日曜日はテレビ講演でした。と、いまさら書いているわけですが、考えてみれば日曜日の件について書くのにここまで間が空いた記憶もありませんから、結構ご無沙汰してしまったなと思っています。


最近は、ご法話以外の「講演」についてはずっと「五重の義」、もっと言えば「宿善」のお話が続いています。ついでに言うとここしばらくは「因果の道理」の話が続いています。


今回の話の大まかなところは、


・五重の義・・・五つのものが揃わないと往生できない(往生=浄土往生)

・ 五重の義の一つ目が宿善。建物で言うと基礎。

・宿善にも厚薄がある

・宿善とは、仏教をどれだけ聞いてきたかということ

・仏教は法鏡。仏教を聞く=法鏡に近づく
↓ 
・仏教は何を教えられたか。一言で言うと、仏教の根幹は「因果の道理」

・因果の道理を知ったなら、必ず実行する。実行させるためにお釈迦様は因果の道理を説かれた

・因果の道理は一言で言うと「廃悪修善」。仏教の教えは「廃悪修善」の四文字になる。

・善に向かう(法鏡に近づく)ほど、悪が知らされる。真実の自己が知らされる。
 宿善厚くなるとは、本当の自分の姿が知らされる道程

・宿善が厚くなって初めて宿善開発、五重の義が揃う。そのように仏教を聞かなければならない。


まとめたつもりが全然まとまってませんが、最近は弥陀の本願さえあまり出てこなくなったことに寂しさを感じています。正直なところ、学生時代は弥陀の本願の話が出てくることを毛嫌いしておりました(宗教的な匂いが強いため)が、変われば変わるものだと思います。日常生活において「弥陀の本願とは」といったことは語らないヘタレではありますが。


いよいよ地元の会館の落慶が近いということで、会員の皆さんでいろいろと準備が忙しくなっています。落慶座談会には600人くらいの方が来られるようです。半分くらいの方は入りきれないので、第二会場のホールでのご縁になるそうです。
私は特に何をしたということもないのですが、 地元ということで会館でのご縁ということになりそうです。


あと、顕正新聞の九月一日号を受け取りました。

先回の記事で、一点訂正します。

演題は「『聞』というは・・・」のお言葉と聞いていますが、間違ってたらお知らせ下さい。

と書いておりましたが、正確に言うと「仏願の生起・本末について」が演題で、色紙の言葉が上記のお言葉とのことでした。
新聞を読んで思い出しました。 失礼しました。