あさ川進の、宗教と私

浄土真宗親鸞会に所属しながらアウトサイダーだった私(現在は会員でなくなりました)が、宗教(浄土真宗親鸞会)との付き合い方を考えつつ書いている更新頻度が低いブログ(この説明も暫定です)リンクフリーです。なお、投稿文を受け付けております。「【投稿文】」と書かれている記事は、頂いた投稿文です。

2019年02月

あさ川です。

RCさんから投稿文をいただきましたので掲載します。

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏


=======(以下、RCさんからの投稿文です)=======

法蔵菩薩さまが、仏になる力のない私、流転輪廻の輪から出られずに、苦しみ続ける私を 哀れみくださり、「助けてやりたい、仏にしてやりたい」と、五劫思惟、兆載永劫のご修行の末に、「私を仏にするおはたらき(ご名号)」を完成してくださいました。
「ご名号」とは、「私を仏にするおはたらき」です。
そのおはたらきを、立体的な形にすれば、「お木像」になり、絵に描けば、「ご絵像」になり、文字に書けば 「六字のご名号」になり、私の口から出たら、「お念仏」になります。
お木像も、ご絵像も、六字のご名号も、私の称えるお念仏も、南無阿弥陀仏のおはたらきを、お示しくださったものです。

お念仏は、私の口を通して、おはたらきが現れてくださって、私に 「お前を仏にする仏がおるぞ。まかせておくれ。安心せよ。心配要らんぞ。」と、告げていてくださいます。

お木像そのものに、私を救うおはたらきがあるのではなく、お木像の形で現れた南無阿弥陀仏のおはたらきが、私を救ってくださる。
ご絵像が私を救うのではなく、ご絵像になって現れている南無阿弥陀仏のおはたらきが、私を仏にする力がある。
六つの字が、私を救うのではではなく、六つの字で現させたご名号のおはたらきが、私をお浄土へ連れて行く。
私の口から出る、なもあみだぶつの言葉そのものが、私を救うのではなく、お念仏となって、現れてくださる「おはたらき」「お慈悲」が、私を救ってくださるので、お念仏が出る度に、私は、ご恩を知らされ、ご恩を喜ばせていただける。

「南無阿弥陀仏のおはたらき」は、私の身と心に、満ち満ちてくださって、私の口を通して、「なもあみだぶつ」と 現れ出てくださって、「一緒におるぞ。仏にするぞ。安心せよ。まかせよ。大丈夫だぞ」と 私に告げてくださいます。
私には、お念仏となって現れてくださるご名号が、 この世で、一番有り難い。
「ただ念仏のみぞ、まことにておわします。」
親鸞聖人のおっしゃる通りです。

だから、南無阿弥陀仏のおはたらき、おいわれを、お聞きできるお聴聞というご縁が、嬉しくて、仕方ない。

お木像も、ご絵像も、ご名号も、お念仏も、
みんな 南無阿弥陀仏のおはたらきを、私に知らせてくださる阿弥陀さまのお手回しですから、
どれも、嬉しく、有り難いばかりです。

なもあみだぶつ

あさ川です。

しばらくPCを放置していて気づくのが遅くなってしまいましたが、2/6に私宛のメッセージをいただいておりました。直接お返事を差し上げたいところではありますが、連絡先の記載がございませんでしたので、ブログ上にお返事のようなものを差し上げたいと思います。メッセージをいただいた方におかれましては、お返事が遅くなりまして失礼しました。


メッセージの本文を直接掲載することは(当ブログの方針から)控えますが、概要は以下の通りです。

・講師部員から入会の誘いがあるが、迷っている。
・迷っている理由は、以下の通りである。
 1:年金生活の中で、一ヶ月五千円の会費は負担である
 2:本部会館が立派すぎる


当ブログには、記事数は少ないながら「ご家族の方むけ(仮)」というカテゴリがございます。主に、親鸞会会員のご家族がいらっしゃる方向けではありますが、会員歴の無いご本人にも参考になる部分がある(つもりで書いた)内容ですので、お時間が許せばこちらもご覧いただければと思います。


さて、端的に結論を申し上げますと、

・高森先生のお話をどうしても続けて聞きたい
(聞きたい気持ちが、経済的懸念を上回っている)

ということでない限りにおいては、入会をお勧めできません。いたたいだ内容を拝見する限りは、入会したところで後悔が残る結果になる可能性が高いと考えられます。


後は蛇足ですが、今回メッセージをいただいた内容におきまして、私なりに補足いたします。


親鸞会の会員数の正確なところは分かりませんが、私がいた当時(直近でも5年ほど前)において「毎月本部会館に参詣しているアクティブ会員」はせいぜい3~5千人程度と思います。ちなみに、当時の会費は、もっとも安いランクで三千円でした。「もっとも安いランク」と申し上げたのは、会費の種別がいくつもあるからです。もっとも高い種別は一ヶ月で百万円だったと記憶しています。

その会費が五千円になったということは、会員数が減少しているか、あるいは高い種別の会費を払う人が少なくなったかといった理由が考えられます。おそらく両方だと思います。

なお、会員になって明らかに変わるのは「顕正新聞が毎月もらえる」ことと、「ご名号本尊が貸与される」ということです。「とどろき」「ビーヤング」は、会員でなくても希望者には販売されます。「ご名号本尊の貸与」についても、お寺で一定のお布施(参考)をすることでいただくことができるかと思います。


親鸞会の本部会館は、私の記憶では「本館」「顕真会館」「正本堂」がありまして、講演会が行われる二千畳の会場は、十年あまり前に建てられました。当初は80億円ということでお布施が集められましたが、最終的には120億円くらいになったという話も聞いた記憶があります(これは不確か)。ただし、80億円という額面は最初の話で、お布施が集められた当時の会員さんであれば記憶があろうかと思います(「一畳」40万円×2000畳=80億円、という単位)。

参考までに、100億円程度の建物としては十年ほど前にできた現在の広島市民球場(マツダスタジアム)が110億円だそうですので、正本堂だけでそれに近い金額が掛かっていると言えるかと思います。


親鸞会において今後近いうちに大きな建物を建てるという話があるかどうか分かりませんが、アニメバスやら映画やら、「お布施」の機会は今後も出てくると予想されます。もちろんこれは任意ですが、担当の講師部員や熱心な会員さんから割と熱心にお布施を勧められる可能性は否定できません。


今回の補足はお金の話が中心でした。お金の話が書きやすかったからですが、教義面についてもいろいろ批判が出ております。当ブログでは扱いませんが、教義面の批判については、飛雲さんや真偽検証さん安心問答さんはじめ、親鸞会ブログポータル・ナビで赤い印の付いたサイトが参考になるかと思います。



最近聞くところによれば、無理に入会を勧めることは(以前と比較して)少なくなったということですが、「聞きたいけれどお金が」という理由で断っている場合、改めて説得されることが想定されます。やんわり断りながら聞き続けることに抵抗が無ければそのままの状態でもよろしいか知れませんが、誘いが負担に感じるようでしたらきちんとお断りした方が良いと思われます。

ただ申し訳ないことには、「良い断り方」(断った後の付き合い方)について私は良い知恵を持っておりません。ほかの読者の方で良い方法があればコメントいただけますとありがたいです。


(参考)あさ川の考えつく方法
<断り方>
・入会の価値を見いださない、等理由を並び立てる。
・とにかく入る気がないアピールをする
・「さよなら親鸞会」の記事を出力して返事を求める
・教義批判ブログを出力して返事を求める

<その後の対応>
・メールや電話等に一切返事をしない
・「めんどくさい人」と思われておく(根掘り葉掘りお金問題を問い合わせる等)


ところで、あるお同行(元会員)が「ご本尊は名号でも絵像でも木像でもなんでもいいんじゃないですか」と講師部員に言ったらぶち切れられたそうです。お勧めしませんが、一つの方法かも知れません。(参考

1月のうちにもう一度更新をと思いながら2月になりました。明日は埼玉恵日会の予定です。今回は熊谷のいつもの会場とのことですので、東京方面からですと少し距離はありますが、ご縁ある方は熊谷までおいでください。


今年は年賀状を再開しまして、いつも通りに送ったらおおむねいつも通りの方にお返事いただきました。その中には親鸞会関係の方もありまして、もうやめたであろう後輩もあり、今も活発に活動を続けている後輩あり、そして私と縁のあった講師の方もありました。講師の方は、関東を離れて遠くに行かれたようでした。


嶋田さんのご往生からも一年あまり経ちました。結果的には浅からぬご縁となりましたが、ブログすら拝見したことなかった私が、このブログで嶋田さんの魂の叫びを掲載するということなど、まったく思いもよりませんでした。今日書く文章の前回版のコメント欄にも嶋田さんのコメントやメッセージがございますが、そのうち一つご紹介します。

「仏法は聴聞に極まる。仏願の生起本末をハッキリするまで聞いて下さい。必ず届きます。六字の心が!!」

最初にお断りいたしますが、今回はこれ以降、南無阿弥陀仏の話は出てきません。



さて、「前回版」を書いてからもう3年半ほどが経っていたという事実に私は少々呆れてしまっていたのですが、実は昨年末からこの試みを再開しました。


当時ほどなくして一太郎2016を購入して、確かにKindle対応の形式を出力できるようにはなっていたのですが、それをいざKindleに入れてみたときに、全くテキスト検索ができなかったのでした。私はお聖教のテキストファイルを持ち歩いていたとき、読みたい場所を検索で探していたので、検索ができないということは致命的なことでした。作り方が悪いのかどうなのか分かりませんが、当時はそれ以上進捗せずにやめてしまったのでした。


昨年末、読みやすいかどうかはさておき、とにかく真宗聖典を持ち歩くより軽いということで、やはりKindleか何かにお聖教を入れておきたいという欲求が再燃しました。

それで、一太郎で作ることはいったん保留にして改めてwebで検索してみたところ、どうもWordでも作成できそうだということで、Wordファイルを試しに変換用のソフトに掛けてみたところ、確かに変換でき、読めました。ただし横書きになってしまい、なおかつ検索もできませんでした。ただし、検索できる単語もありました。

調べてみますと、Kindleの仕様らしいのですが、電子書籍ファイルを入れても直ちに検索できるようにはならず、しばらく放置する必要があるようでした。実際に放置したところ、確かに単語での検索ができるようになりました。

縦書きにしたかった私は、再び一太郎2016での作成を試みたのですが、Kindle用の変換ツールの仕様が変わったためか、新しいバージョンしか入手できず私の力ではうまくいきませんでした。


上記の経緯を経て、とりあえずKindle用のファイルをWordで作成しようとして、今に至っています。


なぜこんなに時間が掛かっているかと申しますと、私の手元にある真宗聖典のテキストファイルには、文章の途中に改行やページ番号が入っており、それを手作業で除く作業に時間が掛かっているのです。除去プログラムでも作ろうかと思ったのですが、改行にしてもすべての改行を除くわけでもなく、ページ番号にしても正しく除去できたかどうかの確認が面倒ということで、結局手作業で少しずつ進めているということです。

なお、現時点で分かっていることとしては、検索でもいくつかの単語や助詞等を複合させると検索ができないらしいということがあります。どうもKindleは日本語の単純なテキスト検索ができる仕組みにはなっていないのではないかと推測しています。


ちなみに最近知ったのですが、本願寺出版からはKindle版の真宗聖典も出ているようです。


なんまんだぶ

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