あさ川進の、宗教と私

浄土真宗親鸞会に所属しながらアウトサイダーだった私(現在は会員でなくなりました)が、宗教(浄土真宗親鸞会)との付き合い方を考えつつ書いている更新頻度が低いブログ(この説明も暫定です)リンクフリーです。なお、投稿文を受け付けております。「【投稿文】」と書かれている記事は、頂いた投稿文です。

2016年07月

今日はRCさんの熊谷での勉強会です。また、先回とくよしみねさんからの投稿文でご紹介のあった愛知での勉強会は8/21とのことです。


さて過日、ようやく親鸞会グッズをお渡しできました。お渡しした方は、身内に会員さんを持たれている方で、ご本人は会員ではない方でした。直接お渡しということで、少しお話しさせて頂きました。


いろいろなご事情も伺いましたが、ここでその内容を書くことは控えます。その中で仰っていたことに、


「親鸞会がどういうところか分からなかった。オウムみたいに変な儀式をやっているのではないかと心配していた。あさ川のブログを読んで、”こういう話を聞いているのか”ということが分かったし、特に変な儀式をしているわけではないのだと、そういう意味では安心した」


という趣旨のことがありました。


今となっては私も親鸞会から追い出されてしまったため、”現在の親鸞会の状況を知りたい”というご要望にお応えすることは難しくなったのですが、以前には確かに、何人もそのような方があって、個別にやりとりをさせて頂いたことがありました。


私のブログにはあまりたいした内容は書いていないのですが、外から見ると、そのようなことさえ分からないような閉鎖的な団体だということを改めて思ったのでした。


以前は、会員さんもブログを書くようにということで、数年前は支部のブログやら講師部員のブログやらが乱立していた時期もありましたが、今はそれさえほとんど廃れてしまっているようです。
親鸞会ブログポータルも現在は用をなしていません。


減ったとは言っても数千人の会員さんはいらっしゃると思いますので、その中の数人くらいでも、親鸞会で聞いた話とか親鸞会の動きとかをネタに感想など書いている方があってもおかしくないと思います。ただ、探し方が悪いのか、なかなか見当たりません。もしご存じの方(あるいはご本人)がありましたら、お知らせ頂けるとありがたいです。


そういえば、山も山さんの脱会ブログにも紹介がありましたが、どうも最近は社会人に対してのダミーサークルが活発化しているようです。
(※安心問答ブログから記事へのリンクがありませんので、こちらからも記事へのリンクは控えます。7/20の記事です)


自身もダミーサークルで縁があって親鸞学徒として活動しているから、新しいご縁の方もダミーサークルで、という負の連鎖が続いているようにも思いますが、親鸞会の活動があまり外から見えないのも、根っこは同じように思いました。


支部時代は普通に親鸞会と名乗っていたような記憶がありますし、私が学生時代の一時期は、やはりダミサの反省から親鸞会と名乗ろうという動きがありました。そちらの方がお互い(会員さんも会員でない方も)良いと思うのですが、結局元に戻っているということでしょうか。


もっとも私も、別に元親鸞会ということを隠すほどではない(機会があれば喋ってます)にしても、積極的に紹介しようとは思いませんので、気持ちは分からなくもありません。だって、ネット上の親鸞会情報を見たら、積極的に紹介しようとは思えませんから。


ただし、それは親鸞会の自業自得だと思います。

惑(親鸞会と名乗れない)→業(ダミーサークル)→苦(余計に名乗れなくなる)→・・・


親鸞会と縁があったことで弥陀の本願のご縁にあえた、と喜ばれている元会員さんが何人もあることを知ってます。(それ以上に親鸞会に対する悪印象が強いからか、積極的に出てきませんが)
なので、今更かも知れませんが、ひとまずは外から見て分かるように堂々としてもらいたい。


とりあえず、私が知っている中で現在も更新されている親鸞会情報ブログを紹介します。いずれも職員の方(講師部員と親友部員だったと思います)が書かれてますけど。ほかに一般会員さんが現在も書かれているブログがありましたら、ご紹介頂けるとありがたいです。趣旨は晒しではなく、親鸞会のオープン化(見える化)です。


親鸞会ブログ【親鸞会の朋ちゃんHappy diary♪】
親鸞会 イミズム




そういえば今更ですが、O南さんが代表になって会社を作られたようですね。個人的にはO南さんのぶっ飛んだところは好きなのですが、どうせなら公式サイトでも「親鸞会最強」とか言って頂きたいです。さもなくば、「私は親鸞会で仏法の奥深さを知った。しかし今は宗教団体の時代ではないから別の方法を編み出したのだ」でも良いです。

あさ川です。先ほど久々の更新を中途半端にした(7/24に追記しました)ところですが、とくよしみねさんから勉強会の案内を頂きましたので掲載します。(改めてブログのご案内も頂きました)

先ほどの記事が中途半端になってしまったのは、出しておかないとまた延び延びになりそうだったからでした。


========(以下、とくよしみねさんからの投稿文です)========

皆様へ、とくよしみねからのお知らせです。
嶋田さん(親鸞会元講師、「私の白道」の作者)の勉強会を開催します。
場所はいつもの愛知県です。
日にちは 8 月 21 日 ( 日 ) です。
時間は 午後10時から午後4時30分まで の予定です。
勉強会のテーマについては、 「南無阿弥陀仏の心」です。
ご縁があれば是非ご参加ください。
詳細についてお知りになりたい方は、aim_in_life(アットマーク)hotmail.co.jpにメールしてください。
( アットマーク ) は” @ ”に変更してください。
折り返しお知らせいたします。
私にメールをくださる場合、少しプロフィールも書いていただけると有り難いです。
個人情報を漏らすようなことはいたしません。
また私のブログの URL は以下の通りです。
お暇なら見てください。よろしくお願いします。
http://tokuyoshimine.hatenablog.com/

先日ご案内した「あさ川が持っている親鸞会グッズの件」は、コメントに書きました通り、もらいたいと言われる方がありましたので、お譲りすることにしました。直接お渡しのため、まだお渡しできていませんが。


あと、RCさんの勉強会は今度の日曜日の予定です。


さて、二週間近く前だったと思いますが、とある元会員さんと話をする機会がありました。その方からこんな映像を紹介されました。


2016.07.02 三宅洋平選挙フェスで『創価大学有志の会』が公明党のあり方に疑問を投げかける


見てまず最初に、「えらいなあ」とか、「健全だなあ」といった感想を持ちましたが、それも含めて思ったことを少し書きたいと思います。


・名前と顔を出して批判
・内部と外部
・「池田大作先生が」


映像をご覧頂くとお分かりの通りですが、「ひいおばあちゃんの代から続く学会4世会員(T氏とします)」の方が公の場で公明党のあり方に疑問を投げかけている(都合上、以下は単に批判と書きます)、という内容です。


公の場で顔出して名前出して、創価学会員の立場で公明党(とそれを支援する教団も?)批判をするというのは、それなりの思いが無ければ難しいことだと思います。何も言わないわけにはいかないという強い思いがあったかもしれないと推察します。


ちなみに私は、あさ川進のペンネームで、親鸞会を擁護しているのか批判しているのかよく分からないブログを4年あまり前に立ち上げて今に至っています。今では親鸞会批判のほうが多い気がしますので、「ペンネームで親鸞会批判をしている」と言っても差し支えないかも知れません。もっとも今は会員ではありませんが(除籍されたようです)。


1.名前と顔出し


T氏が公の場に立った心の内は正確には分かりませんが、たとえば

・自分が行動することで公明党や創価学会が変わるのではないか
・自分と思いを同じくする人に呼びかけたい

といったような思いを持たれていたのではないかなあ、と推測しています。それゆえ、公の場で本名を出してあの場に立ったのだろう、と。


私の場合、そもそもただの一般会員だったということもありますが、特に公の場で本名を出して大っぴらに親鸞会批判はしませんでした。ネット上にペンネームで『なぜ生きる2』を批判したことは認めますが。


この点をもって、「あさ川は匿名でコソコソと親鸞会批判をしている」と言われる方があるかどうかはわかりませんが、一応この点について述べます。


まずネット上に顔や本名を出していないのはその通りです。ただし、私(あさ川)をご存じの会員さんであればお分かりになるだろうというような情報を書いてますし、メッセージ等頂いてメールのやりとりをさせて頂く方には名乗ったりしております。

私が親鸞会の中での有名人であれば、ネット上で顔や名前を出す意味(インパクト)もあるのでしょうが、そういうわけでもありませんし、そもそも単純に親鸞会関係のことで個人情報をネット上に公開したくないという個人的な理由があってのことです。


ここでT氏の話に戻りますが、私はこの映像を見まして、T氏の学会に対する「信頼」を見て取りました。このように公の場で批判をしたということは、その後学会の中でのT氏の立場が危うくなるであろうことは想像できますが、そうまでして行動させた思いとは何でしょうか。私の勝手な推測で申しますと、T氏は「行動を起こすことによって心ある人が立ち上がり、”正しい方向”に向かっていけるのではないか」という思い(信頼)を心のどこかに持っていたのではないか、と思うのです。おそらくT氏にとっては、「学会員としての人生を賭けての行動」だったかもしれません。

対して私は、そもそも会員当時からして親鸞会に対する信頼は、皆無とは言わないまでもほとんど無かったと言って良いです。それが、先ほど書きました「親鸞会関係のことで個人情報を云々」というわけです。つまるところ、極端な物言いをすれば「人生を賭けて」という思いなど皆無だったわけです。(それなりの思いはありましたが)


自覚はしていますが、私のブログの文章が伝わりにくい理由にはこのようなところがあるのだろうと、改めて思ったのでした。


2.内部と外部


私がブログを書き始めた時もそうでしたが、今回のYouTubeのコメントにも同じようなコメントがありました。
趣旨だけ言えば「脱会しろ」という類いのものです。これにつきましては、立場だとか考え方だとかによって変わるのだろうと思います。


T氏がどのように考えていられるのか、それはやはり分かりませんので私のことだけ述べますと、私の場合は、

・そもそも自分からやめる気が無かった
・自分からやめるべきだという考えも無かった

というものでした。


自分からやめる気が無かった、というのは、元を辿れば十年以上前にさかのぼる話ですが、「追い出されるまで自分からはやめない」ということでした。当時(より若干前)は、ちょうど親鸞会が退会した方を「敗残者」と罵っていたの時代です。親鸞会が他人の言うことに耳を傾けるとは思えませんでしたが、それ以上に退会者の言うことにはいよいよ耳を傾けないだろう、と思っていました。十年以上前から除名上等になっていた私は、それゆえに自分から親鸞会を離れてものを言うという気が無かったのです。


あとは、私が弥陀の本願を味わうに、「親鸞会を離れなければならない」とは全く考えていなかった、というのもあります。もっともそれは、別に親鸞会が正しいからとか納得できるからとかそういうわけではなく、単に弥陀の本願に条件を付けるのはどうかと思っていたからなのでした。

私がこのブログでずっと言ってきたことは、親鸞会を辞めるとか辞めないとかそういうことと弥陀の本願の話とはまったく関係無いのだということなのですが、これは多分に分かりにくい話だろうとは思います。ただ、弥陀の本願と関係無い話を聞いていては、なかなか弥陀の本願のご縁にあうことが難しいので、そのようなわけでアンチの皆さんは分かりやすく親鸞会を辞めよとおっしゃっているのだと思います。

ですので、親鸞会を辞めれば求道が前進するとか、そういう次元で捉え続けていたら自力が廃ることは難しいのかも知れません。



3.「池田大作先生が」


T氏は、池田大作氏の発言を引用して公明党批判を行っていました。私は創価学会のことをよく分かっていないのですが、このことを見ますと、創価学会の立場としての基準は池田大作氏にあるということなのでしょうか。


親鸞会だと、どうでしょうか。「高森(顕徹)先生が」となるのでしょうか。

親鸞会は政治には基本的に関わってませんので、安保法がどうとかこうとかいう話は、会の中では特に話題になってないかも知れません。もっとも、創価学会を毛嫌いしている関係で、自民党にも批判的ではありましたが。ついでに言うと、このたびの参院選では特宣部員(だった方)が立候補されてましたが、これは親鸞会の政治的立場とはあまり関係無いと思います。


私がT氏の話を聞いたとき、親鸞会と結びつけて思ったことは、教義面でのことでした。


親鸞会では、やたらと根拠ガーと言います。少なくとも私が知っている時代は、「親鸞聖人が」「蓮如上人が」と言っていたと思います。ところが、しばらく年月が経った最近では(話を聞く限り)随分劣化しているようです。

教義面の話に、親鸞会の著作を根拠にしたという話を目にしました。
最近の映画「なぜ生きる」では、蓮如上人の親鸞会化が甚だしく思いました。


山も山さんが映画の感想としてずいぶん興味深いコメントをされてました。


映画「なぜ生きる」の感想(3)ー教義の正当性を歴史改変で説明する親鸞会・高森顕徹会長


ただ、あの映画を(一回だけですが)見た私の感想としては、決してオーバーではないと思いました。

たとえその内容が首をかしげるようなものだったとしても、「親鸞聖人が」「蓮如上人が」と言っていたのが親鸞会の良さだと思っていました。その良ささえ消えてしまったとすれば、残念でなりません。

(このような状態で「親鸞聖人が」「蓮如上人が」と言ったところで、親鸞会のフィルタを通して親鸞会基準の親鸞聖人や蓮如上人を持ち出しているのと一緒でしょうから、それはすなわち、「高森先生が」と言っているのと同じでは無いかと思いますが)



思ったことを羅列した結果、一つ目は自省、二つ目は若干主張、三つ目は親鸞会への慨嘆と、内容がばらけてしまいました。ただ、色々なことを考える機会にもなったという点で、興味深い話題でした。


先日に中途半端な状態で更新をしましたのは、書き終わるまで待っていると延び延びで結局書き切らずじまいになってしまうと思ったことと、教団は違うものの興味深い話題だと思ったので、親鸞会に縁のあった方にも考えてもらおうと思ったためでした。


(公開後に若干追記)
(7/24に再追記)

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