あさ川進の、宗教と私

浄土真宗親鸞会に所属しながらアウトサイダーだった私(現在は会員でなくなりました)が、宗教(浄土真宗親鸞会)との付き合い方を考えつつ書いている更新頻度が低いブログ(この説明も暫定です)リンクフリーです。なお、投稿文を受け付けております。「【投稿文】」と書かれている記事は、頂いた投稿文です。

2015年12月

おそらくは今年最後の記事かと思います。

お手紙のやりとりをさせて頂いている方からのお返事がまだできていないのですが、思うところもありまして年内のお返事を見送らせて頂こうと思います。そこで今回は、学生時代などを思い出しながら、親鸞会の冬休みについて書こうと思います。一応今回の記事は、「ご家族の方むけ(仮)」の記事です。


学生や、あるいは就職して間もない時分の場合、遠方に行っていたりしますと普段はなかなか顔を合わせることがありません。私なんかはそういうパターンで、だいたい夏休みと年末年始に実家に帰っていました。


普段から顔を合わせている同居の場合は、恐らく年末年始も変わらず顔を合わせているでしょうから、特別でもないのかもしれませんが、たまに帰ってくるとなると、家族から一応は歓迎されたりしていました。そういう私は運が良かったのかもしれませんが、同じように遠方に実家がある人の中には、帰るたびに親御さんの反対に遭うとかいう人がいたり、さらには何か言われるのが嫌だからそもそも帰らないなどという話も聞いたことがあった気がします。


そこで、今回の記事で言いたいのは、月並みなのですが、親鸞会をよく思われずにやめてほしいと思っていても、たまに帰ってきた時には温かく迎えてやって頂きたいなあということです。

そもそも(私みたいに)親鸞会のことが好きではない場合は「まあ言いたいことはよく分かる」と思うことがあるかしれませんが、親鸞会が正しいと思って熱中している時には、残念ながら言えば言うほど逆効果になってしまうと思います。そうやって、先ほどの例みたいに、顔を合わせるのも嫌だというようになってしまうと、余計にご家族の方からご本人の心が遠ざかってしまうことさえあるのではないでしょうか。

私が「温かく迎えて」と書きましたのは、ご家族がご本人にとっての「居場所」であり続けることが大切では無かろうかと思うからでもあります。例えば親鸞会の活動に心折れた時、あるいは折れずに活動を続けていったとしても、居場所があれば戻ってくることができます。

本来なら、さっさと親鸞会から離れてほしいと思われたとしても、言ってさっさとやめるくらいならそんなに熱中しないと思います。(大して正しいとも思っていないようでしたら、ちょっと強く言えばすぐやめる可能性は大いにあると思います) 以前にも書きましたが、残念ながら長期戦になることが多いと思います。


そういえば言い忘れましたが、いくつかあったケースとして、「ご家族に対してはやめたことにする(つまり本当はやめていない)」ということがありました。一概には言えないでしょうが、ご家族の反対が強いのにご本人の親鸞会依存度が高い場合に見受けられると思います。言動だけで見分けるのは難しいかも知れませんが、そういう場合もありえるということは頭に置いて頂いても良いかしれません。

とはいえ、経験から申せば、こういう場合も多くはいずれやめていきましたが。





さて、言いたいことを先に書いてしまいましたが、一応親鸞会の冬休みということで、ひょっとしrたら何かの参考になるかもしれませんので、思い出がてら続けます。


就職するとそんなヒマもありませんが、学生時代には「冬合宿」というのがありました。だいたい、冬休みが始まる3日間程度、合宿をします。合宿では、冬休み中の過ごし方の心構えなどを教育されます。下宿後に、下宿生の中には帰省する人もいますし、しない人もあります。社会人は、特に合宿などはありませんから、支部の行事の兼ね合いを見て、実家に帰る人は帰ります。


ある程度会員歴が長い人で帰省する人は、封がされた封筒を受け取って帰省します。


新年が明けますと、封筒を開封して、「顕正新聞(親鸞会の機関紙)」の「年頭所感(「会長先生のお言葉」)」を「拝読」します。会員さんの中には、もらってすぐ開封する人もあるかしれませんが、「年が明けてから拝読」と決められているのでたいていの人は年始に読みます。学生で自宅生の人は、年明けに部室に集まって「拝読」します。年越しのタイミングで部室に集まって、「ご著書」を「拝読」しつつ年を越す人もあるようです。


「年頭所感」は、最近では大概『ご著書』の一部分の抜粋のような構成が多かった記憶がありますが、学生は熱心に何度も「拝読」します。なぜなら、覚えさせられるからです。年明けに集まった時には「年頭所感」を覚えていないと講師部員から叱られることがあったような無かったような、そんなものでした。


そして、年明けすぐの日曜日には「初聞法会」と称して富山の親鸞会館に集結します。早い時では3日に「初聞法会」があった記憶があります。このときには、帰省していた下宿生も富山に行きます。

ちなみに、「初聞法会」の前日には、「新春大会」という会食会が行われていました。これは会費が1万円(学生の場合。一般は2万円だった記憶があります)の会食会で、一応「会長先生と一緒に」ということになってますが、講堂一杯に人がいますのであまり実感は湧きません。ここでは、梅酒で乾杯しながら弁当を食べ、「親鸞会はこんなにすごい」という映像を見ながら皆でスクラムを組んで「親鸞会同志の唄」を歌うという集まりです。3日に初聞法会がある年の場合は1月の2日から親鸞会館に足を運ぶわけです。

「初聞法会」は、新年最初の法話ですので、熱心な会員さんは当たり前のように参詣するのですが、そもそもまだ正月気分も抜けない日取りだったりすることもありまして、あまり参詣数は多くなかった覚えがあります。

先ほど書きました、「年頭所感を覚えているかどうか」は、この初聞法会で聞かれます。今の学生さんはどうか知りませんが、学生は大変です。


おおよそ、会員さんの冬休みは、以上のように消費されていきます。


あと、ちょっと熱心な会員さん(大概、親鸞会館に行くような学生の場合は当てはまりますが)の、冬休み中のイベントに対する過ごし方としては、

・親鸞会の「えらい人」に年賀状を出す
・年賀状に「あけましておめでとう」とは決して書かない
・年始の挨拶「あけましておめでとう」も言わない
・初詣では拒絶する(もしくは神社の鳥居は決してくぐらない)

というようなことがあったかと思います。(うろ覚えですが)

年賀状については、「謹賀新年」は良いようです。「賀正」が良かったかどうかは覚えてません。私は字数を稼ぐために「謹んで新年のご挨拶を申し上げます」と書いていました。最近は「会長先生への年賀状」を書ける人は限られた人だけになったようですが、学生時代は必ず書くように勧められていました。そこで決意発表をするというわけです。

「あけましておめでとう」を言わないのは、「一年経ったと言うことはそれだけ死に大きく近づいたから・・・」というわけです。私は、友人から「あけおめ」メールが来た時に「ことよろ」と返していましたが、今は別に気にしてません。

初詣での件、鳥居をくぐらないのは別に親鸞会に限った話ではないのでしょうが、日本人のある意味では恒例行事なだけに、会員さんは苦慮していました。よくある逃げ方としては、仮病が使われていたようです。講師部員も、一番無難な方法として仮病を推奨していたような気がします。

最近手紙のやりとりをさせて頂いている方の情報からすると、今の親鸞会はこの辺が緩くなっているような話も受けていますが。


親鸞会のことをあまりご存じで無い方からすれば、上記のことはいずれも奇異に映ることかと思いますが、これはいずれも親鸞会の教えているところに由来するものです。詳細は述べませんけれども、ごく簡単に申しますと、上記のことが出来ないと「救われない(親鸞会にいる目的が達せられない)」、という思いがあるからです。有り体に言えばそう理解するように教えているのは親鸞会であるわけですが。


ですので、熱心な会員さんほど、上記のことで文句を言うと喧嘩になってしまうと思います。それは、ご本人にとっては「人生が掛かっている」からです(厳密に言いますと、不十分ですが)。

会員歴が長くなると、人によってはこのあたりの受け流し方も身につけてくるのでしょうが、会員歴が浅い人の場合は、どうしても純粋であるがゆえに、周囲の方からご覧になると違和感を覚えることが少なからずあろうかと思います。これも先ほど申した通りです。


思い出すままに親鸞会の冬休みについて書いてみましたが、補足や訂正すべき点などございましたら、会員歴のある皆さんにコメントをお願いして、今年の締めとしたく思います。


今年もたくさんの方のご縁を頂きまして、ありがとうございました。

あさ川です。

前回最後に少し書きました、RCさんの勉強会のお知らせを頂きましたので掲載します。
年内にもう一度くらい更新するかも知れませんが、今回は勉強会のお知らせです。
もう第7回になるのですね。隔月ですから、ちょうど1周年ということになるでしょうか。もう一年経つのか、という思いもしますし、やっと一年か、という思いもあります。不思議なものです。


========(以下、RCさんの勉強会です)======

RCです。

2016年 最初の勉強会のお知らせです。
今度は、第7回 です。

日にち :2016年 1月24日
午前9時~午後4時
場所:埼玉県の公共施設
(前回は 今までと違う場所でしたが、今回は 前やっていたところです)
電車で来られる方は、
最寄り駅から車の送迎をいたします。

新しく参加希望の方は、私に メールでお知らせください。

正確な場所や交通手段のご案内をさせていただきます。

私の メールアドレスは、

rokujinotsudoi アットマークyahoo.co.jp
(アットマークは、 @ に変えて下さい。)

新年 最初の勉強会、
阿弥陀仏の 直のお呼び声、
「 南無阿弥陀仏 」の み心を 教えて頂きましょう。

ありがたいことに、今でも細々と手紙やメールのやりとりをさせていただいておるのですが、一部お返事が滞っており失礼しております。


ところで、「ブログポータル・ナビ」で当ブログは掲載以来ずっと緑色だったのですが、今更ながら変更するかも知れません。しないかも知れませんけど。

そもそもこのブログは、私が会員時代に「会員であることを名乗って」始めたものだったのですが、今に至るまで立ち位置が分かりにくいブログでした。
「ポータルナビ」の分類では、

・「親鸞会が運営しているもの、もしくは自称脱会者が親鸞会教義を喧伝しているもの(緑)」
・「脱会者やアンチが運営しているもの(赤)」

なので、強いて言うなら赤緑ですかねえなどと言っていたのですが、結局緑色になって今に至っています。

今にして思えば、分類がなぜか「緑色」だったこともあって、二年あまり親鸞会から追い出されずに済んでいたのかも知れません。


さて、先日Kindleの話をしましたが、とりあえず一太郎2016のことを待ってからということで「お聖教データ化」はしばらく見合わせております。代わりに、小説等を少しずつ読んでおりまして、今は「芥川龍之介全集」をつまみ食いしているところです。

『侏儒の言葉』と言いますと、私と同世代(30代くらい)で学生時代に親鸞会に勧誘された経験をお持ちの方は、学生時代に出てきたのではないかと思います。親鸞会では、確かこれを使っていたと思います。


人生  ――石黒定一君に――

 もし游泳を学ばないものに泳げと命ずるものがあれば、何人も無理だと思ふであらう。もし又ランニングを学ばないものに駈けろと命ずるものがあれば、やはり理不尽だと思はざるを得ない。しかし我我は生まれた時から、かう云ふ莫迦げた命令を負はされてゐるのも同じことである。
 我我は母の胎内にゐた時、人生に処する道を学んだであらうか? しかも胎内を離れるが早いか、兎に角大きい競技場に似た人生の中に踏み入るのである。勿論游泳を学ばないものは満足に泳げる理窟はない。同様にランニングを学ばないものは大抵人後に落ちさうである。すると我我も創痍さういを負はずに人生の競技場を出られる筈はない。
 成程世人は云ふかも知れない。「学人の跡を見るが好い。あそこに君たちの手本がある」と。しかし百の游泳者や千のランナアを眺めたにしろ、忽ち游泳を覚えたり、ランニングに通じたりするものではない。のみならずその游泳者は悉ことごとく水を飲んでをり、その又ランナアは一人残らず競技場の土にまみれてゐる。見給へ、世界の名選手さへ大抵は得意の微笑のかげに渋面を隠してゐるではないか?
 人生は狂人の主催に成つたオリムピツク大会に似たものである。我我は人生と闘ひながら、人生と闘ふことを学ばねばならぬ。かう云ふゲエムの莫迦々々しさに憤慨を禁じ得ないものはさつさと埒外らちぐわいに歩み去るが好い。自殺も亦確かに一便法である。しかし人生の競技場に踏み止まりたいと思ふものは創痍を恐れずに闘はなければならぬ。四つん這ひになつたランナアは滑稽であると共に悲惨である。水を呑んだ游泳者も涙と笑とを催させるであらう。我我は彼等と同じやうに、人生の悲喜劇を演ずるものである。創痍を蒙るのはやむを得ない。が、その創痍に堪へる為には、――世人は何と云ふかも知れない。わたしは常に同情と諧謔かいぎやくとを持ちたいと思つてゐる。

       又

人生は一箱のマツチに似てゐる。重大に扱ふのは莫迦々々しい。重大に扱はなければ危険である。

       又

人生は落丁の多い書物に似てゐる。一部を成すとは称し難い。しかし兎に角一部を成してゐる。

(芥川龍之介 『侏儒の言葉』)



太字にしたところが、特に学生時代に聞き覚えのあるところではないかと思います。
その『侏儒の言葉』に、興味深く思われたところがありましたので、今日はそれについて書くことにします。


兵卒

 理想的兵卒は苟いやしくも上官の命令には絶対に服従しなければならぬ。絶対に服従することは絶対に批判を加へぬことである。即ち理想的兵卒はまづ理性を、失はなければならぬ。

       又

 理想的兵卒は苟くも上官の命令には絶対に服従しなければならぬ。絶対に服従することは絶対に責任を負はぬことである。即ち理想的兵卒はまづ無責任を好まなければならぬ。
(同上)



そういえば親鸞会では、蓮如上人御一代記聞書のとある一文に「無条件服従」とかいうタイトルを付けていた記憶があります。講師部聖則には「上司に絶対服従」のようなものもあったとか聞いた覚えもあります。


「上司に絶対服従」を推し進めますと、ここで芥川龍之介が書いているように、考えることをやめて無責任になるのだろう、と思いました。言われたことに対して判断することをやめて、その行為の責任を負わなくなる。

まあ、親鸞会は組織として責任を負おうとはしませんし、逆に責任を負わせようとするであろうと私は思いますから、その点は、ちょっと違うのかも知れませんが、ひとまずそこはさておくとしましょう。


「絶対服従」になっていくと、どうなるか考えてみます。


・親鸞会にいる間においては、親鸞会(の上司)からの指示に対して考えることをせずに従う
・指示に従っていれば、そのうち助けてもらえると思う


理性の喪失と無責任、という2つの観点で言うとこのようになるかと思いますが、2つめがなんだか変に思いました。親鸞会である程度聞いていて真面目に活動している人は、おそらく「阿弥陀仏に助けてもらう」という理解になっているかと思います。ですから、2つめは「阿弥陀仏に助けてもらえると思っている」ということになっているはずなのですが、指示をしているのは親鸞会の上司(人間)です。ということは、親鸞会の指示に従うことによって阿弥陀仏に助けてもらおうということになります。つまるところ、親鸞会と阿弥陀仏は同じように(あるいは延長線上に)捉えられていると言えるかも知れません。


反対に、「?」が浮かんで「絶対服従」出来なくなると、


・親鸞会(の上司)の指示に対して意味を考えるようになる。あるいは考えて従わないようになる
・このまま続けるか、やめるかを考える


さっきの逆を言うとこのようになるかと思います。

親鸞会の指示を真受けにして従うのは、特に金銭的な面と体力的な面において決して楽では無いと思います。私はある意味在籍時代から自分のできる範囲のことしかやらなかったので、そういう場合はまだ良いのですが、まともに取り合うと大変です。しかしながら、考えることをやめるのはある意味では楽だと思います。今までと同様のことが続くので、環境変化という点においてのリスクは殆どありません。


一方、今後の自分の身の振り方を考える、あるいは別の決断をする、ということは大変です。環境が変わるということにおいて、自ら判断するということは自分で結果の責任も負うということですから、環境変化のリスクは大きいです。


どちらを取るかは、その方その方のご縁でしょうが、こと南無阿弥陀仏についてのことでしたら、阿弥陀仏が法蔵と名乗って誓願を建てられてから南無阿弥陀仏を成就されたことについて味わいながら決めるのが良いのだろうと思います。つまり、


「指示に従っていれば、そのうち助けてもらえる」


というものが南無阿弥陀仏の心なのかどうか。


このブログを始めてから、様々な方とご縁がありました。最近、会員を続けながら疑問に思われてメールを下さった方とのご縁がありました。その方に、私は特に親鸞会を続けるという点については否定も肯定もしておりませんでしたが、ご自身でやめるという判断をされたようでした。おそらくは、ご自身で真摯に、南無阿弥陀仏の心を味わわれてのことだろうと思いました。


もっとも、同様に南無阿弥陀仏の心を味わわれて親鸞会を続けるという結論になる方もあるかしれません。いずれにしても、浄土真宗とご縁があったのでしたら、南無阿弥陀仏の心を中心に味わうことが大切なのだろうと思います。




当ブログでお馴染みのRCさんですが、RCさんも真剣に向き合われて親鸞会をやめるという決断をされた方のお一人です。親鸞会を批判的に書かれてはいますが、一方で親鸞会を縁として浄土真宗に出逢った感謝や、無批判に親鸞会の教えを受け入れてしまった反省なども述べられています。先ほどのメールの方も同様に、そのようなことを書かれていました。そういう真摯な部分が無い私は、このようなところに尊さを覚える一方で、やはりこれが真摯な態度であろうと思うのです。

どういうことか、と言いますと、さっきの侏儒の言葉を「親鸞会をやめた後」で考えてみます。


・とにかく親鸞会が憎くて仕方なくなる
・たとえば、学生時代を親鸞会に捧げてしまったことに対して、無反省になる


親鸞会関係のネット情報を見た時、素性の不明なコメント欄には、素性が不明だからなのか分かりませんが、たまにこのような言辞が見られました。

まあ、親鸞会が悪くないとは言いません。私なんかは親鸞会なんて潰れてしまえば良いとすら思ってしまったりもしますが、情報の非対称性があったとは言え親鸞会の言葉を受け入れてしまったとすれば、それは自分の責任でもあろうと思います。親鸞会を批判するのは結構なことですけれども、自ら無責任を好む理想的兵卒であることを告白するような言辞は、結局親鸞会的な絶対的服従の呪縛からは抜けられていないことの裏返しでは無かろうか、などと思うのです。

そんなことを書きつつ、そのように思われる言辞をされる方もまた、真摯に親鸞会に身を捧げたから起こった心持ちだとすれば、やはり真摯な方には違いないのだろうと思ったりもしています。


私は十年前、どうにかこうにかして親鸞会を説き伏せることができないものかと考えて、本尊論ブログを作ったりしてました。学生時代の多くを親鸞会に費やしたとは言え、親鸞会に人生を捧げていなかったために、親鸞会を憎む心が大して起こらなかったのは、真摯さが無かったからかも知れません。

真摯さを条件とするような南無阿弥陀仏でなければ、私のご縁もありませんでした。ですから、このブログをお読みで、なおかつ南無阿弥陀仏の心が分からないと悩まれている方があるとすれば、

「安心して下さい、南無阿弥陀仏ですよ」


そんなことを、『侏儒の言葉』を読んで思ったのでした。


ところで、阿弥陀仏に帰命する事が絶対的服従のように言われる方があるかもしれませんが、別に阿弥陀仏は、人間の言葉に絶対服従せよとは言われてないと味わっております。あるいは、「善知識の言葉に絶対服従せよ」と言われる方があるとすれば、それも同様だと味わっております。

なんとかの一つ覚えのように、私はこのお言葉をよく出しますけれども、今回も出したいと思います。


そもそも善知識の能というは、「一心一向に弥陀に帰命したてまつるべし」と、ひとをすすむべきばかりなり。
(御文2-11)

もう十数年前のことですが、学生時代に祖母を親鸞会館へ連れて行ったことがありました。ちょうどそのときは「降誕会」でした。


当時はまだ正本堂がありませんでした。最初は第一講堂で聞いていたのですが、祖母は耳が遠かったので別室の難聴者席へ行きました。難聴者席は、当時の私の感覚から見たらカオスでした。

法話中に話し声が聞こえる、途中でも構わず立ち上がって出入りする。基本的に高齢者が多かったからかも知れません。しかしながら、第一講堂とのあまりの違いに、大変だなあと思ったものでした。


その半年ほど前の「報恩講」、実は祖母をここに誘っていました。


学年が上がるにつれて、学生も周りはいろいろ家族を誘ってきたり友人を誘ったりしていましたが、私は宗教団体の集まりに人を誘うのが嫌だったので誘っていませんでした。しかしながら、さすがに学年が上となってきて周囲からの圧力もあったので、誘わざるを得なくなっていました。


実家で両親と同居している祖母とは、当然のように帰省のたびに顔を合わせていました。もともと「変な宗教で無ければ」宗教には寛容な家でもありましたので、祖母にはストレートに「仏さんの話を聞きに行かないか」と誘ったのでした。そして意外にあっさり、祖母と一緒に親鸞会館の報恩講に行く事になりました。


旅行がてらということで、法話は2日間でしたが3日間の旅程で行くことにしました。1日目には、金沢の兼六園に行こうと決めました。私にとっては、初めての金沢でした。特急列車の指定席の切符もとり、宿の予約もしました。

そして、旅行の前日に夜行で祖母を迎えに行ったのでした。



早朝に実家に着いたところ、いるはずの祖母が家にいませんでした。

深夜に心臓発作が起きて祖母は急遽入院した、と聞かされました。ちょうど私が夜行列車に乗ったあたりの時刻に発作が起きたそうです。一応近くに救急病院があったため、救急車は呼ばずに父が運んでいったようでした。


連れて行くはずの祖母が連れて行けなくなり、両親からは行くのをやめて家にいたらと言われたのですが、一人で行くことにしました。


出発前にひとまず、祖母の入院先の病院に行きました。手術がうまくいったようで、大事にはなっていないようでしたので、祖母の意識はハッキリしていました。私が病室に入ると、「悪かったねえ、悪かったねえ」とばかり繰り返していたので、私も悲しくなってすぐ病室を出てしまいました。


一人で出発した私は、予定通り金沢に向かいました。祖母が座っていたはずの隣の座席には、別の人が座っていました。

金沢は雨でした。兼六園を、大きな荷物を抱えて一人歩いていました。



報恩講は土日の2日間にわたって行われましたが、私は親鸞会館の書籍コーナーで購入した「正信偈のこころ」を持って祖母の見舞いに行くために、日曜日の午後の弁論大会には出ずにまた実家に戻りました。


祖母はずいぶん良くなっていたので、私は土産話をしつつ正信偈の話をして、夜行で帰りました。


実家は浄土真宗のはずなのですが、祖母はなぜか毎日仏壇に向かって般若心経をとなえていました。なので、浄土真宗は正信偈だという話と、正信偈の中身の話を少ししたのでした。

その甲斐あってかは分かりませんが、退院後に祖母は正信偈の勤行本を寺で求めたようで、それ以来正信偈をあげるようになりました。ちなみに、退院はしたものの障害は残ってしまいましたが、それ以外は元気でした。



とある年の「報恩講」には、そんな思い出がありました。今でも思い出します。そんな思い出があったので、翌年の「降誕会」は思い入れもひとしおかと思えば、冒頭書いたような状態ではありましたが。



さて、このときの報恩講の話は、祖母のことについての思い出もあるのですが、祖母のこととは別にその後日談がありました。



報恩講の数日後、K玉氏が部会後に私を呼び止め、私が弁論大会を聞かずに帰ったことについて尋ねたので、私は祖母の見舞いのためだと答えました。私の優先順位は、間違いなく弁論大会より祖母の見舞いの方が重要でありましたので、私にとっては当然の回答でした。
その後、少しやりとりがあった後にK玉氏がおもむろに、


「助からんということだ」


とのたまったのでありました。
これだけだと意味が分からないと思いますので、前後のやりとりから文脈を浚いますと、


「弁論大会は(高森)先生の御心で行われているものだ。それを軽んずるということは善知識を軽んずるということだから、助からんということだ」


というような趣旨のことでした。
私は、一応「はい」と言って下がりましたが、この件について納得することはありませんでした。


正直に申せば、祖母の見舞いより弁論大会を優先しなければ助からんような弥陀の本願なら、こちらから願い下げだわい、とすら思いました。



このときに同時に私が思いましたのは、

「親鸞会では高森先生の言う通りにしなければ助からんということになっているのだなあ」

ということでした。



とりあえず今回はおしまいに、歎異抄を味わいたいと思います。


専修念仏のともがらの、わが弟子ひとの弟子、という相論のそうろうらんこと、もってのほかの子細なり。親鸞は弟子一人ももたずそうろう。そのゆえは、わがはからいにて、ひとに念仏をもうさせそうらわばこそ、弟子にてもそうらわめ。ひとえに弥陀の御もよおしにあずかって、念仏もうしそうろうひとを、わが弟子ともうすこと、きわめたる荒涼のことなり。つくべき縁あればともない、はなるべき縁あれば、はなるることのあるをも、師をそむきて、ひとにつれて念仏すれば、往生すべからざるものなりなんどいうこと、不可説なり。如来よりたまわりたる信心を、わがものがおに、とりかえさんともうすにや。かえすがえすもあるべからざることなり。自然のことわりにあいかなわば、仏恩をもしり、また師の恩をもしるべきなりと云々
(六章)

口には願力をたのみたてまつるといいて、心には、さこそ悪人をたすけんという願、不思議にましますというとも、さすがよからんものをこそ、たすけたまわんずれとおもうほどに、願力をうたがい、他力をたのみまいらするこころかけて、辺地の生をうけんこと、もっともなげきおもいたまうべきことなり。信心さだまりなば、往生は、弥陀に、はからわれまいらせてすることなれば、わがはからいなるべからず。わろからんにつけても、いよいよ願力をあおぎまいらせば、自然のことわりにて、柔和忍辱のこころもいでくべし。すべてよろずのことにつけて、往生には、かしこきおもいを具せずして、ただほれぼれと弥陀の御恩の深重なること、つねはおもいいだしまいらすべし。
(十六章)



ところで、先ほどRCさんから次回の勉強会の日程連絡が来ました。来月下旬の予定とのことです。詳細はまた近々、RCさんからいただけると思います。

あさ川です。こないだの日曜日にRCさん主催の勉強会がありまして、その勉強会の報告を頂きました。
今回は3名の新しいご縁の方が来られたとのことです。私とメールのやりとりをさせて頂いている方も、今回ご縁がありまして、感想を頂きました。

実を言いますと、今回私は所用で名古屋にいたために残念ながらご縁がありませんでした。せっかくのご縁で皆さんにお会いできなかったのが残念でしたが、みなさん南無阿弥陀仏を喜ぶご縁にあわれたことと思います。次回は1月とのことですので、ご縁あればと思います。


とあるブログにあった、とあるコメントについての味わいを書こうと思っておったのですが、先にRCさんから勉強会の報告を頂いていますので、こちらを掲載します。今回心に残ったこととして書かれていることもまた、味わわれるところですが、ご縁がありましたら改めて味わいを書きたいと思います。

早いもので、もうRCさんの最初の投稿文から一年が経ちました。ありがたいご縁だと思います。

========(以下、RCさんからの投稿文です)========

RCです。

「第6回 勉強会」の報告をさせていただきます。

11月29日(日曜日)
埼玉県の真ん中辺で、福井から嶋田さんに来ていただいて、第6回の勉強会を開催させていただきました。

2ヶ月に一度ずつ開いて来た勉強会も 6回目となり、勉強会を始めて一年が経ちました。
なんだか 感無量、本当に、濃い一年でした。

最近の勉強会は 参加されるメンバーが、ほぼ固定していた感じでしたが、今回は 新しく3名の方が、参加されました。
(宝珠さんの 投稿文の後に、勉強会の案内をさせていただいたからだと思います。嬉しいです。)

新しい3人の方も「現 」また「元 」親鸞会会員の方で、親鸞会に疑問をお持ちでした。

ですが、勉強会の中心は、「親鸞会の間違え」では なく、「正しい親鸞聖人のみ教え」でした。

「衆生 仏願の生起本末を聞きて、疑心あることなし。これを聞というなり。」
の み教えを 丁寧に 教えていただき、大切にお聞きしました。

一番 印象に残ったのは、

︎みなさんは、
「阿弥陀仏の本願が あるから救われる」って 思っているでしょう?
私も そう思っていました。
でも、違うんです。
「私が いたから 阿弥陀仏が本願を立てられた」のです。
本願があるから 私が 救われるのではなく 私を救うために本願を立てられたのです。
私が、阿弥陀仏を法蔵菩薩に引きずり下ろして 修行をさせたのです。」

という お言葉でした。

親鸞会で、
「19願の善を 精一杯して 三願転入しなければ、アリ一匹救われない」
などと 突き放すような冷たーい話しを聞いて来た 親鸞会出身の皆さんは
私ひとりに向けられた阿弥陀仏のお慈悲に 心を揺らされたと思います。

新しく参加された方も、以前から参加していた方も
「私」にかけられた阿弥陀仏の深いお慈悲を教えていただいたいて、
次回の勉強会にも 是非 参加したいと思われたようでした。

「勉強会のあることは 知っているけど、参加するまで の気持ちには、なれない」と いう方が 多いかと 思いますが
「せっかくの 勉強会、参加しないなんて もったいない!」って思いました。

今回、参加された方には、
嶋田さんのお父様が 持っておられた
「菱川慧学 著 本願成就文説教」という本の コピーを 差し上げました。
とても素晴らしい本です。
例え話しも たくさんあって、阿弥陀仏のみ心を わかりやすく書かれていました。(私の宝物です)

次回も、新しく参加された方には
コピーを 差し上げます。


次回の日程は、まだ決めていませんが、1月を予定しております。

また、ご案内させていただきます。

今 これを 読んで下さっている「あなた」と、勉強会でお会い出来ますように。

何か ありましたら、私に ご連絡ください。

私のメールアドレスは、

rokujinotsudoi アットマークyahoo.co.jp
(アットマークは、 @ に変えて下さい。)

です。

このページのトップヘ