あさ川進の、宗教と私

浄土真宗親鸞会に所属しながらアウトサイダーだった私(現在は会員でなくなりました)が、宗教(浄土真宗親鸞会)との付き合い方を考えつつ書いている更新頻度が低いブログ(この説明も暫定です)リンクフリーです。なお、投稿文を受け付けております。「【投稿文】」と書かれている記事は、頂いた投稿文です。

2016年01月

あさ川です。

私の作文がなかなか進んでいませんが、RCさんから勉強会の報告を頂きました。11月には残念ながら行けませんでしたが、今回はご縁がありました。雪が残っていたら時間が掛かるかなあと思って、路面を気にしながら車を走らせていたのですが、だいたいいつも通り30~40分くらいで着きました。

今回も嶋田さんは絶好調?で、味わうところもいろいろありましたが、特に「私がいるから弥陀は本願を建てられたのだ」とのお話を味わい深く聞かせてもらいました。

過去何度か触れておりますが、RCさんとは同じ支部でした。同じ支部でしたが、あまり話をすることなく過ごしていた間柄で、今このようにご縁があることの不思議さを味わっていました。


さて、RCさんの投稿文に出てきます「レジメ」ですが、最初の4枚分だけ写真に撮りましたので、終わりに合わせて掲載したいと思います。7枚あるのに4枚だけなのは、撮影するのが大変だったからです。なぜ写真なのかと言えば、B4だったからです。

========(以下、RCさんからの投稿文です)========

勉強会の報告。

RCです。

第7回 1月24日の勉強会の報告をさせていただきます。

まず、2ヶ月に一度の勉強会も、
第7回 を迎えられましたこと、大変うれしく思いました。
親鸞会を退会しようとした時に、
私自身も、共に退会する友人達も
「親鸞会の教えのどこが間違っているのか、組織としてどうなのか、正しい親鸞聖人の教えはどういうものなのか」
を きちんと理解しないと前に進めないと思い 親鸞会元講師で「私の白道」を書かれた嶋田さんに来ていただいたのが、第1回目 でした。
その時は、その後続けて行こうという強い気持ちがあったわけでもなかったのですが、1回の勉強会だけでは、理解出来ないこともあり 2回、3回と続けるのでうちに 7回目となりました。

私が退会する時に、既に退会されていたTさんに電話しましたところ、Tさんから 「私の白道を 書いた人の電話番号知っているよ。」と聞き、
嶋田さんに 連絡を取ることが出来ました。初めて 電話をした私に、嶋田さんは、「南無阿弥陀仏」のみ心を丁寧に教えてくださいました。
今回は、その Tさんも 勉強会に参加してくださいました。
また、私と あさ川さんとのご縁ですが、またまた 同じ支部ではありましたが 当時は特に 話しをすることもほとんどなく、私は あさ川さんが ブログをされていたことも、また、その事で 除名になった事も 全く 知らずにいました。
ある時 「そういえば あさ川さん、最近見かけないけど どうかされたの?」と 友人に聞くと
「高森先生を批判して 除名になったんだって」と言う返事で、「よくわからないけど そうなんだ。」って思っただけでした。
退会をほぼ決めた時に 「そう言えば、除名になった あさ川さんは、どうされているだろう」って思って、電話をしました。
その電話番号も 以前に あさ川さんがご自宅で法話をされた時に 教えてもらいましたが それまで 一度もかけた事は、ありませんでした。
当然 あさ川の携帯電話には、私の番号は登録されていなかったので
私が あさ川さんに 電話した時に 携帯電話を持っていたそうですが、やや迷って 電話に出てくださったそうです。
その時に あさ川さんが 電話に出てくださらなければ、その後の 私の投稿文もなかったでしょうし、勉強会の呼び掛けも出来なかったと思うと、不思議なご縁を 大変うれしいく思いました。

今回の勉強会の最後に 私とTさんとのご縁、Tさんと嶋田さんとのご縁、あさ川さんと私とのご縁 の不思議をを 皆さんと喜びあい
阿弥陀さまのお手回し を
心から ありがたく思いました。

さて 勉強会の内容ですが、
今回は 嶋田さんが B4サイズの7枚のレジメを作ってくださいました。

(そのレジメは 嶋田さんが書かれたものを 私に清書するようにと依頼され 私は 休日返上で 取り組みました。嶋田さんは、わかりやすいものにしたい気持ちが お強いので その後 何度も 訂正の電話があり、私は
内心「また?」と思いつつ、
「はい!」と 、返事をして 対応させていただきました。しかし、出来上がった清書を コンビニでコピーしている最中に、訂正の指示の電話があったとかは、「えー!」って言っちゃいました。結局 コンビニのコピー機のところで修正液とベンで訂正して 出来上がりました。)

レジメは、
︎1枚目は 「仏教とは」
︎2〜3枚目は「浄土真宗について」
︎4枚目は「六字のこころ」
︎5〜7枚目 は「親鸞聖人の教えと、親鸞会で教えられている事の違いなど」です。

これに沿って 教えていただきました。

たとえは 友人 知人 家族などに
仏教を伝えたい、
真宗の教えをわかってもらいたい、親鸞会の間違いを明らかにしたい
でも どう話したらいいだろ?って
時に このレジメがあると、話しやすいと思います。

私に ご連絡頂ければ、送料 、コピー代 こっち持ちで すぐに 送らせて頂います。

私のアドレスは

rokujinotsudoi アットマークyahoo.co.jp
(アットマークは、 @ に変えて下さい。)
です。


前回の11月の勉強会に 迷った末に参加されせて
今年の初めに「仏願の生起本末に疑いなき身」に なられ 、あさ川さんのブログに 投稿文をアップされせたR1000さんも 参加され 勉強会を盛り上げくださいました。
(ご自分の投稿文に 「勉強会なうw
次回もやると思いますので、ぜひご参加くださいw」とコメントしてくださいましたm(_ _)m)

「南無阿弥陀仏のみ心」
を聞いてこそ 聴聞です。

次回は、3月を予定しております。
また、お知らせいたしますので、
気になりつつ、迷っておられる
「あなた!」ご連絡 お待ちしております。

勉強会の日程の発表の前でも
何か お聞きしたいことがありましたら ご連絡しください。

お待ちしております。



(あさ川註:「レジメ」のうち最初の4枚です)

1


2


3


4

久しぶりの更新です。明日は嶋田さんの勉強会ということで、行く予定です。ご縁ある皆さん、よろしくお願いします。雪の心配をしていましたが、今のところたいしたことはなさそうです。


前回はR1000さんの投稿文でした。今までに無い反響と言いますか、アクセス数の推移がありました。傾向から推測しますと、新しい読者の方も随分あったのだろうと思います。


さて先日、「システムアーキテクト試験」の合格証が届きました。3年前に「ITストラテジスト試験」のことをネタにしましたが、今回も味わうところがありました。その味わいについて書こうと思ったのですが、内容を考えていたら長くなりそうでしたので、今回は別のことを書きます。


今回は、私の話(昔話)を少しすることにします。


私は浄土真宗親鸞会とかいう宗教団体(このブログでは単に「親鸞会」と呼称)に、十数年所属していたことになっていますが、つい二年ほど前に「親鸞会とは関係無い人」になりました。

私個人の意思で親鸞会から離れたわけでは無いので、別段親鸞会館へ行くこと自体は現在でもやぶさかでは無いのですが、立場上行けないことになっているので行っていません。(どうしても行きたいわけでもありませんので)


さて、そもそも私がそういう宗教団体と縁があったのは、大学入学手続きの日に声を掛けられて話を聞き始めたのがきっかけではありましたが、そもそもそういう話を聞く縁となったものがあったわけです。



私が実家にいた頃は、一応皆で一緒に晩ご飯を食べていたのですが、だいたい親はさっさと食事を済ませて居間に行ってしまっていたので、祖母と私が残りました。祖母は大正時代の人でしたので、戦争やら伊勢湾台風の話やら、よく昔話をしてくれました。

そこで、どういうプロセスを経てそうなったのかは覚えていませんが、多分に祖母の話の影響があったのでしょう。小学一年生だった私のヒエラルキーのてっぺんには、昭和天皇が君臨していました。

そういう意味で、昭和64年の1月7日の天皇崩御は、当時小学一年生だった私にとって大きな出来事でありました。

あの日は確か土曜日だったと思いますが、いとこの家に遊びに行っていた私は、テレビの昭和特番をずっと見て昭和時代を振り返っていました。まあ、振り返るだけの経験値はありませんでしたが。


天皇でさえも永遠でないという、当たり前と言えば当たり前の事実を実感しまして、人生の本懐というものを考えるようになったのでした。本懐というと大げさといいますか、小学一年生に馴染みませんので、「何をしたら良いのかを考えるようになった」と置き換えましょう。


あまりにテレビを熱心に見ていたからか分かりませんが、昭和天皇崩御後しばらくは、寝床に昭和天皇の顔が浮かんできて寝付きが悪かったことを覚えています。とはいえ、昭和天皇が出てこなくなった後も、寝付きの悪さは相変わらずでした。


最近は知らぬ間にすぐ寝付いてしまうことが殆どですが、それこそ大学を卒業するくらいまで私は、毎日寝付くまでに一時間くらいは掛かるような状態でした。そして、寝付くまでには人生について数々の妄想を広げていたのでした。


おそらく小学一年生だか二年生だかの時期に、「将来なりたいもの」を書かされました。そのときに私は「バスのうんてんしゅ」と書いたのですが、実は非常に困ったのでした。率直に言えば書くことが見当たらなかったのですが、当時の狭い世界の中で書けることを書いたのでした。


そうやってもやもやしながらの日暮をずっと送っていたのですが、どうしたことかそのような思考については、特に誰に話すわけでもなく、過ぎていきました。話すような内容でもないと思ってみたり、それが宗教的であるように思ってみたり、どういう心持ちだったかハッキリとは覚えていませんが。


こうして、いろいろありまして、大学時代に親鸞会の人(と言っても当時そのことは知りませんでしたが)に声を掛けられて話を聞いたのでした。


そういえば、そのときに「人生の目的」というフレーズが出てきました。その時に私は「こいつらは宗教だ」と直感したのです。私の中では胡散臭さ全開というか近寄りがたいというか「あっちの世界の人」のようにさえ思ったのですが、一方で「人生の目的」という単語は、今まで自分が考えていた内容であるようにも思えたのでした。

たぶん、そう思わなかったら聞かなかったのだろうなあ、と思いました。


最初から阿弥陀仏の本願とか言われて、ありがたい話と思ったかと言えば、まず思わなかっただろうなあと思います。未だに南無阿弥陀仏とのご縁があったことが不思議に思われます。

称名。

あさ川です。あけましておめでとうございます、と申すには日が経ちすぎてしまいましたが、本年もよろしくお願いします。


年末年始に体調を崩してしまったため、コメントのお返事さえ滞ってしまいまして失礼しました。新年一本目の記事を書く前に、R1000さんといわれる方から投稿文を頂きました。

年頭の挨拶と呼ぶには日も過ぎてしまったこともありますが、やはり「ただ南無阿弥陀仏にご縁にあっていただきたい」という思いは今年も変わりませんし、頂いた投稿文もそのことを仰っているのだと味わっておりますので、年頭の挨拶に代えて掲載いたします。


========(以下、R1000さんからの投稿文です)========

     HN R1000

私は現在38歳の、埼玉県に住む男性です。18歳の頃、大学の新勧で親鸞会と出会い、30代前半まで在籍してました。
去年(2015年)の11月にRCさんの開催する勉強会に初めて参加し、年が明けて間もなくの正月休み中、仏願の生起本末を聞いて疑心あることなしの身にさせて頂きました。
これから私の事を書かせて頂きますが、あまり親鸞会にはいないタイプの人間かも知れません。しかし、一人にでも届いてもらえればと思い、筆をとらせて頂きます。
最初に断っておきますが、自殺とか精神疾患という言葉に嫌悪感を覚える方は読まれないほうがいいと思います。


私は親鸞会に在籍していた25歳の時、自殺防止のホームページを運営していました。
少し 長いですが、その内容を以下に載せます。



                       ↓


私は自殺志願者、自殺未遂者です。このHPを立ち上げた理由は、1人でも多くの人が自殺するのを止めてほしいとの痛切な願いからです。
 自殺志願者、自殺未遂者であり、現在も薬のおかげで何とか生きている私がこのような事を言うのを疑問に思われる方も、「そんなのどうでもいい、もう疲れたから死ぬ」
と追い詰められている方もおられるでしょう。
 ですから、正直に、その私が自殺を1人でも止めてほしい理由をこのHPに書きます。

私は小学校、中学校、高校まではスポーツと音楽が好きな普通の人間でした。し かし、幼い頃、精神的にショックを受ける出来事があった事、20歳までには死んでしまおうと思った事があったのを覚えています。
 中学3年の受験勉強が始まった頃から、「早く地球が滅びてしまえばいいのに」と思った事も覚えています。思えば、この頃から既に心の病にかかり始めていたのかも知れません。それでも中学、高校はそれなりに楽しかったし、大学に入学しました。高校が進学校だった為、あまり深く考えずに偏差値の高い大学、通学に便利な大学を選びまし
た。
 しかし大学2年の頃から疲れ、パニック、無気力、将来に対する希望がなくなり、自殺願望が生じ始めました。こんなに疲れているのに、この先、大学を卒業して、就職難の中会社に 入って、必死に仕事して、老いて死ぬだけじゃないか。しばらく家でゴロゴロしているか、寝ているか、死ぬ事を考える以外、何をやるにも億劫で、興味も何もなくなり、親しかった友人にすら会うのが嫌になり、ほとんど部屋に閉じこもる日々が続きました。心の病に理解のない家族は、怠けて大学をサボっているのだとでも思ったのか、ムリヤリ叱咤激励され、元々両親と私はうまくいっていなかったのですが、この頃から完全に両親に対して心を閉ざしました。特に父親とは年に3回程しか口をきかなかった気がします。さすがに私の体調の変化に気付いてか、精神科に行く事を勧められ、私はもう人生どうでもいいと思っていたのですが、診察を受けました。診断は重度の鬱病でした。そして薬を出されましたが、強い薬も効かないし、医者に何を言われても治る気も治そうとする気も起きませんでした。、評論家や本で訴えてくる「生きよ」という内容も、ウザいだけでした。

しばらく医者に行ったり行かなかったりでしたが、その頃は死ねる薬の知識がなかったので、「もう限界。生きても死んでもどっちでもいい」と、家にあった薬を200錠くらい飲みました。途中で気持ち悪くなったけど、吐き気をこらえて全部飲みました。結局死にませんでしたが、その後の記憶は曖昧です。それからも医者にもらった薬をためてまとめて飲んだり、死ぬ事が頭から離れませんでした。
 大学など、どうでもよかったのですが、1年留年して とりあえず卒業は出来ました。生きる気力は全く無かったけれど、親とは縁を切る。後の事はどうでもいい。1人で生きる為には働かなければならないと、心身に鞭打って就職活動を始めました。
 しかし、心も体も限界で、「もう死のう」。未遂はしくじったら後遺症が残ったり、四肢切断したりして残りの人生死ぬまで苦しまねばならない。親の迷惑にも世話にもなりたくなかったし、薬や包丁で首を切ったり刺したりしても、なかなか死ねず、死ぬまで痛い思い、苦しい思いをしなければならないし、100%確実な自殺方法はないと何かの本で読んだので、既遂率の高そうな方法で確実に死のうと決心しました。
 鉄道飛び込みは最も確実に死ねそうでしたが、親に賠 償金がかかるから×。首吊りも準備するのが面倒だし、しくじったら脳に後遺症が残って自殺すら出来なくなるかも知れない。そこで、飛び降り自殺に決めました。
 なぜかなるべく家から遠くで死にたかったし、もう家に帰るつもりもなかったから、夜、友達と電話をした後、家を出て電車に乗りました。途中、通過待ちの為停車したのですが、「今から俺がやろうとしている事は、この電車に飛び込むのと同じなんだよな」と特急列車が通過するのを見ながら思いました。そうしたら怖くなって足がガタガタ震えましたが、決意は変わりませんでした。

いよいよ団地の最上階に上がり、地上を眺め下ろしました。少し雨のパラつく静かな夜でした。向かいの団地 の7,8階くらいにある部屋のドアが半開きになっていて、かすかに光が漏れていました。傘が何本も窓の柵にかけられていたり、壁に立てかけられたりしていたし、玄関に入り切らない靴が廊下に何足か出ていたので、何かの集会でもやっていたのでしょう。何か自分とあまりにも別の世界の風景のような感じがして、少し不思議でした。
 そして13階の柵を越えかけましたが、怖い、どうしようもなく怖かったです。だけど今さら自殺を止めて生きる気力もなく、しばらく(2時間くらい?)どうしようか悩みました。今まで生きて、毎日どこにも居場所もなく、理解されない苦しみを1人で抱えながらも大学へ通った事。在学中もお金が必要だった為、「目が死んでいる」とか 言
われ、辛い思いをしながらバイトを続けていた事。そこまで苦しみに耐えて生きてきた結果が、今から1人、地上に飛び降りて終わる。死ねば友人や両親は悲しむだろうけど、やがてそれぞれ普通の生活に戻り、自分のことを、命日にでも思い出してくれる人は、親友の彼くらいかな、等。結局苦しむだけの人生を送ってきて最後に残されたのが、孤独な恐ろしい死。柵を越えかけてはやめたりを繰り返したり、座り込んだり。もう死ぬこと以外考えられない程疲れ、苦しんでいた私が一歩踏み出せなかったのは、「ここから一歩足を踏み出せば俺は死ぬが、死んだらどうなるんだろう?」という怖さでした。
 結局放心状態で自殺は止め、コンビニでビールを買って飲みな がら歩いて帰ったことは何となく覚えています。しばらく経つと夜が明け、電車に乗って帰宅しました。何も知らない両親は就職の話ばかり。私は、もうこの人達はどうでもいい存在でしたから、適当に流してました。
 とりあえず就職は決まりましたが、やはり心は限界で体も動かなくなり、3ヶ月で壊れ、退職しました。それからは、死は怖いけどもうこれ以上は生きられないから、貯金が尽きたら死のうと、死ぬ事ばかり考えていました。体は動かず、1日に12時間は眠り、悪夢をみて目を覚まし、起きている時は自室にこもって自殺に関する本を読んだり、ボーっとしてました。「生きる屍」でした。宅急便も電話が鳴っても別の世界の出来事のようでした。一番辛かったの は姉の結婚式でした。心も体も動かないし、誰にも会いたくないのに親類縁者とも会わなければならない。姉とは比較的仲が良かったから出席してあげたかったけど、外に出て人と会う位なら自殺しようとも考えましたが、姉が気分良く結婚式を挙げられないかなと思い、何とか出席しました。
 やがて年も明け、親からも「そろそろ動き出すんだろ?」等言われ、もう限界でした。だけど、1回自殺を決心したけど死ねなかった経験があったので、ダメもとでもう一度、別の精神科に行ってみました。行こうと思ってから、実際に行くまでに2週間ほどかかってようやく、という感じでしたが。

最初は強い薬を出され、友人達と飲みに行ったりカラオケに行っても、記憶が 飛んでる部分が多く、終電を逃して友達に車で迎えに来てもらった後、朝までファミレスで話した記憶はあるのですが、内容は全く覚えていないという有様でした。最初の1週間は、ほとんど何も食べられず体重も5kg減りましたが、親に言われるまでは知りませんでした。記憶が無かったから。
 しかし、新しい薬の効果か、最近は少し良くなり、鬱の波が激しく自殺願望との戦いもありますが、何とか生きる毎日です。

ここまでなら別にこのHPを立ち上げませんでした。人間必ず最後は死ぬし、死ぬ程苦しい思いをしてまで生きて苦しみを延ばすだけなら、早く死んだ方がマシだからです。
 では、なぜそんな私が1人でも自殺するのをやめてほしいとこのHPで訴 えるか理由を書きます。自殺者のうち、誰1人死にたいから自殺するわけではなく、生きるのが辛すぎて、苦しすぎて、疲れすぎて、とにかく今の状態から脱却したいと、死を選ぶのだと思います。私はそうでした。だから、ニュース等で自殺した人の報道を見ても、何かやるせないけれど、自殺を止める理由が自分にはありませんでした。私が自殺しなかった(出来なかった)のは、ただ心から恐怖したからです。今からの死が怖かったからです。
 雨がパラつく静かな夜、遠くには大きな木の影がかすかに揺れている。そして、俺は今、この世界から消える。俺が地上に落ちてこの世から消えた後も、遠くにみえる大きな木は静かに揺れ続け、向かいの団地の集会も終わっ たとみえて、電気はもう消えている。淋しい・・・。もうこれ以上生きられないから、もうつくづく疲れた、生きるのが嫌になったから死んでしまおうと決心したのに。いざ死ぬとなると、「怖い、死にたくない」「これから死んで、その後どうなるか分からない」「死んで無になったり、楽になれるならいいけど、もし、もっと苦しい世界になってしまったらどうしよう」という怖さでした。
 それともう1つ、死へと踏み出せなかった理由に、私が仏教(浄土真宗)の話を聞いていた事が挙げられるかも知れません。次のような説話があります。
 {ある日、釈尊(釈迦)が托鉢の道中、大きな橋の上で、あたりをはばかりながら1人の娘が袂へ石を入れている。自殺の準備である 、近寄られた釈尊は、優しくその事情を尋ねられた。娘は外ならぬ釈尊なので一部始終を告白した。「実は、お恥ずかしいことでございますが、ある男と親しくなり妊娠しましたが、その後、見捨てられました。
世間の眼は冷たく、おなかの子供の将来なども考えますと死んだ方がどんなによかろうと思います。どうかこのまま見逃して下さいませ」と泣き崩れた。釈尊は哀れに思われながらも、厳しく仰せられた。「お前は何という馬鹿者なのか。お前には例えをもって教えよう。或る処に、毎日荷物を満載した車を引かねばならぬ牛がいた。牛はなぜ自分はこんなに苦しまねばならぬのか、自分を苦しめるものは一体何なのかと考えた。その時、牛はこの車さえなければ苦しまな くてもよいのだと思い当たった。或る日、猛然と走って、大きな石に車を打ち当て、壊してしまったのだ。ところが牛の使用人はやがて、鋼鉄製の車を造ってきたのだ。今までの車の何百倍、何千倍の重さであった。今となっては、どうすることも出来ない牛は、軽い車を壊したことを深く後悔したが、後のまつりであった。お前は、その肉体さえ壊せば後は楽になると思っているが、死ねば地獄へ飛び込むだけだ。お前には判らないだろうが、地獄の苦しみは、この世の苦しみ位ではないのだ」釈尊は、それから地獄の苦しみを諄々と教えられた。娘は、始めて知る後生の一大事に驚き、仏門に入って救われた}
 仏教では、この世、暗闇の世界なら、死んだ後も、暗闇であ り、この世も苦しみなら、死んだ後も苦しみだ、と説いています。仏教は、この後生の一大事のある事と、その解決を説いたものです。浄土真宗の開祖、親鸞聖人は、この後生の一大事は、現在生きている時に、一念という何億分の1秒よりも速い時間で解決できると断言されています。その時、この世も未来も、決して崩れない幸福になれる、これが人生の目的であり、この身になるまでは決して自殺してはならない、と説かれています。

しかし、この仏教を聞いていた私でも、説法の内容は真剣に聞かなければなかなか分からない程深く、すぐには理解出来なかった為、今まで書いたように苦しすぎて自殺を決心するまでに至ってしまいました。
 しかし薬のお かげか、少しは苦しみも和らぎ、真剣に仏教を聞き続け、人生には目的がある事、自殺を止める理由がハッキリ分かりました。

私も苦しい思いをして毎日生きていますが、もっと苦しい思いをしている人は他にもたくさんいると思います。この日本で、毎日自殺をしてゆく人が90人、その人達は最も苦しんでいる人達と言えるでしょう。
 でも、私みたいに本気で死のうとすれば「後生暗い心」が分かって人生の目的が達成できるわけではありません。あの時私が一歩踏み出していたら、死んだだけです。
 人生の目的に向かって生きたなら、必ず、生きている今、人生の目的が達成出来るというのが親鸞聖人です。

 しかし、現実はもう死ぬしかないとまで追い詰めら れ、家からも出られず、死ぬ事以外何も考えられない人も多いでしょう。どうすれば1人でもそういう人の自殺を止められるか、少なくとも自殺するのを延ばして楽になってもらえるかを考えたら、インターネットが一番いいと思いました。
 PCも素人な上、私自身薬のおかげで生きてるような所があるので、行き届かない面もあるかも知れませんが、これだけは言わせて下さい。絶対に自殺は止めて下さい!

このホームページを読んで関心をもたれた人は、高森顕徹監修「なぜ生きる」(一万年堂出版)を読んでみて下さい。もしそれを読んでも、分からない、という人はメールを下さい。理解している範囲でしか答えられないけど、真剣に対応するつもりです。だから、絶対 に死なないで下さい。人生に目的が無かったら、人間必ず最後は死ぬから、私もこんなHPは立ち上げなかったでしょう。
 でも、どんなに苦しくても自殺しないで生きなければならない理由が分かったから、こうして素人ながらHPを立ち上げたのです。
 1人でも自殺を止めてくれれば。本音です。

 私は今までの人生で、心の底では常に自殺願望があり、特にここ数年は自殺以外はほとんど考えられないまま何とか生きてきたと思います。それに精神科を受診して薬を飲んでも、全く効果がなかったので余計に絶望感が増したという経験があります。
 しかし、最近は薬物療法も進歩し、薬の量を加減したり、薬の種類を変えたりして、かなり効き目の 出るケースが増えているようです。これから効く薬が開発されることもあるでしょう。私もとりあえずは薬に随分助けられて生きています。
 私が人生の目的を達成したら、必ずこのHPに報告します。しかし、約束は出来ません。私が事故や病気、あるいは自殺で死んでしまうかも知れないからです。でも今は、人生の目的のある事がハッキリ分かったから、人生の目的に向かって何とか生きています。
 私の願いは、まず今苦しんでいる人に少しでも楽になってほしいという事です。私はたまたま良い医者と自分に合う薬とに出会えてかなりマシになりました。薬だけでなく、他にも色々と生きる方法があると思います。その上で、人生の目的を知り、達成してほしい。こ れだけです。

私が自殺系の人間だからこのようなHPを作ったのですが、そうでない方も、このHPをご覧になり、「なぜ生きる」を読まれて、何か分からない点があれば、勿論メールを下さって結構です。
 「死な(ね)ない理由 (6)」に、私は「真剣に仏教を聞き続け、人生には目的がある事、自殺を止める理由がハッキリ分かりました」と書きました。私が仏教を聞いているのは、「なぜ生きる」監修の高森顕徹という浄土真宗の布教師の方からです。

                          ↑



当時の私は高森会長の説法を聞いて「人生の目的のある事がハッキリ分かった」からこの サイトを立ち上げたのですが、阿弥陀仏の本願がハッキリ分かったわけではなく、説法の中にところどころある「そうだよなぁ」という自分の感動やそれまで知らなかった事をしったというような、自分の変わり通しの心が根拠でした。
例として「今日死ぬと思ってない心は永遠に死なないと思っている心だ。だから、臨終は先の話ではない、今日、今の事なのだ」などです。
このサイトを通じて色々な方と知り合い言葉のやり取りをしましたが「真実を説ききられる方は高森会長しかおられない。親鸞会に入会とかしないでいいから、とにかく高森会長の元に連れていって聴聞してもらわないと、救われない」と思っていました。
自分自身、まず19願の善をして善のできない自分と知ら されなければとか、活動しなきゃとか、阿弥陀仏の御心とは真逆の事を教えられていたので、苦しい思いをしながらのサイト運営でもありました。

このサイトで一番多くをやりとりした、忘れられないJさんという友達がいます。
彼女は当時、早稲田大学の2年生で一年間休学していました。
鬱やパニック障害、トラウマ、男性恐怖症など多くを抱え、毎日リストカットを繰り返してなんとか生きているような人でした。
時には静脈を切って洗面器いっぱいの血を流して気を失ってしまうような事もありました。
仏教を伝えようとした事もありましたが、一日一日、一秒一秒を生きるのが精一杯な状況で、なかなか話す事ができませんでした。
毎日のように掲示板にJさんは書き 込み、なんとか生きてほしいの思いでレスを書く日々が続きましたが、ある事情からJさんとは疎遠になってしまいました。
それからしばらく経って、Jさんが亡くなった事を知りました。
21歳になったばかり。自殺でした。

後に共通の友人から「R1000に命を助けてもらった」とJさんが前に言っていた事を聞きましたが、結局なんにも出来なかったという無力感やJさんの死のショック、また自分自身、薬を飲みながらですが派遣社員としてようやく働きだして一杯いっぱいだった事もあり、このサイト運営は止めてしまいました。

それから親鸞会会員として聴聞したりなんとなく活動したりを続けてはいましたが、いつしか「俺が救われる事はないだろうな」という諦めを抱えながら の生活になっていました。
「雑行を知るだけでも30年、40年はかかる」と聞けば、「今もなんとか生きてる状態なのに、そこまで生きられるわけないじゃん。その前に自殺してるわ」と思い、講師部に「君たちは19願の入り口にもたっておらん」と言われたと聞けば、「あんなバリバリやってる講師部でもそんななら、俺なら無理に決まってんじゃん」と思ってました。
そのうちM春不倫事件の真相を知り、YOU TUBEで「講師部退部の時は一千万」を観、高森会長のパクりを知り、必要あるんだかないんだかよく分からない建物をバンバン建てる度の御報謝、真相もよく分からないのにわざわざ大勢の前で除名を公表されたU講師に対して急に「U」呼ばわりして手の平を返す会員さんの感覚、なにより何年、何十年聴聞してもほとんど救われた人がいない親鸞会の現実にうんざりして、退会しました。

色んな方の投稿文を読む限り、親鸞会をやめてすぐに本当の親鸞聖人の教えを求める方が多いですが、自分の場合は「もういいよ」という思いが強く、たまに本願寺に聞きにいったり、ネットで紹介されている布教師の方の本を購入して読んだりはしていましたが、「どうせ俺は無理だろ」と諦 め半分でした。
親鸞会を辞めてからも苦しみの連続でした。
ホームページには書きませんでしたが、重度の鬱病と診断された私の本当の病気は「身体醜形障害」というものでした。
簡単に書くと、自分の外見が化け物のように醜く思え、鏡を見ては発狂しそうになり、他人の目が恐ろしく外に出られなくなり、社会生活を送ることが極めて困難になります。
小さなニキビが気になって暗い部屋から外に出られない女性、「頭の形がおかしい」と苦しみ、首を吊ってしまった男性、なんども整形手術を繰り返しても満足できず苦しみ続ける人、囚われる箇所は人によって様々ですが、みな地獄のような毎日を送っています。
自分も若い頃からあまりにも醜い自分の姿に絶望し、彼女を作る ことも結婚も諦め、ただ周りの幸せそうな人を妬み苦しむだけでした。
親にも友達にも、医者にすら本当の事を言えず、ようやく医師にカミングアウトできたのは、30代も半ばになって、ようやくでした。
今では不謹慎だと思いますが、「出来ることなら、癌患者と代わりたい。そうすれば、少なくとも苦しんでる事は周りに分かってもらえるから」と本気で思ってました。
それでも誰かが養ってくれるわけでもないので、必死に生きてきました。
就職しては辞め、貯金がなくなりそうになると必死で就活して、また生を繋ぐ。そんなことを何度も繰り返しました。
生きる為になんとか就職した数年前。
仕事中に窓に映る自分の姿の醜さに耐えられず、わずか一週間で辞めてしまいました。
仕事が 出来なくても、家賃や税金の催促はくる。
貯金が残り少なくなっても、動くこともままならず、もう無理と思いました。
ロープを買ってきて首を通しましたが、どうしても踏み台を蹴ることが出来ませんでした。
結局実家に保護され、またしばらく薬漬けの苦しい日々が続きましたが、なんとか就職も決まりまた働きだしました。
希望もなにもなく、死ねないから生きてるだけみたいな3年間でしたが、その間に「安心問答」や飛雲さんのサイトなど、ネットはたまにみていましたが、全然分からないし、
醜い心が起こるだけでした。
そんな時、RCさんの勉強会の案内を見て、なぜかメールする気持ちになりました。
その時は大勢の人の前に出るのはとても疲れるし、行くつもりはあ りませんでした。
ネット上で信心決定してるっぽい人の話をみても、阿弥陀仏に対しても、妬みや恨みしかありませんでした。
RCさんに初めて送った昨年11月から、今年度始めまでのメールの一部を抜粋します。

「今は、阿弥陀仏の本願は本当にあるんだろう。でも、結局選ばれた人しか救われないしそれは俺じゃないと思っています。それでも未練がましく、ネットをみてしまう自分が気持ち悪いですが...。」
「結局のところ、阿弥陀仏に救われるのも生きるのも同じなのかなと思います。誰かが助けてくれるわけではないので、どんなに辛くても必死に頑張らなければ、死ぬしかない。阿弥陀仏に救われたければ、なんとか正しい教えを求めて聞き歩かなければ助からない 。」
「でも、明日に無常がきたとして、それはそれでいいやと思ってしまいます。俺みたいなのは死んでも地獄か流転でしょ。念仏はたまに称えてるから、阿弥陀様、気が向いたら化土お願いしますというのが、醜いですが本心です。」
「こんな事を書いていいのか分かりませんが、なぜ阿弥陀仏はリア充しか助けてくれないのでしょう。『みな、精一杯苦しい中生きている』。反吐が出ます。救える人は往生極楽でもなんでもどんどんやっちゃって下さいと思います。でも、今日もこの日本だけでも100人近くの人が自ら命を絶っている現実があります。死にたいと思うのと、実際に行動するとは全然違います。自分を殺すのだから。本当に苦しんでるか、酒や薬で勢いをつけ ないと中々できません。それ程苦しんでる人を阿弥陀様はどう思われてるんでしょうか。誰も極楽なんて望んでいません。今の一息一息、一秒一秒が苦しくて、どうしようもないから死を選ぶのに。そんな力があるのなら、『極楽は無理でも、死ねば誰でも化土』という本願をどうして建てられなかったのでしょう。凡夫の浅知恵では分かりませんが、仏教を遠くにみてしまう理由の一つがこれです。親鸞会で『仏の慈悲は苦しんでいる者に偏に重くかかるのだ』とか言ってましたが、そんなわけねぇじゃんと思ってます」
「疑いが無くなって安心して死ぬ事ができる人がいる一方、疑いが無くなるまで聴聞するところまで生きられる人じゃないと結局助からないって事でしょと思い ます。」

「まず死ねる高さのマンションの最上階で、親鸞会のご名号を握りしめながら何度も南無阿弥陀仏と称えたけどどうにもならなかった時から、もういいよと思いました。それからは誰の助けも借りず一人で頑張って生きてきたつもりです。俺はもう20年以上泣いた記憶がありません。辛くて当たり前、苦しいのが当たり前なのはよく分かったから、これ以上幸せな人たちを見せつけないでくれと思います。A先生のお話の中で、疑いがなくならなくても念仏称えていれば地獄に堕ちないとありましたが、もうそれでもいいじゃん、今まで必死に頑張って生きたんだから、もう無理となったらいい加減死なせてくれ、そっとしておいてくれ。衆生が苦しむのがみてられない?だ からなんだよ。学生部にいた頃、ATで少しだけど阿弥陀仏の本願聞いた学生がいたけど、数日後自殺したよ。大悲の願船ってどこにあるんですか?って言ってた。仏法を聞ける人と聞けないで死ぬ人がどうあってもいるのに、なんで阿弥陀さまのご苦労がわからないのとか平気でいう人がむかつく。RCさんの事じゃないです。今生で助かる人と助からない人がいる現実があるのに、なんで分からないと上から見てくるのが、本当に胸糞悪い。誰しも苦しんだ挙句独りで死んでいく人生なんて嫌に決まってる。分かるまで聴聞しろ。なんのハード
ルもなく出来る人はそうすればいい。学生時代、どうしても部室に入れず、ドアの外から聞き耳立ててきいた事あります。親も精神病に理解な んてないから、外にでるのも地獄なのに大学いったけど、どうしても教室のドアがあけられず、そのまま帰りました。この世のどこにも居場所なんてないから死ぬのに、仏法説く人は簡単に聞きにこいという。一人で念仏称えるだけじゃダメ。今はまだいいです。嫌だけど、外に出られるし働けるから。でも、いつどうなるか分からないし、そうなったら諦めて死ぬ以外にどうしようもない。」



こんな俺でも、阿弥陀仏は十劫も昔から南無阿弥陀仏となって呼んで下さっていました。
何度も地獄まで一緒についてきて下さり、何度も生死を繰り返して疑い、跳ね除けてきました。
本当に申し訳ない。
有難うございます。
Jさんの訃報を聞いた時でさ え泣くことの出来なかった俺が、阿弥陀仏のご恩を聞かせて頂く度に涙が出そうになります。
煩悩具足の自分は何一つ変わっていません。
相変わらず、生きるのに苦労はしていますが、後生を阿弥陀様にお任せした今、楽になりました。
臨終一念の夕、自由自在に衆生を救えるようになったら、必ずJさんに南無阿弥陀仏を届けます。
今度こそ、本当に助けることができます。
今はまだ、念仏者としては駆け出しなので、教学的な事はこれから正確に学んでお伝えできるようになりたいです。
まだ親鸞聖人のみ教えと親鸞会の教えがごっちゃになっているところがあると思うので。
今は聴聞が楽しくて、うれしくて、有難いです。
ただ、念仏のみぞまことでした。
上で少し書いたA先生は 、築地本願寺などでもお話し下さっています。
俺はこの方から聴聞するのが好きなのですが、他にも善知識は沢山いらっしゃいます。
RCさんの勉強会で話して下さる嶋田先生。
こんな面倒くさい俺を見捨てることもなく、最後まで付き合って下さったRCさん。
もちろん、ネット上で活躍されている方も皆さん、俺にとっての善知識です。
親鸞会を出ることに躊躇を覚える方もいるかも知れません。
俺もそうだったので気持ちは分かります。
でも、もし親鸞会教義に少しでも疑問があるのなら、親鸞会以外でも聞いてください。
聞くのは誰からでも構わないです。
大事なのは、阿弥陀仏の御心を正しく教えて下さっているかどうかだけなのですから。
俺も勿論、少しでも力になれれ ばと思うので、何か聞きたいことなどあればメールして下さい。

rtddzgh7@yahoo.co.jp
(※あさ川註:@は全角のため、メールをお送りになる際は半角にして下さい)

長文乱文、失礼しました。
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏

このページのトップヘ