あさ川進の、宗教と私

浄土真宗親鸞会に所属しながらアウトサイダーだった私(現在は会員でなくなりました)が、宗教(浄土真宗親鸞会)との付き合い方を考えつつ書いている更新頻度が低いブログ(この説明も暫定です)リンクフリーです。なお、投稿文を受け付けております。「【投稿文】」と書かれている記事は、頂いた投稿文です。

2018年05月

あさ川です。先週はなんだかんだと言って日曜日は概ね家に居ました。

さて、次回の埼玉恵日会までおよそ一ヶ月となりまして、RCさんから投稿文を頂きましたので掲載します。なお、次回は南口から出たところの会場だそうです。

ちなみに現在、熊谷駅の正面口は工事中です。改修工事と聞いてロータリーにある熊谷次郎直実像がどうなるかしらんと思いましたが、直実像には特に影響の無い工事のようです。


========(以下、RCさんから投稿文です)========

RCです。

次回の「埼玉恵日会」のお知らせをさせていただきます。

日時 : 6月23日(土曜日) 14:00〜17:00

場所 : 熊谷駅北口 徒歩2分
「熊谷ロイヤルホテルすずき」 (会議室)
埼玉県熊谷市宮前町2-51

*今回は 土曜日の開催です。場所も、熊谷駅直結のティアラの会議室ではありません。お間違えないようにお願いいたします。m(_ _)m

講師 : 阿部 信幾 先生

勉強会は、質問形式で進めています。ご質問がある方は、私のアドレスに 質問を送信してください。

私のアドレスは、
rokujinotsudoiアットマークyahoo.co.jp
アットマークは、@変えてください。


*5月は 浄土真宗のお寺では、降誕会のご縁がありますね。

私は、都内のお寺の降誕会で、元親鸞会会員さんや 現親鸞会会員さん達と、一緒に聴聞させていただきました。

ご法話で ご紹介していただいたプリントのお言葉の一部を紹介させていただきます。

●「天然の美」(安芸・高松悟峯和上 作)
一、
声に姿は なけれども 声のまんまが佛なり
佛は声の お六字と 姿を変えて我に来る

二、
嘆きに沈める我等をば 弥陀本願のお目当てと
とどいて救うお六字と 声の中なる佛なり

三、
浮き世の嵐吹かば吹け 宿業の波は高くとも
夜毎日毎にあらわるる 六字の声に転じらる

●念仏子守歌
(五木の子守歌の節でお歌いください)
一、
おどんがお父さんな南無阿弥陀仏
おどんがお母さんも南無阿弥陀仏
二、
もろたもろたよ六字の智恵を
愚痴が感謝に変わる智恵
三、
おどんが笑うときや阿弥陀さんも笑う
おどんが泣くときや弥陀も泣く
四、
夜半の目覚めの南無阿弥陀仏
つれて行くぞの親の声
五、
鮎は瀬に住む小鳥は森に
わたしゃ六字の中に住む

●毎日のたしなみ

するんじゃ無い させて頂くんです
寺島・常寺


お寺の雰囲気もステキで、 ご法話も 心に響きました。

南無阿弥陀仏

先日、読者の方とお話しする機会がありました。今ではすっかり更新が滞っているこのブログですが、それでも400本くらいの記事があります。なんとその方は、しばらく前にこのブログの存在を知ってから全てお読みになった、とのことでした。ありがたいことです。


親鸞会関係のブログの中でも、このブログは「教義系」など体系だったテーマがあるわけではない(私は一人、「味わい系」と言うことにしています)ので、全部読むのは相当に大変な作業だったろうと思いますが、どうも教義系は難しく感じられる方でも、このブログであれば読めるということがあるようです。いずれにせよ、その方にとっては良いご縁になったとのことでしたので、ブログを書いている人間としてはありがたいなあと思ったものでした。



そういえば、来週の土日(12,13日)は親鸞会で降誕会の予定とのことです。とある元会員さんに教えていただいたことですが、今回は北陸で新聞広告も打っているようです。「おそらく最後になるであろう講演会」だと会員さんから案内があったとも聞きました。


本当に最後なのかどうかは分かりませんけれども、年齢的なことを考えれば不自然ではないのかもしれません。それはさておき今回は、「最後」というフレーズを聴いて学生時代のことを思い出しました。


私にとっては、学生時代の親鸞会における「最後のご縁」には二つのの意味合いがあったように思います。


いつも最後のご縁だと思って聞きなさい、とかそういったことを先輩だの講師部員だのが毎度のように話をしていたのを聞いて、「最後のご縁」だと力んでいたこと。まずはこれが思い出されます。

厳密に言えば地元での部会もしかり、日々のおつとめもしかりなのでしょうが、もっぱら力んでいたのは親鸞会館での法話や教学講義でした。

一年生の頃、入会もしていなかった頃は特に力んでいたような気がしますが、回を重ねるごとに恒例行事となっていき、やがては会費種別を上げるなどの方法を用いるようになっていった思い出があります。どう聞けば、とかどうすれば、などと力んでいたように思いますが、ほかの学生が向かっていた「破邪顕正」にはまったく向かわなかったのが、私の一つの特徴かも知れません。


もう一つの最後、これは文字通り当時は最後だと思っていたのですが、例の本尊論の準備をしながら迎えていた報恩講でした。たまたま正本堂ができた時期が重なったのですが、追い出される気満々の私は「最後のご奉公」ということで、学生のくせに10万円の会費を出して福徳会員になりました。

こういう言い方をすると不快に思われる方もあるか知れませんが、半分はネタで半分は「力み」でした。

親鸞会を追い出されるつもりではいましたが、当時は親鸞会で信心決定の望みを捨てては居ませんでしたので、つまるところ福徳会員になったということも、「いかに自分が”最後のご縁”として真剣に聞けるか」の自分なりに考えた具体的な方法論であったというわけです。


ということで、二つと言いながら結局は同じところに行きつくわけですが、今にして思いますと、学生時代は色んな形をとりながらも力んでいたなあと思い出されます。


とあるお話で、「仏法は阿弥陀様が私を助ける話を聞くのであって、私が助かる方法を聞くのではない」という趣旨のお話を聞いた記憶があります。とすれば、学生時代の私は「私の助かる方法」を聞こうとして、「私が(自分で考えた)助かりそうな方法の実践」をしていたと言えましょう。

いろんなブログでいろんな方が言われてますように、「私→弥陀」ではなくして「弥陀→私」であるわけですが、どうしても私にフォーカスしてしまうのは、努力の積み重ねによって自らの道を開こうとする考えの延長で捉えていたからかもしれません。


そんなことを考えつつ、親鸞会館に若干の懐かしみを覚えたのでした。


私は大学院の二年まで学生時代を過ごしましたので親鸞会としては五年あまり、就職から親鸞会を追い出されるまでが八年弱でした。就職して間もなく南無阿弥陀仏とのご縁に恵まれましたが、親鸞会を追い出されるまでは概ね親鸞会でしか話を聞いてませんでしたので、この十三年間はほとんど親鸞会法話との付き合いでした。

そういう意味からすると、私の親鸞会時代は南無阿弥陀仏とのご縁を喜びながらの時間のほうが長かったわけで、実際のところは親鸞会に苦しめられたとかなんだとかいう思いはほとんどありません。もっとも、就職してからは金を遣うのを控えたとは言ってもそれなりの金は費やしていましたので、別のことに使っていたらという思いはありますが。


ですので、「最後」なら行ってみようかなあと思わなくもないのですが、土曜日に仕事が入っているとか、そもそも追い出された時に「親鸞会館に来るなと言われていた」とか、そんな理由で今のところご縁無いかなあ、とフラフラしております。


ここは人それぞれあると思います。さんざん苦しめられたから「二度と見たくも無い」という方もあるでしょうし、人生の多くを費やしてきた往時を思い出して「久しぶりに行ってみようか」という気持ちになる方もあるかしれません。


親鸞会的には6月の予定もホームページには出ているようですので、講義のようなものは続けるのかも知れません。実際のところは分かりませんけれども、「最後」というフレーズで、久々に学生時代を思い出したのでした。




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