あさ川進の、宗教と私

浄土真宗親鸞会に所属しながらアウトサイダーだった私(現在は会員でなくなりました)が、宗教(浄土真宗親鸞会)との付き合い方を考えつつ書いている更新頻度が低いブログ(この説明も暫定です)リンクフリーです。なお、投稿文を受け付けております。「【投稿文】」と書かれている記事は、頂いた投稿文です。

2018年02月

謹んで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。往相の回向について、真実の教行信証あり。
(教行信証)


しかるに本願力の回向に二種の相あり、一つには往相、二つには還相なり。
(浄土文類聚抄)


往・還の回向は他力に由る。
(正信偈)



浄土真宗ののお話をずっと聞いているとすっかり慣れてしまいかねないのですが、改めて味わいますと、親鸞聖人が「すべて弥陀のひとり働き」と言われたことがなんともありがたく味わわれるのでした。


親鸞聖人は教行信証で「浄土真宗」と書かれているところを浄土文類聚抄では「本願力の回向」と書かれています。もともと親鸞聖人は、自らの宗派という意味合いで浄土真宗を使われていなかったかと思いますので特に違和感はありませんけれども、こんなところからも改めて、浄土真宗は本願力回向の教えであり、他力の教えであるということ、「弥陀のひとり働き」であることが味わわれます。


「弥陀のひとり働き」という言い方をしておりますが、つまるところ回向の主体が阿弥陀仏と言われているわけで、これに慣れ親しんでいると違和感も覚えませんけれども、考えてみますとなかなかそのように言えるということはないように思います。


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学生時代も遠くなりにけり、あまり自分がどうであったかの記憶も定かではありませんが、いくつか思い出したことを書きます。


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大学で宗教っぽい「サークル」に入って話を聞く中で、「信心決定したら、より仏法を聞きたくなる」という話を聞いたことがあります。

大まかに補足しますと、私は当時「人生の目的を達成する」ということは考えていたものの、宗教的な話に用はありませんでした。

そんな私がこのような話を聞いたものですから、「人生の目的を達成して充実感を得てその後の人生を楽しもうというのに、結局法話を聞き続けるというのは面白くないなあ」などと思っていたものでした。


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私は今現在、熊谷市に縁がありますが、学生当時はまったく熊谷に縁がありませんでした。
そんな熊谷市の有名人の一人に、熊谷の蓮生房がいます。

大学の何年生の頃だったか忘れましたが、蓮生房について以下のような話を聞いたことがありました。

細かな話の内容は覚えていませんが、親鸞会の会員さんとおぼしき人が書かれたブログ記事がありましたので、興味のある方はこちらをご参照下さい。(『とどろき』記事の転載のもよう)

ここでは長く書きませんが、このときに「南無阿弥陀仏の縄に縛られて思うままにならぬ幸せ者」ということを聞いたのです。


一応は仏法を聞いていたと言えば聞いていたかも知れませんが、性根はまったく先に述べた通りでしたし、そもそも縄に縛られて幸せなどというような趣味はありません(今もありません)から、そんな話をさもありがたく話す講師部員を見て、ちょっと違う世界の人のように思ったものでした。


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「遊煩悩林現神通」

学生時代、この正信偈の言葉について話があったことがありました。いわく、救われた人は煩悩の林であるこの世界で、自由自在に衆生済度をするのだと。救われた人にとっては、衆生済度は遊びのようなものなのだと。


やはり学生だった私は、「衆生済度が遊びと思えるかはなってみないと分からないが、あまり楽しいとは思えないものだ」と思ったものでした。


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縄に縛られて云々はさておき、先ほど述べたような思いというものは、まさにそこに「自分」が入っている、もっと言えば「自分」しか居ないように思うが故のことだと思い出されます。


自分の努力や工夫、忍耐などによって得られた境涯という名の結果であれば、いわば「報酬」として自分が満足する何かが得られなければ、「努力した甲斐がない」と思ってしまうでしょう。努力の結果、思い通りの人生が開けるものだと独り合点していたところに、「一生涯仏法を聞き続けるのだ」とか、まして次の生でも衆生の救済に励む(というか遊ぶ)のだとか聞かされたら、別にそんなもの要らない、と思ってしまいかねません。


そんなことを考えますと、よくも縁が続いたものだったと思いますし、むしろ自分で求める気を起こしていたら今の「ご縁」はなかったのだろうと味わわれます。


浄土真宗の「教行信証」について言えば、主体はすべて阿弥陀仏でした。そして教行信証が円満した往相の回向、そして還相の回向はまた、阿弥陀仏の一人働きでした。


しかれば、もしは往・もしは還、一事として如来清浄の願心の回向成就したまうところにあらざることあることなきなり。
(浄土文類聚抄)



「すべて弥陀のひとり働き」とは、たとえばどういうことかと味わってみますと、


問題にしていない「苦」を問題にされているのも、
仏法を聞きたいと思わないのに聞かせることも、
仏法が有り難いとも思わないのに縁を持たせることも、
後生のことを心配されているのも、
助からないことを問題にされるのも、
仏法を聞こうとしないのを心配されるのも、
往生一定とされるのも、
臨終後に仏の悟りを開かせるのも、
次の生で、再びこの世で衆生済度させるのも、


みんなみんなということであろうと思います。


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最近、何度か還相回向のお話を聞く機会がありました。

無常というか往生というか、お同行のそのような話もちらほらと聞きます。このブログでご縁深かった方で言えば、ひろしさん、そして嶋田さん。

まあ、娘のこともありましたので、弥陀と娘のことなどを思い出したり考えたり味わったり、そんなこともありました。

往生された同行のことを思い出し、どこかで還相の方として次の生を送られているのかなあと思ったり、ひょっとしたら親鸞会と縁を持たれるのかなと思ったりもしております。


二つに還相の回向と言うは、すなわちこれ利他教化地の益なり。すなわちこれ「必至補処の願」より出でたり。また「一生補処の願」と名づく。また「還相回向の願」と名づくべきなり。『註論』に顕れたり。かるがゆえに願文を出ださず。『論の註』を披くべし。
(教行信証)


その「還相回向の願」を親鸞聖人は、次のように読まれてます。

願に言わく、「設い我仏を得たらんに、他方仏土のもろもろの菩薩衆、我が国に来生して、究竟して必ず一生補処に至らしめん。その本願の自在の所化、衆生のためのゆえに、弘誓の鎧を被て、徳本を積累し、一切を度脱して、諸仏の国に遊び、菩薩の行を修して、十方諸仏如来を供養し、恒沙無量の衆生を開化して、無上正真の道を立せしめんをば除く。常倫に超出し、諸地の行を現前し、普賢の徳を修習せん。もししからずは正覚を取らじ」


還相回向は浄土に往生して仏のさとりを開いてからということになりますので、本来は「還ってくる」のも「衆生済度する」のも、この世で出来ることではありません。そして、「すべて弥陀のひとり働き」ですから、自分の意思で出来ることでもありません。


とは申せ、利他の行が出来ないとしても御恩報謝の日暮らしが出来るのが、浄土真宗の有り難いところだと思います。御恩報謝の道はそれぞれありましょう。その中で分け隔てなく南無阿弥陀仏を讃歎することもまた有り難いご縁だろうと思います。結局いつもの話になってしまいますが、親鸞会であるとかないとか、捨てるとか拾うとか、拒絶するとか崇拝するとか、そんなこととは関係無い弥陀の本願ですから、還相の方と同じように自由自在に神通を現すとはいきませんけれども、その心を汲んで親鸞会など関係無く、彼我の境目もなく、日々の姿が縁ある人とともに南無阿弥陀仏を喜ぶご縁ともなれば有り難いことだと思います。



あともう一つ。まったく還相回向とは話は変わりますけれども、以前に親鸞会の良いところについて考えてみたことがありました。当時は結局思い当たらず、皆さんに色々ご意見も出して頂いた、そんなことがありました。


今ひとつ思い当たるのが、熱心に「聞法」していた、ということ。


もちろん、聞法の目的が全く違うとか、喜びと言うにはほど遠く苦痛であったとか、そもそも聞「法」ではないとか、特に親鸞会経験者で親鸞会から離れた方はいろいろ思うところがあろうかと思います。

そういった方全員のことは分かりかねますので私は自分のことを書くのですが、弥陀の本願とのご縁でもありましたし、また「熱心な聞法」ということからすれば(形の上では)親鸞会は素晴らしいものがあったと思います。また、これも形式的なものかしれませんが、仏法大事に思うことに関しても、親鸞会の人は一生懸命だったと思います。(対象が仏法に向いてないのではないかと思われる方もあるかしれませんが)


もう一つの「還」は、そんな熱心さに思い出し、その大事に思う「思い」に「還」っても良いのではないか、そんな意味も込めてみました。


当時を思い出しますと、毎週のように富山の親鸞会館に通っていた時期もありました。

教学も頑張ってました。

お聖教も下に置いてまたがないように気を遣ってました。


当時は自分自身のために、自分自身に幸せがかえってくると思って、自分自身が助かるためにしていたことでした。南無阿弥陀仏はそんなことを求めてはいませんでしたし、頑張る必要も無い教えでした。

ただ、南無阿弥陀仏との縁を喜ぶようになった、といって仏法とのご縁が遠ざかってしまう方もあります。それは残念に思います。


先ほど、学生時代に「救われた人は余計に仏法が聞きたくなる」と聞いた時のことを書きました。結局あれは、南無阿弥陀仏(もっとも、当時は「人生の目的」としか思っていませんでしたが)を努力の対価としか思っていなかったということでした。

そんな私ですのでえらそうなことは言えませんけれども、聞法を大切に、仏法を大切に思っていたはずの時の思いに「還」る、

それもまたご縁の形ではなかろうか、と味わわれます。



昨年は教行信証と歎異抄のご文を出して本文は何も書きませんでした。それはそれで良いかとも思ったのですが、「なんとコメントしたら良いか分からない」と言われた方もありましたので、まとまってませんが文章を書きました。

今回の漢字は何にしようか、と思った時に二つの候補がありました。一つは、昨年も書こうと思っていた文字、もう一つは先週ふっと思いついた文字。どっちもあまりまとまらなかったのですが、今回は先週の味わいを元に(だいぶ変わりましたが)書きました。


南無阿弥陀仏

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改めてご説明しますと、毎年2/26には●「親鸞会」と題した記事を書いてきました。

卒「親鸞会」
超「親鸞会」
忘「親鸞会」
転「親鸞会」
離「親鸞会」

そして今回は、「還」親鸞会 と題しました。


今回、カギ括弧の位置が変わりましたことについては思うところはありますが、なかなか文章になりませんでしたので、皆さんそれぞれに味わっていただければよろしいかと思います。


他のブログでは、いわゆる「聖典」の言葉に対しては現代語訳や解説などを載せる場合が多いのですが、当ブログは私の味わいを載せるだけにしております。現代語訳や意味をご所望の方は、他の方の書かれたブログや書物等でお調べ下さい。

もうすぐ日が変わってしまう時間帯ですが、明日18日は埼玉恵日会の日です。東京から見ると熊谷はそれなりに距離がありますが、ご縁ありましたら熊谷までお越し下さい。


私が阿部先生と最初にご縁があったのは、このブログにもずいぶん前に書きましたが大阪の八尾でした。光蓮寺の仏教文化講座で、またご縁あるといいなあと思いつつ時が経った頃にふとご自坊を訪ねに大間々まで行って何もせずに帰ってきたのも良い思い出でしたが、こうして熊谷でご縁があるのも不思議なありがたいことだと思っています。


さて、更新頻度が低いのは最近では毎度のことではありますけれども、これまた今更感が強いお話をしますと、山も山さんの脱会ブログでずいぶん前に紹介された親鸞会ホームページ更新の件について、(実は以前にも見ていたのですが)私も改めてちょっとホームページを覗いてみました。


月並みな印象としましては、顔が見えるようになったなあというものでした。

以前のホームページは、あれはあれで親鸞会だなあと思いながら見ていたのであまり意識はしていませんでしたが、親鸞会のことを説明しているようでしていない状態ではなかったかなあと思いました。


そういえば、私が最後に親鸞会の講師の方とお話しした時に、親鸞会は開かれた存在になってほしいと言いましたが、ひとまずホームページを見ますとそういう感じになったなあと思いました。

入会のページを見ますと、きちんと入学金(入会金)は5万円だとか、会費は親会員なら3千円だとかいうことも書いてありました。さすがに1燈会員以上の話は見当たりませんでしたが、法話等でお布施のご縁があるなどといったことも書いてありました。

別に特筆すべき内容でもないのでしょうが、そういうところに目が行ってしまったあたり、私の親鸞会に対する印象を物語っているように思いました。

山も山さんも触れられていた通り、行事の日程も公開されているので、行きたい人が行けるようになっているのかもしれません。バーコード管理を今もやっているのかは分かりませんけれども。


そういえば、入会者に「祝・仏縁セット」が贈呈されるとのことですが、最近は「『御文章』の本」や「勤行CD」も贈呈対象になっているのですね。


YouTubeにあるチャンネルに講座風景もアップされているようですが、欲を言えば親鸞会館の法話も聞けるようになるとかしてもらうと、もっと開いた親鸞会になるのではないかなあと思った次第です。



そういえば、私がよく聞きに行く講座のお話で、弥陀の本願はすべての人に開かれているのに善鸞はきわめて狭い個人的なものにしてしまった、という趣旨のお話を以前に聞いた記憶があります。

そういうことで言えば、どこそこでしか聞けないとか、あの先生からしか聞けないという話もないわけですから、まあホームページでもそんなことは言ってませんので、いつもと違う先生から聞くご縁というのもありがたいのではなかろうかと思います。

南無阿弥陀仏

あさ川です。
先日のRCさんに続きまして、わいるどひっぷさんから投稿文を頂きました。わいるどひっぷさんは以前にも投稿文を頂いてます。今回は嶋田さんへのお礼ということで頂きました。


改めて思いますに、やはり熱量なのだろうと思います。私は会員時代に特にご縁はありませんでしたが、勉強会のご縁を頂いて、お話されている途中で南無阿弥陀仏のご縁を喜ばれながら涙を流されていたことを思い出します。


========(以下、わいるどひっぷさんから投稿文です)========


わいるどひっぷです。
嶋田さんがご往生されたこと、RCさんからうかがいました。改めて、私に六字の心を届けて下さったこと、御礼申し上げます。

RCさんが、埼玉で勉強会を開いてくださったこと。
嶋田さんが、講師としていらっしゃったこと。
当時失業中で、なんとなく芯が抜けたような思いで過ごしていたこと。
父が危篤との知らせを受け、当然のように当たり前と思っていたことが、当たり前でないと、はっとさせられたこと。

など。

わたしが、こうしてこうなろうとか人生設計のように予定を立てているところではなく、想定外のところで、全く思いもかけないところから、南無阿弥陀仏をいただきました。

30年前に、故郷の福井で会にご縁があったこと。3年足らずで辞めてしまったこと。嶋田さんのことはその時に存じ上げていました。青年部と学生部とで、特段親しい間柄ではなかったのですが、24年ぶりに埼玉でお会いした時も、私のことは覚えていて下さっていました。

(わたくしの人となりにつきましては、以前の投稿があります。よろしければご参照ください。http://blog.livedoor.jp/skai_as/archives/49231003.html )

東京に出てきてから10年ばかり、独力でお聖教の読解を試みたりしてきましたが、(平成初期の当時は今のように数々のブログはまだ無く)とても飛雲さんのように、あざやかに読み解くことはできませんでした。会についてゆけず、学業もつとまらず、なら一人ででもやるしかない、と思い詰めて、哲学科に入りなおしてそのように過ごしていたのですが、要するに、ただこのままだったら世間的にあまりにもかっこ悪くて、見栄で恰好つけていただけだったように思います。
(また、とくよしみねさんもブログでおっしゃっていましたが、どうしても、会で刷り込まれた先入観で読んでしまい、文面をその通りに受け取ることができなかったです、思い返してみれば。)
会を辞めて東京へ再受験するまで、大学を卒業できないことが恥ずかしくて実家にも帰れず、かといって下宿は学生部の部室兼用なのでそこへも帰れず、あてもなく3カ月ほどぶらぶら過ごしていたころ(よくお金がもったものです)、もうそれもそうしていられなくて、実家に帰ろうと一旦下宿に戻りました。担当の講師は、わたしにご縁のあった谷川秀大講師から別の方に変わっていました。
「どうしていたんだ」「仏法、辞めてはいけないだろう」「後生の一大事がかかっているんだ」一見、励まし、や、仏法の重さを説諭していながらも、受け止めるこちら側としては、それは脅迫です。とりあえずその場から離れるためだけに「はい」とだけ返事して「これからはきちんと求めるよな」と念を押されてその場を離れ、以後二度と会の方々と会うことはありませんでした。
「ここにだけ真実が説かれている」その優越感、裏返しに、ついて行けないものの敗北感、後生の解決がありながらそれを為さないままでいることの閉塞感…要はマインドコントロールの残滓が残っているのでしょうが、辞めたら辞めたで、独りぼっちの感覚でつらいことは変わりませんでした。
10年経ったその後は、仏法のことは「なかったこと」にすることにしました。思い返さないように、見ないようにして過ごしてきました。
それから数年経って、「私の白道」他いろいろなブログを通して、教義の誤りがようやく分かりました。まるで呪縛が解かれたように、ほっとしました。
「私の白道」は、掲載が始まったころから、見ていました。当初は匿名であったのですが、話される地理感覚や、にじみ出るお人柄から、もしかして、と思っていましたが、やはり、嶋田さんでした。ほかのブログと相まって誤りを誤りと知らせ、南無阿弥陀仏をいわれを説かれ、現実に他力はあるのだということ、それを説かれる方はいらっしゃるのだ、ということを、教えて下さいました。また同時に、なんとまっすぐな方なんだろう、と感動もいたしました。

それからまた数年、間違いは間違いであると分かっても、他力の世界があると分かっても、説かれる方がいらっしゃる、と分かっても、相変わらずブログの読者でいるだけ、という状態が続いていました。

そこへ、勤めていた大手受験予備校の、わたしが属する部門が規模縮小となり、そのあおりで人員整理となってしまいました。組織の末端ではありますがその立場なりに築き上げてきたつもりの時空間が、市場の競争原理とはいえあっけなく無くなってしまったこと、自分の居場所がなくなってしまったことが、何と言いようもなく空しく思えました。時を同じくして父危篤の知らせを受け(1カ月ほどなくしてあっという間に亡くなりました)、まわりの出来事が、明日も同じように当然にあると過ごしていたら、そうではなかった。そうやって出来事と年月だけが過ぎて行って、ただ年だけ取った自分がぽつんとあるような、まるで浦島太郎状態のようにに思えました。

RCさんが埼玉で勉強会を開いていらっしゃること。
私の知っているあの嶋田さんが、「私の白道」のあの嶋田さんが、講師でいらっしゃること。

「参加したいのですが」スマホをポチッとしてみました。するかしないかの、ほんのわずかの動作ですが、何年も眺めていただけの自分と、実際にメールするのとでは、気持ちにとても隔たりがありました。どうやら背中を押されたようです。

ほんとうに、ご縁というものは、分からないです。過去の知人や友人など、これまでに知り合った記憶のうっすらとある中で、まさか、20年以上も前の、あの嶋田さんが、私に南無阿弥陀仏を伝えて下さる方だったとは。思いも寄らないご縁でした。学生当時の私が知る嶋田さんも、こちらが襟を正されるような思いがしたものですが「私の白道」の情熱も、実際にお会いしてお話し下さるお人柄も、印象は全然変わりませんでした。

2年前の今ごろ、埼玉の勉強会でR1000さんが六字を喜ばれているのを見て、前年末にいらっしゃったばかりなのに、なんでまた急に? と思っていたら、ほどなく私もお任せの身になりました。翌3月の埼玉勉強会で嶋田さんに「いただけました。ありがとうございました。」と報告できました。「そうか、よかったね。」とおっしゃって下さったのが、思えば、今生最後の機会でした。

南無阿弥陀仏は、わたしから求めて得られたんじゃない、向こうから一方的に、わたしのほうへやって来た。そう思えてなりません。
どうしてわたしが、六字を喜ぶ身でいられるのだろう。不思議といえばありきたりの表現かもしれませんが、そうとしか言えません。
とうに故郷を離れて仏法も見ないようにして暮らしていたところに、その福井から、嶋田さんのほうから、わざわざ六字を届けに来て下さり、お任せの心、いただけましたこと、御礼申し上げます。

お体がすぐれないとは、うすうす存じ上げてはいましたが、わたくしに六字を届けて下さり、届けて下さったと思ったら程なく、往生されました。
二度ほど福井に帰省する機会もあり、道すがら伺いに行くこともできたはずなのに、思いつかずに過ぎやってしまいました。まさか、六字を喜んでいる旨、お伝えしたのが、最後になろうとは、思っていませんでした。

改めて、御礼申し上げます。

南無阿弥陀仏

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