1周年の記事はまた別途書きたいと思いますが、今日はテレビ講演でした。
私の記憶がいい加減だからなのか、ご法話等では聞いた覚えの無いご和讃が出ました。(親鸞会HPにはありましたので、過去に話があったのでしょうか)
ご和讃の位置から言って、「已上二十三首仏(智)不思議の弥陀の御ちかいをうたがうつみとがをしらせんとあらわせるなり 」 と言われているご和讃なわけですが、これが「親鸞聖人が三願転入を教えられているご和讃」という位置づけで出てきました。
ネットで調べると意味は出てくる(少なくとも今日聞いた内容とはかけ離れた意味で)のですが、今回の話の中で出てきた大略の意味は、
「いまだ18願の世界に入っていなくても、因果の道理を知らされ廃悪修善を実行している者は、弥陀の作られた三願転入の道を進んでいるのだから喜ぶべき(すぐれている)なのだ、と親鸞聖人が励ましておられるお言葉」
だそうです。(これは話を聞いた中での私の理解ですが)
テレビ講演を聴かれた方で、話の内容と違っているとかのご指摘があればお知らせ頂ければと思います。
私の記憶がいい加減だからなのか、ご法話等では聞いた覚えの無いご和讃が出ました。(親鸞会HPにはありましたので、過去に話があったのでしょうか)
如来の諸智を疑惑して 信ぜずながらなおもまた 罪福ふかく信ぜしめ 善本修習すぐれたり (正像末和讃)
ご和讃の位置から言って、「已上二十三首仏(智)不思議の弥陀の御ちかいをうたがうつみとがをしらせんとあらわせるなり 」 と言われているご和讃なわけですが、これが「親鸞聖人が三願転入を教えられているご和讃」という位置づけで出てきました。
ネットで調べると意味は出てくる(少なくとも今日聞いた内容とはかけ離れた意味で)のですが、今回の話の中で出てきた大略の意味は、
「いまだ18願の世界に入っていなくても、因果の道理を知らされ廃悪修善を実行している者は、弥陀の作られた三願転入の道を進んでいるのだから喜ぶべき(すぐれている)なのだ、と親鸞聖人が励ましておられるお言葉」
だそうです。(これは話を聞いた中での私の理解ですが)
テレビ講演を聴かれた方で、話の内容と違っているとかのご指摘があればお知らせ頂ければと思います。
コメント
コメント一覧 (6)
解説も以前と全く変わらないですね。
親鸞会ではこの和讃をもとに善に向かって、光に向かって進むその道は素晴らしいぞ、如来の救いに近づいているよ、と励ましたり称賛しているお言葉という説明でしたね。
実際は胎生の失を教える中で、この和讃は胎生の原因を明らかにされ如来の諸智を疑惑する罪咎の恐ろしさを知らさんが為のご和讃だと思いますが。
私は会員時代親鸞会の説明通りに理解して、親鸞聖人が励まして下されているんだと感激してましたが、とんでもない理解でした。
コメントありがとうございます。
エイジアさんからもコメントがありましたが、三願転入の教学講義で話があったのですね。最近のでは、10年ほど前から途中まで3年あまり聞いていた記憶があります(以前の記事に書きましたが、途中でご縁が無くなりました)が、そこで話があったとすれば、私が忘れているということですね。
コメントありがとうございます。
三願転入の教学講義ですと、私が聞いていた可能性があります。飛雲氏にもネタにされてましたが、以前からあった内容のようですね。以前の説明と変わってないということは、私が聞いて理解した内容は概ね話の内容に沿っているということでしょうかね。
前後のご和讃を読んでも、どうにも聞いた内容では意味がまるで繋がらないので、なんでそんな話になるのだろうかと思っていましたが、あのご和讃だけ切り取って強引に読めば読めなくも無いかなとは思いました。
ご和讃自体はご指摘の通りであると思いますが。
>私は会員時代親鸞会の説明通りに理解して、親鸞聖人が励まして下されているんだと感激してましたが、とんでもない理解でした。
親鸞聖人のお心を全く考えなければ、励まされているというのはとても励みになって感激しますからね。親鸞聖人が聞かれたらどう反応されるかなあとは思いますが・・・
今、この解説を聞いて思うのは、
親鸞聖人の御心はそうなのかなあ…?
少なくとも、高森先生と私の味わいは違いますね。
コメントありがとうございます。返事が遅くなり失礼しました。
>今、この解説を聞いて思うのは、親鸞聖人の御心はそうなのかなあ…?
少なくとも、高森先生と私の味わいは違いますね。
(私が理解した)解説の通りとすると、ご和讃の位置とか前後のご和讃の意味などをくみ取って考えて合わないような気がしますね。親鸞聖人はこれを聞かれてどのように仰るでしょうかね。