昨日は二千畳講演でした。昼間に久しぶりのビデオ上映がありまして、『なぜ生きる』が大変よく売れている、という内容の説明がありました。


今年はメニューお布施と言って、新聞広告を出したい新聞を選んで広告費をお布施するということが行われているわけですが、その効果なのか、今年は8月までに8万部を増刷して前年の10倍以上のペースで売れているようです。思っている以上に新聞広告の反響は大きいようです。


昨日はふと、思いついたうたの記事を上げましたが、昨日の講演の内容とはまるで関係ありません。念のため。



昨日の話は、「宿善は大きく分けて宿因と宿縁とに分かれる」という内容が久々にありました。細かい内容は機会があればということにしまして、私が印象に残った、といいますか、聞かれた方が強く心に留め置かれるのではないかと思った内容をいくつか挙げます。


・「噫、弘誓の強縁は・・・」のお言葉から、
 「人生の目的という言葉を使っているが、本当は多生の目的、億劫の目的。秀吉のやったことは人生の目的といえるかもしれないが、多生の目的とは言えない。秀吉のようなことでさえ大変なこと。それどころではないものを求めている。その自覚があれば”自分はこれだけ求めているのに”などという不満は出ようがない」
 という趣旨の話があったこと。

・因果の道理の話の中で、「私たちが億劫にもあえないこと(絶対の幸福、無碍の一道・・・)にあわせていただくのは、どのような因縁からか」
 について、

 因・・・悪
 縁・・・宿縁

 と黒板に書かれたこと。
 (あさ川註:私たちの種まきは悪ばかり、という趣旨で「因=悪」となっているようでした)

 
ちなみに、2つめについては、帰りの車の中で会員さんが、「『悪因善果』というように聞こえる」と言われてたので書いてみました。そもそも億劫にもえがたい真実の浄信についての因縁が私たちの行いに起因するのかという話もありますが、話の展開から「他因自果」はありえないことになっていたので、このような説明になったのかなあと思った次第です。(これはただの感想)


あと余談ですが、あるところで「顕正新聞の回収」云々の話題が出てましたので。別に親鸞会としても隠す内容ではないと思いますし。

私の話を信用するかどうかという問題はありますが、少なくとも私が入会してから十数年、一度も回収したという記憶はありませんし、たぶん今後も回収することはないのではと思っています。
あと、教学聖典の改訂はよくわかりません。細かい改訂は過去において知らぬ間に何度か行われていたことは知っていますが。