あさ川進の、宗教と私

浄土真宗親鸞会に所属しながらアウトサイダーだった私(現在は会員でなくなりました)が、宗教(浄土真宗親鸞会)との付き合い方を考えつつ書いている更新頻度が低いブログ(この説明も暫定です)リンクフリーです。なお、投稿文を受け付けております。「【投稿文】」と書かれている記事は、頂いた投稿文です。

2018年06月

RCさんから投稿文をいただきました。タイトルにもありますが、ドキュメンタリー映画を見て思うところがあったとのことです。映画や書物など、いろいろなものを通して味わわれることもあろうかと思います。RCさんに限らず、難しい話でなくても、そういった投稿文もいただければありがたいと思う次第です。

========(以下、RCさんから投稿文です)========

RCです。



先日、真宗のある集りで、オウム真理教のドキュメンタリー映画 『A』を 観て、いろんなことを感じ、考えました。



ご覧になられた方も いらっしゃるかもしれませんが。映画は、地下鉄サリン事件の後、マスコミや世間の猛烈なバッシングの中の 教団、主に 広報部長という立場にいた 「荒木 」という青年を 追った映画でした。

彼は、オウム真理教という教団に属し、出家していても、恐らく教団の起こした恐ろしい事件については、ほとんど部外者だったのだと思います。

ですが、彼の信じた教団は、希に見る凶悪事件を起こして、それでも 彼は、麻原を尊師と呼び、オウム真理教への信仰は、変わりませんでした。



その姿は、何年か前までの 私と重なって、胸が痛かったです。



「溺れる者は藁をも掴む・・・。」

藁じゃないものと、出遇えていたなら、藁など掴まなかった。

溺れていたから、悪いのか。

藁と出遇ったから、悪いのか。

そんな気持ちが、込み上げました。



気がつくと 「私」は、存在していたけれど。

なぜ生きているのかも わからないまま、やがて死ぬ命を生きなければならない「私」という存在自体が、疑問でした。

だから、そこに 「これが、答えだ」というものが 現れたら、それを答えとして、生きてしまわざるを得ない、危うい、頼りない、そういう者が自分なのだと、感じています。



親鸞会では、後生の一大事の解決を、何よりも優先しなければ ならないと教えられ、私も そう思っていました。



高森会長の説法を聞きに行く為の交通費や、会へのお布施に出すお金が 無いのなら、嘘をついて 親に出させることも、「善」と 勧められました。真実の為にお金を出させるわけだから、親にとっても 良いことなのだと。

「悪のように見えることも、信仰から見たら、善なのだ」という点は、親鸞会も、オウム真理教も 同じだと思います。



親鸞会と出会った当時、何がなんでも 高森会長の話しを、聴聞しなければならないと言い張る私に、きっと両親は、胸が潰れるような思いで、眠れぬ夜を幾晩も 過ごしたのだと思います。親不孝をしました。



けれど、あの時の私は、高森会長の法話を聞く以外に、生きる道がないと 固く信じてしまっていて、その気持ちを変えることが 出来ませんでした。

「死者の為」と思っていた仏教という教えが、実は 生きている者を救う教えだったということを私に教えてくれたのは、高森会長だけだったから。

因果の道理、仏教の宇宙観 、無碍の一道という世界、初めて聞いた仏教という教えは、暗闇で生きていた私にとって、たった一つの 灯だったのです。



そうして長く親鸞会にいた私は、両親や周りに 迷惑をかけ、心配させてしまったけれど、オウム信者のような犯罪は犯さずに、今、親鸞会から離れることが出来ました。

けれど、私が親鸞会の教えを信じていた気持ちと、オウム信者が オウム真理教を信じていた気持ちは、同じだったと思います。

何かが、ちょっと違っていたら、私が 犯罪者と呼ばれ、刑を受ける立場になっていたかもしれません。



何が正しいのか、どうしたらいいのか、知恵を持たない悲しい自分です。



でも、不思議なことに、今、ここに 届いてくださっている 南無阿弥陀仏の六字を、称える身にお育ていただきました。

「たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を喜べ」の 親鸞聖人のお言葉を噛み締めさせていただいております。



私の愚かさは、南無阿弥陀仏の尊さでした。



南無阿弥陀仏

今月はもう一本くらい記事を書こうと思っておりましたところ、RCさんから投稿文をいただきました。ですので、投稿文は後ほど掲載したく思います。


さて、淳心房さんが大行について続けて考察をされるということで、お念仏のありがたさについて書かれていまして、お念仏のことがありがたく味わわれました。そこでなんとなく学生時代や弥陀の本願を喜ぶようになった頃などのことを思い出しましたので、今回はそのことについて簡単に書きます。私は例によって教義的な考察は一切しませんで、つまるところ、たまたま思い出したお念仏についての思い出話を書くということです。


学生時代の私のお念仏はどうであったか、あまり明確な記憶はありませんけれども、ただおつとめの時と法話の前後では南無阿弥陀仏と口にしておったかと思います。特段ありがたいという思いも無かったということもあるのですが、どちらかといえば、となえ方に注意がいっていたかと思います。

隣に座る人(会員さん)は、たいがい通り一遍のお念仏だったのですが、その中で印象に残っている二人のお念仏がありました。

一人は近隣の大学の先輩で、「教学的にすごい」といわれていた人で、この方は法話の前後など機関銃の如くお念仏をしていた記憶があります。もう一人は近隣の大学の同輩で、この人は味わうような、噛みしめるようなお念仏をしていました。この二人のお念仏の仕方があまりに対照的でした。

そこで学生時代の私が考えていたのは、「どっちの念仏の仕方が良いのであろうか」ということでした。

ある時は機関銃の如く念仏してみたり、あるときは噛みしめるように念仏してみたり。瞬間的にありがたく感じることはあったかもしれませんが、仏願の生起本末を聞くより念仏の仕方を気にするような状態では、総体において自らの行いばかりに目が向いて、弥陀のご苦労といったことには無頓着でありました。


今思い出すとやたら不思議にも思うのですが、弥陀の本願を喜ぶようになった当時、それまでは自分でとなえ方をこしらえていた念仏が、お念仏となって出てくるようになったのでした。

さすがに一般の往来でお念仏を称えることはめったにありませんでしたが、親鸞会館に行った時、法話会場に出入りする時、親鸞会館の通路を歩いている時、お念仏がありがたく出てくるのでありました。幸いに(?)私は普段の声が小さいので、あの騒がしい通路でぶつぶつお念仏していても誰も変に思わないのでありました。

何を不思議に思うかと言えば、当時の私は親鸞会でしか話を聞いておらず、お念仏についてのありがたいお話を聞くようになったのは随分後のことでしたのに、お念仏をこしらえるでなしに出ていたこと、それなりにありがたく思われたこと、これが不思議にもありがたくも思われたのでした。

大行とはすなはち無碍光如来の名を称するなり(行巻)

いや、実際には不思議でも何でもないのでしょう。私の口から出るお念仏は、私が称えているけれども、それは南無阿弥陀仏のおはたらきによって出てくるのだと、このように味わわれるのでした。学生時代にこしらえていると思っていた念仏も、今にして思えば弥陀のおはたらきによるお念仏でありましたと、このように好き勝手味わっているのでありました。

真実の信心は必ず名号を具す。名号は必ずしも願力の信心を具せざるなり。(信巻)

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

気がつけば、このブログも6周年を迎えていました。

最近はあまり書いていませんが、それでもブログのことを考えますと思い出される方は両手でもまったく足りません。全然更新していなくてもページビューはおおむね100を超えていることを考えますと、いかに多くの方に支えていただいているのかということを思います。


6周年からは日が経ってしまいましたが、ご縁のあったみなさん、ありがとうございました。


もうすぐ出ますので、今日はこれくらいとします。

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