あさ川進の、宗教と私

浄土真宗親鸞会に所属しながらアウトサイダーだった私(現在は会員でなくなりました)が、宗教(浄土真宗親鸞会)との付き合い方を考えつつ書いている更新頻度が低いブログ(この説明も暫定です)リンクフリーです。なお、投稿文を受け付けております。「【投稿文】」と書かれている記事は、頂いた投稿文です。

2016年09月

煩悩にまなこさえられて  摂取の光明みざれども  大悲ものうきことなくて  つねにわが身をてらすなり
(高僧和讃)



淳心房さんのブログで紹介されてました『お坊さんのつぶやき部屋』というサイトは、淳心房さんのブログを見て初めて知りました。


このサイトの管理人、赤澤英海さんというお名前を見て、なんとなく見覚えがあるなあと思っていたのですが、庄松さんゆかりの寺の方というワードで、ふと思い出しました。


昨年、ひろしさんが感話されるということで、夫婦共々広島の真宗合同布教大会の会場へ足を運んだのですが、その布教大会の中で、「今、味わいたい庄松さんのよろこび」という講題で法話をされていたのでした。


私は広島のしか知りませんが、真宗合同布教大会は若いお坊さんがそれぞれの持ち味で法話をされる、そして門徒の方の感話もある、というご縁でした。若い、ということで私より若いお坊さんもいらっしゃいました。
広島でもそれぞれの方からそれぞれ味わい深いお話を頂いたのですが、中でも赤澤さんの印象は強かった覚えがあります。お話を聞かれた方はなんとなく言いたいことはおわかりになるのではないかと思いますが。


広島では、庄松さんのエピソードを通してお話がありまして、「おかみそり」のエピソードもありました。私のうろ覚えですが、冒頭のご和讃は、讃題でもあり、また最後にもお話があったご和讃でした。


まさかこのような形で再びご縁があるとは不思議だなあと、一人味わっていたのでした。


南無阿弥陀仏、、

宗教問題15について、たまにアマゾンを覗くのですが、しばらくして「現在取り扱っておりません」になった後、先ほど見たらプレミア付きで中古や未使用品を売ろうとしている人がありました。5千円とか6千円とか、もともと正規では千円のものですが、どうなのかなあと思いました。(一時期新品?が購入可能だったという噂もありましたが)


アマゾンで取り扱い中止になったということが、とりあえず入手されたい方の手元にいったんは行き渡ったということなのかどうかは分かりません。ご覧になった方もそれなりにいらっしゃるかと思いますが、なかなか読めないという方もあるかしれません。ですので、ちょっとこのブログのコメント欄で話題になったところをかいつまんで引用したいと思います。


※不適切な場合は、メールをいただければ非表示にします。


・「鰹節」

コメント欄にて、「鰹節」と書かれたところで笑ってしまったという趣旨のコメントを頂いて、私も同じところで笑ってしまった、というお話をしました。これは、『宗教問題15』にて掲載された、映画「なぜ生きる」をご覧になった方の感想文にあったものです。全部読まないとよく分からない気もしますが、該当部分を引用します。


「難度の海」が困難な世俗であることくらい、仏教に疎い筆者でもわかるが、肝心の「大悲の大船」というのが一向によくわからない。作品内では鰹節を削ったようなボードが突如として海の上で光り輝いているシーンが何度も出る。これこそ「大悲の大船」であり、これに乗ることが唯一、困難な俗世から救われる道なのだという。ただ、この説法を聞いて感激した了顕は蓮如の弟子となっていくわけだが、「大悲の大船」というのがアニメ上の演出としてあまりに抽象的なので、結局この了顕が何に感動して熱心な一向宗徒になったのかの脚本的説明が皆無である。しかし本作をすべて見れば、この「大悲の大船」というのが、本作の制作を企画した宗教団体の重要な教義とイコールであると理解するのは容易なことだろう。
一応、全国公開のアニメ映画ゆえ、あまりにも露骨なプロパガンダはできないまでも、要するに「わが教団に入信すれば救われる」というメッセージを脚本の中にサブリミナルしたかったのだろう。海の上で鰹節が光り輝いているCGをつくったピーエー社も、なかなか演出意図がつかめず苦労したことが推察される。



補足しますと、この前段では、難度海の話が(蓮如上人の法話、およびアニメの演出として)執拗に繰り返されるという話がありまして、それを受けての内容です。

大船を鰹節と表現されているところで笑ってしまったことに対して不謹慎だと仰る方もあるかしれませんが、(親鸞会とはとりたてて関係無いという意味での)一般の方からご覧になったら、このように見えるのだなあと思ったのでした。

また、私が気になったのは、あれだけ蓮如上人の説法シーンに長々と時間を割きながら、


肝心の「大悲の大船」というのが一向によくわからない。


と書かれてしまっている点です。「なぜ生きる」というタイトルからすれば、この筆者が


本作をすべて見れば、この「大悲の大船」というのが、本作の制作を企画した宗教団体の重要な教義とイコールである


と書かれているように重要なところだと思うのですが、それが(この筆者には)まったく伝わっていなかったということでした。


もちろん、あの描写で伝わる方もあるでしょう。親鸞会の会員さんなら特に問題なく伝わるでしょうし、会員でない方でも伝わる方はあるかしれません。冒頭で「(宗教的な話題には)関心が無い」と書かれている点も考慮する必要はあるかしれません。
ただ、顕正新聞に掲載されたお礼状?に書かれたがごとく受け取った会員さんとは対照的に、一般の方から見たらこういう感想を持たれるのだという点は、押えておいたほうがよいと思いました。



・「私は救われました」

これもコメントを頂いてますし、ほかのブログでも話題になっています。『宗教問題15』での紅楳先生へのインタビュー記事の内容です。紅楳先生の発言の部分です。前段としては、紅楳先生が法話中に、親鸞会の人がバス2台に分乗して寺に乱入してきたという記載があります。


そのお寺の住職がとっさに、「暴力はいけません!」と叫びました。すると彼らは黙って座り、門徒さん方と一緒に私の話を聞いていました。けれどもしばらくして、大きな声で、彼らの中の一人が「あなたは救われたんですか!」と叫んだのです。私は「私は救われました。しかし今はご法話をしていますから、何かあるなら終わった後に来てください」と言い、そのまま法話を続けました。
法話を終えた後、私は控え室で彼らを待っていました。ガラッと障子が開き、「来たな」と思うとそれはお寺のご住職で、「彼らは何も言わずに帰りました」と言われました。



実際のところ私は特に失望しなかったのですが、頂いたコメントを読みまして、ここは非常に親鸞会に対して失望してしまわれる方が多い内容なのだろうと思いました。たしかに「破邪顕正」を旗印にしているはずの親鸞会らしからぬ行動です。


私が疑問に思いましたのは、「あなたは救われたんですか!」と聞いた会員さん(とおぼしき人)は、何を思って聞いたのだろうかということです。通常考えられる回答は「はい(救われました)」か「いいえ(救われていません)」ですから、どちらもあり得るのは大して考えなくてもわかると思うのですが、「救われました」と言われて黙って帰ってしまったというのは、その後の展開を考えていなかったということでしょうか。「本願寺の坊主が救われているはずがない」とでも思っていたのでしょうか。

そもそも私個人の味わいとしては、「あなたは救われたんですか」と不躾に他人へ問いかけること自体が、信心を道具として相手を屈服させようという心が透けて見えるので、弥陀の本願にそぐわないと味わうわけですが。


(追記)
ところで、まるで話は変わりますが、表紙に「高森顕徹会長直撃! 親鸞会本部探訪ルポ」とある記事は、実際には「その教団の立脚点は伝統教団の”怠慢”にあった」とあります。親鸞会が『宗教問題15』を大量購入した、という話(噂?)を見た時に不思議に思ったのですが、改めてこの記事を読みましたらさもありなんと思いました。(実は最初にこの記事を読んだ時にも、他の記事と雰囲気が異なるという点において違和感を感じていました)

親鸞会が公式にインタビューに答えているということは、おそらくその記事のゲラを事前に確認しているはずです。親鸞会は、親鸞会にとって特段不都合なことが書かれていないこの記事を読んで、問題ないと考えたのだろう、と思いました。インタビューでは、「偽装勧誘問題」とか「柴田弁護士問題」などについても聞かれて答えていますので、この内容が親鸞会の公式見解だ、といって差し支えないのだろうと思います。

すでに淳心房さんのブログ等で紹介されていますが、『宗教問題15』について、私はとあるルートで入手しておりましたので便乗して記事を書きます。


内容はご一読下さいと言いたいところですが、私が真偽検証ブログを見てアマゾンのリンクを探った時にはすでに入荷待ちになっていましたので、ご覧になりたいけどなれない方もあるかしれません。


雑誌等でときどき親鸞会のお金やら契約書のようのものやら、そういったことはこれまでも話題になってきましたが、今回はそのような個別の問題というよりも、これまであまりオープンになっていなかったところの、まさに「親鸞会とは何か」について書かれています。つまり、批判ありきというわけでもなく、擁護ありきでも無いということです。その点において私は、「外から見た親鸞会について」の貴重な資料ではないかと思います。


10頁から59頁まで、50頁にわたる親鸞会特集記事の構成は淳心房さんが触れられている通りです。あまり細かいことを書いて良いものか分かりませんので今日は細かいことを書くことは控えますが(後で書くかどうかも分かりませんが)、私が特に興味深く読んだところを少しだけ書きます。


・記者が高森先生へのインタビューを行っていますが、ここに弘宣局と総務局のお二人も登場します。(なんとなく誰だか想像できますが) 「偽装勧誘」「観勢寺問題」「参院選」についても言及されています。また、追悼法要の話も実際に聞いて記事を構成されていますので、記者の目に親鸞会がどのように映っていたかも分かります。

・「アニオタ」を自称する方(親鸞会とは特に縁の無い方)による映画『なぜ生きる』の評論がありました。失礼ながら笑ってしまいましたが、親鸞会と直接縁の無い方から見た映画の感想としては、貴重かなと思いました。


取り急ぎ今日は以上といたします。


ボタンダウンのシャツのボタン・・・


(追記)
会員さんに配布される予定だったという情報は知りませんでした。なぜ配布しようと思ったのかはかなり謎です。たしかに、伝統教団に対する批判は入ってましたが。

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