(平成31年1月1日に冒頭部分を追記)
あさ川です。
当記事は平成26年の11月に、のちにRCさんと名乗られる方から頂いた投稿文です。当ブログで初めて頂いた投稿文でもあります。
当記事の反響は(当ブログの中では)とても大きく、4年あまり(もう、というかまだ、というか)経った今でも検索で引っかけて直接ごらんになる方もあるようです。当初は冒頭部分の説明を載せていなかったために、直接この記事をご覧になった方の中で、この投稿文をあさ川が書いたと誤解されている方も見受けられるようですので、補足の意味で冒頭文を追加しました。
=======(以下、RCさんからの投稿文は掲載当時のまま一切の変更を加えておりません)=======
私は 平成26年10月25日 2人の法友と共に親鸞会を退会しました。
会員歴は30年以上です。
今年の8月の追悼法要までは毎月の本部会館のご法話は ほとんど欠かさず参詣して来た私です。今年も報恩講に参詣しないなどあり得ない、って思っていました。私が この世で たった一つの真実と信じて 生活の中心にして来た「 親鸞会」を去る日が来るとは 自分でも「青天の霹靂」って感じです。
退会のきっかけは、ネットの「反親鸞会のサイト」を見た事です。何故 反親鸞会のサイトを見ようと思ったのか と言うと、アニメバス、「移動映画館」に ウンザリしたからです。
だいぶ前から 地下道や同朋の里や会館の絵画などには、疑問を持っていました。そして 「あんしん弁当」で 疑問は更に大きくなって行きました。宗教団体なのに なんで、弁当屋?って思いました。あんしん弁当では、お金を得て働く人と、布施行として 朝の3時とか4時とかお店に行ってご飯炊き をする人が混じっていると聞き イヤーな感じがしました。布施行としてご飯炊きをしていた人が、「布施をさせていただき清々しい気持ち」って親鸞会のメーリングリストに発表しているのを見て「おかしい!」って 一緒に退会した法友と話していました。
「仏法が大事だから、身体が大事。身体が大事だから食事が大事。だから あんしん弁当を 高森先生が勧めて下さるのです」って 言うけど。
じゃあ、高森先生が 「身体が大事だから、水が大事」って言ったら 「水」を売り歩くのか?「睡眠が大事」って言ったら マットレスを売り歩くのか?「空気が大事」って言ったら 空気清浄機を売り歩くのか?
それに 世間のお弁当屋さんは 人を雇って賃金を払って 資本主義の中で勝負しているのに 賃金を払わず会員をただで しかも布施行として 働かせて 「安くてあんしんなお弁当」って売るのは 卑怯!って 思いました。
親鸞聖人の教えを伝えるのが たった一つの使命と言っていながら 何故?また 親鸞会の人達は 高森先生が勧める事に 疑問も持たず、批判もせずに、「弁当屋なんかやって 採算は取れるの?」って 普通の人なら当然心配する事も口に出す事も 出来ない雰囲気。全ては、善知識の深いみ心で、高森先生は信心決定に関係無い事は されないって言うけど・・・。
そして各地に多数 建立された会館。実は 私の家の近くにも 建立され その時は 「阿弥陀仏が私の為に 近くに会館を用意してくだされた」ように感じ、お布施もすごく奮発しました。「会館建立功労賞」をもらい、会館のお世話やお仏壇の荘厳なども する事になりました。今回 いっしょに退会した法友達と 交代でしたが とても大変でした。
知っている人は、少ないと思いますが 親鸞会では、毎日 各地の会館の電気と水道のメーターの数字を報告するようにと指示されています。私は当番の日は 朝4時に起床して出勤前に会館に行き、メーターの数字を確認、メモし お仏壇のお花のお水を替えお仏飯を お供えしてから出勤しました。晩も仕事が終わってから会館に行き お仏壇のお花のお水を替え、お仏飯をお下げしました。お仏花も傷まないうちに、新しく替えなければならないなど 会館の事で かなりの時間を使うようになりました。私は フルタイムで仕事もし、主婦もし、会館のお世話と 大変な負担でした。なぜ、メーターの数字を毎日見なければならないのか聞きましたが、「水道管から水が漏れていたりした時に 早く発見するため(?)」との事でしたが・・・。水道管から水漏れして、困った事なんて、私の人生では一度も経験がないのに。ほとんどあり得ない事故を想定して、私たちの貴重な時間が奪われるのはなんだか悔しい気持ちでした。納得できませんでしたか、親鸞会会員である以上 会の決まりを守らなければならないと思い従いました。しかし、会館から道路に出る時に、見通しが悪く、事故でも起こしたら嫌だなーって 思って 「カーブミラーを付けて欲しい」と何度も言いましたが なかなか設置されず 数ヶ月後にやっと設置されました。 ほとんどあり得ない水道管の水漏れは心配するのに、可能性としてはずっと高い交通事故の心配はしてくれなかったようです。事故がなくて本当に良かったです。
会館が家の近くに出来て、負担が大きくなりましたが、その時は まだ 「この苦労が私の宿善になるのだから 我慢しよう」って 自分に言い聞かせ 、友人も励ましました。
ですが、 会館ができた始めの頃 高森先生は「会館を 1日も遊ばせてはならない」と言ってましたが、数ヶ月たっても 毎日どころか、月に数日しか使われていない状況でした。ところが、何故か 突然に「動く法城」と称し 移動映画館が出現し、「今後は アニメバス、移動映画館が布教の中心になる」と発表がありました。会館はますます利用されなくなるばかりじゃないの?何の為に 苦労して稼いで貯めたお金を会館建立に布施したのか?人のお金をなんだと思っているの?更にアニメバスは一台 4000万円!しかも、既に10台以上発注してあるとか?誰がお金を出すの?疑問 だらけになって行きました。
高森先生は「布教の為です。財施は尊い宿善になります」って言えば いくらでもお金が集まるって思っているのでしょうか?親鸞会会員は、高森先生にとっては、「打ち出の小槌」のような存在なのでしょうか?
そして 当支部でもアニメバスでのアニメ上映会が開催されました。真夏の暑い暑い日、バスのエアコンが壊れ、暑さでフラフラになりながら親鸞聖人のアニメを見せらました。頭はボーっとして熱中症になりそうでした。なんですぐ近くにクーラーの効いた建物があり、部屋も借りてあるのに こんな暑さを耐えて わざわざ バスの中でアニメを見なければならないのか、全く理解できません。余分な燃料も使うし 地球に優しくない!
また、 担当支部長は4000万円どころか、40万円の中古車さえも買えずに困っていて、支部の会員で布施をして買ったというのに。親鸞会が講師を大切にせず、会の外見ばかりを 立派に繕っているように感じました。人を大切にしない組織に未来はないと思います。専任講師は親鸞聖人のみ教え一つに人生をかけた尊い方なのに、どうして高森先生は講師の活動条件を整える事にはお金をかけずに、首都圏では、むしろジャマになるような大型バスにお金を使うのだろう?高森先生は 自分の弟子である講師をかわいいと思わないのだろうか?阿弥陀仏からお預かりした大切な人達とは、思っていないのだろうか?
私は 高森先生のお金の使い方を見て、親鸞会という組織や高森先生の人間性にも強い疑問を持つようになりました。そして私と同じような思いでいる人が、 インターネットで意見を述べている方がいないかって思ってネットの親鸞会批判サイトを見ました。 そして、本当に色々な事がわかり とても驚きました!
サイトの種類も、そして掲載量もとても多いので 全体をを把握したのはだいぶ経ってからですが、まず驚き 腹立たしく感じたのは 、「TM講師が起こした不倫事件の結末」でした。当時も不倫事件を聞いて大変驚き、また傷つきました。なぜ親鸞会の幹部の人が大切な仏法を傷つけるような言動をするのか?そんな人に法を伝える資格あるのか?
しかし 事件の後に、担当支部長から
「私は、あなたの後生の心配をするべきでした」と言われ 「確かに他人の色恋沙汰などに振り回されずに、自分の後生の一大事の解決の為に仏法を聞く事の方が大切だ」と思い直し、M講師の言動は許し難いけれど それも「空ごとたわごと」の一つと思い 不倫事件にこだわらない事に決めました。担当支部長からは、不倫事件の結末は聞けませんでしが 事件に関わった講師の方たちも 辞めていないようだったので 「喧嘩両成敗」のような形になったのだろうと 思っていました。ところが、ネットには、「捏造と捏造された不倫事件の真相」というサイトがあり、不倫事件は、高森先生によって 「事件そのものが捏造された事」とされて、揉み消された事を知りました。証拠写真や動画があったのに 「捏造」とは!
事実を完全に捻じ曲げていると思いました。事件 の当事者の女性講師の嫁ぎ先のご両親が、事件を知ってから の 悲痛な気持ちや、女性講師との話し合い、T一家への質問状やTM講師や高森会長からの返事の手紙をブログにアップしてありました。その中の高森会長からの 誠意のない返事の手紙は、「情けない!」の一言です。真剣な質問に何も答えないばかりでなく、迷惑をかけている相手に対して「時間のある身がうらやましい」などと、相手を見下すような言葉に 嫌悪感を感じました。
「こんな不誠実で 他人を見下すような人が 阿弥陀仏に救われている善知識なのだろうか? 弥陀の本願を全人類に伝える使命感など カケラさえ感じられない」 「こんな不誠実な人に頭を下げて聞く教えなど 何もない!こんな人から聞かないと救われないのなら もう今生では救われなくても構わない」とさえ思いました。親鸞会会員をこんな思いにさせる高森会長って、既に会長の資格はないでしょう。また、 不倫の当事者の女性講師の義母の方は 不倫事件を知るまでは親鸞会会員だったそうですか、事件をきっかけに会を辞めたそうです。
もし 親鸞会の教えを聞かないと 阿弥陀仏に救われないならば、会長は自分の不誠実な対応で 一人の人を阿弥陀仏の救いから遠ざけたわけです。
「高森先生は皆さんの信心決定に関係無いことは何もされません。親鸞会ですることは全て 会員さんの仏縁になります」と聞いていましたが、それは、真っ赤な嘘だとわかりました。
他にもネットには親鸞会は非常識で反社会的な組織だという情報ばかり 数え切れないくらいありました。
例えば
●講師は辞める時は1000万円 払うと誓約書を書かされている。(支部長、や講師長に確認したところ事実だと認めました。)
●親友部は 残業しても 残業代はお布施とするので、もらわない、と誓約書を書かされている。
●特専部は、真生会病院の赤字を自分の財産で補填するという誓約書を書かされている 。 ・・・とか。
知れば知るほど親鸞会という組織はおぞましい!
私は最初は「 組織はおかしいが 教えは正しい」って思っていました。ですが ネットのサイトを詳細に読み 進めて行くと 「親鸞会の教えと親鸞聖人の教えは違う」という事が徐々にハッキリして行きました。
実は、親鸞会の教えを信じていた頃も、親鸞会の教えを 真面目に考えるとどうしても矛盾に突き当たりました。それは、「一念の阿弥陀仏の救い」と「三願転入を進むのにかかる膨大な時間とエネルギー」は、どうしても矛盾する事でした。三願転入するのに気の遠くなるような時間がかかってしまうのに 最後に救われる時だけが一念という短い時間だからって、ちっとも嬉しくも有難くもないと 腹底では思いました。でも そんな事を思うのは 法謗罪だと思い、考えないようにしていました。
しかし、「命一刹那に縮まる短命の根機の為の本願」であり、「命が 後一秒の人も救える」って言うけど、一秒では、三願転入は出来ない!私にとってはどうしても納得出来ない、長年の疑問でした。誰も何も言わないけれど、他の方はどう思っているのだろうと、不思議でした。
今回 ネットを見て、疑問が氷解しました。三願は、別々の願だったのです。18願の阿弥陀仏のみ心を信じ、阿弥陀仏の本願に救われたいと願う衆生は 18願のみ心をひたすら聞くというのが正しい理解だったのです。18願を信じられない衆生(「善をやらずに助かるはずがない」としか思えない 衆生)に19願 20願を用意されのです。親鸞聖人の平生業成のみ教えは、18願の教えです。19願から始めよと言う親鸞会は、全く親鸞聖人の教えではなく、聖道門の教えに近いのでしょうか。しかし末法の現在では、聖道門では救われないと言われているように、親鸞会で頑張っている人が救われないのは、当然の事と理解出来ましたし、私が長年抱いていた疑問は当然の疑問だったのだと、やっと納得できました。
また、ネットを見て知ったのですが、親鸞会で聞いて来た「二河白道の譬え」と 善導大師が教えられた話しとは 違う内容です。譬えている事も違うのです。また、「人間の実相」の話しも 比喩経の内容と違います。
ネットでは、お聖教の根拠を多く載せて、親鸞会の間違いを指摘していますが、親鸞会はそれに反論出来ていません。
私は、親鸞会退会を伝えるメールで、担当支部長やその上の講師長に親鸞会の間違いを指摘し、「なぜ親鸞会はお釈迦さまや善導大師と違う話しをするのか?」と 聞きましたが、全く返信がありません。「ネットを見たから辞める」って 伝えたのですから、ネットの情報に反論出来るなら、私達を引き止める事が出来るはずです。なのに 支部長も講師長も 反応しません。反論出来ないから だと思いますが、あまりにも 情けない。私は、こんな組織や高森会長や講師を 100%信じて 30年の時間を送ってしまったのです。本当にガッカリしました。私は その後 質問に答えない講師長に「ネットの人に 歯が立たないのですか?!」ってメールを送りましたが、そのメールも無視でした。破邪顕正を使命としているんじゃないの?!講師長と名乗っているくせに、親鸞聖人の教えをお伝えしたい情熱は カケラもない事がよーくわかりました。
また、何故か 退会直後には「私の体調が非常に悪く活動出来ない状態だ」という内容のメールが流されたようでした。この件には 非常に腹が立ったので、支部長に電話して真実確認をしたところ 真実と認めたので「名誉毀損でないのか?!」と迫ったら 、支部長は「会員の皆さんに、辞めたとは、言いにくい。みんな 戻って来て欲しいのに」と言って 号泣しました。私はとてもシラけました。号泣じゃなくて、ネットの情報に反論して 「親鸞会の教えが正しいって証明してよ」って 思いました。
30年間も 信じて来た事が 間違っていたなんて こっちの方が泣きたいのに・・・。
退会の際の経過を見ても、 親鸞会の組織が歪んでいる事、教えも親鸞聖人の教えとは、違う事が更にハッキリ分かって 親鸞会を離れる事が出来て本当に良かったとつくづく思いました。
ネットの反親鸞会サイトをつくり、勇気を出して 丁寧に色々と教えて下さった方たちに 心からお礼 申し上げます。それらの方々がおられなかったら、今も私は腐った組織で チンケな教えを 有難がって、時間とお金と体力を注ぎ込んで 人にも勧め 悪因を作っていました。
私は いっしょに退会した法友と共に、今まで以上に、阿弥陀仏のみ心を聞き求めて行来ます。
親鸞会がなければ、私は親鸞聖人のみ教えに出会う事はなかったので、親鸞聖人の教えを知るきっかけとしては,有難く感じています。
親鸞会との出会いも阿弥陀仏のお計らいであるならば、退会は 更に また 一歩阿弥陀仏の救いに 近づいたのだと思います。
私のこのメールは、どんな人が読みどんな風に受け止められるのか、わかりませんが。
親鸞会会員の方であれば、阿弥陀仏のみ心を 親鸞会では聞けない事を、知るご縁になればと思い 、私の退会の事情を綴りました。
南無阿弥陀仏
あさ川です。
当記事は平成26年の11月に、のちにRCさんと名乗られる方から頂いた投稿文です。当ブログで初めて頂いた投稿文でもあります。
当記事の反響は(当ブログの中では)とても大きく、4年あまり(もう、というかまだ、というか)経った今でも検索で引っかけて直接ごらんになる方もあるようです。当初は冒頭部分の説明を載せていなかったために、直接この記事をご覧になった方の中で、この投稿文をあさ川が書いたと誤解されている方も見受けられるようですので、補足の意味で冒頭文を追加しました。
=======(以下、RCさんからの投稿文は掲載当時のまま一切の変更を加えておりません)=======
私は 平成26年10月25日 2人の法友と共に親鸞会を退会しました。
会員歴は30年以上です。
今年の8月の追悼法要までは毎月の本部会館のご法話は ほとんど欠かさず参詣して来た私です。今年も報恩講に参詣しないなどあり得ない、って思っていました。私が この世で たった一つの真実と信じて 生活の中心にして来た「 親鸞会」を去る日が来るとは 自分でも「青天の霹靂」って感じです。
退会のきっかけは、ネットの「反親鸞会のサイト」を見た事です。何故 反親鸞会のサイトを見ようと思ったのか と言うと、アニメバス、「移動映画館」に ウンザリしたからです。
だいぶ前から 地下道や同朋の里や会館の絵画などには、疑問を持っていました。そして 「あんしん弁当」で 疑問は更に大きくなって行きました。宗教団体なのに なんで、弁当屋?って思いました。あんしん弁当では、お金を得て働く人と、布施行として 朝の3時とか4時とかお店に行ってご飯炊き をする人が混じっていると聞き イヤーな感じがしました。布施行としてご飯炊きをしていた人が、「布施をさせていただき清々しい気持ち」って親鸞会のメーリングリストに発表しているのを見て「おかしい!」って 一緒に退会した法友と話していました。
「仏法が大事だから、身体が大事。身体が大事だから食事が大事。だから あんしん弁当を 高森先生が勧めて下さるのです」って 言うけど。
じゃあ、高森先生が 「身体が大事だから、水が大事」って言ったら 「水」を売り歩くのか?「睡眠が大事」って言ったら マットレスを売り歩くのか?「空気が大事」って言ったら 空気清浄機を売り歩くのか?
それに 世間のお弁当屋さんは 人を雇って賃金を払って 資本主義の中で勝負しているのに 賃金を払わず会員をただで しかも布施行として 働かせて 「安くてあんしんなお弁当」って売るのは 卑怯!って 思いました。
親鸞聖人の教えを伝えるのが たった一つの使命と言っていながら 何故?また 親鸞会の人達は 高森先生が勧める事に 疑問も持たず、批判もせずに、「弁当屋なんかやって 採算は取れるの?」って 普通の人なら当然心配する事も口に出す事も 出来ない雰囲気。全ては、善知識の深いみ心で、高森先生は信心決定に関係無い事は されないって言うけど・・・。
そして各地に多数 建立された会館。実は 私の家の近くにも 建立され その時は 「阿弥陀仏が私の為に 近くに会館を用意してくだされた」ように感じ、お布施もすごく奮発しました。「会館建立功労賞」をもらい、会館のお世話やお仏壇の荘厳なども する事になりました。今回 いっしょに退会した法友達と 交代でしたが とても大変でした。
知っている人は、少ないと思いますが 親鸞会では、毎日 各地の会館の電気と水道のメーターの数字を報告するようにと指示されています。私は当番の日は 朝4時に起床して出勤前に会館に行き、メーターの数字を確認、メモし お仏壇のお花のお水を替えお仏飯を お供えしてから出勤しました。晩も仕事が終わってから会館に行き お仏壇のお花のお水を替え、お仏飯をお下げしました。お仏花も傷まないうちに、新しく替えなければならないなど 会館の事で かなりの時間を使うようになりました。私は フルタイムで仕事もし、主婦もし、会館のお世話と 大変な負担でした。なぜ、メーターの数字を毎日見なければならないのか聞きましたが、「水道管から水が漏れていたりした時に 早く発見するため(?)」との事でしたが・・・。水道管から水漏れして、困った事なんて、私の人生では一度も経験がないのに。ほとんどあり得ない事故を想定して、私たちの貴重な時間が奪われるのはなんだか悔しい気持ちでした。納得できませんでしたか、親鸞会会員である以上 会の決まりを守らなければならないと思い従いました。しかし、会館から道路に出る時に、見通しが悪く、事故でも起こしたら嫌だなーって 思って 「カーブミラーを付けて欲しい」と何度も言いましたが なかなか設置されず 数ヶ月後にやっと設置されました。 ほとんどあり得ない水道管の水漏れは心配するのに、可能性としてはずっと高い交通事故の心配はしてくれなかったようです。事故がなくて本当に良かったです。
会館が家の近くに出来て、負担が大きくなりましたが、その時は まだ 「この苦労が私の宿善になるのだから 我慢しよう」って 自分に言い聞かせ 、友人も励ましました。
ですが、 会館ができた始めの頃 高森先生は「会館を 1日も遊ばせてはならない」と言ってましたが、数ヶ月たっても 毎日どころか、月に数日しか使われていない状況でした。ところが、何故か 突然に「動く法城」と称し 移動映画館が出現し、「今後は アニメバス、移動映画館が布教の中心になる」と発表がありました。会館はますます利用されなくなるばかりじゃないの?何の為に 苦労して稼いで貯めたお金を会館建立に布施したのか?人のお金をなんだと思っているの?更にアニメバスは一台 4000万円!しかも、既に10台以上発注してあるとか?誰がお金を出すの?疑問 だらけになって行きました。
高森先生は「布教の為です。財施は尊い宿善になります」って言えば いくらでもお金が集まるって思っているのでしょうか?親鸞会会員は、高森先生にとっては、「打ち出の小槌」のような存在なのでしょうか?
そして 当支部でもアニメバスでのアニメ上映会が開催されました。真夏の暑い暑い日、バスのエアコンが壊れ、暑さでフラフラになりながら親鸞聖人のアニメを見せらました。頭はボーっとして熱中症になりそうでした。なんですぐ近くにクーラーの効いた建物があり、部屋も借りてあるのに こんな暑さを耐えて わざわざ バスの中でアニメを見なければならないのか、全く理解できません。余分な燃料も使うし 地球に優しくない!
また、 担当支部長は4000万円どころか、40万円の中古車さえも買えずに困っていて、支部の会員で布施をして買ったというのに。親鸞会が講師を大切にせず、会の外見ばかりを 立派に繕っているように感じました。人を大切にしない組織に未来はないと思います。専任講師は親鸞聖人のみ教え一つに人生をかけた尊い方なのに、どうして高森先生は講師の活動条件を整える事にはお金をかけずに、首都圏では、むしろジャマになるような大型バスにお金を使うのだろう?高森先生は 自分の弟子である講師をかわいいと思わないのだろうか?阿弥陀仏からお預かりした大切な人達とは、思っていないのだろうか?
私は 高森先生のお金の使い方を見て、親鸞会という組織や高森先生の人間性にも強い疑問を持つようになりました。そして私と同じような思いでいる人が、 インターネットで意見を述べている方がいないかって思ってネットの親鸞会批判サイトを見ました。 そして、本当に色々な事がわかり とても驚きました!
サイトの種類も、そして掲載量もとても多いので 全体をを把握したのはだいぶ経ってからですが、まず驚き 腹立たしく感じたのは 、「TM講師が起こした不倫事件の結末」でした。当時も不倫事件を聞いて大変驚き、また傷つきました。なぜ親鸞会の幹部の人が大切な仏法を傷つけるような言動をするのか?そんな人に法を伝える資格あるのか?
しかし 事件の後に、担当支部長から
「私は、あなたの後生の心配をするべきでした」と言われ 「確かに他人の色恋沙汰などに振り回されずに、自分の後生の一大事の解決の為に仏法を聞く事の方が大切だ」と思い直し、M講師の言動は許し難いけれど それも「空ごとたわごと」の一つと思い 不倫事件にこだわらない事に決めました。担当支部長からは、不倫事件の結末は聞けませんでしが 事件に関わった講師の方たちも 辞めていないようだったので 「喧嘩両成敗」のような形になったのだろうと 思っていました。ところが、ネットには、「捏造と捏造された不倫事件の真相」というサイトがあり、不倫事件は、高森先生によって 「事件そのものが捏造された事」とされて、揉み消された事を知りました。証拠写真や動画があったのに 「捏造」とは!
事実を完全に捻じ曲げていると思いました。事件 の当事者の女性講師の嫁ぎ先のご両親が、事件を知ってから の 悲痛な気持ちや、女性講師との話し合い、T一家への質問状やTM講師や高森会長からの返事の手紙をブログにアップしてありました。その中の高森会長からの 誠意のない返事の手紙は、「情けない!」の一言です。真剣な質問に何も答えないばかりでなく、迷惑をかけている相手に対して「時間のある身がうらやましい」などと、相手を見下すような言葉に 嫌悪感を感じました。
「こんな不誠実で 他人を見下すような人が 阿弥陀仏に救われている善知識なのだろうか? 弥陀の本願を全人類に伝える使命感など カケラさえ感じられない」 「こんな不誠実な人に頭を下げて聞く教えなど 何もない!こんな人から聞かないと救われないのなら もう今生では救われなくても構わない」とさえ思いました。親鸞会会員をこんな思いにさせる高森会長って、既に会長の資格はないでしょう。また、 不倫の当事者の女性講師の義母の方は 不倫事件を知るまでは親鸞会会員だったそうですか、事件をきっかけに会を辞めたそうです。
もし 親鸞会の教えを聞かないと 阿弥陀仏に救われないならば、会長は自分の不誠実な対応で 一人の人を阿弥陀仏の救いから遠ざけたわけです。
「高森先生は皆さんの信心決定に関係無いことは何もされません。親鸞会ですることは全て 会員さんの仏縁になります」と聞いていましたが、それは、真っ赤な嘘だとわかりました。
他にもネットには親鸞会は非常識で反社会的な組織だという情報ばかり 数え切れないくらいありました。
例えば
●講師は辞める時は1000万円 払うと誓約書を書かされている。(支部長、や講師長に確認したところ事実だと認めました。)
●親友部は 残業しても 残業代はお布施とするので、もらわない、と誓約書を書かされている。
●特専部は、真生会病院の赤字を自分の財産で補填するという誓約書を書かされている 。 ・・・とか。
知れば知るほど親鸞会という組織はおぞましい!
私は最初は「 組織はおかしいが 教えは正しい」って思っていました。ですが ネットのサイトを詳細に読み 進めて行くと 「親鸞会の教えと親鸞聖人の教えは違う」という事が徐々にハッキリして行きました。
実は、親鸞会の教えを信じていた頃も、親鸞会の教えを 真面目に考えるとどうしても矛盾に突き当たりました。それは、「一念の阿弥陀仏の救い」と「三願転入を進むのにかかる膨大な時間とエネルギー」は、どうしても矛盾する事でした。三願転入するのに気の遠くなるような時間がかかってしまうのに 最後に救われる時だけが一念という短い時間だからって、ちっとも嬉しくも有難くもないと 腹底では思いました。でも そんな事を思うのは 法謗罪だと思い、考えないようにしていました。
しかし、「命一刹那に縮まる短命の根機の為の本願」であり、「命が 後一秒の人も救える」って言うけど、一秒では、三願転入は出来ない!私にとってはどうしても納得出来ない、長年の疑問でした。誰も何も言わないけれど、他の方はどう思っているのだろうと、不思議でした。
今回 ネットを見て、疑問が氷解しました。三願は、別々の願だったのです。18願の阿弥陀仏のみ心を信じ、阿弥陀仏の本願に救われたいと願う衆生は 18願のみ心をひたすら聞くというのが正しい理解だったのです。18願を信じられない衆生(「善をやらずに助かるはずがない」としか思えない 衆生)に19願 20願を用意されのです。親鸞聖人の平生業成のみ教えは、18願の教えです。19願から始めよと言う親鸞会は、全く親鸞聖人の教えではなく、聖道門の教えに近いのでしょうか。しかし末法の現在では、聖道門では救われないと言われているように、親鸞会で頑張っている人が救われないのは、当然の事と理解出来ましたし、私が長年抱いていた疑問は当然の疑問だったのだと、やっと納得できました。
また、ネットを見て知ったのですが、親鸞会で聞いて来た「二河白道の譬え」と 善導大師が教えられた話しとは 違う内容です。譬えている事も違うのです。また、「人間の実相」の話しも 比喩経の内容と違います。
ネットでは、お聖教の根拠を多く載せて、親鸞会の間違いを指摘していますが、親鸞会はそれに反論出来ていません。
私は、親鸞会退会を伝えるメールで、担当支部長やその上の講師長に親鸞会の間違いを指摘し、「なぜ親鸞会はお釈迦さまや善導大師と違う話しをするのか?」と 聞きましたが、全く返信がありません。「ネットを見たから辞める」って 伝えたのですから、ネットの情報に反論出来るなら、私達を引き止める事が出来るはずです。なのに 支部長も講師長も 反応しません。反論出来ないから だと思いますが、あまりにも 情けない。私は、こんな組織や高森会長や講師を 100%信じて 30年の時間を送ってしまったのです。本当にガッカリしました。私は その後 質問に答えない講師長に「ネットの人に 歯が立たないのですか?!」ってメールを送りましたが、そのメールも無視でした。破邪顕正を使命としているんじゃないの?!講師長と名乗っているくせに、親鸞聖人の教えをお伝えしたい情熱は カケラもない事がよーくわかりました。
また、何故か 退会直後には「私の体調が非常に悪く活動出来ない状態だ」という内容のメールが流されたようでした。この件には 非常に腹が立ったので、支部長に電話して真実確認をしたところ 真実と認めたので「名誉毀損でないのか?!」と迫ったら 、支部長は「会員の皆さんに、辞めたとは、言いにくい。みんな 戻って来て欲しいのに」と言って 号泣しました。私はとてもシラけました。号泣じゃなくて、ネットの情報に反論して 「親鸞会の教えが正しいって証明してよ」って 思いました。
30年間も 信じて来た事が 間違っていたなんて こっちの方が泣きたいのに・・・。
退会の際の経過を見ても、 親鸞会の組織が歪んでいる事、教えも親鸞聖人の教えとは、違う事が更にハッキリ分かって 親鸞会を離れる事が出来て本当に良かったとつくづく思いました。
ネットの反親鸞会サイトをつくり、勇気を出して 丁寧に色々と教えて下さった方たちに 心からお礼 申し上げます。それらの方々がおられなかったら、今も私は腐った組織で チンケな教えを 有難がって、時間とお金と体力を注ぎ込んで 人にも勧め 悪因を作っていました。
私は いっしょに退会した法友と共に、今まで以上に、阿弥陀仏のみ心を聞き求めて行来ます。
親鸞会がなければ、私は親鸞聖人のみ教えに出会う事はなかったので、親鸞聖人の教えを知るきっかけとしては,有難く感じています。
親鸞会との出会いも阿弥陀仏のお計らいであるならば、退会は 更に また 一歩阿弥陀仏の救いに 近づいたのだと思います。
私のこのメールは、どんな人が読みどんな風に受け止められるのか、わかりませんが。
親鸞会会員の方であれば、阿弥陀仏のみ心を 親鸞会では聞けない事を、知るご縁になればと思い 、私の退会の事情を綴りました。
南無阿弥陀仏
コメント
コメント一覧 (86)
退会おめでとうございます。
これからの聞法は楽しいですよ。
世間は広いです。
じっくり構えて何が正しいのかご自分の力で判断してください。
信心決定というニンジンを捨てるのは難しいですが、必ず後生の一大事の解決が分かることが出来ます。
阿弥陀様が願われていますから。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
正しい教えを聞いて、ただ今救われて下さい。
長年、高森会長の言動や指示に疑問を抱きながら、会長を無二の善知識と信じようと努力してきました。教義だけは正しいから、従うしかないと。
しかし、その教義までもがデタラメと知った時、迷いなく退会しました。
長年、我慢に我慢を重ねている会員は、今何を思っているのでしょうか?
外部の情報を遮断され、教義だけは正しい、と思っているのか、あるいは外部情報を得ながら、高森会長だけを信じている、なのか。はたまた、友達が親鸞会にしかいないからサークル活動に満足しているのか。
会長に利用されていることだけは、知って欲しいものです。
私も数年前に退会しました。
弥陀の本願は、どこか一か所でしか聞けないような閉じられたものではありません。これから思う存分、ご縁に触れる機会がやってくると思います。
近隣でのご法話や書籍、ネットなどなど。毎日が聴聞です。お念仏が湧き出てきます。
南無阿弥陀仏
コメントありがとうございます。
今回は、私がお返事するのも変かなと思いながら返事が遅くなり失礼しました。
文章を書かれた方からは、コメントを頂いて励まされましたという内容を受けております。
いずれにしても、様々な御縁で弥陀の本願念仏に出会われるものだなと味わわれます。
色々な方の、今は埋れているかもしれない声を広げるご縁もまたありがたいと思いました。
親鸞会では軽視されていたお念仏を申してください。
お念仏の6字のこころをお聴聞するのです。
いいお師匠さまにお遇い出来ることを念じています。
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
また、親鸞会の言う「善」なるものも、高森会長や一族にとって都合のいいことばかりに集約されていて、(弁当屋のお話にも出ていましたが)「善」自体も一種の詭弁に近いものです。
親鸞会がわざわざこのようなおかしな教義を説いてきた目的は、会員からお金や労力、時間を奪うことにあったと思います。
今はネットがあるおかげで、親鸞会も表立っていかがわしいことはしなくなりましたが、内部の実態は以前とほとんど変わりませんね。
とにかく「人集め、金集め」です。
この度は退会できて本当によかったですね。とは言っても、心の整理はそう上手くいかないのも事実です。
私はFacebookやっておりますが、あさ川進様も同様でしたら、是非「友達」になっていただきたいです(メールアドレスで私を特定できるかと)。軽~い気持ちで。S会をやめられた方、また現役の方も友達になってもらっております。^_^
親鸞会の教義とは、共通認識がどこまでで、どこから見解が異なるのかが、いまいち分かりません。
>鸞会を退会された皆さんは、「死の問題」を解決し、「人生の目的」がハッキリしたのでしょうか?
私は、ダメだということをハッキリさせていただきました。
後生に対して一切私の力は及ばないと言うことを知らされました。
自他力廃立、をさせていただきました。
すべて、阿弥陀様のおかげです。
全分他力です。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
退会者の後生を案じてのコメントとして、有り難く受け止めます。
ただ「親鸞会を退会すれば、獲信出来ない、獲信したと言っても偽物の信心だ」という意識は無いでしょうか?
私も現役時代は、その様な意識がありました。
現実問題として、退会者にも色々とおられると思います。
しかし問題はそこになく、パンダ様が他力の信心に目覚める事だと思います。
親鸞会と他との見解の違いと言っておられますが、「見解」というものではありません。
伝統宗学でも解釈の違いはあります。
親鸞会の間違いは「求める方角が違う」この一点です。
パンダ様も色々と話を聞かれて、他力の信心に目覚める事を念じ申し上げます。
どこの誰から、どのような話しを聞けばよいのでしょうか?
あるいは、本を読むのでもよいのでしょうか?
コメント有り難うございます。
「〇〇先生から話××という話を聞けば他力の信心が獲られる」という事ではありません。
〇〇先生の××という話を通して「仏願の生起本末」を聞くのです。
人それぞれ業が違うので、「〇〇先生」も「××という話」も人それぞれ違うのでしょう。
本にしても「この本を読めば獲信出来る」というものではありません。
説かれる人や本の背景に、阿弥陀様の「汝を救う、我にまかせよ」を聞くしかありません。
そういう意味で誰の話でも良い訳ではなく、逆に(阿弥陀様の願いを聞けば)誰の話でも良い訳です。
私のお勧めの先生や本はありますが、パンダ様にとって良いかどうかわかりません。
色んな人の話を聞いたり、退会した人のブログを含め色んな本を読んで下さい。
30年も会員でいたとか恥ずかしいよ。
ネットで検索すれば一瞬でわかる話なのに何をいまさらという印象。
学生時代に少しお話をさせて頂いた者です。
弟さんともご縁がありました。
実名を出しても多分覚えておられないかと存じます。
昭和55年に入会して、今から5年前に退会しました。
現在は関西方面で御法に遇わせて頂いております。
洞様が御法に遇われた事、嬉しく思います。
通りすがり様
私も約30年会に在籍しました。
しかし、その30年を後悔しておりません。
早く会を辞めたから偉いのでも、長く会に在籍したから愚かでも無いかと思います。
一人一人のご縁ですから。
私もネット諸々方、皆様のおかげで脱会出来、目が覚めました。
死んだ人形と化した子牛連中に真実を伝える技量も思いも何もありませんよ。
せっかく親鸞聖人のお名前に触れても、結局「仏教は嘘だ」と思ってしまう事です。
願わくは元会員さんが、いずれ聞法されます事を念じます。
その30年の間に騙されていると忠告してくれた人は一人や二人じゃないでしょう。その人達の言葉を「この人達は親鸞会の教えが分からない可哀想な人達だ」と見下してたんでしょう。世間から見ればカルト30年なんてそっちの方が見下されますけどね。世間の人人々の前で胸はって大きな声で言えますか?要注意人物ですよ。
30年もごくろうさん。
「別の選択をしていたら人生はもっとよくなっていたはず」は脳のシュミレーション機能の欠陥です。
カルト宗教に所属していなくても、他人の意欲を下げるばかりの生き方なら恥です。
オウムの元信者は世間一般ですか?結婚や就職のときに、「元オウム信者です」「元親鸞会信者です」って胸はって言えますか?社会で良い方に解釈されますか?元信者は経歴を隠すでしょ。
オウムと親鸞会は違うと親鸞会のメンバーは言いますが、相違点は教祖が麻原か高森かの違いだけで、反社会的カルトのゴミクズなのは一緒ですよ。
こういう思想の奴らがいるからイスラム国に傾倒する若者が出てくるんですよ。人間のクズですよ。
世間の人は、私のことを見下しているかもしれませんが、そんなことはどうでもいいのです。
カルトに引っ掛かった人も引っ掛かっていない人も、仏様の眼から眺めれば、迷いの凡夫であることに変わりはないのですよ。
浄土真宗で問題にするのは、常に『現在ただ今』だけです。
『今、ここで、自分』に掛けられている“阿弥陀仏の願い”を聞き頂いているのか?いないのか?
mさんは、そこのところはどうなんでしょうか?
証拠がないからこそ宗教なんです。証拠があるなら科学で、学問としての学会があり、世界中の科学者が研究論文を発表しています。この教義は科学的に正しいなんて言ってる新興宗教もありますが、笑ってしまいますね。
いいですか、仏や神なんていません。あなた方は大昔のインド人の戯言にすがって生きてるだけなんです。自分というものがありません。
もう一度言いますよ。仏なんていません。仏教を含めすべての宗教は死後が不安な人のための気休めです。
申し訳ない。
信心の沙汰をする前に、宿善の有無を沙汰するべきでした。
mさんのお考えは、良く分かりました。
しかし、mさんのお考えが正しいかどうかは、別問題です。
【ここからは独り言なので、どうか無視して下さい。】
だが、しかーし!阿弥陀仏は、本当におられます。
もう一度言いますよ。
阿弥陀仏は、本当におられたのです。
私も正直言って、(まっ、まさか・・・)と思いました。
証拠は、この私の口から出ている“南無阿弥陀仏”です。
怖いです。
こういう人がいてくれるから坊さんは儲かりますね。そしてイスラム国に憧れる人も無くならないでしょう。
死んだら無ですよ。あなたがね。
世界中の人々の宗教観を180度くつがえす大発見になり、連日世界中のマスコミを賑わすでしょう。
世界中の宗教戦争も、イスラム国も、オウム問題もこれで解決です。すばらしい!!
是非学会で、科学誌で発表してください!!
だって今の時点では何も証明されてないことを人生をかけて信じてるんでしょ?
何も証明がないなら、子供が、「大人がそう言ってたから、サンタはいるんだ!」と信じるのと同レベルです。
あなたは「偉い人がそう言ってたから、仏はいるんだ!」と思っているのです。存在を証明してくださいよ。そして発表してください。
こんな所でなく学会で。
新興宗教風のインチキ証明ではなく、国際的に科学的にお願いします。
いやー、良かった!これが発表されたら世界中のほとんどの戦争は解決ですね!!
すみません。
お互い建設的でない話はやめましょう。
誰かを叩かなくても大丈夫です。お元気で。
それ、親鸞会信者の思考パターンと一緒ですよw
一生懸命念仏となえて矛盾の考えが浮かぶのを振り払おうとしてるのですね。その姿目に浮かびますw
なんまんだ~なんまんだ~
今度のお布施は何万だ~w
ごめんなさい。
仏教徒は真面目な方が多いですもんね。
人畜無害の真面目な仏教徒を責めるつもりはありません。
世界のどの神を信じている人も責めるつもりはありません。人畜無害ならね。
私は自分でさんざん考えた結果の無宗教ですので、何も考えてないのとは違うんですよ。
地球は宇宙から生まれ、私は地球から生まれた。死んだら地球にかえり、宇宙に帰るだけ。私の考えはそれだけです。
人間だけが特別で、いつまでも消滅しない魂があって、極楽にいけるなんておこがましいことは考えません。他の動植物と一緒で、地球を構成する物質に戻るだけです。意識なんて脳の電気信号ですから、脳が分解されると意識も分解されるという理屈です。まあ、生きている段階からもうすでに地球のひとかけらなんですけどね。
誰かの教えを信じるわけではなく、自分で考えたのがこれです。無宗教でなく、自分教かもしれないですね。
私は、このブログは、『阿弥陀仏の本願』を讃嘆する為に開設されていると理解しておりましたので、遠慮なく仏徳讃嘆させてもらっただけなのですが、なぜ、ここまで愚弄されなければならないのでしょうか?!
mさんの様な方が出現すると、こちらが(スレ違いだったのかな?)と思ってしまいますね。
親鸞会に知人を殺されてから、元々無宗教だったのがアンチ宗教になりました。高森や親鸞会信者、元信者などすべての関係者に恨みがあります。
知人を亡くした時も親鸞会ではない普通の浄土真宗の坊さんが数十分お経をよむだけで何十万も当然のように請求してきて、宗教とカネの関係にうんざりしました。
最近のイスラム国などの報道を見ても宗教ほどくだらないものはないです。ただの幻想にお金や人生や命をかけているのです。
ただここは宗教を肯定する人々の場なのですね。すみませんでした。
引き続きのコメント、ありがとうございます。いろいろなご意見あろうかと思いますが、記事に関連する内容であればスレ違いということはありませんのでよろしくお願いします。
mさん
このブログは、当初の趣旨からシフトして今は弥陀の本願を味わう方向にしていましたので、"私も元会員"さんの仰るような感じになってはおります。
ただ、私はmさんのような方はコメントするなと言うつもりは毛頭ありませんし、お考えを否定する気もありません。(語弊があるかもしれませんが、「自分教」もまた宗教と考えることもできようかと思いますし)
ただ、あまりに人の気分を害するような表現は慎んで頂ければと思いましたが。
私自身のことを言えば、弥陀の本願を喜んでいるということからすれば「肯定している」のかも知れませんが、未だに「宗教偏見」を持っております。
もし差し支えないのであれば、捨てアドからでも結構ですので私はmさんのような方にも投稿文を書いて頂きたいとの思いをもっております。
真剣に求める人(自らのよりどころを)には、行き着くところ。
旅行気分や体調管理の人や気晴らしの人には全く気付かないでしょう。
自分は、教行信証の現代語版を読んで、念仏と諸善の比較から入りました。
蠅を打ちて南無阿弥陀仏口の癖(なもあみだ 口称のつもり念為)
南無阿弥陀仏、阿弥陀様お願いしますです。
コメントありがとうございます。同一のIPアドレスから携帯機器で書き込みされているようですが、名前が変わっているのはどういった趣旨でしょうか。
あと、意味を取りかねるコメントが散見されましたので、一部非表示にしました。お書きになったコメントはすべて、8/30の記事に載せております。
8/30の記事にまとめました。(あさ川の返事は一部抜けています)
私の投稿を読むことはないかもしれませんが、ひとつだけmさんの過ちを指摘します。
「死んだら無ですよ、あなたがね」
と言っています。
mさんは無かどうかの定義を知らないようですね。
「無である」と言えるのは、有か無かを判断する主体がいるときですよ。つまり、主体が「有」の時のみです。
主体が無くなれば「無である」と判断することはできないのです。
mさんは自分の主張に矛盾があることに気がついていないようですね。
仕方ありません。有とか無について科学的に考えたことなど一度もなさそうですからね。
せめて、Von Neumanの観測論でも読まれたら?
ただの人集め、金集め。
これは親鸞会の誰がこのようにしているのでしょうか?やはり高森顕徹会長ですか?
それともその周りを取り囲んでいる人達の忖度ですか?
このお話が本当だったらここで聞いていても救われないのでしょうか?
こんばんは、コメントありがとうございます。
この投稿文は、当ブログで埼玉恵日会のご案内をくださるRCさんと言われる方が書かれたものです。
もし関東近辺にお住まいで、6/23にご都合がよろしければ、RCさんにお会いになれるかと思います。埼玉恵日会の記事にメアドもありますから、メールで直接お尋ねになることも出来るかと思います。
お返事ありがとうございます。
なんだか、いろいろ衝撃です。このままでは仏の身に成れないのか?
信心決定できないのか?20年以上講師をされている方でも信心決定できていないなんて…。私には到底無理な話なのでは?
今、わたしの白道、あなたの白道も読んでいます。
関東に住んでいます。RCさんですね。お尋ねしてみます。
熱心に伝えてくださっていた支部長が講師(講師歴20年と少し)を辞められ、親鸞会も退会されていたことを知りました。辞められたのはもう4年も前のことなのですが、当時はパソコンなどによる電磁波の影響で体調を崩されているので、支部長という立場を離れるという風にお話されていましたので、会の別の部署でご活躍されるのだろうと思っていました。
その間自分は妊娠、出産、仕事との両立で精一杯でなかなか地元のご縁にも、二千畳にも参詣できておらず、その状況を全く知りませんでした。高森先生も89歳というご年齢ということで、今回が直接聞かせていただけるのは最後のご縁になるかもしれないと思い、先月6年ぶりに二千畳(降誕会)に参詣できました。(夫は親鸞会のことは快く思っていませんので1人で)
しかし、そこにはかつての支部長のお姿はなく、奥様のお姿もなく。
何故なのだろうという気持ちがムクムクと湧き上がってきました。
同じ支部の何人かに聞いてみても、もう過去の話で、辞められた理由を詳しく知っている方はいませんでした。わたしだけ浦島太郎状態といった状況。
なんとかお伝えしなければというお気持ちの強い方でした。いつも情熱をもち、精一杯、丁寧に伝えていらっしゃったのに、何故気持ちが変わったのだろうか??
私はその方のおかげもあり、仏法を聞くようになり、ここまで聞き続けてこられています。
なのに何故?
言葉がまとまったら、退会された理由をメールで聞いてみようと思っています。
こんにちは。
RCです,。
あさ川さんが ブログ開設6周年との記事を書かれていたので、いつもお世話になっているので
その記事にコメントを書かせていただきました。
私が 最初に、あさ川さんのブログに投稿させていただいたのが「親鸞会を退会しました」だっだので、日にちを確認しようと思って、自分の投稿文見ました。
そしたら、コメントの数が増えていることに気づき、「現・親鸞学徒さま」のコメントを読ませていただきました。
阿弥陀さまの おはからいですねぇー。
ぜひ、ご連絡いただけたら、と思います。
私のアドレスは、
rokujinotsudoiアットマークyahoo.co.jp
(アットマークは、@に変えてください)
また、あさ川さんのブログに、「埼玉恵日会のご案内」が ありますので、ご都合よかったら、ご参加ください。
熊谷で、元親鸞会会員さんも、現親鸞会会員さんも 、一緒に、親鸞聖人の教えを 学んでいます。(^^)
☆信心獲得すと、いうは、 第18の願を心得るなり。この願を心得るというは 南無阿弥陀仏の姿を心得るなり。
南無阿弥陀仏の姿って、なんですか。
この私を仏にする仏がもうはたらいているというお姿を 南無阿弥陀仏で、表すんです。
だから 南無阿弥陀仏を聞かせていただいたら、こちらのはからいには、用事がなくなりました。
南無阿弥陀仏のいわれを聞いたら、はからいがなくなりましたってことを、「聞其名号 信心歓喜 乃至一念」って言うんです。
(大阪 光蓮寺での 阿部信幾先生のご法話より)
南無阿弥陀仏
ご丁寧にコメントをいただきありがとうございます。
今まで、高森顕徹先生や、親鸞会のことを批判している
ブログなどはほとんど見ていませんでした。
会に入ろうかどうか迷っている頃(2008年頃)は、どんな団体なのだろうかという不安もあり、少し検索して読みましたが、当時直接お話ししてくださっていた講師の方や既に親鸞会に入っている友人にこんなことが書いてあるサイトを見たのですが・・・と尋ねると、ネットの情報は間違ったことが多く書いてある、名前を名乗らず嫌がらせをする人たちが書いているんだよねと真剣におっしゃっていたので、そうなのか~~ とネットに書いてある知らない人の意見よりも目の前にいる人の言うことを信じて、深いところまでは読みませんでした。
1人ではなく、何人もの方がそのようにおっしゃっていたので、確かにネットだと名前を伏せて言いたいこと言えるしなと思いました。
ですが、当時読んだとしても、仏教の教え、真宗の教え、親鸞会の内部の構造もまだ全くわかっていない私が、ネットに書かれていることが本当のことなのか、うそなのかの判断もつかなかったと思います。
10年経った今となっては、内部の構造もどういった教えを説かれているかなどもある程度理解が深まりましたので、今読むと理解できることが多いです。
「会報」や「顕真」も支部の先輩にお借りして読ませていただいたことがあります。
親鸞会や高森先生についてのブログは多数あり、読んでいると疲れてしまい(目も心も)
続けて読むことが困難でしたが、「捏造」と捏造された不倫事件の真実 は続けて読んでしまいました。
こんなことがあったの?けれどこれが作り話だと思えない。
こんなに事細かな作り話作るのも大変。
そして、こちらのあさ川様の「あさ川進の、宗教と私」
そして嶋田様の「私の白道」、「あなたの白道」
(こちら3つのブログについてはまだ全部読んでいません、読み途中ですが)
は、ご自身の経験を通して、今も阿弥陀仏の呼び声を聞こう聞こうと講師部で長年頑張っている人、学徒で長年頑張っている人にどうにか気づいてほしいという命がけの思いが伝わってきました。
後生の一大事がかかっているという強い気持ちが伝わってきました。
お返事ありがとうございました。
ご心配のこともあろうかと思います。仮に「親鸞会にいるのは信心決定のためだ」ということならば、信心決定できるかどうかということは大きな問題だろうと思います。ちなみに、弥陀の本願から言えば親鸞会が現・親鸞学徒さんを仏にしてくれるわけではありませんが、とはいえご心配になるところだと思います。RCさんもメアドを公開されてますし、私でもよろしければメール等お答えできることもあろうかと思います。(私の場合、返事が遅いですが)
ちょうど私が離れた(というか追い出された)のが4年半ほど前ですので、ご縁深かった支部長さんも、ひょっとしたら私が存じ上げている方かも知れません。とはいえ関東もそれなりに広いので、どの方かは分かりませんけれども。いずれにせよ南無阿弥陀仏とのご縁を喜ばれるようにと思います。
このブログは、おおかた私が記事を書いていますが、反響の大きい「投稿文」とタイトル付けした記事については、それぞれの方が書かれています。投稿文は、RCさん以外にも、およみになっている「あなたの白道」の嶋田さんが書かれている箇所もあります。投稿文を書かれた皆さんは何人もいらっしゃいますが、いずれもいずれも心を込めて書いていただいてます。
現・親鸞会学徒さまへ。
ダイヤモンドは、ダイヤモンド自ら、ダイヤモンドモンドであることを知らせる。
お寺で本物の浄土真宗のお話しを聞いてみて、高森会長のお話しと、どっちが、私を救うお話しか、聞き比べてみては、如何でしょう。
私が救われる教えが、本物の教えでしょ?
本物のお釈迦様の教えを聞きたいのです。
今この世にお釈迦様が居てくれたら、間違いなくお釈迦様からお聞きしたいですが、お釈迦様はいらっしゃらないので、その教えを正しく教えてくださる方からお聞きしたいです。
今までは、本物の教えを正しく説いてくださるのが唯一の善知識、高森先生おひとりだと思っていました。(それ以外の浄土真宗の教えは間違った教えを説いている)
それが今、善知識なのか、悪知識なのか、わからなくなってきてしまいました。
善知識にあうことも
おしうることもまたかたし
よくきくこともかたければ
信ずることもなおかたし
ですね。
私はただ親鸞聖人のように、嶋田さまのように、阿弥陀仏の本願まことだったと言える身になりたいのです。
そうですね。
本物の教えとは、
「私」が救われる教えが本物の教えですね。
それが目的ですからね。
こちらのあさ川様のブログと、私の白道、あなたの白道をしっかり読み、その後、お寺での教えも聞いてみるかを考えたいと思います。
ブログを読み終わるまで少し時間がかかると思いますが、読み終わりましたら直接ご連絡をさせていただこうと思います。
その時はどうかよろしくお願いいたします。
私もRCさんの意見に賛成ですね。
浄土真宗の法話案内
http://shinshuhouwa.info/
などで検索して、実際に法話を聞いてみたりしたらよいと思います。忙しくて法縁がないなら、YouTubeなどで動画配信されているのを視聴したり、本を読んだり、色々手段はあります。本当に高森先生の言う通り、本願寺は
念仏さえ称えていたら死んだら極楽、死んだら仏、死んだらお助け
と説いて回る僧侶ばかりなのか、ご自身の目と耳でお確かめ下さい。私はそんな話を聞いたことがありません。
なお、教義の疑問点でしたら私もブログをしているのでそちらにコメント(秘密コメント可)やメールを頂いても構いません。できる限りお答えしたいと思います。
真偽検証
http://shingikensho.blog12.fc2.com/
現・親鸞学徒様がまことの真宗に遇い、本願を信じ念仏されることを願っています。なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・
あさ川さま、淳心房さま ありがとうございます(^^)
現・親鸞学徒さま。
現・親鸞学徒さまが、今のお気持ちになるまでには、阿弥陀さまの長い長いお育てが、あったのだと感じます。
「南無阿弥陀仏のおいわれ」私 一人がための 法蔵菩薩さまのご苦労と、そのご苦労で 成就してくださった南無阿弥陀仏を お聞きしていただきたいです。
「真っ暗闇と思っていた私の命」には、本当は、弥陀の慈悲がずーっとずーっとかけられていたことを、聴聞してください。
無明長夜の灯炬なり 智眼くらしとかなしむな
生死大海の船筏なり 罪障おもしとなげかざれ
(正像末和讃)
もし ご都合よかったら、6月23日の埼玉恵日会にご参加ください。
質問も受け付けております(^^)
私のアドレスは、
rokujinotsudoiアットマークyahoo.co.jp
アットマークは、@変えてください。
埼玉恵日会は、
日時 : 6月 23日 (土曜)14:00〜17:00
場所: 熊谷ロイヤルホテルすずき
(JR熊谷駅南口 徒歩2分)
講師: 阿部 信幾 先生
(本願寺派補教 )
*今年の今後の日程は、 8/5 10/7 12/2 です。
今回は、土曜日の開催です。
場所も 熊谷駅のティアラの会議室ではなく、「ロイヤルホテルすずき」の会議室です。
参加費:2000円です。
「受け付け」は、ありますが、匿名でも、偽名でも、調べたりしないので、大丈夫です(^^)
ゾロアスター教のミイロという神を信じる一派に仏教を布教するとき、ミイロを菩薩(法蔵菩薩)の位におき、これを阿弥陀仏という仏に昇進させて、仏教に取り込んだものと考えます。なので、仏になる前に、48の誓願が必要になってきたものと考えます。
48の誓願の中でも、18番目が重要で、これが、日本の阿弥陀信仰の依って立つところになっています。
仏の名を唱える者で、仏にならない者があったなら、私は、仏にならない。つまり、阿弥陀の名を唱える者は、皆成仏できる。
これには、但し書きがあって、「ただし、五逆罪と正法誹謗の者を除く」 です。
日本の阿弥陀仏信仰は、この但し書きを無視して成り立っています。つまり、仏教でもっとも大事なのは、法であり、この法をさしおいて、阿弥陀仏を第一に立てるのは、本末転倒であり、仏教に敵対する邪な教えになります。
なお、五逆罪と正法誹謗の者は、無間地獄に落ちるといわれます。
以下は、阿部信幾先生からお聞きしたご法話の一部です。
●南無阿弥陀仏は お前を仏にする仏は もうはたらいているということを 私に 告げてくださる。阿弥陀は もう はたらいているよということを私に告げてくださることが、南無阿弥陀仏なんです。南無阿弥陀仏と言ったら、このご本尊も南無阿弥陀仏だけど。一番、南無阿弥陀仏がわかりやすいのは コイツの念仏や、と。だから念仏の声が聞こえてるということは、阿弥陀さまがはたらいているということだよっていうんです。
ね。
南無阿弥陀仏ということを、ただ 音を聞いたって、救いにはならんのですよ。だから 仏願の生起本末を聞いて、疑心あることなし。南無阿弥陀仏のいわれを聞いて、はからいが取られました。はからいが取られたことを、信心いただいたっていうんです。
わかるでしょ。
(続きます)
如来の作願をたずねれば、
なんで、阿弥陀さまが 作願 と言って、本願を起こしてくださったのか。48願全部と言ってもいいけど、何故 18願を誓って、18願というのは 一人も漏らさずに救う仏に私が成る。一人も漏らさずに成るというけど、阿弥陀さまに逆らう者は救わなんでしょって言ったら、ワシに逆らう者を真っ先に救うと、誓ってあるのが、唯除五逆 誹謗正法 っていう言葉だって言うのです。
これが分からんのですよー。だって 除くって言うんだから、除かれるはずなのに、親鸞聖人は
尊号しんぞうめいもんというお聖教には、除くと書いてあるから、全てが救われるって。
おかしいよね。出しましょうか。尊号しんぞうめいもん。私はこの意味が全然分からなかったね。なんで?除くと書いてあるから除かれるんじゃないか。全てを救うと言いながら、五逆と正法を誹謗する者は除くと言うとるじゃないか。やっぱり除かれるんじゃ者があるんじゃないかと考えたら、親鸞聖人は こうおっしゃっているんです。
(続きます)
と。
阿弥陀さまが本当に、救いたいのは、阿弥陀さまを蹴飛ばして、仏法なんておとぎ話だと言っている者を救いたいというのを本願と言うんだよ。
だから、手を合わせて 助けてくださいと言ってる者を救うんじゃないんだ。そんなものを聞いたって なんになるかと言って 後ろ足で砂かけて、阿弥陀さまから逃げて行く者を わしゃ 、救うと誓ってあるのが、18願だと、いうんです。
わかりますか。
これをやっちやいかんぞ、ということは、言わないとやる人間に、いう言葉です。
言わなくてもやらない人間に、やったら除くとは、言わんのよ。言わないと絶対コイツがやる。なんでかって言ったら、自分が幸せだったら、仏も謗る、親も殺すんだよ。
(続きます)
自分が幸せになりたいから。
人間っていうのは、自分が幸せになるためには、親でも殺すんです。それが、私の本性なんです。だから、言っとかないと、やる。から、なるなーと言ったんだす。やるなってことは、言わないとやる人間に言う言葉ですよ。それが救いの目当てなんです。阿弥陀さまに砂かけて、後ろ足で 逃げて行く者が、阿弥陀さまの救いの目当てだから、だから、除くと言う言葉を使って、全ての者を仏にする仏に、わしは、なる。成れないうちは、仏とは、名乗らんと誓ったのが 第18願の誓いなんですよ。
その18願が 今 どうなったか、と言ったら、成就して南無阿弥陀仏の姿になってくださっている。ということは、もう、私を救う仏がいるということは、地獄に堕ちて行く者は、一人もいなくなったという話しが、南無阿弥陀仏のおいわれなんです。
仏教の話を聴いていて、自分は仏教を知っているのだという思いを持って、話すということがあります。
知っているのと、わかったことは違います。
知っているのは、話を聴いて、本当かどうかはわからないが、聴いたことがある、知っているという状態であって、自分に確信はありません。仏様の言葉通りの体験をして、身を持って知らされたのとは全く違います。自分の救済を忘れて、離れて、言葉で何を語っても、それは個人の思いであって、ただの知識です。
真宗の教えは、身を持って知らされる教えです。知った、聴いたことを持って、わかったと言えない教えです。
例えば大乗非仏説であろうがなかろうが真宗の教えを正しく聞いた人には関係ありません。
そのような歴史的事実も関係ありません。
南無阿弥陀仏はそれらを乗り越えるはたらきを持っているからです。
そう言わせるはたらきがあるからです。
もし浄土教の歴史を簡単に知りたいなら
平岡聡さんが出された、浄土思想史講義、
という本を読んでみて下さい。
正しく聞いて正しく理解してないから!
地下道ご提案した覚えがありますが・・・人数の関係で歩行者と車とで、皆さまのお帰りの妨げになると思い是非!とお願いしました。
兎の毛の先の埃ほど小さいものでも、前世の因縁だと聞かされています。そう思うと全ての事が割り府が合います。
いかがでしょうか