先日、セブンイレブンに(トイレを借りるために)行きました。一応、トイレを借りたということで何かを買って出ようかと思っていたところ、なぜか学研のヒトラーの本(『ヒトラーと第三帝国』)が置いてありました。


世界史に疎い私ですので、知っていたことより知らなかったことの方が多かったのですが、ナチス親衛隊のマークは「稲妻2本」というフレーズから、稲妻が書かれた黒っぽい色の本を思い出しました。そういえば「イナズマ作戦」とかいうことをやっていた親鸞会という宗教団体がありましたが、ヒトラーの本を読んで親鸞会を思い出すあたり、私の親鸞会に対するイメージはお察し頂けるかと思います。


さて、ブログを辿っていたら「顕正戦」が話題になっていましたので、私は「学道戦」を思い出すことにします。


私の学生時代も例に漏れず、親鸞会(の学友部)では様々な活動をしていました。とはいいながら、私の頭の中では大きく、「お布施」「教学」「顕正(布教)」の3つにカテゴライズされていました。

お布施の募財はしょっちゅうありましたので、確か当時は「○○ご報謝」と呼んでいたと思いますが、そんなものはいくつもありました。「顕正戦」は布教活動、そして「学道戦」は教学の活動でした。


実のところ私は、「顕正」ということが大嫌いで、いかにやらずに済むかをずっと考えていました。よくよく思い出してみると、私は学生時代に自分の大学内でAT(布教のための声かけ)をしたことが全くありませんでした。驚くことに(私だけですか)、新勧も含めて、です。必要とあらば他の大学ではせっせと声かけに勤しんでいましたが、自分の大学では決してやろうとしませんでしたし、結局やりませんでした。(すでに目の前にいる後輩への話はやってましたが)


そうすると、「活動をしていない」と思われないために何をしていたかといえば、お金を出していました。
大学三年の頃までは、教学も嫌いだったからです。

勉強も好きではなかったのですが、何より親鸞会の「教学」はテキストの丸暗記、しかもお聖教のご文だけでなく、そうでないところも「答」はすべて丸暗記、というのが嫌で嫌で仕方ありませんでした。なんといいますか、頭を使ってないような、ただただ服従しているような、そんな感覚があったからでした。


そんな私の転機は、確か大学三年の頃でした。


そのときに「学道戦」という名前を使っていたかは記憶が曖昧ですが、何にせよ「教学」の頑張りを各大学で競争することになったのでした。


私の大学は、普段活動している人間が5,6人程度のこぢんまりした所帯でした。それが、色んな事情から分不相応に大きな部室を親鸞会から提供されていたこともあり、ことあるごとにK玉先生の口撃がありました。どれくらいの広さだったかといいますと、多い時には130人くらいを押し込めてビデオご法話をやった実績がありました。

部長は後輩がやっていたとはいえ、一応事実上の最高学年だった私が考えていたことは、「いかにして文句を言われないようにするか」でした。そのためには、何らかの形で実績を残す必要があるのですが、「顕正」は絶対にやりたくなかった私は、「学道戦(教学)で実績を残すしか無い」と思い定めたのでした。


ちょうど同輩もやる気になっていたため、後輩も巻き込んでそれなりの実績を収めました。次の年には、後輩の頑張りが大きかったこともあり、どういう計算かよく分かりませんが全国一の実績を残すことができました。その頃、私の大学は関東で、「教学の○○」と呼ばれたものでした。


ちなみに、この学道戦は、教学聖典1~9の中で模試を受けて合格すると点数になる、という仕組みでした。私は手っ取り早く点数を稼ぐため、聖典1の50問模試ばかりやってました(当然、他のもやってましたが)。その甲斐あって(?)制限時間は2時間なのですが、慣れてしまった1号はだいたい40分くらいで終えられるようになっていました。ただ、書くことに集中するあまり殆ど頭を使わなくなっていたのは、本末転倒な気はしましたが。


そんなこんなで、教学に対する私の抵抗感は薄れていきました。そのおかげか色んなお聖教の言葉を覚えられたことは、今にして思えば財産だったなあと思うのでした。



周りの協力もあって、自分の大学は教学で実績を作ったのですが、やはり「顕正」の圧力は強く、結局私もやることになりました。意地でも自分の大学内で声かけをしないために、せっせと近隣の大学へと自転車を走らせたのはいい思い出でした。