四十九日どころか二ヶ月以上経ったので今更ではありますが、先日娘を見送りました。先月、先々月もブログの更新自体はありましたが、考えてみますと私が書いた記事は三ヶ月前までさかのぼることに気がつきました。そろそろ次の記事を書こうと思っていたところで、娘が亡くなったということもあってブログを書く気も失せていたのですが、なんとか頂いた投稿文でブログが続いたということで、ありがたいことです。


さて、正確に言うと娘は生まれてくる前になくなった、いわゆる死産ですので戸籍上は特に何も残りません。残っていませんけれども、私(と妻)の娘には違いないですので、娘と書きます。もう1~2ヶ月で生まれるであろうというところまで育ってくれましたので、出てきた時には小さい赤ん坊の姿で出てきました。


死産の場合、親の立場からしてみれば多くの場合子供が亡くなったことに違いないのですけれども、外から見たらまだ生まれてきていない状態ですので、いわゆる戸籍がある方が亡くなった場合と比べても、感じ方の隔たりは大きいのだろうと思います。先ほど、ブログを書く気が失せたと書きましたけれども、実際には娘が腹の中に来る前のところからダラダラと思い出話を書いていました。書いていましたが、書いてそれを公開するのもいかがなものかと思いましたので、今回は別のことを書くことにしました。


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事情により、妊娠中の妻は二回転院をして、最終的には救急車で(家から二時間ほど離れた病院へ)運ばれていきました。入院病棟は様々な患者さんがありまして、病院というのは苦しいところの代名詞かも知れないと思ったものでしたが、産婦人科の場合は赤ちゃんの泣き声が聞こえる、面会者の顔もどこか明るい、そんな感じもしておりました。無事に生まれてきてくれたら良いなと思ったものでした。


入院期間がそれなりに長かったので、妻は大部屋に入院していました。個室も多い病院だったのですが、ある日、名札の無い個室に入院患者さんが入っているのが見えました。半日から一日ほど経っても名札がありませんでした。勝手に入っているわけではないのでしょうが、名札が間に合わないのかしらと思ったものでした。一ヶ月ほど後、その部屋に泣き腫らした妻が移動していました。このとき私は、その個室の意味を知りました。


喜びの裏には、見えない悲しみ苦しみがあるものだ、とつくづく思いました。

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娘が「生まれて」きた後、身長と体重を量るからといって引き取られていき、しばらくして娘の体を妻と一緒に洗いました。その後、用意していた短肌着に着替えさせました。娘が生まれたのだなあという感慨がありました。ただ、室内は静かでした。娘の体はすでに冷たかったです。


しばらくして葬儀業者が来て、「ご遺体を霊安室に運びます」と言われました。ご遺体、という言葉を聞いて、そして白い布が掛けられた娘の体を見て、ああ娘は亡くなったのだと現実に戻りました。

一緒に霊安室の前に来て、「最後にだっこしますか?」と聞かれました。いや、最後なんていきなり言わないでくれと思いながらだっこしましたが、初めての経験でしたのでよく分からないまま霊安室に運ばれる娘を見送りました。妻の所に戻ったら、だっこが出来なかったと言われました。(数日後にだっこできました)

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まず娘について思ったことは、娘は妻の腹の中で南無阿弥陀仏を聞いてくれただろうと。

娘が亡くなったということについての意味付けは、私にとっては味わいとなりますけれども、それこそ亡くなった端は、

 「人身受け難し」を教えてくれたのだろうか

と思ってみたり、

 諸行無常、老少不定ということを教えてくれたのだろうか

と味わってみたりしたものでした。
それはそれでもっともらしいとも言えるかしれませんが、どうも落ち着かない日々が続きました。


なんとなく他の味わいも出てきたのですが、なかなかそれがうまく言葉になりませんでした。なんとなく言葉になりかけたときに、こんな言葉を教えてくれた方がありました。


見諦所断の法を断ずがゆえに、心大きに歓喜す。たとい睡眠し懶堕なれども二十九有に至らず。一毛をもって百分となして、一分の毛をもって大海の水を分かち取るがごときは、二三渧の苦すでに滅せんがごとし。大海の水は余の未だ滅せざる者のごとし。二三渧のごとき心、大きに歓喜せん。菩薩もかくのごとし。初地を得已るを「如来の家に生まる」と名づく。一切天・龍・夜叉・乾達婆 乃至 声聞・辟支仏等、共に供養し恭敬するところなり。何をもってのゆえに。この家、過咎あることなし。かるがゆえに世間道を転じて出世間道に入る。ただ仏を楽敬すれば四功徳処を得、六波羅蜜の果報を得ん。滋味、もろもろの仏種を断たざるがゆえに、心大きに歓喜す。この菩薩所有の余の苦は、二三の水渧のごとし。百千億劫に阿耨多羅三藐三菩提を得といえども、無始生死の苦においては、二三の水渧のごとし。滅すべきところの苦は大海の水のごとし。このゆえにこの地を名づけて「歓喜」とす。
(教行信証行巻)



行巻と書きましたが、正確には『十住毘婆沙論』の入初地品からの引用です。初地の菩薩について書かれたところですが、ここを引かれて無明が破られるということについて聞かせてもらいました。

大まかに言いますと、根本の無明が断ぜられたということは、私の側から見れば大海のうちのわずか二三滴の水が滅せられた程度にしか思われずに煩悩の苦しみはほとんど残っているが、弥陀の側から見れば根本の無明を断ずることでほとんどの苦しみが取り除かれ、後に残る苦しみは大海のうちのわずか二三滴程度なのだ、というように受け取りました。私の自覚がどうか、ということと弥陀の側から見たところでは、大きな隔たりがあるようです。



「娘は妻の腹の中で南無阿弥陀仏を聞いたのであろうか」

そのことは、私にとっては「弥陀と娘の話」なのであって弥陀次第なのですが、そんなことを言うと何か冷たい感じがしなくもないと感じられる方があるか知れません。


私の味わいとしては、自分が救われるかどうかあるいは救われたかどうかが気になるほどに、その「救い」にしがみつく傾向があるように思われます。仮に「救われた」のであれば、「救われた」という思いにしがみつく、と言って良いのかもしれません。

その思いが他人に向けば、その当人が救われたのかどうかが気になる、その当人が「救われた」かどうかで浮きもし、沈みもするとも言えましょう。


南無阿弥陀仏との縁は私の計らうところではありませんし、救われたとか救われないとかいうことも私が決める話でもありませんので、それが私でない人のこととすれば、なおさら私がどうこう口を挟む問題ではないのだろうと思うのです。


「腹の中で南無阿弥陀仏」という話をした時、「数え年は、腹の中に宿った時から人生が始まっているからそのように数えるのだと聞きました」「人間界の時間の長さに関係無く、南無阿弥陀仏を聞けた人は本当の長寿だと聞きました」という話を教えて下さった方がありました。

娘が腹の中で南無阿弥陀仏を聞き、称えていたかどうかは弥陀と娘のみが知るところでしょうが、娘のことについて味わうならば、

 南無阿弥陀仏との縁は私の思いに関係無く、弥陀からの一方的なお慈悲の南無阿弥陀仏

ということを改めて味わわせてもらったこと、もっと言えば、

 自らの「救い」から手を離したら南無阿弥陀仏

なのだということ。


ちょっとはまとまったかと思って書いていたらやっぱりまとまってませんでしたが、娘も弥陀と共に南無阿弥陀仏というのが、今の味わいです。


もっといっぱい「だっこ」をしたかった、とか

高い高いをしてやりたかった、とか

せめて「おぎゃー」という名の南無阿弥陀仏の泣き声を聞きたかった、とか


毎日、そんなことを思わない日はありませんけれども。


あとは、娘が特に支障なく出てきてくれたので、妻が無事に退院できたことがありがたいことでした。

南無阿弥陀仏