あさ川進の、宗教と私

浄土真宗親鸞会に所属しながらアウトサイダーだった私(現在は会員でなくなりました)が、宗教(浄土真宗親鸞会)との付き合い方を考えつつ書いている更新頻度が低いブログ(この説明も暫定です)リンクフリーです。なお、投稿文を受け付けております。「【投稿文】」と書かれている記事は、頂いた投稿文です。

2015年11月

あさ川です。とくよしみねさんからの投稿文の続きを頂きました。


とくよしみねさんのブログでは一昨日から公開されていますが、ずっと外出していて私がメールを見たのがつい先ほどだったため、こちらのブログでの公開のタイミングがずれてしまいました。(言い訳ですすいません)


前回の投稿文は、アクセス数を見ますと結構な人数の方に読まれています。急ぎの更新なのでざっと読んだだけですが、南無阿弥陀仏の讃歎、ありがたく頂きました。


=========(以下、とくよしみねさんからの投稿文です)=========

RCさんの反響もすごかったのですが、今回も負けず劣らず沢山の皆様からアクセスいただきました。
何度も読んでいただきたいと思います。
では、2部をご紹介いたします。

第2部
勉強会の直前に、嶋田さんへ求道に悩んで親鸞会を辞めたと手紙を出しました。
すぐに「阿弥陀仏の六字の心」を伝えますとの励ましの返信を頂きました。
大変嬉しく勇気付けられたのですが、一番恐れていたのは自分自身の心でした。
後生分からずに苦しいので、仏教を聞くことすべてを止めたいと思う気持ちが出て来たのです。
勉強会は、皆さんと一緒にお念仏を称えることから始まりました。
内容をまとめたレジメが配られます。
嶋田さんが説法されました。
「仏教は仏の説かれた教えです。仏になる教えです。
18願は、本願を信じ念仏申せば必ず仏になるべしということです。
仏願の生起本末を聞きて疑心ある事なし、と聞くことです。
今ここで、あなたを喚んでおられます。
十劫の昔から喚び詰め、立ち詰め、招き詰めです。」
阿弥陀仏と南無阿弥陀仏のこれ以上は無い、はっきりした話でした。
それまで、念仏は信の一念の瞬間か前後で称えるものだと思っていました。
歎異抄第一章の
『弥陀の誓願不思議に助けまいらせて、
 往生をばとぐるなりと信じて
 念仏申さんとおもいたつ心のおこるとき
 すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり』
この文章は、求道が進んで進退窮まって、念仏称えようと思った瞬間に
救われる意味だと理解していました。
自分から称えるのでなく、遍照の光明に照らされていつか称えさせられるときが
来ると思っていました。
お念仏は、弥陀の喚び声だから称えなさいと言われます。
説法の最中、会場に何度もお念仏の声が上がります。
親鸞会にはないことで大変驚きました。
けれど、これらが本当ならば毎日の勤行で念仏称えることに納得がいきます。
親鸞会では、念仏は御恩報謝で助けられたら称えるものと教えられました。
ご法話の最初と終わり、勤行の時以外に称える人はいません。
仏法聞く全ての人が信後というわけないのにどうして勤行で念仏なのだろうと
疑問だったのです。
説法は録音されて、データを配信して頂きました。
家で何度でも聞くことが出来ます。
「仏法を聞く先生は変えて良いですよ。」
とも言われます。
救われるには聞くしかありません。
説法はテープやサイトでいつでも聞けます。
批判ブログも自由に見れるし、好きな本が読めます。
これからの筋道がわかって嬉しかったのですが、
心は暗く重く沈みます。
毎日サイトを見て、暇さえあればお念仏を称えていました。

阿弥陀様はすぐ傍におられます。
あなたが称える念仏は、阿弥陀様が称える念仏ですよ。
ただ今救う弥陀の本願です。
救われないのは本願を疑っているからです。
このように言われるのですが、さっぱりわかりません。

自力の念仏とは、称えた念仏を往生の足しにしようと計らうからです。
その言葉に涙が出ました。その通りでした。
なんとか救われたい、お念仏でなんとか救われようと
思っていた自分に気づかされました。
阿弥陀様のそのまま救うの本願と真逆のことをしていました。
罪悪深重煩悩識盛の私に、後生助かる善など出来ません。
善も出来ない、聞くことも出来ない、信じまかせることも出来ない
どうにもならない者でした。
そのままの私を救う弥陀の本願でした。
不思議不思議の南無阿弥陀仏です。
以前は、仏法は聞かなくてはならないもので、苦しみでした。
今は聴かせて頂きたいと楽しみに思うのです。
お聖教が難しいことは変わらないのですが、読めると有難くて
お念仏を称えられるのです。

一には決定して「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、
広劫より巳来常に没し常に流転して、出離の縁有る事無し」と深信す。
二には決定して「彼の阿弥陀仏四十八願をもって衆生を摂受したまうこと、
疑無く慮無く彼の願力に乗ずれば、定んで往生を得」と深信す。

こんな私がこの二種深信を本当だと知らされるとは、半年前には
全く想像出来ませんでした。
どうか皆さん、平生業成のみ教え
南無阿弥陀仏のみ心を聞いて下さい。

長文を読んで頂き有難うございました。


南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

あさ川です。先の記事で書きました通り、とくよしみねさんから投稿文を頂きました。

とにかく皆さんに読んで頂きたい、とのことで、とくよしみねさんのブログにも同じ内容を掲載されるようですが、合わせてこちらにも掲載します。

とくよしみねさんのコメントにあります通り、2部構成だそうです。今回は文章が途中で終わっています。
(ちなみに、現時点で私も第2部の内容は分かりません)

最後に、RCさんからの勉強会のお知らせが入っています。


=========(以下、とくよしみねさんからの投稿文です)==========

あさ川進様、皆様、いつもお世話になります。「とくよしみね」です。
親鸞会を退会され、私とたまたまご縁のあった方「宝珠」さんが阿弥陀様の御本願とお会いすることが出来ました。
そのことをどうしても皆様に知っていただきたく、ご本人の了解を得ましたので親鸞会退会の記録をご発表したいと思います。
とにかく皆様に読んでいただきたい。
嘘と思われるならその方をご紹介したいくらいです。
今回は2部構成になっております。
まず、第一部からご紹介いたします。

宝珠さんの退会の記録です。

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宝珠
第1部
今年の8月、親鸞会を退会しました。
約30年前の学生の頃、本当の仏教、親鸞聖人の教えには、死が来ても崩れない幸福、後生の一大事の解決が説かれている、の言葉に感動して入会しました。
規律や時間に厳しい軍隊のような合宿に驚きましたが、
因果の道理や阿弥陀仏の本願など聞いたことのない話で
これこそ真実の宗教だと確信し、少しずつ聴聞するようになりました。
長い間いろいろなことがありました。
聞いても聞いても求まらない。
カスの時間とカスの身体で聞いてるから救われないのだ。と言われて、欲いっぱいの自分が悪い、真剣に聞いていないから信心決定できないのだと反省していました。
今年に入って顕正戦が始まりました。
毎年の入会者の5~6倍の人数を半年で達成するというのです。
数の大きさにひるみましたが、広く多くの人に知ってもらうのが目的です。
仏教を聞きたいという気持ちさえあれば、高森先生とのご縁が無くても構いません。
入会退会自由。寺と縁を切る必要なし。
いろいろなサークル活動などを催して、誘って仲良くなるところから始めましょう。
但し入学金5万円。
親鸞聖人の教えを多くの人に知ってもらうには良いことと思って活動に参加しました。
ダミーの社会人サークルを作って東洋心理学講座とか、異業種交流会、飲み会などを開きます。参加人数が少ないと新しい人が警戒して帰ってしまうので、サクラが欲しいといわれ、いわれるままに参加しました。
最初は明るい雰囲気でよかったのですが、
6月下旬頃から支部毎の達成率ランキングの連絡が来るようになりました。
その頃から、一度もご縁になかった家族の方の入会が増えたのです。
腑に落ちない気もしましたが、それがご縁で聞いていかれたら良いと思っていました。
7月に入る頃にはFacebookや役員メールは、いつ誰に入会勧めるかとか、誰が入会したとかの情報や報告でいっぱいになっていました。
信心決定することが目的なのに顕正目標達成することが目的になっているようです。
そして支部長から入会希望している人がいるが、入学金が不足して入学できないからカンパしてもらえないか、と頼まれました。
高い入学金は、その人が本当に仏教を聞く気があるか試すものだと理解していました。
仏法を尊く、真面目に聞き求めようと思うからこそ出されるお金だと思っていました。
それをなぜ他人の私が払うのか。
おかしいとは思いましたが、皆目標達成に必死になっているから
協力しようとお金の一部をだしました。
けれど、怒りと疑問の心が湧き上がります。
その時、ふっとした事で『さよなら親鸞会』を見ました。
長年、会に対して疑問や不満がありましたが、納得のいく答えが書かれてあるのです。
元講師の嶋田久義さんの『私の白道』も読みました。
大沼法竜師や伊藤康善師の本を盗作して、会報や100の花束を書いていたとは衝撃でした。
高森先生は「言動はきちんとしなさい。いくら真実を説いても、言動がいいかげんだと
誰も信用しない」と仰っていたのに。
「弥陀の本願に値うには、19、20、18願と進みなさい。
19願に従って善を一生懸命やりなさい。
うぬぼれが強い凡夫は善が出来ないことがわかりません。
ちょうど、小さい子供がお母さんから瀬戸物を持たせてもらって初めて持てないことに気がつくように、やってはじめて善が出来ない者と知らされて真実知らされるのですよ。」
と聞いていました。
このころ私の心は善が出来ないと悩んでいましたが、20、18願に進んだ実感もありませんでした。修善の次は念仏のはずですが、念仏称える気持ちがありません。
真実とは善が出来ない自分という意味か、18願のことなのか。
どうしたらよいのかわからなくなってきました。
批判サイトでは『三願転入は間違い』といわれているけれど、
それは正しいのでなかろうか。

顕正戦は目標達成で無事終わりました。
今度の報恩講は大きな参詣目標になるだろうと思っていました。
8月に新たに顕正目標が発表されました。
今年12月までに7月までの人数と同じ分を顕正せよというのです。
皆必死に活動してやっとやっと目標達成したけれど、二千畳に参詣していない人は多いから、これからお育てしていくと思っていたのに。
また顕正戦となれば、育成やお誘いをする暇などあるのだろうか。
蓮如上人御一代聞書の
『一宗の繁昌と申すは、人の多く集まり威の大なる事にてはなく候、一人たりとも人の信を取るが、一宗の繁昌に候。』
のお言葉に反するでないのか。

主人は学生部からの会員で、義父母も会員です。
批判サイトを見たとき彼に悩みや疑問を打ち明けましたが理解して貰えませんでした。
サイトには、本願寺や華光会で仏法聞いて信心決定した体験が多くあがっています。
高森先生以外に真実説く方はおられるのでないか?
親鸞会を辞めて他で聞いてみたい、という気持ちが出てきました。
悩みがますます深くなっていきます。
けれど主人は分かってくれないし、義父母との人間関係を考えると我慢して会にいたほうが良いだろうか?
何のために仏法を聞いてきたのかよく考えました。
結婚前、両親に親鸞会を続けるなら家を出て行けと言われて
内緒で求めてきたこと。
正本堂建立のときは、病で死期が近い父がいることを知ると
遺産金が入るだろうからその分も御報謝するように勧められて、
勝手に父を亡き者のされて悲しかったこと。
子供を遠方聴聞に連れ回したために、具合が悪くなったこと。
それらを耐えてきたのは、すべて後生の一大事の解決のためです。
私の人生は、私の物です。
正しいと思う道を進もう。
家族に分かってもらえなくてもいい。
主人と離婚することになってもいい。
独りで経済的にやっていく自信などまるでないけれど、
それでのたれ死んでもいい。
後生の一大事の解決はそういうものでしょう。
支部長に名号本尊とバッジ、名札を返して退会の旨をつたえました。
親鸞会を辞めた後は、さわやかなすがすがしい気持ちでした。
また、これから一人で求めていけるのか心細く不安でした。
それまでは決められた行事に参詣するだけで、それが正しいか否か考えることなどなかったのです。
批判サイトを読んでいると、『私の白道』の嶋田さんが勉強会を開いていることを知りました。
不安の心のまま、8月末に嶋田さんの勉強会に参加しました。


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RCさんからのお知らせ
次回 第6回目の
勉強会のお知らせをさせていただきます。


テーマ : 「聞其名号」 南無阿弥陀仏を聞くとは どんなことか。

日時:11月29日 9時から16時位です。

場所:埼玉県の公共施設
(今回は、今までの所と違う場所です。これまでご参加されている皆さんには、後日正確な場所をメールで、お知らせいたします。)

新しく参加希望の方は、私に メールでお知らせください。

正確な場所や交通手段のご案内をさせていただきます。

私の メールアドレスは、

rokujinotsudoi アットマークyahoo.co.jp
(アットマークは、 @ に変えて下さい。)

あなたのご参加を 阿弥陀様とともに、心よりお待ちしています。

気がついたら前回の更新から一ヶ月ほど経ってしまいました。仕事の繁忙で曜日の感覚が無くなっていたといのはただの言い訳ですが、ようやく落ち着きまして、休みが取れました。



先日、私がよく行っている寺の報恩講に行きました。その寺は、先日亡くなったひろしさんに紹介して頂いた寺であり、住職ともご縁があったようでした。六月の広島での合同布教大会の翌日、ひろしさんが行かれた寺でもあります。

その住職には、九月の彼岸会の後にひろしさんのことをお話ししていたのですが、とある冊子にひろしさんのことが書いてあったということを、報恩講の時に教えてもらいました。そして数日前に、その記事のコピーが寺から届いたのでした。


ひろしさんとは、ブログではお付き合いが多かったものの、直接お会いしたのは三回でした。ですので、ひろしさんの人となりは殆ど存じ上げていなかったのですが、その記事を読みますと、ひろしさんの姿が懐かしく思い出されたのでした。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、


妻が見つけてくれたのですが、その記事を書かれた方と思われる方がコメントをされていたようですので、勝手ながらリンク先もご紹介します。


http://yahoo.jp/box/jaqy9d


こちらのリンク先では横書きになっていましたが、私が受け取ったコピーは縦書きでした。内容は同じだと思います。



さて、昨日にとくよしみねさんからメールを頂いておりました。投稿文を頂きましたので、近いうちに公開したいと思います。

短いですが、今日は以上といたします。

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