あさ川進の、宗教と私

浄土真宗親鸞会に所属しながらアウトサイダーだった私(現在は会員でなくなりました)が、宗教(浄土真宗親鸞会)との付き合い方を考えつつ書いている更新頻度が低いブログ(この説明も暫定です)リンクフリーです。なお、投稿文を受け付けております。「【投稿文】」と書かれている記事は、頂いた投稿文です。

2015年08月

まず個人的なご連絡ですが、お盆明けのお手紙は先々週に頂きました。ありがとうございました。いまだお返事は出来ていませんが、いずれする予定でおります。


さて、昨日はとくよしみねさん主催の勉強会が愛知県でありました。朝一からという根性がありませんでしたので午後からではありましたが、私もご縁を頂きました。ご縁のあった皆様、ありがとうございました。

埼玉では4回ほど嶋田さんの勉強会がありましたが、今回はそれを圧縮したような内容で「南無阿弥陀仏」のお話でした。参加者は20名以上いらしたように思います。最初と最後のお念仏も恒例ですが、みなさんの口から出る南無阿弥陀仏が聞こえるそのまま、まかせてくれよの弥陀の喚び声と味わわれたのでした。



前々回に、親鸞会に在籍経験の無い方向けの記事を書きました。それは、そういった方から頂いたメッセージがきっかけで、「このブログは、そういう方もお読みになるのだなあ」と思って書いたのでした。しかし、よくよく考えたらごく身近に「親鸞会に在籍経験の無い」読者がいたことを思い出しました。

その妻が、「あさ川は親鸞会に居たから分かるだろうけど、会員でないと分からないことが多い」と至極もっともなことを言ってくれました。


きっかけは、家を片付けていたら、親鸞会のカレンダーが出てきたことでした。在籍経験がおありの方の多くは、年末になると2000円で購入が勧められるとか、昔は法話の日程が載っていたとか、「一切の迷信を排した唯一のカレンダー」とかいう世間知らずな文が載っていたりとかすることはご存じかと思います。そのノリで妻と話をしたら、上記のことを言われたわけです。


そんなわけで、投稿文や私の味わいも続けるかと思いますが、今後は親鸞会に在籍経験の無い方向けの記事も書いていこうと思いました。



短いですが、今日は以上といたします。

あさ川です。前回の記事が思った以上に反響があったようでしたが、コメントに対する返事が一部できてませんで失礼しました。後でお返事したいと思います。


さて、RCさんから勉強会の案内を頂いたので掲載します。
そういえば、とくよしみねさんの愛知県での勉強会は今月の30日ですので、ひとまずこの場でご案内です。


ちなみに、投稿文を出したいと言われる方がありましたら、ご連絡頂ければありがたく掲載を検討したく思います。


========(以下、投稿文です)========
RCです。

私は、昨年の7月までは 、富山の親鸞会の本部会館に 高森会長の話しを聞きに行っていました。
ですが、アレコレ疑問を持つようになって 「8月の会員追悼法要は、参詣しなかったなー」などと 感慨にふけっています。
「参詣出来るのに、参詣しなかった」のは、昨年8月が、初めてでした。
そして 10月には 退会し、11月に、「親鸞会の間違いと、正しい親鸞聖人のみ教えを知りたい」との思いから、いっしょに退会した友人達と、第1回の勉強会を開きました。

親鸞会を退会して すぐに、「正しい親鸞聖人のみ教え」とのご縁に 恵まれました事 本当に 幸せであったと
改めて感じています。


今回の勉強会も、 前回 同様に、個人的に企画した勉強会ですので、 宗教団体などとは 一切関係ありません。
○○会の勧誘とか、
○○先生のお話しを聞きましょう、などというお勧めの会では ありません。

阿弥陀仏のみ心、親鸞聖人のみ教えを 正しく知り 弥陀の本願に救われたい という事だけが目的の勉強会です。


今回で、5回目の勉強会になります。


ー第5回勉強会のお知らせー

テーマ:
「 南無阿弥陀仏の喚び声  」
- ーー 凡夫を仏にさせる ---

時 : 9 月 20日
午前 9 時から 12 時
午後 1 時から午後 5 時

(個人的な勉強会ですので 全日程 の参加でも 短時間の参加でも大丈夫です。)

場所 : 埼玉県の公共施設
(前回と同じ所です)


参加ご希望の方は、
私 RC に メールでお知らせ下さい。
詳しい場所など ご連絡いたします。

私の メールアドレスは、

rokujinotsudoi アットマークyahoo.co.jp
(アットマークは、 @ に変えて下さい。)
です。

皆様の ご参加 心より お待ちしております。

久しぶりにPCを起動しましたら、月曜にメッセージを頂いておりました。頂いた方、反応が遅く失礼しております。
取り急ぎであればメールをと思うのですが、メールアドレスの代わりに住所を頂きましたのでお手紙のやりとりになりそうです。そうしますと、さらに日数を費やすことになりそうですので、失礼かと思いながら取り急ぎこの場を使いまして仮のお返事としたく思います。お手紙での返事は、今少し時間を頂ければと思います。


今日は今までの記事とは少し性質が違うような気がしますが、タイトルのことについて、あさ川なりの考えを述べてみます。今回は、親鸞会の会員歴が無い方が読まれることを想定します。
会員歴がおありの方で、補足がありましたら、コメント頂ければありがたいことだと思います。



1.親鸞会の入会について

最近はどうか分かりませんが、私がいた当時、入会のためには5万円(学生は2万円)を納める必要がありました。ご本人の気持ちは様々かと思いますが、一応は数万円を払うという覚悟をお決めになった、ということなので相応の熱心さはおありだろうと思います。

ご本人が自ら進んで入会の事実を言われた場合、(一部の例外を除いて)ご本人には大なり小なり「親鸞会で教えていることは正しい。ぜひ皆にも聞いてほしい」「全人類が聞くべき教えだ」といった思いがおありだと思います。

ご本人は特に何も言われず、他のルートから入会の事実を知らされた場合は、大きく二つの場合が考えられると思います。ひとつは、「先輩会員」から口止めされている場合、もう一つは親鸞会への入会に何らかの後ろめたさがある場合です。ちなみに私は、「宗教団体に入ったなんて恥ずかしくて言えない」と思っていたので後者に該当します。

ただ、いずれにしても、程度の差はあれ「親鸞会で教えていることは納得できる、正しい」という前提があればこその入会だとお考えいただければと思います



2.心配なことと、そこまで心配しなくて良いこと

ここ数年、ネット上での親鸞会情報が増え(多くの場合は退会者情報かと思いますが)、充実してきました。
親鸞会の会員経験がおありでない場合、そのような情報が大切な情報源だろうと思います。そうやってご覧になった感想はおそらく、「こんな宗教団体に所属しているなんて危険きわまりない」といった内容だろうと思います。私が思いますに、今現在ネット上で公になっている情報が一通りご覧になった上で、「親鸞会は素晴らしい団体である」と思われる方は皆無だろうと思います。

一応私は、「会員だけど会員じゃない」と言われながら一年半ほど前まで十年あまり在籍していました。その経験から言いますと、中にいる限りにおいては、外で言われているほど極悪な団体という印象はなく、むしろ人によっては居心地が良いとさえ思えるということです。

居心地が良いから良い団体であるとは言えませんけれども、外から見える部分と中から見える部分とでは、随分差があるということは言えると思います。


外から見たら、心配で心配で仕方ない親鸞会であろうと思いますが、あえて一つ「とりあえずこの点だけは心配されなくて良いですよ」という点を挙げるとすれば、「ただちに社会性を失うことは無い」という点です。

昭和時代の親鸞会は、「すべてを犠牲にしても仏法(親鸞会)」でしたので、たとえば学生も中退留年は当たり前だったと言われています。しかし最近は、そこまでひどくはありません。ご本人の性質如何にはよりますが、会員さんに対して親鸞会が「社会からの隔絶」を強制することはありません。従いまして、会員になったからといっても、いわゆる「一般的な生活」は続けて送ることができます。会社にはいつも通り出社してきちんと仕事をして帰る、飲み会に誘われたら飲みに行く、といったことは一応変わりなく続けることが出来ます。


ただ、「ただちに」とか「ご本人の性質如何」という但し書きをしましたとおり、人によっては「親鸞会の職員を目指すため」「時間に囚われず聴聞するため」などの理由で、仕事や学校をやめるなどするようになることもあります。そこは「大いに心配な点」の一つです。


ほかに大きく心配な点として思いつく点は、色んなところでも言われていますが「お金がかかる」という点です。

月の会費は、入会したての場合はおそらく3000円(学生は2000円)でしょうが、それ以外に行事では毎回「お布施」を出します。富山県の親鸞会館での行事は基本的に一回5000円(学生は3000円。名目上は「いくらでも良い」)だったと思いますが、年に数回の大きな行事では一回で数万円使うこともあります。親鸞会はとにかくお金が掛かるのは間違いないと思います。

やや古い情報ですが、親鸞会とお金については以下の情報があります。10年ほど前の記事ですが、私が離れる1年半ほど前でも通用する内容だと思います。(ただ、最近の学生でそこまで出す人は多くないと思いますが)

http://nazeyame.shinrankai.biz/mondai/naze1.html

余談ですが、ここに出てくるAさんは私のことです。
今でも、名目を替えて様々な「お布施」を募っているようです。


ほかに大きな心配事としては、会員ご本人の熱心さが高じて反対されているご家族との間に溝が出来てしまう点でしょうか。そうなる前に「やめさせたい」と思われるのは自然のことと思います。



3.なんとか親鸞会をやめさせたいのですが

まず最初にお断りしなければなりませんが、私はこの問いに対して明快な解答を持っているわけではありません。このブログのことをよくご存じの方は私の性格もご存じかと思いますが、そもそも私は誰かを「入会させた」ことも「退会させた」こともありません。ですので、あくまでこの件についても「あさ川なりの考え」とご理解下さい。


先ほど書きましたように、親鸞会に入会した時点で多くの場合「親鸞会で教えていることは正しい」という思いがあると思います。これが高じて「親鸞会は正しい」となる方もありました。また、親鸞会の会員さん自体は概ね真面目で人当たりも良いため、中にいると「おかしな団体」という認識はほとんど持ちません。

ここに、親鸞会の外と中とで埋めがたいギャップができます。ついでに言いますと、親鸞会も批判されること自体はすでに慣れているので、ご本人に対してもさりげなく対策がなされ、予防線が張られているはずなのです。

いわゆる「マインドコントロール」と言って良いでしょう。最近ではとくよしみねさんが書かれてました。古い記事にも詳しく書かれているものがあります。

http://tokuyoshimine.hatenablog.com/entry/2015/08/05/232315

http://nazeyame.shinrankai.biz/mindcontrol/index.html


ですので、心配のあまり「親鸞会をやめろ」と言っても、ご本人は聞く耳を持てないのです。下手したらけんかになってしまいます。批判サイトのコピーを見せるなどして認識を改める程度の入れ込み方なら話は早いでしょうが、逆効果になってしまうことさえ少なくないと思います。

ご本人にはご本人の言い分がありまして、たとえば

「高森先生のお話も聞こうとしないで」
「真実の教えを知らないからだ」
「あなたにも後生の一大事があるのだ」
「後生の一大事を解決できない人生なんて無意味だ」
「なんとしても破邪しなければ」

などなど、


今まで何人かの話を聞いてきた限り、基本的には、強く反対すればするほど頑なになってしまうように思います。


対処法の案をいくつか考えてみますと

・ひとまずご本人の主張をよく聞いて、自分の懸念を伝える
・ご本人が親鸞会に興味が無くなるのを待つ、興味が無くなるよう仕向ける
・退会された方を連れて行って説得してもらう

などでしょうか。いずれにしても、ある程度時間が掛かることを念頭に置かれた方が良いと思います。


一つ目の案は、とにかくご本人の主張を聞くことに尽きると思います。「どういう話を聞いているの?」をとっかかりに、なぜその話が大切だと思うのかなどを聞いて、おかしいと思うところや心配に思うところを突っ込んでいくことで、ご本人が気付くことを期待します。即効性も無く時間が掛かりますが、ほかに妙案が無いようでしたら、私はまずこれをやってみられてはどうか、と思います。


二つ目の案は、ご本人にとって親鸞会の活動以上に大切なものを作ってもらって、フェードアウトすることを待つ方法です。親鸞会では、学生の間は熱心に聞いていたのに社会人になると、ふっと来なくなるという方も少なくありませんでした。環境が変わったことで、ご自身の優先順位も変わったのだと思います。そうなることをひたすら待つか、そうなるようにけしかけていく、という方法です。


三つ目の案は、そのものズバリですが、退会された方に語ってもらって心変わりを期待する方法です。ご本人も気付いていない不審点などに当たれば効果はあるでしょうが、「強引にやめさせようとしている」ように見えるため、話の進め方によっては余計に反感を買う危険性もあると思います。


私から言えることはあまり多くありませんが、最後に。


すぐに解決しようと思って、頭ごなしに否定しないようにされてください。先ほどから書いてますように、時間が掛かっても仕方のない内容だと思います。

お金を無心するようであれば、きっぱり断ってあげて下さい。お金を使わなければ救われない、という教えではありませんから。

もっと言うなら、親鸞会で教えている「はず」のことは、本来親鸞会の独占物ではありません。お金を積まなければいけないものでもなければ、何か特別なことをしなければいけないものでもありません。ご本人がもし、そのような囚われにあるようでしたら、「そんなものが親鸞(聖人)の教えなのか」と聞いてみられても良いかと思います。


あとは会員歴のある皆さんからのコメントをお待ちしつつ、今日はこれまでといたします。

前にも書いたかも知れませんが、最近はなかなか家でPCを起動することも無く、ブログの管理画面を見ることも無く過ぎております。そして今日、久々にブログの管理画面を見ましたら、私がいつ書いたかも忘れていた記事にコメントを頂いていました。そのようなわけで、レスポンスが遅くなり失礼しました。せっかくですので、あとで取り上げたいと思います。


最近戴いたメールで、「通常は講師部の人しか受講できないが、お試しで一般会員の人も受講できる」という講義らしきものがあったという情報を頂きました。これが講師部講義のことかは定かではありませんが、親鸞会もいろいろ試行錯誤が続いているのでしょうか。

講師部講義と言えば、私は当然直接聞いたことはありませんが、「信心決定は雛がかえったようなものだ。信後こそ聴聞が大切だ」というような話があったと聞いた記憶がありました。最近はどんな話がされているのかなあと少しだけ思ったのでした。



さて、冒頭書きました通り、ずいぶん前(といっても4月でした)の記事に、親鸞会の会員さんらしき方からコメントを頂きました。「らしき」と書いてますとおり、親鸞会の会員さんというのは私の推測です。

なかなか普段活動されている(かどうか分かりませんが)ような会員さんからのコメントをいただく機会が無かったことと、内容をご覧頂ければお分かりになるかと思いますが「信心」についての話題ということで、せっかくなのでこちらでご紹介しようかと思いました。




3. 通りすがり 2015年07月29日 19:33
なるほど。
コメント拝見させていただきました。
 
いまいち、
理解されてないんだなあ…。って
思いました。
頭で理解できなくても、
救われていれば
過去の自分の心の道程を
鑑みて
心で理解出来そうなものなんですがね。
 
真宗は
「善をしなくても、
念仏を唱えなくても、
信心ひとつ、
一念で救われるんですよ」
 
それは、まず、きほんであって、
絶対揺るがないものなんです。
 
そんなことは、
高森先生も
親鸞聖人も
何回もおっしゃってた
ことではありませんか。
 
ですが、
私たちは馬鹿ですから、
こんなに一生懸命聞法してるから
何とかなるだろうとか
思っちゃうんですね。
 
これは、思えって訳じゃなくて
人間なら思うことなんですね。
 
極端な話、
聞法しなくても、
信心ひとつで救われるんですよ。
 
私の言っている意味分かりますか?
分からんでしょうね。
私は高森先生ほど
説法上手ではありませんから。
 
(´・ω・`)

4. 通りすがり 2015年07月29日 19:37
追記。
 
おかしいとは思いませんか?
「仏法は聴聞に極まる」のに
 
聴聞しなくても
信心ひとつ、
一念で救われるんですよ。
 
蓮如上人って
仏法知らずなんでしょうかね?
 
高森先生の矛盾に気づく前に
この矛盾に気づかないのは
おかしいですねえ。
 
でも、おかしくは
ないんですね。 
 
(^ω^)❤




最後の「❤」は環境依存文字じゃ無かったかなと思いましたが、すでに何名か追加でコメントを頂いていました。いずれもこの「通りすがり」さん宛てのものだと思います。



5. とくよしみね 2015年07月29日 21:16
通りすがりさんへ
信心一つで救われるんだけど、その信心って何ですか。
教えてください。

6. にやんこ大戦争 2015年08月02日 12:03
通りすがり氏、何が言いたいのかよくわからない。

7. 同感 2015年08月02日 16:44
通りすがり氏は、そもそも「聞即信」が分かってないですね。




とくよしみねさんが質問されていることですが、私もお聞きしたい内容ですね。
また通りすがりさんがお返事されるなどして、いろんな方のやりとりで弥陀の本願を讃歎するご縁ともなれば有り難いかなあと思いました。


南無阿弥陀仏

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