あさ川進の、宗教と私

浄土真宗親鸞会に所属しながらアウトサイダーだった私(現在は会員でなくなりました)が、宗教(浄土真宗親鸞会)との付き合い方を考えつつ書いている更新頻度が低いブログ(この説明も暫定です)リンクフリーです。なお、投稿文を受け付けております。「【投稿文】」と書かれている記事は、頂いた投稿文です。

2016年12月

実は今年は事情により帰省をしていません。ですので熊谷に引っ越してきて初めて熊谷で正月を迎えます。ブログに繋がりにくくなっているのは、年末年始のアクセス集中のたまものかと思ったり思わなかったりしているところです。今年は帰省していませんので好き放題ブログを更新できると思っていたのですが、それほど話はうまくいかないような気がしています。


さて、R1000さんからコメントを頂いてお返事していたのですが、恥ずかしながらR1000さんからの投稿文を頂いたのがつい今年の正月だったことを思い出しました。年を取れば取るほど月日の経つのを早く感じるものですが、そういえばこれは今年のことだったのか、と振り返って改めて気付くこともありますので、ざっくり当ブログの記事から今年を振り返りたいと思います。


・1/9 【投稿文】「自殺、死な(ね)ない理由」

実は今年初めての記事だったR1000さんの投稿文です。すごい反響でした。当ブログの特徴としては、投稿文のほうが反響が大きいということが挙げられます。


・2/7 寺巡り

大阪の八尾でご縁のあった阿部先生のお寺が群馬にあるというので調べて訪ねてみた、という話です。実はこれも今年のことでした。このときはまだ、埼玉慧日会という形でご縁があるとは思っていませんでした。

・2/26 転「親鸞会」

恒例のシリーズ、今年は「転」と付けました。

・3/11 懐かしい名前が出てまして

柴田弁護士が参院選に出馬するという話が持ち上がったので、思い出話がてら触れました。そういえばこれも今年でした。

・4/27 血染めの恩徳讃
 5/23 映画「なぜ生きる」
 5/30 映画「なぜ生きる」について 続き

親鸞会が映画で全国デビューした「なぜ生きる」の話でした。そういえばそんなこともありましたね。

・6/15 【投稿文】勉強会再開のお知らせ

RCさんの勉強会が、埼玉慧日会という形で再開されました。

・9/14 宗教問題15

親鸞会が久々に大々的に特集を組まれたという点で画期的な出来事だった気がします。哀愁のボタンダウン。


表立ったトピックはこんなところでしょうか。

今年もお付き合いいただきありがとうございました。
引き続きのご縁がありましたら、ありがたく思います。




来年に持ち越しの仕事はいろいろありましたが、とりあえず昨日で今年の仕事は終えまして、今日は一日、家の掃除と年賀状書きとしていました。その辺の年賀状イラスト集などにあるデザインを使う気が毛頭無い私は、毎年PCでへたくそな絵を描いているのですが、今年はまったくアイデアが出てきませんでした。とりあえず今年はひよこらしき物体の絵を描いて、どうにか書き終えました。

ちなみに妻は別のデザインの年賀状を作っているので、毎年夫婦別々の年賀状です。


さて、「あう」といっても某三太郎のCMでお馴染みの通信会社の話ではありません。読んで字の如くです。先日、つけ麺を食べながら思ったことが、今日の話です。



私の身内に、ラーメン屋の店主をやっている人が居ます。連絡先も知らないので、普段やりとりをしているわけではありませんけれども、どこの店でやっているのかは分かりましたので、機会があれば食べに行こうと思っていました。

そして先日、たまたまそのラーメン屋の近くに行く用事が出来たので、昼に食べに行くことにしたのです。ただし、連絡先を知りませんし、普段やりとりをしているわけでもありませんから、特に連絡すること無く食べに行きました。

つまり、私はその身内のラーメン屋を目当てに行ったわけですが、その身内はそんなことをまったく知らなかった、ということでした。



話は変わりまして、私が、腐れ縁というか長い付き合いの住職の寺で勤められた報恩講に行った折、思いも掛けず大学時代の先輩に会いました。向こうも、私が来ていることは知らずに来たようで、お互いに「久しぶりですね」と話をしたものでした。


さてここで、話の都合上、ラーメン屋の話と報恩講の話をそれぞれ抽象化しておきます。

①AはBを目当てにあいに行った。BはAに予期せずあった。
②AとBは互いに予期せずにあった。


ああ、弘誓の強縁、多生にも値いがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし。たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。もしまたこのたび疑網に覆蔽せられなば、かえってまた曠劫を径歴せん。誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ。ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしいかな、西蕃・月支の聖典、東夏・日域の師釈、遇いがたくして今遇うことを得たり。聞きがたくしてすでに聞くことを得たり。真宗の教行証を敬信して、特に如来の恩徳の深きことを知りぬ。ここをもって、聞くところを慶び、獲るところを嘆ずるなりと。
(教行信証)



親鸞聖人が南無阿弥陀仏にあうことを、「値う」や「遇う」といった表現で書かれています。いずれも、予期せずにあうという意味があるそうです。


このような意味において、十八願真実の立場は仏から衆生へという方向にあり、自らの求めるに先行して既に救いの法が与えられている立場を前提とする。それ故、私から仏への自らが先に求める方向は逆になっているのである。このような逆対応的関係は遇うという言葉によっても明らかに知られる。最近「出会い」という言葉を散見することがある。出会いは元来ブルンナーBrunner によるものといわれる。Begenung はキリスト教の上では通ずるが、浄土真宗の上では逆の立場となる。
出会いは両者が予想され、神と人間という二元的対立的な呼応関係にたっている。
両者の歩みよりが前提となるのが出会いである。しかし、会うと遇うは全く逆の立場に立つ。『浄土論』の「観仏本願力、遇無空過者」の遇を一多証文には(真聖全、宗祖部・六一七頁)
「遇はまうあふといふ、まうあふとまふすは、本願力を信ずるなり。」
とあり、『教行信証』の総序にも「遇い難くして今遇うことをえたり」とあり、正信念仏掲の「一生造悪値弘誓」を念仏正信偈には「遇弘誓」となっている。遇のまうあうは目上の人から目下の人に向う場合に使われる用語といわれ、しかも全く予期しないあい方である。それは自らの予想し、求めている方向にないからである。
(稲城選恵著 『他力信心の特色』)



私は、このことを読んで、漠然と「道ばたで旧知の人にばったり出くわすような”あい方”」を想像していました。さっきの①と②の話を、「A=弥陀、B=私」とすると、あえて言えば②のようなものとして、漠然と味わっていました。

「あえて言えば」と書きましたのは、私の側から見れば「予期せずにあった」という点については同じなのですが、「道ばたで旧知の人にばったり出くわすような”あい方”」といった場合は、双方とも「予期せずにあう」ように思われたからでした。もっと言えば、「私」のことしか頭に無くて特段「弥陀」について思いを致さなかったために①と②の「あい方」の違いを味わうことさえ出来なかったのです。


しかしながら、ラーメン屋でつけ麺をすすりながらふと、弥陀から見たら①の「あい方」だったのではないかと味わわれたのでした。


弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり。されば、そくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ
(歎異抄)


ここをもって如来、一切苦悩の衆生海を悲憫して、不可思議兆載永劫において、菩薩の行を行じたまいし時、三業の所修、一念・一刹那も清浄ならざることなし、真心ならざることなし。如来、清浄の真心をもって、円融無碍・不可思議・不可称・不可説の至徳を成就したまえり。如来の至心をもって、諸有の一切煩悩・悪業・邪智の群生海に回施したまえり。
(教行信証信巻)



ちなみに、ラーメン屋の主人は、麺をゆでるのに忙しかったようで私には気付かなかったようでした。もっとも私も、邪魔してもいけないかなと思って声を掛けなかったのでした。

これはこれでまた味わうところもありますが、今日はこの辺と致します。

先週、居間の蛍光灯が切れました。週末に切れていたなら、ホームセンターで買ってくるなどできたのですが、あいにく週の初めに切れてしまったのと、基本的に居間に居ることがほとんどで不便なため、ネット通販で購入しました。何しろ私は、ホームセンターや電気屋が開いている時間には家に居ないからでした。


翌日に届くというオプションサービスを指定したのですが、翌日に届かずに翌々日に届きました。ネット通販のページを見ても、届かなかった日に届くことになっているだけでした。


淳心房さんとやりとりを続けていたこともありましたし、ビジネス雑誌などでも物流がネット通販の増加で逼迫しているという話は見聞きしていましたので、物流業者に文句を言うことはしませんでしたが、ものによっては文句を言っていたかも知れません。今日は、そのことで思ったことを書きます。



通販で注文して手元に届くまでには、通販業者が客ごとに商品を在庫から取り出して梱包して、それを物流業者が引き取って、仕分けして、そして手元まで運ぶ、と、大まかに言うだけでもこれだけの手数が掛かります。これも一言で済ませていますが、結構な人手が掛かっているはずです。


最近では送料無料だとか、翌日あるいは当日配送といったサービスも当たり前のようになっているのですっかり麻痺した感がありますが、大変な労力を用いて手元に届けられているのだと思います。しかし、荷物を受け取る側からすれば、荷物が目的であって荷物がどうやって届けられるかについて気にする人はほとんどいないでしょうから、当たり前だとすら思うことも無く過ごしてしまうように思います。


存在感がきわめて薄い(というか無い)ことを「空気」というスラングがありますが、空気だって本来は無ければ大変なことです。しかし、空気があることについて感謝している人は私も含めてほとんど見受けられませんし、そもそも空気に意識を向ける人さえ希な気がします。


もちろん中には、そういう人たちに思いをいたして感謝の言葉を述べる方もあるという話は聞きますが。


さて、

弥陀が五劫の思惟によって南無阿弥陀仏をこさえて私に回向して下された、南無阿弥陀仏とたまには口にもし、文字にもするわけですが、どれほどのご苦労かということに、どこまで思いをいたしているかと思いますと、まったくといって良いほどであるなあ、と思います。


また、南無阿弥陀仏だけでなく、その南無阿弥陀仏を喜ぶご縁ともなった様々な有情無情のおかげに対する感謝、ともなりますと、もはやまさに「空気」のような扱いでは無かろうか。


そんなことを思いながら、蛍光灯を取り替えたのでした。
そうしたら、昼光色にしなければいけないところを電球色を買ってしまっていたため、色が違うと妻から文句を言われてしまいました。



ところで話は変わりますが、荷物の話から無理矢理、南無阿弥陀仏を味わってみます。荷物の話にたとえるのはどうかという話については、「たとえ話とはそういうものだ」ということで話を進めます。


通販で商品を購入して自分の手元に届けてもらう、といったときに手元に届くのは、当たり前ですが基本的には自分が注文したものです。基本的には自分が欲しいと思ったもののはずです。


それとは別に、頼みもしないのに手元に届くものも多々あります。ダイレクトメールとかダイレクトメールとかダイレクトメールとか。まあダイレクトメールだけでは味気ないので、時節柄、お歳暮ということにしましょう。お歳暮は、送ってくださる方が自分に喜んでもらえるように考えて選ばれたものが届く、ということにしておきます。


しかしながらお歳暮の場合、必ずしも自分がほしいものが届くとは限りません。


南無阿弥陀仏のお話を聞いて、他力信心を「いただく」と言って、「ものをもらう」ということではないと理解はしていても、漠然と、「自分が○○した結果、このような信心がえられる」といったようなことを思ってしまうかも知れません。「私」が何かをすることで、「私」が考えているような心になる、ということです。

自分の行動によって自分が期待した結果を得るということですから、先の話でたとえるなら、自分で注文した商品を自分で受け取るようなものです。


他力信心は、「不可思議不可称不可説」などと言われますように、そもそも「私」の期待の埒外ですから、自分が期待しているような信心ではありません。


荷物にたとえるのもどうかと思いながら無理矢理たとえますと、自分の思いとは無関係にすでに手元に届けられているのが南無阿弥陀仏でありましょう。


ところが、そもそも届けられていることを想定もしてませんし、自分が期待しているようなものでもない、ということでほったらかしにしてしまう。届いていることに全く気付いていないかも知れませんし、気付いてはいるけど無視しているのかも知れません。そして、自分がほしいものの到着をひたすら待っている。しかし、なかなか自分の思い通りに届かないので、業者に文句を言っている。


なんとなく、そんな絵を思い浮かべたのでした。


如来の作願をたずぬれば 苦悩の有情をすてずして 廻向を首としたまいて 大悲心をば成就せり
(正像末和讃)



「先手の法」とか、「私が願うより先に願われている」とか、先哲はいろいろな表現をされています。

淳心房さんが荷物の話をされましたので、便乗してみました。荷物と言えば罪業の話のほうがしっくりくるのかもしれませんが。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

あさ川です。RCさんから、RCさんから次回の埼玉恵日会のご案内をいただきましたので掲載します。


本文中にあります通り、先の日曜日に前回のご縁がありました。
私が特に味わい深く聞きましたのは、御恩報謝ということでした。御恩報謝の日暮らし、それは南無阿弥陀仏のおかげであります。


========(以下、RCさんからの投稿文です)========

こんにちは。
RC です。

あさ川さんが 記事の中でお知らせしてくださっていましたが、次回の埼玉恵日会の日程をお知らせいたします。


●次回の埼玉恵日会は、

日時: 平成29年1月22日(日曜日)
14:10~17:00

場所: 熊谷商工会議所 2階 3号会議室
(JR熊谷駅 北口より 徒歩 8分 熊谷市役所のすぐ近く)

講師: 阿部 信幾 先生
(本願寺派補教 )

参加費:2000円(ご法礼と、会場費に遣わせて頂きます。)です。

勉強会は、予め 提出して頂いた質問に、先生にお応え頂く形式で行っています。
ご質問が ありましたら、私のアドレスに メールを送ってください。

勉強会に参加は出来ないけれど ぜひ お聞きしたいことが ある方も メールを 頂けましたら、私が質問し、お伝え出来ると思います。

私のアドレスは、

rokujinotsudoiアットマークyahoo.co.jp

アットマークは、@に変えて下さい。


12月4日の埼玉恵日会も 元親鸞会会員の方が たくさん参加されて、とても中味の濃い勉強会になりました。

印象に 残るお言葉が、たくさん ありましたが、先生のお言葉の中で、やっぱり 私の一番のお気に入りは、
「南無阿弥陀仏のご名号だけが、私の往生浄土の証拠です。」
という 断言です。
このお言葉は、何度お聞きしても、心からうれしく 、安心させて頂けます。
「南無阿弥陀仏の聞こえる世界」が、
「南無阿弥陀仏のはたらいてくださっている世界」、
「私の往生浄土が定まった世界」。

火宅無常の娑婆世界に生きる、煩悩具足の凡夫の私が、こんなに安心して生きていられるなんて。

私の心は 変わり通しですが、
「南無阿弥陀仏が 往生浄土の証拠」なのですから、私の心など関係ないことが有難いです。

親鸞会にいる頃は、「信心決定が人生の目的」と教えられ、そう思って生きていました。
でも、親鸞聖人の本当の教えは、「阿弥陀仏に すっかり完成して頂いたお救いをお聞きする」だけです。
「私には、何もすることが無かった、もう幸せの中に生かさせていたと気づくこと」を「人生の目的」っていうと、ちょっと 違うように 感じます。

「後生のことは、阿弥陀さまの仕事だったと教えてもらって 安心して生きて行くこと」が、真宗です。

阿弥陀さまのご恩を教えて頂いた後は、
ご恩報謝と、頂いた命を 大切することを「考えて生きて行くこと」
が とても大切に感じます。

人は 誰も この世界に生まれようと思って生まれた人は ひとりもいません。
そういう見方をすれば、私の存在そのものが受動的です。
命を与えられ、数え切れないご縁に支えられ、他の生き物の命を頂いて 南無阿弥陀仏に遇わせて頂くところまで、すべてが頂き物と 教えて頂いて、
「煩悩具足の我利我利の心しかない私」が、
「おかげさまの心」を持たせて頂けるのだと思います。

「阿弥陀仏のみ心」を 聴聞させて頂かないと、すぐに ご恩を忘れて 、「おかげさま」を忘れてしまう私なので、これからも、ずっとずっと
聴聞させて頂いて、なんとか 人間らしい日々を過ごすことが できるのだと思います。
聴聞のご縁に 恵まれることは、本当に有難いことと感じます。
聴聞のご縁も 「受動的なこと」と思うと、更に ただ有難いです。

親鸞会を辞めてから
いろんな尊い先生からお話しをお聞きして、お同行のみなさんと南無阿弥陀仏を喜んで、不思議な幸せの中で、安心して生かされています。
こんな不思議な幸せを 今 私が知ることができたのは、
過去~現在の 善知識と 念仏者の皆さんが きちんと 教えを伝え、教えを聞いて、正しく生きてくださったからだと思います。
「なんまんだぶつ」だけで 、心が通じる 不思議で尊い教えが、どうか すべての人の心の 明かりになりますように。

ここに書かせて頂いたことは、いろんな先生や、お同行の方から教えて頂いて
今 私が 思っていることです。

真実のお言葉を、凡夫の私が お聞きできることが、不思議で、本当にうれしいです。

埼玉恵日会に、ぜひぜひ ご参加ください。

心より お待ちしております。

南無阿弥陀仏

さて本日は埼玉慧日会の日です。ご紹介かたがたブログを更新しようと思いながら当日になってしまいました。また後ろの方でご案内します。


前回の記事で、林遊さんから御名号についての記事へのリンクをコメントで頂きました。コメント欄では自動的にリンクができませんので、この記事で紹介します。


こちら


あと、以前にご紹介した「私が好きな本」として『他力信心の特色』という本の関係か分かりませんが、以前にこちらも林遊さんからご紹介頂いていたご法話も紹介します。


こちら


今日の記事はご紹介だけですが、最後に、またRCさんからご案内があるかと思いますけれども、今年の埼玉慧日会の予定をこちらにも書きます。いずれも熊谷駅近辺の予定だが場所は未定、とのことです。


2017年(平成29年)
1月 22日 (日曜日)
3月 5日 (日曜日)
6月 4日 (日曜日)
7月 2日 (日曜日)
9月 18日 (月曜日)
12月 3日 (日曜日)
時間は、どの日も 14時10分~17時の予定

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