あさ川進の、宗教と私

浄土真宗親鸞会に所属しながらアウトサイダーだった私(現在は会員でなくなりました)が、宗教(浄土真宗親鸞会)との付き合い方を考えつつ書いている更新頻度が低いブログ(この説明も暫定です)リンクフリーです。なお、投稿文を受け付けております。「【投稿文】」と書かれている記事は、頂いた投稿文です。

2015年10月

︎あさ川です。先の記事で書きました通り、RCさんから投稿文を頂きました。


タイトルにあるように、RCさんの退会からもうすぐ一年です。第一回の投稿文を頂いたのが昨年の11月末ですから、そこから考えても11ヶ月ほど経過したわけです。早いような、長いような、よく分かりませんが、お互いこの一年弱の間に色々なことがあったなあという感慨があります。あとは、伝わってくる親鸞会のグダグダっぷりが、私の在籍当時よりも遙かにひどくなっているように思われることが、気になると言えば気になります。


前回の投稿文も第5回ですが、あれは勉強会が第5回ということで、今回は「親鸞会を退会しました」シリーズの第5回です。いずれにせよ、タイトルはRCさんから頂いたものをそのまま使っています。


=========(以下、RCさんの投稿文です)===========

RCです。

昨年の10月25日に、親鸞会を退会しましたので、親鸞会を退会してやがて一年になろうとしています。

退会してすぐに あさ川さんのブログには、

●「親鸞会を退会しました」

を投稿させて頂いて、その後 親鸞会元講師の嶋田さん といっしょに

●第二回「親鸞会を退会して真実を聞きました」

●第三回「親鸞会を退会して間違いがわかりました」

●第四回「親鸞会を退会して
講師部の皆さんへ」
を投稿させて頂きました。

また 「さよなら親鸞会」でも 紹介して頂いて とても多くの皆さんに 読んで頂いて、本当に嬉しく 有難く思っています。

今 私自身は、親鸞会に対して
「親鸞会という方便 あったなればこそ、本当の阿弥陀仏のご本願をお聞き出来た。親鸞会との縁がなければ、私は お念仏を喜ぶ身になれなかっただろう。」と思っています。

しかし 親鸞会は、親鸞聖人の教えを正しく伝えていない上に、「宿善を求めよ、宿善を求めなければ信仰が進まない。宿善が一番大切!」と教え 、会長の思いつきの計画 や 親鸞会の設備へお金を出す事は 尊い宿善になると 強調して、会員の大切なお金や時間(人生そのもの)を 親鸞会は、搾取しています。

阿弥陀仏は「そのまま救う」と誓っておられるのに、親鸞会は、「三願転入しなければ」「宿善を求めなければ」と、「条件なし」の ご本願を「条件あり」と捻じ曲げ、
阿弥陀仏のみ心に反している事を、親鸞聖人の教えと 偽って 教えている事は、この世のどんな極悪人の悪業よりも恐ろしい悪です。

そんな恐ろしい教えに、真面目な会員が騙されて、大切な人生を無駄にしているだけでなく、その悪事の片棒を担いている事は、気の毒でなりません。

私自身の反省は、
自分の人生をかけるものだったのに、「親鸞会の教え」と「親鸞聖人の教え」が本当に一致しているのか
どうか、全く検証しなかった事です。

自分の頭で、親鸞聖人の書かれた物や蓮如上人のご文章を読まず
高森会長の言葉を通してしか、親鸞聖人の教えを学ばなかった事は、全く怠惰で、騙された自分にも大きな責任があったと感じています。

しかし 有難い事に、親鸞会が、
「不倫事件」とか「安心弁当」とか、「アニメバス」とか 私にとって納得出来ない事を次々にやってくれたので 、去年の夏頃 ようやく親鸞会への疑問が生じました。

私の心に 芽生えた親鸞会への疑問が、「親鸞会の教えは間違いだ」の確信に変わった去年の夏から秋を振り返り、ここで それをお伝えする事で、
今 親鸞会に疑問を持ちながらも、退会に踏み切れない方や、親鸞会の間違いを認めたくない方が、本当の阿弥陀仏のご本願を聞くご縁になればと思って、投稿させて頂きます。

(今までの投稿と、重複する部分もありますが、辞めるまでの経過を中心に書いてみました。)


まず ネットの「親鸞会批判サイト」を見るようになった直接のきっかけになったのは、
昨年の8月、冷房が故障したアニメバスでのアニメ上映で フラフラになった事でした。(熱中症になりかけていたと思います)
上映中は「何でこんな暑いところで、フラフラしながら、私は、アニメを見ているんだろ?
早くアニメ終わって欲しい!」
と ずっと思っていました。

涼しく冷房の効いた施設の部屋を借りながら、どうして そこの駐車場で、こんな辛く健康に悪い事をしなければならなのか?

私は、その疑問に答えを出せないだけで無く、その批判も口に出来ない、それどころか、その日の アニメ講師の報告は 「美辞麗句」で埋め尽くされていて 読んでいてウンザリでした。

「きっと私と同じように、親鸞会のアニメバスに批判的な人がいるに違いない、誰かが私の気持ちを代弁してくれているかも」って 思って ネット検索を始めました。

初めは、ただちょっと悪口を探して、不満を解消出来たらと思っただけで
「 親鸞会を辞める」とか、
「高森会長の話しに異議を唱える」とか、の気持ちは全くありませんでした。

親鸞会批判サイトでの 親鸞会への批判は、2種類ありました。

一つは、
︎「親鸞会という組織の非常識さ や 高森会長の人間性への批判」
もう一つは、
︎「教義そのものが、親鸞聖人の教えとは異なる」というものでした。

組織や、高森会長の人間性への批判については、読んでいて 内容は すぐに理解出来ました。
本当だろうか? と、疑問に思うところはありましたが、内容は理解できました。

もう一つの教義についての批判は、最初は 理解出来ませんでしたし、「まさか教義が間違っていることはないだろう」と思って 読み流していました。

ただ その中で「親鸞会の教えが本当に正しいかどうか、一年間だけでもちょっと立ち止まって 親鸞会以外の話しを聞いたりして 確認してみてはどうでしょうか」と呼びかけている文章を読んで「そうかも・・・」と思いました。

とりあえず、組織や会長の非常識さについて書いてあるものを読んでいき、色々わかりました。

高森会長の書いたり話したりしていることの多くが、 「大沼」という人のパクリで有ることは、事実のようでした。

また高森会長は、若い頃 華光会で 親鸞聖人の教えを 聞いていて、師 と言える方かいたのに、それを隠す為に親鸞会では、「華光会」を 異安心と、位置付けていたらしい事もわかりました。

「蓮如上人以来の大善知識」と崇拝していた 高森会長の言動について多くの批判が上がっている事に驚きました。

これらが本当だとすれば、
「欲の かたまり の俗人」が、親鸞会を手段に 人集め 金集め で 名誉欲 、財欲を満たしていただけの事となります。

そして 私は 自分の人生を高森会長の欲を満たす為に利用され 搾取された事になります。
家族 友人 知人 を巻き込んで・・・。

信じたくはない事でした。

ですが 私は 入会当時から 親鸞会で会計報告がない事に 大きな不信を持っていました。
また ひとりひとりの信仰ではなく、参詣人数などを重要視するところも、親鸞聖人の教えとズレているようにも感じていました。
教えに ついても、
「一念の救い」が 真宗の肝要 といいながら、三願転入 と言う一念でない、長く時間の掛かる教えも説かれていて、二つの教えは、矛盾しているように感じるが、矛盾では、ないのか?
合点 納得 出来ずにいました。

このように 色々 違和感や疑問を感じながらも
「煩悩具足の私が感じる事の方が 間違っているのだろう。」
「私の信心決定の為に 善知識がして下さることに ケチをつけては、信心決定 出来ない」と自分に言い聞かせて 違和感や疑問を押さえつけていました。

しかし、親鸞会批判サイトを読んで、やっぱり親鸞会 はおかしいいう思いは強くなりました。
また、意味のない アニメバスに振り回されるのも、もう ウンザリでした。

そして、友人2人に 批判サイトの事を話し、こんなおかしな組織は、辞めようと相談しました。

その時に 友人達と、話題になったのは、

︎「M晴講師の不倫事件の結末」
・その事件の事は 知っていましたが
ケンカ両成敗のようになったのだと思っていたが、実際は不倫事件が捏造とされて、不倫事件を暴いた講師達が、罰を受けたことを知って、驚きました。
何で、そんなおかしな事を、親鸞会講師を受け入れるのだろう。
悪いのは不倫したM晴講師なのに、告発した側が罰を受けるなんて、筋の通らない事をどうして受け入れたのだろう?
そんな非常識な団体が、親鸞会なのか?

高森一族にとって都合の悪い事は、高森会長が揉み消し、捏造と決めつけている。

そんな人が、私達の後生を本当に心配してくれているのだろうか?

︎批判サイトを見ると、親鸞会の講師は 親鸞会を辞める時は、1000万円払わななければならないとある。
講師は 会員の布施だけで生活していて、会から援助がほとんどないのに、辞める時に、退職金をもらうのではなく 1000万円払うって・・・。
まるでヤクザ!

︎親鸞会講師は以前は、親鸞会から給料のような形で お金をもらっていたが、ある時に 急に会員が集められて
「講師からの希望で、これからは、支部長制になり、講師は 会からは、お金はもらわず 会員からの布施だけで 生計をたてることになった。」と発表があったが
「講師からの希望」というのは ウソで、本当は、「高森会長」が 勝手に決めてしまったこと。

ひどい️
私達の担当の 支部長が 中古車も買えず、活動もままならない状態だったけれど、本当に親鸞会は ガメツイ。
講師は、可哀想。
私は、担当支部長が、気の毒で 深夜駅まで自分の車で、迎えに行って会館まで送り届けたりしましたが、ずっと続けるわけにも行かないので、同じ支部の会員に呼びかけて 中古車のお金をカンパして、やっと中古車が買えました。
少しは、私に感謝して欲しいところですが、その支部長は、私の言葉よりも、高森会長の言葉を信じています。
残念ですが、いつかわかってくれることを信じます。

その他にも 幾つかあったと思いますが、主にこの事に不信感を持って、
9月の中旬に、3人で親鸞会退会を言いに、支部長に会いに 会館に行きたいました。


ところが、その日は、ちょっとした行き違いで、
私は、ひとりで、K玉講師から説得され、友人の2人は、支部長に 退会を言い渡して帰る という形になってしまいました。

私は、K玉講師から
「批判サイトを作っている U生という元親鸞会講師は、親鸞会に在籍している時は、居眠り聴聞が止まらず、講師部から事務部に 移動になったが、それでも 居眠り聴聞が止まらず、結局 親鸞会を辞める事になった。U生は、親鸞会と高森会長をとても恨んでいて 親鸞会への恨みを晴らす事に人生をかけているような男。
彼は、親鸞会会員が、親鸞会と高森会長への信頼を失うようにサイトを作ってある。
サイトを読むと、皆 親鸞会と、高森会長への信頼を失ってしまう。
あなたが、こんな気持ちになってしまうように サイトは、巧妙に作られていのだ。
悪いのは、あなたではない。

危ないところだった。

もう サイトを見ないと、約束して欲しい。」

という主旨の話しがありました。

その時点では、私にとって
U生さんは 会った事のないサイトの中の人、
K玉講師は、(その時点では)学生の時から存じている信頼できる講師だったので、
K玉講師の言う事が、もしかしたら本当なのかも・・・。と思ってしまいました。

結局
「親鸞会を辞める!」と言って会館を去った友人2人と、
「親鸞会批判サイトは、でっち上げだったのかも・・・。やっぱり親鸞会で求道すべきなのかも・・・?」と言う気持ちになってしまった私とで、気まずい状態になってしまいました。

2人にしてみたら、親鸞会へ誘い、頑張ろう!って 言ってきた私が、
批判サイトを見て
「親鸞会おかしい。辞めよう!」って言ったのに、すぐに今度は、
「批判サイトは、でっち上げかも。やっぱり 親鸞会にいるべきかも・・・。」と クルクル変わってしまって、もう 何が何だかわからない感じだったと思います。
(本当に、その時は、申し訳なかったと思っています。)

私は K玉講師の説得に 一度は、改心(?)したものの、やはり
親鸞会へ芽生えた 疑問を 消す事は、出来ませんでした。
なぜなら 明らかに、 K玉講師も 担当支部長も ウソをついたからです。

「不倫事件は、でっち上げです」と二人とも言いましたが、
でっち上げでは無いことを、当時の騒動の中で知っていました。

平気でウソをつく人の言葉を、全面的に信頼することは、できませんでした。

その後、私は、K玉講師との約束をアッサリ破り、毎晩 親鸞会批判サイトを読み込みました。

親鸞会が本当にまともな組織で、正しい教えを説いているのか?そうでないのか?
これは、絶対ハッキリさせなければならない事だからです。

親鸞会で 後生の一大事が 解決出来ないなら、親鸞会にいるべきでは ないし、解決出来るなら、残るべき。
あやふやに出来ない問題でした。

批判サイトを読み込み、自分で
「御文章」を読んだりして 行くうちに

「親鸞会は組織もおかしい。
教えもおかしい」

とわかっていきました。

K玉講師は、「でっち上げ」と言っていましたが、
私が見つけたサイトの中に、親鸞会講師部の会合の録音がアップされていました。
K田講師のカン高い声や、Y村講師の声など 聞けば顔が浮かぶ人達が、
講師部を辞めた人の批判をしているらしく、高森会長が、腕をへし折るとか おぞましい会話を聞きました。
また、講師部を辞めたら1000万円払う事について、新しい講師が、「高森先生が、私の仏縁を守るために云々」と感情的に叫んでいる声も聞きました。

なんだか、ぞーっとして、
「こんな人達と一緒にはいられない」
と、本能的(?)に感じました。

この講師部の会合の録音の声が、
私の中で芽生えた親鸞会への「疑問」を親鸞会おかしい!という「確信」に変えてくれました。
(文章なら でっち上げも出来ますが、音声はでっち上げ出来ないですから。)

不倫事件に関しては、
「捏造と捏造された不倫事件の真相」というサイトに辿り着きました。
高森会長が M晴講師の不倫相手の父親の方に 送った 全く非常識でタカビーな手紙を読んで、高森会長の正体が わかりました。
いくら高森会長も煩悩具足の凡夫であったとしても 人間として酷過ぎるし、こんな人が もし、信心決定していて、この人から話しを聞かなければ信心決定出来ないなら
私は、今生では信心決定しなくていいと、思えるような内容でした。
(ぜひ 一読される事をお勧めします)

また、「私の白道(その時は、それを書いたのが、嶋田さんとは、知りませんでした)」を読んで、私も2人の友人も とても誠実な内容に、この文章がでっち上げであるはずはない という 結論に至りました。


更に
サイトを読み込んで、「親鸞会の二河白道」の話しと、「善導大師の二河白道」の話しが違う事がわかりました。
親鸞会では、旅人が 火の河 水の河に挟まれた狭い白道を進んで行って、もうこれ以上は進めないと 死を覚悟した時に、西岸から 阿弥陀仏の呼び声を聞くという話しでしたが、
善導大師のお話しでは、白道を進む前、こっちの岸にいる時に 阿弥陀仏の呼び声を聞いているのです。

親鸞会の二河白道の話しは、親鸞会での求道をそのまま 現した話しです。善導大師のお話と違うとなれば、一大事です。

また、人間の実相の話しも、お釈迦様の 譬喩経のお話しとは、違っている事がわかりました。

私は、K玉講師と、担当支部長に
「何故 親鸞会の二河白道の話しは、善導大師の二河白道の話しと違うのか?何故、親鸞会の人間の実相の話しが、お釈迦様の譬喩経のお話しと違うのか?」と聞きましたが、納得出来る返事は、頂けませんでした。

親鸞会で 二河白道のたとえ を聞いて、
「自分の欲と怒りと戦って、たとえ 消えそうな求道心でも 進んでいけば 阿弥陀仏の呼び声が必ず聞ける時がある と 善導大師が示して下さった」と固く信じていました。
私の求道の原点のような話でしたので、 善導大師の二河白道とは、違うと知って、かなりショックでした。
ですが、それで目が覚めました。

スッキリ ハッキリ全部、親鸞会の間違えがわかった訳では、ありませんでしたが、
二河白道の話しが、親鸞会の話しと善導大師のお話とは違っていて、その理由を聞いても 幹部の講師が
何にも答えられない。

この事実だけでも、親鸞会には、親鸞聖人の教えがない事を証明していると思いました。

このような経過で、
めでたく 私は親鸞会という組織は、属するべき価値がなく、
親鸞会の教えも、親鸞聖人の教えとは、違うと言う結論に達し、
迷惑をかけた友人にも、伝えました。

そして
10月25日 友人達と、親鸞会を退会し、改めて親鸞聖人の教えを学び、聴聞して行く決心をしました。

その時 私自身も、2人の友人も
「親鸞会の 組織と 教え の どこが どのようにおかしいのか を しっかり知らなければ 進めない 」と思い、嶋田さんに勉強会をして頂きました。

そして、「親鸞会を退会しました」は、第4回まで 嶋田さんと投稿させていただき、勉強会も 次回で第6回となりました。

嬉しい事です。

これらを縁に、親鸞会に 疑問を持ち、親鸞会を辞めた方も出て来ていると聞いています。

阿弥陀仏のお手回しですが、そこに私も関わらせていただいている事は、本当に嬉しいです。

私は、若い時に 病気になって
自分の人生に、価値も幸せも無いと思って、絶望していたのに、
南無阿弥陀仏のお慈悲ですっかり変わってしまいました。


南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏


最後に 嶋田さんから
親鸞会の会員さん、講師部の皆さんへ、メッセージを頂きましたので、 お伝えいたします。



○「 三願転入しなければ アリ一匹 助からぬ 」と言いながら 十数年  十九願の話ばかり。
実は一願だけなのです。
勢力拡大、維持のための 人集め 金集めの 活動が 十九願の 善だとと 納得させ、利用するための 話にすぎません 。
だから ここしか 話ししないのです。ここだけでいいのです。

自己の願望を満たすだけですから。
二十願、十八願に 話が進まない 理由は これだったのです。
本気で三願の 真仮を説かないとどうなるか、その結果どうなったでしょうか。
      
30年、40年、50年の講師部にさえ「 講師部は 十九願の入り口にも入ってない 」と言いましたが、
当たり前のことです。
それしか 教えてないのだから当たり前なのです。
講師部員の責任ではありません
      
これは、高森会長が 
「50年近く かかっても 講師部を 一人も 三願転入まで導けなかった 」と告白したのです。

これが 蓮如上人以来の 善知識という人の 実体です。 正体です。
これでは 会員さんはどうして助かりますか、すぐ分ることと思います。

一体 どれだけの 時間 お金 を使い気苦労をしていると思いますか、何十年も。
人の人生を 全て 奪い尽くし、無駄にしているのですよ。
それなのに 「 私は 真実を 説き切っている、聞き切らないのは 君たちの責任だ 」と 言われて 疑問に思わず「 そうなのか 私が悪いのか 宿善が薄いのか 。
高森先生ー 申し訳ありません もっともっと死ぬ気で 活動 頑張ります 」

どこどこまでも お人よしなのか?
これは ただの 高森会長崇拝の信仰にすぎません。

こんなこといつまで やっていくのですか、死ぬまでですか。本当にそうなりますよ。
「 後生の一大事 」を人質に取られて言われるままの人生で終らないで下さい。

こんな 程度の話をして  自分は贅沢三昧 講師部は 十九願にも入れず 貧乏生活、講師部やめたら たちまち生活困窮するのは必至です。将来は真っ暗な老後だけです。
何に耐えて 講師部を 続けているのですか、地獄が恐ろしいからですか。
どうせ いつか辞めねばならないなら 早く辞めて  働いて自活の道を開いて
三願の 真仮をハッキリと説かれる 先生を見つけて 後生の解決をするべきと
思います。  
必ず見つかります 。
阿弥陀仏が会わせて下さいます、待っておられます 。

高森会長ほど無責任な人は 無いと思います 。
この世の生活も 後生も 何 一つ 責任を取らずに終ろうとしています 。
目を覚まして下さい 。
早く離れるのが 何より大事と思います。
 
    
又 会長自身の三願転入も 聞いたことももありません。 
 真宗は自信教人信ではありませんか?
自身の信心さえ言えない 、言わない。
     
親鸞聖人は 「 愚禿釈の鸞  建仁辛の暦 雑行をすてて 本願に帰す 」 ハッキリと書いておられます。

正信偈には 「 帰命無量寿如来 南無不可思議光 」と告白されました

歎異抄には 「 弥陀の誓願不思議に たすけまいらせてーー」 自分は救われたと 書いておられます。

まだ 分りませんか ?
騙されているのです 。
全部 ごまかしです 。
高森流解釈の想像の話しです

○ 三願転入しなければーー
と言いながら  では目的の 十八願 はどんな世界か 誰も知らない  説けない。
「 信心決定すれば分る 」と支部長は 逃げるだけです。 分りませんと言えばいいだけです。


「 高森先生は 私達の後生を 念じて 信心決定 あれかしと ご説法の前に 常に 仰っています」
と  反論する 方もあるでしょう。

では、その信心決定はどうすれば いいのでしょうか。

● 「 信心獲得すというは 第十八の願を こころうるなり
  この願を こころうるというは 南無阿弥陀仏のすがたを こころうるなり」 (ご文章)

 「  南無阿弥陀分のすがたを こころうる 」
ーーー高森会長は 説いたでしょうか?
       
支部長は 六字の心を話し したでしょうか  出来るでしょうか?

皆さん  本当に分っていますか?
自信を持って 言えますか?
     
● 「 南無というは 即ち是れ帰命なり 亦是れ 発願回向の義なり、 阿弥陀仏というは 
   即ち是れ其の 行なり、斯の義をもっての故に、必ず往生を得 」  

ご文章に何回もある、有名な善導大師の六字釈ですが  
分かりますか ?
聞いたことありますか?

これも 聞いたことが ありませんね。
    
●  「 (南無) 帰命は 本願召喚の 勅命なり 」 親鸞聖人

親鸞聖人 だけの 御教導であり、これが 分らない人は 何十年 求めていても
「 浄土真宗の 要である、 他力回向の信心を知らない、 何も 聞いていない人 」
なのです。 あなたはどうですか。

 ◎ 親鸞会は 三願転入を説く 浄土真宗と 宣伝していますが
実は 三願とも まともに 説けない 団体なのです。

高森会長が 華光会を離れ 本願寺 憎し 人生かけて見返してやるぞと
「 地獄へ堕ちる」のムチと 
「 絶対の幸福 」 のアメで 
「宿善まかせ、三願転入」の
話を 作り上げて 会員さんの 時間 お金 情熱を 利用してきただけなのです 。
だから救われる人が無くなったのです。

特に 十八願、 南無阿弥陀仏が 説けません。
浄土真宗ではありません。
勉強したら すぐ分ってきます。


● 「 一宗の繫昌と申すは 人の多く集まり 威の大なることにはなく候
   一人なりとも 人の信を取るが 一宗の繫昌に候 」
 「 まことに 一人なりとも 信をとるべきならば 身をすてよ、其れはすたらぬ」

この心で 六字の喚び声を 説かれる先生から聞いて下さい。

あなたが 其の一人となるのです。
私も其の 一人です。

      

○ 勉強会は この高森親鸞会の 最大の 盲点、弱点、欠点 問題点 、
最も知らねばならない
「 第十八願、その成就の南無阿弥陀仏のすがた、こころ 」を聞く ご縁です

「 横超とは 願成就 一実円満の真教 真宗これなり 」 親鸞聖人

南無阿弥陀仏の お取次ぎに 出あえるのが 勉強会です。
      
心底 後生の解決を 望まれるなら 必ず その願いは満足させられます。

なぜなら 「 本願を信じ 念仏申せば 必ず 仏に成るべし 」 親鸞聖人
 阿弥陀仏の ご本願 (十八願) だからです。

 南無阿弥陀仏に  その不可思議功徳が 成就されているからです。


本当の 浄土真宗を聞いて下さい。


という事で、

次回 第6回目の
勉強会のお知らせをさせていただきます。


テーマ : 「聞其名号」 南無阿弥陀仏を聞くとは どんなことか。

日時:11月29日 9時から16時位です。

場所:埼玉県の公共施設
(今回は、今までの所と違う場所です。これまでご参加されている皆さんには、後日 正確な場所をメールで、お知らせいたします。)

新しく参加希望の方は、私に メールでお知らせください。

正確な場所や交通手段のご案内をさせていただきます。

私の メールアドレスは、

rokujinotsudoi アットマークyahoo.co.jp
(アットマークは、 @ に変えて下さい。)

あなたのご参加を あみだ様とともに、心よりお待ちしています。

メールを頂いたりメッセージを頂いたり、といったことが続いているのですが、まだまともにお返事が出来ていませんで失礼しております。早いうちにお返事などしたいと思います。



さて、たぶん昨日と一昨日で今年の親鸞会(宗教法人浄土真宗親鸞会)での報恩講が行われたのであろうと推測しておりますが、その中には会員さんに誘われて初めて親鸞会館に行かれた方もあろうかと思います(ここの読者の方で、どの程度そのような方があるかは分かりませんが)。


これだけネットでいろいろ言われている親鸞会ですが、今回初めて行かれた方の感想はどのようなものだったでしょうか。これは行かれた方に聞かないと分からないところですが、私が会員時代に顕正新聞を読んでいて出てきたのは、


「素晴らしいところだった」


という感想です。機関誌だから当たり前なのですが、本当にそれしかありませんでした。強いていえば、


「不安だったけれど」
「心配だったけれど」
「最初は不審に思っていたけれど」


が頭に付くことはありました。
親鸞会では、「親鸞会館へ一度参詣すれば、あなたの宗教観は一変します」というようなことを吹聴しているわけですが、実際にそうなった(?)方もあるようです。


ちなみに私は、家族を別々の機会(10年以上前)にそれぞれ親鸞会館へ連れて行ったのですが、高齢だった祖母はともかくとして、両親や弟は、


「うさんくさそう」

が、

「やっぱり駄目だこりゃ」


に変わっただけでした(変わってないとも言えますが、悪くなったと言えます)。母親は、「同じ話をぐるぐるしているだけで、たいした話をしとらん」と言ってました。その時以来、両親も弟も、本音ではさっさとこんな宗教団体から離れてほしいと思っていたと思いますが、強硬にやめろとは言われることがありませんでした。


ちなみに我が家は仏教に対して特に抵抗があるわけでもなく、墓参りは月に2回行ってましたし法事も欠かさずしておりまして、祖父の50回忌まで勤め上げていました。ただ、特に両親が行った報恩講では、当時正本堂の建設中で、正本堂の自慢ばかり流れていましたので、嫌気がさしたのも分かります。


以上は両極端の反応ですが、そのほか学生時代には学生が家族を連れてくることも多く、その反応は様々でした。


たいがいは大人の方ですから、表だった不信感を前面に出される方は少なかったのですが、その後も続けて来られる方が少なかったところを見ますと、


「たいしたことない」
「やっぱり怪しい」


といったところか、せいぜい「可も無く不可もなし」といった感想だったのだろうと思います。



行かれた方がどのような感想をお持ちになるかは人それぞれですから、私はどのような感想も「その方にとっては正しい」感想であると思います。ただ、通り一遍を見ての感想と、そこから深く付き合っていった時の感想とは、これまた必ずしも一致しないことは、皆さんも経験上お分かりになるかと思います。


現在財務省の麻生大臣は、「半径1.5mの男」と呼ばれていると、以前に新聞で読んだことがあります。遠くから見ている姿と、近づいて見ている姿とでは、まったく印象が異なる、ということのようでした。斯様に、それは団体に対しても言えることであろうと思います。


なぜふと、このような話を書いたのかといいますと、最近私が仕事で似たようなことを経験したからでした。私個人としてはそれほどでもないと思っていた人が、やはり評判通りの人だった、というところですが。

人の評判は得てして当てにならないと思いますが、全く外れてもいないなあと改めて思った次第です。



親鸞会に対して良い印象を持たれなかったとすれば、その後積極的に親鸞会と関わることは少なくなるでしょうが、良い印象を持たれた場合には、その後も関わることがあろうかと思います。

最終的にはご本人がお決めになることですが、親鸞会の目的は


「 一人でも本当の(親鸞聖人の)教えを知っていただき、
本当の幸福になっていただくこと」


と書いてあります(公式HPより。ただし括弧書きはあさ川註)。
親鸞会がその目的に足るかどうかは、最近はいろいろな情報がありますので、最終的にはご本人の判断になると思います。



ちなみに私が知る限り、親鸞会の中で「人生の目的達成した」と言われている方も数名あるようです。今も親鸞会にいらっしゃるかどうかは分かりません。亡くなる時に「救われた」らしい方の話も何人か聞きました。
あるいは親鸞会時代に弥陀の本願喜ばれたと言われる方も何人か聞いておりますが、なぜかそのような方は親鸞会を離れざるを得なくなることが多いようです。


親鸞会を離れた方の中でも、「親鸞会との縁が無ければ、弥陀とのご縁は無かった」と言われる方もあります。ただそれは、親鸞会によって救われたこととはイコールではない、というところがまたややこしいのですが。



RCさんから投稿文を頂きました。そういえば、もうRCさんが退会されてから一年近く経つのだと思いますと、長いような、短いような、不思議な感慨があります。RCさんは、親鸞会では目的が果たせないと思われて、退会された方です。さっき気がついたのですが、私のGoogleでは、「親鸞会」と検索すると、RCさんの投稿文が公式HPに次いで2番目に表示されました。


RCさんの投稿文は、今夜にでも公開したいと思います。

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