あさ川進の、宗教と私

浄土真宗親鸞会に所属しながらアウトサイダーだった私(現在は会員でなくなりました)が、宗教(浄土真宗親鸞会)との付き合い方を考えつつ書いている更新頻度が低いブログ(この説明も暫定です)リンクフリーです。なお、投稿文を受け付けております。「【投稿文】」と書かれている記事は、頂いた投稿文です。

2017年01月

あさ川です。前回に続きまして、わいるどひっぷさんから投稿文の③です。


========(以下、わいるどひっぷさんから投稿文です)========


 関わっていると、正直つらくなる。だから、もう、辞めた。考えないでいよう。そう思って、仏法にはふたをしてしまいました。
 院に入った時、生計のため学習塾講師の職を得ました。「今でしょ」が一時期はやった、某大手予備校です。その、高校生部門ではなくて、つまりCMに出てくるような有名どころの講師、ではなくて、小中学生部門(ややこしいですか)、の講師から始め、卒業後もなんとなく続いて、教室責任者も任せていただくようになりました。仏法のことは考えないでいようとする態度、生活、それが、7,8年ばかり続いたでしょうか。
 ところがある時、たまたまインターネットで、会に関するブログを見てしまいました。最初がなんだったか、もはや忘れましたが、「えー!そうだったのか!?」という思いで、あるだけ読みました。その内容は、びっくりの連続、衝撃でした。「清森問答」「苦笑の独り言」「…なぜ辞めたのか」そして「さよなら親鸞会」。自分が思い込んでいたものは、ウソだった。自分の格闘は、何だったんでしょうか。こんなことのために、長い間、勝手につらいと思っていたのか。心の重しが次第に取れていくように感じました。マインドコントロールって、ほんとにこわいですね。ただ、わたしの中では、会にいたことももはや忘れられない一部になっている一方で、離れた後の期間のほうがずっと長いため、被害の感覚はあまりありません。それよりも「自分は、自分で、よかったんだ」とほっとできたことのほうが大きいです。ブログを立ち上げて下さった方々、ありがとうございます。ようやく、自分で自分を肯定できるようになりました。

 その後、ブログのほうは、ページが更新されるたびに読むことが半ば日課のようになっていました。「親鸞会ブログポータルナビ」ができて、とても便利になりました。ぶるうのさん、ありがとうございます。教義関係のブログ(「飛雲」など)や、質問形式のもの(「安心問答」など)、種類も増えて、とても勉強になりました。「私の白道」も、ほんとうに胸に迫るものがありました。それらを通じて「救わる、ということが、本当にある」「現に、南無阿弥陀仏を叫んでおられる」「そこでなくても、他所でも、説かれる方はいらっしゃる」ということは、理解はできました。
 それでも、重い腰を上げてまで、再び聞こうとする、までには至りませんでした。もはや過去のこととしておいて今さら面と向かいたくない、何となく遠ざけておこう、という意識や、日々の日常のルーチンにいるうち「今すぐに、でなくても、そのうち」と思っているものは、いつまでたっても手につけずじまい、という惰性的な気持ちに流されて、また5年6年、たってしまいました。
 一昨年、会社の部門整理により退職することとなり、一時的に平日の多忙さが一気になくなりました。職探しについて、どうしようかという心配はありましたが、ぽかんとしたヒマができた分、あまりに手持無沙汰で、今まで考えずに放ってきたことを、自然と考える機会となりました。そこへ父の危篤も重なり、身辺が急にあわただしくなってきたな、と思っているところ、半ば日課のブログめくりをやっていたら、RCさんの勉強会案内が目に留まったのでした。
 勉強会のあることは、その時初めて知ったのではなく、ネットを見ている中で、存在は知っていましたが、講師でいらっしゃるのが嶋田さんと知って、心に「うん?」と動くものがあったのでした。私の知っている、嶋田さんが、わたし自身はとうに郷里を離れて暮らしているのに、その福井からこちらに向かってくる。なんだか、これは行かないわけにはいかない、この機を逃してはいけないと思われて、前日あわただしくRCさんに問い合わせ、参加させていただいたのでした。
 仏願の生起本末を聞かせていただきました。少しの懐かしさと、本当の教えはこうだったのか、という、おそらくその時その当時でしか感じられないであろう新鮮さと、これまで放り出してきたままのことが、また目の前にあったことの不思議さとを、感じておりました。ありがたいことでした。
 以後、「やっぱり聴聞しよう」と思い直しました。嶋田さんからは本もいただき、早速読みました。築地本願寺の常例布教にも行ってみました。RCさんからは、ご法話の案内もいただいたので、失業中のひまも手伝って、機会のある所には出向いたりしました。
(近所のご法話にも一度行きましたが、その時は「あれ?違うぞ」と思いました。一々は覚えていませんが、救われた後の前提で「今の生活をいかに御恩報謝するか」というように聞こえてしまったのです。「信心決定しなければならないのに、そんなのんびりした話があるか」「どうやったらいただけるか、を聞きたくて来ているのに、それは済んだ話になっているのではないか。これは、あかん。」と勝手に決めつけてしまったこともありました。今にして思えば聞き間違いだと思いますが。)
 築地では、阿部信幾先生のご縁もいただきました。「南無阿弥陀仏は往生の証拠です。」と、その心をお説き下さいました。「法蔵菩薩が、わたしを救わずば仏にならないと誓いを立てられて、兆載永劫の修行をなされ、阿弥陀仏という仏になられた」「その阿弥陀仏は、南無阿弥陀仏という声の仏となられて、いまこの私の元に届いている」「今、南無阿弥陀仏が聞こえる世界に、いるのです。」「そのように誓われた法蔵菩薩が、阿弥陀仏になられたということは、わたしの往生は定まった、ということです。」「南無阿弥陀仏は、往生の証拠です。」(このようにわたしは聞きました…。)
 南無阿弥陀仏の意味を教えて下さり、それはそれでよかったです。有難くお話を頂戴いたしました。
 が。それはそれとして。南無阿弥陀仏が完成していることは、話としては分かりました。
で。肝心のわたしが、まだ救われていないんですけど。
 どうしたら、救われた身に、なるんですか?
 どうやったら、それを、いただけるんですか?
 それを、教えてくれませんか。
 こんな疑問が、どんどん出てきました。その日は食事会もあり、「お尋ねしたいことは何でもどうぞ」という雰囲気だったので、先生にいくつか質問をさせていただきました、今にして思えばどうでもいいことですが。お気楽に受けて下さりありがとうございます。(日中の常例布教でご法話された鈴木純幸先生もその場にいらっしゃり、わたしの質問を聞いて下さっていました。よほどわたしの物言いが他力をはねつけていたのでしょう、先生のお答えに返事するわたしに「その、はい、が大事ですよ。」とおっしゃって下さったのが、印象に残っています。)
 以降、新たな職にも就き、聴聞するようになりました。
 が。「救われていないわたし」は一向に変わりませんでした。どうしたら、南無阿弥陀仏をいただけるのか、は、相変わらず疑問のままでした。肝心のことを、聞けていない。阿部先生のご縁も、都合のつく限り、聞かせていただきました。昨年最初の、この勉強会で嶋田さんから教えていただいても、やはり疑問は変わらないままでした。
 わたしにとっては、なぞでした。
救いは完成しているはずなのに、救われていないわたしがいるのはおかしいじゃないか。
なぜ、わたしは、救われていないままなんだ?
いつになったら、助かった身に、なるんだ?
どういう心境になったら、救われた、というのか?

 聞いているはずのものを、聞いていないのでした。
「晴れているのが分かったら、傘は要らないでしょう。晴れていると分かるから、傘は要らない、ってなるんです。傘を離したら、天気は晴れになりますか?ならないでしょう。」
 阿部先生は喩えでこう話して下さるのですが、今となってはよく分かりますが、その時には分かりません。「晴れているのがよく分かっていないから、傘を手放さないのだ」と思い、まだどこかに自分の理解不足があるからだろう、晴れが晴れだとよく分かったら、手放すこともできるだろう、としか思えませんでした。
 聞き始めのときと、まったく、心は、変わっていない。こうまで聞かせていただいて、まだ、分かっていない。これは、まずい。
 1月の勉強会以降は、「理解不足をなくすため」に、買いこんでおいた「大経」「観経」など諸解説本、RCさんからいただいていたご法話の録音、嶋田さんからRCさん経由でいただいた本(のコピー)など、手元にあるものを片っ端から、読み直すものも、買っておいただけでまだ読んでいなかったものも含めて、仕事から帰って、寝てしまうまで、ずっと読み続けていました、「足りないはずの何物か、を埋める」ために。「それがあれば、助かるだろう」という手がかりが、どこかにあるはずだ、と思って、読み、録音を聞いていました。「それが何かは分からないが、それがあるために助かった状態にならない何か」を一生懸命、探していたのでした。
 そんな日が1カ月ほど続いたのですが、そんなものは、ありませんでした。相変わらず、「助かっていないわたし」だけが、ありました。
どうしたら、南無阿弥陀仏は、いただけるのか。これは、どうしても目の前にふさがる巨大な壁であり続けました。そしてその壁は、乗り越えることはできませんでした。「ここまで聞いても、分からなかった。自分は、分かる身じゃない。ほんとにあきらめよう」今度こそ、辞めた、と思いました。自分としては、やれることはやりました。思い直してまた聴聞しようとか、聴聞していったらそのうち分かってくるだろうとか、でも「救われた身になる能力」は、わたしにはございませんでした。
 聴聞も辞めた。仏法も、辞めた。ほんとに、辞めた。もう全部、辞めてやる。救われるなんて、辞めた。
 その時、ああ、そうだったのか、と分かりました。
南無阿弥陀仏。
だから、言ってたでしょう。最初から、わたしが全部用意してあるのだから、任せなさいよ。
阿弥陀仏のお呼び声、とは、このことだったか。
南無阿弥陀仏。
お任せします。
南無阿弥陀仏。
わたしで何か作るものではありませんでした。
南無阿弥陀仏。
任せなさい、とおっしゃるから、お任せします。来い、とおっしゃるから、「はい」と言うだけです。
南無阿弥陀仏。
こういうことだったのですね。
ようやく、南無阿弥陀仏の心を、分からせてもらいました。上の言い方では、全然、足りないですけど。わたくしの口から出た、わたくしの、今の味わいです。言葉は全然言い足りないですが、なんと、ありがたいことでしょうか。「にぐるものををわえとるなり」とは、このことでしょうかと、思っております。阿弥陀様は、ずーっと、いて下さった。今、現に、南無阿弥陀仏となって、おわします。
(大学入学時のご縁も捨て、もう一度と思ってみたのも捨て、ほんとうのご縁だと思ったものも捨てようとして、そこに、ありました。わたくし的三願転入でしょうかね。まあ、今の身としては、そんな、以前のことはどうでもいいですけど。)

 以降、聴聞は楽しみにしております。今まで、ほんとうに、聞いてこなかったなあ、と思うような、新しいことを気づかせていただけます。浄土までの間、阿弥陀仏のお育てをいただきながら、聴聞をし、ご恩をより深くお知らせいただき、わたくしなりの謝徳の行いをして参りたいと思います。
 慧日会のご縁、また楽しみにしております。

あさ川です。少し飛びましたが、わいるどひっぷさんから投稿文の②です。

①をまだお読みでない方は、 こちら です。

========(以下、わいるどひっぷさんから投稿文です)========


 さて、姿をくらましたわたしは、この先どうしたらよいものか、途方に暮れました。大学は今さら人より遅れてやり直せない、じゃあこの先、進路はどうする。求道の方は、きつくてついていけませんでした。今までは、辞めていく人を見て「人生の目的を知っていながら求めないのか」と誤った優越感を抱くような雰囲気もあったかもしれぬ中、今度は自分が敗残者になってしまった。当時のわたしの心境は、世間のことも仏法のことも満足にできぬ負け犬でした。
 この先どうしたらよいものか。敗残者のわたしが取った結論は、「もう1度、求める。今度は、1人で。」というものでした。そこで、もう一度大学を受験しなおすことにし、翌年、中央大学の哲学科に入学しました。ただこれは、もう1度求めるとか、今度は1人で、とかは、言葉の上でだけで、実際は多分に打算の働いた行動でした。求めるべき場所を逃げた者が、逃げた先で、世間上のものを同時に得ながら、かつ後生の解決に関わることを続ける方法として、選んだのが、これだったのです。かつ、「死に本願寺・干餓死本願寺」なのですから、宗門の大学へ入って教えを乞うわけにはいかない。そこに信心決定はない。だから、宗派のまったく関係のない大学の、哲学科を選んだのでした。幸い、合格できるだけの学力は、間に合いました。そこで、あわよくば、研究者としての途があれば、求めることは、続けていける。そう考えて、故郷の福井を離れ、東京へ引っ越したのでした。
学費はもう親に頼るわけにもいかないので、新聞配達をしながら、大学に通いました。(再受験するまで家族との一連のやりとりもあったのですが、ここでは割愛いたします。)
 離れて、一つ、よかったのは、人から聞かれても「親鸞聖人のことを勉強している」と堂々と言えるようになったことです。これまでは、なぜだか、隠していました。「人生の目的を果たす」こんな立派な集まりなのに、なぜ、堂々と言えない。なぜ、隠す。友人にも、家族にも、黙っていました。「自分のことを知らない」場所へ行って、「自分の人となりを知らない」人に向かって、集まりの正体を隠して、声をかける。後には引かない、引けない状況を計らいながら、ちょっとずつ、ちょっとずつ、事実を告げる。こんなことをやっていたんじゃないかな、と、断片ですが、思い出されてきます。
 ただ、「一人で求める」というのは、ただごとじゃなく、つらいものでした。元々は理系の学部に最初は入っていました、そこからまるで違う学部に入り直し、受験程度の古文・漢文の知識と、教えられたところの教学しか持っていないところに、大経・教行信証などを読み込もうと当時はしておりました。しかも、「蓮如上人以来、善知識はおられない」のだから、「大家の所説といえどしょせん信前の、誤った言説」にみだりに惑わされてはならない、と勝手に思い込んでいました。
 辞書を引き引き、解説書・概説書は語句の説明・用語の解説は参考に、他力の解説は慎重に、と思いながら、「自らの目でお聖教に目を通す」試みをやっていました。大学院の修士修了まで、いつしか10年たっていました(途中、1回、大学院の入試に落ちたり、修士課程は4年まで在籍できるので、籍は置いたりして)。
 (その間、何気に新聞を見たら「なぜ生きる」ベストセラー!なんかもありました。その時は、「逃げてこそこそ卑怯なわたしがいる一方で、真実は着実に広まってるのか…」さすがだなあ、と思ってみたり、「こんなところで一人何やってるんだ」と落ち込んでみたり…。今からすれば、どうでもいいですけど。また、院の1年後輩で入って来た人が、わたしが親鸞聖人をテーマにしていると知って「へーっそうなんですか」と驚いてくれたこともありました。「なんで?」って聞いたら「大学に入った時、サークルに誘われたんですよ。しばらくしたら、親鸞のことを聞く集まりだって」「ああ、そんなのがあるの? で、それからどうしたの? 続けたの?」「いえ、1カ月くらいでもう行かなくなりましたけど。」ああそうですか。その時は知らんぷりして話していたけど、その中身、実は知ってるよー。なんて思った出来事もありました。)
 結局のところ、一人ではどうにもできませんでした。字づらを追って表面上の意味はとりあえず追いかけても、「なぜ、この文脈で、こう出る?」とか、まして安心のことになったら、さっぱり分かりません。(ちなみに、二河白道は、聞かされていた話とまるで違いましたね。でも当時は、時代背景を考慮した上で現代人に分かるように合わせた深いミココロだと、勝手に解釈していました。)おもちゃのようなニセ教学を正しいと思いこんで、意識はせずとも「いかにその解釈に沿うか」と読もうとしていたのだと振り返っています。そうすると、文底秘沈的にならざるを得ないのも、分かります。
 自分なりに、他力観というものを、修士論文にまとめ、それで「求道」は終わりにしよう、と思いました。幸い、真宗については門外漢の大学でしたので、あまりにお粗末な修士論文は、それはそれで通りました。もうどうでもいいことです。
 もう、自分の中で、仏法は、終わりました。


(あさ川註:③に続きます)

このブログで「ブログのご紹介」と題してブログの紹介をするのは二度目になろうかと思います。と言いながらすでに先日の記事(年頭に寄せて)にてリンクを貼ってしまったわけですが、7日頃にご紹介すると宣言しておりましたので、改めてご紹介したいと思います。


なもあみだぶのつぶやき部屋


この作者の方は、当ブログの読者の方で、当ブログを通じて私とご縁がありました。ご自身で原稿を書きためてらっしゃったようで、その原稿をもとにブログというかサイトを作りたい、というようなお話を頂いたのでした。ですので私は、出来ることがあればお手伝いしましょう、というお話をしました。

私も(一部)読ませて頂いたのですが、いろいろなテーマについて書かれていましたし、分量も多く、本一冊分くらいになるのではないかなあ思いました。


さて、サイトについてのご本人のイメージとしてはおそらく、書かれた文章をもとにいろんな方と讃歎したり、話し合ったり、議論したり、といったことができるようなもの、を所望されていたのだと思います。ところが、わたしに技術力がありませんでしたので、ブログになってしまいました。


わたしに技術力がありませんでしたので・・・orz


それはさておき、ブログの記事も続けて更新されるかと思いますので、ほかにも皆さんが書かれているブログも合わせて、さらに仏法讃歎の輪が広がるご縁にでもなればありがたいかなあと思います。



※なお、わいるどひっぷさんから投稿文の続きは、来週半ばに公開の予定です。

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏、、

あさ川です。先回の記事にて話題にしましたが、わいるどひっぷさんから投稿文を頂きました。わいるどひっぷさんは、RCさんの勉強会にご縁がありまして、続けて聞かれている方です。

今回、投稿文として3通のメールをいただきまして、3通で一つの文章になるようになっていました。くっつけて一本の記事にしようかどうしようかとも思いましたが、ちょうど良い位置で続いているように思いましたので、頂いたとおり、3回に分けてご紹介したく思います。


========(以下、わいるどひっぷさんの投稿文です)========


 ご縁をいただいて以来2年たたないくらいになりますか、当初は自力ばかりを振り回し暗中模索でおりましたが、今は「そのまま来い」のお呼び声に「はい」とお任せする身とさせていただきました。させていただいた身から振り返ってみるに、まさかわたくしも南無阿弥陀仏の主とさせていただけるとは、自分でも不思議です。いま喜んでおられる方々のお仲間に加えていただき、ともに南無阿弥陀仏の心を味あわせていただく、このような楽しみを下さり、ほんとうに有り難く思います。
 私事ながら、一個人の身の上話に過ぎませんが、遇法までのご報告をさせていただくとともに、また埼玉慧日会のご紹介にもなればと思い、記させていただきます。
 あさ川さんのブログで、この勉強会があることは当初から知っていました。一昨年4月、嶋田さんが来られるとのことで、私にとってはこれが背中を押すきっかけでもあったと思います。求道と称するものを辞めて以来24年ぶりの聴聞でした。生まれて初めて、生の声で、南無阿弥陀仏の心を、聞かせていただきました。
 大学1年の時、少なくない数の方がもしかしたらそうであろう、入学したての時期に、先輩から声をかけられ、後生の一大事が人生の目的であることを教えてもらったのでした。以後、「信心決定」を目的に、聴聞と、それから、言われているところの活動とに精を出しておりました。約30年も経った今となっては、一々のことはうっすらとした記憶にしかありませんが、ご多分に漏れず「獲信のためには宿善を厚くせよ」「真の知識はここにしかおられない」と刷り込まれ、その説示には疑問を持たず、自分なりにやれることをやっていたのでありました。
 そして、一部の方はもしかしたらそうかもしれませんが、大学4年になるころには、学業との両立ができずに来てしまい、どうにもならなくなりました。そんな中、春先の、新入生を迎える動きの中で、クタクタになって寝て、起きてみたら夕方になっていて、慌てて集まりに行きましたが時すでに遅し、新入生がたくさん来ているのに先輩がこともあろうに遅刻してくる(かつ当時わたしはリーダー格ということにされていました)、講師から身の心配もしていただけましたが、また同時に「求道者としてあるまじきこと」と強く叱られました。
 「人集め」も「金集め」も、自分の中では、無理して無理してやっている。後生の一大事を人質に取られて、宿善と称して本音ではやりたくもないことを、やっている。学業ももはやどうしようもない所まで来ている。どうにもならなくなり「ええい、もうどうでもいいや」と、わたしは、半ば行方不明になるかのように、そこから姿をくらましてしまったのでした。
 入学当初、わたしに人生の目的というものを教えてくれたのは、谷川秀大講師でした。仏教といえば当時、高校卒業したぐらいの者が普通知っているであろうぐらいのことしか知らなかったわたしに、「親鸞聖人の教えの中に、ほんとうのものがある」と教えて下さったのです。
 わたしからすれば、谷川講師はたいへん優しくて、決して上から目線でものを言わない方でした。大学生くらいであれば時にはあるであろう、得てして世間を知らないところからくる独尊的な態度(が、おそらくわたくしにはあったと思いますが)にも、お付き合い下さり、時としてよそ見をしかねないわたくしに、ご縁をつないで下さいました。また普段の様子も、真摯で真面目で「求める、とは、かくあるべし」と体現されているように見えました。講師部の方は、みんな、神々しく見えたものです。
 嶋田さんは、そんな中、同じ県の担当講師としていらっしゃいました。平日夜の聞法の中、月に1回くらいは聴聞させていただいていたと思います。
(嶋田さんとは、2つ思い出があります。1つ目は、ある時の聴聞で急に「ご法礼集め、やってよ」と施主の方に手伝いを頼まれたのですが、突然言われてしかも初めてのことだったので、どうやってよいやら分からずモタモタしているうちに、後半のご法話の開始が遅れてしまったのです。嶋田さんは、「大変申し訳ございません」と深々と頭を下げられ、聴聞に来られた方々にお詫びしていました(後で知ったことですが、講師部の方にとって、ご法話の遅刻は断じて許されないこと、お詫びして、かつ、来られた方々一人一人にお詫び状を出さねばならない、とか。わたしの記憶に間違いなければ。)嶋田さんが悪いんじゃありません、わたしが悪いんです。大変、申し訳ないことを致しました、ごめんなさい。
2つ目は、敦賀で聴聞があった時のことです。ご法話の時間帯は夜でしたが、たしか昼から、会場の手伝いに行っていました。その準備の中、嶋田さんの車にご一緒させていただきました。嶋田さんは「くり返し再生できる録音テープ」(名前は何というんでしたっけ?そんなカセットテープもありましたね)にご自分で声を吹き込み、車上のスピーカーから「本日は…親鸞聖人の…お話が…」と鳴らしながら、ゆっくり街中を車で回られました。そこへご一緒させていただいていました。そして「どういうきっかけでご縁があったのですか」とか「どうして講師になられたのですか」とか、恥ずかしげもなくわたしは車中で聞いていたような気がします。)
 学生ながら、わたしからは嶋田さんの求道されるお姿には、心打たれるものがありました。


(あさ川註:②に続きます)

三が日も過ぎて今更ですが、あけましておめでとうございます。
年末の記事に思いの外多くのコメントを頂きましてありがとうございました。一応は無事に年を越せましたので、今年も引き続きよろしくお願いします。


過去の年頭の記事としては、次のようなものを書いていました。

年頭(平成25年)に寄せて 「弥陀の真似でも」
(平成25年)

年頭によせて・・・『なぜ生きる2』はすてて
(平成26年)

年頭(平成27年)によせて 声を届ける場として
(平成27年)


平成28年の昨年はついに(事実上)サボってしまった(R1000さんに助けて頂いた)年頭の記事ですが、今年は書こうと思っていたことを書き始める前に思いとどまって、何を書こうか迷ったあげくにこのタイミングになりました。(この言い訳もいつものことで、見苦しくて失礼しております)


今年のタイトルは、当初考えていたものから変えました。ものすごく分かりにくいですが、私の頭にあったのは


わが身の往生、一定とおぼしめさんひとは、仏の御恩をおぼしめさんに、御報恩のために、御念仏、こころにいれてもうして、世のなか安穏なれ、仏法ひろまれと、おぼしめすべし
(親鸞聖人御消息集)



のお言葉です。このお言葉から連想して「讃歎の輪広がれ」としました。


わが身の懈怠を棚に上げていいますと、昨年は、年頭の記事をどうしようか考えているうちにR1000さんから投稿文を頂きました。ええ、ものすごくグッドなタイミングでした。ありがとうございました。

さすがに今年は、そんな都合良いことは無かろうと思っていました。思ってましたので、年頭の記事をどうしようかということが、年末年始の私の頭に引っかかっていたのでした。


そんなことを思っていましたら、なんと今日、予期せず投稿文を頂いたのでした。いや本当に。


実は昨年末に、とある読者の方がブログを始めたということで、年初の7日頃にご紹介しようと思っていたところ、思いも掛けず投稿文を頂いたので、一緒に話題にさせていただくことにしました。


私がどうこう、というわけではありませんけれども、いろんな讃歎の輪が広がっているのだなと味わわれます。ですので今年の年頭のタイトルには、その讃歎の輪がさらに広まってほしいと願いを込めて「讃歎の輪広がれ」と付けたのでした。


投稿文については、頂いた方ともう少しすりあわせをしまして、近日中に公開できればと思います。


ブログについては、ご本人には7日頃にご紹介したいとご連絡していたのですが、せっかくのタイミングですので、この記事にてまずはご紹介したいと思います。


なもあみだぶのつぶやき部屋


今日現在で14本の記事が出ています。ご本人は、「コメント大歓迎です」と仰ってましたので、お読みになって味わわれたことをコメント頂けるとありがたいかなあと思います。


また後日改めてご紹介の記事を書きたいと思いますが、今日はこれまでといたします。


追伸、

先回の記事で「熊谷に引っ越してきて初めて熊谷で正月を迎えます」と書きましたが、休み中に過去記事を見返していたところ、平成25年も熊谷で正月を迎えていたことが分かりました。大嘘ついてしまいまして失礼しました。誰からも突っ込みは来ないと思いますが、一応訂正いたします。なお、平成25年は、年越しこそ熊谷でしたが元日に帰省したのでした。(どうでもいい情報ですが)

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