まったくもってタイトル通りです。追悼法要というと、報恩講や降誕会に次ぐ結集行事であるわけですが、私はこの日程が決まる前から予定が入って(入れて)いたためにご縁がありませんでした。私が若かりし学生時代には8月半ばに勤められたこともあった記憶がありますが、ここ十年くらいは8月の第一日曜とほぼ固定化されてます。


関東初の会館は着々とリフォームが進んでまして、異例の早さで来月に落慶の予定です。私が落慶の座談会の日に会館には入れるかはよく分かりませんが、それくらい多くの人が来られる予定だとのことです。


今のところ、私の耳に直接来月の日程の案内は入っておりませんが、おそらくは第二日曜日になるのではと思います。ここ数年、おわら風の盆と日程が重なってホテルが予約できずにいたので、ようやく落ち着くかなといった風情です。


さて、知り合いの寺の住職氏から「門徒だより」が届きました。そこに、「ブッダのおしえ」という小冊子が同封されてました。今日はその話です。


この冊子が同封されていた趣旨はよく分かりませんでしたが、中身を読んでみると親鸞会でも聞いた記憶のある話が結構ありました。


釈尊の誕生・出家から入滅前の最後の教えまで、手短に収められてました。その最後が、有名な「自灯明 法灯明」です。


弟子たちよ、おまえたちは、おのおの、自らを灯火とし、自らをよりどころとせよ、他を頼りにしてはならない。この方を灯火とし、よりどころとせよ、他の教えをよりどころとしてはならない。


この部分は非常に有名、だと思います。
ただし、今日の話題はそのしばらく後のフレーズから見てみたいと思います。 


弟子たちよ、今はわたしの最期の時である。
しかし、この死は肉体の死であることを忘れてはならない。
仏の本質は肉体ではない。さとりである。
肉体はここに滅びても、さとりは永遠に法とともに生きている。だから、わたしの肉体を見る者がわたしを見るのではなく、わたしの教えを知る者こそがわたしを見る。
わたしの亡き後は、わたしの説き遺した法がおまえたちの師である。この法を保ち続けてわたしに仕えるようにするがよい。



もう10年以上前になりますが、私が大学三年の頃、「親鸞会館に行ってビデオご法話」だったことがありました。
そのことに関連して、K玉先生がこのような話をされたことが印象に残っています。


「駅のホームの時刻表を見る。朝、昼、夕方と多くの電車が行き交っているので、まだ大丈夫まだ大丈夫と思っていると、夜も遅くなるにつれてだんだん本数が少なくなっていく。そして、日が変わる頃にはほとんど来なくなって、やがて”これが最期の電車だ”という時がやってくる。
ちょうどそのように、毎週のご縁を当たり前のように頂いていたのが、やがて月に一回となり、その一回のご縁も頂けない時がやってくる」


お釈迦さまは仏様だからなのか、自らの最期の時を悟られました。そして最期のご説法をされました。
蓮如上人は、御文章4-15に「本復のすがたこれなし」と書かれ、最期の時が近いことは気付かれていたのかもしれません。

とはいうものの、やはり人間、「本当にこれが最期だ」という時というのは必ずしも分かるものではありません。
「これが最期だ」と宣言されると、心の準備ができるのかも知れませんが、そういうことなく突然に最期の時が訪れることも、現実にはあり得ます。


親鸞聖人のお名前を戴いている「浄土真宗親鸞会」ですが、その実は「高森先生」で持っているところもあります。


「高森先生のお話を聞くことができなくなったら」


それは、自ら望んで縁を絶ちきること無くてもいずれ必ず訪れる「時」です。

お釈迦様との別れは、お弟子方にとって大変衝撃的だっただろう、と思います。悟りを開いたような高僧でも、おそらく深い悲しみがあったのでは、と思います。そんな方々にお釈迦様は、


わたしの肉体を見る者がわたしを見るのではなく、わたしの教えを知る者こそがわたしを見る。
わたしの亡き後は、わたしの説き遺した法がおまえたちの師である。


と言われています。
従いまして、浄土真宗で言いますと、親鸞聖人の教え・阿弥陀仏の本願こそ、となると思います。


「高森先生のお話を聞くことができなくなったら」


は、かつて私も心配したことがありますし、全然心配しないのもドライすぎるきらいはありますが、それはお釈迦様で言うと「わたしの肉体を見る者」であって、「教えを知る者」としてはやはり弥陀の本願にこそ心を向けるものなのだろうと思います。 


一時では考えられなかったことですが、今は「ご縁」が月に4回と増えましたので、以前ほど気に掛ける人も少ないのかも知れません。ただ、話題になっていなくもないようです。私の周りでは聞きませんけど。


読んで、そんなことを思いました。