あさ川進の、宗教と私

浄土真宗親鸞会に所属しながらアウトサイダーだった私(現在は会員でなくなりました)が、宗教(浄土真宗親鸞会)との付き合い方を考えつつ書いている更新頻度が低いブログ(この説明も暫定です)リンクフリーです。なお、投稿文を受け付けております。「【投稿文】」と書かれている記事は、頂いた投稿文です。

2015年09月

今日は久々に親鸞会に在籍経験の無い方向けの記事を書こうと思いまして、カテゴリ名について考えたあげく「ご家族の方むけ(仮)」としました。妻のこともあり、別にご家族だけではないのだろうとは思いましたが、良い名前が思いつかなかったので仮で決めました。良い名前の候補がありましたら、教えて頂けると有り難いです。

今日は、会員さんの休日の過ごし方を思い出してみたいと思います。あくまで私の目線ですので、違う方がありましたらコメントいただければと思います。


「休日」とカッコを付けて書きましたのは、会員さんの仕事ないし学校の休日、という意味合いからです。親鸞会自体は、意味合いとしては(熱心な会員さんであればあるほど)休める日という意味での休日は存在しなくなります。


親鸞会では、学生も社会人も概ね何かしらの支部または学友部に所属しています。そこでは毎日のように行事がありまして、仕事帰りに参加する人もあれば休みを取って参加する人もありました。私の勤務先は帰りのバスが3時間に1本に減らされたおかげで3キロほど歩いた別のバス停を使うようなところですから、通常の勤務日の帰りに親鸞会の行事に参加することはほとんどありませんでした。


仕事の休日、私の場合は土日ですが、これも親鸞会の行事があります。親鸞会の行事といいましても、私が親鸞会を離れる直前には、講師部員が直接話をする機会はほとんどありませんでした。


・ご法話:富山の親鸞会館へ行って、1日法話を聞く(遠方だと前泊または夜行)
・ビデオご法話:1日もしくは半日、ビデオを見続ける
・アニメ上映会:アニメ1本を見続ける(概ね2時間程度)
・テレビ座談会等:親鸞会館から中継される「高森先生の座談会」


などが一般的で、あとは不定期に光晴先生を囲んでの「親鸞学徒の集い」などの行事がありました。また、アニメ上映会も、支部行事の場合もあれば、チューリップ企画主催行事に動員、ということもありました。


基本的にはこのような行事または前泊で「休日」は費やされるのですが、まれにそのような行事が無い場合、あるいは遠方の場合は、


・ちらし配り
・サークル活動 (若くて熱心な会員さんが行う、布教を目的として会員でない方と行うもの)


などといった活動で、(仕事の)休日を過ごします。ですので、熱心な会員さんほど休める日というものはなくなります。

これらの行事に、どの程度参加するかはご本人次第ですが、親鸞会の会員でない方からすると、このような過ごし方は奇異に感じられるようです。




私が親鸞会を離れて(自分の意思ではありませんでしたが)、変わったことといえばこの(仕事の)休日の過ごし方です。親鸞会の行事に参加すれば、時間が取られるのは当然として、「お布施」やら「あんしん弁当」やらで1日5千円から1万円くらいは飛んでいきます。親鸞会館に行けば交通費も掛かります。

会費も掛かりますから、毎月親鸞会館に行っているような会員さんの場合、関東ですと最低で月に3万円程度は遣っていたのではないかと思います。また、体力も結構使います。


私の場合は、身体を壊したり資金繰りに困ったりするほどのことはしませんでしたが、会員さんの中には体をこわしたりされる方もありました。支部長や支部会員さんの人柄によっては、お見舞いを出し合ってくれる場合もありますが、親鸞会自体は個人に対しては基本的に何もありません。



会員でない方からご覧になれば、特に熱心な会員の方がそのように体力的にも金銭的にも追い込んで活動していることに対して、理解することがなかなか困難かもしれませんが、

・そうしないと救われないという思いがある
・喜びである

といった理由があるかと思います。


喜んでやっているのであれば私がとやかくいうことは無いのでしょうが、そうしないと救われないと思いがあるという点については、親鸞会での説法や書籍やアニメの内容などから、そのような信念が形成されていったのだろうと思います。

ちなみに、学生時代の私はそのような傾向がありました。今はまったくありませんけれども。

日曜日は嶋田さんの勉強会でした。もう5回目ということで、何度も来られている方も増えてきました。私は家の事情で9時ぎりぎりの到着になってしまいました。


今回も仏願の生起本末のお話を通して、南無阿弥陀仏の心についてお話いただきました。

私がいるから弥陀は本願を建てられた、というお話は、まさに私一人がための南無阿弥陀仏と味わわれます。
あと、お話中に話題に上がったのでなるほどと思ったのですが、弥陀の十八願について
親鸞聖人は歎異抄12章で「本願を信じ念仏申さば仏になる」と教えられてある一方、
一方、親鸞会では「すべての人を必ず助ける絶対の幸福に」と教えている、という違いがあって、ずいぶん違うということもお話がありました。

とくよしみねさんのブログにも愛知での勉強会の感想がありましたが、埼玉でもだんだん嶋田さんの熱がこもって来るのを感じたご縁でした。



さて、まるで話は変わりますが、私は以前から真宗聖典などのデータをPCに入れて読めるようにしていたりしたのですが、最近は持ち歩くこともしなくなったのでどうにかして読めればなあと思っていました。

そんな折にKindleを購入して、どうにかKindle本にできないかと試行錯誤していました。

PDFは日本語対応していないから駄目でした。

Wordで試してみたのですが、私の作り方がまずいのかあまりうまくいかず、結局テキストファイルを直接編集してHTMLファイルを作って変換することで、なんとなくできました。改行もうまく処理できていませんが、これでお聖教の持ち歩きを再開できそうです。


HTMLを直接作ることにしたので、フォントの大きさは変えましたが、ゴシック体になってしまいました。とりあえず今は、これを明朝体にしたいなあと思っています。とりあえず個人ユースではありますが、せっかく仕事の休みが取れたのでそんなことをしていました


今回は今まで以上に中途半端な気がしますが、とりあえずは以上といたします。

直前ではありますが、明日はRCさん主催の勉強会の予定です。前回と同じ場所ということで、私も行く予定にしております。


さて、最近は以前にも増して記事に統一感がありませんが、今回もその流れで行きます。


妻がやっていたスマホのゲームを見せてもらいました。普段は音を消しているのですが、少しだけ音を出していました。そのBGMが妙に耳に残って頭から離れなくなってしまったので、ふと親鸞会時代の耳に残っている音を思い出しました。


親鸞会館での法話の日、おつとめの時間の5分ほど前から流れ出す音とか、恩徳讃のピアノの音とか、音を聞くと親鸞会を思い出す音はいろいろあるように思います。


そんな中、私の中で一番、親鸞会を思い出す音(BGM)は、そのものが見つからないので近いものを紹介します。


https://www.youtube.com/watch?v=CT4iU9GlMHA
の22分あたりから次の動画にかけて


親鸞会館で寝泊まりをした経験がおありの方であれば、「稲田黎明」という曲名が付いているらしいこの曲に聞き覚えのある方もあるかしれません。

起床時刻少し前から掛かり始めるこの曲のおかげで、たいがい朝は目が覚めてしまうのですが、私の記憶の中では「重い一日の始まりを告げる曲」という印象で塗り固められています。

法話の日の目覚めに掛かる曲ですので、人によってはやる気が奮い立たされるのかも知れませんが、私の場合はこの曲を聴く、あるいは思い出すだけで独特な親鸞会の朝を思い出すのでありました。


学生時代には、それこそよく親鸞会館には泊まっていましたので、学生の後輩の中には「トラウマです」と言う人もありました。曲自体は良いのですが、掛かる場所やタイミングで大きく印象が変わる良い例だったと思います。


会員時代末期には、私は大概ホテルに泊まってましたし、同朋の里が出来てから同朋の里ではあの曲は流れなかったように思いますので、そういう記憶のある人は、若干古い人なのかも知れません。


親鸞会の経験者も、そうでない方も、耳に残って離れない音があるかと思います。私も親鸞会以外にもいろいろありますが、親鸞会の中であの「音」の印象がとても強かったので、思い出しました。


そのうちまた、親鸞会に在籍経験の無い方向けの記事も書きたいと思いますが、取り急ぎ今日は以上です。

先日、妻と何とはなしに話をしていた中で、お店ができたらいいねという話が出てました。特に具体的に何を決めたわけでも無いのですが、妻の中には、彼女の趣味に関連して具体的にイメージはあるようなのですが、私は私で、漠然といいなあと思いながら、特に宛ても無いのに店舗用地をネットで探したりしていました。


そこでふと、ひろしさんが「採算は取れないだろうけど、仏教書を置いた喫茶店をやりたい」というような話をされていたことを思い出しました。坊主じゃ無いけど坊主カフェ、とか言われてました。ただ、体がこのようになってしまって難しいので、蔵書は2人の方に引き取ってもらうというようなことも言われていたと記憶しています。

先立つものが無いと難しいなあと思いながら、とりあえず物件だけ見に行こうかなあと、ネットで見つけていた安そうな物件を今日(昨日)あたり見に行こうと思っていた矢先に、ひろしさんが往生されたとの知らせを目にしたのでした。

実は、ブログのメッセージにて昨夜(土曜)の9時前には頂いていたのですが、申し訳ないことに頂いていたことに気付いていませんでした(ブログの管理画面に入らないと見られない)ので、「さよなら親鸞会」を見た妻から聞いてのことでした。


以前にも触れたかしれませんが、ひろしさんはこのブログでもいろいろと味わい深いコメントを頂きましたし、関東の聞法のご縁もいろいろ教えて頂きました。行きつけにするようになった寺も、ひろしさんからの紹介でした。

ひろしさんと直接お会いしたのは、6月の広島と埼玉が最後となりました。もともと、埼玉に来られるという話を聞いてはいたのですが、広島の合同布教大会の翌日でお疲れで無かろうかと思いまして、最後になるかもしれないと思いながら広島に行ったのでした。

結局、翌日の埼玉にもいらしたのですが、妻は行けなかったので、広島で妻と一緒にお会いできたのは良かったのだろうなと思ったのでした。



ちなみに、見に行った物件は情報が古かったらしく、すでに接骨院が入っていました。具体的に計画を立てたわけでも無い願望レベルの話なのですが、ひろしさんの思い出もありましたので今回書きました。

実際には、数えてみたら私の持っている仏教(宗教)関係の本は、妻と合わせても100冊程度と多くはないので、カフェができなくても増やしていけたらなあという思いもありました。



よく自己啓発で、「文字にすると達成できる」とかいうことが書かれてます。本当にできるかはともかく、文字にしてみようとおもったのでした。


今回の件とまるで関係無いのですが、もう一つ放置気味になっているのが出版の件です。

響流出版から本を出さないかという話を、一年ほど前にもらってまして、企画書も出して書いていたのですが、二万文字ほど書いたところで中断してしまいました。三万文字は書いてほしいという話をされて、おそらくそのまま書けば三万文字は超えるだろうとは思ったのですが、そもそもただ文章を書くだけでも仕方ないと思って中断してしまったのでした。


いろいろやりっ放しが多いのですが、少しでも前進できれば良いかなあという弱い気持ちながら、何かを期待しつつブログに書いてしまいました。



妻が、「今称えている南無阿弥陀仏にひろしさんがいる、不思議不思議な感じがする」と言ってと念仏していました。
私はなかなか浄土へ往きたいという思いにならん分際ですが、これもご縁と南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

先日に頂いていたお手紙の返信は、日曜にようやく書きました。そのお返事を書いていて思いだしたことが今回の話です。

今回は、親鸞会の会員でない方向けの話です。そろそろ別カテゴリを作ろうと思っておりますが、カテゴリ名が思い浮かびません。


最近(私が親鸞会を離れてから)は、法話さえもまともに行われなくなったという噂も聞きますが、一応私がいた間で直近の話をします。


親鸞会では、富山にある親鸞会館で概ね月に一回法話がありました。その一年の中でも、親鸞会として大きな行事が2つありました。

・おおむね5または6月 → 降誕会
・おおむね10月 → 報恩講

ちなみにこの2つは、親鸞会限定ではありません。


親鸞会においては、この2つの行事は基本的に2日間行われ、

・土曜の午前・午後、日曜の午前 → 法話
・日曜の午後 → 弁論大会

というパターンは、私が在籍していた間は概ね変わりませんでした。
ただし、一昨年は2日間で正味の法話の時間は3時間でした。

親鸞会が「あんしん弁当」を作ってからは、土曜の夕方に1食2~3000円くらい(うろ覚え)の弁当を食べる会食会があったと記憶しています。


この2つの行事、特に報恩講は、一年で最大の行事ということもあって「お誘い」がすごいです。そのため、会員さんのご家族など、会員でない方、話を聞いたこともない方が大勢来られます。

私の学生時代には、ツアーを組んでまでして、学生たちがご家族を一生懸命誘っていました。


その法話の演題ですが、いちおう募集が掛かっていたように記憶しています。その中で、どういう決まり方になっているのかは分かりませんが、決められます。ただ、会員でない方が多い行事に関していえば、話の内容も、ネットで突っ込まれているような話はあまり強調されなかった印象があります。そういう意味で言えば、親鸞会の法話の中では、比較的聞きやすいのがこの報恩講や降誕会、そして8月に行われる追悼法要あたりだと思います。


ちなみに、最近はどうなっているか分かりませんが、親鸞会の法話の「お布施(昔はご報謝といってました)」は、一般の人で一回5000円が相場でした。万札を出すと、何も言わなければ5千円札が返ってきたものです。その5000円というのは、大きな行事ではないときの話で、たとえば報恩講は1日1万円(2日だと2万円)が相場だったと記憶しています(これもうろ覚え)。ちなみに、750回忌では確か1日2万円(3日間なので合計6万円)でした。

この金額が納められない会員さんは、支部長に「特別申請」をして許可をもらうことになっていたと思います。
なお、会員でない方は通常、いくら出せと言われることはないと思いますので、出す気が無いようでしたら出されなくても良いと思います。出されたい方は、出されても特段問題にはならないかと思います。


10年あまり前までは、通常の法話の前日(土曜)に、座談会というものがありまして、質問を書いて箱に入れておくと質問に答えてもらえる(かもしれない)ということがありました。ところが、体調面の問題からか、いつの間にか無くなってました。


さて、話を報恩講に戻しますと、私がいた頃の報恩講のタイムテーブルは概ね以下の通りでした。(うろ覚え)


土曜
9:30~(10:00からだったかも) 勤行
11:00~12:00 法話

13:30~ 勤行、その後体験発表
15:00~16:00 法話
17:00頃~ 会食

日曜
午前中は土曜と同様
13:30~ 弁論大会


勤行は、正信偈のおつとめをしますが、東西本願寺の節とは異なります。ひろしさんがお詳しかったのですが、覚えていません。勤行が終わったら、講師部員の随行文が定例でした。これは、講師部員がなぜ講師部員になったかという話と決意(「高森先生への信順」)表明です。初めての方は違和感を覚えるかも知れませんが、およそ宗教団体とはこういうものだと思っていただいたほうが、精神的には楽だと思います。


さて最後に行われる弁論大会は、私が思うに、「非常に親鸞会的なもの」です。弁論大会を見れば親鸞会が分かると言いますか、弁論大会が親鸞会と言っても言いすぎではない、と個人的に思っております。弁論大会をどのように捉えているかによって、その人の「親鸞会度」が分かるといっても良いでしょう。

10数年前の内容はさすがに覚えていませんが、弁論内容も、時代と共に変わっていました。その昔は「自分の体験談」だったようです。私の若い頃は「ある会員さんの信心決定体験」でした。近年はそれさえも無くなって、「自分(あるいはほかの会員さん)の”求道”披露」でした。今年はどうなっているか、聞けないのはやや残念です。


時期的に、今年の報恩講は 10/10、11と推測しておりますが、いかがなものでしょう。


*一部誤りのご指摘を頂きましたので、修正しました(コメント欄参照)

このページのトップヘ