あさ川です。毎年この時期は花粉アレルギーがひどくなる私です。薬が効いているのか効いていないのかよく分かりませんが、多少は効いているのだろうと思うことにしております。


そういえば、私が何度かご縁のあった大阪八尾の光蓮寺の仏教文化講座は、どうも今年も4/3~5あたりと聞いております(正確なところをお分かりの方はお知らせ頂ければ有り難いです)。年度替わりの平日だとなかなかご縁が難しいなと残念に思っておりますが、ご縁ある方は、お寺に確認の上お越し下さい。


さて、RCさんから投稿文をいただきましたので掲載します。埼玉恵日会でのお話の内容紹介と次回日程も合わせてご案内いただいております。

========(以下、RCさんから投稿文です)========

RCです。

歎異抄の教えの「念仏往生」と、親鸞聖人の教えの「平生業成」につきまして、以前 埼玉恵日会で 阿部先生から、お聞きしたことをまとめましたので、ご紹介いたします。

その前に、次回の埼玉恵日会のお知らせをさせていただきます。

◎埼玉恵日会

日時: 4月 22日(日曜日)
14:00~17:00
場所: JR熊谷駅 直結 ティアラ21 4階
ハートピア 会議室
(熊谷市男女共同参画推進センター)
講師: 阿部 信幾 先生
(本願寺派補教 )

○親鸞聖人の教え、浄土真宗を 知りたい人の為の勉強会です。
質問形式の勉強会で、真宗の理解を深めたいと思っています。
予め 質問を集めて、先生に応えて頂きますので、その場で 質問する勇気がなくても、また 匿名でも 大丈夫です。

親鸞聖人の教えについて、質問のある方は、以下のアドレスに メールで質問を送ってください。
先生に 当日 お応え頂けます。
アドレスは、 rokujinotsudoi@yahoo.co.jp

☆今回は いつもディアラ21の会議室が取れました。
尚、ディアラの会議室は、改装されて とても広くなったそうです。
たくさんの方が押し寄せても、大丈夫です!

ご参加、心より お待ちしております。

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︎では 往生は、
『念仏申さんと思い立つ心が起こる時』に決まるのか?
『名号のいわれを聞いて自力のはからいを離れた時』に決まるのか?

以下、埼玉恵日会で 阿部先生のお話しです。
(お話しの途中からの文章なので、わかりにくかったら、ごめんなさい。)

「歎異鈔の救い」とは、
阿弥陀さまが、18願を立てて、念仏申さん者を迎え取ると お誓いくださった。その誓いを信じて、「念仏を申さんと思い立つ心の起こるとき」救われる。
だから、「18願を信じた時に、往生が定まる。」歎異鈔は、こういう言い方です。
歎異抄では、「いつ往生が 定まるのか?」と言っら「18願を信じた時」です。
18願は「称える者を迎え取る」という約束だから、「念仏申さんと思い立つ心の起こるとき」というのは、「称える者を助けるという阿弥陀さまのお誓いが 信じられた時」ということです。
「『称える者を助けるのが18願』だ。じゃ、称えて助かろう。」と、念仏申さんと思い立つ心が 起きる時に、摂取不捨 の救いにあずかる、こういう話です。
歎異鈔に 説かれている救いとは何か というと、「阿弥陀さまが 18願を 誓われた。その18願は、念仏申す者を皆、お浄土へ迎え取るという誓い。だから、その誓いを信じて、念仏申さんと思い立つ心の起こる時、摂取不捨の利益にあずかる」これが 歎異鈔です。
これを 、念仏して浄土に応じてして成仏する から「念仏往生」とも、「念仏成仏」ともいうのです。
これが歎異鈔です。

もうひとつは、
「本願が成就した。」ということは、「南無阿弥陀仏の名号が成就した。」ということです。「南無阿弥陀仏の名号が成就した。」ということは、「本願がはたらいている。」ということでしょ。「本願が はたらいている。」ということは、「私のはからいは 要らん。」という事でしょ。だからそれを「たのむ一念。」というのです。

これが 同じですか?

違いますね。
「名号を聞いて、信心歓喜乃至一念」と言っている一念と、
「念仏申さんと思い立つ心の起こる時」は、違うでしょ?
言っていること、わかります?

何で 違うのか?
同じ阿弥陀さまの救いなのに。
「何でだ?」と思います?この違いは。

「念仏して浄土に往生する」って誰が言い始めたのか?。
善導大師です。
善導大師は、何の本を書いたのですか?
「観経疏 」です。

親鸞聖人は、何を 教行信証に現されたのですか?
「大無量寿経」です。

だから、「大無量寿経」と、「観無量寿経」の違いです。

「観無量寿経」は、「念仏して 阿弥陀さまの浄土に往生せよ」という お釈迦さまのお説教です。
観無量寿経の最後に 阿難に「 念仏せよ。」と 出ています。
観無量寿経のお説教の結論は、阿難に対して
念仏せよです。「念仏して、浄土に往生せよ。」なのです。

「大無量寿経」は、「本願が成就して名号と なってこの世界に届いている。だから阿弥陀さまは 成仏されている、その証拠は、南無阿弥陀仏の名号が 今 お前の世界に届いている」と 名号のいわれを説いたのが、大無量寿経でしょ。
だから、「大無量寿経のお説教は、教行信証」で、「観無量寿経のお説教が、観経疏で、選択本願念仏集で、法然上人の教え」なのです。
その違いです。

だから親鸞聖人は、法然上人の「観無量寿経の法門」を聞いて、そして、「大無量寿経の法門」に転入した。
親鸞聖人は、念仏往生と信じて、念仏申して浄土に往生するという法門に 転入し、その念仏して浄土に往生するというところから、18願の絶対他力の法門に 転入した。それは 本願のはたらきです。

親鸞聖人は、観無量寿経の法門から、大無量寿経の法門に行ったのです。

法然上人は、大無量寿経の法門を 腹に納めて、観無量寿経のお説教をなさった。
お釈迦さまの方便は、それです。
お釈迦さまの 方便は、あくまでも 大無量寿経のお説教を 内容として、お説教のすがたは、観無量寿経の念仏往生を説いているのです。
何故かというと、「修行して悟る」という人間に 合わせて説いた。
「修行して悟る」という人間に合わせて説いたから、「念仏して往生せよ」と 説かれたのです。
これを方便と言うのです。相手に合わせるのを。
だから 観無量寿経というのは、あくまでも 聖道門の「修行をして悟るんだ」というお坊さんを対象として、「修行して悟るのですよ。その修行は何かというと、念仏です。念仏くらいのことで、何で仏に成れるのか?っていうと、阿弥陀さまのお誓いが、そうなっている。
だから、「南無阿弥陀仏」と お念仏する者は、皆、浄土に往生して仏となるのです。
それは 阿弥陀さまの本願が そうなっているからだ。」と。
これが、観無量寿経のお説教です。
だから、修行して悟る、修行して悟るという人間に、念仏往生、念仏往生だと合わせているのです。これを方便と言うのです。

それに対して、「本願成就」のところで、「もう私の往生は、決定しているのだ。」と、「南無阿弥陀仏のいわれを聞くところに、自力の心を離れて、他力に帰する。ここに往生が決定するのだ。」これが、「大無量寿経」です。
これをそのまま受け継いで行ったのが、「ご文章」です。
だから 「タノム一念の時、往生一定、御助け治定、この上の称名は ご恩報謝。」と こうなります。
その「大無量寿経の法門」と、「観無量経の法門」の違いが、「平生業成」と 「念仏往生」の違いになる、と言うことです。
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また、いっしょに お話しをお聞きしましょう。

南無阿弥陀仏