地獄であり 後生の一大事です。
また 迷って行きます。

それを 
まかせておくれ 
絶対に堕としはせぬぞ
心配するな 
浄土に往生させて成仏させてみせる
もう迷わせぬ
が阿弥陀仏の願いであり 
与楽 開悟 なのです。

私のようなものが成仏させて頂くから 後生の一大事です。

このように 仏教を聞く目的をまず最初に 聞かせてもらいました。

「親鸞聖人が一切経の中から 大無量寿経を 選び、大無量寿経の中の48願から18願を選んで下さり、お伝え下さり、教えて下さったなれなこそ、 こんな私が本当に救われる教えを知る事が 出来た、聞く事が出来た事 を まず 喜ばねばならない。

人間努力すれば何でも出来ると思うかもしれないが、後生の一大事の解決は、努力だけではどうにもならない。ご縁がなければ、救われない。」
とお聞きして 阿弥陀仏のみ心をお聞き出来るご縁に恵まれました事 本当に有難く 思いました。

特に 目覚ましい努力もせずに、平凡な生活をしている私が、どうして こんな尊い教えに出会えたのか 申し訳ないばかりです。

そして 嶋田さんが作られた 4枚のプリントに沿って
阿弥陀仏のみ心 、
南無阿弥陀仏のいわれ を
お取り次ぎして 頂きました。

また、親鸞聖人のご和讃 4首 から、
私達凡夫の心の姿、阿弥陀仏のご本願を 明らかにして頂きました。


️私達が、阿弥陀仏のご本願を 聴聞させていただきながら 救われないのは「本願を疑う心」「疑心」があるからです。

「本願を聞いても、本願におまかせ出来ない」のは、とても苦しい状態ですが 、そこは誰もが通るところ。

それも、阿弥陀仏さまは、知っておられ、ほってはおかないのです。

どうしたら?どうしたら?どうしたら?と、私達は自力を押し通そうとします。

阿弥陀さまから 見れば 「自力は、無効だから 捨ててくれ」と叫んでおられるのですが。

ちょうど、「ドア」といっしょで
私が自力いっぱいで押しているドアを、阿弥陀さまは 向こうから押しておられるんです。
そして「お前に (六道出離という重い扉は)開けられるよつな扉では、ないよ、私に まかせてくれよ」と言われ、私が、手を離せば 扉は開いて 助かるように仕上げて下さっているのです。

ですが、
自分の疑心にばかり目を向け、どうしたら信じられる?どうしたらおまかせできる?と、自分の心をどうにかして救われようと 自分の心をこねくり回し 何年も格闘して しまう人がいます。
「自分の疑心」に目を向けるのでは なく、「阿弥陀仏のみ心、阿弥陀仏のご本願」に目を向け ご本願を聞くのです。

しかし「疑心、自力の心」は、十功の間、阿弥陀仏のご本願を聞かせなかった心であり、阿弥陀仏と互角に相撲を取って まけなかった心ですから しぶとい です。

でも、絶対 諦めない 阿弥陀仏がおられます。
「絶対 に、南無阿弥陀仏を聞いてくれる」と、私達を信じ切っておられる阿弥陀仏の思いは、微動だにしないのです。


︎「 二種深信」について、
救われた人は、この2つの事が心にあるのだと教えて頂きました。

機の深信に、つきましては、

私が 自分で、自分の罪悪深重、地獄行きを感じるのではなく、阿弥陀仏から見た私の姿として受け取るのだと教えて頂きました。

親鸞会にいた時は、「真剣に善をする事で 地獄行きの自分の姿を知らされる」と教えられ 毎月富山に参詣し、財施やチラシ配りを やりました。
しかし よくよく考えれば、煩悩具足の凡夫の不実な心で、どうして私の真実の姿を知る事など出来るでしょう?

最初から出来るはずのない事を 30年以上もやっていたのだと知らされます。

しかし
今、「仏になれる善をする心など 全く持ち合わせていない我が身」を知らされ、「そんな私を 仏にする」などという とんでもないご本願に 助けて頂いて、
今までの私の人生の 何もかもが、
阿弥陀仏のお手回しと 感謝いっばいで受け取められます。

阿弥陀仏のご本願の 相手でない人はいないので、
有縁の方に、阿弥陀仏のみ心を知ってもらうお手伝いを、少しでもさせて頂けたら嬉しいです。

なので
また、勉強会 開きます。
また、お知らせいたします。


南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏

日をまたいでしまったので日曜日が「おととい」になってしまいました。一昨日はRCさん主催の嶋田さんを囲んでの勉強会、昨日はまた別の信心沙汰の集まりに行ってきました。そのときに、お花を頂きました。ありがとうございました。ご縁のあった皆さん、ありがとうございました。


嶋田さんの勉強会はまた後日に別途あるかと思いますが、私の味わいを少し。

最初に「おとりつぎ」の話がありました。ちょうど先日、似た内容のコメントを頂いていたこともありまして、感慨深く味わわれました。「教える」でなく「お伝えする」、そして共に南無阿弥陀仏をいただく、ということでした。



話は変わりますが、前回の記事を載せた後、妻が記事を見て「そんな非常識だと思っている団体なのに、なぜ離れなかったのかが不思議で仕方ない」と言いました。言われてみれば確かに、その当時「やめる」という選択肢は頭に無かったと記憶しています。ただ、そのことがあって今があるのだと、改めて味わわれたのでした。



さて、くだらない思い出話をしばらく披露しておりましたが、今日はふと思ったことを書きます。「またくだらない話を」と思われるだろうと予想しまして、その通りですとあらかじめお断りしておきます。


愚愚流さんから頂いたコメントのお返事をしているときに、ふと思い出したことがありました。


自分中心、弥陀中心というところで、、、、。

善の実践(雑毒の善)をするならば、知らされるのは、「雑毒の善はできる」ということでしょう。臨終までやれば、人間は雑毒の善なら死ぬまでやり抜ける、とわかるのでしょう。だからと言って真実の善には何の関係もないので真実の善の実践をしなければ、真実の善ができるか否かはわからないのではないでしょうか。



この内容と直接関係無いのですが、「自分は善ができない者だと知らされるには、どうすれば良いのか」と考えていた学生時代を思い出しました。


私は学生時代に、10万円出して「福徳会員」になったことがありました。だいぶ前に(福徳会員)バッジの話をしたような記憶がありますが、そのときのことです。

「前に行けば行くほど、お金を使えば使うほど、真剣に聞こうという心になる」と、どこかの講師部員やら先輩やらが言っていたこともあり、また、最後のご奉公だという気持ちで一ヶ月だけ福徳会員になりました。

で、確かに一番前の島で、壇上の顔もよく見える位置で聞けたのですが、結局雑念やら眠気やらとの格闘で、「自分は金を積んでも真剣に聞けない」ということが分かりました。


こういうことを思い出しながら、「善が出来ない自分と知らされる」とはどういうことかと考えたのでした。


さっきの私の話で言えば、分かったことは「10万円使っても真剣にはなれませんでした」ということです。

ここで、「だったら、100万円使えば真剣になれるのではないか」と考えたら、おそらく無限ループに嵌まります。100万円の次は、200万円か1000万円か分かりませんが、上へ上へと目が向く限りは際限が無くなるからです。実際には先に財力の壁にぶち当たる気がしますが。

だからといって、「(10万円で駄目だったので、)自分はいくらお金を積んでも真剣にはなれません」と結論づけたとして、果たしてその通りなのか、違うならばいくらだったらそう言えるのか、という問題があります。


そんなことを考えながら、よく分からないお返事をしました。


善の実践の話としましては、そうですね。人間のやる善が雑毒の善だと言われている中でやる善は、当然に「雑毒の善」になろうかと思います。そこで「真実の善ができない自分が知らされ」ることは、真実の善の定義をした上での実践できるかどうかという話になると思いますが、「人間のやる善は皆、雑毒の善といわれるのだ」とかいう話を聞いた記憶があります。こうなると、知識レベルにおいて「真実の善は出来ない」と認識した上でなおかつそれ以上の確認を要すると考えるのはナンセンスだという考えもあるのではないかと思いますね。



私の記憶なのであまりアテにはできませんが、かつて親鸞会の中で「人間のやる善は皆、雑毒の善といわれるもので、真実の善は一つもない」という趣旨の話があったような気がします。

仮に無かったとしても、親鸞聖人のこのお言葉は教学聖典に「人間は、真実の善のできないもの」として紹介されています。ご存じの方もあるかと思います。


一切凡小一切時の中に、貪愛の心常に能く善心を汚し、瞋憎の心常に能く法財を焼く。急作・急修して頭燃を灸うが如くすれども、衆て「雑毒・雑修の善」と名け、また「虚仮・諂偽の行」と名く。「真実の業」と名けざるなり。この虚仮・雑毒の善を以て、無量光明土に生ぜんと欲す、これ必ず不可なり。(教行信証信巻)


ということは、「教学」をやっていれば「人間は、真実の善のできないもの」という知識が存在しているはずです。


"知った分かったは観念の遊戯だ、実地に体験しなければ本当に出来るか出来ないか分からないではないか”と言われる方があるか知れません。

観念の遊戯と言われるのは勝手ですが、その方は、「出来ないことはほとんど明らか」と思えることであっても全部「実地に体験しなければ」と言って果たしてやるのでしょうか。


たとえば、時速100kmで走るダンプカーを、道具も使わずに片手で止められるか。

私はやったことも計算したこともありませんが、潰されるか跳ね飛ばされるかして「出来ないであろう」と想像します。だからこんなことは端からやる気はありません。出来る人もあるか知れませんが、私は「出来無いであろうと想像するからやらない」です。


“そんな極端で無意味な例は戯論だ” と言うなら言うでも構いませんが、「極端で無意味」と「妥当性があり意味がある」の線引きはどこでするのでしょうか。


お釈迦さまの、ハトとワシの話(両方を生かすために自らを犠牲にされた話)のように、自分を抛つことができるのであれば素晴らしい善だと思います。果たしてどれだけの方がそれを出来るでしょうか。あるいはそもそもやろうとされるでしょうか。


お返事をしながら、ふとそのようなことを考えていたのでした。


一切の群生海、無始よりこのかた乃至今日今時に至るまで、穢悪汚染にして、清浄の心なし。虚仮諂偽にして真実の心なし。ここをもって如来、一切苦悩の衆生海を悲憫して、不可思議兆載永劫において、菩薩の行を行じたまいし時、三業の所修、一念・一刹那も清浄ならざることなし、真心ならざることなし。如来、清浄の真心をもって、円融無碍・不可思議・不可称・不可説の至徳を成就したまえり。如来の至心をもって、諸有の一切煩悩・悪業・邪智の群生海に回施したまえり。すなわちこれ利他の真心を彰す。かるがゆえに、疑蓋雑わることなし。この至心はすなわちこれ至徳の尊号をその体とせるなり。
(教行信証信巻)



そもそも、「私」が浄土往生できるような種まきが出来ないので「如来」がすべて用意されて「私」に与えて下さるのだ、と言われています。至徳の尊号、南無阿弥陀仏は全部弥陀の一人働き、私が頑張って善をすることも、善が間にあわないと泣くことも求められてはいません。



「阿弥陀には へだつる心は なけれども 蓋ある水に 月は宿らじ」


と聞いたことがありますけれども、南無阿弥陀仏の月を宿らせないのは弥陀の問題では無く自分の問題だといわれます。善が出来ない自分と知らされるまで善をしよう、という心もまた、水に蓋する心ではなかろうかと味わうのでありました。

10日ほど間が空きました。最近は、ここしばらくの間では親鸞会関係のブログの更新が(アンチ側だけですが)結構活発であるような気がしています。


さて、一応自分のリマインドですが、7月19日の日曜に、RCさん主催の勉強会の予定です。結構先だと思っていたら、もう一週間を切りました。あさ川に会いたいという奇特な方はそんなにいらっしゃらないかと思いますが、嶋田さんやRCさんとお話がしたいといわれる方は、RCさんにご連絡いただければと思います。



先日は、思い出話を書きました。今回もしょうもない話ですが、思い出話をしたいと思います。


先回に、私は「布教」からは逃げ続けた、という話をしたと思います。学生時代に会員だった方で、それなりに熱心に活動されていた方の場合、おそらく殆どの方が何らかの「布教」をされていたかと思います。これを「声かけ」とか「AT」とか言っていたと思います。


私の時代などはまだ、新入生が入ってくる時期に「新勧」と称して派手に勧誘をしていました。そんなわけで、自分の大学で「新勧」があったら、ふつうはほぼ間違いなく勧誘活動をしていたはずです。ところが私の場合、自分の大学で勧誘はあって私も居合わせたのですが、私はその時でさえも声かけを一切しなかったのでした。


なぜかと言えば、ずっと話し込みスペースのお守りをしていたからでした。


大学二年の時、私の大学では初めて本格的な勧誘をするという話になりました。私の時代の場合、1人ないしは2人程度で声かけに行き、新入生を捕まえてきて話し込みスペースで話し込みを行って、入部を促すという手順でした。おそらく、通常の流れであれば、私は声かけをしに行くはずでした。



本来なら、公認サークルの勧誘は入学式後なのですが、親鸞会はお構いなしに事前の勧誘を行っていました。それは、入学手続きの日でした。手続きの日に、講義棟の一角にあるベンチのスペースを占領して話し込みスペースにしていました。ちなみに私は先輩に対して、「こんなところを占領したら駄目じゃないですか」と文句を言った記憶がありますが、「真実を伝える為なのだ」といって聞き入れてもらえませんでした。


入学手続きの日には、入学金の手形を持ってくる必要もあるため、半分くらいの新入生は親同伴でした。そんなわけで、話し込みスペースに連れてきた親御さんの話し相手が必要になったのです。さすがに親御さんと一緒では話しづらいということもあってか、私を含めて何人かが親御さん相手に話をすることになったのでした。


ほかの先輩はどうしていたか知りませんが、私は親御さんに対して世間話しかしませんでした。明らかに不審そうな顔をされる親御さんもありましたが、私は無理も無いなと思いながら大学の話などをしていました。



次の年は、前年に派手な勧誘をしてしまった報いを受けまして、講義棟には鍵を掛けられてしまいました。ここでの率直な感想は、「そら見たことか」でした。急遽作戦変更し、近隣のマクドナルドなどの店を占拠して話し込みをすることになりました。そして私は、マクドナルドの席取りをする担当として、見事声かけを回避したのでした。私もさすがに、只で一日場所を占拠するのは申し訳ないということで、二時間おきくらいにハンバーガーを食べていた記憶があります。

それでも、やはり許可無く場所を占拠して怪しいことをしていたため、店から文句を言われたようでした。
そこで、その次の年からは、「来るたびに一品注文してもらえれば席を使っても良い」という喫茶店を勧誘場所に使うようになりました。

すっかり最高学年になっていた私は、勧誘の間ずっと店内にいてお守りをする係になっていました。おもりとは、話し込みの際に使用するバインダーを渡して飲み物を注文することと、新入生が入部を「決意」したら顔合わせをする(クロージング)ことをしていました。

勧誘の間、私は一時間ごとにコーヒーやらジュースやら、パンやらを飲み食いし続けていました。そんなことが何年か続き、私は大学院二年の春までずっと、自分の大学で声かけをしないという状態を貫徹したのでした。


「こいつは声かけをしに行かないほうが良い」と思われていたのかもしれませんが、私の立ち位置は地区の中でもなんとなく縁の下の何とかのように思われていたこともあったと思います。何はともあれ私は、声かけに行くより喫茶店の中に居続けた方が良かったので、お互いに「ちょうど良かった」のかも知れません。


もっとも私は、自分の大学で声かけをしなかっただけで、他の大学ではいろいろ声かけをしました。しかも、結構「楽しんで」やっていたように思います。




こうして勧誘のことを思い出して考えるのは、大学内における親鸞会の勧誘は、年々マシになってきたとはいえ私から見たら常識が無いように思えたことでした。

先日、セブンイレブンに(トイレを借りるために)行きました。一応、トイレを借りたということで何かを買って出ようかと思っていたところ、なぜか学研のヒトラーの本(『ヒトラーと第三帝国』)が置いてありました。


世界史に疎い私ですので、知っていたことより知らなかったことの方が多かったのですが、ナチス親衛隊のマークは「稲妻2本」というフレーズから、稲妻が書かれた黒っぽい色の本を思い出しました。そういえば「イナズマ作戦」とかいうことをやっていた親鸞会という宗教団体がありましたが、ヒトラーの本を読んで親鸞会を思い出すあたり、私の親鸞会に対するイメージはお察し頂けるかと思います。


さて、ブログを辿っていたら「顕正戦」が話題になっていましたので、私は「学道戦」を思い出すことにします。


私の学生時代も例に漏れず、親鸞会(の学友部)では様々な活動をしていました。とはいいながら、私の頭の中では大きく、「お布施」「教学」「顕正(布教)」の3つにカテゴライズされていました。

お布施の募財はしょっちゅうありましたので、確か当時は「○○ご報謝」と呼んでいたと思いますが、そんなものはいくつもありました。「顕正戦」は布教活動、そして「学道戦」は教学の活動でした。


実のところ私は、「顕正」ということが大嫌いで、いかにやらずに済むかをずっと考えていました。よくよく思い出してみると、私は学生時代に自分の大学内でAT(布教のための声かけ)をしたことが全くありませんでした。驚くことに(私だけですか)、新勧も含めて、です。必要とあらば他の大学ではせっせと声かけに勤しんでいましたが、自分の大学では決してやろうとしませんでしたし、結局やりませんでした。(すでに目の前にいる後輩への話はやってましたが)


そうすると、「活動をしていない」と思われないために何をしていたかといえば、お金を出していました。
大学三年の頃までは、教学も嫌いだったからです。

勉強も好きではなかったのですが、何より親鸞会の「教学」はテキストの丸暗記、しかもお聖教のご文だけでなく、そうでないところも「答」はすべて丸暗記、というのが嫌で嫌で仕方ありませんでした。なんといいますか、頭を使ってないような、ただただ服従しているような、そんな感覚があったからでした。


そんな私の転機は、確か大学三年の頃でした。


そのときに「学道戦」という名前を使っていたかは記憶が曖昧ですが、何にせよ「教学」の頑張りを各大学で競争することになったのでした。


私の大学は、普段活動している人間が5,6人程度のこぢんまりした所帯でした。それが、色んな事情から分不相応に大きな部室を親鸞会から提供されていたこともあり、ことあるごとにK玉先生の口撃がありました。どれくらいの広さだったかといいますと、多い時には130人くらいを押し込めてビデオご法話をやった実績がありました。

部長は後輩がやっていたとはいえ、一応事実上の最高学年だった私が考えていたことは、「いかにして文句を言われないようにするか」でした。そのためには、何らかの形で実績を残す必要があるのですが、「顕正」は絶対にやりたくなかった私は、「学道戦(教学)で実績を残すしか無い」と思い定めたのでした。


ちょうど同輩もやる気になっていたため、後輩も巻き込んでそれなりの実績を収めました。次の年には、後輩の頑張りが大きかったこともあり、どういう計算かよく分かりませんが全国一の実績を残すことができました。その頃、私の大学は関東で、「教学の○○」と呼ばれたものでした。


ちなみに、この学道戦は、教学聖典1~9の中で模試を受けて合格すると点数になる、という仕組みでした。私は手っ取り早く点数を稼ぐため、聖典1の50問模試ばかりやってました(当然、他のもやってましたが)。その甲斐あって(?)制限時間は2時間なのですが、慣れてしまった1号はだいたい40分くらいで終えられるようになっていました。ただ、書くことに集中するあまり殆ど頭を使わなくなっていたのは、本末転倒な気はしましたが。


そんなこんなで、教学に対する私の抵抗感は薄れていきました。そのおかげか色んなお聖教の言葉を覚えられたことは、今にして思えば財産だったなあと思うのでした。



周りの協力もあって、自分の大学は教学で実績を作ったのですが、やはり「顕正」の圧力は強く、結局私もやることになりました。意地でも自分の大学内で声かけをしないために、せっせと近隣の大学へと自転車を走らせたのはいい思い出でした。

最近は、以前にも増して時の過ぎるのが早いと感じる今日この頃です。前回の更新から、また一週間ほど経ってしまって七月になりました。


先週、広島へ日帰りで行ったという話は書いたのですが、日帰りになってしまった理由は、次の日に埼玉の寺に行くためでした。広島の合同布教大会で感話をされた「ひろし」さんも、その日は同じ埼玉の寺に来られてました。
そんな話を書こうと思っていたら、つい先ほどの更新で、ひろしさん自身も触れられていましたね。


そのとき、ひろしさんとお話しした内容のいくつかは、すでにひろしさんのブログに書かれていましたが、法名の話題については、大谷派では自分で法名の候補を挙げることができて、ひろしさんは3つほど候補を出されたという話など伺いました。



最近メッセージ(非公開)を頂いた中に、「親鸞会をやめても、皆仏教を聞き続けるものなのか」というような質問を頂いていました。


非公開ですので、あまり詳しいことは書けませんけれども、どうもその方のご友人が、親鸞会を辞めた後に熱心にほかのところで聞かれている姿をご覧になっての質問のようでした。


このブログをご覧の方の中には、親鸞会の会員の経験がおありの方も多いかと思いますが、そのような皆さんの周りではいかがでしょうか。


私は、今までの経験から「やめたら仏法に関心が無くなるあるいは嫌気がさす方のほうが多い」とお返事しました。


教義自体に疑問があっておやめになった方の場合、多くはそのまま仏法とのご縁が別の形で続くのだろうと思いますが、別の原因が大きい場合(なんとなく遠ざかっていったりしたなど)、聞法相続されない方が多いように見受けられたからでした。


ただ、ふと「この答えで本当に良かったかな」とも思っています。


確かに、親鸞会を辞めた方すべてが、熱心に聞法相続している、というわけではないと思います。が、それぞれのご縁で、また聞法される方もあるでしょう。

また、今まで仏法に関心が無かった方がふとご縁にあわれるということもあるでしょう。

そういう意味では、表層的な答え方は冷たく思われたかもしれません。



さて、万全な体調ではないはずのひろしさんは、午前中に埼玉のお寺で聴聞の後、「せっかくだから」ということで、浅草や築地の本願寺などを廻りたいと言われてました。私が同じ立場だったら、ここまで熱心に聞法相続するだろうかと思ったりもしますが、私が思いますにひろしさんは、南無阿弥陀仏の喜びから聞法の旅をされているのだろうと思います。


今回も、何を言いたいのかよく分からなくなりましたが、これくらいにします。

称名

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